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読書三昧の異世界スローライフ   作者: 小峰
港町での生活
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異世界、最初の本

 生まれ変わって最初の記憶は、婆ちゃんが緋色の缶から出してくれたチョコレートの味だった。婆ちゃんはいつもその缶に、何かしらお菓子を入れていて、おやつ時になるとそこから取り出したビスケットやキャンディ、チョコレートを俺にくれた。

 

 チョコートは、カカオの効いた苦味のあるやつで、齧るとパキッと小気味のいい音がして、ナッツの香ばしい香りが口の中に広がった。


 爺ちゃんと婆ちゃんの話によれば、俺の父親はすでに他界しているらしい。母親の方は、生活費と養育費のために働き詰めで、俺の面倒を見ている余裕はないらしかった。

 

 そして俺の祖父母もまた、この世の人ではないらしい。

 

 つまり、爺ちゃんと婆ちゃんはとても優しいけれど、俺との間に血のつながりはないのだ。じゃあ、二人と俺の親との関係は一体どんなものなのか、聞いても二人ははっきりと答えてくれない。


「わしらはね、カディナ。おまえのお母さんのお父さん、つまりお爺様だね。その方に、それはそれはお世話になったんだよ」

 

 爺ちゃんはしみじみとそう言う。その言葉に嘘はないのだろう。だがその説明からは、具体的な関係や、経緯がすっぽりと抜け落ちていた。

 隠すつもりはないが、かと言って全てを明らかにするつもりもない。そういうことなのだろう。それならそれでもいい。

 爺ちゃんと婆ちゃんが俺を大切に思ってくれる気持ちは、疑う余地もなく本物だからだ。

 

 俺が小さな子供に似合いのむじゃきな笑みを浮かべて「へーそうなんだー」と頷くと、二人はホッと胸をなでおろした。

 

 当然といえば当然だが、この世界にはネットがない。テレビはもちろん、映画もまだ発明されていないようだ。

 しかし、俺にとってはそれよりもずっと素晴らしいものが、この世界にはあった。

 爺ちゃんの書斎で見つけてしまったのだ。本棚に並ぶ革の装丁の本、その背表紙の列を。


 読みたい。そう思ったが、俺はまだこっちの世界の言葉に慣れていなかった。


 本を読むため、それからは言葉を覚えることに本腰を入れることにした。

 といっても、やったことはとても単純だ。

 分からない単語を見つけたり、耳にしたときには爺ちゃんと婆ちゃんにその意味を聞く。ただそれだけ。単語だけじゃなくて、文法でわからないことがあったときにも同じように聞く。そして覚える。シンプルかつ効果的な作戦だった。


 二人は、俺が思っていた以上にこの作戦の成功に貢献してくれた。


 単語の意味をたずねると、二人はまずパッと思い浮かぶ基本的な意味をすぐに教えてくれる。だが、その後でちゃんと辞書を引き、別の意味や用法があれば、それもちゃんと教えてくれた。

 

 俺がひっきりなしに質問するものだから、そのうち爺ちゃんは辞書をもう一冊買ってきた。

 そして、辞書を求めて家の中を行ったり来たりしなくても済むよう、一冊は定位置においておき、もう一冊の方は俺が持ち歩くことになった。


 それほどの手間をかけさせたにも関わらず、文法や単語に関する俺の質問攻めに、二人は決して嫌な顔をしなかった。それどころか、俺、爺ちゃん、婆ちゃんの三人で顔をつき合わせて辞書のページをめくる時、俺の両脇で二人はどこか楽しそうだった。


 二人の尽きることのない忍耐力のおかげで、数ヶ月後には日常会話で困ることはまずなくなっていた。

 文字に関しても、年がら年中辞書を覗き込んでいたからか、何の苦もなく覚えることが出来た。おそらく、同じ年頃のこどもたちと比べれば俺の語彙力や言葉づかいの正しさは頭一つ抜けていただろう。

 

 中身がおっさんなので幼児と張り合っても虚しくなってくるのだが、それはそれとして、ゼロから言葉を覚えていって、その結果実際に他人と喋れるようになるというのは、かなりの達成感があった。


 俺の言葉に対する好奇心を感じ取った爺ちゃんと婆ちゃんは、誕生日に本をプレゼントしてくれた。 

 

