新たな出会い
「あ〜、疲れた〜」
深い森の中に通る一筋の沢、二つの流れの合わさり少々流れの大きくなっている岸辺の岩の上、どこか疲労した様子で座り込み水と睨み合いをする青年がいた。
「一つ釣っては今日のタメ~♪」
そう口ずさみながら竹の棒を振り上げた先には糸に宙吊りにされた20cm程の魚。
ヒトはこの地を禁足地として余程の事が無ければ立ち入ろうとしない。
四季の移り変わりに寄り、春は誰かが植えたのか、あるいは自生したのか立派な桜が咲き誇り、夏は清流に餌を求め魚が泳ぐ。秋は稔り、アケビやヤマナシ等の果実が。冬は数ヵ所に存在する寒さゆえ、時の止まった滝の美しい景観が。
暮らすのならばこれ以上無い程、環境の整った土地は無い。
そのような土地を…
何故、禁足地として忌み嫌うのか…
答えは単純。
妖だ。
人の形を取りながら、人を遥かに越える力を持つ者。腕の一振りで、岩を砕き、木を切り刻む。
また人型に限らず、巨大な蜘蛛や猪の様な姿を取るモノなどもいる。
神隠し、天狗倒しなど人は昔から未知に恐怖を覚えた。その恐怖の塊が妖であり、それらが多く集まる土地こそこの山。
そしてその山に新たに生み出された妖。
「ん~、十匹も釣れば充分かな」
それが彼、隼也と言う名の青年だった。
「腹減ったなぁ~…」
一人呟きながら、あらかじめ集めて置いた木の枝や皮などを積み上げる。もう既に日は高く、正に正午と言う頃の時間帯。
彼も妖の身、食べずとも死にまではしないが気が滅入ってしまう。
「着火できるかな?」
一本の枯れた小枝を取り上げる。すると小枝が青い光を淡く放ち始めた。
「ムムム...」
ポン!という音と共に彼の手に握られた小枝が炎をあげる。
よし、と呟きながら燃料に火を移し、小枝を削り作った串に先程の魚を二匹刺す。
「焦げないようにしねーとな」
一人、魚を焼き始めた時。
「貴方は…誰ですか?」
突然、何処からとも無く声が聞こえた。彼も此処が危険な場所なのは百も承知、咄嗟に身構えていた。
「人間…じゃありませんね?見たことのない顔、余所者でしょうか」
それは、淡々と話し掛けてきた。特に攻撃される素振りはなかったため僅かに警戒を解いた。
「生まれて間もないですね?保証されない安全の中ですぐに安心するなんて…」
見透かされている。警戒を解いたことを。
「まぁいいです。直ちにここを離れた方がいい。まだ貴方から確かな力を感じない。他の妖に見付かれば命が危ないでしょうし」
「誰だ?」
いつでも逃走することが出来るように身構えながら問う。逃げ込むなら森の中にか?隠れる場所が多い方が良いだろう。
森の木々に反響し、どの方向から聞こえているか分からない声。椛よりも少し大人びているが、恐らく女性だろう。
「さぁ…?」
自分は何も知らないと言う風にとぼけるような返事だった。
「あんたは妖怪?」
「貴方と同じですよ」
妖怪だろうか?
「じゃあ犬走と言う妖怪を知ってるのか?」
何か、知っているならば…彼女と仲が良いならば多少話は着けやすいかもしれない。
「…………」
しまった。明らかに先程までの反応と違う。考えて話すべきだった。もし椛の事を嫌悪しているとしたら。
「良く知っていますよ。それより相手に質問するときは自己紹介位した方が?」
「隼也。姓は…思い出せないけど」
「あぁ、あの噂の…良いことを知りました。しかし、何故?噂よりも随分と弱い妖気しか感じない…」
少々の間、静寂が訪れる。どこか気まずい。
「まぁ、いいでしょう。此処に暮らす以上、また会うことになるでしょう。一つ忠告ですよ。決して、山の頂上付近には近付いてはいけないですよ」
そう言い残して誰かが笑い声と共に去って行った。
「何だったんだろうか…アッ!」
青年は振り返った。
「魚ァァァァーーー!!」
そこには燃え尽きた枝と、焦げた焼き魚一つだけ残っていた。
「頂上には登っちゃいけない…ねぇ」
