妖剣
「やっと三本ですね」
90cm程の刃渡りの少し短めの刀を研ぎながら素っ気なく、まるで飽きたとでも言わんばかりのテンションで銀髪の少女が呟く。
「一瞬で三本ですか。目標にはちょっと足りないですが…まぁ、牽制程度には良いでしょう」
今度は剣を傾けながら刃が歪んでいないか透かして見る。
その横で「フゥ…」と溜め息を付きながら気怠そうに一枚岩で出来た天井を見上げる隼也。
「飽きましたか?」
暇そうに呟きつつ、もみじが手を降ると手に持っていた剣と盾は光の欠片となって散り散りに飛び散っていった。
「正直に言うなれば」
少女の素っ気ない声にも余り反応する気力が出ない。
確かにもう飽きてきている。一日中殆どの時間を同じ作業に費やして来た。飽きない方がおかしい。
「しょうがないですよ。私達も通った道。貴方が出来ない道理は無いでしょう…まぁ、どうしてもやる気が出ないと言うのならば...ん~…他のことでも良いですけど…」
その言葉に隼也は鋭く反応し、もみじに詰め寄った。それを如何にも鬱陶しそうな表情で制すもみじ。
「他のこととは!?」
「いや…気分転換にでも剣の稽古を手伝って貰おうかなと」
「是非!」
隼也の先程まで死んだ魚のような目は一変、活気が戻っていた。
「そうと決まれば。準備をしてください」
「御意」
隼也は目を瞑り、先程まで大量に作り出していた剣を想像し、そして腕に妖気を集めていく。「強く、もっと強く」と呟きながら今までの剣の何倍もの大きさの妖気を集める。
隼也の右腕へと空色の妖気が集まり、腕を覆うように渦巻く。集まった力は刻々と大きさを増していき、辺りを青白く照らすほどまでになった。
「フンッ…」息を吐きながら右腕により一層力を込めた。すると、右腕に集まり右半身を覆う程まで集まった力が一気に収束し前腕に集まった。
その妖気は先程までの空色とは違い夕暮れの様な深い群青へと変わっていた。「今なら!」と確信した所で隼也はゆっくりと目を開けた。
「うぉっ…」
隼也の右手には群青色の淡く光を放つ妖剣が握られていた。地面から俊也の肩程までの長さが有り、その両刃の剣は人どころか牛でさえも両断しそうな程、剣の幅は長剣としては広く、10cm程有る。
「今までその剣と同じ形の小さな剣を作っていたからでしょうか?上手く形に出来ましたね」
青の長剣を眺めながら隼也の横に歩み寄り、椛が更に続ける。
「此処まで出来れば実戦にも使えますよ。まぁ…後は殺傷力ですかね。ちょっと、そこにある岩を斬ってみて下さい」
「あぁ、あれ?」
剣を肩に担いで少し離れた所にある大岩を見つけ、そこまで歩いていく。
「しかし、大きいですね…最初に話を聞いた時には冗談半分だろうと思ってました。長剣と言うより大剣と言った方が良いかも知れ無い...まぁ、扱うには問題は無いでしょう」
大岩まで来た隼也は長剣に右手を岩に左手を掛ける。大きく息を吐いて気持ちを鎮める。右上が脆くなってる...あそこを狙えばいけそうだ。
「妖気で作った剣ですし、なかなか壊れたりはしないハズなので思いっきり振り抜いても大丈夫だと思います」
スゥーと近くまで浮いてきた椛がアドバイスを言った。
「なんか不安になる助言だなぁ」と呟きながら隼也が両手で剣の柄を掴み…
「ふんっ!」
光芒一閃、澄んだ夕空の様な深い蒼の一筋を伴いながらの袈裟斬りが大岩を断つ…
…事は無かった。
隼也の期待とは裏腹に岩肌には長剣の軌跡に流星の様な群青色の裂目が残されるのみで、その他の変化と言えば、岩の切り込んだ箇所が多少崩れ落ちた程度だった。やがて岩の群青の裂目さえも、それこそ乾いた岩肌に水か何かが吸い込まれる様に消えてしまった。
「は…?」
椛も声が出なかった。つい先程の意気揚々と妖気について語った自分のテンションをどうしてくれるのか?と言う様な表情を無意識にしてしまう。「ま、まぁ…妖気も十人十色。人各々に様々な個性が有りますし…」と、励ましながら考える。
何故斬れなかったの…?
確かにあの妖剣は岩を一部砕いた。と言う事は実体として形を成している…と言うこと。
もしかすると回転を加えた妖弾から成型しなかったから?
まさか。そんなはずは無いはず。斬れない理由…斬る程の力が無かった?実は当たっていない?物打ちで捉えられ無かったから?いや、全て違う。確かに剣の振り方は力が入り過ぎているし、体重も速度も乗っていないけど、力は腕力だけでも充分。残る理由は…無い?
