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⒐ お別れ




「ルシア様、もう十分でしょう。これ以上はさすがに体調を崩される可能性もあります」

「あっ」

「ギャン!」

 

 ルシアの方へ気を取られているうちに、私の体は軽々とシキの片手に抱えられていた。

 気配を消していたのか、一瞬の隙に自由は奪われてしまい、シキの身長が高いせいで床との距離がとんでもないことになっている。後ろ足はぶらんぶらんと所在なさげに空中を掠って何とも不安定な状態で、びっくりした私は足をバタバタと動かして何とか離れようとした。


 ……やばい、つかまった!

 高い高い! 股がヒュンヒュンする怖い!


「暴れるな」

「ナアアア!」

「なぜいきなり暴れる」


 下手くそ! シキ下手くそ!

 こんなお尻がぶらんぶらん動いてて怖くないわけないじゃん! 油断したところを捕まえるなんて見かけによらず汚い人間だったのか!

 爪を立て、シキの指にかぶりついて抗議した。普段はあまり出さない威嚇の鳴き声まで出す。

 しかし、シキはまるで動じた様子がなく私を離してくれない。


「シキ、それではその子が可哀想だ。もっとしっかり自分の胸にくっつけて、お尻も持ってあげないと余計に暴れてしまうよ」

「……こうですか」

「どうして自信無さげなんだい。ほら、君も頼りない男は嫌いだろう?」

「ニィ」


 そうだそうだ!

 ルシアに同意の鳴き声をあげる。


「ほら、そうだと言っているよ。それにしてもこの猫は不思議だね。まるでこちらの言葉が分かっているみたいだ」

「本当に理解しているなら苦労はしませんが……」


 全部聞いてるよ。分かってるよ。

 まだ全然喋ることは出来ないけど。


 普通の猫だと思っている二人は私が精霊だと分かったらどうするつもりなのだろうか。精霊は人間にとって重要な存在だから、精霊の子どもである私のことを知ったら保護してくれるかもしれない。

 けれど、そうなってしまったら今私がいる場所がどこで、どうして精霊界に戻れないのか分からないままだ。


「外に出すだけだ。怒るな」


 どうやらシキは私をどうこうするというわけではなく、外に逃がすために捕まえたらしいけど、抱き方が不安定で私も嫌々な態度を取ってしまう。


「しっかり抱いてあげないからだよ。僕の言った通りにしてごらん」

「……」


 ルシアの助言を聞いたシキは、私のお尻をしっかりと持って、自分の胸にそっとくっつけてきた。……お尻に触られるというのは、正直恥ずかしい気持ちもあるけど、ずっと不安定感に悩まされるよりはいい。でも、尻尾の付け根はあまりふさふさ弄らないでね、くすぐったいから。


「おとなしくなってくれて良かった。それなら合格点だよ、シキ」

「ニャ」

「また鳴いたよ、やはり頭がいいね君は。それにしても、もうお別れなんて寂しいな」


 名残惜しそうにルシアは私に話しかけてくる。

 一晩お世話になったけれど、凄く迷惑をかけてしまった気がするな。

 それにルシアは本当に寂しそうで、何だかやるせない気持ちになってしまう。


「それでは、門の外あたりまで逃がして来ますので、ルシア様はお薬を飲んで横になってください」

「……うん、分かったよ。君も、久しぶりに楽しい時間だった。ありがとう」


 穏やかに目を細めるルシアを見て、私は思った。


 ――ルシア、どうして泣きそうなの?


 問いかけられるはずもなく、シキに抱きかかえられた私は一晩過ごした部屋を後にした。

 

 


 ━┈┈━┈┈━




 コツン、コツンと歩を進めるたびにシキの足音が周囲に響き渡った。


「おとなしくしているんだぞ」


 頭上からはそんなシキの声が聞こえてくるが、言われるまでもなく、ルシアの部屋を出てから開いた口が塞がらない状態の私にはいらぬ心配であった。


 言葉が出ない。

 目に映るものすべてに圧倒され、私はただただシキの腕の中から覗ける景色に夢中だった。


 驚くほど高い天井や、そこから吊り下がった豪華なシャンデリアのような照明。壁には高そうな絵画が並び、どれもが高級そうである。貴重品が至るところに散りばめられているのに嫌味な感じはなく、品の良い空間が出来上がっていた。

 ここはお城だ。本物のお城なのだ。

 ルシアが王子様なら当たり前なのかもしれないけれど、実際に見るとまた違う緊張感があり、王族というのはこんな綺麗な所で暮らしているんだと驚いてしまった。

 神殿も立派なものだけど、これはこれで素直に凄いと思う。



「あそこにいるのは、シキ様じゃない?」

「本当……腕に持っているのは……何かしら?」


 平然とした顔でシキは廊下を進んで行く。階段を下に降りて少し歩くと、だんだん人の声が多くなってきた。

 人間が、あんなにたくさん……。

 メイド服みたいな制服を着た女性たち、または執事服を着た男性たちが物珍しそうにシキを見ている。シキというよりは、シキの腕の中にいる私を見ているようだが。ルシアの部屋から出て行く際に、人間が他にも沢山いるんだろうなとは薄ら思っていたけど、ちょっぴり人間酔いをしそう。前世人間だったのに!

