コンサートホール
家からコンサートホールまでは、歩いて二十分くらいの距離があった。
山を挟んで町の反対側なので、町の外縁を迂回していく必要がある。早めに出発して正解だった。
歩いているうちに体が温まってきて、ホールにたどり着く頃には少し汗ばむくらいになった。
コンサートホールの敷地全体は背の高い鉄柵で囲われていて、アーチ型の巨大な門の両脇にはそれぞれ警備が立っていた。門の奥は馬車寄せで、すでに何台もの馬車が到着しているようだ。
ホールそのものはプロが演奏するような建物に比べればさすがに見劣りするものの、個人が貸切で使うのなら十分に立派なものだった。ちょっとした市民会館くらいの大きさだろうか?
警備の人に招待状を見せると、一人が先にたって入り口まで案内してくれた。
馬車寄せの脇では、馬丁が水をやったりしながら、馬車馬をなだめているのが見える。
ホールの入り口にたどり着くと、そこでは数人のメイドや執事たちが出席者の名前を確認したり、上着や帽子をあずかったりと忙しく立ち働いていた。
警備の人は、近くにいた執事を捕まえて招待状を手渡すと、俺に一礼してから持ち場へ戻った。
執事は愛想のいい笑みを浮かべると、通路脇にあるカウンターへ小走りに近づく。大した身分でもないのに、一番忙しい時間帯に来てしまったようで申し訳なくなる。
カウンターの奥には、あずかった品々を置いておく小部屋があった。入り口は狭いが、出席者の人数から察するに中はそれなりに広いはずだ。
さっきの執事が出席者名簿にチェックを入れて戻ってきた。なぜか、少し困ったような顔をしている。
「申し訳ありませんカディナ様。こちらの手違いか、家名の記載がないようです。恐れ入りますが伺ってもよろしいでしょうか?」
そういうことか……招待状にもカディナ様としか書かれてなかったし、名簿にも記載がなかったのだろう。教えてないんだから無理もない。俺はまた執事の人に同情してしまった。
「いえ、こちらの手違いなのです。お手数をおかけして申し訳ありませんが、家名はモーリアです。カディナ=モーリア、どうぞよろしく」
「ではカディナ=モーリア様どうぞこちらへ」
執事はあからさまにホッとした笑顔を見せて、俺を先導してくれる。
廊下の先にあるドアを抜けると、赤い絨毯を敷き詰めた広間に出た。
広間はキリンが飼えるくらい天井が高く、二階か三階分のくらいの高さが吹き抜けになっていた。その天井からは、ジェムを組み上げてこしらえたシャンデリアが吊るされているが、今は窓からの明かりが広間全体を照らしていた。
「カディナ=モーリア様がお見えになりました!」
執事がよく通る声で、俺の到来を告げると、室内の顔という顔がいっせにこっちを向いた。いくつもの視線が突き刺さる。
金持ちというのは、大抵金持ち同士で仲良くして自分たちの利権を守りあうものだ。広間にはかなりの数の客がいるようだが、これだって身内の集まりみたいなものだろう。
そんな中に見知らぬ子供が紛れ込んだらどうなるか、その回答がこれだ。俺にとっては最悪の展開だった。
執事が下がってしまうと、一人取り残された俺は途方にくれた。
どうすりゃいいんだ……
どこかに隠れられる場所でもないかと(あるわけないのだが)キョロキョロしていると、広間の端の方に小さな集団ができているのが見えた。そしてその中心にいたのは、リリアだった。どうやら同じ年頃の少年たちに囲まれているようだ。
リリアも他の参加者たちと同じようにこっちを見ていたので、一瞬、目が合う。
向こうはハッとした顔になったが、すぐに平静を取り戻すと、回りの少年たちに挨拶をして集団を抜け出した。
内心の焦りなど少しも表情に出さず、優美な身のこなしでこちらへ歩いてくる。爺ちゃんのしごきを受けていなかったら、それがどれだけ凄いことなのか、俺は気付かなかっただろう。
「カディナ様、ようこそいらっしゃいました」
俺は爺ちゃんに教えられたとおりに膝をつき、リリアの手をとる。
「リリア=セルティア様、お招きに預かり光栄です」
上目遣いにウインクをしてやると、リリアはくすくすと笑った。
「よくお似合いですよ。最初は誰だか分かりませんでした」
「ありがとうございます。アリア様はいま?」
