剣術修行【二日目】
剣術修行二日目の朝、どうも息苦しいと思ったら、俺はビスカによって体のいい抱き枕にされていた。
ため息をついて、ビスカの腕を引き剥がす。
思い起こせば、昨日の夜はなかなか大変だった。
一緒にお風呂に入ろうというビスカを思いとどまらせたところまではいいものの、一緒に寝ようという提案を断った途端に、またもや例のスイッチが入ってしまい、ビスカは風船みたいに膨れてしまった。
向こうからしたら、可愛い弟ができたくらいの感覚なんだろうとわかってはいる。けれど、俺は前世からずっと他人とあまり関わらない生き方をしてきたから、ビスカの距離感にはどうしても戸惑ってしまう。
本当はそれを上手く伝えられればいいのだけど、お互いの常識が大分違っているようで、それも難しい。
まあ、俺の方が精神的には大人なんだから、八歳の子供の寂しさからくるわがままくらいは、受け止めてあげるべきなのだろう。
顔を洗ってリビングへ行くと、爺ちゃんと婆ちゃんはすでに起きていた。老人の朝は早い。
「昨日はよく眠れたか?」
「うん」
本格的な冬がやってきて、夜は凍えそうになるほど冷える日もある。けれど昨日はビスカにべったりとくっつかれていたおかげで温かく、すぐに寝入ってしまった。
「もうすぐ朝食ができるから、ビスカを起こしてきてくれる?」
「了解」
キッチンから顔を出した婆ちゃんに返事をして、自分の部屋――今は二人の部屋だけど――に戻る。
ベッドでは、ビスカがみの虫みたいに布団を全身に巻きつけて眠っていた。俺がベッドから出た後で、寒くなったのだろう。
耳元で声を掛け、少し揺すぶってやると、ビスカはすぐに目を開けた。とはいえ、まだ寝ぼけ眼のままだ。
「ビスカ、朝食の準備ができるってさ」
「うう……ん……お父さん?」
「誰がお父さんだ! カディナだよ」
「カディ……ナ?」
ダメだ、完全に寝ぼけてる。仕方ないので、俺はビスカの頬を二回ほどペチペチと叩いた。あんまり強くすると後が怖いので、ごく優しくだ。
「はぁ……もうお父さんでも何でもいいから、起きなよ。朝ごはんの時間だよ。あ、さ、ご、は、ん」
「あさごはん……朝ごはん! カディナ!」
「わあっ!」
ビスカが突然体を起こし、抱きついてくる。
「そうだ、あたしお爺ちゃんとお婆ちゃんのうちに来てたんだ!」
「今気付いたのかよ」
突っ込みながらも、前世の学生時代、修学旅行のときには自分も似たような状態になっていたことを思い出す。
「カディナがあたしのこと呼び捨てにしてる! 口調が丁寧じゃなくなってる!」
「昨日、自分がそうしろって言ったんじゃないか。いいから早く起きなよ」
「ふーん、もう起きてるもん」
朝食を終えて一休みすると、三人で道場へ向かった。
道場には相変わらず人っ子一人いない。町のあちこちでは、人々がそろそろと活動を始める時間だというのに、朝の澄んだ空気の中で、この辺一帯は水を打ったような静けさのままだ。
「爺ちゃん、ここって普段は誰が使ってるの?」
「ほとんど誰も使っておらんよ。以前の持ち主が亡くなってから、ここはその遺族に引き取られた。だが、建物は見ての通りおんぼろで資産としての価値はないし、立地がいいわけじゃないから、土地としての評価も高が知れている。広告を打ってまで売り払うほどではないし、かと言って放っておくにはもったいない。仕方なしといった感じで今は貸し道場に落ち着いておる。まあ故人の意志を継ごうという思いも少しはあったのかもしれんがね」
「静かないい場所だけどねー」
「サルティにはちゃんと師範のいる道場もあるから、ここは個人練習用だな。そう考えれば、確かにこれ以上の環境はない」
