田舎娘と甘酸っぱい恋(1/2)
じたばた、じたばた。
晴れ渡る空の下、踏み固められた地面の脇に一人の子供がいた。
幼い少女だ。
年は一桁か二桁か、人によっては幼女とも呼ぶかもしれない年頃。
重くてどかせずに放置されたのだろう岩の上に座って、道をぼうっと眺めながら足を揺らし、ほつれのない着物の裾を跳ねさせていた。
落ち着きなく、さも退屈そうに、じたばたと。
「う~ん……」
ふと上を見上げれば、快晴が広がっている。
村のど真ん中だがまるで街道のように付近に草むら以外何もなく、眩しい日光に思わず掌を掲げる。彼女がいたのは、空を遮る建物すら滅多にないくらいに若くて小さくて新しい、何もない村だった。
青々と透き通る天井に映える白い飾りつけ、誰も邪魔しない美しい風景。
でも――退屈だ。
どれだけ美しくても見慣れている人間にとってみれば大したことのない代物で、何の見所も盛り上がりもない芸術に飽きたのか、少女は小さな体を起こして伸ばす。
「――う~~~~んっ」
その目の前を時々、好奇心に突き動かされた村人が楽し気に横切ってどこかへ行くが、それも彼女にとってはどうでもいいらしい。
少女は気にも留めず、腕を組んで一人唸っている。
しまったなあ、と呟いて、癖毛の一つもない頭の中で考えを巡らせていると、
「ん?」
がさり、と何かが草むらの向こうに隠れたのを聞いた。
片目をうっすら開けて待ってみれば今度はひょこりと頭が半分出る。
じっと、ただこちらを見つめるだけの瞳を、少女は考え事をしている振りのまま見つめ返して観察する。
(ふぅん……)
妖怪覗き小僧か、単なる覗き魔か。
どちらにせよ、どうやらこっそりこっちを窺っているつもりらしい。
だったら、と少女は適当に石ころを拾い始めた。
奇妙な見物人の疑問を無視して手に入れたのは、彼女の掌よりも小さくて、形が丸まったものばかりを三つ。そしてそれを片手に集め、「よっ」と上に放り投げた。
石は主人の顔よりも高く飛び、放物線を描いては再び飛びあがる。
つまりは『お手玉』だ。
「「うわあ!」」
歓声と共に小さな頭が茂みを突き破った。
何の変哲もない石が少女の巧みな手さばきによって月のように宙を舞う様。
辺鄙な場所に住む彼らにとってこの曲芸は初めての光景だったのだろう。まるで魔法を目にしたかのような目付きで食い入るように見つめていた。
そして、その一つが一際高く――――飛んだ。
今までで一番高く。
大人の背丈よりも。
屋根よりも。
いっそ空に届くんじゃないかと思うくらいに、小さな月は昇っていき、
「「え?」」
からん、ころり。
やがて石は重力に引かれてほぼ垂直に落下して地面を転がった。軽い音を奏でながら、さっきまで少女が腰掛けていた大岩の上を跳ねて。
「あれ?」「どこいったの?」「なんで?」
予想外の展開に、茂みに潜んでいた子供達は慌てた様子で現れる。目にした怪現象について口々に呟きながら、消えた不思議な少女の行方を追ってきょろきょろと周囲を見回した。
すると、耳元から、
「ばあ」
「「っ――ぎゃあああああああああああああああああああああああああああああ」」
振り返ると、目の前に消えた少女の笑顔があった。
突然真後ろから現れた謎の少女に、ある子は腰を抜かし、ある子は木々に逃げ隠れ、ある子は「置いてかないで」と泣き出してしまう。
「あはははははは。取って食べたりなんてしないよ」
なんてことはない。子供らが石に気を取られている内に、遠回りして逆に茂みの裏に隠れていたのだ。
大丈夫大丈夫、と陽気に笑う少女の顔を子供達は恐る恐る突く。顔を見合わせてさわれることを確認。代わりにうりうりと鼻をつままれる。叩き返す。
そうしてやっと生身の人間だと認識して納得した子供達に、少女は改めて、
「はじめまして。私は神楽耶、ちょっとこの村に通りかかったんだ」
真新しい着物の神楽耶に対して、みすぼらしい継ぎ接ぎだらけの三人は、
「幸太」
「菊」
「準太」
警戒しながらも手短にそう名乗る。
神楽耶は一人ずつ名前を指差し確認して それから不意にくるりと振り返る。
「それから、あそこにいる元気がない子は?」
その視線の先には、
「「佐吉!」」
子供達が揃って叫んだ先には、真新しい石像の陰から見守っていた男の子――佐吉が浮かない顔を驚きに変えながら転んで、自分に元気よく手を振っている見ず知らずの少女に困惑していた。
◆
佐吉は、幸太達とよく遊ぶ村の子供の一人らしい。
「何で隠れてたの?」
「だって……へんな人と話してたから……」
「『変な人』?」
はて、そんな人いただろうか。
佐吉の言葉に心当たりがなく首を傾げる神楽耶。
