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⒌ 無意識な精霊王(父)の戸惑い

※別視点です。




 精霊王ミケルは最近になって考え事が増えつつある。最近と言ってももう3年になるのだが、精霊は時間の感覚にはルーズであり、それが長い時を生きる精霊王ともなれば尚更3年など短いものだ。


 自分がいつから存在しているのかすらうろ覚えだった精霊王ミケル……そんな彼の周りがこの3年でわずかに変わった。

 それが――レイチェルの存在だ。



 レイチェルは3年前に番った末、精霊王の子としてこの世に意志を宿した。普段は隠れていて見えないが、レイチェルの胸毛の下には不思議な形の紋章がくっきりと浮かんでいて、これはミケルの額の紋章と全く同じものであり、次期精霊王の座を継承出来るという証でもあった。


 これまでにミケルには2人の精霊の子がいた。どちらも男で強い力を宿して生まれてきたが、力の性質は『炎』と『闇』の一つに絞られ『総精霊』ではなかった。紋章は体に浮かんでこず、なので3年前に再び子を作ったのだ。


 最初の2人は言葉を覚えて自分に力が付いてきたら早々と人間の地に降り立って行った。どちらともおそらく生まれて5年あたりで姿を消したと思う。それから数百年の年月が過ぎたが、一度たりとも再会した記憶はない。

 親愛関係の認知が低い精霊なんてのはそんなものだ。珍しくもなんともない。精霊王の自分と相手との間に生まれてきたわけなので何らかの繋がりはあるのかもしれないが、その認識は極薄い……いや、すでに無関係だと考えているに違いないだろう。


 ミケルもさして気にならなかった。自分の中ではもう済んだことだから。

 とりあえず自分以外の精霊から紋章が表れたので、『精霊王の紋章』を受け継がせるという己の役目は終わった。あとは時の流れに任せればいい。精霊王の継承は時が知らせてくれるだろう。



 ――そう、達観していたミケルなのだが。

 ミケルはたびたびレイチェルの扱いに頭を悩ませる時がある。この3年、本当に頻繁にだ。


 まず、ものすごく近寄って来る。

 気づけば転移術を使用して、自分の膝の上に座り込んでいたり、自分の顔を見て瞳を輝かせたりと奇妙な行動を取って見せた。

 コロコロとした猫に似た毛玉が膝の上に出現するたび、内心ではどうすればいいのか分からずフリーズしているミケルなのだが、それをレイチェルは知らない。


 はじめの1年は気にもしていなかった。

 精霊は何をせずとも成長していく。精霊界のような外敵が現れない場所なら穢れもなく、育つには申し分ない環境だろう。神殿に宿った風の妖精が『炎』の子と『闇』の子同様にレイチェルを気にかけているようなので、自分は干渉しなくともいい。

 と、ミケルは思っていた。


 レイチェルが生まれて2年。

 あいも変わらずレイチェルは1日に数回自分の元に近寄って来る……子が親に甘えるというのは、人間やある程度の動物になら芽生えている当たり前の感情であり、それ故の行為なのだが、ミケルにはその感覚が理解不能だった。

 なぜレイチェルが飽きもせず自分に構ってくるのだろうか? ――実はレイチェルが構われたくて起こしていた行動なのだが、ミケルには伝わっていなかった。


 しかし何度も何度も繰り返しレイチェルが自分の膝の上に現れるたびに、ミケルの心の中で全く新しい思いが芽生え始めた。


 ――悪い気はしない。

 そう感じていたミケル。

 しかしレイチェルに対しての言動に変化はなかった。本人もまだ、レイチェルに抱いた思いの理由に気づいていなかったからだ。


 レイチェルが生まれて2年目の精霊祭にてミケルの元に付き合いの長い精霊が訪れた。彼はミケルを前にして不思議そうに眉をひそめてこう言っていた。


『精霊界全体がお前の力で張り巡らされ過ぎている。お前に庇護されているようで居心地悪い』

 

 精霊王であるミケルにこんな物言いが出来るのは、彼ぐらいだろうが、その発言にミケルは心当たりがなかった。

 なので気のせいだろうと、適当にあしらってその年の精霊祭は幕を閉じた。



 レイチェルが生まれて3年。

 神殿の外に出て遊ぶことを覚えたレイチェルは、以前よりミケルのいる王座の間に通わなくなったものの(と言っても1日に最低1回は用がなくても顔を出してくる)、帰って来るときは必ず転移術でミケルの膝の上に戻っていた。

 何か言いたいことがあるようだが、レイチェルの口からは猫語しか出てこない。そろそろ言葉を覚えさせたほうがいいのだろうか。ふと思ったミケルは首をかしげる。


『炎』の子と『闇』の子は、1年と数ヶ月で言葉を覚え始めていたような気がするが……それも百年くらい前のことなので定かではない。

 だが明らかに自分に向かって何か言っているようなので、どう思っているのか聞いてみたいとは思う。


 たまにミケル自身の手でレイチェルを膝の上から床に下ろしてやることがある。

 触り心地の良い毛並みをしたレイチェルは、自分が人型を解いた時の毛並みとよく似ている。この何とも言えないふわふわとした柔らかさはレイチェルが勝っているが、毛の色などは近かった。

