魔物をめぐる祖父の冒険【2】
会議室を出るなり、コルネリオは準備を整えてくると言い残して、一人宿へ戻った。魔術師にどんな準備が必要なのか、私たちには知る由もないのであれば、引き止めても仕方がない。
宿舎内ではすでに新兵たちが応急薬や非常食を手に行き交っていた。玄関ホールまでたどり着けば、そこには保管庫から持ち寄られた物資がずらりと並んで、それぞれが必要とされる場所へ運ばれるのを待ち構えていた。
物資の中には、数種類の装備も含まれていた。新兵たちは警備隊長の指示を迅速にこなしたようだ。武器を選び、防具を身につける。
防具、といってもライトメタルを革の帯で固定するだけの簡素なものだ。これは敵の攻撃を防ぐというよりは、回避行動などで咄嗟に飛び跳ねたり転んだりした際に、関節部や急所を痛めないようにするという意味合いの方が強い。
オッドが軽めの装備を選んだということは、魔物の攻撃は生半可な防具では防げないほどの破壊力を秘めているということなのだろう。
宿舎を出てコルネリオと合流する頃には、すでに住民たちの避難は始まっていて、町はいつにない物々しい雰囲気に包まれていた。
コルネリオが武器として持ってきたのは、先端に一掴みほどの大きさのクリスタルのついた大振りの杖だった。そのような杖は、おとぎ話の中だけの存在だと思っていた私は、ただ呆然とそれを見つめてしまった。横を見れば他の兵士たちも呆れたような目で、コルネリオとその杖を見ていた。
とはいえ、本人は大真面目だし、役に立ってくれるのなら見た目はどうであろうと文句はない。
ロッドとモードはすぐに表情を引き締めると、視線で出発を促した。
町を出る前から、ロッド、モード、コルネリオの三人はすでに臨戦態勢と言っていい状態だった。それに比べて、私と、ロレン、パーは随分と間が抜けて見えたのだろう、モードが注意を促した。
「おそらく魔物はもうすぐそこにいるはずだ。お前達も覚悟を決めておいた方が身のためだぞ」
「ですが、手紙によれば魔物が発見されたのは、隣町に近い森でしたよね?」
ロレンの質問に、オッドが嘆息しながら答える。
「カネン近辺の森で魔物が出たとして、あの伝令がここまで走って来るのに何時間かかる? どれだけの俊足だったとしても二時間以上は必要だ。ましてあの状態なら、最低でも五時間。あの手紙が書かれたのは魔物と戦っている最中だろうから、そのくらいの計算は出来たはずだ。
だとすれば、つじつまが合わない。俺たちが準備を整えて、えっちらおっちらと出張って行ったところで、着いた頃にはカネンの警備隊は全滅、悪けりゃ、町そのものが壊滅しているはずだ」
「カネンの警備隊は自分達の命を諦めた上で、我々に希望を託したということでは?」
「違うでしょうね」
口を開いたコルネリオの口調は、そのままできの悪い生徒に対する教師のものだった。
「医者に運ばれていったあの兵士は、おそらく魔物をこの近辺まで誘導してきたのでしょう」
「なっ、そんなバカな!」
「そうバカな話でもないさ」
言葉を継いだのはオッドだった。
「あの伝令、なぜああも汚泥にまみれていたと思う? ただ転んだだけでは到底ああはならない」
「それは……魔物から身を隠すため、でしょうか?」
「そう、つまり奴は自分が魔物から追われていることを自覚しながらここまで来たわけだ。確かに傷ついてはいたが、傷跡は腕に数箇所、どれも致命傷じゃあない。もし本当に魔物に襲われていたなら、あの程度で済むわけはない。違いますか? コルネリオさん」
「オッドさんの仰るとおりですね」
「じゃあ、あの傷は……?」
「自分で自分の腕を切りつけたんだろう。血の匂いで魔物を誘い出したんだ。血を流した後は、泥や動物の糞、虫の死骸、腐った枯葉なんかを全身に塗りつけて一時的に匂いを消し、走って逃げる。魔物との距離がとれたら、また腕を切って血を流す。魔物ってやつは知能は普通の動物とそう変わらないから、目の前ににんじんをぶら下げられた馬みたいに、どこまでもついてくるさ」
「で、ですが……そう、コルネリオさんは先ほど、伝令の傷を見て魔物の仕業だと……」
「それはそうでしょう、科学がこれだけ発展した昨今、もはや人間には天敵と呼べる動物はほとんど存在しないのです。彼らは訓練を積んだ上で武装した兵士ですよ? ピクニック中に熊に遭遇した子供とはわけがちがう。それがあのような状態に追い込まれたとなれば、それは魔物の仕業を置いて他にない」
彼らの言葉を聞いて、私は息を呑んだ。ほとんど何も考えていないように見えたコルネリオが、数少ない情報から正しく状況を理解していたことにも驚いたが、それ以上に自分のふがいなさに歯噛みする思いだった。
それにしても、何と言う想像だろう。あの伝令兵が、今、オッドが語った通りの方法で魔物を誘導してきたと言うのなら、その苦痛と恐怖はどれだけのものだったのか、想像もつかない。
死の吐息を背後に聞きながら、自らの肌に刃をつき立て、傷口に汚物を塗りこむ。そんな想像を絶する忍耐の果てに成し遂げたことといえば、自分たちの町カネンを守る代わりに、このアリフローズを生贄に差し出すという、おおよそ人の道に反したことなのだった。
私を含めた若者たちの顔に理解の色が浮かんだのを見て、オッドはきつく目を閉じた。
「お前達の想像は大体その通りだろうよ。癪に障るのは確かだが、だとしても、奴はやるべきことをやった。俺たちもそれに倣うだけだ」
「さて、では行きますか」
コルネリオがどこまでも能天気な声でそう促せば、彼以外の全員は苦悩に染まった表情のまま首を縦に振るしかなかった。
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長すぎたので分割しました。今回は少し短いです。




