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小麦の短編集

浦島太郎

作者: 小麦

「……疲れた」

 俺はスーツ姿で海岸沿いの道を歩きながらそう呟く。俺の名前は海野太郎うみのたろう。あだ名は名前から取って浦島うらしまと呼ばれている。海の太郎だから浦島とは単純だが、俺自身こんな名前に生まれたせいで自己紹介には困らないし、合コンの掴みはバッチリなので割と気に入っているくらいだ。もっとも、その後の会話が続かないのが難点なのだが。

 ちなみに今の俺は就活の帰り、駅から歩いて家に帰る途中である。生まれ持った会話力が貧弱だったおかげで厳しい就活戦線を生き残ることはできず、十月も終わりに差し掛かろうとしているのにまだ内定は0である悲しい現状だ。俺自身そろそろまずいのではないかと半分焦り始めている。

「おい、何だこの亀?」

「ちょっとつついてみようぜ」

 とこんなことを考えていると、隣の砂浜の方から何やらそんな声が聞こえてくる。

(何だ何だ?)

 気になった俺は革靴に砂が入るのも気にせず、砂浜の方へと向かう。そこに着いた俺は、人が乗れそうなほどの大きな背中の亀が高校生二人に遊ばれている現場を目撃した。

(……おいおい)

 その遊ばれ方が尋常ではなかった。というのも彼らはどこで調達してきたのか持っていたフリル付きの布を亀に巻きつけ、

「おいこいつ結構美人なんじゃないか?」

「リボンもつけてみよーぜ」

などと言い始めたからだ。

(正気かよこいつら)

 さすがの俺もドン引きである。亀萌えなどというジャンルは聞いたことがない。できることなら関わりたくないところだ。しかし、かといってこのまま放っておくのも亀がかわいそうだ。俺はいろいろなものを天秤にかけ、

「あの、すみません。それうちの亀なんですよ」

亀を助けることにした。だが、

「こんなでかい亀あんたの家で飼えるわけないっしょ」

「マジヤバいわー」

高校生たちはもちろん相手にすらしてくれない。もっとも、俺もあの程度の言い訳で世間知らずの高校生たちをどうにかできるとは思ってないので、作戦は第二プランに移行した。

「うおおおおお!」

 俺は手近にあった棒を掴むと、高校生に襲い掛かったのだ。

「うわっ!」

「何だこのおっさん危ねえ!」

 高校生は俺の振り回す棒を避けながら一目散に逃げて行った。

(……おっさんはねーだろ。てめえらと年五つくらいしか変わらねーっての)

 俺は粉々に砕かれたメンタルのまま亀の方を見る。が、亀は亀で驚くべき行動を起こしていた。

(こ、こいつ……)

 亀は立ち上がるなり手慣れた動作で巻きつけられた布をはがすと、

「はー、また竜宮城連れてかなきゃいけねーのかよ」

やる気のなさそうな口調で俺の方を向いたのである。

「あんた、名前は?」

「……俺?」

「あんたしかいないだろここに。で、名前は?」

「……う、海野太郎です」

 亀のあまりの気迫に押された俺は、そう自己紹介をする。いつものように冗談を言いながら自己紹介をしている余裕すらなかった。俺の唯一のコミュニケーションすら、目の前の亀に奪われてしまったのである。

