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REVENGER  作者: h.i
36/36

反逆者

天の審議室。


この世界の伝承の残る土地で、神々が世界の指針を定める時に一堂に会したと言われる、所謂、聖地である。

天、と称されるだけのことはあり、非常に高地にある。

山脈の端に位置する、標高3089mの山。

その山の丁度3000m地点の山肌に、大きくくり抜かれたような空間が広がっていた。

とても陸路で行けるような場所ではなく、45°を超える急勾配に、年中降り止まぬ雪が行く手を阻む。気流の激しい一帯に位置する為、空路も絶たれている。

まるで敢えて隔絶された位置へ設けられたかのように。


非常に険しいものの、妖怪にとってはあまり厳しい道のりではなかった。移動を始めてら1時間弱ですぐに目前まで辿り着く。

見えてきた目的地に近付くにつれて、ディアの妖気が鮮明になってくる。その中に隼也の妖気も微かだが感じられた。


「いらっしゃいませぇ〜☆!よくぞ、お越しくださいました!そこの白いストーカー野郎を除いた皆様、どうぞ、お寛ぎくださいませ☆」


ディアの歓迎の言葉を受けながら天の審議室へ辿り着いた瞬間、頼人の表情は驚きへ変わった。

無骨な岩肌からは想像もつかないほど、機械的な場所。床、壁、天井、全てが何かの金属で構成されていた。それだけなら、まだ自然の悪戯とも言えるかもしれない。

しかし、その可能性は完全に否定されていた。

床には放射状に伸びた幾何学的な線が走り、燭台が立てられた壁には緻密な装飾が施されている。天井付近には天球儀のようなものが支えもなく浮かび、その中心部には、煌々と燃え盛るミニチュアの恒星が浮かんでいる。

その恒星から放たれる暖色系の明かりと心地好い温度が、この場所が険しい環境の真っ只中に存在する事を忘れさせる。


想像だにしていなかった光景に言葉を発するのも忘れて、忙しなく周囲を見回す頼人へ、リツも見入った様子で近づいた。

「驚いたかい?頼人君。正直、僕も驚いているよ。神話に語られた伝承だと聞いていたけれど……こんなものを見せられたら、今にも敬虔な信者になってしまいそうだ」


そんな天の審議室の光景とは全くと言っていいほど不釣り合いに、どこから調達したのやら布団に隼也を寝かせて、ディアは4人を待っていた。

「ささっ!此方へ〜」

目にも留まらぬ早業。これまた、何処から取り出したのか分からない、上質な革張りのソファーへ頼人とリツを押して座らせた。

まだ、目覚めそうにない奏も布団へ詰め込み、やり切った表情で満足げに頷くディア。


頼人達を誘導し終えると、広間の中央に立つテオへ向き直った。スキップでテオの周りを回りながら、妖しく笑う。

「どうせ、また迫害するんでしょ〜?せっかくなら、それもお客さまに楽しんでもらわなきゃねっ☆」

テオはディアの煽りにも一切顔色を変える様子はなく、ただ淡々と応じる。

「よく分かっているじゃないか。それなら、退屈させないように、その首を差し出して貰おうか」


ディアが期待するような笑顔を見せ、目元を手で覆い隠した。覆った手をゆっくりと離すと、鼻から上を仮面が覆っていた。

常に面白可笑しそうな表情を貼り付けたような仮面と、その奥から覗く双眸は、何か言い表せない相反する感情を映しているようだった。


テオは睨みつけるような鋭い視線を向けつつ、口元を手で覆い隠す。その手を払うと、鼻から下をフェイスガードが覆っていた。

細かな装飾が施されているものの、口の位置だけには一切の装飾はなく、滑らかな金属の質感だけがある。


ディアが身体をたわませると、その背から艶やかな黒の羽根を備えた大翼が、一対現れた。


テオが被っていたフードを脱ぐと、その頭上で一瞬だけ白炎が渦を巻き、白い王冠を残していった。右手には断頭剣が生み出される。妖気で構成されながらも、高密度故に幻想を実現した刀身は、実物の艶消しされた金属と見分けがつかない。


「おいでよ、凡人の群☆」

「今回こそ、処刑させてもらう」


先に仕掛けたのはテオだ。先手必勝、低い姿勢で一気に距離を詰めて、足元を薙ぎ払う。ディアは迫り来る断頭剣を踏み付けながら飛び上がって、それを避けた。

飛び上がったディアへ狙いを澄ましながら、空いた左手の人差し指で真上を指す。

「『ラメド』!」

号令と共に、指に従って地面から白の火柱が噴き出して、飛び上がったディアへ襲い掛かる。

ディアは翼で宙を打ち、横方向へ直角に移動して炎を容易く避けた。

抜け落ちた羽が白炎に触れると、触れた箇所から全体へと即座に炎が回り、瞬時に燃え尽きていた。

回避する過程でディアは、片手で空間を引っ掻くような動きを見せた。それを確認したテオは考えるより速く、引っ掻かれた軌道から離れる。

ディアの手で引っ掻かれた空間に赤黒い裂け目が走っており、一瞬遅れて裂け目から、血を固めたような赤黒い刃が突き出した。


テオの白炎『ラメド』は、テオの司るものにとっての、悪しきものや害なすもののみを焼き払う浄化の炎である。

それに対して、ディアの生み出した刃は、人を引き裂く異端の刃。怨み、敬い、妬み、愛し、嫉み、慈しみの極致の凶刃。英雄が、梟雄が、罪人が、聖人が流した血の刃。

その名も『メナス』。


「丸腰相手にオドオドしすぎじゃなーい?そ・れ・と・も、僕ちんには早過ぎたかなぁ?」

「言ってろ、火刑にしてやろう。ラメド!」

左手で刀身を根元から先へとなぞる。それに従い、剣全体が白炎に覆われた。

剣を呑み込む勢いで燃え続ける浄化の炎、その中に断頭剣の影が見える。まるで聖火の最中に、十字架が浮いているかのようだ。


「せいぜい、逃げ惑うがいいや!」

ディアは手で大きく円を描き、空間へ裂創を残す。

テオは一瞬、反応が遅れた。

『メナス』は裂け目が生成されてから、遅れて刃が突き出す。しかし、刃が飛び出してから、射程限界まで到達するまでも一瞬。刃の発生前に軌道から脱さなければ、回避は困難を極める。

しかし、刃が突き出すという特性上、点での攻撃となる。防御の難度は比較的低い。


ギャンッ!

円から何本もの刃が、テオの胸の位置へ収束するように突き出した。先読みして防御姿勢を整えていたテオは、剣で受け流して直ぐに、間合いを詰める。

すれ違いざまの横一文字。胴を薙ぐ斬撃を、ディアは後転しながら紙一重で躱した。

テオの剣の軌道の後を追うように白炎が燃え盛る。白炎の追撃を、後転の勢いを生かして飛び上がって回避した。


そうだ。こいつは絶対に防御しない。

素手、というのも理由の1つだろう。しかし、相手が同じく素手であったとしても、防御という選択肢は取らない。絶対に。

その代わり、それを実現しうる機動力がある。

まるで、攻撃が擦り抜けたかのような錯覚を覚える程に、速く、巧く、際どく避ける。

更に大鴉の翼による空中での機動力もあり、単純な攻撃では捉え切れない。


「くらえーい☆」

テオの頭上をディアが取った。

包囲するように描かれた裂創。逃げ場はない。

テオが足を止めて、自身を白炎で包み込んだ。

追って突き出した刃が触れる前に、『ラメド』が焼き祓う。

ドッ!

「ぐっ!?」

腹部に鈍痛が走る。

『メナス』は囮。白炎が晴れた瞬間を狙い、ディアは貫蹴りを打ち込んでいた。

威力は別段、高い訳ではない。しかし、確実に体勢を崩すように、力を伝えてくる。


「換われ!『マルクト』っ!」

後退りながら、逆手に持った剣を、ディアを遮るように斜めに差し出した。

断頭剣『マルクト』が姿を変え、テオの身の丈程はある大楯となった。その重厚さは城壁さながらである。

ディアの放った蹴りの軌道上に刻まれた裂創から、特大の血刃が噴き出す。


バシャァンッ!

『メナス』は、盾に触れた途端にガラス細工のように粉々に砕け散った。

「忘れたか?これは人を守る城壁。人に害なすものは、何であっても通す事は無い」

「覚えてるってぇ!君と違ってバカじゃ無いからね!でも、その代わり、手も足も出ないだったよねぇ☆!」


翼を広げて腰を落として溜め、地面を踏み切って全速力で飛翔する。

両手の人差し指、中指、薬指。加えて、両足の踵が宙へ裂創を刻んで行く。

ディアは頼人以外には目視出来ないほどの速度で、テオを取り囲むように駆け続けた。


「ふぃ〜……つかれたにゃあ。さ、これならどうするかなぁ?君のだぁいすきな質より量戦法だよ」

ディアが地面へ座り込み、ハンカチで汗を拭う。その背後には、蔦で編んだカゴのように隙間なくドーム状に広がった裂創と、その中に囚われたテオの姿がある。

「まずい……!」

ザシュンッ!


逃げ場のない状況へ歯噛みするテオへ、無慈悲に刃は突き出す。

何十、何百あるのだろうか。数え切れないほどの刃が全て、テオを貫くように伸びていた。

勿論、脱け出す間隙はない。マルクトで防御しようにも、全方位からの攻撃を凌ぎ切れない。しかし、刃先が達する瞬間、中心部にはテオの姿が無かった。


バシャァンッ!

突き出した血刃が役目を終えて砕け散る。その光景を、ディアはいたって冷ややかな目で眺めていた。

「『トゥルス・ヘイヴン』ねぇ……。あーあ、ズルいズルい、ズルいったらありゃしない!君は守られることができるからなあ」


刃が消えた後、テオが元いた場所に炎柱が巻き上がり、その中から再び姿を現した。

どういう仕掛けか、先程の攻撃は完全に回避し切ったようで全くの無傷だ。

しかし、肩で息をしており顔には疲労の色が浮かんでいる。かなりの消耗が見て取れた。

「安息の地、と言う割にはお疲れちゃんじゃなーい?」

「心配無用。君を切り落とすまで私は止まらない」

「そーやって両端を切り捨てて、真ん中の人間だけへ庇護を与えよーう☆!っていうつもりなんだろーけーどさー。……そーやって、全人類を切り捨てるのかな?」

「黙れ。私の使命は悪を断つことであって、人を断つことではない」

「あーあーあー、横暴だなぁ!彼等に言わせれば、私達は人ですらないらしーね」


あの手この手で挑発を続けるディアに対し、テオは眉一つ動かさずに剣を構え直した。まるで聞く耳を持たないといった様子。

「打ち砕く。……『イェソド』!」

高々と掲げた断頭剣を、勢い良く突き下ろして地面へ突き立てる。そこを中心として、光溢れる亀裂が広間の床全体へと広がった。

無数の亀裂から漏れ出す白光が激しさを増してゆく。次第に直視することさえ難しくなる。


「これ、けっこーヤバいね」

この技は以前に一度のみ目撃したことがある。

あの時は私に向けられたものではなかったが、寒気を感じる程に忌々しいものだったことは、傍観していたにも関わらず忘れられない。

テオの守護すべき者が、異端の者達……つまり、私の守護すべき者達に取り囲まれた時に、テオが振り下ろした天の鎚。

異端者と、呪いを負って追い詰められた者。その頭上から降り注いだ光は、彼等の影を消し去った。

やがて光が止み、そこに残っていたのは、追い詰められたはずだった者のみ。

異端と呪いは痕跡すらなく消え去っていたのを覚えている。


あれは、彼等が恐れる者を悉く打ち払う光。

その光を向けられたディアは、考えるよりも先に体が動いていた。

カ……ッ!!

