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読書三昧の異世界スローライフ   作者: 小峰
港町での生活
18/58

直線と弧

 三日目の朝は、ビスカの方が俺より先に目を覚ましていた。


 昨日、一昨日と慣れない剣の修行なんてしたせいで、思いのほか疲れが溜まっていたのかもしれない。

 

 子供の身体は、自分の限界に対して鈍感だ。学習能力も高く、伸びしろがある時期だから、限界ギリギリまで活動できるようになっているのだろう。

 

 けれど、不意にスイッチを切られて体のいうことが聞かなくなるような感覚は、前世での病気を思い出して少し怖くなる。


 冬、頬に感じる空気は、ジンと染み入るように冷たい。

 布団の中に残る温もりをかき集めるように、俺は体を丸めた。

 

 目を閉じたり開いたりしながらまどろみを弄んでいると、突然部屋のドアがバーンと開けられ、ビスカが駆け込んでくる。

 

「カディナ! 朝ごはんだよー! あ、さ、ご、は、ん!」

 

 いそいそと俺の上に馬乗りになると、早速とばかりに布団を剥がしにかかる。問答無用、どうやら優しく起こすという選択肢は端から頭にないようだ。

 

「わかった、わかった、今起きるから」

 

 朝の冷気は、寝巻きの薄い生地などものともせずに体の芯を冷やしにかかる。俺が自分の肩をさすりながらベッドから起き上がると、ビスカが抱きついてきた。


「どう? あったかいでしょ?」

「うん……温かいし、ありがたいけど、今は着替えちゃいたいんだ。すぐ行くから、リビングで待ってて」

「はいはーい」


 ビスカが部屋を出て行く。

 その後姿を見ていると、どうしても頬が緩んだ。あの天真爛漫さは他にはないビスカの美点だ。

 

 さあ、さっさと着替えて食事にしよう。早く行かないと、今度はビスカにどんな起こし方をされるか分かったものじゃない。


 

 食事を終えてから道場に着くまで、ビスカは終始テンションが高いままだった。

 一緒に修行をする仲間が増えるのが、それほどまでに嬉しいようだ。

 

 アリアは他人と競い合わないと燃えないと自分で言っていたが、ビスカはどうだろう? 

 今の様子を見る限りでは、ただ同年代の女の子と一緒に修行が出来るのが純粋に嬉しいだけのようだが。


 修行は、昨日と同じく瞑想から始まった。

 余計な思考を遮断して呼吸を整えれば、ビスカのそわそわした気持ちも大分落ち着いたようだ。軽い準備運動の後、木刀を握って素振りをする頃には、すでに別人のような顔つきになっていた。


 アリアがやって来たのは、そんなビスカが丁度、爺ちゃんと組み手をはじめようとしていた時だった。

 靴を脱いで道場に上がるなり、アリアは深々と頭を下げた。


「本日お世話になります、アリア=セルティアと申します。よろしくお願いいたします」


 普段とは違い、アリアは長い髪を後ろでまとめていた。着ている服も、コートやドレスではなく、稽古着のような簡素なものだった。

 上には真っ白い襟付きのシャツのようなものを羽織り、下にはダークブルーのゆったりした袴らしきものを、くすんだ桜色の帯で留めている。

 

「ア、ア、アリアちゃん!?」


 俺や爺ちゃんが挨拶を返す前に、ビスカが素っ頓狂な声を上げてアリアを指差した。

 自分の名前を呼ばれて顔を上げたアリアも、ビスカの顔を見て驚きに目を見張る。


「ビスカさん!?」


 爺ちゃんが俺に『どういうことなんだ』と目線で問いかけてくるが、俺だって混乱している。

 紹介もしていないのにお互いの名前を知っている以上、以前から知り合いだったということなんだろうが、どこで知り合ったのかは検討もつかない。


「二人ってもしかして、知り合い?」

「もしかしても何も、知ってるに決まってるでしょ? だってあたしが去年、剣術大会の決勝で負けた相手ってアリアちゃんなんだもん!」

「ええ!? アリアは剣術を始めたのは去年からだって言うし、実力が伸び止んでるって話だったから、せいぜい中級者くらいだと思ってた……」

「カディナに伝えたことはどちらも本当のことです。けれど、確かに大会や、自分の実力については話していませんでしたね……昨日はその、恥ずかしながら、かなりはしゃいでいたものですから……」