いや…有った。一番最初に思い付くべき仮定が有った。
「隼也さん。小さい剣を貸して下さい」
「え?あ、あぁ…」
真剣な瞳で見つめる椛に押されて先程まで大量生産していた剣を一本手渡す。
「何に...?」
「私、貴方の長剣が全く斬れない事について一つの仮定を考えました。今からそれを試してみるのです」
真剣な口調でそう言いながら椛が剣を片手に此方へ向き直る。
そのまま先程俊也が斬る事が出来なかった大岩の目の前までゆっくりと歩み寄り、静かに大岩に相対する。息は疎か時間さえも止まったかの様に、もみじは構える。
「ふっ…!」
一閃、目にも留まらぬ動き。だらりと力なく下ろしていたはずの腕が目の前の空間へ青い光跡を残し振り抜かれており、大岩には三本の光の切り傷が残されていた。
「ふ~む…」
左手に持った妖剣をクルリと逆手に持ちかえ刃の部分へ自分の左手の親指を滑らせて聞こえるかどうか程度の小さな声で、やっぱりと呟く。
「貴方はつくづく恐ろしい人ですね…敵対する事が無くて良かったです。正に戦うための妖の力を授かった様です」
改まった口調で俊也へ向かいそう言い放つ。そしておもむろに上着をたくし上げ、右手に逆手持ちした剣を自分の脇腹へと当てる。
「これが、貴方の剣が岩ごときさえも断てない理由です」
剣を持つ腕が僅かに動く。この少女、自分の腹を妖剣で斬ろうとでも言うのか!
「……は…?」隼也は突然の椛の蛮行に思考が追い付かず声が出ない。しかし、反射的に椛の腕を止めようと体が動く。椛の持つ剣へと伸ばされる隼也の腕、だがそれも時既に遅し、紙一重で止める事が出来ず手は空を掴んだ。
「…くうぅ…っふうぅ…ん……はぁ……はぁ…」
間に合わなかった。少女は痛みに喘ぎ、前屈みに為ったまま上体を上げようとしない。呼吸の度に肩は大きく上下している所を見れば、息すらも苦しい事が分かる。
「な…なんで…こんな…?」
俊也はあまりのショックに声が出ず、酸欠の金魚の様に口をパクパクと無意識の内に動かしていた。
唖然としていた。目の前の事が理解出来ないから?初めて自分と同じ形をした者の死を目の当たりにしたから?
足が棒のようになり、全く力が入らなくなる。次第に鼓動の速度が速まり、気持ち悪さに支配される。
「なっ…何故、わ…私は、生きていると…思い…ます?」
椛が混乱している隼也に苦しむ様な声で語りかける。
隼也は急いで顔を上げた。
腹を裂いた妖剣は隼也が激しく動揺したためか?既に消えたが、まだ痛みは引かず苦しいのだろう、相変わらず前屈みのままで話を続けた。
「…貴方の剣が…実際に斬れる代物だったならば…私は既に血溜まりに伏していたでしょう。勿論…命も、無い。私は先程…真剣に自害するつもりで斬った…はずなのに、生きている。何故か…分かりますか?」
もみじがゆっくりと上体を起こし、俊也の方へ向き直る。息も荒く、涙目になっている所を見ると相当辛い事だったのだろうと言う事が容易に分かる。
「貴方の力は妖力を対象に流し込んで…内側から破壊する。流し込まれた相手は一旦支配されれば貴方の意思次第で生死が決まる。しかし、相手を支配するには相手に触れて妖力を流し込まなければならない」
椛が淡々と話を続ける中、隼也は取り残されてしまっている。
「どういう事…?」
「ここまでが、私が与えられた情報。ここからは私の勝手な予想ですが、貴方の剣は斬れない代わりに斬る対象へ妖力を流し込む事が出来るのだと思います。これを見てください」
そう言いながらもみじが上着をたくし上げる。するとそこには白い肌に刃物で大きく切り裂いた様な青白く光る跡が残っていた。椛の腹部にはどこも傷付いた様子は無い、だが腹部に残る剣の青いラインには痛々しい物があり、目をそらしてしまった。
しかし、もみじの「もう少しです。見ていて下さい」との声に逆らえずに内側から込み上げる気持ち悪さに耐えながらも少しの間見ていると、その光の傷がもみじの肌に吸い込まれる様に消え失せ、後には先程の切り傷が嘘の様な傷一つ無い綺麗な肌の腹に変わっていた。
「こ…これは…?」
隼也が理解が及ばないと言わんばかりの表情で問う。
椛は上着を下ろし、整えながら隼也の質問に答える。
「今、貴方の妖気が私に侵入したのです。前提として貴方は、何かに自分の妖気を流し込み、内側から爆破、破壊すると言う性質の特異な妖気を持っています。対象の持つ力を貴方が流し込んだ妖力が越えた瞬間に支配完了となるのでしょう。簡単に言えば敵の妖力を、流し込んだ貴方の妖力が越えれば貴方の勝利…と言う事です」
「は...はぁ...」
「とは言え....幾ら切れない剣でも自刃するものでは無いですね...」