「ぐうぅぅ……っ?!!」


光束が針のように隈無く突き刺さり、気が狂いそうなほどの痛みを与えてくる。

しかし、光からは逃れない。自らの掲げた主を護る為ならば、自身の苦痛など行動原理とはならないのだ。

ディアは隼也を……いや、ウルティムを抱え上げて光から遮っていた。我が身を顧みることなく、全妖気を賭して隼也へ障壁を貼りながら、攻撃を凌ぎ続ける。


体から力が抜けてきた。まるで自分の体でなくなったかのように。

見ると、四肢の末端から光による浄化が始まっており、両肘、膝関節あたりまで色が抜け落ちたかのように白く変わっている。

スゥ……


光が止んだ。

時間にしてほんの数秒の間の出来事だった。

「あーぁ、やっぱ悔しいなぁ」

仰向けで寝転がりながら、人を小馬鹿にしたような笑みを浮かべるディア。右腕を除く全ての手足が燃え尽きた灰の様に崩れ落ちており、残された右腕も、灰へ変わり今にも崩れんばかりの様相を呈していた。

「パンパカパーン!おめでとう、テオくん☆これで両端を切り落とせたね!」

使い物にならない右腕を持ち上げて、どこか楽しそうに眺め回すディア。

すると、右腕もボロボロと崩れ落ちて、全ての灰がディアの顔に落ちてきた。

「ぶはっ?!ペッペッ!くっそー。今のが一番効いたぜぃ」

そんな状況でさえ、飄々とした態度を変えないディアの隣へ、テオが剣を納めて立った。

既に勝負は決まっている。側から見れば、勝ちであるはずのテオの表情は寂寥が滲んでいた。


「ディア、今回は私の勝ちだ」

「そーだねぇ。我らが主を人質にした、流麗かつ洗練された姑息な手だったよ。実に君らしいよ☆良かったねっ!異端は切り落とされたし」

「私自身も分かっているさ。両端は消えることはないとね。それでも、私たちは戦わざるを得ないことも」


テオの頭を飾っていた白い王冠が白炎となってかき消えた。フードを深々と被り、ディアから顔を逸らした。


「ぷぷーっ!!泣いてやんの〜!悲しいなら、最初からやんなきゃいーのにねぇ?」

「そうだな。だけど、今回は私が泣く番さ……」

「はははっ!実に面白いことを言うなぁ、君は。私の涙と君の涙は意味が違うって」

「かもな」


テオは天の審議室の縁の崖に向かい、皆に背を向ける様に立った。足元まで覆う純白のマントが、裾から次第に白い炎へと姿を変えて行く。


「私は去ることにします。貴方と共に行けぬ不忠をお許し下さい。しかしながら、私はいつ如何なる時であろうとも、貴方を証明し続けましょう」


テオは振り返らずに淡々と告げる。刻一刻とテオの体は炎へ変わり、既に腰から下は白炎に包まれている。

今にも消えようとするその後ろ姿に食ってかかったのはリツだ。

「一つ答えて頂きたいな、テオさん。君達は……何故、この世界にいたんだい?」

リツの問いを受けると、ゆっくりと空を仰ぎながらテオが静かに口を開いた。

「大方、君の予想通りだと思うよ。……我らが主よ。この信心が旅路の隔たりを祓わん事を願うばかりです」

短く返答し終えると、直ぐに元の調子に戻ってしまった。リツが苦い表情を浮かべる横で、頼人が驚きの声を上げた。

「な、なんだこれは?」


それは白炎『ラメド』。悪を討ち亡ぼす浄火が、頼人の両腕を覆っている。

外見こそメラメラと燃え盛っているようだが、当の頼人は涼しい表情のまま。熱いどころか、むしろ、心地良くもある暖かみを感じていた。

「それは私達の心。貴方の力となれば幸いです。……それでは、失礼致します。ライト」


そう言い残すと、テオは炎と共に風に流れていった。

その様を見ながらニヤニヤとしていたディアが、笑いを堪えるような素振りをしている。

「全く、テオのやつも回りくど〜いなぁ。仕方がない、私が彼の尻拭いをしてあげよう!手、無いけど」


「リッちゃん。さっきテオのやつも言ってた通りだろうけどさ、ハッキリと言ってあげよう。今、この世界に『私達に連なる3人目』がいるのだよ!いやぁ〜ん、こわぁ〜い☆」

「それは、確かな情報なのかい?ディアさん」

「もっちろんねぃ〜。ま、手は出さないほーが良いってのは、君がよぉ〜く分かってるよねぇ?特に、そこの2名がいる以上ね」

「教えてほしい。彼は何故それ程までに……」

「おっと!!しっ……、静粛にビィクワイエット……注意して耳を澄ませて、見ておくんだぞ?一度しかチャンスはないからね……」


サラサラサラサラ……

「さよ〜ならぁ〜……」


全員に耳を澄ますように促したディア。直後、乾いた砂が風に流されるような微かな音と小声での別れを残し、全身が灰となって風に攫われていってしまった。

言葉を失う頼人。

前の世界で出会った者達全てが、全力で生き延びようとする者ばかりだった。ディアのような、終わりの瞬間までふざけ通す人物など、見た事も無かった故の反応だろう。


「はぁ、やっぱりいつもの調子か。まぁ、仕方がないね」


立ち尽くす頼人を余所に、ディアが用意していたソファにリツが腰掛けた。

「頼人くん。奏くんと隼也くんが眼を覚ますまで、少し話をしてあげよう」

「なんの話だ?」

「ディアさんの言い残した『3人目』の話だよ。と言っても、君は少し知っているだろうけどね」






---------------------

〜1時間半前〜

研究施設跡地





「君の中の私が、私でいられるうちに……サヨナラするね」

瞳を閉じるたび、脳裏をよぎるあの『ワンシーン』。イかれたレコーダーのように、同じ言葉が延々と聞こえる。思い出したくはないが、忘れてはならない記憶。



あの日から、どれだけの歳月が経ったのだろう。

もとより、時間というものに全く関心がなかった為に、自らの足跡を振り返るのも不自由する。

過去の出来事を覚えてはいるのだ。しかし、記憶の順序や時期までは覚えていない。


ただ、いつの出来事であれ、あの記憶だけは再生し過ぎて擦り切れたビデオテープのように、妙に薄らいでいて……そうありながらも、忘れることのない記憶だった。



あれも何時もの通り些細な出来事であった。そのはずだった。

……であるにも関わらず、心が何処か欠けているような虚無感を残すのは何故か。その虚無感に悶えて縋り付くようにように、形見を強く握りしめるのだ。



初めは、名は無かった。

自分が何者かさえも教えられぬまま、この世界に落とされた。別にそれを不自由に感じたことはなかったし、それが当然だった。

しかし、遥か遠くから光を投げかけるように、ただ一つだけ。我が身の内に灯る想いがあった。


それは、抗うこと。


より巨大な者へ。

より強靭な者へ。

より崇高な者へ。


行く宛ての無い旅人の目の前に、街を示す看板があったとすれば、殆どの者は迷う事なくそれに従うだろう。

虚ろに漂うばかりのこの身に示された、『抗う』という導。

道導と呼ぶにはあまりにも頼りなく、淡く遠い光であるものの、行先の無い己がそれに従うのは、当然だった。

幾らかの時が経ち、何となく目指していたそれはいつしか、唯一の行動原理となり、多くの者はそんな俺を指差してこう呼んでいた。


『レヴェリオ』


別段、気に入ったという訳でも無い。しかし、名が無い以上、撥ねつける理由もなかった。

聞いた話では、『反逆』という意味が込められているらしい。

その意味を最初は不思議に感じたが、これまでの時を思い返すと、あぁ、と思わず口にしていた。

確かに、これまで自分より大きな者へ抗い続けて来た。

成る程、側から見れば『反逆』しているようにも見えたのだろう。

別に誰に従えられてもいない以上、反逆というのも可笑しな話だったが、そんな俺を有り難がり、政に不満を持つ者、抑圧される者、搾取される者たちは『レヴェリオ』を掲げて蜂起した。


周囲が沸き立つ中、俺にはそのような事はどうでも良かった。大方、反乱する者達は強者に押し潰されていくばかり。偶然、俺の気を引くことができた反乱は成功するものの、暫くすれば、次の反乱の矛先となるのが殆どだ。

反逆の終わりは、新たな反逆の始まりとも言えるのだろう。反逆の連鎖は細々と、しかし連綿と続いていった。


ある時、無為な反逆の繰り返しの中、ふと、違和感を覚えるときが訪れたのだ。

普段はボンヤリと眺めている反逆が、その時ばかりは妙に鮮明に映った。『レヴェリオ』を掲げる者達、血を流す者達、勝利を疑わずに倒れ逝く者達。

何と言葉にするのが正しいのだろう。

薄れた記憶である為かハッキリとは言えないが、『近しい』というのが、最も近い表現だと思う。


色鮮やかで、臨場感に溢れて……全てが生まれ変わったかのように目に映り、少し手を伸ばせば手に取れそうだった。

例えるなら、下らない安経費の映画作品ばかりを見続けていた所に、唯一無二、世紀の傑作映画の予告が、目に飛び込んできたかのような感覚。

何もかもが眩しすぎて、手放したくないと強く思った。予告で終わるなど無慈悲が過ぎる。より長く感じていたい、より深く知りたいと思ってしまった。


その感情こそが、今もなお薄れゆく『ワンシーン』を手離せない原因なのだろう。




廃墟、それも、かつては大掛かりな研究施設であったと思われるその場所に立っている。

ここは『ワンシーン』に立ち会う、以前にいた場所であり、『ワンシーン』との因縁のある場所でもある。

研究施設の地上部分は大部分が崩壊、屋根や壁の多くが失われ、半ば野晒しのような状態となっている。あと数年もすれば、自然の中に埋もれて行くのだろう。

しかし、用があるのは地下施設だ。

地下施設は、外界の影響をあまり受けていない為か、多少の劣化はあるものの、殆ど当時と変わらないまま保存されている。

エネルギー供給こそ途切れているが、それは仕方がない。妖気で簡素な光源を作りながら、無機質な通路を迷うことなく進む。幾度と無くこの通路を通ってきた。暇さえあればここに足を運んだ。

