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読書三昧の異世界スローライフ   作者: 小峰
港町での生活
15/58

剣術修行【一日目】

 ビスカさんの手を引いて、爺ちゃんが書いてくれた地図の場所までやってきた。

 

 この街並みには見覚えがある。確かに一度通りかかったことがあるはずだ。

 だが、以前の俺が道場に気付かなかったのも無理はない。

 

 メインストリートから外れているせいか、この辺りは人通りが少ない。商店もいくつかはあるが、どれも寂れているとは言わないまでも、かなりひっそりと営業している。

 そんな中にあって、道場らしき建物は一際森閑としていた。わかりやすい表札も出ておらず、中から門下生たちの掛け声が聞こえてくるわけでもない。

 地図もなく道場を探せと言われたら、俺はこの辺を延々とさまようことになっただろう。

 

 周囲の静けさにふさわしい、ためらいがちな足取りで俺達は道場の入り口へ近づいて行った。


「お邪魔します……」


 小さく開けたドアの隙間から中を覗き込むと、そこは確かに道場と呼んでいい場所だった。

 建物の外観のしょぼさとは裏腹に、中は奥行きがあって思ったより広い。床にはごく薄手のカーペットが敷いてあって、足をとられることはないが、転んでも大きな怪我はしないように配慮されていた。

 四方の壁には窓があるのだが、練習で割れないようにするためだろう、どれもかなり高い位置に取り付けられていた。そのせいか、道場内では斜めに差し込む光の束がいくつも交差していた。

 

 その光の中で、爺ちゃんが目を瞑り、座禅を組んでいた。

 張り詰めたような静謐さの中で、爺ちゃんの肩だけがごくゆっくりと上下している。声をかけていいのか戸惑っていると、後から入ってきたビスカさんがそこでやっと俺の手を離し、爺ちゃんに近づいていった。


「お爺ちゃん、来ました」

「早かったな」


 爺ちゃんが目を開け、立ち上がる。普段とはどこか様子が違う。その証拠に、爺ちゃんは俺とビスカさんのことを、まるで見ていない。視界に入れなくとも二人の存在はちゃんと感知している、と言わんばかりに。


「カディナには構えから教えよう。ビスカは素振りを見せてみなさい。それでは二人とも木刀を持って」


 平静だが、反論を許さない口ぶりだった。

 俺たちが道場の端にあったカゴから、それぞれ木刀を持ってくると爺ちゃんは相変わらず俺たちの方を見ないまま一つ頷いた。

 足元の木刀を拾い上げると、無言のまま、それを構える。よどみなく、自然な所作だった。いつ構えたのかすら、ほとんど気付かないほどに。


「カディナ、これが一番基本的な構えだ。見よう見真似でいい、やってみなさい」

 

 手取り足取り教えてくれるつもりはないらしい。軽口を叩いても仕方がないので、俺はまず爺ちゃんの構えをよく観察した。手の位置、足の位置、背のそり具合、そして視線の向かう先。

 それを自分に置き換えてイメージできるようになってから、手の位置、足の位置……と確認するように構える。

 剣道でいうところの正眼の構えだ。


「ふむ、悪くない」

 

 爺ちゃんはそう言いながらも近づいてきては、手を少し、足を少しといった感じで修正してくる。そして一通り直し終わると、また一歩ひいて全体のバランスを確認した。


「よし、カディナそのまま、私がいいと言うまで動かないように」

「ええ……?」

「動くな、と言ったはずだが?」

「す、すみません」


 今日の爺ちゃんには妙な迫力がある。しかし、こんな姿勢を維持しろと言われても五分と持たないのは目に見えている。

 今の俺にとっては、木刀ですら腕にずしりとくる重量があるし、おかげで背中から肩、二の腕の筋肉には常に負荷がかかっている状態だ。


 首を動かせないから見ていたわけじゃないが、すぐにビスカさんの指導も始まったようだ。

 木刀が空を切る音がとめどなく繰り返される。かと思えば、爺ちゃんの一言で音は止み、抑えた声でのアドバイスが続く。そしてまた、素振りの音が聞こえ始める。

 見ていなくても剣の振りの速さが分かるほど、その音には勢いがあった。


 だが、そんな風に他のことに気を回していられる時間は、そう長くは続かなかった。

 まず始めに、腕周りの筋肉がそろって悲鳴を上げ始め、次に、太もも、ふくらはぎや、腰が不平を訴え始める。しまいには、首のあたりの筋肉までもが愚痴をこぼし出し、俺の体はもはや限界を迎えていた。

 額には脂汗が滲み、少し前からずっと腕が震えっぱなしだ。

 

 だが、まさにその瞬間にこそ、俺は一つ一つの筋肉の位置と、その働き、そして他の筋肉とのつながりをはっきり意識することができた。それも、もう長く続きそうにはないが。

 もはや体内にはほとんど力が残されていない。俺に出来るのは、せいぜい呼吸を整えて、力を節約することくらいだ。


 こんな時の常として、時間は緩慢に流れていった。こめかみの汗が頬へ流れていくのですら、じれったく感じるほどだ。だが、どんな苦痛にも終わりは来る。

 

「カディナ、もういいぞ」


 爺ちゃんの声が聞こえた瞬間から、俺はへなへなとその場にくず折れてしまった。

 時間の感覚が麻痺してしまているから、結局何分くらいもったのかは分からない。ただ、自分の限界を大きく超えていたことだけは確かだ。


「そのままでいいから、わしとビスカの組み手を見学していなさい」

「はあ……」


 もう俺はろくに返事すらできない。

 

