『魔術史 第六巻』【前編】
カディナの視点に戻ります。
爺ちゃんの話は思っていたよりずっと重く、また濃密なものだった。
格好良く魔物を退治して終わりなんて、そんな英雄物語を、俺も少しくらいは期待していたのかもしれない。
命の奪い合い、その凄惨さ。それは前世でも、この世界でも俺にとって無縁なものだった。けれど爺ちゃんの話を聞くと、前世で戦争のノンフィクションを読んだ時に似た感慨が胸を埋めた。
人間の尊厳などというものは虚飾にすぎない。いざとなれば、子供がいたずらに貼ったシールみたいに簡単に剥がれてしまうものだ。
爺ちゃんが何も言わずにシャツの腕をまくる。右腕の肘、ちょうど魔物の爪に抉られたと言っていた辺りには、確かに少し皮膚が引き攣れたような痕がある。けれど、それは前世で見た手術の縫合痕とも違えば、怪我が自然治癒した箇所にも見えなかった。
「それが、回復の魔法で治ったところなの?」
「ああ、不思議なものだろう? わしだって、未だにあれは夢だったんじゃないかと思うくらいだ。魔法というものの恐ろしさ、素晴らしさを知ったのは、あの戦いがあったからだ。いや、それ以上に、わしが今こうして生きていられるのもあの魔術師のおかげだな……まあ、色々な意味で」
「どういうこと?」
「いやなに、わしがその後で軍を辞めたことは話したな? その時に軍から、いくらかの金を受け取った。正直なことを言えば、それを受け取るかどうかは本当に悩んだ。あるいは受け取ったとして、その金は死んでいった隊員たちの遺族に渡せないものかとね。
だが何と言って遺族に金を渡せばいい?
結局、わしはただ金を受け取り、そのまま口座に塩漬けにしておった。
それから数ヶ月もすると、婆さんとの仲も少しずつ深まって、わしも新しい仕事のために引越しをすることになった。丁度その頃だよ、コルネリオとまた会ったのは。久しぶりに会うなり、やつはなんと言ったと思う? 面白い事業を始めるから金を貸せとさ」
「で、貸したの?」
「貸したとも。何せ命の恩人だ。新しい仕事も決まって、金銭的な不安から開放されていたのもあったかもしれん。だが、何より五百倍にして返すという奴の言い草がおかしくてな」
五百倍……誰がどう聞いても怪しすぎる。俺はすぐにスパムメールだの、詐欺まがいの情報教材だのの宣伝文句が頭に浮かんだ。
「それ、信じたの?」
爺ちゃんはいかにも愉快そうにカラカラと笑った。
「信じた信じた! まあどちらにせよ大した額でもなかったしな、眠らせておくくらいなら、誰かのために使ったほうがマシじゃないかと思ったんだ……だが結局、それから一年もしないうちにコルネリオは死んだ。やつが亡くなってから数日後、読み上げられた遺書には、トニオ=モーリアにいくらいくらの額を遺すと書かれていたそうだよ。律儀といえば律儀なやつだ。だが、わしは金なんか返ってこなくてもいいから、あの胡散臭い魔術師に生きていて欲しかった」
『魔術史』第六巻の最後の章は、その胡散臭い魔術師に捧げられていると言ってもよかった。
なぜなら、爺ちゃんの話に登場したそのコルネリオ=アノこそが、ジェムを発明した人物だったからだ。
ジェムというものの発明と発展は、まだ歴史と呼ばれるほどには時間を経ていなかった。だが、それが他の学問や人々の生活に与えた影響はあまりにも甚大だったので、『魔術史』の著者はそれについて最後の一章を費やすことにしたようだった。
「コルネリオ=アノはステットホルンの大学を次席で卒業すると、王都の外れに小さな研究所を構え、そこで魔物の研究にいそしんだ。
魔物学は当時から斜陽の学問で、先行の研究も極端に少なく、よって世間的な評判もそれほど良くはなかった。
研究生活に入るなり、コルネリオもまた全ての魔物学者たちと同じ悩みを抱えることになる。その悩みとは、魔物の標本がなかなか手に入らないことだった。
魔物はそもそもの個体数が少なく、その上で標本を手に入れようと思えば命を懸ける覚悟が必要だった。
冒険者たちに魔物の死骸を持ち帰るように依頼したこともあったが、帰還率が恐ろしく低かった上に、ごく稀に死骸が持ち帰られても、損傷が激しすぎて標本としては役に立たない場合が多すぎた。
思うように成果が上がらず、大学からの研究費も削られたコルネリオは、苦肉の策として、自らの足を使って標本の不足を補うことにした。
地方の警備隊や軍の兵士たちが魔物を討伐したときには一報を入れてもらうよう頼み込み、報告があれば取るものもとりあえず汽車に飛び乗って現地へ急行した。
半日以上の窮屈な汽車の旅を乗り越えても、現地にたどり着けば魔物の死骸は腐敗していたり、野生の動物に食い荒らされていたりすることがほとんどだった。
それでも数回に一回、比較的保存状態のいい死骸にお目にかかることができた。