通路突き当たり、光を失ったセンサーが備え付けてある両開きのスライドドアを強引にこじ開けた先に目的がある。



無機質な通路と同じような部屋。

ただ、他と違うのは、当時の照明などが正常に機能している事と、小綺麗に整えてある事だ。


つい今まで、誰かが居たかのような状態。

サイフォンがコーヒーを淡々と滴らせ、テーブルに置かれたマグカップからは湯気さえも立ち昇っている。

この部屋へ訪れる者は、俺を除けば長らく存在しない。しかし、この部屋は確かに、僅か数分前まで『誰かが居た』。

何故、そのような矛盾する事態になったのか。

それこそが『ワンシーン』に連なる出来事なのだ。


なんら難しいことでは無い。

古くからの知人に頼み、その力によって、この部屋のみが永遠に3分間をリピートし続けるように時を操ってもらった。つまり、世界が何年何十年と時を経ても、この部屋だけはひたすらに3分を刻む。

だからこそ、幾年も人の手が加わっていないにも関わらず、時のリピートを始めた瞬間の『数分前まで誰かが居た』状態を保ち続けているのだ。


低い唸り声を絶えず上げる壁に埋め込まれたユニットへ近づいた。

タッチパネルへ12桁のナンバーを打ち込むと、プシュッ……と空気の抜けるような音を立てながら、ユニットの開口部が僅かに開く。

両開きの扉のようなそれを開くと、中から冷気の靄が流れ出し、その奥に鎮座している艶消しされた銀色の円柱状の物体が顔を覗かせた。


その円柱へそっと手を触れて、何百、何千と繰り返した、何時もの通りの言葉を掛けた。


「待っていてくれ。必ず、連れ戻す」


ヴゥン……

そう呟いた直後、視界が一変した。

顔を上げると、先程の部屋の前に立っている。

3分を過ぎた為、時間がリセットされたのだ。今もこの扉の向こうでは、繰り返す時の中で『彼女』が静かに眠っているのだろう。

ふぅ……と息を吐いて、踵を返す。

自身への誓いも立てた。やるべき事を終えてこの場を立ち去ろうとした。

その時だった。




ズッ……


シュインッ!!

反射的に刀を抜き放っていた。

何処からか発せられた、身の毛もよだつ程の禍々しい重圧へと。恐らく遥か遠くから、それも意思を介さずに放たれたものであろう。しかし、看過できない。

俺はこいつを知っている。だからこそだ。


ガラガラ……

咄嗟に抜いた刀の斬撃で、地下施設の天井部分を切り刻み、地上への吹き抜けを作ってしまった。

刀を納め、邪悪な妖気の方角を探る。

「北か……」

一息に研究施設から飛び出した。

再び緑に侵食された地上部分へ戻ってくると、いつの間にか、来る道には居なかった者達が無数に集結していた。


「妖気性生命体……一瞬、刀を抜いた所為で寄ってきたのか」


一帯を埋め尽くさんばかりの妖気性生命体……人影で溢れ返っていた。小さなものは蛇や犬などの動物から、巨大なものは巨大な双角を振りかざす魔獣の姿もある。

以前、耳にした話では、妖気性生命体はより強大な妖気へと集まろうとするらしい。自らの存在をより強固にする為に、見境なく妖気をかき集めるのだとか。効率的に妖気を回収する為、強力な妖気の元へ現れては襲い掛かってくるようだ。

強力な妖気の主を倒せれば御の字、まるごとそっくりそのまま妖気を頂く。もし倒せず無数の妖気性生命体が返り討ちにされたとしても、妖気性生命体が攻撃を受ける瞬間に、僅かずつだが妖気を掠め取ってゆく。

そうやって、ジワジワと勢力を伸ばしている……らしい。


「お前達が欲しがっているのは……これか?」

胸の前に掲げた刀を僅かに抜いた。

乳白色の鞘の隙間からチラリと覗いた刃は、鞘とは似ても似つかぬ沈んだような黒をしている。


刀を見せた瞬間、全ての人影が我先にと飛びかかった。落ち着き払って刀を納めると、瞳を閉じて告げた。

「悪いな。これは、お前たちの望むようなものじゃない」


人影達は黒い雪崩のように押し寄せる。人影が肉薄し、人影の変形した腕の刃が首筋に触れる寸前、目を見開いた。

「反逆させてもらう」


覆い被さるように結集していた無数の人影の合間を、赤と銀の残像が駆け巡った。

バラッッ!!!

飛びかかった人影達のターゲット、莫大な妖気を蓄えた妖刀は、既にそこには無かった。その代わりに人影達の全身には、僅かに妖気の残る赤い線が縦横無尽に走っていた。

雪崩れ込んだ第1波の人影をすり抜け、立ち位置の入れ替わった『レヴェリオ』は、悠々と刀を納めていた。

全身に赤い線の走る人影達は、地面へぶつかった衝撃でバラバラに崩れ散った。

「素通りと変わらない……」


圧倒的力量を目の当たりにし、まるで慄くような仕草を見せる人影の真横へ、残像すら見せない程の速度で回り込んでいた。

隣に立つ人影の顔を納めたまま刀の柄で打ち付け、流れるように背後から鞘の先で足を払う。宙に浮かされた人影に出来る事など残されていない。


『レヴェリオ』の暗赤の瞳が、強く輝く。

宙に舞う人影が、静止したかと見紛うほどの超低速になる。

音も聞こえなくなり、風も感じない。

ゆっくりとした動作で左手を刀へ手を掛け、一気に抜き払う。


『レヴェリオ』の抜き放った刀の身は艶のない黒色をしていた。刀身には刃文の代わりに、木目状に純白の妖気が浮かんでおり、刃の縁も同様の妖気を帯びている。


胴を一文字に叩き斬り、右手に持った鞘で上半身を叩きつけた。

更に回転の勢いのまま、下半身を蹴り飛ばす。

ゆっくりと吹き飛び始める半々の人影を背に、刀を納めてゆく。


気が遠くなるほど緩やかに流れる時の中にしても、体感3秒程度の抜刀時間。

しかし、その刀身からは純白の輝きは既に失われていた。

残るのは、燻んだ黒の刀身のみ。

刀が鞘へ納まろうとする時、人影を切った際に飛散した黒い飛沫が、鞘の中へと吸い込まれた。

カチンッ……

納刀と同時に、瞳から輝きが失せる。


ドガァッ!!ドゴッ!


堰を切ったように元の速度で動き出した時間。

人影の半身はそれぞれの方向へ吹き飛ばされ、その先にいた運の悪い人影達を巻き込みながら四散した。


当然、全ては『レヴェリオ』の見ていた世界に他ならない。

のんびりと宙に舞い上がる人影も、莫大な妖気を放つ刀の輝きも……、緩やかに流れる時間は『レヴェリオ』の目にのみ映ったもの。


それ以外の者達には、『同胞が宙に叩き上げられたと思った時には、他の同胞も吹き飛んでいた』

そのようにしか映らなかっただろう。


「目にも留まらなかっただろう。しかし、ここまでは俺の力だ。この刀の真の力は、お前達にとって最も恐るるべきものとなるだろう」





----------------------







「……その刀の名は『王角』。なぁに、なんの捻りもないど直球のネーミングさ。起源であり頂点に立つ王。その王の持つ二つの角のうち、一方から削り出されたものだよ。どちらかと言えば、刀の名ではなくて、素材を指す名前なんだけどね」


嬉々としてリンについて語るリツ。その表情はとても楽し気で、一番の親友の素晴らしさを親へ語る子供のようにも見えた。


「王……というのも気になるが、何より刀の力が気になるな」

頼人は未だ目覚めない2人を横目で眺めながら、話に聞き入っていた。

「彼がいうには、その刀は『妖気を奪う』んだと。……何故、鞘も刀身も角から削り出されたのか、僕も気になってね。少し前に尋ねたんだ」

「妖気を奪う?」

「そう。正確に言えば、妖気を奪うのは鞘のほうらしい。なんでも、素材となった『王の角』の力が『妖気の吸収と放出』らしいんだ。『王の角』の内、妖気の吸収を司る表層部を鞘へ、妖気の放出を司る芯部を刀へと加工した」


リツが指を振ると、空中へ妖気で簡素な刀のイラストが描き出された。イラストが動きながら、リツの説明を図解し始めた。


「まずは、鞘。鞘は納刀時に周囲を漂う妖気と、刀身に付着した妖気を吸収する。そして取り込んだ妖気を、刀自身の妖気へ変換蓄積する」

「続いて、刀だ。刀は鞘に蓄積された妖気を取り込み、圧倒的な斬れ味を発揮する。但し、刀は『放出』を司る為に、その斬れ味が保つのは、ほんの一瞬。刀が取り込んだ妖気は、抜いた瞬間から、笊に水を注ぐように抜けていく。妖気が減少すればするほど鈍っていって、完全に抜け切った時には、何も切れない大鈍だ」

「そんな性能じゃ使い物にならないだろう?」

いくら究極の斬れ味を誇ろうとも、実際に切ることが出来なければ、それは無いに等しい。

何故そのような刀をリンが扱えるのか。

薄々ながら理解しつつも念の為に質問するが、案の定、思った通りの返答が返ってきた


「君も以前、リンが刀を抜く瞬間を見ただろう?何のことはない、『彼はその一瞬で事足りる』と言うだけさ。一応、刀について知っているのはここまでだ。……けれど、彼はまだ話してないチカラがあるような口ぶりだったから、今言ったことが全てとは思わないほうがいいだろうけどね」

