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読書三昧の異世界スローライフ   作者: 小峰
港町での生活
28/58

賜物

 俺は、オデラさんからの提案を受けることに決めた。


 城での面談を終えて家に帰り、爺ちゃんと婆ちゃんにそのことを話す。

 事後報告になってしまったにも関わらず、二人は嬉しさ半分、寂しさ半分といった顔で俺の頭を撫でてくれた。

 婆ちゃんの方は途中から目を潤ませ、俺を強く抱きしめた。


「いつかこんな日が来るとは思っていたけれど、まさかこんなに早いとはねえ」

「学院に通えるのは、論文が受け入れられたらの話だよ」


 婆ちゃんの背中に腕を回しながら、我ながらつまらないことを言ってしまったと思った。

 オデラさんの提案を受ければ、二人との別れは必然だったはずだ。

 分かった上で決めたくせに、何をいまさら不安になっているのだろう?


「ここまで湿っぽい空気にさせておいて、落ちたら洒落にならんからな。自分で選び取った道なら合格して見せなさい」

「まあ、やれるだけやってみるよ」



 次の日、図書館で会ったアリアとリリアにも、一応オデラさんの提案の内容と、自分の意志を伝えておいた。オデラさんは、この件については二人に何も伝えていないらしく、アリアもリリアも寝耳に水といった感じだった。


「そうですね、カディナが接客や事務の仕事をしている姿は想像できませんでしたから……こういうことになる可能性も考えてはいました。論文、頑張ってくださいね」

「ありがとう」


 アリアは肩をすくめて、仕方ないという風に微笑む。

 だが、リリアの方は思っていたよりショックを受けてしまったようで、感情が現実に追いついていないようだった。


「カディナさん、これでお別れなんですか?」

「リリア、カディナが自分で決めたことです」


 アリアが低い声を出してたしなめるが、リリアはいやいやをするように首を振った。


「でも……!」

「もし僕の書いた論文が、エリグールの教授に受け入れてもらえれば、そう、少しの間お別れだね。でも、夏と冬の休暇にはサルティに戻ってくるつもりだし、学校はたったの三年だ。短いお別れだよ」

「でも……わたし、寂しいです」

「僕も寂しい。だから、そうだ。リリア、僕がエリグールに行くことになったら手紙を書いてくれない? 僕もリリアに手紙を書くよ」


 リリアは瞳の縁から流れ出る涙を手の甲で拭いながら、何度も頷く。


「困らせてごめんなさい……わたし、手紙、絶対に書きます……お別れするのはすごく怖いけど、でも、カディナさんのこと応援します」

「うん、ありがとう。やっぱりリリアはいい子だね」



 それからは、午前中は図書館でメモを取りながら資料を読み漁り、夕方からは構成を練りつつ論文を書き始める、そんな生活が始まった。

 テーマは自由、文字数の制限も聞かされていないので、実のところどのレベルの論文を期待されているのかも定かではなかった。


 だが、書くことはすでに自分の中で決まっていた。必要な情報はもうほとんど集まっていて、図書館でやっていたことは八割方その確認作業に過ぎなかった。


 

 論文が完成したのは、面談から四日後の夜だった。その日はやたらと筆が進み、何かに取り憑かれたかのように一心不乱に机に向かっていた。

 凪いだ心の内側から言葉が湧き出てくるような感覚が続き、最後の一文字を書き終えたときには、思わず天を仰いだ。


 とはいえ、勢いだけで書いた文章というのは後で読むと酷いものだったりするから、一日寝かせてからの清書が必要だろう。

 それでも、やるだけやったぞと思えば気は軽くなった。


 ジェムに手を触れ、部屋の明かりを消す。薄手のカーテンの向こうから、街灯の明かりや隣家の生活の灯が滑り込んでくる。

 

 薄暗い部屋からは色が消え、浅く刻まれた版画のように、ベッドや、机や、ペン立ての輪郭だけがぼんやりと浮かび上がった。窓を開ければ、吐く息が白く煙った。

 ほてった頬から熱が一気に奪われていくのが分かる。春の兆しが見え始めた頃とはいえ、夜気はまだ冬の気配を濃厚に残していた。

 

 いつまでもいつまでも、この冷気を感じていたいと思った。

 水墨画のように霞んだ部屋を眺め、カーテン越しのおぼろな光に目を奪われていたい。

 このなにげない瞬間の、目もくらむような素晴らしさを、永遠にこの胸に抱きとめていたい。

 だが、それは贅沢というものだろう。

 俺はすでにあまりにも多くのものを、この世界から受け取っていた。


 前世では、今の俺と同じような境遇の若者たちを主人公にした物語が、それこそ無数にネット上にアップロードされていた。彼らは大抵、異世界に転生するに際して、その世界を根底からひっくり返してしまいかねないような力を手に入れていた。