椛が涙目ではにかんだ。勿論隼也に説明をしている間も、今にも泣き出しそうな目をしていた。
「眼福という事で....」
「何か言いましたか?」
「なんで無いです」
話している内に次第に痛みが退いてきたのか、椛の顔から苦しい表情が消えていつもの少し無愛想な顔に戻っていた。
「まぁ、所詮私の推測ですし、冗談半分、一つの可能性程度に思っていて良いです…それはそうと隼也さん。この程度の事で動揺するとは、実戦ならば死にますよ」
「は、はい」
唖然としている隼也へ椛からの辛辣な御言葉。その勢いに思わず背筋が伸び綺麗な姿勢になってしまう。
「剣の稽古は少し休憩してからにしましょう」
「はい」
厳しかった椛の表情が和らぎ、それを見た隼也も体から無駄な力が抜けた。
それから、二人共、大岩に腰掛けて休憩がてら、この山の事や今後の事についての話をした。
椛はこの山の警備などを担当する身で、この山にある2つの隊の内、規模が小さく少数精鋭として組まれた方の隊のナンバー2を勤めているらしい。椛の隊は主に侵入者の排除等を担当するらしく、侵入者の排除の際は椛自身も前線へ立ち、指揮や戦闘を担当するらしい。勿論、椛自身も武術に関しては最高水準であり、小刀から物干し竿と呼ばれる大太刀や洋剣、弓、槍、棒など有りと有らゆる武器の扱いにも精通していると自慢気に語って見せた。隼也が「俺の剣は?」と聞くと、少し悩むような仕草の後「長剣は学びましたが、身の丈程もある剣の扱い方はさっぱりですね、予習しておきます」と返してきた。
どれ程強くなろうと言うのだろうか。
これは凶報だが、元々この山の住民は、あまり他の種族が立ち入る事を好ましく思っていないらしい。
この山を荒らされる事や自分達の領域で見知らぬ者がのさばる事を快く思わないと言う事も有るが、椛曰く、一番の理由は妖怪としての誇りだと言う。山の侵入者の内、隼也は異例で山の住民として受け入れる事には多くの反対の声も有ったらしい。しかし『ある御方』から、隼也を受け入れ稽古を付けてくれるのならば、この山の一戦力として利用しても良いとの事で隼也をかくまう事が決定したそうだ。その言葉通り剣の稽古を受け、ある程度戦える様に為れば、もみじの監視の下で直属の部下として働くらしい。
しかし、そう決定されてもなお、未だに反対派は存在するらしく、特にこの山の警備として駆り出されている者が多いらしい。一応、隼也の所属する予定の隊は全員了承しているのだが、もう一つの隊には反対の声が根強いらしい。よく考えてみれば当然の事で戦いと言う環境の中、特に集団として一番大切にされるのは信用、信頼。緊急時に仲間に裏切られでもすれば堪らないはず、その点で余所者は信用出来ないのだろう。
椛は「殆ど顔は合わせませんし、大丈夫だと思います」との事だが、正直かなり不安だ。
自分としては吉報だが、椛が明日、自分の部下の長剣を得意とする者を連れてくるらしいので、明日から剣術の稽古。今日は剣術は止め、妖剣を作る練習のみに集中するらしい。
イャッホウ!と喜びたくなるがそこはグッと抑え、「ありがとうございます」と返した。もしかすると、表情がダダ漏れだったかもしれない。
それからは日が沈むまでずっと妖剣を作る練習を繰り返した。小さな妖剣は時間と回数を重ねる毎に少しづつでは有るが同時に作り出せる本数を増やす事が出来た。途中に一旦休憩を挟んだ事で気分転換に為ったのだろうか、先程よりも、より集中出来た気がした。
しかし問題は、実際に武器として扱う大きな妖剣で、作り上げるのに時間が掛かってしまう。大分、時間は縮まったとはいえ、それでも30秒近くは掛かる。大きさ故に妖気を練り上げる時間が掛かるとは言え、これだけ時間が掛かっていては咄嗟の状況に対応しかねる…と、もみじ殿に御叱りを受けてしまった。
時は経ち、日没寸前には小さな妖剣を6本まで同時に展開出来るようになり、大きい妖剣も20秒と少しで作り出せるまでに為った。しかし、もう暗くなり始めていると言う事で、今日は御開きにして、明日ここに集合することに為った。
そうして、お互い自分の宿へと帰るのだが...
現実とは非情であった。
与えられた宿のあまりの荒屋ぶりに俊也が八つ当たりした自分の宿の隣に立つ木が…
…清々しい程見事に宿を押し潰していた。
まるで狙い澄ましたかの様な一撃による一瞬の出来事だったのだろう。
きっと苦しまずに逝けたのだろう。
ボロ屋だったけど。
完全に因果応報、自業自得である。
やり場の無い虚しさに悶えながら、俊也は倒れた木の幹の上で一晩を過ごした。
そのせいで寝冷えしてしまい、鼻詰まりに苛まれたのは、また別の話。




