⒈ 私は、
私には前世の記憶がある。日本人だったころの。
名前とか、そういうのは薄ぼんやりとしているけれど、父子家庭で上に兄が3人いたのは覚えてる。
私は一番末っ子で、しかも待望の女の子だったということもあって可愛がられていた。
兄たちは私の自慢で、優しくて、かっこよくて、そんな人たちと一緒に育った私は立派なブラコンに成長した。お兄ちゃん大好き。
けれど、私が高校に進学する頃には長男と次男はもう成人して仕事に忙しくなり、三男は地方の大学で一人暮らしを始めてしまった。
ずっと会えないわけじゃなかったけれど、昔より共にいる時間が減ってて、ブラコンとしては寂しいの一言である。
ここまでで何を言いたいかというと、前世の私はお兄ちゃん大好きっ子だったらしいということ。
そして、高校卒業が間近に迫ったある日、交通事故で死んでしまった私はその日、久しぶりに兄たちと会う約束をしていた。
せっかちな私は逸る気持ちを抑えきれず、横断歩道のない道路を渡ろうとして、トラックに轢かれたのだった。
――最後に映ったのは、赤い色。
ごめんなさい、お兄ちゃんたち。
ごめんなさい、お父さん。
ごめんなさい、トラック運転手さん。
ウワーン!! ごめんなさい!!
で、そんな人間だったという記憶があるまま、私が別の世界に生まれ落ちた話。
━┈┈━┈┈━
私が暮らすこの場所は、年中星が降っている。
ただの夜空ではなく、日によって青みが強かったり、赤みが強かったり、まるでオーロラのようで暇さえあれば天体観測をしていた。
ここは精霊界。
精霊王が創造した、人間が住む世界とは全く異なる場所。
遠くには泉の滝がある。遠目からなのではっきりとは見えないけれど、水の精霊たちが楽しそうに遊んでいる。自分が寝転ぶ草原に咲く花の蕾をじっと注目していると、小さく淡い光の粒がふよふよと隣の花に飛び移った。花の妖精だ。
小さいものがチョロチョロ動くものだから、ついつい体がうずいてしまう。聞き耳を立てて尾をゆっくり揺らし、体を縮めて後ろ足をにじり、お尻を左右にふりふりして、狙いを定めた花の妖精が休んでいる蕾に飛びついた。
ピューー! 慌てた動きをして、花の妖精はどこかに飛んでいってしまう。捕獲失敗である。
捕まえられなかったことが悔しくて、自分の尾の毛先がだんだん地面を打ち付けた。
おしい、もう少しだったのに。
小粒を目で追うのが早々に飽きた私は、前足をペロペロと舐める。
その流れで耳をくしくしと掻いて、大きく伸びをした。
「にゃ……」
ふう、と一息つく。
自分では「ふう……」と言っているつもりなんだけれど、おかしいなあ、口からは高い鳴き声が漏れている。
生まれ変わって早くも3年。
この体に生まれて、今は齢3歳。
全身紺色の艶ふわ体毛に覆われ、獣耳の四足歩行――傍から見れば、猫にとても近い姿をしている。
自分の前世は日本人。
そんな私の今世はというと、猫でも人間でもなく、人間の間で尊き存在と言われている『精霊』として生まれ変わった。
全体的に量の多い黒っぽい紺色の毛並みと、キトンブルーの瞳、普通の猫よりも大きめな耳は体の部分で一二を争うほどふわふわと柔らかい。胸毛と尾の先っぽは毛が集中していて量が多く、ここも体の毛の中では自慢の撫で心地である。チャームポイントは前両足の毛が靴下を履いたみたいに白いこと。自分で言うのもなんだけれど、愛嬌のある顔をしていると思う。
こんな猫みたいなのが精霊? と前世の記憶がある私は生後1歳の頃に思ったけれど、れっきとした精霊らしい。
胴体の大きさは20センチくらい。尻尾は15センチかな。未だにコロッコロとした見た目。3歳だから?
「……!」
と、そこでどこかに消えていた先ほどの花の妖精がまた現れた。懲りずに遊ばれに来たのか、しめしめ。
ちょこちょこ動き回る小さな物体に心が踊り、私はまた花の妖精が止まったコスモスのような花に飛びついた。
なんと、今度は見事口でキャッチ。
妖精にも姿形は色々あるけれど、私が捕まえたのは本当に淡い光の粒といった感じ。噛み付いた感触はぷにぷにと柔らかい。私はご機嫌になって歩き出した。
生まれ変わってからの発見。
前世の私は18歳ぐらいの年齢だったけれど、意外と私の精神は幼いままだった。誰にも言ったことがないから分からないけれど、精霊としての3歳の精神が寄っているんだと思う。
そんでもってこの姿形のせいで習性がかなり猫っぽくなっているので、動くものにはうずうずしちゃう。最初はなんだか複雑だったけれど、年月が経つとある程度どうでもよくなってしまった。
てってってっ。
しばらく歩くと、景色が変わり始める。
緑の草原から、周囲の至るところに雲のような白い物体が浮いた場所にたどり着いた。それは道になっていて、それを辿って行くと神々しい螺旋階段が見えてくる。
私はぴょんっと、螺旋階段に飛び乗った。
すると体は優しい光に包まれて、シュッとその場から消えたのだった。
「……レイチェル」
目を開けると、そこには美青年の顔があった。
とっても綺麗で、なんだか眩しくなってくる。陶器のような肌と端正な顔立ちはまるで美術品のようで、さらりと揺れる紺色の長髪はラメでも練りこまれてるんじゃないかってくらいキラキラしていた。
これぞ恐れ多くも魅入ってしまう美しさである。
「ニィ」
ちちうえ!
そう言ったつもりだった。
そう、この人は私の父上である。
「また、我の膝の上に転移術を使ったのか……」
ふう、とため息を吐く父上だけれど、顔は全くの無表情だった。怒っているのは呆れているのか、感情の起伏がまるで分からない。
「……なぜお前は、我に構うのだ?」
「ニィ」
“ちちうえ”だからです! ちちうえ好き!
私の口からは猫語しか出て来ず、意味が分からなかった父上は無表情のままだった。
「……早くお前も、言葉を話せるようにせねばな」
父上はまた小さく息を吐いた。
あまり触れようとせず、最低限の接触だけで私を床に下ろした父上は、肘置きに右肘を乗せ、頬に手を当てると目をつむってしまった。まるで私には無関心。雰囲気からはそうヒシヒシと伝わってくる。
「……ニャー」
父上、と。呼んでみる。
しかし反応は何もなく、私は諦めてとぼとぼと父上から離れた。
私が螺旋階段から一瞬で転移した先は、精霊界で最も神聖な場所とされ『精霊王』が住まう場所である。
不思議な造りをした神殿は、おもに精霊王だけしかいないのだが……たまに例外もあったりする。
それが私という存在だ。
私は父上の……『精霊王』の子なのだ。