「姉は直前の練習中です。かなり集中しているので、挨拶は演奏の後の方がよろしいかと」
「左様ですか。では後ほど」
会話が途切れた一瞬、リリアが距離を詰めて小声で囁いた。
(カディナさんて貴族の方だったんですね。わたし勘違いしていて)
(いや、貴族なんかじゃないよ。話し方を爺ちゃんに叩き込まれただけ)
リリアは大きく目を見開いたが、すぐ余裕のある笑顔に戻る。
「では、わたしもカディナ様のお爺様にご教授いただきたいものです」
「歓迎しますとも。ただ、リリア様がいらっしゃったら、驚いて腰を悪くするかもしれません」
二人で笑いあっていると、不意に背後から声がかかった。
「きみがカディナ君かい?」
振り向くと背の高い男性がこちらを見下ろしていた。三十代前半くらい、まだ若いが体つきはがっしりしていて威厳がある。
「お父様」
リリアがそう言うということは、この人が領主様だ。
「領主様、ご挨拶が送れて申し訳ありません。カディナ=モーリアと申します。この度はご息女の晴れの舞台にお招きいただき、まことにありがとうございます」
覚えてきた口上を述べる。あわてすぎないように、棒読みにならないように、こっちは必死だった。けれど向こうは似たような口上をうんざりするほど聞かされているのだろう。返事はあっさりしたものだった。
「顔を上げてくれたまえ。私はオデラ=セルティア、どうかオデラと呼んで欲しい。今日はあらたまった集まりでもない。アリアが私の知らない友人を呼ぶというから、どんな子かと会うのを楽しみにしていた。少し話せるかな?」
「はい」
「リリア」
オデラさんがリリアの名前を呼んだだけで、それが退出を促す合図だと分かった。態度といい、声といい、領主だけあって人に命令することに慣れているのだろう。
「でも……」
食い下がるリリアに、オデラさんは首を振って見せる。そして広間の端へチラと視線を走らせた。そこには、さきほどリリアを囲っていた少年たちがいて、こちらを、というかまっすぐ俺を睨みつけていた。リリアは誰にも見られないよう、ホッと小さく息を吐く。
「カディナ様、失礼たいします」
「お話しできて、とても楽しかったです、リリア様」
リリアが一礼して立ち去る。
「リリアはいい子だろう?」
俺に問いかけるというよりは、自分の胸に染み込ませるようなオデラさんの声だった。
「ええ、本当に」
「アリアの華やかさ、矜持や、明晰さ……それは確かに得がたいものだ。けれど、それをリリアが引け目に感じているのが私は少しだけ心配なのだ」
「人の美点は一種類ではありません。そのことに、リリア様ならすぐ気付かれるでしょう」
「そう、信じよう。ところで、アリアの読書のライバルだと聞いていたから、どんな子かと思っていたが……これほどまでに美しい少年だとは思わなかった」
「もったいないお言葉です」
「謙遜する必要はない。だが、人を見た目だけで判断するような教育はしていないつもりだ。君の美点も一種類ではないのだろう。私はそれに興味がある」
「ただ本を読んでいるところへ声を掛けられただけですので、わたくしには何とも……」
「ははは、その挙句に作法を叩き込まれて右も左もわからない貴族の集まりに参加させられているわけだ。災難だったな、その点は謝らなければならないな」
「いえ、いい勉強になっております」
オデラさんの瞳には、娘の友達を見る優しさと、初対面の人間を見定める冷酷さが同居していた。
「娘から聞いたのだが、君は魔術に関する本をよく読んでいるようだね。ジェムが発明されてから、それなりに時がたち、これだけ世間に普及してもまだ魔術に関する偏見は消えないようだが、そのことについてはどう考えている?」
「ある程度までは、それも当然でしょう。魔法というものの本質は、まだ完全には解明されていません。魔力とは一体何なのか、魔術はどういう原理で発動しているのか、そのことが広く了解されるまでは人々の魔法に対する不信は消えないと思います」
「だがジェムの利便性に疑いはない。これだけ広まってしまった後で、我々は元の生活に戻れるだろうか?」
「おっしゃる通りだと思います。けれどその利便性は、ある種の呪縛でもあるとはお思いになりませんか?
