モーリアの孫
年が明けた。時間は、あっという間に過ぎ去ってしまう。
いつの間にか俺も六歳、いや、今年の誕生日を迎えればもう七歳だ。
図書館からの帰り道、俺は珍しく思い悩んでいた。
この世界には義務教育の制度はないようだ。平民の子たちは七歳くらいで、みな自然と働き始める。
同年代の子どもたちの中には、家庭の事情ですでに働き始めたり、あるいは本格的に家の手伝いを任される子も増えてきた。
アリアやリリアが例外なのは言うまでもないが、自由な時間のほとんどを図書館で過ごす俺も、周囲からは浮いた存在だろう。
年齢的には、俺もそろそろ自分の奉公先を考える必要がある。
就職情報誌なんてものはないので、コネや伝手を辿っていくのが普通だが、爺ちゃんと婆ちゃんにどんなコネがあるのか、俺は知らない。
どうしても希望する場合は、奉公先に自分を売り込みに行くこともある。
けれど、その場合には、即戦力とは言わないまでも基礎的な知識は身につけていくのが普通だ。ただでさえ子供に一から仕事を教えていくのは大変なのだ。その手間を省く努力をせずに押しかけて行っても、雇ってもらえないのは当然といえば当然だろう。
俺が自分の奉公先として真っ先に思いついたのは、書店そして図書館……けれど、どちらも子供の労働力を必要としているとは思えなかった。
まだ背が低くて、高い棚には手が届かないし、前世で一時期バイトしたこともあるが、本屋はとにかく力仕事が多い。
となると計算ができるのを活かして単調な事務仕事だろうか。前世ではパソコンでやっていた仕事を手作業でこなしていくことを考えれば、うんざりするのは確かだ。だが、それだけに働き口は多いかもしれない。
読み書きや基本的な計算も、教育は家の方針次第なので、俺と同い年でも読み書きができない子供も多い。人手不足につけこめば、うまく雇ってもらえるかもしれない。
それにしても憂鬱だ……子供の労働力なんて安く買い叩かれるのが相場だろうし、労働環境にだって期待するわけにはいかない。
いっそアリアとリリアのところで使用人として雇ってもらえないだろうか?
――まあ無理だよな――
オデラさんのところの使用人たちは、さすがに領主の下で働いているだけあって、皆有能そうだった。俺は子供だからとハードルを下げてみれば、もちろん他より抜きん出ているが、大人と比べれば平凡と無能の間あたりだろう。
仕方ない。爺ちゃんに言ってまずは、この世界の作法をもう少し教えてもらおう。どれだけ面倒くさかろうと文句を言うわけにはいかない。何と言っても俺は、この世界ではかなり恵まれている方なのだから。
家に帰り着くと、爺ちゃんと婆ちゃんは二人揃って、なぜかこれ以上ないほど上機嫌だった。
「ただいま、どうしたの? 二人とも幸せそうな顔して」
「おお、カディナ。おかえり」
爺ちゃんはニコニコしながら俺の頭を撫でる。優しすぎて逆に気持ち悪いくらいだ。
「実はなカディナ、今度わしらの孫が一人でこのサルティに遊びに来ることになったんだ。一週間ほどだが一緒に住むことになる。仲良くするんだぞ」
そうか、二人には本当の子供と孫がいたのか。あまり意識していなかったけど、実際に会うとなると少し緊張する。人見知りのせいもあるけど、俺はこの家の居候のようなものだ。申し訳ない気持ちがどうしても先に立つ。せめて失礼のないように接しよう。
「わかったよ、ところでそのお孫さんはどんな子なの?」
「教えてなかったね、名前はビスカって言うの。歳はカディナより二つ上の八歳、とにかく明るくて元気な子だよ」
久しぶりに会うからだろう。説明しながらも婆ちゃんは懐かしさに目を細めた。
「へぇ、じゃあもう奉公に出てるんだ。よく休みが取れたね」
爺ちゃんは実に嬉しそうに、俺の言葉を否定する。
「いやいや、倅が高給取りになっちまったおかげで、ビスカは今学校に通っているんだ。夏と冬には長い休暇があるらしくて、今回は冬の休暇を利用して遊びに来るって話しだよ」
なるほど、となると爺ちゃん婆ちゃんの家系は勝ち組のレールに乗ったわけだ。
そう考えると俺の周り勝ち組多いなぁ。俺もせめて二人に迷惑かけない程度には稼げるよう、なんとかやっていこう。
まあ、本当にどうしようもなかったら……行くかなぁ……ぶどう園。
数日後、俺たちはビスカさんを迎えに汽車の駅までやって来た。
駅の入り口は、町をぐるりと取り囲む外壁と一体になっている。停車場は壁の外にあって、改札越しにホームの様子がうかがえた。ホームは二つで、レールは四車線、町の外壁からせり出した屋根が、ホームに伸びる太い柱に支えられている。
レールはここで行き止まり、海に面したサルティは陸地の果ての終着駅だ。
電車しか見たことのない俺にとって、実際に走る汽車を見るのは初めてだった。
腹の底にまで響くような汽笛を鳴らし、濛々と蒸気を噴出しながら走る機関車は、遠巻きに眺めていてさえ迫り来るような威圧感があった。
