その1
窓際の席というものは良い、山田はそう考える。どこまでも続く初夏の青い空に彼は見惚れていた。入道雲は白くうねり、青いキャンバスにその存在感をアピールする。
今日も山田は頬杖をついて空を眺める。もちろんホームルームの連絡などは耳に入っておらず、彼はただ宙に思いをはせた。
別に特に深いことを考えているわけではない。単なる彼の癖、習慣のようなものだ。いつも思考を放棄して雲の行く末を見守っているか、今日の夕飯は何だろうか、と考えている。はたまた、鳥になりたいな、なんて誰でもが夢見るようなことを思っているだけである。
しかし、いつも上の空な山田にだって悩みがあるのだ。
「やまっちゃんやまっちゃん、進路、どうするよ?」
人懐こく彼に向けられる声により、山田の心は空から現実世界に引き戻される。
「……ごめん、聞いてなかった。博、もっかい言って」
そうやって彼が素直に謝ってみせる。すると、博と呼ばれた男子はからからと笑った。
「やまっちゃん、また空を見てたんでしょ。 本当飽きないよね」
白い歯を見せて山田に笑いかける。博は短く切られた髪の毛をガシガシと掻いた。
「博、髪切ったんだ」
「そうなんだ、大会近いから気合い入れるのもかねて。 でも、こんなに短くしたのは初めてだからまだ慣れないや」
山田はひとしきり彼の姿を眺める。
「いいじゃん、似合ってるよ」
その言葉を聞いて、博は嬉しそうに微笑んだ。博の目は笑うと猫のように細くなる。山田は見せる人懐っこさを見て、彼のことを猫っぽいなと思う。
「でさ、やまっちゃんは進路どうするの?」
「……まだ考えてない」
山田は言う、考えてないと。しかし彼はまったくもって未来を考えていないわけではなかった。
将来、自分は何をしていて、どこにいる。そんなビジョンを彼は思い描けなかったのだ。考えど考えど、彼にはなにも望みがなかった。自分が何をしたいか、何に成りたいか、まったくもってわからなかったのである。
二週間ほど前から告知されていた進路希望調査、おのおのが自分の考える未来を配られた紙に記入する。高校生のうちから見える未来なんて安っぽいモノではないだろうか。狭い世界、狭い自分でさえ見える将来、そんなものは小さい夢ではないだろうか。何も思いつかない山田は言い訳がてらにそう心で唱える。
彼にとっては、きちんと自分の進みたい方向を見れているクラスメイトが羨ましかった。いつも感じていた、自分とは違う世界の住人との決定的な差はこの進路希望一枚が示しているように感じた。まるで、もう一つの世界へのチケットである。
「よかった、やまっちゃんもまだ考えていないんだ。 僕もなんだよ、どこの大学に行こうとか何を学ぼうとかそういう具体的なところが全然でさ――」
違う世界の住人である博が山田の前で胸をなでおろす。
「博ならすぐに見つかるよ」
山田は感情の入っていない笑みでそう言うが、博はそれに抗議する。
「やまっちゃんこそすぐに見つかるよ。 昔からやまっちゃんはマイペースだけど自分のやりたいことははっきりしてるじゃんさ」
そうだな、と山田は乾いた唇を動かした。
ハッキリしているのはどっちなのだろう、と山田は思う。
ただダラダラと日々を浪費する帰宅部部員である自分と、、部活に打ち込みキラキラとした汗を流す博、ハッキリしているのはどう考えても博の方である。
「ねぇ、やまっちゃん。最近あれ、作ってないよね」
「前やった時に怒られたからな」
「そっか、そうだよね、うん」
博は納得したように頷いて見せる。本当、博の顔は子供のころから変わり映えのしない。そんな彼に山田は安息感を感じるとともに、ある種の劣等感を抱いていた。
「博、お前の彼女、運動場から呼んでるぞ」
窓の外には運動場が広がっていて、それに沿うように校門への道がある。その道の真ん中でポーニーテールの女の子がこちらに向かって両手を振っていた。
「えぇ、舞彩ちゃんはそんなんじゃないんだけどなぁ」
照れたように言いながら博は窓から顔を出す。
「今行くよ!」
「……でもさ、博は楫浜のことが好きなんだろう?」
「今はさ、部活一筋だから」
博は爽やかに微笑んで言う。短髪が夕日の逆行を受けてキラキラと輝く。
運動場へと足早に駆けていく博に手を振りながら、山田は少し考える。
これからのこと、これまでのこと。昔からの友達である博のこと。楫浜のこと。そして、自分のこと。
何かを求めて考えたわけではない。何かのために考えたわけではない。これらは全部、暇つぶしだ。生きることなんて死ぬことまでの暇つぶしだ。山田はため息をついた。
あちらの世界から逃げ先を求めて、彼は外に目をやる。そこには楫浜と楽しげに笑い合いながら歩く博を筆頭に輝いた人々でいっぱいだった。一人で青空の下の暗い教室で考え込む自分とはえらい違いだと、山田は自嘲する。
そんな彼の心を映してか、空には先程までと打って変わって、灰色の暗い雲が広がり始めていた。