 声が一つ、また一つと増えていくたびに体が硬直してしまう私に気づいたのか、シキは私の体をもう一度しっかり抱え直してくれた。


「シキ、そこで何をしている」


 結構お城の中も進んだと思う。一体どこまで行くのかと思っていると、シキを呼び止める者が現れた。

 シキはピタリと立ち止まると、ゆっくり来た道を振り返った。声のする方に顔を曲げると、そこには金色の髪の青年がいた。


「――エイト様」

「何をしていると聞いているんだ……ん? なんだ、それは」


 エイトと呼ばれた金色の髪の青年は、ズカズカとこっちに近づいて来て、じろりと私に視線を向けた。

 ほんのりつり上がったエメラルドグリーンの瞳が、一寸の曇りもなく私を見つめる。

 何となく誰かに似ているなと感じていると、私の脳内にさっき別れたルシアの顔が浮かび上がった。


 そうだ、雰囲気は違うけれど、ルシアと似ているんだ。



「……今朝がた、ルシア様の中庭に野良猫が迷い込んだので、城の外に逃がそうと」

「兄上の中庭に?」


 またじろりとエイトは私を見る。

 ルシアの弟なんだよね? どうしてそんなに不機嫌そうな顔をしているんだろう。

 ビビりな私の尻尾は正直で、徐々に徐々にお腹の方へとくっついてしまっていた。だってエイトって人、私を睨んでいるんだもん。怖いよ。


 ゴンゴンゴンゴン激しく早鐘を鳴らしていると、不意にエイトは笑い出した。


「ははは! 猫の対処とは、兄上の側に仕えるのも一苦労じゃないかシキ。同情するぞ」


 エイトと笑いは決して和やかなものではなく、シキとルシアを嘲笑ったもので、私はムッとしてエイトを見上げる。

 エイトの嫌味はまだまだ続いていた。


「お前も苦労するだろう? 腕に自信はあっても仕えるのがあの人では実力も存分に振るえまい」

「……」

「是非とも話を聞かせてくれよ。私なんかより、お前の方がよく知っているだろ」

「……」

「まあ、大した朗報なんて聞けはしないだろうけどなっ」

「――――、」


 その時、私だけが変化を感じ取ったに違いない。

 エイトから絶え間なく紡がれるルシアに対する発言を、ずっと口を挟まず聞いていたシキの様子が変わり始めていたことに。私の体に添えられた手に、力がこもり始めたことに。


 それに気がついた私の正直な尻尾は、だんだんと持ち上がり始めて――。


「本当に、兄上も兄上だ。いつまでも部屋にいたきりで、周囲がなんと囁いているのかご存じなのか。全く、私から言わせれ……ぶァ!?」

「……なっ」


 ビターン! と、エイトから渇いた音がした。

 自分の尻尾の毛先が、エイトの右頬目がけて動いていたのだ。


 未だにシキに抱っこされながら、ふと天井を見上げて自分がしたことについて呑気に思案に暮れ……そして察した。

 ルシアの悪口ばっかり言ってるから、思わずエイトに尻尾ビンタをしてしまったのだと。

 ちらりと横に目線を移動させると、戸惑いと驚愕の色を滲ませたシキの両目とバッチリ合うが、次の瞬間にはエイトに向かって頭を下げていた。


「申し訳ございません、エイト様。大変なご無礼をお許しください」

「…………」


 エイトから返答はない。代わりに気まずい空気がどんどん濃くなっていく。


「……ふんっ、その小動物のおかげで興ざめだ。早く城の外に逃がして来い」


 シキが深く頭を下げているので、姿は確認出来ずエイトの声だけが耳に届く。それからすぐにエイトの気配が離れていく感じがした。

 シキが顔をあげると、既にエイトの背中が小さく遠ざかっていて、さしずめ米粒サイズとなっていた。


 シキはじっとエイトの後ろ姿を見捉えている。

 ……シキ、怒ってる?

 王子様に尻尾ビンタをかますという考えられない行動をしてしまった。あれって普通に考えたらかなりいけないことなんじゃ。


 今更胸に不安が募っていく。

 王子様に、尻尾ビンタ……。



「ほら、着いたぞ」


 いつの間にか、王城の門の外に到着していた。

 風を受けて束ねているシキの黒髪が、絹のようにさらさらと靡いている。

 シキは私を足もとに丁寧に下ろすと、自分もしゃがみ込んで耳が垂れたままの私の頭に手を置いた。


「どうした? 急に威勢がなくなったな。まさか、猫のくせに先ほどのことを気にしているわけじゃないだろうな」


 図星なんだけど、左右の門番さんが二人してこっち見てるけど私に話しかけていいのかな。シキって最初怖い人かと思ったけど、案外いい人だよね。

 私のせいで後でシキが怒られてしまわないか心配だけど、それは伝えられないし、うーん。


「……! 一体どうしたんだ?」


 私はシキの手首に自分の尻尾を絡ませて、左右に揺すった。さっきはごめんね、ここまで連れてきてくれてありがとう。

 伝わったのか定かではない。

 でもシキの表情はどことなく優しくなっていた気がする。


「さっきは、お前のおかげで助かったよ」

「ニー?」

「ほら、もう行くんだ。迷わないで帰るんだぞ」


 なぜお礼を言われたのか分からず首をかしげるが、シキは私が立ち去るのを待っているようだった。

 するりと手首から尻尾を離して方向転換。

 ここを一本道に下って行けば街へと出るらしい。


 街に降りたら、どうすればいいのだろう?

 まずは精霊を探して場所を把握した方がいいかもしれない。知らない土地ですでに心細くなりそうだったが、そうもいっていられない。

 どうにかして、精霊界に帰らないと! 父上だってきっと心配している!…………たぶん。


 無理やりにでも己を奮い立たせながら、トコトコと煉瓦道を進む。

 ちょっとだけ気になって後ろを振り返ってみると、まだそこにはシキが立っていて私を見ていた。

 嬉しくなって尻尾の先をシキに向かってふりふりと振ってみれば、とても驚いた顔をされる。そりゃそうだ。



 今だから思えるのかもしれないけど、精霊に転生して初めて出会った人間がルシアとシキで良かったな。





ありがとうございました。

ちょっと早く進みすぎてないか心配……。

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