 

 残念ながら、俺にはそこまで分かりやすい力はない。だからといって、ことさら恨み言は言うまい。だいたい、俺がそんな力を得たとしても物語の主人公のように上手くやっていけたかと問われれば自信はない。


 記憶を引き継いだまま、本来あり得ないはずの二つ目の命をもらった。

 俺にはそれで十分だった。


 

 次の日、下書きを清書しながら、俺は自分の考えをもう一度洗い直していた。

 

 実を言えばこの論文には、考えたことの半分くらいしか書いてはいない。

 残りの半分は、俺が前世で得た知識が前提になっているので、バカ正直に説明すれば気が触れていると思われかねないからだ。

 

 この世界と前世の世界に深いつながりがあると確信するようになったのは、物心ついてからそれほど経たないうちだった。

 

 きっかけは、爺ちゃんと婆ちゃんが最初に俺に買ってくれた本だ。そこに収録されていた物語の多くは、前世の神話・民話と話の骨格がかなり似ていた。

 

 だが、似ているのはそれだけではなかった。この町での生活が続くうち、文化全体が前世のものと非常によく似通ってることに気がついた。

 

 貴族の子ども達が演奏したピアノもそうならば、婆ちゃんが教えてくれた料理もそうだ。

 時代が違い、地理が違い、そしてジェムの有無の違いがあってさえ、人間の営みというのはどこでもそう変わらないものだなと思ったことを、よく覚えている。


 しかしそれだけに、あまりにも共通点が多過ぎるのではないかと首をひねることもあった。

 例えば食材だ。ニンニク、トマト、スパゲティ、種々の魚たち……前世でもありふれた食材たち。

 

 食べてみても味に違いは感じられず、だとすれば文化だけではなく植物や動物の種類、その生態までもが同じだということになる。

 実際、魔物を除けば、この世界の生き物は大抵が見知った動物ばかりだった。

 ここまで来れば、この世界を異世界などと呼ぶことすらためらわれるほどだ。


 前世でファンタジー小説を読んだときには、よくこんな疑問が浮かんだものだ。なぜこのファンタジーの世界には人間が、あるいは人間によく似た生き物がいるのだろう? 

 

 地球とは全く違う環境で生まれ、成長し、進化して来たのであれば、それが人間やそれに近い生物――例えばエルフとか、ドワーフとか――に進化する確率はどれほどのものだろう?

 恐らくは、限りなくゼロに近いんじゃないだろうか。


 ならば、この世界と前世の世界は、互いに隔絶された別個の世界だと考えるよりは、一本の幹から伸びた二つの枝のようなものだと考えたほうが納得ができる。

 そこに住む生物や、植生、人々の文化までもが同じなら、その根っこにある構造もまた同じはずだ。

 となれば、俺はこの世界の人々がまだ知らない事実をいくつか知っている。


 その一つは、この世界が巨大な積み木細工のようなものだということだ。

 

 この世界にも原子論はすでにあるが、それは太古の哲学者が考え出した、かなり単純化されたものだ。

 この世の全てのものは、火、土、水、風の四要素からなる原子からできているというもので、それが正しく世界を描写しているとは言えないものの、二千年も前に考えられたにしてはドキッとさせられるほど本質をつかんでいる。


 人間の設計図たるDNAの内容はたった四種類の塩基の配列だし、シェイクスピアの戯曲も突き詰めれば二十六文字のアルファベットの組み合わせに過ぎない。

 

 文字の組み合わせが単語になり、単語の組み合わせが文章になり、やがて文章が一冊に本に編み上げられるように、有限個の単純な要素でも、複数組み合わせることによって多彩な表現が可能になる。

 

 そして、その法則が下部構造から上部構造までマトリョーシカのように何度も繰り返されることによって、例えば人体のような複雑精緻な有機物の誕生さえ可能になったのだ。

 

 恐らく、その事実はこの世界でも変わらないだろう。もちろん、魔法もその範疇に入るはずだ。

 実際にどのような作用によって魔法が発動しているのかは分からないが、恐らくは魔力にも最小単位に相当する粒子があり、その組み合わせが火の魔法、風の魔法といった魔法のバリエーションを生み出しているのではないかと俺は考えている。