やがてコルネリオの研究所には、数日分の日用品と、魔物を解剖し、その臓器を保存するための器具が入った大きな旅行鞄が常備されるようになった。
魔物の身体構造について詳しくなるにつれ、コルネリオの中で一つの問いが生まれ、それが日を追うごとに彼の中で大きく成長していった。
――最近、学会を騒がせている進化論、あの進化論は魔物にも適応できるのだろうか?――
一方では、魔物は進化論に対する最も明確な反証だった。
人間を別にすれば生態系の頂点と言っていい力を持ちながら、個体数からいえば繁栄しているとは言いがたいこの生き物は、全ての個体に魔核と呼ばれる臓器を持っていた。
進化論によれば、生物は生息する環境に適応する形で、世代を経るごとに徐々にその姿形を変化させているということだった。
にも関わらず、魔核はどの地域に生息する魔物にも、ほぼ同じ形状で備わっていた。魔物の体内から魔核を取り出せば、それは例外なく表面に浅い刻み目のついた、紡錘形の結晶だった。
だが一方で、魔核を別にすれば魔物たちの身体構造は、一般の動物たちと強い類似性を示してもいた。一例をあげるなら、風を操るアルコンという魔物は、化石になって発掘されたティーライウルフという種の狼に骨格の点で非常によく似ていた。
この問題を解決するため、コルネリオは魔核の研究を仕事の中心に据えることに決めた。
彼は、仮にそのメカニズムが詳細に解き明かされてはいないとしても、無数の化石標本が示す特徴から、進化論にはそれなりの妥当性があると考えていた。
よって、魔核の問題も、より詳細に調べていく中で進化論的な説明がつくようになるだろうと想定していたようだ。
魔核についてコルネリオが最初に目をつけたのは、その千差万別の刻み目だった。
種ごとに傾向のようなものはあるらしかったが、刻み目は個体ごとに違っていた。そういう意味では人間の指紋に近かった。
魔物が、他の動物たちと違い、強力な魔法を使える原因は魔核のはずだ。魔核の有無こそが、動物たちと魔物の一番明確な身体上の違いだからだ。
そして魔物の種によって魔核の構造に差がないのであれば、魔物たちが種ごとに違う魔法を使う原因は、その刻み目にあると推測された。
連なる山並みや、打ち寄せる波を模したような曲線、あるいは蜘蛛の巣にも似た幾何学模様……
一見それは太古の壁画を想起させる原始的な文様に見えた。だが、顕微鏡を通して見れば、そこには小さな傷のような線が稠密に並んでいることが分かる。
大学で魔術の基礎を学んでいたコルネリオは、この刻み目や細かな傷のような線が、一種の術式であることにすぐ気がついた。
コルネリオが夜遅くまで研究を続けていた、ある日のことだ。ランプの火が消えてしまい、真っ暗になった研究室で、彼は手探りでマッチを探していた。
指先が何か硬いものに触れた瞬間、そこから細い光の筋が伸びた。
コルネリオが触れたものは魔核だった。指先から発した微弱な魔力が、刻み目の術式に流れ込んで微かに発光したらしかった。
だが魔法が発動することはなかった。魔力が足りないのかと、コルネリオは室内だということも忘れて、ありったけの魔力を魔核に流し込んだ。
すると不思議なことに、刻み目の術式はまるで反応しなくなってしまった。
ランプを付けると、あわてて保管庫に駆け込み、状態のいい魔核を取り出して同じことを試したみたが結果は変わらなかった。何度やっても、術式は微弱な魔力にのみ反応し、一定以上の出力の魔力には沈黙を守り続けた。
幾度か実験を繰り返すうちに、コルネリオは、これは一種のスイッチなのではないかと考えるようになった。
微弱な魔力は術式を起動するためのものであり、それ自体は魔法を発動さることはない。
魔法に必要とされる魔力は魔核の内部に蓄積されていたか、魔核が作り出していたのだろうと当たりをつけた。
本人はこの説にあまり自信はないようだったが、それも当然だろう。
ありったけの魔力を注ぎこんだにも関わらず、魔核に魔力が貯まった形跡はなく、また魔核に魔力を作りだす能力があるのだとすれば、魔物と戦ったことのある兵士たちの証言と矛盾していた。
兵士たちによれば、魔物は一度魔力を使い切ってしまった後では、もう一切の魔法を使わなくなったと証言していたのだ。
しかし、だとしても調べなければ気がすまないのが彼の性分だった。となれば、そのためには魔物を、出来るならば生きたまま解剖する必要があった。
魔核が魔力を製造するにしろ貯蔵するにしろ、その機能を正しく判断するには、実際にそれが稼動しているところを目にしなければならない。
その時点でコルネリオは、自分が魔物の討伐隊に加わることを決めた。彼はそれから一年以上の時間をかけて鍛錬に励み、魔術の才能を開花させていった」
誤字脱字の報告ありがとうございます!
次回は後編です。
また長くなってしまった……