しかし自然と集まる四人の視線に、
「私? 私って変?」
揃って頷く三人に「うっ」と口ごもる佐吉。
神楽耶も続いて首肯。
なるほど、どうやら私は変な人らしい。
「ふぁ、ふぁにするふぉ!」
あはは、こやつめ。
代表して頬っぺたをみょんみょんとつねられ引っ張られた佐吉は全身で猛抗議するが、朗らかに笑う神楽耶には痛くも痒くもなく一方的に遊ばれるだけ。
「それで佐吉は、何でそんなに元気がないんだい?」
「ふぇ……ふぉれふぁ……」
「もしかして何か、お友達に相談したい事でもあったんじゃないの? だから私がいなくなるのをずっと待っていた」
解放してやると、佐吉は赤くなった頬をさすりながら少しの間だけ周りの仲間に迷いの眼差しを送った。しかし神楽耶に優しく促されて、やがておずおずと話し始める。
「お姉ちゃんの様子がおかしいんだ」
どうやら佐吉には、妙という五つ離れた姉がいるらしい。
とりあえず一回会ってみようという神楽耶の提案に、早速五人は『教会』という村の施設の近くにあるらしい姉弟の住む家に向かう事になった。
道すがら。人通りが少なく静かでのどかな村の日常の中を歩きながら、一番前に出て道案内している幸太が、拾った枝で地面を叩きながらこう尋ねる。
「カグヤはあそこで何してたんだ?」
「ただの暇つぶし」
「ひまつぶしぃ?」
訝しげに横顔を眺める幸太。子供達の中でも一番背が高く強気な少年は、中々警戒心が強いようだ。外から来た自分を一向に信用しようとしない。
乱れた髪と相まって野良犬のようだと思っていると、唯一の女の子が後ろから声をかけた。
「ねえ。さっきの、こう……石をずっと投げてたの、どうやったの?」
そう言って掌の石ころを見せる菊。似たようなのが後ろにぽつぽつと転がっているのを見ると、どうやら最初から落ちていたのではなく歩きながら何度目かの挑戦をしたものの、うまくいかなかったようだ。
その結果、彼女の眉は不満を露わに八の字に曲がっている。
「お手玉のこと?」
「『オテダマ』?」
「そう、お手玉」
もう一度菊は手持ちの石で試すが、開始早々に好き勝手に飛び回る道具にわちゃわちゃと踊らされて、石を追いながら続けるも結局全部が情けなく転がった。
他の子も足を止めて見様見真似でやってみるが、うまくはいかない。
「練習あるのみだよ。最初は石の数を一つ二つから始めてコツをつかむんだ」
見てて、と言って神楽耶も適当な石を見繕って、再びそれをやって見せる。
ひょい、ひょい、ひょい。
先程みせたものよりも、より多くの石が、より複雑に、自在に。自分達のとは違っていとも簡単に上下左右に飛び回る石ころ達に見入ってしまう。
実演はほんの数十秒程。だが最後に全ての石ころを両手に収めてから「おしまい」とお辞儀すると、小さくも精一杯な拍手が送られた。
「毎日退屈で。ずっとやってたらできるようになっちゃって」
そう言って大げさに肩をすくめる神楽耶。
見つめる子供らの顔には笑顔が。すっかり彼女のことを信頼したらしい。
さっきまで変な人扱いした癖に、とは神楽耶の呟き。
「え?」
「なんにも?」
すっとぼける神楽耶。
それはさておき、すっかり興味が『謎のお手玉の達人・神楽耶』に移った子供らは、目を輝かせて次々に神楽耶に質問を投げつけていく。
「カグヤはいつも何してるの?」
「じたばたしてる。退屈に抗っているんだよ」
「じゃあカグヤははたらいてないの?」
「もちろん働いてるよ」
「なんではらいてるのにヒマなの?」
「どんなシゴトしてるの?」
「秘密」
「えー。なんでー?」
裾を引っ張って教えて教えてと問い詰める子供ら。
子供らしい抵抗にも神楽耶は嫌な顔一つせず、上品な笑みでこう答える。
それはね、と。
「いい女には秘密が付き物なんだ」
「「いい女?」」
どうみても同年代の、まだまだ発展途上にしかみえない神楽耶に示す子供らの反応に、そこは疑問に思っても顔に出さないのが大事なんだぞと神楽耶が教えていると、
「うそだ」
幸太が言った。
だったら何でヒマなのさ、とどことなくイラついた口調で。
「じゃあ何で幸太は、私が働いてないと思うの?」
「手だよ。カグヤの手、すげーきれーだもん。俺たちの手とちがって」
言われて見てみれば確かにそうだ。自分のを見て納得している子供達の手は、まだ小さいのにもかかわらず毎日の労働のおかげでマメができ、皮が少し硬く、厚くなっている。働き者の手だ。
対して神楽耶は、まるでクワの一つも持ったことがない様な柔らかいそれ。
なんで、という視線に神楽耶は答える。ふふんと笑って。
「私の仕事は畑を耕すことでも、パンを作ることでもないからね」