「あんた、大昔にうちに来たって話がある浦島太郎とそっくりな名前してんな。まあ、その割には頼りなさそうな奴だが……」

 亀は俺に向かってそう言いたい放題のことを言った後、

「いいやしょうがねえ、俺を助けてくれたお礼に竜宮城に連れてってやるから背中に乗れよ」

そんな風なことを言いながら自分の手で背中を指差した。

「えっ、いや、俺今就活の帰りで……」

「今帰ったら竜宮城行けなくなるけどいいのか?」

「いや、でもスーツが……」

「あーもうそんなの向こうで何とかしてくれんだろ。早く乗れよ」

 亀はそう言うと俺の体を器用に後ろ足で跳ね飛ばすと、無理やり背中に乗せる。

「んじゃ、人間様お一人ごあんなーい」

「ちょ、まだ俺は何も……」

 俺の言葉など聞くこともなく、亀は海へと進んでいった。



「もがごごごご!」

 だが、俺は亀の背中に乗ってしまったことを海に入って数秒後に後悔することとなる。

「ああ? 何言ってるか聞こえないんだけど」

「もががぎぎご(息苦しいんだけど)!」

「……ああー、そういえば人間って確か海の中じゃ呼吸できねーんだっけ。んじゃ、少し速く移動するからしっかり捕まってろよ」

「もがごごご(ふざけんな)!」

 だが、俺が何をしゃべっているのか分からない亀は、首を傾げながら最高速度で竜宮城へと向かったのだった。



「おい、起きろよ」

 どのくらい気を失っていたのだろう、亀の言葉で俺は目を覚ました。

「ここは……?」

「ここが今の竜宮城だよ」

 海の中なのに呼吸のできる空間、置いてあるゲートの上の文字、どこを取っても間違いなく俺の知る竜宮城のはずだ。だが、俺はここを竜宮城とは認めたくなかった。

「いや、だってここ……本当にここは竜宮城なのか?」

 そのゲートの文字はすでに煤だらけであり、お世辞にも人がいる気配はなく、ただ静けさだけが辺りを支配している、まさに静寂と言った言葉が似合う場所だった。

「お前の気持ちも分かるけどな。ここも今じゃずいぶんとさびれちまったもんだぜ。何でも聞いた話によると、浦島太郎が帰った後には乙姫様が荒れに荒れたらしい。心優しく送り出した後は寂しかったのもあったんだろう。その巻き添えを食った俺の先祖の亀はやむなく追い出されたらしいからな」

「……おいそれ大丈夫なのかよ」

 俺は亀の方を不安そうな目で見る。

「まあ今は乙姫様をアルバイト形式で雇ってるらしいからあんまり心配ないらしいけどな。ほら、よくCMやってるだろ。就職サイトの」

「あのマ○ナビか?」

「多分そうだ。そういやお前就活中だったな」

 マイ○ビと言えば俺もよくお世話になっているサイトだ。就活生がまず最初に目にするサイトの1つがこのサイトだろう。

「……今度は逆の意味で心配になってきたぞ」

「まあ、ちゃんと厳正な審査で選ばれたお姫様にふさわしい女性が働いてるらしいから心配ないと思うけどな。あ、ちなみに落ちた姫の面接に来た女は女中として働いてるらしいぞ」

「そんなに財政難なのかよ竜宮城……」

 俺はそんな会話を亀としながら中へと入った。



『ようこそおいでくださいました!』

 女中(として働いている人間の女性)たちが俺と亀を迎える。さすがにここに来るだけあって顔面偏差値はかなり高い女性が揃っていた。人によって好みの差はあるだろうが、まず間違いなく一人くらいは好みの女性が見つかることだろう。亀から聞いた話では、ここに来た女性は姫に順々になっていくスタイルらしく、ここでどれだけ美人な女中を見つけたとしても、一緒に住めるのは姫だけらしい。まあ、女中でこれだけ美人なのだ。おそらくお姫様にも期待してもいいことだろう。

『それではお席へどうぞ!』

 濡れてしまったスーツはどうやらここにいる間にクリーニングしてくれるらしく、俺は女中にスーツを手渡し、竜宮城セットなる服に手を通した。安物なのだろうが、それっぽい雰囲気を出してくれるのは助かるところだ。着替えた俺は女中に案内され、亀と共に宴会の席に着いた。しばらくすると、八十代くらいの金髪の老人が入ってきて俺の目の前に座った。

「……お前、また人間を連れて来たのか。今月で三度目じゃろう」

「まあまあ、堅いこと言わないで下さいよ。俺だってお酒飲みたいんですから」

「聞いた話だとお酒が飲みたいがためにわざわざ人間界の砂浜でいじめられに出かけていると聞いたんじゃが」

 老人は白い目で亀を見る。

「……あ、紹介するぜ。えーっとこの人が老人役のジョン・マクベス・マッケンローさんだ。今二百八十四歳って設定らしい」

「外人かよ!」

 設定とかいうのは割と本気でやめてほしいんだが、もうそこには突っ込まないでおこう。どうやら竜宮城というのは今は昔の話であり、今はただそれっぽいものを形として残しているだけのようだ。