黒くなった焼き魚は不幸中の幸いか、焦げていたのは表面のみで内側は食べられる状況だった。結局もう一匹の魚は見つからなかったが、活きが良かったのだろう…と皮肉を込め呟いてもう諦めることにする。
「ふ~ん?」
隼也が山の頂上の方を見上げる。覆い茂った木々の間から僅かに覗く山の高み。
これだけ大きさ、それも殆どが妖怪という様な山の頂上。妖怪の頭でもいるのだろうな。
まぁ、自分にはまだ関係の無い事。迂闊に近付き揉め事に為った際に対抗する手段も力も無い。
「触らぬ神に祟り無しだなぁ」
今は何もする当てがない。何しよっかな~…と呟きながら強く地を踏み切る。
2〜3m足らず程度まで跳び上がり、中空で更に足を強く踏み出す。しかし先程、椛と練習していた時のようには行かず、爆破のタイミングに少し遅れてしまい、少しバランスを崩して地面に飛び降りた。
「どうなってるんだ?一体…」
何と無く跳躍してこれだけの高さ。明らかに人間とはかけ離れている。
そう言えば、椛とか言った犬耳少女も俺を二十メートル程殴り飛ばしてくれた上に首が飛んでいたかもとか、物騒な事を言ってくれるし…体格は身長もそこそこ有るし、めちゃくちゃとは言わなくてもいい感じ位には筋肉も有る…と、自画自賛してるみたいで頭が痛くなる。
隼也が再び地面を強く踏み出して飛び上がる。そしてまた宙を蹴り出す。今度は上手く行った。大きく隼也の体は押し上げられた。
空を『飛んでいる』訳では無いので少しづつ落ちてきた高度を更に空を蹴り補い跳んで行く。
過去の事をあまり覚えている訳ではないが、どう考えても身体能力がおかしいだろう。妖怪全般に言えることなのか、そういう訳でも無いのか…まぁ、その可能性が有るし、なるべく揉め事は避けておこうかなぁ。
しかし、理解が及ばない事の連続。
謎の天の声に恐怖に打ち勝てみたいなことを言われるわ、気付いたら変な山にいるわ、突然妖怪宣言されるわ、犬耳少女に殺されかけるわと挙げ出したら切りがない。
「さぁ、愛する我が家が見えましたよ何でこんな家なんだよ」
誰がどう見ても廃屋です、ありがとうございました。
「自分で修繕するなり、改築するなりしろとでも?」
家(仮)に散々文句を叩き付けながら、地面に当たる直前に空中を蹴り、勢いを殺してから着地する。相当な速度が出ているので、こうでもしなければ怪我をするかもしれない。
「魚は、とりあえず干すかな?」
そう独り言を言いながら、なんの処理もせずに魚を笹ごと吊るそうと軒先に手を掛けたその時。
ミシィ、ドサァ…
バラ…バラ…
大きく軋んだと思うと、軒の一部が崩れ落ち、作業をしようと手を伸ばしていた俊也の頭に細かい木屑がハラハラとかかった。
「…」
「チクショォオメエエェー!」
あのやろう、明らかに扱いがおかしい!触っただけで崩れるか?常識的に考えて。
家壊れるし魚焦げるし家壊れるし家壊れるし!
不機嫌そうな顔で頭から湯気でも噴き出すのでは無いかというような程に肩を震わせる。
「あー!クッソ!」
近くに立っている杉の木に親の仇と言わんばかりの勢いで殴りかかろうとする。もう立派な八つ当たりである。
「殴ると手が痛いかな…」
僅かに躊躇してしまうが怒りの方が強かった。
ゴッ…
激オコしながら八つ当たり宜しく大木の幹を殴った。
ベキィ!
「ヘ?」
直径1mは軽く超えるであろう巨大な杉である。その杉の幹が殴った点を中心にクレーターの様に大きく凹み、大きく傾いた。
「ヤッベ…」
既に人ではない。強く再確認させられた瞬間だった。
もう既に信じられない出来事ばかりが起こり、並み?の事では余り驚かなくなっているのか感覚が麻痺している様で反応は薄い。
「俺のせい?」
待てよ?もしかするとあの犬耳少女もこの位の力が有ったのか?うわ、俺、妖怪、こわい。
その時、隼也の中に恐怖と好奇心が湧いた。
ちょっと…試して見ようかな…?後々自分の身を守る参考程度には出来るだろうし。山じゃあ…?目を付けられかねないし、山降りてみて広いところで色々してみますか。まだまだ日も高いし色々試せるかな?