 アリアは顔を赤くして目をそらす。

 だが、すぐに真顔に戻ると、まっすぐにビスカの方を向いた。


「それに、去年のビスカさんとの試合、わたくしは実力的には明らかに劣っていたのです。それを、絡め手で誤魔化して、偶然勝てただけですもの」

「ええ! でも、あたしの攻撃全然通じなくて、最後の方はどう攻めたらいいのか分からなくなっちゃってたんだよ?」

「ビスカさん、思い出してみてください。試合の最初から、わたくし、かなり距離をとって戦っていましたよね?」

「うん、準決勝でアリアちゃんの試合を見ていたけど、相手に何もさせずに勝ってたから、どんな技を持っているのか見極められなくて……年齢の分、あたしの方が体格は上でリーチも長いはずだけど、奥の手が怖いからかなり警戒してたんだ」

「あれ、はったりです」

「え?」

「あの距離にいたら、わたくしは自分から一切手出しができませんよ。本来なら、リーチの短い者の方が相手の懐へ飛び込んでいくのがセオリーなのです。ですが、わたくしは正攻法で勝つビジョンがどうしても浮かばなかった。だから仕方なしに距離を取って、ビスカさんからの攻撃を誘ったのですわ。あの距離なら、ビスカさんの踏み込みがどれだけ早くとも、防ぐくらいは出来ますもの」

「じゃあ、あたしはアリアちゃんの誘いにまんまと乗せられてたってこと?」

「ええ、準決勝でのビスカさんの試合を拝見していたら、技術、スピード、パワーどれをとってもわたくしより上だと、すぐ気付かされました。けれど付け入る隙が一つだけ、ビスカさんの戦い方は凄く臆病でした」

「そんなことないよぅ……」

「そんなことあります。だって、相手の太刀筋をもう完璧に見切っているのに、なかなか試合を決めないんですもの。それでいて長時間のにらみ合いは苦手、相手が隙を見せたら攻めずにはいられない、とそんな感じでしたわね。ラッシュをかければすぐ終わる試合でしたのに、奥の手が怖くて攻めきれない……だから、わたくしあんな戦法をとったのですし、それで試合はわたくしの勝ちでしたもの」

「うう……カディナ、アリアちゃんがいじめる」


 ほとんど涙目になりながらビスカが、ゾンビのようにこちらににじり寄って来る。自分の弱点を理路整然と語られたものが辿る、哀れな末路だった。


「なんで僕に泣きつくのさ、爺ちゃんとの組み手のときに僕が指摘したことと大体一緒だろ?」

「そうなんだけどさぁー……なんだか凄く胸に刺さったよー」


 それはビスカ自身、言われた内容に思い当たるフシがあるからだろう。しかも、試合で負けた相手からの言葉となれば、軽く受け止めるわけにはいかない。誰だって、自分のふがいなさと向き合う時には辛い思いをするものだ。


 そんなビスカの姿を見て、爺ちゃんは小さく嘆息した。

 呆れているといういうよりは、どこか安心しているようにも見えた。


「アリア様。孫が二人ともお世話になっているようです。トニオ=モーリアと申します。どうぞ、トニオとお呼びください」

 

 爺ちゃんが居住まいを正して、アリアを迎えに立つ。アリアはそれを仕草で押しとどめて、もう一度頭を下げた。


「トニオさん、わたしくはこれから剣の教えを請う身です。どうかそのような畏まった言葉はお使いにならぬよう、お願いいたします」

「よろしいでしょう……ではアリアさん、わしはビスカが剣術の大会で負けたと聞いたときには、文字通り耳を疑ったものです。この耳も、もう遠くなって久しいですからな。だが、それが事実だとはっきりした後では、どんな子供がビスカを倒したのかと、ずっと気になっていたのです。今日ここで出会ったのも何かの縁、稽古がてら、是非組み手などいかがでしょうか?」

 

 不適な笑みを浮かべてそう言ってのける爺ちゃんに、アリアもまた獰猛な微笑みを返す。


「ふふっ、もちろん望むところですわ」


 

 アリアと爺ちゃんが距離をとって対峙し、競技用の剣を構えた。

 体格は文字通り大人と子供ほども違うが、剣士としての覇気はアリアもそう負けてはいなかった。


「来なさい」

「言われなくても」


 短い会話をきっかけに、アリアが仕掛ける。

 

 目の覚めるような素早い横薙ぎの剣を、爺ちゃんはいとも容易く弾いた。アリアは、弾かれた剣の勢いを殺すと、返す刀で二撃目を振るう。初撃と比べた明らかに勢いの落ちたそれを、爺ちゃんは半歩さがって紙一重で避わした。

 しかし、アリアはそれを予期していたかのように大きく一歩踏み出して間合いを詰める。

 