そう言って神楽耶は、どういう意味かと子供らが追及するより前に一歩踏み出して、まるで踊るように走り始めた。
目的の場所までは、汗もかかない程度の距離だった。
二頭立ての二台の馬車がとまった教会と、その向かいに立つ小さな木造の住居。
どちらも真新しい建物だが、教会が手間のかかった瓦屋根なのに対して佐吉の家は農家らしい茅葺き屋根。
近くの教会は妙に騒がしく、何か珍しい事でもあったのか何やら村人が物珍しそうに集まっていて、その隙に乗じて神楽耶は家の陰にそそくさと近づいて隠れた。
続いて子供達も楽しそうにそれに倣い、神楽耶は静かに人差し指を口の前に立てる。
窓の格子を覗くと片付いた内装が見える。
炊事場のある土間に、茶の間と思われる板間。それから夜になれば周りに一家団欒の姿があるだろう囲炉裏と、釣られたやかんと、藁を編んだ円座が何枚かと、
「お姉ちゃんだ」
佐吉がつぶやいた。
そこでは姉の妙が囲炉裏の前に座って、ちらちらと外を眺めていた。
聞けば普段、妙はこの時間は夕食の準備をしているはずだという。しかし食材を煮込む熱気も、食欲を誘うような香ばしい匂いもしない。
最近ずっとこうなんだ、と佐吉は心配そうな目で言う。
「ぼうっとしてて、なんだかねむれないって。でもきいても教えてくれないし」
「なにかのビョーキか?」
「……分かんない」
「なんだかまるでユーレイにとりつかれたみたい」
「ど、どど、どうしよう……!」
勝手に議論を繰り広げて佐吉を戦々恐々させて笑っている子供らを余所に、神楽耶はじっと彼の姉を観察する。
確かに妙はどこか挙動不審だった。両手に湯飲み茶碗を持っているが口を付けている様子はなく、その代わりにしきりに戸口の向こう――教会の方にご執心。
のぼせた横顔とせわしない挙動を見て、
「ふぅん……なるほど」
「何か分かったの?」
もちろん、というと幸太は気に入らないとばかりに一笑。
「カグヤみたいなちんちくりんに何が分かるんだよ」
「分かるよ。だって少なくともみんなよりは年上だ」
ふふんと無い胸を張って背の高さを見せびらかす神楽耶。
「俺らとほとんど変わんないじゃんか」
「そんな事ないよ。何なら比べて確認してみてよ」
そういって二人は背中を合わせる。残りは周囲を取り囲んで頭のてっぺんと睨めっこだ。
「うーん……同じくらい?」
「いやもっとちゃんと調べてよ、ほら、佐吉も」
「え? えーっと……カグヤのほうが高い、かも。ちょびっとだけ」
「ほら私の方が年上だ」
「お前今背伸びしただろ!」
「「しーっ……」」
見事などんぐりの背比べである。
ただ仲間内で一番高かった幸太は少しとはいえ負けていた事に納得がいかない顔。
「じゃあ、言い当ててみろよ」
挑発的な目で幸太は言った。
佐吉の姉ちゃんが、なんでおかしくなったのか、と。
大方、的外れな意見だと笑って鼻っ柱をへし折るつもりなのだろう。
子供らしい抵抗だ、とその初々しさに優し気な笑みを浮かべて、神楽耶は言う。
「安心して、佐吉。お姉ちゃんは大丈夫だよ」
「本当?」
「ああ、本当さ。これは病は病でも、恋の病だからね。きっと想い人は彼女が見つめているあの教会にいる誰かだろう。だからああやって、こっそり教会を見張ってるんだ」
自信満々に言ってのけた神楽耶に周囲はぽかん。
一人、幸太だけがけらけらと笑っている。
「何かおかしい?」
そう尋ねると、子供達は顔を見合わせて、少し申し訳なさそうに答えた。
なんでも教会で働いてる男は冴えない中年の神官のみ。あとは教会を手伝う女性の信徒が何人かいるだけで、そんな男はどこにもいないとか。
それは分からないよ、と神楽耶。
「たまたま今教会に来ている誰かかもしれないし、本当にその神官なのかも」
そこまで言って、そうだ、と。
不意に何かを思いついたように彼女は続けたのだ。
「私達だけで考えるよりも、もっといい方法がある」
「もっといい方法って?」と子供達が聞くよりも早く、神楽耶は行動に移していた。
くるりと方向転換して家の表に回ると、がらり。
勝手に家に入っては肩と茶を跳ねさせた妙に詰め寄ったのだ。
「やあ妙。私は神楽耶、話は佐吉から聞いたよ。今君は恋してるね? もし私でよければ力になろう。相談に乗るよ」
「えっ、あの、その……」
神楽耶が手を取ろうとすると、妙は突然の来訪者に驚いたのか、人知れずしていた覗き見がばれた事が恥ずかしかったのか。飛び上がって草履を履くなり、何も言わずに神楽耶の横をすり抜けて家を飛び出していった。
その光景を、神楽耶は淡々と説明する。
「図星だったね」
「いや、急に変なやつがきたから逃げたんだろ……」