 もらった本はこども向けといってもかなり分厚く、パラパラとめくった限りでは知らない単語もいくつかあった。たぶん爺ちゃんはあえて、今の俺には少し難しいと思うくらいの本を選んでくれたのだろう。

 挿絵もふんだんに使われていたから、文脈と絵から単語を推測しつつ読み進めてもよかったが、俺は辞書を引きながら腰をすえて読むことにした。

 

 想像していたことだけど、覚えたての言葉で一冊本を読み通すのは、やっぱり大変だった。

 物語と辞書の記述を往復していると、読書のテンポが崩れるし、そうなるとなかなか気持ちが物語の中に入っていかない。わからない単語が多い部分にくると、何度も往復が必要になって、しまいにはお話しを読んでいるのか、辞書を読んでいるのか分からなくなってくる。


 それでも、異世界の物語に触れるのは楽しかった。

 爺ちゃんが選んでくれたのは、世界中のおとぎ話や、民話神話を子供向けにまとめた本だった。タイトルは『時の砂、神の時計』。

 前世でいえば『千夜一夜物語』みたいな本だ。


 太古の昔、まだ科学が発達しておらず、自然のしくみを神話が説明していた頃、世界は巨大な砂時計のようなものだと信じられていた。時の流れや、その中で起こる出来事の一つ一つが、上から下へと落ちていく砂の粒なのだ。『時の砂、神の時計』は世界が生まれてから、この本が編纂されるまでの間にどれだけの砂粒が落ちてきたかの、その記録なのだ。

 

 無数のお話しの最後はこんな風に締めくくられる。

 上の世界にはまだまだ数え切れないほどの砂が残っているが、いつかその砂が尽きたときには、世界がひっくり返って、今までの出来事が今度は逆向きに再演されるはずだ、と。

 

 これはなかなかユニークな発想だと思うけど、正直、寄せ集められたエピソードには見覚えのある展開のものが多かった。

 例を挙げるなら、太陽と月の話だ。


 太陽の神オーラと月の神ネイは、元は一つの体を二つの意識で分け合っていた。だがある時、体が病に侵され、その病原は二人の意識の間にあった。

 医療を司る神ホーネラは大手術を決行し、なんとか病原を取り除いたが、オーラとネイはそこで別の存在へと分かたれてしまった。二人はそのことをとても悲しんだが、大地の神オドは喜んだ。オドは以前からネイに恋焦がれていたからだ。

 

 やがてオドは、オーラの目を盗んでネイを天界から遠く離れた自分たちのテリトリー、暗い地下の世界へ幽閉してしまう。

 オーラは自らの危険もかえりみず地下の世界へネイを救出に向かい、オドも二人の愛の深さに心を打たれてネイが天界へ戻ることを許した。

 

 だがオーラとオドの間では一つの約束が交わされる。天界へ帰り着くまで、オーラは後ろをついてくるネイの方を振り向いてはならない、という約束だ。

 

 オーラは天界までの長い旅路の間、後ろを着いてきているのは本当に愛しい妻なのかと疑心暗鬼にとりつかれてしまう。それでも声をかけあい、お互いの存在を何度も確認することでその気持ちを押さえ込んでいた。

 しかし、たった一度だけ、強い風が吹いてネイの返事が聞こえなかったとき、ついにオーラは耐え切れずに後ろを振り向いてしまう。


 その瞬間、二人の別離は決定的となった。まるで反発する磁石のように二人は近づくことができなくなり、ネイはオドの領域へ引き戻され、オーラはもう二度と彼女を助け出すことができなくなってしまった。


 今、太陽と月が遠くはなれ、月が地球のそばにあるのは、この時の名残だといわれている。


 民話や神話に詳しい人なら、この手の話が世界中にいくつも散らばっているのを知っているだろう。ギリシャ神話のオルフェウスとエウリュディケや、日本神話でいえばイザナギとイザナミ……しかしまさか異世界でまで同じ型の物語に出会うとは思わなかった。


 人間が考えることなんて、どこでも同じということなのか、それとも前世の世界と今の世界の間には何か密接なつながりがあるのだろうか? 

 興味深いテーマではあったけれど、俺にとってはそんなことより、もっと言葉を覚えることの方が重要だった。

ちょと手直しのつもりが全面改稿してしまう病気にかかっています。

特効薬の開発はまだでしょうか?


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