青年は新たな力を試しに出掛けた事が、八つ当たりがここに来てまでの中で最も大きな危機に繋がるとは微塵も考えなかった…
「ここは良さそうだなぁ…」
荒野。
恐らく、まだ未開拓地なのだろう。低木と申し訳程度の草がまばらに生え、遥か昔から風雨に曝されたのか、風化し歪な形の数十メートルもの自然の石柱が無数に立ち並ぶ土地に出た。
「此処なら、誰にも迷惑は掛かんないだろうし、思いっきり出来るだろ!」
フン!と、地を蹴り出し大きく跳躍する。
「せい!」
空中で体を大きく捻り、近くに有った石柱に右踵で回し蹴りを放ってみる。
自分の動きが未だに、にわかに信じ難い。しかし、こんな事が出来る、と何と無く分かる。確かな確信がある訳ではないが、確かに自分が思った通りの動きが出来ている。
回し蹴りが当たった地点を中心に石柱は大きく崩れ石が、もとい岩がガラガラと遥か眼下へ落ちて行く。
「もういっぱぁつ!」
回し蹴りによって得られた回転の慣性に任せて今度は左足で石柱を蹴る。
やはり、こちらも大きく石柱を破壊していった。
爪先で蹴ってしまったのかビリビリと痛い。
「フゥ…」
そのまま地上へ落ち大きく息を吐いた。
「うん、怖い」
いや、人間止めてるな。今更って言えば今更だけど。
右手を大きく振りかぶり、拳を近くの石柱にぶつけてみる。抵抗は有ったがこちらも余り力に耐えきれず崩れる。
体制を整えて右手をまじまじと見つめる。
「爆破も合わせて…」
拳を強く握り締めると、空色の霧の様な物が腕に纏わり付く様に発生する。更に力を込め握り締めていると、霧が深みを増し空色から日暮れの群青色に変わり、霧はまるで流体かのように腕からゆっくりと流れ落ち地を這い広がって行く。まるでドライアイスの煙の様に。
右手で崩した石柱の少し奥の石柱へ踏み込みながら大きく拳を突き出す。
石柱に拳が触れた瞬間、石柱の表面に青い波紋が立ち、拳が触れた場所を中心に青の妖力が広がる。
「ラァ!」
拳が石柱の一部を破壊した次の瞬間、青の火炎と黒の爆煙が目の前に広がり自分を包み込んだ。爆炎は更に広がる。爆心地から青の衝撃波が広がって行き、砂を巻き上げ枯葉を散らし、やがて消えた。モクモクと黒い煙が風に流されて行った後に残っていたのは隼也だけだった。
4m程は有った石柱は全く消え失せ、そこには爆発によるクレーターと煙のみが残った。
それ程の被害が出る爆風に吹き飛ばされるどころか、心地好いそよ風を受けた様に感じたのは、俺が化物の仲間だからか、俺が起こした爆発だからか…?
「ッ…ハハハハハ!」
何故なのか笑いが込み上げる。目の前の事が余りにも信じられる様な光景ではなく、バカげているからなのか。
「ハハハハ、ッハ…ハ……」
次の瞬間、いきなり膝と腰から力が抜け、ガクリと膝を突き崩れ落ちてしまった。
うわぁ…きっつ…これ結構体力に来るな。
体中が一気に気だるい感覚に支配され、骨抜きに為ったかの様に体中から力が抜けそのままパタリと仰向けになった。
「思いっきり殴ることってこんなに体力が奪われるものだったか?」
「疲れもしますよ。送り込んだ全妖力の殆どが爆発を起こさなかった地面へ逃げて行ったんですから」
自分の頭上から影が伸び、何者かが話し掛けてきた。
立ち上がり構えようとも、体中に力が入らず身動きが出来ない。緊張の為か自分でも分かる程心臓が鼓動を打ち、呼吸が早くなる。
「そうそう、息をしっかり吸うと良いですよ。空を漂う妖力を吸収すれば自然と体力も戻ります」
今は大人しく覚悟の決めながら何者かの声を聞くしかなかった。
これは…女声だろうか?もみじ殿よりも少し大人びてはいる。影はちょうど逆光の様になっていてよく分からない。いや、わざと太陽を背負う様な位置に立っているのかも知れないな。
「しかし、貴方も非礼な方ですね。出会って間もないレディに自己紹介も無しですか」
影が俊也の横まで来てしゃがみこむ。
「まぁ、いいです。面白い物を見付けました。それに免じて今回の件は不問にしましょう。白狼天狗がこそこそやっていたのは貴方の為だったのですか」
一呼吸するごとに体に力が戻ってくる。早く、とにかく早く逃げたい。
「先ずは、情報を集めなければ…」
考える様に顎に手を当てて、ブツブツ独り言を言いながら、胸のポケットに入れてあった手帳を取り出し、何かを書き込んでいる。
そろそろ立てるか?
体の疲労感が少し収まり、少しづつ力が入るようになった隼也はゆっくりと体を起こし、膝を着いて立ち上がる。まだ少々足元がおぼつかないがやっと立つことは出来た、しかし未だ逃げるなどが出来る様な状態ではない。
立ち上がり、今まで話し掛けて来ていた影を見ようと顔を上げたが、
「では!また縁が有ればお会いしましょう!」
そんな台詞を響かせながら、謎の影は既に空高くへ飛び立っていた。
それから影は山の方向へまるで消える様に去って行った。
「喋れない時に話し掛けたの、あんただろ…」
小さく、ずっと思っていた愚痴を漏らす。
空から何かヒラヒラと落ちて来る。恐らく先程の女性と思われる人影が残していったものか。それは右へ左へと揺れながら落ちてきた。
「よっと!」
それを上手く落ちる前に掴んだ。
「羽?」
それは艶やかな黒羽だった。
俊也は腰に手を当てて少し考える様な素振りを見せる。そして、おもむろに口を開き…
「羽って、どの動物だったっけ?」
羽は思い出せるのだが、どうしてもそれを持つ生物がどうにも思い出せない。
「まぁ、良いか。疲れも取れてきたし、少し休んで走るか」
とにかく、今自分が出来ること出来ない事を知りたかった。
再び、隼也は山を降りてきた道を引き返して木陰に座り込んだ。




