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読書三昧の異世界スローライフ   作者: 小峰
港町での生活
12/58

アリアのピアノ

 案内されてホールに足を踏み入れる。

 

 正面には広い舞台があり、中央よりやや左側にピアノだけがぽつんと置かれていた。その舞台を基点として客席は扇方に広がっている。二階席もある関係で、客席の数は二百を超えていそうだ。

 

 ホールは、広間と同じく天井が高く、音響を考慮してか、その形状は独特なものだった。ホールには窓がないので、客席はジェムのシャンデリアによって煌々と照らされている。 

 

 今回は身内の集まりということもあって埋まっている席は六割ほどだった。

 それでも百人以上がここに足を運んだわけだから、貴族同士のつながりというのは想像以上に密なのだろう。

 

 席はすでに決められていて、俺が案内されたのは、前から三列目、ほぼ中央の席だった。平民の分際でかなりいい席をあてがわれてしまった。隣がリリアで、後ろには領主様夫妻だ。

 素行を監視するつもりなら隣にリリアを置かないだろうし、身分的な後ろ盾のない俺のことを守ってくれているのだろう。

 後ろを振り向いてオデラさんに目礼をすると、彼は「いいから」という風に手を振った。


 この世界のピアノは、ボディの側面にジェムが取り付けられていることを除けば、前世のそれとまるきり同じに見えた。

 

 アリアの前に貴族の子どもたちが何人か曲を演奏した。

 ジェムはただ音を大きく増幅するためのものだったようで、ピアノの音色はやはり前世と同じだった。曲は知らないものばかりだったけれど、演奏のレベルが高いのは何となく伝わった。

 テンポが崩れないし、唐突に不協和音を奏でたりもしない。そして何より、みんな人前で演奏することに慣れているようだった。

 ピアノに向かう少年少女の横顔は、どれも自信に満ち溢れていた。

 

 何人目かの演奏が終わって、拍手が鳴り止むと、ついにアリアが舞台袖から姿を現した。

 フリルのついた白いワンピースを着たアリアからは、普段の余裕のある表情はなりをひそめていた。ただ、ひたすらに真剣な眼差しのままピアノへ向かう。


 舞台照明の光の中で、アリアはただ美しいというよりは、神々しいと表現したくなるような冷たい存在感を放っていた。


 音もなく席に座り、白い指先が鍵盤のうえに整列すると、指はほどなく鍵盤に深く沈みこんだ。


 最初の一音が鳴った瞬間から、俺の背筋は、生暖かい蜜を垂らされたような感覚に襲われた。

 先ほどまでの貴族の子供達の演奏は、確かに技術は巧みで、そのメロディは流麗だった。

 しかし、それが届けてくるのは、あくまで音楽の美、音楽の陶酔だった。

 そしてその音色は、どこまでいっても、ただのピアノでしかなかったはずだ。そう、金属製の弦がフェルトで覆われたハンマーに弾かれて、小刻みに震える様子が想像できるほどに。


 しかし、アリアがピアノから紡ぎ出す音には、耳元で囁かれているような、その吐息までもが感じ取れるような生々しさがあった。ねばつくような情念を内に隠しながら、甘く香り、怪しく濡れる音像。

 想起されるのは、一粒の飴玉になって、いつまでもいつまでも優しく舐め溶かされていくような異様な光景だ。

 

 これは本当に、アリアの技量だけが生み出す音の像なのだろうか? 

  

 前世でも超一流といわれる演奏家のCDを聴いたことはある。それでも、ここまで心を揺り動かされ、圧倒された経験はない。もしかしたら……もしかしたら、これがピアノに取り付けられたジェムの本当の作用なのかもしれない。


 アリアの演奏が終わると、万来の拍手がホールに鳴り響いた。

 アリアはそこで初めて頬をゆるめ、笑顔で観客にお辞儀をする。


 アリアが舞台袖に消えて拍手が鳴り止むと、オデラさんが席を立って、挨拶を始めた。


「本日は娘、アリア=セルティアの演奏会にご来場いただき、ありがとうございました。娘はまだ未熟なところもございますが、本日のために……」

 

 オデラさんの挨拶はまだ続いていたが、まるで頭に入ってこなかった。俺はただ、アリアの演奏の凄まじさに圧倒されてしまっていた。

 ふと気がつけば、ホールからはほとんど人影が消えていた。どうやら俺が最後の観客らしい。まずい、アリアにもまだ挨拶をしていない。

 

