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⒋ 水の泡「ぱちん! ぱちん!」




 尻尾を巻いて神殿を出て行った私は、当てもなくぽてぽてと間抜けな足音を立てながら外を歩いていた。

 この体では遠くに行くのも一苦労ではあるが、父上がいる神殿に戻る気にはなれなかったのだ。


「落ち込まないでレイチェル」

「しょうがない、精霊王さまだから」

「でも父上って言えたね」


 後ろから付いて来る風の妖精たちが先ほどから慰めの言葉をくれる。そして付け足すように私のことを「でも精霊にしては考えが珍しいよね」と言ってくる。そりゃそうだ。人間よりの考えも私の中にはあるんだもん。

 自分の気持ちの表れなのか、毛が密集するふわふわとした尾の先がしゅんと垂れ下がっていた。気を失っていた花の妖精は、不規則に動く尻尾が気になるのか私のお尻あたりをぐるぐる飛んでいる。


「レイチェル、そろそろ帰ろう」

「神殿からどんどん離れちゃう」

「精霊王さまに叱られちゃう」


 叱られないやい。

 父上は私に無関心なのだから。

 叱ってくれるならいっそ叱られてみたいものだ。


「レイチェルそっちは泉!」

「危ない危ない!」

「帰ろう帰ろう!」


 意固地になっていた私は風の妖精の声は聞こえていたけれど、ひょこひょこ体を跳ねさせて前を進んで行った。

 辿り着いたのは、泉の滝と呼ばれる場所。

 草原から眺めていたときに確認できていた人魚の姿形をする水の精霊たちが気持ちよさそうに泳いでいた。風の妖精たちは知らないようだが、私は結構この場所にも足を運んでいる。水が近いからか、空気が澄んでいて心地よいのだ。


「あらぁ? レイチェル様〜」


 岸辺から離れたところで水の精霊たちの泳ぎを見ていると、私の視線に気づいた人魚の1人が飛沫をあげてこちらに近づいて来た。

 ぱしゃんと飛び散る水滴が、私の体にぽつぽつとかかる。わずかな量ではあったけれど、なんだか気持ち悪くて体を左右に揺らし水滴を落とした。ペロペロと肉球を舐め、岸辺に上半身を乗り出した水の精霊の人魚に視線を向ける。


「あらあらぁ、お水かけちゃってごめんなさいねぇ。ふふふ、それにしても相変わらず可愛らしい。胸の毛並みも精霊王様によく似ているわぁ」


 彼女は父上が人型を解いた時の姿を知っているようで、たまに話してくれていた。

 特に胸のモコモコとした毛の部分が似ているのだと言うのだが、いったい父上はどんな姿なんだろう。でも、私の方がふわモフだとこの水の精霊は褒めてくれるんだよ。くふふ。



「小さいお鼻ねぇ」

「……ひっ、ぷしゅん!」


 クスクスと笑いながら人魚は私の方に手を伸ばし、人差し指で優しく私の濡れた鼻を押した。それがくすぐったくてクシャミを数回連発する。

 それが愛らしいというように、人魚は私の喉元をちょいちょいと撫でる。心地よくて喉が勝手にゴロゴロと音を立てた。気持ちが良くてごろりと寝っ転がってしまうほど。

 体は正直だなー。きもちいいー!



 と、それから水の精霊は満足したように笑みを浮かべて、これから人間界に戻るのだと私に教えてくれた。


「数週間前からね? あたしの住んでいる泉に人間が押しかけて貢物を置いてくのよぉ。最近、泉の周りの大地が潤っていたから精霊が住み着いたってバレちゃったのねぇ」


 水の精霊は、まるでOLが愚痴をこぼすように人間界であったことを話していた。

 どうやら自分が住み着いているのをいいことに、人間たちが「是非ずっと居着いてくれないか」と交渉しに来たようなのだ。それが面倒くさくて水の精霊は、少しの間だけ精霊界に身を寄せていたという。

 彼女は人間を嫌っているわけではないが、だからといって人間の都合に巻き込まれるのも好かないらしい。

 でも、水の精霊が目にかけた土地の水は、普通の水と比べて質が断然違うという話だから、人間が頭を下げるのも分かる気がする。



「でもねぇ、そろそろ別の泉に移ろうかと思ってたのよぉ。最初から頼まれても無理だったのよねぇ」


 結構ドライだなぁと思いつつ、多くの精霊の大半は自由奔放なのだと生まれて3年で学んだ。


 ……でも、そっか。

 この人魚さんは人間の世界に戻ってしまうのか。

 少しだけ寂しい……。


 精霊界は、元々初代精霊王だけが住まう世界だったらしい。それが色々あって他の精霊も行き来できるようになったんだけど、その『色々』の中身を私は知らない。


 気まぐれや、水の精霊のように理由があって精霊が精霊界に訪れるときはあるものの、大体は人間界で安住の地を決めるのだという。


 だから普段の精霊界は静かである。

 精霊界が精霊たちで溢れかえるのは年に1度の『精霊祭』の期間のみ。その数日間だけは、精霊界も賑わっている。人間界に住む精霊が父上に会いに来る姿を私も見た。


 なんだか年末年始っぽい。

 そんな感想が頭に浮かんだのを覚えている。


 ま、そうだよね。

 ほとんどの精霊が人間界の自然の中に宿り生まれたんだから、人間の地に帰るのが当たり前……なのかな?

