二人の少女
四日、五日、六日と、修行の日々は矢のように駆け抜けて、最後の日は容赦なく近づいていた。
最初のうちはアリアもビスカも、お互いに剣を交えることにはためらいがあるようだった。
二人とも、決着は大会でと思っていたのかもしれない。
けれど、早くも四日目にして爺ちゃんの腰と体力に限界が来れば、そのためらいや決意は徐々に雪解けに向かった。
俺では二人の相手にならないし、素振りや筋力トレーニングだけなら皆で集まって練習する意味は薄い。
そして結局のところ、そばに実力が伯仲した強者がいるのに澄まし顔でいられるほど、二人は器用でもなかった。
それでも最初のうちは、お互いで構えを確認するだの何だのと口実をこしらえてはいたのだ。
けれど、これはあくまで練習だと言い訳をしていても、二人が対峙するときに握っていたのは、木刀ではなく競技用の剣の方だった。
姿勢や足さばきを確かめるためと振るわれた予定調和の剣は、徐々にその速さと重さを増してゆき、最後にはフェイントも交えた本気の打ち合いと成り果てた。
どちらが先に仕掛けたかは分からないが、まあ、アリアもビスカもこうなることは織り込み済みであったはずなので野暮なことは言うまい。
実際、自らの限界を打ち破ろうと剣を振るう二人は、体の内側から死力を振り絞っていながら、どこか楽しそうだった。
アリアの変幻自在な剣が弧を描き、描かれた弧は残像となってビスカに襲い掛かる。
対するビスカの剣は、まるでそれをねじ伏せようとするかのように、わき目も振らずにアリアへと疾駆する。
剣と剣のぶつかる激しい音、空気の震えが場内を駆け抜けていき、肌がピリピリする。
よく剣が折れないものだと不思議に思う。
というか、才能のある人間というのは、あの歳であそこまでのことが出来るのか……
ライバル同士で高めあった結果であって、一人でたどり着いた境地ではないとはいえ、歳もそう変わらない女の子たちが短期間にこれほどまでに成長したという事実は、俺にとっては衝撃だった。
「素晴らしいな……」と呟いた爺ちゃんに、俺はもう少しで「これが若さか」と返すところだった。
お別れの日、七日目の朝。
ビスカは、昨日の夜は泣き通しで、起きたときにはまだ目が赤いままだった。泣き疲れて眠りに落ちたのが深夜だったせいか、目を覚ました頃には汽車の時間も迫っていた。
おかげで、婆ちゃんが顔を洗わせ、着替えさせとやっているうちに、すぐ家を出なければならない時間になってしまった。
その慌しさがなければ、もっと湿っぽいお別れになっていただろう。
これもまたビスカらしいといえば、ビスカらしい。
かなり急いだおかげで、駅に着いたときには逆に汽車の出発まで数分の余裕が出来ていた。改札の前で、ビスカは珍しく深々と頭を下げた。
「お爺ちゃん、お婆ちゃん、それにカディナも、一週間お世話になりました」
「今度はアリアさんに優勝を掻っ攫われんようにな」
「また遊びにおいで」
三人がそれぞれに抱擁を交わす。次は俺の番だったが、気の効いたセリフは一つも思い浮かばなかった。
「カディナ、あたしが帰っても剣術の修行はずっと続けてね。絶対強くなるし、次に遊びに来たときは、もっとちゃんと組み手もしたいんだから」
実は昨日一回だけ、ビスカに稽古をつけてもらうつもりで、組み手に付き合ってもらった。
木偶相手ならそこそこ正確な打ち込みができるようになっていたから、ビスカが帰る前に一度組み手というものを経験してみたかったのだ。
爺ちゃんにも許可を貰って、初めて競技用の剣を握った。
布の部分は、かなり分厚い生地で出来ていて、重量も木刀とそう変わらないくらいある。
人に向けて振るうのは多少抵抗があったが、実力はビスカの方が遥かに上だから怪我をさせる心配はまずなかった。
それに、一週間の練習の成果がどの程度のものか、気になる気持ちも大きかった。
結果としては、いいように弄ばれてしまって、まあこんなものかと思ったのだが、ビスカは気をつかって大袈裟に褒めてくれていた。
「まあ気が向いたら……」
大人な返答をすると、ビスカはまた膨れて、やいのやいのと言う。爺ちゃんと婆ちゃんに呆れた目で見られながらビスカをなだめていたら、
