乱入
先生が教室に入ってくると、生徒達の会話はぴたっと止んだ。
担任の男性教師は、思っていたよりも、ずっと若かった。三十台前半か、下手したら二十代かもしれない。線が細く、ひょろっとしていて、長い黒髪を後ろで結んでいる。
彼は、教壇に立つなり、厳しさとは無縁な穏やかな声で自己紹介を始めた。
「みなさん、初めまして。私は、今日から皆さんの担任を勤めさせていただく、サー=ヴィダルといいます。気軽にサー先生と呼んでくださいね。
今日は、もう時間も遅いので授業はありませんが、せっかくだから皆さんにも、お互いに自己紹介してもらいましょう……では、そちらの端の席の君から、順番にお願いします」
指名された生徒が弾かれたように立ち上がり、上ずった声で自己紹介を始めた。
一人が終わって席につけば、その隣の生徒の番だ。サー先生はその様子を、目を細めて見守っていた。ときには生徒の言葉に何度も頷き、励ますように、先を促す。
どの生徒の自己紹介も、かなり真面目だ。
どの地方から来た、どの程度の貴族で、どんな魔法が得意なのかといったことを、緊張した面持ちで話す。恥ずかしがって、もじもじしている子供なんて一人もいない。俺は感心すると同時に、気落ちもしてきた。家柄も、得意魔法もない俺には、話すことなんて何もない。
仕方がないので、カロの後に俺の番が回ってきた時には、素直にそのことを話した。
つまり、自分が平民であり、知識はともかく、実技の方はからっきしだと。
バカにされるかとも思ったが、隠していてもすぐにバレることだ。
だが結局、そんな心配は杞憂だったようだ。
クラスメイトたちは、俺の存在にほとんど興味がないらしい。というか、およそ誰かの自己紹介で笑いが起きるとか、教室がざわめくことは皆無だった。
有力な貴族が、その家名を名乗ったときにだけ、いくらか興味ありげな視線がその生徒に集まる、といった程度だ。
そういう意味では、教室の視線を一身に集めた少女の存在感は、やはり際立っていた。
カロが「ロレッタ様」と呼んだ少女が席を立つと、クラス中の視線がそこに集中した、のだが……
「ロレッタ=マイオリオール、王都から来ました。よろしく」
期待の度合いに反して、彼女の自己紹介は簡潔を極めていた。しかし、だからと言って何が起こったわけでもない。ロレッタ様が席に着けば、隣の生徒がごく普通に自己紹介を始めた。
全員分の自己紹介が終わると、今日はそれでお開きになった。授業は明日からだ。
一クラスの人数としては少なく感じたとはいえ、この短い時間で、二十人分の顔と名前を一致させることは出来なかった。とはいえ、長い付き合いになるのだから、焦る必要はないだろう。
帰り支度をしていると、派手な音と共に教室のドアが開けられた。
見れば、入り口の前に二人の少年が仁王立ちしている。どちらも髪を短く整え、一分の隙もなく制服を着こなしていた。
「おや、初日から来客とは珍しいですね。どちら様ですか?」
何か書類に走り書きをしていたサー先生は、それを名簿に挟んで閉じると、やって来た少年達を出迎えた。
「失礼します! 二組のバール=キンディです」
「同じく、二組のジャン=ニューエンです。一つご質問があります! この一組に、平民が在籍しているというのは本当でしょうか?」
あまりに唐突な問いかけだったが、サー先生は慌てもせずに、笑顔で答えた。
「ええ、今年、平民でこのエリグールに入学したのは一人、カディナ=モーリア君ですね。彼はうちのクラスにいますよ」
「そのカディナという少年は、一組に在籍するに値するほどの実力者なのでしょうか?」
「いやあ、本人が自己紹介で語ったところによれば、魔術に興味はあるようですが、どうやら実技に関しては全くの初心者のようです」
「なっ!? それで……それで一組の皆さんや、担任の先生は納得されているのですか?」
バールと名乗った少年が、どこか含みのある視線を投げかけたが、その時点で、その場にいた生徒たちの大半は、ことの成り行きに興味を失っているようだった。
ロレッタ様が、二人のことなど一顧だにせず、荷物をまとめて教室を出ていくと、後を追うように数人の生徒がそれに続いた。
ほとんど無視に近い反応は、まるで予想外だったらしく、バールは顔を赤くして肩を震わせた。
「認めない……認めないぞっ! 一組は成績優秀者のクラス何ですよ? そこに実績もない平民が加わっていて、なぜ皆さんは平気でいられるんですか?」
返事はない。
自分が槍玉に挙げられていることも忘れて、俺は二人に同情してしまった。この世界の常識でいえば、間違いなくバールとジャンの感性の方が一般的なのだろう。
ただ、自己紹介のときに感じたのだが、このクラスの人間は、あまり他人に興味がなさそうだ。
確かにロレッタ様は注目の的だったが、逆に言えば、王族の神童と呼ばれるレベルの人ですら騒がれることはなかった。ほとんどの生徒は、ただ、ちょっと珍しい石でも見つけたみたいに、眺めていただけだった。
「ふむ……では、バール君にジャン君でしたか。君たちはクラス分けに不服であると、そして一組には、カディナ君よりも自分達の方がふさわしいと、そう考えているわけですね?」
『もちろんです』
「クラス分けは、私が考えたわけではないですから、残念ながら私では回答を差し上げることができない。なので是非、学院長に直接うかがってみてください。今の時間なら、まだ学院長室にいるはず……いや、でもその前に大事なことを忘れていました。カディナ=モーリア君、君の方から反論はありませんか?」
反論は、ない。ないのだが、ないと言ってしまえば、今よりさらに波風が立ちそうだった。
一組に在籍するというのは、彼らにとって大事なステータスなのだろう。それを、平民の俺が、どうでもいいですなどと言えば、バールとジャンはまた気を悪くしそうだ。
「実を言えば、僕もなぜ自分が一組なのか分かりません」
少し考えても、そんなことしか言えなかった。
サー先生がそれを聞いて、ポンと手を打つ。
「なら、ちょうど良かったですね。三人で学院長室へ行って、その理由を聞いてくればいいでしょう」
もう少しで、椅子からずり落ちそうになった。
俺の顔は、もうかなり引きつっていたと思うのだが、それに気付いてくれたのはカロ一人だけだった。そして、そのカロはと言えば、俺のとなりで机に伏せ、肩を震わせている。平民への差別に義憤を燃やしているのではない、笑いを堪えているのだ。
マルカスに至っては、さっき助けてくれる風なことを言っていたくせに、「なんだ、喧嘩ではないのか、つまらん」などと呟いて、とっとと寮へ帰ってしまっていた。
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