「いや、それが知れただけで充分だ。ありがとう」


頼人が眉間にしわを寄せる。

リン……超常的な能力を持つ訳では無いにしても、現実離れした力と魔刀を持つ人物。

リツの手によって、リンの力を妖術として再現した『オーバークロック』を思い返す。

音の無い、全てが停止したような世界が奴の生きる世界だとすれば、到底、敵う気がしない。

光を操れるといえど、光の速度で動ける訳ではない。リンの速度について行けるのかと言われれば、否と言う他ない。

本格的に妖怪として生まれ変わった時から、格段に増した己の力に、僅かながらも万能感を覚えていた。しかし、そのようなものは幻想に過ぎない。

リツの話を聞いただけでも、そう感じていた。

上には上がいるのだ。或いは、彼が頂点なのかも知れない。



「うぅ……ぅん、いたたた……。あれ?僕……」

妖気を取り戻した奏が目を覚ました。今の状況に混乱している様子だ。リツが立ち上がり、奏へ歩み寄った。

「おはよう、奏くん。調子はどうだい?」

「お兄……リツさん。僕、どうしたんですか?」

お兄様、そう言いかけたのを飲み込んで、奏は続けた。

「確か隼也がおかしくなって……そこからが、上手く思い出せない……」


混乱する奏に、頼人は鋭い視線を投げかける。

「お前は隼也……いや、ウルティムへ一人で突っ走って挑んだ。どう考えても悪手だ。無駄死にしかけた上、それをカバーする為に仲間を危険に晒した」

厳しい意見を述べる頼人。状況を思い出した奏も、反論の余地はないと萎縮する。しかしながら、仲間を失うことを恐れるからこその、頼人の厳しさでもあった。

そんな頼人をなだめつつ、二人の間へリツが割って入った。

「まぁ、どうあれ君は悪くない。あの時、あの場にはディアが居たからね。彼女は存在するだけで、周囲を攻撃的にしてしまうんだ」

「いちいち、鼻に付く言動でか?」

「まぁ……それもあるけれど、殆どは彼女の司る『少数』という概念に起因するものだよ。加虐者より被虐者が少数なのは当然だからね」

「成る程な、隼也が乗っ取られてたとは言えど、流石に奏の行動は常軌を逸していた。あれはディアが原因だったのか」


「しゅ、隼也はどうなったの?」

さぞかし心配そうな表情を浮かべる奏。頼人が指し示した方へ視線を移すと、何故か、上等そうな布団で眠る隼也の姿があった。


「羨ましいね。僕は生まれてこの方、ベッド派だけれど、布団にも布団の良さがあると聞いてる」

いつの間にか隼也の元へ歩み寄っていたリツが、しゃがみ込んで布団の手触りを確認していた。

「最高級の物を用意してくれてたみたいだね。準備が良いんだか悪いんだか」


「あれ?もしかして……」

何かに気がついた様子の奏が、布団を半分だけめくった。そこには煌々と光を放つ剣が、隼也の傍らに添えられていた。

「これ、僕が無くした剣だよ!」

そう、そこにあった妖剣は、ウルティムが表出した際に、奏の元から没収されていた細身の妖剣だったのだ。恐らく、ディアが密かに回収していたのだろう。

大喜びで剣を手に取ろうとするも、直前で躊躇って手が止まった。

リツは不思議に思って首を傾げる。

「どうしたんだい?君にとって大切な物なんだろう?」

「あ、その……なんか勝手に取っちゃったら、隼也に悪いかなぁ、なんて」

バツの悪そうにはにかみながら、伸ばしていた手をそっと下ろした。それを見たリツは、一瞬、面食らったような表情を浮かべ、すぐに笑い始めた。

「ははははっ!!なるほどなるほど!確かにその通りだ!それじゃ、彼が目覚めてから、遠回しにおねだりしなければいけないね」

「や、やめて下さいよ……」

仲良く会話する2人を眺めながら、頼人も小さく微笑んだ。こうして見ていると、確かに仲のいい兄妹にしか見えなかった。


ボゴボゴボゴボコ……ッ!

微笑ましい光景に、似つかわしくない異音。

まるで泥土が泡立つような粘着質な音と共に、地面からドス黒い妖気が湧出している。すぐさま二丁拳銃を抜き放った頼人を遮るように、奏が立ちはだかった。

今なお量を増す黒い妖気に向かい合いながら、奏が振り向かずに頼人へ告げた。

「頼人くん、ここは僕に任せてほしいな。みんなに迷惑かけちゃったし、こんな時くらい誰かを守りたいから」

奏と出会ってから一ヶ月強、基本的に後衛や援護に回ることの多かった奏の口から、『任せろ』と言う言葉を聞くとは思っても見なかった。

頼人は笑みを浮かべ、拳銃をすぐに収めて下がった。

「分かった。お前に任せた」


「うん!」

両袖を肘まで捲り上げる。

背中を通した妖気を右手へと収束させる。

地面へ広がった妖気溜まりがボコボコと沸き立ち、盾と剣を携えた人影が現れた。

騎士型人影、技量と身体能力が高い上位種。

特筆すべきは剣の技量だ。身体能力、妖気等、全てにおいて優っている隼也相手にも、技量のみで食らいつくほど。

加えて、非常に頑丈な盾を携えている。

隼也の斬撃程度なら軽く受け止めてしまう上、妖怪ならではの修復力もある。盾を貫くには、高威力の技を持って、一気呵成に畳み掛けるしか無い。


キイィィィ……

奏が突き出した右腕に沿って、収束した妖気が剣を形成する。隼也が奏へ渡した妖剣と同じ見た目の澄んだ薄紫色の妖剣は、切っ先を人影へ向けながら奏の号令を今か今かと力を溜めている。

しかし、強敵である騎士型はすぐに防御姿勢を取ってしまった。これでは折角の妖剣も意味が無い。


ドン……ッ!


「な、マジか」

目を疑った。

絶対に盾で弾かれると思っていた妖剣は、奏の腕から放たれた後、騎士型の盾の中心を貫き、更に人影を壁へと縫い付けてしまった。

奏の戦闘をあまり見たことがなかったが、これ程の力を持っていたなど、露ほどにも思わなかった。

驚く頼人の横で、リツが奏へ大きな声で呼びかけた。

「おーい!奏くん!あの本を使うと良いよ!」

「本、ですか?」

左手へ妖気が集まり、四角いシルエットを形作る。その中から現れた本が、奏の左手へ収まった。2人の母の形見の妖本だ。

「この本って、どうやって?」


「その本には3通りの使い方があるんだ。けれど、取り敢えず今は、一つ目の使い方を教えるよ。君の背を通した妖気を、更に閉じたままの本を通してから放つんだ」


奏の妖気を背中の術式で、妖気を術の形にする。その妖気を発動前に本に寄り道させろということらしい。

奏はその通りに従ってみた。

試しに、さっき騎士型を貫いた1m足らずの妖剣と同じものを作り上げる。

背中を光が這い回り、左腕を通って本へと流し込む。本を通り過ぎた妖気は、右腕で剣を構成した。

「え……わっ!なに?!」

1m足らずの妖剣。の、はずだった。

しかし、現実、奏の傍へ構成された剣は、5m近くはあるであろうものとなった。

「驚いたろう?その本は閉じたまま使うと、妖術の効率を大幅に改善してくれる。それが、今、君の使った妖気で形成し得る、本来の剣と言うわけだ」

技の規模に目を疑っていた奏は、リツの言葉に耳も疑った。

1m足らず、隼也の妖剣より一回り小さい剣を創り出す妖気で、本来ならこれ程の剣が作れる。リツの述べた事実は、それ程に奏の妖気にはロスが多いと言うことだ。


「僕もまだまだ……精進が足りないんだね」

妖剣が眼前の人影達を一薙した。

騎士型達は盾で妖剣を凌いだ。しかし、その他の能力の低い人影達は、対応する暇も能力もなく切り潰される。


「逃げないでっ!」

初撃と同様のサイズの妖剣を4本作り出し、背後へ展開する。その妖剣を騎士型の元へ飛ばして、激しく斬りつけた。

しかし、奏は剣の心得がある訳でもない。素人の太刀筋など、容易く見切られ弾き飛ばされた。

「うぅ……これじゃダメか」

弾き飛ばされた妖剣たちを、天高くへ打ち上げた。妨害が無くなり、騎士型は今こそ機だと一斉に飛び掛かる。

「当たって!」


ズドッ!!!

接近した騎士型達が、奏へ剣を振り下ろそうとした時、空へ打ち上げていた妖剣が奏の周囲へ降り注いだ。地面へ突き刺さった妖剣に亀裂が走り炸裂、立ち昇った光柱が奏諸共人影を飲み込んだ。


「おぉ!素晴らしい破壊力だね。君が敵に回らなくてよかったと心から思うよ」

突き刺すような閃光に目を細めながら、リツは感嘆の声を漏らした。光が晴れると、人影は跡形もなく消えており、無傷の奏が立っている。


ギィイン!

地面を剣で擦り上げながら、運良く生き残っていた最後の騎士型が飛び掛かる。

ズドッ!

奏と騎士型の間へ浮遊させた魔本へ、妖剣を突き立てた。奏にも扱える程度の細身の妖剣は、本を貫き、身幅が騎士型の身長ほどもある長大な妖剣へと増幅され、人影を一突きで両断した。


「凄いね、この本。お母様が作ったのかな……?」

「あぁ、そうだよ。全妖力の半分を注ぎ込んで作り上げたらしい」


全妖気の半分。

途轍もない量の妖気が込められているのは、手に取った瞬間に感じられた。自分の全妖気さえ及びはしないだろう。

しかし、それでも全体の半分だけ……。

当時は分からなかった母の大きさを、今となって理解できる気がした。


「2通り目の使い方は、開いて妖気を流し込む。すると、妖気が通ったページに対応する術式を起動できる。見開き1ページばかりじゃなくて、数ページまとめてだったり、特定のページの組み合わせだったりで発動する術は変わる。ちょっと組み合わせが多過ぎて、僕もあまり把握はできていないけどね」

「僕の背中の術式と同じだ……」

「そうだね。何か繋がりがあるのかもしれない。ただし、奏くんの術式とは違って、この本の術式は、手に取って発動したい術のイメージを思い浮かべれば、その術のページが開く。かなり、便利な機能だろう?僕と君しか扱えないけどね」


「そうなんだ。……よし、それじゃ!」

リツの言葉を聞いた奏は何か思いついた様子で、未だに寝息を立てる隼也の枕元へ屈み込んで、心の中で魔本へ要望を伝える。すると、それを聞き入れたかのように本がパラパラと独りでに開いた。そこには、如何なる言語とも異なる未知の文字によって陣形が描かれている。

奏自身にも、その文字や陣形の意味は分からない。

しかし、絵画の素養や知識が無くとも名画を美しいと思い、込められた意味を感じ取れるように、奏はそのページに記述されたものに確信を持っていた。

そこへ妖気を流し込むと、本から金色の光が溢れ出した。

「おいおい、奏くん。何をする気だい?」

周囲一帯を黄金の光が満たしてゆく。あまりの眩しさに顔を遮りながらも、リツは奏を心配しているようだ。

「大丈夫、お兄さ……じゃなかった、リツさん。これできっと、隼也が目を覚ますはずだから!」

「か、奏くん!僕が心配しているのはそういうことじゃ……!」

一際強く光を放った後、魔本は何事も無かったかのように独りでにパタンと閉じた。

綿雪のように、黄金の光の粒が辺りを漂っている。


「ん……、ふぁ〜……っ!うぅん?」

それまで身動き一つせず寝入っていた隼也が、引き戻されるように目を覚ました。

「あれ?寝てたのか」

「うん、おはよう。隼也」

眠そうに目を擦る隼也へ、目線を合わせて笑いかける奏。一方でやれやれと、リツがかぶりを振る。


「妖怪にとっての眠りは、人のそれより大きな意味があるというのに……」

「大きな意味がある?」

初耳の情報を頼人が聞き返した。リツは小さく頷いて更に続けた。

「身体の修復や休養なんかの基本的な意味は一緒だけどね、なんせ重みが違う。深刻なダメージを受けたり、または妖気が欠乏したりした場合、身体機能全てを停止してまで回復に専念するほどに、妖気をとは重要なものなんだ。妖気が尽きれば消滅だしね。もし、妖気の回復が不十分のままで、なんらかの手段で叩き起こされた場合、すぐに消滅しかねない。まぁ、普通は叩き起こすなんて不可能だけどね」