 ……もうよく分かんないや。



 でも、この水の精霊にも色々あるんだね。

 

 精霊の力を欲する人間。最近ではその力を己のものにしようとする輩もいるらしい。でも、そんな人間が発するオーラは穢れていて精霊も避けているんだって。それと精霊と心を通わせる『特殊な人間』も存在するのだと、風の妖精が教えてくれた。


 それは全部全部、他から聞いたこと。

 私は生まれてから人間界に行ったことはないし、見てもいないから実際どんな感じなのだろう。


 思えば私の世界は、まだこの精霊界だけなんだな。




 ━┈┈━┈┈━



「さぁて、そろそろ戻ろうかしらねぇ」


 ふいに、水の精霊は呟いた。

 気づけば泉を泳いでいた他の水の精霊の姿がなくて、彼女だけが残っていた。


 私が「もう行っちゃうの?」と言うように高い声でミーミー鳴くと、水の精霊は申し訳なさそうに頷く。先ほどの愚痴を思い出してか、彼女は少しだけこう付け加えた。


「あたし人間はどうでもいいけど、別に人間界が嫌いなわけじゃないのよ〜。だからレイチェル様にも早く人間界を見て欲しいわぁ。ああ、でも、今それはちょっと難しいかもねぇ」

「……?」


 意味深くにやりと笑った水の精霊に、私は小首をかしげた。私が人間界に行くのは難しいのだろうか。

 疑問が浮上したが、水の精霊を見ると既に消えかかっているところでギョッとした。……本当にもう行っちゃうの!? 早すぎるよ!


 水の精霊の体を纏うように、ぷくぷくとシャボン玉に似た水の泡が彼女を包み込んでいた。

 ……あ、もうまさに消えてしまう。

 そう予感したとき、彼女は最後にこう言った。



「精霊祭で戻るたびに感じてたけど、今回戻ってきて改めて思ったの。―――この3年(・・・・)で、精霊界に溢れ満ちた精霊王様の庇護力がとても強くなってるってねぇ。うふふ、あの方も変わられたわぁ。ご自分では気づいていないみたいだけど〜」


 ぱちん、ぱちん! 水の泡が破れていく。

 水の精霊はゆったりと手を振っている。



 水の泡がすべて消えたとき、そこに水の精霊の姿はなかった。


 ……今、なんて言ったんだろう。


 最後の水の精霊の呟きは、水の泡が破れる音のせいで私には聞こえていなかった。

 大切なことだったらどうしよう!



 ━┈┈━┈┈━



 水の精霊と話していたら、なんだが神殿での出来事が軽いものに思えてきた。飽き性なのは性質が猫に似ているからだろうか。それとも元々なのか。


 父上に「あほ」と言ってしまったのは心苦しいが、1日中動き回っていたから眠くなってきた。

 ……今日は自分の寝床に直接転移しよう。

 流石に父上の膝の上に転移術を使うという図々しさを持ち合わせていないので、今日のところは眠ってしまおうと無理やり結論づける。


 何か……お詫びのお花でも摘んでおこうかな。

 せめてもの貢ぎ物をと、私は泉の畔をちょろちょろ動き回って花を探した。

 お花で無かったことにしようとしているあたり、私の頭は3歳よりなのだ。



 くんくん、くんくん。

 あ、こっちからいい匂いが。


 泉の畔のぎりぎり水から離れた地面に、甘い香りのする青い花を見つけた。

 頭を突き出せば口で取ることが出来そうだ。


「……ググググ」


 お尻を高く突き上げ、間抜けな格好のまま花に顔を寄せる。どうしよう、余裕だと思ったけれど水面までギリギリだ。

 少し怖気づきながら、私は青い花の根本に鼻先を近づけた。


 ……もう少し、もう少し。

 あら? まだ届かない。


「レイチェル危ない!」

「離れて離れて!」

「早く早く!」


 ブワッ! と、後ろから強い風が押し寄せてきた。大きく身を乗り出していた私のお尻は、風の圧力で軽々と持ち上がってしまう。

 風の妖精が真後ろに近づいてしまったからだ。

 あの竜巻が私の体を押してしまったんだと理解するのに時間はかからず。



 目の前には透き通った水面が迫っていた。

 冷たい。

 そう感じたのは一瞬だった。




 


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