 魔力の本質は何で、どのように生み出されるのか。

 それについては魔核の存在がヒントとなった。

 

 魔核には魔力を生成する機能はなく、それはただ魔力を溜めることができるだけらしい。

 だとすれば魔核を満たすには、外部から魔力を集めてこなければならない。だがその方法を、コルネリオは解き明かすことが出来ていなかった。

 

 さんざん実物と向き合って研究した人が分からなかったものを、俺が証明できるはずはない。

 けれど本を読んだ限りでは、やはり魔力は魔物の脳で作られていると考えるのが自然に思える。


 空気中から魔力を集める機構が魔物の内部にないし、魔核の内部まで通じているものが、脳と繋がった管以外にないのだから俺がそう考えたのも当然だろう。

 

 魔法を使えない普通の動物と、魔法を使える魔物で脳に差がないのなら、脳で魔力が生成されるという考えには確かに疑問符がつく。

 

 ではもし、普通の動物がごく微量ではあっても魔力を生成していたとすればどうだろう?

 

 もちろん魔法を発動するにはまるで足りないし、魔核のような器に蓄えられていくわけでもないから、動物の魔力は、生成されてはすぐに消えていくだけのものだ。

 もしも、この仮定が正しければ、魔物もまた少量ではあるものの魔力を生み出すことが出来るということになる。そして、数日や数週間という長い時間をかけて魔核を満たしていくわけだ。


 そう考えれば、爺ちゃんの話の中でコルネリオが語っていた、魔物は一度魔力を使い切ってしまえば、回復するまでに長い時間がかかるという発言とも一致する。

 

 それに、資料を読んだ限りでは魔物が魔法を使うのは、自らの命に危険を感じたときだけだ。

 だが魔物は、魔法が使えなくとも体躯は大きく、その肉体は強靭なので人間を別にすれば自然界に天敵はほとんどいなかった。

 だとすれば、彼らが魔法を使う状況というのは非常に限られていたと考えられる。

 魔物たちは、地道に蓄えた魔力を本当に必要なときに限って大盤振る舞いしていたのだろう。


 魔力の本質を考えるために必要だったのは、動物と魔物の比較ではなく、人間と動物・魔物の比較だったのではないか。

 なぜなら、人間は魔核なしでも、ささやかながら魔法が使えるからだ。

 

 魔核なしで魔法を発動している以上、人間が一度に生成する魔力の量は、動物や魔物を大幅に上回っているはずだ。

 

 となれば、人と獣を分け隔てるもの、魔力の本質は恐らく想像力だ。

 そう考えれば、魔力が脳で生成されるということにも、魔物たちが僅かずつしか魔力を生成できないことにも説明がつくんじゃないだろうか?


 想像力とは、今ここにはないものを見据える力だ。

 現在の状況から未来の出来事を予測するのも想像力の力。

 牧場の羊の数を把握するのに、箱の中に石を並べ、その箱を牧場に、石を羊に見立てるのも想像力の力だ。

 前者はもちろん、科学や哲学を導いた。そして後者は、直接的には文字や貨幣の登場を先導した。


 では、魔力の本質を想像力だとするならば、コルネリオが示したようにその魔力が世界中に満ち満ちていることをどう説明すればいいのだろう?

 そして魔力が、火や水や風といった現実の事象と互換性を持っている事実は何を指し示しているのだろう?

 

 実を言えば、俺の中ではもう答えは出ている。


 この世界には神がいるのだ。

 

 信仰として心の中にいるという話ではない。

 この世界そのものが神の想像力の結晶だとすれば、魔力が空気中に存在する事実も説明がつく。そして『魔術史』にも書かれていたように、魔術の最初の萌芽は芸術と共にあったという説も腑に落ちる。


 もしかしたら、この世界そのものが、物理法則という名の術式に魔力を走らせて発動した巨大な魔法なのかもしれない……まあ、さすがに誇大妄想が過ぎる気もする。そういう自覚はあったので、俺は神の存在証明については論文からバッサリと削った。


 論文のタイトルは『魔力原子論』とした。

 これは魔力の最小単位を想定し、それが術式によって増幅、凝縮されて周囲の自然現象に介入していくプロセスを推測したものになった。読み直せば、これもまた論証に欠けるところが多過ぎるのだが、前世のことに言及できない以上、今の俺に書けるのはここまでだった。  

ブックマークありがとうございます!


一章はあと一話か二話で終わりになります。

ここまで続けられたのは、読んでくださった皆さんのおかげです。ありがとうございました!

よろしければ、二章にもお付き合いいただければと思います。

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