その3
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この世では熟した果実だけが選ばれる。青い実には特に何の意味はない。大人たちは勝手に果実に美味しくなれと期待を込める。そして、期待通りに育たなかったときに嘆くのだ、こんなはずではなかったと。僕らの世界は選別作業の連続だ。選別して選別される。あいつは好き、あいつは嫌い。自分のこれからの活躍を祈られ、桜が咲き、受け入れ先がないと叫ばれるのだ。なんということだろうか、受け入れ先があればこの子も助かったのに!残念!
彼はそう思い、シニカルに笑みを浮かべる。そんな現代社会だからこその青い果実のためのサナトリウムが必要なのだと彼は脳内で主張する。しかし彼にとっては学校は違った。あれも一つの選別所だと、大きいモノを大きい所に小さいモノを小さい所に追いやるためのものだと、彼は心の中で叫ぶ。サナトリウムは違う。そう、それはもっと――。
「山田君ってさ、友達いなさそうだよね」
考えこんでいた山田は彼女の声に我に返る。雨音は意地悪そうな笑みを浮かべて、彼を見つめた。
「普通に友達ぐらいいますよ」
「何人いるのさ?」
「……そりゃ、たくさん」
「あー、今考えてたね。 友達の数を数えてたね。 あいつは友達と言っていいのだろうか、どうだろうか、そもそも友達の定義とはエトセトラエトセトラ」
「そんなに一瞬で考えられませんよ、スポーツ漫画の登場人物じゃないんですから」
自嘲気味に山田は笑って見せる。自分自身が本当になにかの登場人物だったらよかったのだ。そう思い、山田はため息をつく。もし、漫画かなんかのキャラならば、誰かが代わりに考えてくれる。自分じゃない神様が答えを示してくれる。そうだったら、進路希望調査の紙一枚にこんなに悩まされることはないのだろう。
「ため息なんてついちゃって。 高校生のうちからため息が板についていたら、これからもっと苦労するよ」
「そんなに様になっていましたか?」
「うーん、六十点ぐらい?」
大学の授業だったらギリギリ単位をとれている点数だ。山田は苦笑する。
「友達で言えば雨音さんは多そうですね」
「そりゃピカピカの美女大学生だもの、すごい多いよ、むっさ多いね」
そうケラケラと笑う天音の瞳はどこか遠くを見ているようだった。そして一瞬、彼女の表情が曇ったのを山田は見逃さなかった。
「だから、ちょっとだけ山田君が羨ましいかな」
「いや、友達いないことを肯定してませんけどね」
「アメリカンジョークさ」
雨は鳴りやむことがない。風に誘われてはいってきた雨粒が乾きかけのズボンへとしみこんでいく。。
「山田君はさ、何を演じている?」
「演じている?」
「そう演じるの、私たちはさ、強いられているんだよ」
「よくわからないですけど、強いられているって、誰にですか?」
「誰にって、そりゃ社会とか、世の中を渦巻く陰謀とかさ、自分とかに」
「自分って……。 でもちょっとその考え方わかる気がします」
「わかるなら答えてよ」
「……」
「駄目だね山田君。 女の子が答えを求めているときは、そっと抱き寄せて、『……君だよ』って囁かないとさ」
「一体、なにの話ですか……」
おどけて見せる彼女の調子を、山田はどうにも掴めなかった。真面目な話がしたいのか、ふざけたいのか、フワフワと話を変えていく様は、まるでいつも眺めている雲みたいだ。山田はそう思い、空と女性というものは本当に似ているものなのかもしれない、とシニカルに笑みを浮かべた。
「そうだね、生き方の話かな」
雨音は真っ直ぐな目で山田を見つめる。黒色の煌めく瞳は、覇気のないどんよりとした目と、その視線を退かせる。
「生き方はいつも一緒ですよ。 子供のころからずっと一緒。 普通です、平凡です、往々ですよ」
彼は目線を泳がせながら自嘲気味に口元を歪めた。
山田の生き方はいつも一貫して普通だった。学力も普通、運動神経も普通。何も目立ったものはなく、できる範囲の努力をし、できる限りの目標へといつも進んでいた。それが普通のことだと彼は思っていたし、周りもそれが普通だと思っていた。
