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⒊ 言葉ってむずかしい




 私が回廊を猛ダッシュして向かった先は、神殿の端っこにある書庫。

 まずは言葉を上達させようと思ったのだ。

 なぜか相手の話している意味は理解できるのに、自分で喋ることができない。それをまず無くさないと父上には歩み寄れない!


 簡単な単語が書かれた言葉の本を探し始める。しかし、大きな本棚では一番下の段しか見えなくて、頑張って後ろ足を立たせて上段を眺めようと試みた。


 ふらふらとした二足歩行は、呆気なく崩れてそのまま私の体は後ろにひっくり返った。

 ドシーンと、仰向けに倒れてびっくりした。

 自分の落下音が結構大きくて耳がぴくぴくと動いてしまう。

 上手く立てなかったから、当てつけに尾の毛先をバシバシ床に叩きつけた。猫って背中から落ちないんじゃないの……ひっくり返るのは違うのか。二足歩行ってむずかしい。


 仰向けに寝そべったままでいると、心配した花の妖精が頭上を八の字に飛び回っていた。蜂かな。

 自分で捕まえといてなんだけど、もう好きなところに行っていいよと動きで言ったつもりなのに、父上との会話を聞いたからか引っ付いてくる。ま、まさか……同情? そんなまさか。


 いそいそと状態を起こして、私は本棚を見上げた。

 うーん、できれば基本的な単語から載ってる本がいいんだけど。そもそも文字の読めない私がどうやって探し当てるというのだろう?


 自分の無知さに気づいて「……にぃ」と掠れた鳴き声が口から出てくる。耳まで垂れ下がってきた。



「あらあらレイチェル」

「なになにレイチェル」

「こまってる、こまってる?」


 途方に暮れた私の上から声が聞こえた。

 見上げると、神殿に住み着いている風の妖精がそこにいた。連れてきた花の妖精と違って、話すことが出来る風の妖精3人は小さな竜巻の形をしている。人型ではないけれど、話せるなんて不思議だな。


 風の妖精たちは私の鼻先まで近寄ってきた。

 うわっぷ! 竜巻に髭が巻き込まれそうだった!

 慌てた私の様子に近づきすぎたと気づいた風の妖精たちは「ごめんね」「髭を毟っちゃうところだった」と謝ってくる。

 髭を毟られるのはやだ。


「それでそれで?」

「レイチェルは何をしていたの?」

「教えて教えて」


 私は渾身の身振り手振りと、尻尾で本棚を指してどうにか言葉の勉強ができる本を探しているんだと伝える。「なうなう」と自然と口が開いて必死に分かってもらおうとした。


「言葉の勉強するの?」

「偉いね偉いね」

「任せて任せて!」


 つ、通じたーー!

 嬉しくて耳がひょこひょこ跳ねていた。


 しかし、風の妖精には通じるのに、なぜ父上には私の気持ちが通じないのだ。ちょっと口を尖らせる。

 何はともあれ、風の妖精が理解してくれたおかげで言葉の勉強に使える本が手に入るかもしれない。

 期待を膨らませ、尻尾をゆらゆら動かしながら私は風の妖精たちの姿を見つめた。


 3つの竜巻は、あまり時間をかけず私が求める本を見つけ出してくれた。きつく収まった本をどう取るのか心配になったけれど、その心配は杞憂だったようで、器用に己の竜巻の風を利用して1冊の本を引っこ抜いた。


「一番わかり易いの!」

「あったあった!」

「これこれ!」


 風の妖精たちは嬉しそうな声で、私の足元に本を置いた。薄めの本で、ところどころ汚れてはいるけれど読むのには問題なさそう。

 ちょん、ちょんっと前足の先で本に触れてみた。

 少しだけドキドキする。匂いも嗅ぐ。

 うん、普通の本の感触だった。当たり前だ。あと少しだけかび臭い。


「レイチェルめくれる?」

「そのおててじゃむずかしそう」

「じゃあめくってあげる!」


 開こうと試す前に、親切な風の妖精たちはまたもや器用に本を1ページだけめくった。

 私も風の力があったら、今みたいにできるかな?


 よく分からないけれど、私は力によって分類される精霊と違って、特定の性質を持ってないらしい。火の精霊とか、風の精霊とか、水の精霊とか。私は何々の精霊とは分類されない。

 もし名を付けるなら『総精霊』らしい。

 なぜそんな名前なのかというと、それは私が精霊王の特質を遺伝したからなのだろうと妖精たちは言っていた。ちなみに、私が知っている精霊のあれこれはほぼ風の妖精が教えてくれたものだ。この竜巻3つがいつも私に分かるように説明してくれるおかげで、父上に放置されていても精霊のことを知ることができたのだ。


 思えば風の妖精たちは妙に私の扱いに慣れてるような気がする。なぜだろう。


「まずは“あ”からだね!」

「こんな発音!」

「それでこう書くの!」


 風の妖精たちは解説を始める。

 日本語に似ているが、言葉にするとまるで違くて、舌が上手く回らなかった。

 「にゃあ」と鳴いているのだから、『に』と『や』と『あ』くらいは喋れるんじゃないかと思ったが全く違う。この世界の言葉というのは日本語より厄介だ。生まれた時から聞き取ることができたのが救いだよ本当に。


