ノーリッツ領まで、お嬢様との対話
シルドは、あれから拘束を解かれ、王都の彼の家に送り返されたらしい。当然、警護の任は解かれた。体面を気にする貴族のことだから、シルドに対する風当たりはかなり強くなるだろう。
それでも、脅迫まがいのことをしておいて何の罪にも問われないのだから、個人的にはやりきれない思いもあった。身分の格差は徐々に小さくなっているとはいえ、貴族たちが有利な条件の下で古くから築き、蓄えてきた人脈と資産は、いまだに大きな影響力を持っているということだ。
列車は何事もなかったかのように、北進している。
喉が渇いていたので、持ってきた水筒の水で喉をうるおした。外では、陽が微かに傾き始めている。小腹も空いていたが、夜まで我慢できないほどでもない。
俺は、机の上に置いてあった本をつかむと、窓辺に移動して読み始めた。
「カディナ、いる?」
隣の部屋からノックの音と共に、そんな声が聞こえた。
「誰……ですか?」
「あたしよ、って名前教えてないんだっけか」
いきなりドアが開く。隣の部屋から顔を出したのは、お嬢様だった。
「お、お嬢様?」
俺の戸惑った顔を見て、彼女はケラケラと笑った。
「ずっと大人みたいな話し方だったし、すかした子供だと思ってたけど、面白い顔もできんのね」
「いや、どうしちゃったんですか、その喋り方」
「口うるさい御付がいなくなったんだから、これくらい、いいじゃない。この車両にはあたし達と、カディナしか乗ってないんだから」
「まあ、別にかまいませんけど……カティさんは怒らないんですか?」
そんな風に問いかけると、当の本人が、お嬢様の肩越しに暗い顔を見せた。
「わたし自身の名誉のために弁明させてください。誓って言いますが、わたしは普段から正しい言葉遣いをしていただくよう、何度もお願いしました」
「カティは真面目だもんねぇ」
腕組みをしながら、口元をほころばせるお嬢様。どうやら家臣の忠言に耳を貸す気はないようだ。
「四六時中かたっくるしい喋り方してたら、そのうち頭がどうかしちゃうわよ。必要なときにはちゃんと〈らしく〉振舞ってるんだから、いいでしょ?」
「……ええ、まあ」
カティさんは、納得はできないが、もう諦めた、という感じの煮え切らない返事をした。
「それで、ご用件は」
俺が話を戻すと、お嬢様は「そうそう」と手を打つ。
「カディナ、夜になったら、こっちの部屋で一緒にご飯を食べない? 食堂車から持ってきただけの料理だから、大したもんじゃないけど、今日のお詫び。それに、エリグールに入学する秀才君にも興味があるし」
誘いを受けるかは、正直迷った。
昼間にお嬢様が見せた、あの冷酷な表情。本人は〈らしく〉振舞ったなどと嘯いているが、あの全てが演技ではないだろう。いくらか、俺のことを値踏みしていると考えておいた方がいい。
それでも、結局誘いを受けることにしたのは、機嫌を損ねるのが嫌だったのと、わざわざ俺のような平民に声を掛けたその動機が知りたかったからだ。
日が落ちてからお邪魔した隣の部屋は、相変わらず煌びやかだった。家具の配置に変化はないが、今はテーブルの上に所狭しと料理の皿が並べられている。
「何が好きか分からなかったから、色々頼んじゃった。ま、てきとうに召し上がれ」
促されて席につくと、おいしそうな匂いに胃がギュッとなった。
とはいえ、あまりがっつくわけにはいかない。テーブルマナーを気にする必要はなさそうだが、俺は何とか自分の食欲を制して、せいぜい上品にナイフとフォークを操った。
お嬢様の方も、くだけた口調はそのままに、なかなか華麗なナイフさばきだった。
「ねえ、カディナはエリグールでは何を専攻するつもりなの?」
「あんまり深くは考えてませんね。でも、強いて言うなら魔術の理論や、魔力の正体に関心があります」
「ふーん、暢気なのね」
興味がなさそうな声だが、底に辛辣さが滲んでいた。
俺は気付かない振りをして、微笑む。
「ですね、エリートばかりの学校だって聞いてますから、今から不安でしょうがないですよ」
「そうかしら? あたしが見た限り、カディナ、あんたはそれなりに頭が回る子だわ。それと魔術の才能は、別なのかもしれない。でも、尻尾を振る相手さえ間違えなければ、偉い魔術師になれるわよ」