「……まあ良い。では、えーっと……」

「あ、海野太郎です。あだ名は浦島って呼ばれてます。どうぞよろしく」

「……ほう、浦島とな。まあ、その名前では仕方ないかもしれんな。では、呼びやすいので浦島と呼ぶが、浦島、今から姫を呼ぶから待っておれ」

 老人はそう言うと席を離れて行った。

「おいお前、そういえばさっきあのおじいさんに言われてたいじめられにってどういう意味だ?」

「さっきのって……ああ、お酒の話か。あれは本当だぜ。ここはうまい酒を連れて来た男と一緒にただで飲めるからな」

「……そうかい」

 道理でやたらと対応が手慣れていたわけだ。地上で言う飲み屋の常連客みたいなものなのだろう。いや、わざわざいじめられに来ているところを見ると、こいつは半分当たり屋に近いのではないだろうか。とその時、老人が姫を連れて戻ってきた。

「いや、待たせたの。今姫を連れて来たぞ」

 その声に俺は亀のことを考えるのは止め、座った老人の隣にいた姫に視点を移す。細い体に美しい桃色の衣装、白いひらひらをまとった姿はまさに天女と呼ぶにふさわしい姿だった。

「よろしくお願いします海野です」

 俺は頭を下げる。ファーストコンタクトは大切だ。だが、

「……あーっ、あんたこないだの!」

姫はそんなことを俺に言ってきた。

「こないだ……?」

 俺は気になってその顔をよく見るが、俺には何の見覚えもない。ただ1つだけ言わせてもらうなら、女中の誰よりも美しく見えたのはおそらく衣装のせいだけではないということだろうか。

「ってまあ漫画の読み過ぎか。こんにちはお姫様役の女の子です」

今度は普通に頭を下げてくる女の子。どうやら本人にとってはギャグのつもりだったらしい。俺の自己紹介でいう浦島のようなものなのだろう。

「まあこの娘は少し痛いところがあって、時々精霊の声が聞こえるとか右手がうずくとか言い始めることがあるからそこだけ注意じゃな」

(……それって痛いって言うより厨二病の症状なんじゃ……)

 俺はそう思ったが、声には出さないことにした。厨二病というのは大分簡単に説明すると、自分には特別な力があると思い込んでしまうもので、主に思春期に発生することがある一種の病の一つだ。もっとも治療法があるわけでもなければ、特に病気という訳でもなく、成長するにつれてその症状は徐々に緩和されていく。ちなみに学生のうちに卒業できないと先述の老人のように他人からは痛い子としか見られないという悲しい症状だ。だが、話によると日本人の二割くらいはこの症状を潜在的に持っていたりするようで、それを外に出してしまうこの子は確かに特別変わり種なのだろう。

「それでは、宴会を始めるとしようかの」

 老人の音頭でいよいよ宴会が始まることとなった。



 さすがに多数の応募者から選ばれただけあって、女中の踊りは優雅で素晴らしいものだった。もっとも、これなら別に海でフラダンスを踊っているのを見てもそんなに変わらないのではないかとも思ったのはまた別の話だが。その途中に運ばれてきた海鮮料理はこれまた素晴らしいものだったが、やはりミシュランのような一流料理店のお店のご飯の方がおいしいのではないかと思ったのもここだけの話にしておこう。強いて言うなら、やはりお姫様役の女の子との会話がやたらと弾んだ事だけが一番良かったことだろうか。確かに痛い子には違いないが、少なくとも俺が今まで出会ったどの女の子よりも楽しい会話をすることができたからだ。

「……さて、それじゃあそろそろ帰るとしようかな」

 俺はひとしきり竜宮城を楽しみきったと判断し、そう言って立ち上がる。

「うん? おめえもうかえるのかあ?」

 べろべろに酔ってしまった様子の亀を見て俺は老人に視線を戻す。うん、こいつはほっとこう。

「帰っちゃうんですか?」

 お姫様は寂しそうに俺の方を見る。この子との別れだけは本当に心残りだ。

「うん。まだ俺就活中だし、やっぱりここでのんびりしてるわけにはいかないなって思ってさ」

 俺はそう言ってお姫様の方をまっすぐ見る。

「……そうか、もう帰ってしまうのか。では、玉手箱をやらねば」

「い、いえそれは別にいいです」

 立ち上がろうとした老人を慌てて押しとどめる。玉手箱と言えばあの開けると老人になってしまったり、鶴に変化してしまったりといったいわくつきの呪いの箱である。そんなものをうっかり開けでもしたら、俺がはたしてどうなってしまうことか。