 ぽんと肩に手を置かれる。振り返るとオデラさんがそこにいた。


「ずいぶんと衝撃を受けていたようだね。実のところ、少し心配になるくらいだったよ。大丈夫かね?」

「ええ、ご迷惑をおかけしました。アリア様に言えばお叱りを受けるでしょうが、これほどまでに素晴らしい演奏だとは思っていませんでした」

「ああ、客人の手前謙遜してみせたが、今日のアリアの演奏は、聴いてきた中でも間違いなく一番の出来だった。カディナ君、アリアにはね、魔術音楽の才能があるのだ」

「魔術音楽、ですか」

「ああ、魔術の術式として音楽を使う、そんなやり方もあるのだ。使い方次第ではとても強力な魔術なのだが、いかんせん、聞き手の感性も関わってくる分、不安定なのだよ。リリアも感銘を受けていたが、あの子は血を分けた姉妹だ。波長が合うのは分かる。だが、カディナ君、きみがそこまであの演奏に感化されることには、どんな意味があるのだろうね?」

「どういうことでしょうか?」

 

 オデラさんは、俺の質問にただ首を振るだけだ。


「残念ながら、本当のところは私にも分からない。それは君が自分で気付き、自分で受け止めねばならない問題だろう。さあ、ホールの出口で妻と娘が待っている。挨拶してやってくれたまえ」

「……はい、本日はありがとうございました」

「ああ」

 

 オデラさんは最後に優しい笑顔を見せて、俺を送り出してくれた。


 ホールの外に出ると、俺を見つけたアリアが向こうから駆け寄ってきた


「カディナ、遅すぎるのではなくて? あなたで最後でしてよ」

 

 ほかのお客さんがいないからか、アリアは普段どおりだ。俺はにやりと笑って膝をつき、アリアの手をとる。


「申し訳ありませんアリア様、あなたの演奏の素晴らしさに、しばし胸をうたれていたのです。気がつけば周りには誰もいらっしゃらなくなっていました」

「ふっ、似合いませんね」

「放っておいてください。ですが申し上げたことは本当です。客席でしばらく茫然自失としていたのですから」

「どうやらそのようですね、リリアが心配していました。おそらく、わたくしの魔力だけでは魔術音楽の術式が発動しきれず、ジェムの魔力を巻き込んで暴走させてしまったのでしょう。素養があるなどとおだてられていても、わたくしはまだ未熟者なのです。申し訳ありません」

「いえ、気分が悪くなったとか、そういったことではないのです。ただあんな音楽は初めて聴いたものですから……」

「それはそうでしょう。魔術音楽の使い手は、もうほとんどいないのです。わたくしにその才能が少しでもあるなら、この音楽を後世に残していきたい。そう思ったからこそ、今日は無理をしてでもカディナ、あなたに聴いて欲しかった」

「僕に?」

「ふふ、言葉遣いが戻っていますよ。そう、あなたにです。まあ、まだカディナほど難しい本を読めなくとも、わたくしにはこんなことが出来ると、そんなつまらない見栄もあったのですが……一番は、魔法に関する本を何冊も読んでいるあなたに、こんな魔術があるということを知って欲しかったのです」

「だとしたら、これ以上ないほどしっかりと、この胸に刻まれましたよ」

「よかった。それほど気に入ってくださったのなら、その、ま、またの機会があれば誘ってあげてもよろしくてよ?」

「ええ、ぜひ」


 アリアの後からやって来たリリアとセルバさんにも別れを告げてホールを後にした。リリアは俺のことを心配して、馬車で送ろうと申し出てくれたが、断った。

 悪い気分じゃなかったし、帰り道に歩きながら考えたいこともあった。 

 

 まだ陽が落ちる時間じゃないが、夜の到来は日に日に早まっている。まだ四時過ぎだというのに、空はその青味を増していて、街路に落ちる光はフィルターを通したようなコバルトブルーだった。


 冷たい風に襟を合わせながら、山を迂回する道を歩いていると様々な想念が頭の中を駆け巡った。

 今日のアリアの演奏を聴けば、『魔術史』の著者が魔術の起源を芸術に求めたのも頷ける。いや、あれをそもそも芸術と同じカテゴリーに入れていいのかとすら思う。

 よくできた音楽が、ただの空気の振動以上の意味を持つように、完成度の高い魔術音楽には、ただの芸術を超えた何かがある。

 

 魔術の術式と、音楽の理論には何かしらの類似があるはずだ。だが、それはただ数学的な理論、空気の振動の理論ではない。少なくとも、それプラス何か別の要素が必要なはずだ。それが何なのか、俺にはすでに検討がついている。にも関わらず、俺はそれを認める事がどうしても、恐ろしかった。


ブクマありがとうございます! 読んでくださっている方がいるのは本当に励みになります。


アリアの演奏でした。ファンタジーを名乗って十数話も書いてきて、初めてまともな魔術の場面だっ

たかもしれません。

 

次は新キャラが出ます。またもや女の子。ちょい役のおじさん達を別にすれば、女の子のキャラばっかり書いてる気がする。

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