お嬢様の皮肉は、あまりにも明け透けだった。だが、その怒りの矛先がどこを向いているのか、俺には分からない。
「お嬢様……カディナ君が困っています」
見かねたカティさんが、助け舟を出してくれたが、どうやら逆効果だったようだ。お嬢様はさっきよりも、さらに勢い込んで話はじめる。
「今、魔術学院で何がいちばん熱心に教えられているか知ってる? 攻撃魔法、呪術、あるいは大砲や鉛の弾を飛ばせるような爆発の魔術……つまりは人殺しの魔法よ」
「それは……」
予想外、とは言えなかった。ジェムによって、才覚のないものでも魔術を行使できるようになった。ならば、今までは一部の魔術にしか使えなかったような高位の魔法が、誰にでも使えるようになるかもしれない。少なくとも、軍の人間がそう考えても不思議ではないだろう。
今はまだ強力な魔術兵器が完成したという話は聴かないが、水面下ではその開発が進んでいる、と考えるべきだろう。いち早く完成させることが出来れば、軍事力の点で抜きん出ることが出来るし、逆に出遅れれば、国際競争において肩身の狭い思いをすることになる。
魔術の学校にエリートを集めて、そこで新たな技術が生まれる下地を作るというのは、大いにありえることだと俺は思う。
もちろん、十歳にも満たない子ども達に直接、兵器を開発させるわけじゃないだろう。それでも、カリキュラムを少し変更したり、あるいは成績の評価基準に偏りを持たせれば、生徒たちは、ほとんど無自覚に攻撃的な魔術を学ぶよう、誘導されてくだろう。
「カディナ、あんたが将来生み出した魔術が、兵器に使われて罪のない人々を傷つけたとしたら……そしたら、どう思う?」
自分がそんな大それた魔術を開発できるとは思えなかったが、今、それは関係ない。
ただ、お嬢様の問いはあまりに漠然とし過ぎていた。
技術と倫理は全く別のものだ。悪い魔術と、いい魔術。だれにそんな区別がつけられるだろうか?
この世界ではどうか知らないが、前世では、人間の病気の治療法を発見したり、薬を作り出すために、罪のない小動物が数多く殺された。だからと言って、それらの治療法や薬が、悪だと言い切れるだろうか?
それに、人類という種の視点から見れば、戦争は必ずしも悪ではないのかもしれない。増えすぎた人口を少しばかり間引くことが出来るし、科学技術の発展も促す。
天才的な頭脳を集めて、金に糸目をつけずに研究させ、時には非倫理的な実験すら許容してしまう戦争という状況は、科学の発展にどれだけ有用なことだろう。
しかし反面、戦場を駆ける兵士たちや、テロの巻き添えをくって片足を吹き飛ばされた十歳の少女にとって、戦争や、そこで使われる兵器は災厄以外の何物でもないだろう。
そういった考えをまとめ、何とか言葉にしようとすれば、俺の意志に反してそれはとても陳腐なものになった。
「僕がそんな魔術を生み出せたとして、そしてその魔術が人を殺したとしても、僕は自分を恥じることもなければ、誇りに思うこともないでしょう。ただ、そんな使い方をした人々を悲しく思うだけです」
「技術は使う人次第ってわけね? でもカディナ、覚えておいて。いざって時に、あなたに選択肢はないのかもしれないの。だって、もし巨大な力を持った組織が、あんたの力を欲しいと思ったら、例えばあんたの家族を人質にとるかもしれない」
途方もない話だったが、お嬢様の目は真剣だった。俺はただ、頷くことしか出来ない。
「そう、なのかもしれません。でも、魔術の発展は、まだまだこれからです。それはつまり、多くの可能性を秘めているってことだと思います。人を悲しませることだってあるでしょうけど、それと同じだけ、人を幸せにすることもある……そのはずです」
そんな言葉を、やっと搾り出せば、お嬢様はやっと笑顔を見せてくれた。
「そうね……実は、カディナと同じで、妹が春からエリグールに通うことになってるの。仲のいい妹、優しい子だから、あの子がひどい研究をさせられたらと思って、ちょっと視野が狭くなってたみたい。ごめんね」
「別に構いませんよ」
「もし妹と会ったら、仲良くしてあげて、とってもいい子だから」
「もちろん。会えるのを楽しみにしています」
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