「心配することはない。時代は変わっておってな、今ではむしろ家に着いたら開けてみなさいという類の幸せな箱じゃ」

 老人はそう言うと奥に引っ込み、ひもで縛られたしっかりした重箱を俺に手渡す。

「ただし、家に着くまでは開けてはならんぞ」

「は、はあ分かりました」

 その老人の言葉の意味が分かることのないまま、俺はクリーニングから戻ってきたスーツを着込み、お姫さまから玉手箱を受け取る。

「また、会いましょうね」

「ああ、会えたらいいな」

 お姫様と俺はそう言葉少なに会話をする。これ以上の言葉はいらなかった。どうせもう二度と会うことはないのだから。

「では、帰りはあれで帰るといい」

 俺は言葉を失う。出口に案内された俺を待っていたのは潜水艦だった。どうやら運転手と俺の二人乗りのようだ。

「……ファンタジーのかけらもないな。じゃあ最初に亀の背中に乗ってここまで来たのは何だったんだよ」

「ああ、あれは気分じゃ。正直あんたは亀の背中に乗ってこなくても良かったんじゃがな。あの亀はそういう昔ながらのものを大切にするやつなんじゃよ」

「俺はその気分に振り回されたのか……」

潜水艦に乗り込みながら俺はため息をつく。

「では、達者でなー」

『お元気で!』

 最後までどこか現実と切り離されることがないままに、俺は竜宮城を後にした。



「……さて」

 家に着いた俺はそれから数日後、開けようか悩んでいた玉手箱に手を付けることにした。正直開けたいとは思わなかったのだが、俺が開けようと思った理由は2つだった。一つはあの老人の言葉。家についてからぜひ開けてくれとまで言われてしまっていたら、開けないわけにもいかなかった。もう1つは、あの竜宮城で話したお姫様のことがどうにも忘れられなかったのである。

「いくぞ」

 ごくりとつばを飲み込み、俺は重箱のひもを解く。その瞬間だった。俺の周りをもくもくと煙が包み込む。

「ゲホッゲホッ!」

 俺はその煙にむせてしまう。が、どうやらこの様子では俺が年を取ったりすることはないらしい。では、この箱は一体何の箱なのだろう。

「何なんだよ……」

 煙が晴れ始めてきた時、何やら大きな影が煙の向こうに見えてきた。あれは……人影?

「あーっ、あんたこないだの! なんてねっ」

 煙がすっかり晴れた時、そこから現れたのはこないだのお姫様だった。

「な、えっ……どうして……」

 俺は状況を飲み込むことができないままに口をパクパクさせる。

「実は、この玉手箱には空間転移機能のようなものがついてて、渡した人と渡された人を繋ぐ機能があるんです。言うなればどこ○も○アのようなものですね。お姫様が荒れてしまった時に開発を決行したらしいんですけど、その開発に多額のお金と人員を割いてしまったせいで今の竜宮城はさびれてしまったそうですよ。ちなみに私が竜宮城まで来ることができたのもこれのおかげなんです」

「じゃあ、あのおじいさんが潜水艦の中で開けるなって言ってたのは……」

「潜水艦は二人乗りなので、私が潜水艦に乗り込んでしまうと定員オーバーなんですよ。海野さんがあそこで開けてくださらなくて本当に良かったです。下手したら二人とも沈んでしまって海の藻屑ですからね」

「ひええ……」

 俺は震えあがる。やはり玉手箱は玉手箱のままだったようだ。

「でも、また会えて良かったです。私もあなたと三日間会えなかっただけでそれはそれは心細かったので。荒れてしまったお姫様の気持ちも、開けてはいけない玉手箱を手渡してしまったことも分かるような気がしました」

「そっか……」

 会えただけでなく、お姫様が俺と同じように考えてくれていたことを知ることができたのは本当に良かったのかもしれない。玉手箱はきっとあの場で出会った男女をテストするためのものにシフトしていたのだろう。

「それで、私実は家出して竜宮城でバイトしてしまったので、今身寄りがないんです。良ければあなたの家に置いてはいただけませんでしょうか。家事ならできますし、できる限りご迷惑はかけないつもりです」

 お姫様は丁寧な動作でお辞儀をする。

「……もちろんいいよ。俺も今一人暮らしだし、家事をしてくれる女の子がいるのはすごく助かるから」

 俺はそう言って彼女の申し出を快く承諾する。どうやら俺の夢物語はこれからが本番のようだった。

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[良い点] はじめまして。 ジョン・マクベス・マッケンローという響きにツボりました。 さびれた竜宮城、良いですね。まるで健康ランドのような庶民くささがそこかしこに散りばめられていて、「竜宮城」なのに親…
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