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02.血の臭い


 ■■■


 違和感を覚えつつも、しばらく私は倉庫に入る機会がなかった。

 次にその機会があったのは、やはり前担当者の書類不備を確認するためだ。そのたび遡って訂正をしないといけない。……いや、本当、ミスが多過ぎる。決算期のことを思えば憂鬱になる私だった。


 朝早く出社すると、課長がすでに来ていて、プリンターに紙を補充しているところだった。私はふうん、と思う。前の部署では、プリンターの紙補充みたいな雑用は新人か女性社員の仕事だったなあ。私は課長に近付いて、おはようございます、と言った。


「課長、倉庫の鍵、頂けますか?」

「うん、どうした?」


 私が訳を話すと、課長はため息をついた。


「また伝票ファイルが必要なのか……彼女の書類が、事務不備で迷惑をかけるね」

「いえ」


 確かに迷惑はかかっているが、それも含めて仕事だから致し方ない。私は課長から鍵を受け取り、倉庫に向かう。鍵を開けて、中に入った。


 目的としていた、伝票ファイルは、一番直近のものが倉庫に入ってすぐの手前の方に置いてあった。おや、と思った。この前入った時と場所が変わっているような気がするのだ。記憶を辿ったが、間違いない。私は使った翌日、元の棚に戻したはずだ。

 過去の伝票ファイルなんて、私以外の誰かが使うとも思えないが、誰かが使って、元の場所に戻すのも面倒なのだろうか?

 何しろ、他の伝票ファイルは、年数もぐちゃぐちゃに、様々な場所に突っ込んである。他のファイルはまだ同じものが一か所に固まっているのに、これはひどい。


 鼻をすん、と動かして臭いを嗅ぐ。以前感じた、血の臭いのことが、どうしても気にかかっていた。


(やっぱり、臭い。臭うな……)


 やはり、血の臭い――だ。

 ダウザーとしての訓練を重ねた結果、私の五感は、人より優れているという自負がある。気のせいではない――私は目を細めて倉庫を見渡した。


 何しろ、本当に散らかった倉庫だ。入り口付近に置いたままのコピー紙などの消耗品はいいとして、奥の方は、何だかよくわからない段ボールやら何やら。会社の書類が保管されている場所だから、常時施錠されていて、清掃サービスも入らない。だから、埃っぽいのは仕方ないとして、色々なファイルがナンバー順に並んでいないのは、明らかに今までの総務課の社員の責任だよねえ。いかがなものか。


 ここにいると、首の後ろにチリチリするような嫌な感じがする。だけど、どうにもその原因が分からない。

 意識を集中させていると、足音が聞こえた。足音は、急いでいるようで、すぐに近付いてくると、ドアを開けた。


「水落さん。おはよう」

「……井森さん?」


 私が振り返ると、井森さんは少し目を伏せながら言う。

 今日は、顔色は悪くない。


「いや、課長が、水落さんが書類探して、倉庫に行ったって、言ってたから。手伝う?」

「それならもう見つかってますから」


 私はバインダーを手に答えた。良かった、と答える井森さんの視線が不自然に動き、倉庫の奥に向いたのが分かる。

 私はその視線を追って――後ろを振り向いた。


「水落さん?」

「いえ……」


 乱雑に積まれた段ボールがあるだけだ。違和感を覚え、そっちに意識を集中しようとした瞬間――腕を掴まれた。咄嗟のことに、避けられなかった。


「えっ?」

「あっ、いや、」


 何ですか、と聞こうとしたが、私の腕を掴んだ井森さんの方が動揺していた。


「朝礼、始まるよ」

「……。はい」


 そう言って、そそくさと倉庫を出る。私も倉庫を出て鍵を閉め、課長に返した。


(――怯えてる?)


 井森さんは、微かに額に汗をかいていたし、顔色が悪かった。


 私は倉庫にあったバインダーを自分の机に置き、そして――気付く。

 微かに、背表紙に赤黒い、筋のような汚れがある。

 鼻を近付ければ、微かだが、鉄の。いや、血の臭いがした。


「――!」


 頭の裏に、何か瞬くように閃く。

 朝礼が終わり、井森さんが部屋から出た瞬間を見計らい――私は再び課長から倉庫の鍵を借りて、倉庫の伝票ファイルをすべて集めた。そして、一番古いものから、ナンバリングされた順に並べ直す。


 恐らくこれが元あった通りに、並べれば。


「やっぱり……」


 並べ直した背表紙には、どれも同じ筋の汚れが残っていて、繋がっていた。

 血の痕は、擦られていたが――人の掌の形をしていた。


 ■■■


 昼下がり、キーボードを叩き、書類を片付けていきながら、私は思考の半分で、あの倉庫のことを考えていた。


 ファイルの背表紙に残った血の痕。血まみれの手で触り、そしてそれを擦れば、ああいった形になるだろう。


 そして――それは、隠されている。

 ファイルの背表紙についた血は、綺麗に拭えず痕が残ってしまった。だから、それを隠すために、伝票ファイルをバラバラにしたのだ。順番通りに並んでいると、手の形の血痕がついていることに気付いてしまうから。


 そして――それは、私の勘違いでなければ。


「すみません、課長。鍵貸してもらっていいですか? このファイル、元の場所に戻すので」

「水落さん、いちいち面倒だったら、そのファイル、君が持っててくれていいよ。自分の机の中に入れて鍵をかけておけば、問題ないから」

「いえ、一応、共用の資料ですから、元の場所に戻しておかないと」


 そう言って、私は倉庫の鍵を受け取り、ファイルを元の場所に戻そうとした。横から、井森さんの視線を感じたが、ちら、と視線を返すだけで、特に言葉はかけなかった。


 ――面倒なんてとんでもない。この伝票ファイルを手元に置いておいたら、理由をつけて倉庫に入れなくなるじゃない。私は、薄暗くて散らかった倉庫に入った時、知らず笑みが零れた。


 私が今持っている、直近の伝票ファイルは、以前私がしまっていた場所から、すぐに見つかる手前の方に移動させられていた。誰かが使って、適当な場所に放置しただけという可能性は排除していいだろう。総務課でこの過去の伝票ファイルを使って仕事をしているのは、私だけだ。

 だから、私が見つけやすい場所に、誰かがわざわざ移動させたと考えるのが自然だろう。私がこの伝票ファイルのために、倉庫を探し回ることを、避けてほしい人間がいるのだ。


 そうまでして隠されたら、探してみたくなるじゃない。


 隠されているものは見つけたい。気になるものは追いかけたい。

 これは、ダウザーの(さが)かしらね?


「ま、とりあえず、今は業務中だから……さっさと仕事に戻らないと」


 お楽しみは、業務後。胸元にしまった水晶の感触を確かめ、私はオフィスに戻った。


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