「全く。後先考えずに……」

頼人が肩をすくめる。リツもそんな頼人を見て苦笑いした。

「まぁまぁ、今回は上手くいったみたいだしセーフさ。それにどのみち、彼には動ける状態であってもらわなくちゃならない」

「どう言う意味だ?」

「すぐにわかるよ」

何か、思惑のあるような口振りのリツ。それを頼人は不審に思い追及しようとするものの、突如として響いた奏の声に遮られてしまった。


「隼也、どうしたの?!」

「は?な、何が?」

「目だよ!」

「え?目?……目って、俺の?」

「そうだよ!隼也の両目だよ。なんで、青いままなの?」

「いや……ぜひ確認したいところだけど、自分の目は見れないしなぁ」


「そんなことなら!『リフレクタ95』。ほぅら、よく見えるだろう?」

リツが術を唱えると、隼也の足元の地面へ光の線が通り、その線に沿ってカーテン状の光の薄膜が立ち昇った。

光の幕を覗き込むと、まるで鏡のように同じ顔が、素っ頓狂な表情で覗き返している。

「確かに……目が青い」

白狼天狗の里に来てから長いこと鏡を覗いたことは無かった。それでも、最後に鏡で見た自分の目は、幼い頃から変わらない黒だったはず。

「そうだよ。いつもは妖気を使ってる時だけだったのに」

「そうなのか……。戦ってる最中に自分の顔なんて気にする余裕無いから、そんなこと知らなかった」


「隼也。今、何か変なものとか見えないか?」

真剣な表情で頼人が問いかける。今のところは心当たりのない隼也は首を横に振った。

「いや、今のところは」

「そうか。……だが、必ず何かが変わっているはずだ。俺がそうだった」

頼人の言葉には信憑性があった。

頼人のは金縁のある碧眼。しかし、一度、銃を抜けば、彼の瞳は各武器に対応した紋様へと変化する。澄んだ海の淵を覗き込むような青の上へ、瞳を取り囲む金環が移る。

時には円と十字、ある時にはひし形、更にある時は二重同心円など、様々な紋様が現れては頼人の視界へ影響を及ぼす。

頼人の視界がどうなっているのか、それは本人以外の誰にも想像はつかない。それも当然のことだろう。

自分の見る青が、本当の青なのかは分からない。

他人の視界など、知る由も無い。見えるも見えざるも、個人にとってはそれが当然なのだ。


「ははっ、頼人。お前が言うと、すっげえ分かりやすいわ」

「そうだろうよ。……まぁ、俺も生まれついて、こんな思い通りのものが見える目だったわけではない。俺が小さかった頃に、自分たちとは別のグループの人間に捕まったことがあってな。食料となる動物の撒き餌として、殺されそうになる直前に開眼したんだ」


「ら、頼人君にそんな過去があったの?!とっても強いのに」

エピソードを聞いて驚く奏。頼人は溜息をついた。

「さっきも言ったろう?俺だって、小さい頃から闘えたわけじゃない。しかし、この件でこの異様な目を得てからだった……俺が銃を持ち始めたのは。攫われてから暫くして、俺の仲間が助けに来た。その時には、人外のような目で、銃を持ったままへたり込んだ俺と、胸に光の弾痕が空いた数人の遺体だったらしい。俺自身はあまりに必死だったらしくて、全く覚えてないけどな」

「どう見える?一体、どんな風に変わったんだ?」


「どう見える?、と言うのは少し違うな。なんと言えばいいのか……そう、一言にまとめれば『第六感』というべきか。視覚にに加えて、新たな感覚を認識できると言うのが最も近いと思う。まぁ、個人毎に差異はあるだろうし、この意見も俺の独り善がりな所感だがな」

「ほう、面白い意見だよ。頼人くん。僕の周りの皆は、どんな感覚なのか尋ねても全く答えてくれないんだ」

頼人の話に誰よりも身を乗り出し、目を輝かせて聞いていたのはリツだった。

「俺は、後天的にこの知覚を得た、と言うのも理由の一つなんだろう。もし、生まれた時からこの視界で暮らしていたなら、この目を、第六感などと形容はしなかっただろうからな」


「まぁー、確かにそうだろうな。……それじゃ、俺はどんな第六感に目覚めてんのかな」

隼也は立ち上がり、辺りを見回した。しかし、視界に関して、特に変わったことは見つからない。以前と一切違いのない視界に首を傾げた。

「まぁまぁ、隼也くん。目が青いままとは言え、頼人くんみたいな新しい知覚が覚醒したとも限らないし。それに、いきなり突飛なものが見え始めて混乱するより、これまで通りの方が良いとも言えるしね」

「そうだね。僕もリツさんの言う通りと思うよ。今までのままが一番だよ」

「そうだな」


あまり深く考えていない様子の奏の励ましに、なんとも言えない気持ちになりながらも、隼也は笑顔で肯定した。

いつまでも寝てはいられないと、布団から勢いよく立ち上がった。すると、カランカラン!と音を立てながら、掛け布団のに巻き込まれていた何かが、地面へと転がり落ちた。

「ん?この剣は」

それは隼也自身の妖気で構築された、細身の妖剣だった。これは、確か奏に渡したものと同じものだったはず。

記憶を辿り直しながら、隼也が妖剣を拾い上げた。横から妙な気配を感じて振り向くと、奏がじいっ……とこちらを見つめていた。

「……」

「あの……奏?」

「……」

「えぇ……、これいる?」

「いる!」

隼也が剣を差し出した瞬間、奏はお預けが解禁された子犬のように飛びついた。受け取った剣を愛おしそうに抱きしめている。妖剣が手元になかったことを、相当に不安に感じていたのだろう。


「そんなにか……。でも、別に俺が起きるまで待たずに、勝手に取ればよかったのに」

「はははっ!僕たちもそう言ったんだけどねぇ。勝手に取るのは少し申し訳なかったらしいよ」

「律義なんだか、どうなんだか」


隼也が完全に起き上がると、布団はすうっと煙のように消えてしまった。おそらく、妖気で構築されていたものらしい。

妙に体が重たい気がする。心当たりなどないが、何というか、全力で遊びまわった後に来るズッシリとした疲れのようだ。


「さて、隼也くん。君は何を覚えているかい?」

リツが隼也へ、笑顔を崩さずに問いかけた。

「何を覚えているって……なにが?」

しかし、パッと聞かれて、咄嗟に思いつくような返答もない。困惑の色を浮かべる隼也を見て、リツは満足げに頷いた。

「そうか、覚えていないんだね。それならそれでいいさ。何があったかは、後で頼人くんにでも聞くといいよ」

「なんで俺が」

「仲間は……助け合うものだろう?」

リツが頼人を茶化すようにあしらう。小さく舌打ちだけをして、頼人はそれ以上は噛み付かなかった。


リツは皆から少し離れ、天の審議室の足場の淵へと立った。目の前には大パノラマの雲海が広がっている。

地上を見下ろしながら目を細め、皆に聞こえないような微かな声で、心の内を呟いた。

「さぁ……頼むから、大人しくしていてくれよ……」


勢いよく振り返り、3人へと声をかけた。

「さぁ、皆目覚めたことだし、速やかにここを去ろう。あれだけ妖気を大盤振る舞いしたんだ。妖気性生命達も喜んでここへ集結するだろう。そうなると面倒だからね」


声を張り上げて皆へ提案をする。隼也達3人は会話をやめ、一斉にリツの方がへと注目した。吐息一つ音を立てない3人。リツは表情を変えずに振り返った。

「……?!」


「そうはいかないな。リツ」

「そうかい?出来ればここは、穏便に済ませたいんだけれど」

比喩でもなんでもなく一瞬にして、リツの背後に現れた男とリツが、親しそうに会話を交わしている。


ダダンッ!!

呆気にとられる隼也と奏の横っ面を、銃声が叩きつけた。それに肩をすくめて驚く2人とは対照的に、頼人は何の警告も無しに急所を撃ち抜かんと引き金を引いていた。

しかし、その弾丸はリツの生み出した結界へヒビをつけただけで、謎の男へは到達しなかった。

「リツ、やはりお前は……」

険しい表情でリツを睨みつける頼人。しかし、当人は頼人へ目もくれずにリンへ話しかけていた。

「リン。彼は君の胆力を試したのさ。いきなり撃たれた程度で狼狽えるような君じゃないってね」

リンと呼ばれた男は、右手の刀の柄に添えた左手をそっと下ろした。

「結果論だとしても。あいつは俺に害することは無かった。今回はお前の顔を立てようか」

「あぁ、ありがとう。つい今まで君のことを彼に紹介していてね。実物に会えて舞い上がったみたいだ」

「相変わらず胡散臭いな。お前は」

「ははっ!お褒めの言葉、光栄だよ」


「マジか……」

「あの人が……リン……?!」

リツとリンのやり取りを目の当たりにし、2人は言葉を失っていた。隼也が横目で奏を伺うと、表情には怯えが見えた。それも当然だ。

これまでに多くの、リンの被害者と出会った。その人達が語るのは、欠片も情を感じない冷酷さとそれを裏打ちする絶望的な程の力。


「最初からこのつもりだったか!リツ!」

頼人が声を荒げてリツへ問い詰める。しかし、リツは静かに否定した。

「逆だよ、頼人くん。僕はこうなるのを懸念してここに来た。君たちがこの世界へ向かっていることを知った僕は、君らがリンと接触しないように手を回さなければいけないと思った。また、接触が避けられないのであれば、戦闘だけでも避けねばともね」


「二枚舌が……その言葉の何処に信用がある?」

リツの言葉は、頼人には一切通じていない。

「だろうね。君には疑われても仕方がないし、弁明の余地もないだろう。だけれど、これは真実だ。……何の謀略か、この世界へ落とされた君達を無事に返す。その為に僕も動いたんだけどね……失敗に終わったよ。隼也くんに起きたイレギュラーでね」


「もういい」

リンがリツの言葉を遮り、両者の間に割って入った。

「リツ、お前の魂胆は十分に分かった。そして、その試みの失敗もな。奴がこの世界を知ってしまった以上、俺は奴を……ウルティムを殺す他ない」

「是非、君を止めたいところだけど……、隼也くん達を匿うという、僕の最後の足掻きは失敗したからね。もう、僕はお手上げだ」


リツはそう言うと、皆から離れて広場の隅へと移動した。リンはそれを見送り、隼也達3人へと振り向く。

「お前ら2人も下がれ。用があるのは、ウルティムだけだ」

呆気にとられる隼也へ歩み寄ろうとするリンの前へと、頼人が立ち塞がった。両手に銃をリロードしながら、リンを睨みつける。

「断る」

「一度目は見逃したが、二度目はないぞ。頼人」

「見逃すだと?随分と偉そうな口振りだな」

リンの警告にも頼人は食い下がる。頼人を鼻で笑い、隼也へと向き直った。

「ウルティム……いや、隼也と呼ばれていたな、確か。今そこに立っているのは恐らく、隼也か。……一言、詫びよう。だが、憎むならばその生まれを憎め」


リンから静かに殺気を感じる。突飛な状況に混乱しながらも妖剣を作り出し、臨戦態勢を作った。

ウルティム……何のことかさっぱりだが、狙われているのは間違いないらしい。



その時だった。見慣れないものが視界に入り込んだのは。

「なんだ……これ」

視界の中央に線が走っている。とても強く深い、鮮やかな青の線だ。それは目を閉じようとも見え続ける。

視覚とは違うその奇妙な線に何か妙な予感を感じ、線上から体を外した。

その刹那だった。


ザンッ!

光が走った。

瞬きをする間になどと甘い次元ではない、目では追い切れないほどの一瞬。

数メートル先に居たはずのリンは隼也の真横に立っており、青の線上には振り下ろされた刀があった。線上から逃れるのが遅れた妖剣は中間で綺麗に断たれており、地に転がった刃先は、リンの納刀と同時に鞘へと吸い込まれた。

「ほう、無造作な攻撃とはいえ、見切るか」


見切る?そんなものじゃない。

ただの偶然だ。あの時、線上から逸れていなければ、真っ二つにされていただろう。

溜飲の下がる間も無く、視界に再び青が映り込んだ。

リンを中心点とした扇状の平面が、胸の高さ程に現れた。隼也の体は扇状のエリアに入っている。考える前に咄嗟に飛び退いた。

ヒュッ……

小さく空を切る音と共に、扇状のエリアをリンが切り払っていた。

ザッ!