爺ちゃんの提案で、練習の前に瞑想を行うことになった。目を閉じ、自分の呼吸にだけ集中する。眠っているとも起きているともつかない不思議な感覚……目を開けたときには、確かに頭がすっきりしたような気がした。気分の問題かもしれないが。
今日の俺の練習メニューは素振りだった。
昨日やった構えだって一朝一夕で身につくものじゃないだろうから、俺はまたしばらくは似たような練習が続くものだと覚悟していた。それだけに、剣を振っていいと聞かされたときは嬉しかった。
爺ちゃんなりに俺が退屈しないよう、考えてくれているのかもしれない。
何種類かの振り方を見せてもらった後で、例のごとく見よう見真似で振ってみる。手の位置、足の位置などを修正され、アドバイスをもらって、もう一度。
横ではビスカの剣がすでに何十回と空を切っていた。
横並びになると、自分とビスカの剣の速度、その力強さの違いに愕然とさせられる。
ビスカにとって素振りはただの準備運動だ。決まった回数を振り終えると、すぐに爺ちゃんとの組み手に入る。
正しい構えから、素早く力強い振りを行うことに集中していた俺は、余所見をしている余裕などなかったのだが、すぐ近くから土嚢が激突するような音が聞こえてくるのだから堪らない。
本当にただの練習なのか? と問いかけたくなってくる。
腕がパンパンになった頃に一度休憩を挟む。ビスカがしてくれたマッサージは腕がちぎれるかと思うほど痛かったのに、終わってしまうとフッと肩が軽くなったから不思議だ。
再開後はまた違うメニューをこなす。
木偶人形を相手に、狙った部位に攻撃を当てていく練習だ。
この人形がまた、かなり年季の入ったものだった。体のあちこちに継ぎが当てられ、その表面はパッチワークのような有様だった。同じ部位に攻撃が集中したせいだろう、継の当たった箇所とその周辺は、気の毒になるほどボロボロだ。
木刀の重量に振り回されてしまうと、どうしても狙った場所を打つことができないし、かといって腕の力で制御しようとすれば剣の勢いが殺されてしまう。
正確で破壊力のある一撃を成功させるには、自らのリーチ、体の使い方、そして剣の軌道を意識しながら、繰り返しの練習の中で修正し、身体で覚えていく必要がある。
それこそ短時間で身につく技術ではない。二時間くらいは意識を研ぎ澄まして頑張ったはずだが、俺の剣先は大抵狙いより数センチ、時にはもっと離れた場所へ吸い込まれていった。
「よし、ひとまずはここまで。帰って昼食にしよう」
爺ちゃんの一声で、俺とビスカは剣を置く。
「ビスカ、午後も修行を続けるか?」
「もちろん!」
「カディナはどうだ? まだいけるか?」
「無理……」
我ながら意外なほど集中力が途切れなかった。だが、そのおかげで筋力の限界が来ていることに気付けなくなっていたようだ。二の腕の辺りがジンジンとしびれたような感じで、もう木刀は持てそうにない。
「まだ二日目だし、無理をしても仕方がないか。午後は好きにするといい」
「図書館……図書館に行かないと、死ぬ」
「どんな状況だ、一体……」
お昼ごはんを食べた後は、道場へ向かう爺ちゃんとビスカを見送ってから、一人で家を出た。
図書館の微かに埃っぽい空気と本の匂いは、高ぶった俺の神経を癒してくれる。たった一日来れなかっただけなのに、懐かしさすら感じるほどだ。
読みかけの本を棚から持ってきて、いつもの席で読み始めた。腕はまだ痛かったが、文字を読み進めていけば、やがて気にならなくなっていった。
ブックマークありがとうございます! 意外と多くの方が読んで下さっていて嬉しいです。
修行のシーンはあと二回か三回くらいです。想定より大分長くなってしまいました。
次回は、一日ぶりの図書館です。




