初日の授業(1)
食事は指定された時間内なら、いつとってもいいらしい。混雑を避けるため、少し時間をずらすことも考えたけれど、結局、空腹には勝てなかった。
全校の男子生徒およそ九十人分の席がある食堂は、思った通りかなり広かった。
席は半分ほど埋まっていたが、知り合いの姿は見えなかったので、端っこのカウンター席に座り、トリスさんが持ってきてくれた料理を食べた。
メニューは、トーストにバター、それと大きな器によそわれたポトフのような煮込み料理だ。煮込み料理の具は、キャベツ、じゃがいも、ざく切りのにんじん、そして大きな腸詰肉。あっさりした飽きの来ない味付けは、まさに家庭の味といった感じだった。
手早く食事を終えると、食堂でトリスさんと別れた。メイドや執事は、主人の後で夕食を食べるのだそうだ。従者専用の食堂もあるし、トリスさんのような寮に住み込みのメイドは、自室に持ち帰ってもいいらしい。
部屋に戻ってベッドに腰を下ろす。後はシャワーでも浴びて寝るだけかと思っていると、なぜかトリスさんは料理の載ったお盆を抱えて俺の部屋へ戻ってきた。
「いやあ、お腹が空きましたよぉ」
やたらとニコニコしている。
「なぜここで? 自分の部屋で食べればいいじゃないですか」
「メイドの部屋って個室どころか、三人部屋なんですよ? しかもわたしの場合、他の二人がどちらも先輩だから気詰まりで仕方なくて……」
「まあ、別にいいですけど」
「やった! じゃあ、夜もここで寝ていいですか? 床にお布団敷きますから」
「ダメです」
「イジワルぅ」
恨めしそうな呟きを、俺は聞かなかった振りをした。
食事を終えたトリスさんを部屋から追い出すと、シャワーを浴びて布団に入った。明日は初日の授業、そのあとは余裕があれば図書館に行きたい。体力を回復しておく必要があった。
朝、洗面と食事を終えて制服に着替えた。予想通り、朝は寒かったので、制服の上からさらにコートを羽織る。
トリスさんが今日の時間割にあわせて、勉強机の教科書を鞄に詰めてくれた。それと、剣術の授業があるというので、胴着を詰めたバッグも手渡される。
「ありがとうございます」
「いえいえ。学院は従者の帯同は自由です。御用があれば言ってくださいね」
「初日なので何があるか分かりませんけど、多分大丈夫でしょう」
「それでは、わたしは部屋の掃除をさせていただきます」
「……いや、掃除が必要なほど汚れてはいないと思いますけど」
「掃除をさせていただきますね」
やけに嬉しそうに念押しをしてくる。
「ああ、暇そうにしてると寮の仕事をさせられるんですね。で、サボりの口実が欲しいと。まあ、いいですよ。その代わり授業で分からないことがあったら教えてください。それと、午後は図書館に行くつもりなので、その時は一緒に来てもらうかもしれません」
「はい! かしこまりました」
今日の授業は、数学、魔術史、剣術、魔術理論。一年生は授業数が少ない。
貴族の子どもたちは、それぞれに家庭教師がついて基礎的なことは学習してきていることが多い。だが、義務教育もないこの世界では、それでも個々の知識量や理解力にどうしても差が出来てしまう。
つまり、落ちこぼれは空いた時間を使って必死で他の生徒に追いつかなければならないということだ。
不安があっただけに、最初の二コマの授業は肩透かしを食らった気分だった。
数学は、魔法陣やら魔術を使った道具の作成にどうしても必要らしい。とはいえ、最初の授業では数学というより算数レベルの内容を駆け足に確認しただけで終わった。生徒の出来を確認していたのかもしれない。
続く魔術史の授業に関しても、俺が故郷の図書館の本で読んだ内容とそう変わりはしなかった。
少し忘れている内容もあったけれど、この授業に関しては簡単な予習復習をすれば、苦もなくついていけそうだ。
二つの授業が終わると、胴着に着替えて道場に移動することになった。胴着は、薄手で動きやすいのはいいが、この時期に外に出ると、かなり寒い。道場までは走るほどの距離ではないのだが、俺とカロは寒い寒いと言いながら、身体を温めるために小走りで移動した。
「ははは! お前ら何を小さくなってるんだ? このくらいの寒さでみっともないぞ!」
肩をすぼめて走る俺たちの横を、マルカスが笑いながら駆け抜けていった。
その背中を見送りながら、カロがポツリと呟く。
「あいつ、元気だな」
「マルカスは軍人の家系なんだっけ? 剣術の授業で張り切ってるんでしょ」
剣術の授業も、例の如く初日はごく初歩的なことから始まった。
構え、素振り、そして精神論の簡単な説明……サルティで爺ちゃんから教わったことと同じだ。
カロは運動が苦手らしく、構えの維持と、数回の素振りでもう息が上がっていた。
「カディナ、君だけは仲間だと思っていたのに……」
「僕は、故郷の爺ちゃんからこれだけは叩き込まれてたから」
「はあっ、はあっ、銃のある時代に、なんだって、こんなことを……」
文句を言いながらも頑張って素振りを続ける、カロは真面目だ。彼の様子を横目でうかがないながら、淡々とノルマをこなしいていると、先生から声がかかった。
四十過ぎたずんぐりむっくりな先生だが、あれで身のこなしに隙がない。
「おい、カディナ=モーリアといったか? ちょっとこっちへ来て、マルカスと組み手をしてみろ」
「え、でも僕、木偶相手の打ち込みくらいしかしたことないですよ?」
「別にテストじゃないんだ、それで構わん」
手招きに応じて近づくと、先生は俺の肩に手を置いた。身を屈め、他の生徒に聞こえないように囁いてくる。
「悪いが、他の生徒はどれも構えがなってない。いや、一人だけ完璧なのがいるが……」
言いかけて、チラッと銀髪の少女、ロレッタ様の方を見る。さすがに王族に危ないことはさせらないと、そういうことだ。だったら組み手なんて止めればいいのに、そう思うのだが、先生なりに授業のプランがあるのだろう。
「すぐ終わっても文句を言わないでくださいよ?」
「もちろんだとも、じゃあ頼んだぞ」
背中を押されて一歩前へ出る。
マルカスの方は待ちくたびれたという様子だ。競技用の剣で自分の肩をトントンと叩きながら獰猛な笑みを浮かべた。
「なんだ、やっぱり相手はカディナなのか。歯ごたえがなさそうだ。怪我をしないよう気をつけてやるから、せいぜい抗って見せろ」
「うん、お手柔らかにお願いします」
俺が剣を構えると、薄ら笑いを浮かべていたマルカスの表情がスッと真剣味を帯びた。子供とは思えないほどの迫力がある。けれど、いつぞやのビスカに比べればまだマシだ。
安全第一、俺はそれだけを願って、先生の合図を待った。
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