「っ?!」

リンの攻撃には予備動作も攻撃動作も後隙さえも無い。突然、攻撃のみが繰り出されており、刀を納めた状態に戻っている。


横一文字を背後へ飛んで躱した隼也へ狙いを定め、刀を抜くかのように鍔を手刀で叩いた。刀が鞘からから打ち出され、飛び出した刀の柄頭が鳩尾へめり込んだ。

隼也が苦痛に顔を歪める間も無く、リツは一瞬で隼也に追いつく。

隼也の鳩尾に沈み行く柄頭の反対、刀の切っ先目掛けて、鞘を小尻を持って突き出した。

鯉口へ刀身が納まってゆく。突き出された鞘へ完全に納刀し切ると、鞘突きの衝撃は更に刀を介して隼也へと伝導し、突き飛ばした。

飛び退いている最中の隼也は何もできず、文字通り、一瞬で二撃を受け、壁へ叩きつけられる。

ズンッ!

しかし、リンの追撃は止まない。

壁へ叩きつけられた隼也を挟み込むように、鳩尾へ再び刀の鞘が突き立っていた。

「っ……がはっ!」

口に嫌なベタつきと塩っぱさが広がる。リンが手を引くと同時に隼也は崩れ落ち、咳き込んて血を吐いた。

遅れて頼人と奏が振り返った。

隼也が後方へ飛び退いた瞬間に、隼也とリンは完全に視界から消えた。直後、背後から聞こえた隼也の呻き声に振り向いたのだ。

両手をついて呻き血を吐く隼也と、両眼に煌々と赤光を湛えたリン。

一瞬の出来事に、頼人達の目には一体何が起きたのか分からなかった。分からなかったからこそ、衝撃は大きいのだ。

奏がへたり込む。頼人でさえ、動きが止まっていた。


「ウルティム、お前だけは現れてはならなかった」

「く……そが……」

側に立っているリンに悟られぬよう、吐き出した血溜まりへ僅かな妖気を落とし込む。

妖怪の体は超高純度の妖気で構成されている、と白狼天狗達から習った。普通は空気と変わらず、触れられず見えもしない妖気。しかし、その妖気が実体を持ち、意思を持ち、魂を持つ程に寄り集まった結晶こそ、妖怪なのだという。

それならば、体の一部である血液すらも、高純度の妖気と言えるだろう。

隼也には、これが上手くいく確信はなかった。一種の賭けとも言える苦肉の策だが、何もせずにやられるより少しでも悪足掻きを、そう思って縋り付いた可能性だった。

血溜まりへ青い妖気が落ちた。

表面に妖気と同じ青の波紋が広がった。しかし、血溜まりは隼也の予想を裏切る変化を起こした。

波紋に追従して血が青ざめる。しかし、そこで変化は止まらず、地面に奈落へ続く穴が空いたかのように、光を一切返さない黒へ変わった。予想外の変化に焦って起爆させようにも、なんの反応も示さない。

賭けに負けた。隼也が歯を食いしばった。

最後の希望は黒く変質してしまい、完全に沈黙してしまった。

逃げようにも、体が言うことを聞いてくれない。痛烈な打撃を、同じ箇所へほぼ同時に三度も受けたのだ。まるで自分の身体ではないかのように、僅かにも動くのを嫌がっている。


首の位置へ、頭上から降る青い光が見える。

次に振り下ろされるリンの刃の軌道だ。いくら攻撃が予見できても、体が動かないのでは、どうすることもできない。


ダダンッ!!ギィン!

高らかに銃声が響き渡った。それと同時に金属の擦れる音が続く。

両手に銃を構えた頼人が睨みつけている。リンは頼人へ視線も寄越さぬまま、銃弾を払い落としていた。

「チッ……」

頼人が舌打ちをした。

流石の反応速度。『Light&Bright』の弾速では容易くあしらわれる。しかし、こちらへ振り向きもせずに銃弾を外らすとは想像以上だった。

しかし、目的は十分果たせた。

「やれ、隼也」


カッ……!

青光が瞬いた。不自然な黒い炎が膨張し、リンを巻き込んで炸裂する。僅かに反応の遅れたリンは、爆発の勢いに押し飛ばされた。

吹き飛ばされた勢いを、身軽に翻って足で壁を蹴って殺し着地した。

「ハァ!!」

濛々と漂う黒煙を突っ切って飛び出してきた隼也が、リンへ斬りかかった。リンは袈裟斬りを鞘で受け止め、鍔迫り合いながら隼也を眺める。


先程までとは人が変わったように、全身から青と黒が入り混じったような妖気を纏っている。その姿はウルティムの黒一色だった妖気と、以前の隼也の青一色の妖気の中間といったところだろう。

しかし、刀と競り火花を散らす妖剣はウルティムのそれと同様のものだ。変わったのは外見のみではなく、以前の妖剣と比べても格段に出力が上がっている。

相手へ妖気を流し込み、相手の全妖気を変質させ、隼也の妖気と同様に起爆すると言うスタイルである為か、4人の中で保有する妖気の総量は群を抜いていた。反面、一度の攻撃の出力はお世辞にも高いとは言えない。4人で本気で競えば、圧倒的に劣る程だ。

長所としてみれば燃費が良いとも言えるが、短所に言い換えれば、瞬間的な攻撃力に乏しいとも言える。

一度の隙に力強く攻め切れなければ、戦闘が長引く。そうなれば、敵の攻撃を受けるリスクも増してゆく。取り分け、戦闘に長けた者を相手取った時……能力の高い人影や、今まさに相対しているリンなどは、特にその傾向が強い。


リンが重心を落とし刀を傾けた。力を込めて押し付けていた妖剣が刀の表面を滑り、支えを失った隼也が前へとよろけた。リンは妖剣を弾き上げながら、片手で体を支えて隼也の足元を蹴り払った。

勢い良く足払いされた隼也の体が、前転宙返りのように宙へ投げ出される。

リンにしてみれば必殺の機だ。胴を両断するように走る青い軌道が見えた。妖剣へ込めた妖気へ点火し、妖剣が爆炎を噴き出して隼也を振り回す。

抜き放たれた刀が妖剣と打ち合ったが、まるで通り抜けるように妖剣が断ち切られた。

隼也への一閃を外しながらも、右手の鞘を持ち替えて宙に浮く隼也へ振り下ろした。

流石にこれは躱し切れず、咄嗟に切断された妖剣で受けたものの、激しく地面へ叩きつけられる。

そこへ追い打ちとばかりに脚を高々と振り上げ、踵を振り下ろそうとした。

バァン!

一矢報いんと右脚を起爆し、今度はリンへ足払いし返した。踵落としの為に片脚となっていたリンは、爆発を利用した変則的な動きに驚きながらも、難無く片脚で地面を蹴って飛び退いた。

互いの距離が離れ、仕切り直しとなる。


「は……っ、は……っ!ヤバイな。ちょっと気を抜けば、ぶった切られそうだ」

「隼也、一つ良いか」

「どーした。頼人」

「あいつ、恐らくは常に高速で動ける訳じゃないらしい」

「確かにそう言えば、さっきは一度も加速してなかった」

「あぁ、恐らく、一度発動すると暫く間を空けなければならないらしい」

「……とは言っても、普通の状態でも速いし強いし、充分ヤバいって」

「あぁ、そうだな。今も気は抜けない。それに次に加速を発動するかわからない以上、常に備えておかないとな」


頼人の両目の紋様が切り替わってゆく。『Light&Bright』の瞳の円と十字が消え、ひし形が浮かんだ。銃口と視覚のリンクが失われ、銃の精度は落ちるもののそうは言ってられない。攻撃が幾らか外れたとしても、死ぬよりはマシだ。


「奏。下がって支援を頼めるか?」

「え?う、うん」

奏は驚いたような声を上げつつも頷き、言われるがまま素直にリツの側まで下がると、本を開いて術を発動した。

リンの力は彼女自身も理解しているのだろう。狙いが隼也のみであるなら、奏を近くに置いて危険な目に遭わせる理由はない。


奏が魔本の詠唱を始めると、体が少し軽くなった。なんとか致命傷を避けているとは言え、掠める刃先やその他の打撃によるダメージも少なくは無い。そのダメージが、奏の妖術によって普段を上回る速度で癒えてゆく。

まだ魔本の扱いに慣れていない為か効力は高くはないが、小さな差でも重ねれば大きな成果を生むだろう。

術の行使に四苦八苦する奏に、リツが苦笑しながらも何か教えている様子だ。



「話は終わりか?」

リンが隼也達へと向き直る。最大限に身構える2人に対し、リンは普段通りの棒立ち。しかし、再び隼也は目の当たりにした。自分を取り囲み、追い詰めるように広がる青い軌道を。

咄嗟に光の隙間へ潜り込む。地面スレスレのかなり無理のある姿勢だが、爆発で追撃に対するリカバリーが効く分、大胆に動ける。

軌道上から脱した刹那、一瞬でリンは背後へ回っていた。

隼也が見た軌道通りに、刀の軌跡に残留する妖気が輝いている。すれ違いざまに抜刀したのだろう。しかし、その動きは見えず、棒立ちで納刀したままのリンが、背後へ瞬間移動でも行ったかのように見える。

初撃はなんとか躱した。しかし、既に第2波の軌道に取り囲まれている。球状に広がる無数の斬撃だ。

しかし、範囲がひどく広いわけではない。爆発で離脱すれば……。爆破の為の妖気を地面と体の隙間に集める。

ドッ……!

「なっ?!!」

背中に衝撃を受けた。ダメージとなる程ではないが、隼也の体を地面へ落とす程度は容易いだろう。

リンが隼也の背を踏み付けて跳び上がっていた。

予想外の事に気を取られ、せっかく起爆寸前まで集めた妖気を霧散させてしまった。

もう、間に合わない。

無意識の内に、目を閉じて覚悟を決める。


「くそっ!!」

ダダダダン!!

宙へ飛び上がり刀を構えるリンへ、頼人が『Light&Bright』を放った。距離にして2m、外しようのない弾丸がリンへ達する直前。

シュィン……ッ!