「にゃ……グルル」


 『あ』で苦戦する中、私はふと気づいた。

 まずはじめに覚えたい言葉があったことを。


「レイチェル?」

「どうしたの?」

「教えて教えて」


 風の妖精たちはまた察してくれた。

 ようし、これなら……。



 ━┈┈━┈┈━



 ドタバタと、忙しない動きで私は王座の間に続く回廊を走り込む。未だに花の妖精は私の頭の毛に埋もれて離れておらず、お尻のあたりには竜巻が3つ、風の妖精たちが付いてきていた。

 こころなしか走るスピードが早い。

 風の妖精が押してくれているからだろう。

 押してくれてるのは嬉しいんだけど、慣れなくて足がもつれて床に頭をぶつけるの、これで三回目だからちょっと加減して。


「にー!」


 また転んだ。いててっ。

 そしてそのまま一つの部屋にゴロゴロと転がり込む。こんなアグレッシブな動きで回転する猫なんてそうそう居ない。


 全身毛で覆われているおかげでそこまで痛くはなかったけど、乱れてしまった毛を整えたくて尻尾がうずうずしてしまう。

 いいや、でもその前に。


「…………レイチェル?」


 父上の声が聞こえた。よいせよいせと急いで振り向くと、そこには玉座に座った父上がいた。さっきと体勢変わってないけど、父上ちゃんと動いてんの?

 どうやら転がり込んだのはちょうど玉座の間だったらしい。

 勢いよくゴロゴロと回転して入ってきた私の姿に、父上は細く目を開けて片眉をピクリとあげている。しかし私がこんな登場をしてきても父上は動じていなかった。


「レイチェルがんばって」

「さあさあ!」

「今がそのとき!」


 後ろから竜巻3つが応援してくれる。

 花の妖精は……あれれ、私が頭から転んだせいで気を失っているみたい。毛に埋もれて動かなくなっている。

 悪いことをしたなと思いながら、私は父上の足元まで近寄った。じっと見上げると、父上もじっとこちらを見下ろしている。


 私はそんな父上の膝にぴょんっと飛び乗ろうとすると、少し高さが足りなくて、落ちそうなところを父上のシルクの布みたいな服に爪を立ててよじ登ってしまった。「やべっ」と思いながら恐る恐る上を向くが、無関心なのか気づいていないのか、父上の顔色は変わらない。



「レイチェル、何か用事か」


 珍しく、父上は言葉をかけてくる。

 いつもは膝の上に乗っていても目をつむったりしてるのに。嬉しくなって喉がコロコロと音を鳴らした。

 本当は擦り寄りたい気持ちだが、鬱陶しいと思われたらショックなので大人しくお座りをする。


「……にゃ……ん」


 父上の顔を視界に収めながら、私は先ほどの書庫で特訓した成果を発揮しようと試みた。

 うんん、父上が見てるから緊張してきた。



「ち、ちち……ぅ、ちち」


 父上に「ちちうえ」と言いたい。

 そう風の妖精に身振り手振りでお願いして、さっきまで練習していた成果を……いざ!


「ち、ち」

「レイチェル」


 父上は何かピンときたのか私の声を遮ると、


「精霊に乳は必要ない」

「……!?」


 一瞬だけ「何言ってるんだこの男」と冷静に考えてしまった私は、父上の言いたいことに気づいて心の中で声をあげた。


(ちちって、その意味じゃない!!)


 どうやら父上は、私が乳を必要としているのだと思ったらしい。そんなアホみたいな捉え方があったのかと呆れてしまう。

 頑張って父上と言おうとしたのに、気づいてもらえなかった私は、ふつふつと感情が湧き上がる感覚がした。少し離れて見守っていた竜巻3つが残念そうに萎んでいる。本当に残念な結果である。

 ああもう、本当に……。


「……レイチェル?」


 私の異変に気づいた父上は、傾けていた頭をそっとあげてこっちに注目していた。

 私はキッと父上を見上げて、腹の底から息を吸い込むと、


「――ち、ちうえの、あほ!!」


 シャー! と毛を逆立て、私は父上に向かって声を張り上げていた。さっきまで上手くいかなかった舌遣いが驚くほどに滑らかに、ついでに「あほ」まで付け足して。


 ウワーン! ちちうえのアホンダラ!


 胸毛と尻尾の先がボンッ! と爆発したように逆立った。分からずやな父上の膝から飛び降りた私は、ゴツンと床に頭を打ち付けながらも風の妖精を引き連れて王座の間から出て行った。言い逃げである。

 思えば子が言葉を話そうとして、そして話したのに父上は固まったままいつものように無表情で、褒めてもらいたいと下心があった私は恥ずかしくなった。


 はたして父上は私の年齢をご存知なのか。

 それも乳て! ひっどいな!



「……」


 バタバタと荒々しく音を立てて出て行った私は、気づいていなかった。いつも無関心無表情を極めているあの父上が、その時だけはきょとんと目を丸くしていたことに。


 父上の様子の違いに気づいていたのは、後ろを付いてきていた風の妖精だけだった。





 

 


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