トリス=ネイロール
「でも僕、平民なんで、メイドさんを雇うようなお金は……」
「いえいえ、わたしのお給金は、あくまで学院から支給されるんです。サービス……サービスですね! 貴族たちは、それぞれに自分の家からメイドなり執事なりを連れてくるんですけど、経済的にそれが不可能な場合は、学院からわたしのようなメイドが派遣されるわけです」
「へえ、凄いな……でも、メイドさんが派遣されてくるなら、なんで貴族の人たちは、わざわざ自前で用意するんだろう」
「それは、自分の研究の成果を部外者に見せたくないからとか、単純に見知らぬ人と過ごすのは気まずいからとか、色々理由があるのではないかと……」
「そう言われれば、そうか」
トリスさんは、なぜか困ったように両手の人差し指をつんつんとつき合わせている。
それにしても目を合わせないな、この人。
「じゃあ、掃除や洗濯は任せてしまってもいんですね?」
「ええ、ええ! もちろんですとも! 掃除、洗濯、どんとこいでしゅ! 料理のほうは破滅的に才能がないと言われましたが、食堂がありますから無問題! 他人と顔を合わせるのが、かったるい時には、食堂から部屋に食事をお持ちしますし、眠れぬ夜には子守唄だって歌っちゃいますよ!」
「じゃあ、今、ちょっとお願いしてもいいですか?」
「はい、よろこんで! 眠れぇ~~魔術師ぃぃぃ~~漆黒の闇にぃぃ~~!」
勢いあまって永眠しそうな歌だった。
「あ、やっぱり間に合ってます」
ドアを閉めようとノブを引いたら、トリスさんのブーツが、隙間にガッと割り込んだ。
「出会って三分もたたずに見捨てないでぇ~!」
「いやぁ、でも貴族だらけの寮で平民のお世話とか、トリスさんも嫌じゃないですか?」
笑顔のまま、俺はぐいぐいとドアを引っ張ったが、トリスさんも笑みを浮かべたまま、それを押し返そうとする。
「いえいえ、貴族の子どもなんて高慢ですし、わがまま放題。こんな優しそうな美少年の御主人さま絶対に逃したくありませんから。お願いします、お願いします、お願いします」
必死さが怖い。ああ、でも俺が断ったらペナルティとかがあったりするんだろうか?
その辺のことを聞いてみたら、トリスさんは急にしどろもどろになった。
「ああ……いやぁ、別にそんなことはないんですが……ええと、その……ですね? わたしは、率直に言って、あまりその……家事全般の才能がないというか……いや、努力は、努力だけは人一倍頑張っていると、そう自負しておりますが! でも、ここで仕事をもらえないとなると、その、職場で肩身が狭いと……」
なるほど、彼女は少しばかり手際が悪いからと、平民の俺にあてがわれたってことか。
そう考えると、無下に断るのはちょっと可哀想だな。どことなく、前世の俺に似た雰囲気があるし……
「じゃあ、お願いします」
「へへ、やったぜ。じゃあカディナ=モーリア君、これから三年間、病めるときも健やかなる時も、ずっと一緒に過ごしましょうね」
「あ、気が変わりました、ごめんなさい」
「ちょちょちょ、ダメですよ! キャンセルは受けられません!」
トリスさんが、必死な顔で俺にしがみついてくる。ビスカに会ってからこっち、こんなシチュエーション多いな。
「それに真面目な話、メイドはいた方がいいと思いますよ? カディナ君も言ったように、エリグールでは貴族が大多数を占めます。貴族は見栄の文化ですから、従者を連れてない人は何かと目に付きますし、脅すわけじゃないですけどイジメの標的にもなりやすいです……学院側がわたしのようなメイドを派遣する理由に、それを抑制するのもあるくらいですから。まあ、一番の理由は、家事ごときにうつつを抜かす暇があったら、研究なり鍛錬なりをしろってことですけど」
真顔でそう言うトリスさんの言葉には、確かに説得力があった。
テンションのバグったメイドさんと、貴族からの嫌がらせ、どちらが嫌かと言われたら、圧倒的に後者だ。
「そうですよね。じゃあ、これから三年間よろしくお願いします……」
「不服そうな目をしないでぇ」
「いや、ありがたいですよ。実際、きっちりしたメイドさんより、トリスさんみたいな人の方が一緒にいて落ち着きますし」
「それって、プ、プロポーズ?」
「ちがいます」
話はついた。それからほどなく召集がかかり、生徒たちは寮の入り口に集合することになった。従者たちは入学式には参加しないらしい。俺はトリスさんと別れて、一階のエントランスに向かった。
寮のエントランスには、すでに数名の子供が集まっていた。とくに並ぶように指示があってわけではないようで、広いホールに子ども達がポツンポツンと散らばっている。ほとんどの生徒が初対面だろうから、顔つきをみれば全員が、どことなく緊張しているのがうかがえる。
寮長のお姉さんがやってきてホールを見渡す。彼女は、俺を見つけるとツカツカと歩み寄ってきた。
「カディナ君だっけ? どうかな? トリスと上手くやっていけそう?」
「え、ええ……どうしてですか?」
「いや、どうってことはない、あの子自身は真面目ないい子さ。でも、ちょっと空回りするきらいがあってね。心配してたの。うちでメイドをやっているのは、ほとんどが平民。まあ、裕福な家の出が多いけどね。でも、トリスは元貴族なんだ……ここの卒業生でもある」
「えっ、ここの生徒だったんですか?」
「うん、あたしは魔術のことは知らないけど、なかなか優秀だったらしいよ。でも、父親を亡くして、そのあと家が没落しちゃってね、トリスは研究も続けらんないし、あの性格だから嫁の貰い手もないってんで、仕方なくここで働いてんだ」
「そうだったんですか……ええ、問題はありません」
「よかった。きつい性格の貴族なんかにつけたら、あの子テンパッて何しでかすか分からないから、カディナ君を見てピンと来たんだよ。この子となら上手くやっていけるかもってね」
「う、うん……善処します」
「ああ、頼んだよ」
寮長さんは、手を振るとホールから出て行った。わざわざ、これを伝えに来たらしい。面倒見のいい人だ。
寮長さんと話しているうちにも、続々と生徒が集まってきていて、気がつけばかなりの数になっていた。全部で五十人くらい。
すぐに教師か、係員らしき大人がやってきて、生徒を入学式の会場である講堂に先導していく。
俺たちはかるがもの親子よろしく一列になって、その後を着いていくのだった。
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