工場から垂れ流された排水が川を汚染していても、生産ラインが止められないように、あるいは、社会システムを維持する上で、立場の弱い人々がどれだけ搾取されていても腐敗した政治が続くように、我々は一度蜜の味を知ってしまえば、それがどれだけ有害であろうと、掬って舐めずにはいられない。
私が魔法に強く魅かれるのは、その利便性からではありません。ただその本質がまだ解明されないまま残されているからです」
「カディナ、君はその本質に迫ろうと考えているのかい?」
「……わかりません。色々な本を読んでいますが、探れば探るほど、迷路に迷い込んでいくような気分になることがあります。それに、もし魔法が大きな代償を必要とするものであったらと考えると、少しだけ恐ろしいのです」
「どんな技術も結局は、それを扱う人間次第だ。けれど君は、あまり人間というものを信用していないのだな」
「どうやら、そのようです」
広間の扉が開いて、メイドが新たな来客を告げると、オデラさんは俺の肩に手を置いた。
「残念ながら行かなければならないようだ。カディナ君、きみと話せてとても楽しかったよ。演奏を楽しんでいってくれたまえ」
「こちらこそ、お会いできて光栄でした」
(貴族から不愉快な目に合わされるかもしれない、申し訳ないがこちらからおいそれと助け舟を出せない場合もある。人目につく場所にいることだ。衆人環視のもとで自分の評判を下げるバカはいないはずだから)
オデラさんも、さっきのリリアと同じように一歩距離をつめると、他の人に聞かれないよう小声で囁いてきた。貴族達の間ではこういう内緒話は珍しいものじゃないようだ。
「心にとめます」
「それはそうと、最後に妻を紹介しよう。セルバ!」
離れた場所にいた主婦連から華やかな女性が一人こちらへ歩いてきた。
「アリアの客人を紹介しよう、カディナ=モーリア君だ」
紹介と同時に、二人の間でアイコンタクトがあったのを、俺は見逃さなかった。とはいえ、それにどんな意味があるのか俺に読み取れるはずもない。
「カディナ=モーリアと申します。お会いできて光栄です」
何度も聞いた挨拶だろうに、セルバさんはニコニコしながら頷いてくれる。この忍耐力、俺は貴族にはなれそうもない。
「セルバ=セルティアです。顔を上げてカディナさん、本当に綺麗な顔」
顔……まあいいけど。そういうセルバさんもあの姉妹の母親だけあって綺麗な人だ。二十代半ばくらいだろうか? まだ若い。アリアより柔らかく、リリアより華やか、そんな印象の女性だ。
オデラさんとセルバさんが来客を迎えに行った後、一人残された俺はまた途方にくれた。
人目につく場所か……アドバイスに従いたいのは山々だったが、俺以外の客はみんな知り合いなのだろう、あちこちに派閥を作って話しに花を咲かせている。
そんな中に入っていける気がしないし、そんなコミュ力もない。
仕方がないので、俺はなんとなく広間の中央あたりに移動して、そこで用意されたお菓子をつつくことに徹したのだった。
ブックマークありがとうございます! ポイントは精神衛生上気にしないようにしてますが、それでも増えていると嬉しいですね。
今回は少し長くなりました。次も少し長くなりそうだったので、分割して更新すると思います。
次回は、貴族の少女たちです。