俺たちが待っていた汽車は、定刻からかなり遅れてやってきた。
列車からは乗客が次々と降りて、改札前の広場のような所で手荷物検査を受け始める。違法な薬物や、テロに使われるような武器・兵器の類が持ち込まれれば大問題だけに、このチェックは厳重だ。
爺ちゃんと婆ちゃんにならって、俺も改札の向こうをじっと見つめる。
俺はビスカさんの顔を知らないけど、小学生くらいの女の子が一人でいれば目立つだろう。
しばらく眺めていると、ショートカットの女の子が手荷物検査を受けながら、こっちにぶんぶんと威勢よく手を振っているのが見えた。
「爺ちゃん、あの子が手を振ってるけど、あれがビスカさん?」
「すまん、老眼でぜんぜん見えん」
「わたしも見えないねぇ」
「あ、そう……」
この人たちは見えもしないのに、あんなに必死に目を凝らしていたのか。
手荷物検査が終わると、先ほどの女の子は駅員に切符を放り投げるように渡して、こっちへ向かってきた。その足取りに迷いはない。
「お爺ちゃん! お婆ちゃん!」
「ビスカ!」
孫娘と祖父母は、お互いが駆け足で歩み寄るとガシッと抱き合った。俺が物心ついてから一年ちょっとくらいか? その間は会っていないのだから、久しぶりの再会だろう。しかし、そんな時間の隔たりを感じさせないくらい、三人は仲が良さそうだった。
「ねえ! きみが、カディナ君?」
爺ちゃんと婆ちゃんの肩の間から顔を出したビスカさんが、満面の笑みを浮かべながら話しかけてきた。この子はさっきからずっと元気だな。前世で従兄弟が飼っていた、人懐っこい犬を思い浮かべてしまう。
「はい、カディナです。よろしくお願いします」
「手紙で話しは聞いてたけど、本当にかわいいんだねぇ~。ね、カディナ君も一緒に修行するんでしょ?」
「え? 修行?」
ビスカさんが何を言っているのか、俺には理解できない。
「ええ? 違うの? お爺ちゃん、カディナ君も一緒に修行するんでしょ?」
「いやあ、それがな。カディナはかなりの本の虫でな、文字が読めるようになってからはずっと図書館に通い詰めで、今まで一度も剣の修行はしたことがないんだよ」
修行、剣の修行……不穏なワードに、俺の来客用の笑みも心なしか強張っていく。
「じゃあカディナ君と一緒に修行はできないの?」
「そんなことはない、本人さえやる気になれば、いつでも修行が始められるように基礎的なトレーニングは続けているからの」
姿勢を正すためとか言って俺にさせてた筋トレは、もしかしてそのためのものだったのか……
確かに、爺ちゃんが俺に剣を握らせたがっているのはうすうす感じ取ってはいた。けれど、普段の俺の生活態度を見ていれば、そんな気がさらさらないのは伝わっているだろうし、爺ちゃんはとっくに諦めたものだとばかり思っていた。
「あの、ビスカさん? 僕は読まなくちゃいけない本があるので、剣の修行はちょっと……」
「でもさでもさ、本はいつだって読めるけど、あたしは一週間しかここにいないんだよ? せっかくサルティまで来たんだからカディナ君とも仲良くなりたいし、一回だけでも一緒に修行しない?」
ビスカさんは大きな瞳をうるませながら懇願してくる。けれど俺は、なぜか嫌な予感がして首を縦に振るのをためらった。
どうせ、じゃあ一回だけと了承したら、山奥まで連れて行かれて結局修行が終わるまで帰って来れないんだろ? 騙されんぞ。
「ねぇ、お願い」
俺が警戒しているのを知ってか知らずか、ビスカさんはさらにあざとく迫ってくる。声のトーンも少し上がったようだ。
「ぐっ」
「同年代の男の子と修行できるチャンスって地元じゃほとんどないの」
そりゃあ、男からしたら、女性に手を上げるのは抵抗があるだろう。いや、それなら俺も同じ理由で断ればいい。
「いやあ、残念ですが、僕も女性に手を上げるのはポリシーに反するっていうか」
我ながらなんと白々しいセリフだろう。だが読書のためなら仕方ない。
「ううん、違うよ? 地元の男の子たちは、みんなあたしに一度泣かされてるから、もう組み手もしてくれないの」
こええよ。
可愛い顔して、どんだけ武闘派なんだこの子。しかし、これでもう断る理由が消えてしまった。
ビスカさんは相変わらずの笑顔で近づいてくると、俺の手をぎゅっと握ってきた。
「ね、いいでしょ? 一緒に修行しようよ」
「……う……ぐ……は、はい。じゃあ一回だけ……なら」
「やったー! やった、やったー!」
はしゃぎまわるビスカさんを横目に、俺は敗戦のため息をついた。一回だけ、一回終わったら絶対に逃げよう。俺は自分自身に強く誓った。
だが、俺の肩に手を置いた婆ちゃんは、その考えを読み取ったかのように首を振った。
「カディナ、あんた将来悪い女につかまるんじゃないよ?」
激烈に放っておいて欲しかった。
ブックマークありがとうございます!
次回は、『修行の前に』です。