金属の摩擦音が伸びやかに響く。

リンの体を取り囲むように、無数の剣戟が球状に閃き、その斬撃に弾丸は全て払い落された。

更に、完全に刀のアウトレンジにいるはずの隼也の元へ、リンの斬撃の後を追うように、同じ軌道の斬撃が発生した。

「ぐっ!!」

背中を切り刻まれた隼也は、吹き飛んで地面を転がる。


「隼也っ!!」

その光景に思わず駆け出そうとした奏へ、膝をついた隼也が手で制止した。

「まだ……いける」

背中に無数に開いた刀傷は、間も無く妖気によって修復された。妖気が残っている以上、生半可な外傷で死にはしないだろう。

ただし、攻撃を放つのとは比にならないほどに妖気を消耗する。それに、真っ二つにでもされれば、流石に修復は追いつかない。


すぐに傷は塞がり、妖剣を手掛かりに立ち上がる。遠くでは頼人がリンと激しく打ち合っている。

3対1が卑怯だと言える相手ではない。同時に攻め込む。

妖剣を一度分解して、鉤爪の付いた脚甲と籠手『天狼・熾爪』へと作り変える。妖剣と同じように、別の武器も黒い妖気で構成できるようだ。

リーチはないが取り回しが良い。妖剣では長すぎて頼人の邪魔をしかねない。それに、手足の打撃に3つ連ねの刃の斬撃を加えるこの武器は、剣より直感的に戦える。

脚甲の裏にある狼の爪を模したスパイクが地面を掴み、驚く程の機動性を与えてくれる。

一気にリンとの距離を詰めて、殴りかかった。

リンは頼人の打撃をいなし、銃弾を避けながらも、隼也の攻撃さえも手や鞘で払い除けてみせる。瞳の紅光は尽きているものの、それでもなお俊敏な動きと圧倒的な技量で、2人を容易く凌いでいる。

2人の攻撃の軌道を鞘や打撃で巧妙にずらし、お互いへと向かうように誘導される。それで少しでも攻めが甘くなれば、打撃で体を崩して致命の一閃を狙ってくる。こちらの攻撃は掠りすらしないのに、向こうの攻撃は生命へ届きかねない。まるで大人と子供のような力量差だ。


「その脚甲……見覚えがあるな」

2人の猛攻を擦り抜けるリンの視線が、隼也が身につけている脚甲へ止まった。

ダダン!!ギィン!

リンが余所見をした隙に、頼人が渾身の銃弾を撃ち込んだ。それさえ、難無く刀で捌かれ、あろうことか隼也へと流されてしまう。


「くっ……!」

頼人の全力の弾丸2発を胸に受け、隼也が後退った。間髪入れず、流れ弾に気を取られた頼人の腕を掴んで肘関節を取りながら、片手で隼也の方へ投げ飛ばした。

2人がぶつかり、更に遠くへと転がされた。



「そう。確か、白狼の妖怪が身につけていたものか」

「よく覚えてんな……。そうさ、お前が殺したんだ」

まるで他人事のように話すリンに、隼也の感情が湧き上がる。白狼天狗の仲間達が皆口を揃えて語る、地獄のような『あの日』。その元凶が、こうも蚊帳の外のように振る舞うのに、苛立ちを覚える。

「あぁ、そうだな」

「お前っ……!」


ギィッ……!

隼也が飛びかかる。リンは至って冷静に、籠手の刃を鞘で受け止めた。

「悪いが、その気持ちは分からん」

火花を散らしながらの押し合いの最中、隼也がリンを蹴り上げようとした。しかし、蹴りも見切られ、動き始めを足で押さえつけて止められた。


「どの世界でも変わらない。神は人を愛し慈しむが、理解はしないと言うのはな。お前も犬や猫を可愛がっても、理解は出来んだろう?それと同じことだ」


リンが鞘を引いた。腕の抵抗が消えて、隼也が籠手で殴りかかる。

それを紙一重で上体を逸らして躱しながら、鞘で突き返した。まるで吸い込まれるように、隼也の防御の隙間へ潜り込んでくる。

鞘の先端が喉元へ鋭くめり込んだ。喉が防衛反応を起こし、咳き込みながらよろけてしまう。

「どこまで行っても、理解はし合えん」

バギャッ!!

リンが隼也の籠手を、鞘で思い切り叩き割った。

粉砕された籠手が妖刀へ吸い込まれて行き、隼也は衝撃で大きく仰け反った。

ズンッ!

リンの瞳が強く輝く。

気がついた時には既に、刀が隼也の胸を深々と穿っていた。

一瞬の違和感の後、焼けた鉄を押し付けられるような痛みが走った。しかし、それもまた一瞬。

すぐに鉄は冷え込み、感覚が消え始める。

「っ……」

リンが刀を引き抜くと、隼也は力無く膝から崩れ落ちた。微かな意識で完全に倒れ込むのを堪え、膝立ちで留まる。妖気を失い切れ味の鈍った刀をゆっくりと納め、隼也に止めを刺すため刀に手を添えた。


「終わりだ」

左手が柄に軽く触れる。神速の閃光が縦一文字に振り下ろされる。


ガィンッ!!

激しい衝突音が響く。何かに刀が弾かれ、反作用でリンが僅かに仰け反る。首を垂れる隼也とリンの間に、頼人が立っていた。

姿勢を落とし、頭上で『Light&Bright』を交差して、刀を受け止めたらしい。刀を一度弾いた拳銃は、全体へヒビが走っており、程なく崩壊した。

「邪魔立てするな。お前も奴と共にいれば、身を滅ぼす」

頼人の奥にいる隼也を、顎で指し示しながらリンが告げる。しかし、頼人は聞く耳を持たない。

「いつか滅びるだろうさ、どの道。それならば、自分が正しいと思うことをやる」

頼人の両腕が白炎に包まれている。テオが別れ際に彼へ贈った、浄化の火『ラメド』だ。

最大限の妖気を送り込まれて妖しく光る両目のうち、右目へ、リツのサポートを受けて発現していたモノクルが現れている。

それを眺めて、リンが興味深そうな表情を浮かべた。

「それは……、テオの炎か。希望の灯火を、何故お前が持つ?」

「答える義理は無い」

再び構築し直した『Light&Bright』で、リンへ殴りかかった。不幸中の幸い、リンは隼也への一撃の折に紅い瞳を発動した。それさえ無ければ、撃ち合えるはずだ。

つい先程まで気圧されていた頼人の隆盛に、リンも興が乗ったのか真正面から応じた。

お互い、スピードを武器にする2人だ。攻防の速度は、リンと隼也のそれとは比べものにならない程に速い。それどころか、『ラメド』が発動してから大幅に妖気が増した頼人が、一撃毎の威力でリンを押し始めてさえいた。

「あぁ、思い出した。……その白炎は、そう言うことか」

頼人の勢いに押されながらも、余裕を感じさせるリンが何かを悟ったようだ。


左手の『Bright』の打撃を鞘で受け止める。鞘と銃口が触れた瞬間にゼロ射程の銃弾が放たれ、刀が大きく弾かれる。リンが晒した隙へ、空かさず『Light』を打ち込んだ。


ギィン……!


リンの目が紅く瞬き、頼人の追撃に即座に反応する。鞘から半ばまで抜かれた刀の刃で、真正面から『Light』を受け止めた。

規格外の斬れ味の刃へ、頼人の全力で叩きつけられた『Light』が真っ二つに割れる。『Light』が機能を失う直前に放たれた弾丸も銃と同様に割られて、見当違いの方向へ飛んで行った。

更に、咄嗟の出来事に手は止まらず、刃は頼人の拳まで達した。無情にも中指と薬指の間から食い込んだ刀は、掌の中央辺りで妖気と斬れ味を失って止まった。

しかし、頼人は痛みに怯まずに、割られた拳で刀を強く握り込み、左の『Bright』で全力の弾丸を撃ち込んだ。

脇腹へ銃弾を受けてリンが怯んだ瞬間、刀を強引に奪い取りながら蹴りで押し退ける。

間を置かずに至近距離のリン目掛けて、右腕に光のブースターを発生させ、全速力で刀を投げつけた。

空気の壁を叩き割りながら超至近距離で放たれた刀へ対応する為、再び瞳が輝く。

刃先を向けて真っ直ぐに向かってくる刀を鯉口で迎える。互いに引き合うように刀が鞘に納まって行き、鞘へ納まり切ると、追って刀の運動エネルギーが伝わってくる。

まともに当たれば風穴が開く程の刀の勢いに乗って身を翻し、飛び退きながら抜刀。下から掬い上げるような逆袈裟を放った。

頼人はカウンター気味に放たれた切り上げを、半身になり紙一重で躱す。全力で動体視力を強化し、更に『ラメド』によるブーストもある今ならば、何とか見切って対応することが出来ている。

不用意に間合いを詰めず、ショットガンを作り出して狙いを定めた。

飛び退いている最中のリンが刀を構える。リンを包み込む球状に斬撃が走り、頼人の元へ同様の斬撃が発生する。

しかし、一度見た上、リンの技の中でも印象的である為、早々に見切った頼人は即座に横に跳んで範囲外から脱した。

ザン!ザン!ザン!

僅かに安堵した頼人へ、一度目とは違い、1度の斬撃に留まらず、3度4度と続けて斬撃が発生した。頼人を追うように発生する斬撃に、次第に回避が間に合わなくなり、5度目の最後の斬撃で捉えられてしまった。

左半身が光を屈折させる球状の力場へ巻き込まれている。続けて、力場内を斬撃が縦横無尽に駆け巡った。

ザゥン!

痛みはやってこない。

体に走ったはずの無数の切創からは、白い炎が溢れ出している。『ラメド』が斬撃を焼き祓っていたのだ。

刀での直接攻撃とは違い、遠隔地へ斬撃を発生させる技は、完全に妖気に依って繰り出されたもの。妖気的な攻撃である為、主へ害なすものを浄化する『ラメド』によって、焼き祓うことが出来たのだろう。


「助かりはしたが、だ……」

頼人にとってそれは、手放しに喜べるものでは無かった。

それもそのはず。今の『ラメド』の自動防御によって、体内に感じられる『ラメド』の力が大幅に減退し、更には底を尽きようとしていた。一度とはいえ、リンの苛烈な技の直撃を無効化したのだ、然るべき消耗であると言えるのだろう。

元を辿れば、テオから渡された妖気であり、頼人自身の妖気ではない。その為、頼人自身に妖気を『ラメド』へ変換する能力はない。

遅かれ早かれ訪れる状況だったとはいえ、流石に今は早すぎる。これ以上の被弾はおろか、『ラメド』を用いての戦闘の継続すら難しいだろう。

自分に残されている手札から、これからの戦略を組み立てようとする。

しかし、戦闘を続けようとする頼人に対し、リンはまるで勝負は決したとでも言わんばかりに刀を納め、意識を隼也の方へ向けていた。


リンの思いがけない行動に、一瞬、動きが止まる。しかし、即座に5点バースト仕様の対物ライフル『Sheen04-5B』を作り出し、リンの背中へ放った。

最早、爆発と呼ぶのが相応しいレベルの5重の発砲音が響く。それと同時にバシャン!という、異音も鳴り響いた。

驚く間も無く、激しい衝撃に弾き飛ばされていた。その刹那に見えたのは鞘を振り抜いたリンと、粉砕された対物ライフルの破片。5発の銃弾を全て、銃を目掛けて打ち返されていた。


「終わりだ。テオの助力あって、なんとか応じれる程度のお前が独力で戦えるはずがないだろう」

背後から諭すように語りかけられる。完膚無きまでに力量の差を見せ付けられ、最後には傷一つ付けぬよう手心まで加えられた。普段、感情を行動に出さない頼人が、耐用限界のチューニングを施した『Light&Bright』を生み出し、獣のように吠えた。

冷静さを失った相手にリンは溜息を漏らした。

飛び掛かろうとした頼人へ左腕を突き出し、軽く押して制するように動きを止めた。それと同時に後ろへ回り込んで頼人の背へ手を添える。

「見事な闘志だ。お前を殺すのは惜しい」

ドンッ!