 爺ちゃんとビスカさんは、木刀から、何といえばいいのだろう? 刀身の部分に布のようなものを巻いた、競技用の剣に持ち替えて対峙していた。

 開始の合図などなくとも、お互いがお互いの一挙手一投足を見逃すまいと神経を尖らせている。すでに組み手は始まっているらしい。


 長いにらみ合いの後で、ビスカさんの輪郭がブレた。動いた、とすら表現できないほど一瞬の出来事だった。布と布がぶつかり合ったとは思えないほどの鈍い音が道場に響き渡り、気付いたときには、爺ちゃんがビスカさんの剣を弾き返していた。


 ビスカさんの構えが崩れているのに対して、爺ちゃんはまるで先ほどから一歩も動かなかったかのように美しい構えを保っている。


 俺は二人の剣戟の凄まじさに鳥肌が立つ思いだった。


「踏み込みは悪くない。だが視線、手の力み……打ち込んでくるのが見え見えだ」

「はいっ!」


 素振りのときもそうだったが、爺ちゃんのアドバイスは具体的かつ細かい。

 神は細部に宿る、というわけだ。


 その後もビスカさんは体力の続く限り打ち込みを続け、爺ちゃんは短いアドバイスを繰り返したが、結局最後までビスカさんの剣が爺ちゃんの体に当たることはなかった。


「はあっ……はあっ……」

「大丈夫ですか?」

「はは、一本も取れなったよ、まいったなぁ。それより、カディナ君こそ大丈夫? 生まれたての子鹿みたいになってるけど」

「まあ、なんとか」


 爺ちゃんは俺達が使った木刀から汗を拭うと、布の剣と一緒にカゴに戻してくれた。


「よし、今日はここまでにしておこうか。カディナはもう腕が上がらんだろう」

「うん、もう無理です」

 

 いや、実を言えば、日ごろの鍛錬のおかげか腕は徐々に回復してきていた。とはいえ、さすがにこれから剣を振る気にはなれなかった。


「あたしはまだまだ行けるよ! お爺ちゃん!」

「そうか、ならばビスカは午後はイメージトレーニングだな。カディナ、わしらの立会いを見ていて何か気付いたことはないか?」

「いえ、別に」

「……あのなぁ、うちの孫娘のために少しは頭を使ってくれてもよかろう。お前はそこらの大人よりよっぽど頭が切れるはずだ。なのに、お前が自分の意見を言うことはほとんどない。どうだ? たまには人のために力を使ってみては」

 

 そう言われてもなぁ……正直、ビスカさんの踏み込みは俺の目では捉えきれないほど速い。

 俺がアドバイスできるとしたら、戦略的なことだろうか?


「ビスカさんは爺ちゃんに打ち込んでいった時、何を考えていたの?」

「え? それはお爺ちゃんの構えに隙ができたから……」

「それは多分、爺ちゃんの誘いだってビスカさんも気付いてるよね?」


 どうやら図星だったようで、ビスカさんの表情が曇る。


「うっ、それはそうだけど、もしかしたら千載一隅のチャンスかもしれないし、隙のないときに打ち込んでいくよりはいいでしょ?」

「爺ちゃんは、ビスカさんと打ち合った後ですら構えが崩れてなかったよ。そんな人が、相手と対峙してるだけで構えを崩すわけはない」

「そうだけどさぁ……じゃあ、どうすればいいの?」

「どうしようもないよ。だって、爺ちゃんとビスカさんの間にはそれくらいの実力差があるんだから。ビスカさんがやるべきことは、多分自分の強みを最大限に活かして爺ちゃんにぶつけることだけじゃないかな?」

「うう……確かに、実力差のある相手に簡単に勝とうなんて甘いよね。でもさあ、去年の大会では、いけると思った相手に負けちゃったんだよ! だからあたしも戦術を考えなくちゃと思って……」


 ああ、そういう経緯があったのか。試合を見たわけじゃないから分からないけれど、スピードや技術の点でビスカさんに勝てる子供がいるとは思えない。

 どんな負け方をしたのかと思っていたけど、きっと相手の心理戦に付き合ってしまったのだろう。

 

「ビスカさんは相手の行動に対応しようとし過ぎるてるんじゃないかな? そのせいで、ある意味向こうの心理戦に付き合わざるを得なくなって、翻弄されている気がする。ビスカさんは、身体能力も高いし、小手先の技術で戦うタイプには見えないから、自発的に動いて強みを押し付けていく方が合ってるんじゃないか……と思うんだけど」


 偉そうにべらべら語ってしまったが、正直、自分の意見にはまったく自信がない。俺は剣術に関しては今日始めたばかりの素人なのだ。

 

 だが無茶振りをした張本人である爺ちゃんは、意外にも満足そうに頷いた。


「人が戦うべきは、結局のところ自分自身、そういうことだ」と、曖昧なことを言う。

「うーん、なんだか難しいなぁ……あ、ねえねえ、ところでカディナ君! 今敬語やめてたね!」

「ああ、すいません。なんか偉そうに」

「ううん、あたしのために色々考えてくれて嬉しかった! これからも一緒に修行頑張るんだから、もう敬語はやめてよね」

「え? 僕、修行は一回だけって話でしたよね?」

「よし、じゃあビスカもカディナも、そろそろ支度して帰るぞ。婆さんが昼食を作って待っているだろうからな。明日からは午後も無理のない範囲で練習をするから、夜はゆっくり休むんだぞ」

「はーい」


 二人とも俺の話を聞いてくれない。いや、半ば覚悟していたことだけど……読書の時間が……


「あの……一回、だけって……はぁ……」     

ブックマークと評価ありがとうございます! 誤字報告も本当にありがたいです。早速修正しました。


次回は、引き続き剣の修行です。

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