 姿かたちや大きさは全然違う。ミケルの人化を解いた姿はレイチェルの何倍もある。いや、この小さな体と比較するものじゃない。


 自分の体の大きさは置いとくとして、片手で簡単に体を持ち上げられてしまうレイチェルはまだまだ小さく、幼いのだと気付かされる。

 腹や肉球はふにふにと柔らかく、力を込めれば簡単に壊れてしまいそうで、あんな体で精霊界をウロウロして問題は無いのかと疑いたくなるほどだ。


 ――そう思うたびに、レイチェルの行動範囲を確認できるように精霊界に漂う己の庇護力が高まっているのだが、無意識でやっているミケルは悟ってすらいなかった。




 そしてある日、ミケルにとっての衝撃な事件が起こった。


 いつも通り精霊界を散歩し終えたレイチェルが、自分の膝の上に転移術を使い、王座の間から出て行ったあと。

 数時間ほどしてレイチェルは再び自分の元に転がり込んで来た。言葉通りだ。本当に頭からゴロゴロと回転して中に入って来たのだ。

 何事かと尋ねるミケルに、レイチェルは踏ん張るような声で「ちち……」「ちち……」を繰り返し唱えている。異様な光景であった。


 ちち……もしや乳のことだろうか。

 冗談抜きでミケルは大真面目にそうだと考えていた。人間の赤子には必要だと知っているミケルは、レイチェルもそうなのではないかと何となく思ったのだ。風の妖精に人間の知識を教えられ、自分も欲したのだと。

 ちなみにミケルは、一般的な人間の3歳児がとっくに母乳を卒業していることまでは知らない。



 己の発言に毛を逆立てていくレイチェルの姿に、内心不思議に思っていたミケルだったが、キッと睨みつけてきたつぶらな瞳は、自分に強く訴える。


 その可愛らしい声が、ミケルの耳に届いた。



『――ち、ちうえの、あほ!』


 

 レイチェルが、言葉を覚えていた。

 それも『父上』と聞き慣れない言葉を自分に向けて発している。ミケルの頭は数秒間だけ思考停止に陥っていた。

 思考停止中にレイチェルは玉座の間を逃げるように退散したわけだが、我に返ったミケルは何度も瞬きを繰り返していた。



「父上……?」


 自分のことだろうか。

 まずそこにピンとこなくて、また数秒間のフリーズタイムが入る。ミケルは自分が父親だという認識がまるでなかった。

 なぜレイチェルは自分を父上と呼ぶのだろう。いつも無表情である陶器のような美しさのあるミケルが、眉間に皺を寄せて深い考えの沼に沈む。


 レイチェルは確かに自分の性質を受け継いでいる。番いの末に生まれた存在だから、自分は父上と呼ばれたということだろうか。

 ずいぶんと人間味のある考え方をするのだと、ミケルはおかしく思った。一体どこからそういった考え方を身に付けてきたのかは知らないが。


 ……そうか、自分を『父』と認識していたから、レイチェルは近寄って来たのか。あれはミケルを構っていたのではなく、構われたいという気持ちの表れか。

 考えれば考えるほど、やはり変な捉え方をするなとミケルは思ったが、精霊にも愛情豊かな者は多くいる。自分は当てはまっていないだろうが、レイチェルは違うのかもしれない。


 そうミケルは結論づけようとするが、


「……父上、か……父上……しっかり、話せていたな」


 レイチェルの発言を思い返して、ミケルは干渉深く呟いてしまう。



 未だにミケルは自分で気づかないのだ。


 レイチェルに対する気持ちの正体が、いつの間にか『親心』のようなものになってきているということに。初めて言葉を口にした小さき存在を微笑ましく思い、同時に「あほ」と言われてダメージを受けていたことに。


 精霊の頂点に君臨する精霊王が、普段の無表情とは打って変わり、戸惑いを感じている。

 レイチェルが生まれる前は誰も想像つかなかっただろう。何せ現精霊王は歴代の中でも強大な力を持つ反面、親愛の部分が大きく欠落していると精霊の中でも有名な話だったからだ。

 無慈悲というより、関心が無いと言ったほうが正しく、人間と交流を深めようとも思わない。先代の精霊王は気まぐれで人間の地に降り立ち、自分の存在を知らしめたようであるが、それすらもする気にはなれない。


 それが、現精霊王ミケルだった。

 そんな彼が『父上』と呼ばれただけで戸惑っていたのだ。




「……? レイチェル?」


 顎に手を当て考え込んでいたミケルは、ふいにピクリと片眉を動かした。

 肘置きに寄りかかっていた体を起こして、何かを探るように目を瞑る。


「……!」


 事態に気づいたミケルは、カッと目を見開いた。

 その瞳にはわずかな困惑の色が伺える。

 もう一度目を瞑る、そして探る。


 ……ああ、だめだ、やはり見つからない。


「……レイチェル……!」


 先ほどから精霊界全体を隅々まで調べているのに、なぜかミケルにはレイチェルの気を感じとることが出来なくなっていた。

 ミケルはこの3年で初めて声を荒らげ、玉座から立ち上がった。周りを浮遊していた妖精たちもミケルの様子に興味津々である。



 ミケルが珍しく慌てていた理由、それは――その時レイチェルが精霊王の庇護下から忽然と姿を消していたからだった。





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