リンの瞳が輝き、2人の姿が消えた。爆風が巻き起こり、煽られた奏とリツがよろけた。砂埃に閉じた瞼を開けると、天の審議室の縁に左手を突き出したリン1人が目に入った。

その手から、慣れ親しんだ妖気の残滓が伸びている。それを辿った遠く地平線に近い空に黒い影が微かに見える。

リンの全速力で頼人は押し飛ばされていた。


完全に頼人は、戦線から切り離されてしまった。障害となる人物を排除し、リンが本来の目的へと戻る。

非常に弱々しいものの、未だ妖気を感じられる隼也へ近づいていく。膝立ちのまま項垂れて、リンが近寄ろうとも反応はない。


「ち……近づかないで……!……く、ください」

リンの前に奏が割り込んだ。

隼也の渡した妖剣を、両手でリンへ向けている。

最初は睨みつけたものの、すぐに目を逸らしてしまった。語尾に向かうに連れて小さくなる声と妖剣を持つ手の震えが、彼女の心境を如実に語っている。

気が動転しているのだろう。魔本による攻撃ならば多少の足止めにもなったのかもしれないが、妖剣1本ではリン相手に何の効力も持たない。

「その勇気には感心するが、こればかりは諦めろ」

立ち退くよう声をかけると、奏はビクリと竦んだ。俯いて表情は見えないが、涙を押し殺したような声が聞こえる。そんな奏に構う事なく、横を通り過ぎようとした時だった。

「やめて……!」

ドッ……

奏がリンへとぶつかっていった。

リンの腹部へ妖剣が突き立てられる。リンの頑強さを前に、震える手では剣を保持することもままならず、刃が立たずに妖剣を取り落としてしまった。

奏が数歩後退りして、へたり込んだ。リンを見上げて唖然とする奏の顔は、涙でぐしゃぐしゃに濡れている。

奏を一瞥し、再び歩みを進めようとすると、足に妙な重みを感じた。内心理解しながらも見下ろすと、やはり奏が縋り付いていた。最早、言葉らしい言葉は口にせず、ただ啜り泣くばかり。妖気を用いることすら忘れている。まるで駄々をこねる子供のようだ。

奏を引きずりながら、隼也の前まで歩み寄る。

白銀の波紋を帯びた黒刃が姿を現し、両手で高々と振り上げられる。ゆっくりとした動作で抜き放たれた刀からは、すぐさま妖気が抜けて輝きを失う。

その後、リンが空の刀へ自身の妖気を送り込み始めた。刀は供給された端から、底が抜けたように妖気を吐き出してゆく。その速度も上回るほどの妖気を注いでゆくと、次第に蓄積されてゆく純粋なリンの妖気で、紅い輝きを帯び始めた。

リンの妖気で飽和し、近づくだけで熱気を感じるほどに赤熱した刀で、隼也の首へ狙いを定める。


「許せ」


そう小さく呟いて、刀を振り下ろそうとしたその時だった。

『Return to 0』

リンの動きが不自然に止まり、刀に込められた妖気が消失した。リンを術で強制的に止めたリツが、隼也達の横へ回り込んだ。リンが刀を下ろして振り向くと、リツが申し訳なさそうなジェスチャーと表情をしていた。

「いやぁ、悪いね!水を差しちゃって」

わざとらしく戯けてみせるリツを、リンが睨みつけた。

「何の真似だ?」

「いやいや、ちょっとね。隼也くんについて、言い忘れてたことがあったのを思い出したのさ」


リツが、リンへ何かを耳打ちする。しばらく聞いた後、リンは首を横に振った。

「それでは確証がない」

「それじゃ、これなら信用してもらえるだろう」

再びリンへ耳打ちすると、今度は頑なだったリンの表情が変わった。

「これでどうかな?」

回答を求めるリツ。リンは少し思慮した後に溜息を吐いた。


「……分かった。その言葉を信じよう」

刀を納めて、再び足元を見下ろす。

リンの服の裾を涙で濡らしている奏は、2人の会話は耳に入っていない様子だ。

「これではまるで、俺が悪人みたいだからな」

「うん。ありがとう、リン!」


「……俺は帰るが、もしもの事態があってみろ、次は容赦無く終わらせる」

そう言い残し、瞳の紅光を置き去りにしてリンが姿を消した。リンが唐突に消え、足に全力でしがみ付いていた奏が倒れ込む。


「奏くん。もう大丈夫だよ」

聞き慣れた兄の声に、ハッと我に返った奏が辺りを見回した。

「リ……リンは……?」

「もう帰ったよ」

「隼也は……た、助かったの……?」

「そうだよ。まぁ、助かったというには、ちょっと傷が深いけどね」

隼也へ急いで詰め寄った。相当な妖気を消耗しているが、まだ生きている。妖気の量に長けた隼也だからこそだろう。

「ごめんな……心配かけたな……」

虚ろな意識の中で、譫言のように繰り返す。その度に奏も、ごめんねとありがとうを何度も繰り返している。


「ふぅ……なんとか最低限の目的は達成された、って事かな」

2人を見守るリツもまた、安堵の溜息を吐いた。


本来ならば、隼也くん達とリンを会わせたくはなかった。しかし、ウルティムの気配を察したリンが駆け付け、そればかりか斬るとまで言い出した。

まぁ、リンがそう言うと思って、会わせたくなかったのだけれどね。

戦闘を避ける試みも失敗に終わり、奏くんに魔本で2人をサポートさせながら、リンを止める機を狙っていたけれど……。

「まさか、死にかけるとはね。本当に参ったよ」

隼也くんが刺された時は、本当に全て終わったと思ったよ。

しかし、僕の想像を遥かに超えていた隼也くんのしぶとさと、最後にリンを強引に止めてからの切り札が間に合った事が、不幸中の幸いだった。

ウルティムにとっての、隼也くんの存在について。

それを信用ならないと言われた時はかなり焦ったけれど、もう一つの手札でギリギリ押し切れたみたいだ。

「これ以上、危ない橋は渡したくはないね」

僕は石橋を叩いて渡るより、より頑丈で立派な橋を架けたい性格だから。



「奏くん。魔本を使って、隼也くんの傷を癒してあげるといいよ」

リツのアドバイスを聞いて、驚いたような表情を浮かべる奏の顔には、『その手があったか!』とでも書いてあるようだ。すぐに魔本を開き、隼也の治癒を始める奏を見て、リツは満足そうに頷いていた。

「これなら、第二の目的も果たせそうだ」

奏の治療を受け始めた途端に隼也の妖気が活性化し、普段の何倍もの速度で周囲の妖気を取り込んで行く。この調子ならば1時間程度で、半分くらいは回復してくれるだろう。

天の審議室の縁から、雲海の晴れた裾野を見下ろす。残された妖気の軌道から、頼人の飛ばされた位置を大まかに把握した。彼がいると思しき場所からは、強めの妖気を感じる。リンも手加減をしてくれたらしい。


「それじゃあ、僕はそろそろお暇するよ」

「え?ま、待って下さい!魔本を借りたままじゃ……」

案の定、渡された魔本を気にかけて、奏が引き止めようとした。対するリツは緩やかに横に首を振る。

「それは母上が僕を蘇らせてから、蘇生の代償として自らの命を失うまでの、僅かの間に託されたんだ。その時、奏くんと会う時があれば、是非、渡して欲しいと頼まれていたものだよ」

「でも、貸すって……」

「あぁ、確かに貸したね。君が本に相応しいかどうか、見極める間だけ。魔本が君の手に負えないようなら返してもらっただろう。予定がいくらか前倒しになってしまったけれど、君の力は十分すぎるくらいだし」


「……状況の悪化も予想以上だしね」



「さ、僕はもう行くとするよ。途中に、頼人くんをここに転送してあげるから、20分くらい待っておいてね」

右手の人差し指に集めた妖気で、慣れた手つきで空間に術式を書き込んだ。すると、リツの体が淡い光に包まれ始めた。

今度こそ本当に立ち去ろうとするリツへと、奏が深々と頭を下げた。

「ありがとうございました!この本、大切にします!助けて下さって、本当にありがとうございました!」

「礼には及ばないよ。それに、それ程せずにまた会うことになるだろうしね」


リツを包む光が一層強まると、ふっ……と、光の中に消えていった。

リツが立ち去ったのを見ながら、隼也が奏に問いかけるように呟く。

「リツは……味方なんだろうか?」

その問いに奏は満面の笑みと共に、自信満々に答えて返した。

「大丈夫だよ。僕のお兄様なんだから!」

根拠らしい根拠は語られなかったものの、あまりにも自信満々に言い切った奏に、どこか頼もしささえ感じた。思わず笑い堪え切れなくなった隼也は笑顔で返した。

「ははっ!それじゃ信じるわ」








「おーい!大丈夫かい?」

天の審議室のある山々の麓。多種多様な動植物が生息する森の中に、リツの声が木霊した。

周囲の木々が薙ぎ倒されており、その先で大木に寄りかかるように気を失っている頼人がいた。

リツが頬を軽く叩くと、呻き声を上げて目を覚ました。

「こ、ここは……?」

「さっきまでいた山地の麓だよ」

「お、お前は!?」

リツの存在に気づいた瞬間、頼人は飛び起きて銃を構えた。しかし、手元にはいつもの精密さとキレがない。手加減を加えられていたとはいえ、リンに全力で押し飛ばされて地面へ激突したのだ。

物理的なダメージがあまり有効ではない妖怪の身であるものの、重大なダメージは効果が現れている。


「おはよう、頼人くん。うんうん、結構だ。派手にやられた割には、傷は浅いね」

「白々しいな、お前が仕組んだことだろうに」

未だにリツへの懐疑心が緩む様子のない頼人。リツは疑いの目さえも笑顔で応じた。

「まぁ、そりゃそうだよね。疑うのも無理はない。ま、それはそれで置いといて、えい!」

リツがついさっき自分へ施したものと同様の術を頼人へ掛けた。

術の内容を知らない頼人はリツの術を避けようとするものの、外傷はなくとも蓄積されていたダメージによって鈍った動きでは逃れられない。

あっけなく術に捕まった頼人が、リツへ銃撃を放った。次々と放たれる弾丸を全て結界で受け止めながら、結界越しに頼人を宥めるように声を掛ける。

「安心していいよ。みんなの元へ転送するだけだから」

「信じられる訳がないだ……」

言葉を言い切る前に、頼人は転送されていった。それを見届けると、ググッと伸びをして溜息を吐いた。

「はぁ……やっと、終わったかな。こんなに肝を冷やすとは思ってなかったよ。」


「それにしても、奏くん……いつから、僕と同じように、『僕』と言っているんだい?」

誰に掛けるでもなく、拭えない疑問を読み上げる。一瞬、考え込むような素振りを見せるが、すぐに止めてしまった。

「そんなこと、僕が考えても仕方がないか。今はリツであって、高嶺律じゃないんだ。きっと、奏くんも、そういうお年頃なんじゃないかな」

鼻歌を歌いながら再び術を起動した。光がリツを飲み込み、程なく姿を消した。



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