 アリアにとっては一歩遠く、爺ちゃんにとっては一歩近い。お互いの体格差が大きすぎるがゆえに生まれた、そんな不安定な間合いに身を置いて、アリアは笑っていた。

 

 舞踏のような足裁きで体を半回転させると、円運動の勢いを乗せた渾身の一撃を放つ。アリアは最初からこれが、これだけが狙いだったのだ。

 届くはずのない間合いで、届くはずのない剣が、狙い澄ましたかのように爺ちゃんの顔に迫る。

 

 次の瞬間、風船が破裂したような音と共に、剣がアリアの手を離れ宙を舞った。


 放物線を描いて地に落ち、床の上を転がる剣を呆然と見ながら、アリアは「まいりました」と小さく呟く。


「もう一度やるかね?」

「お願いします!」


 肩の力を抜き、優しい瞳に戻った爺ちゃんの言葉に、アリアは勢い込んで応える。


 ビスカの剣が木の幹のように、どこまでまっすぐに伸びる直線だとすれば、アリアの剣は舞い散る花びらの軌跡をなぞるような弧だった。


 一つ一つの斬撃は気まぐれにうち放たれているように見えるのに、それが二回、三回と積み重なるにしたがって、それがギリギリのリズムを構築していることに気付かされる。

 変則の上にも変則を重ね、極限まで複雑化された戦いの舞。それがアリアの振るう剣だった。

 

 あれを見ていれば、大会でアリアがとったという戦法がどれだけ彼女の本筋から外れていたものか分かるというものだ。

 自分の実力に納得がいかないと言いながらも、自分本来の剣すら捨て去ってしまうほどの勝利への執着……アリアの中には、相反する二つの価値観が、もつれあった形で同居しているように俺には思えた。


「すごい、アリアちゃん、あれからまた速くなってる……あたしも、もっと強くならなくちゃ」


 深く思い悩む性質ではないビスカは、そう呟いた数秒後には二人の方へ駆け出していた。アリアの後にまた、爺ちゃんに稽古をつけてもらおうというのだろう。


 

 昼の休憩に入る頃には、組み手を続けていた三人は息も絶え絶えという状態だった。

 一番辛そうなのは、もちろん休みなく二人を相手にし続けていた爺ちゃんだったが、アリアとビスカも自分の番が回ってきたときには終始攻め続けていたせいで、かなり消耗していた。


 多少なりとも動けるのは俺だけだったので、後片付けは俺の仕事になった。木刀の汗を拭って競技用の剣と共に片付け、床のカーペットにブラシをかけていると、汗まみれのビスカがまとわりついてくる。


「カディナー疲れたよぉー」

「はいはい、ちょっと邪魔だから離れてて」


 そんな俺たちの様子を横目に見たアリアが、微かに眉根を上げる。


「お二人って確か、姉弟ではなく親戚でしたわよね?」

「うん、まあそんなとこだね」

「それにしては、その……距離感が近すぎるのではなくて?」

「ええ? どうしてー? 家族みたいなもんだし、これくらい普通だと思うけどなー……あ、そうだ! アリアちゃんもこっちに来る?」


 ビスカが両手を広げて微笑むと、アリアはぎょっとした顔をして、頭と手をぶんぶんと振った。


「絶対にお断りです!」

「なんでさー、もしかしてあたしとカディナのこと嫌いなの?」

「そうではありません! けど、今わたしくすっごく汗くさいんですもの!」

「そんなの誰も気にしないよ」

「わたしくしが気にするんです!」

 

 俺から手を離したビスカは、両手を広げたままアリアに向かって突進していく。「いいじゃん、いいじゃん」とか言いながらケラケラ笑っているから、もちろんじゃれてるだけなのだが、アリアの方は耐性がないのだろう、割と本気でビスカから逃げまわっている。


「お願いだから来ないでください! 後生ですから!」

「汗臭いのが嫌なら、一緒にシャワー浴びればいいじゃん。うん、そうしよう」


 二人とも疲れているせいか、追いかけっこにもキレがない。あっちにフラフラ、こっちにフラフラと続いていたが、やはり持久力に関しては年長のビスカに分があったようで、アリアは程なくつかまってしまった。


「アリアちゃん、全然臭くないじゃん。むしろいい匂いだよ」

「ひーっ! やめてください、お嫁に……お嫁にいけなくなるっ!」


 結局、ビスカが飽きておとなしくなるまで、アリアの悲鳴は、道場にこだまし続けたのだった。

ブックマークと評価、それに感想もありがとうございます!


次回は、二人の少女です。

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