だけどそうやって彼が普通に生きているうちに、周りはいつの間にか無理難題に果敢に挑み始め、本気で燃え上がっていたのだ。部活動や受験、普通の高校生が打ち込むものは十二分に溢れていた。
しかし、そんな環境においても山田には本気、と言うものはなかったのだ。つまり、燃え上がるような何か、粗削りでもキラリと光る何かがなかった。悪く言えば、彼の全てが中途半端だった。山田には本気で挫折した経験がないのだ。
「THE・平凡って感じですよ。何もないんですよ。17年も生きていたら何か一つぐらいドラマがあったっていいじゃないですか。 僕にはそれがないんです」
山田は吐き捨てるように言う。彼の光のない目がさらに濁り始める。
「帰宅部ですし、その割に頭良いわけではないし、趣味も何もない。 打ち込めるものも何も持っていない。 みんなが言うところの本気がないんだ。 いつだって冷めたままで……」
濁った眼で、彼は雨音を見つめる。眉のひそめられた山田のひきつった顔は、雨音の肩を竦めさせる。
「僕は、あなたみたいな青春の権化なんかじゃないんです。 なれないんです。世界が違うんです。 ……人間の種類が違うんです」
吐露していく山田の声を雨音はただ静かに聞いていた。
「僕は、雨音さんみたいな人が嫌いなんですよ。 あちら側の世界に住んでいるくせして、僕とは違うくせして、するっと心の内側に入り込んでくる。少ししか話してないのに、 そうやって毒みたいにせっかく作った壁を壊していく。 怖いんですよ、触れられたくないのに、どんどん惹かれていくのが。 怖いんですよ、あなたが。 自分がみじめに思えるから関わりたくないんだ!」
雨のように彼は激しく言葉を吐き出した。何がきっかけだったのかも、彼自体に判らなかった。た抑えきれない苛立ちが激しく胸を掻きむしるのを彼は感じた。
「初めて面と向かって嫌いって言われちゃったなぁ……」
目を伏せ、雨音は髪を触った。その様子を見て、山田は不安に感じた。それと同時に焦燥感とどうしようもない後悔が彼を責めたたせる。
また、傷つけてしまったのではないのだろうか、会って数十分の人間になんてことを言ってしまったのだろうか。彼の脳裏に昔の光景がフラッシュバックする。
そんな風に、胸の中で渦巻く呵責感と自己嫌悪で彼はまともに彼女の姿を見ることができなかった。
寒くもないのに彼は震え、怯えていた。生まれたての子犬のように弱弱しく、悪意におびえるのだ。
いつの間にか、雨は止んでいて、雲の切れ間からは太陽の光が差し込んでいた。灰から輝きだす景色も、彼ら二人の目には入らなかった。
沈黙が続き、それに反発するように山田はベンチの上の鞄を手に取る。多分二度と雨が降っても自分はここに来ないだろう。そんな決意を胸に、山田はぬかるんだ土へと足を進める。
乾いた靴に再び泥が付着していくの彼は感触で感じた。
「山田君!」
彼の背に向かって、雨音は叫ぶ。花壇の花が雨粒をため込んでいるのが、山田の風景の中でとらえられる。
「こっち側の人間はね、みんな天国を持っているんだ。 そこで自分だけの神様にお祈りするの。 私はさ、同じように天国を信じることがしんどいんだ。 自分っていう神様がいないの。 いつも空祈りなんだ」
「……訳が分からないですし、優しく声を掛けないでください、僕には耐えられません」
「私たちには天国がないんだ。 だからこんなに苦しい」
「何の話か分かり――」
「――私たちの話だよ。私たちってさ、結構似ているんだよ」
「似てなんかいませんよ、住んでいる世界が違うのですから」
「そうかもね、でも私たちは悩んでいる。 私はみんなに合わせることが、山田君は皆に合わせられないのが苦痛になっている」
「……全然違いますよ、根っこの部分が」
「私はさ、山田君と一緒に雨宿りするの、楽しかったよ。 また、一緒に雨宿りしたいね」
雨音はニコリとほほ笑んで言うが、山田は振り返らないままに帰路へと向かい始めた。
嫌いと面と向かって言ったのに、嫌いじゃないと言われた。山田にはその事が怖かった。底知れない恐怖が喉の奥でつっかえているような気がした。その反面、あんな風に人に優しく振る舞いたいと、彼女への憧れを胸の奥で感じた。