「ビスカさん!」
背後から突然ビスカを呼ぶ声が聞こえた。
振り向けば、城から駅まで走ってきたのか、肩で息をするアリアがそこにいた。
「アリアちゃん!」
駆け寄って、がっしりと抱き合う二人。アリアが駆けつけてくるのは予想外だったのだろう。堪えていたビスカの瞳から、大粒の涙がまた零れ落ちた。
「どうしたんですかビスカさん、夏の剣術大会でまた戦うんでしょう?」
「そうだけどさぁ、あたしのこと、ちゃんと覚えててくれる?」
いつもより弱々しい、あまったれたビスカの声に苦笑しながら、アリアは背伸びしてその頭を撫でた。
「忘れるわけないじゃありませんか、あんなにベタベタくっついてきておいて!」
「うん、でもさ、やっぱりちょっと不安なんだ」
「臆病者は卒業しないと、わたくしには勝てませんわよ」
「……うん……うん、そうだね!」
アリアから手を離したビスカは、涙を拭って笑顔を見せた。まだ少し鼻の頭が赤いが、いつもの太陽のような笑顔だ。
「あたし、今年は絶対にアリアちゃんに負けないから」
「それは楽しみですわ。でも、泣き虫のビスカさんがわたくしと当たるまで勝ち残ってくれるか不安ですわね」
「ちょっとー! 今のは、ちょっと会えなくなるのが寂しくなっただけで、もう臆病者は卒業したんだから!」
「ふふっ、それなら安心ですわね。ビスカさん、これを」
アリアは、スカートのポケットから取り出した小箱をビスカに差し出す。
「えっ、なに?」
「わたしくが修行のとき使っていたのと同じリボンです」
ビスカが受け取った箱を開けると、確かに見覚えのあるピンク色のリボンが、折りたたまれて収まっていた。
「もらっちゃっていいの? すごく高そうだけど」
「ええ、こんな風に出会えた記念に受け取って欲しいのです。ちょっと、動かないでいてくださいね」
アリアが箱からリボンを出し、ビスカの髪に手を挿しいれる。リリアにやってあげることもあるのか、慣れた手つきでビスカの髪をまとめると、一歩下がって頷いた。
「うん、よく似合いますわ」
後ろで髪がまとめられ、ビスカの耳や顎の輪郭があらわになる。たったそれだけのことで、印象は大きく変わった。こうやって見るとビスカは可愛いというより、美人と言っていい顔立ちをしている。
「カディナ、どうかな? 似合ってる?」
「うん、大人っぽくなったよ」
「へへ」
ビスカがはにかんだ笑顔を見せると同時に、駅員が汽車の出発時刻を告げ、人々に乗車を促し始めた。
「もう行かなくちゃ……お爺ちゃん、お婆ちゃん、アリアちゃんに、カディナも本当に色々とありがとう! またね!」
何度も振り返っては手を振りながら、ビスカは汽車に乗り込んでいった。
俺達は何となくその場を離れがたく、それで少しでも別れの瞬間が延びないものかと願うように、汽車が出発して、その姿が見えなくなるまでじっと改札の外で立ち尽くしていた。
汽車の姿も、その吐き出す蒸気すらも見えなくなって、ホームの人影がまばらになって、それでやっと俺達は、現実の時の流れに合流することができた。
「さて、碌に挨拶もできず申し訳ありませんが、わたくしはもう帰らないとなりません。トニオさん、お世話になりました」
「アリア様、こちらこそ孫娘の見送りに来ていただき、誠にありがとうございました」
「その畏まった話し方はやめてください、なんだか落ち着きませんわ。それでは」
そのまま帰りかけたアリアだったが、何かを思い出したかのように立ち止まり、振り返った。
「そうだ、カディナ」
「え、なに?」
「週に四回……いえ、三回でかまいません。剣の練習は続けたほうがよろしくてよ」
「う、うん……でも、なんでまた急にそんなことを」
「ビスカさんも言っていたじゃありませんか、絶対に強くなりますもの」
口の端だけで微笑むと、アリアは今度こそ振り向かずに駆け出していった。
その背中を見送って、俺たち一家がホッと息をついたのは、ほとんど同時だった。
「じゃあ、わしらもそろそろ帰るかね」
「そうですねぇ」
ブックマークありがとうございます!
修行はここで終わりです。
次回は、魔物をめぐる祖父の冒険です。




