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REVENGER  作者: h.i
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内なる者

「この鳥居は.....」

既視感のある光景。

つい今まで、少し開けた場所に流れる小川で、気分転換に顔を洗っていた最中だったはず。

しかし、顔を上げると周囲の光景はまるっきり変わっていた。

夏も盛りだと言うのに、秋の終わりのように寂しげな森に囲まれた鳥居。

足元を見下ろすと、既に小川は消えており、長らく風雨にさらされ風化の激しい石畳へと姿を変えていた。

「また呼び出しか」

鳥居の奥へ視線を移す。そこには、記憶通りの物がある。寂れた光景に相応しい、これまた人の手の入った様子がない社が立っていた。

鳥居を潜り抜けると、妙な肌寒さを感じる。妖怪の身には気温などは余り気にならない筈であるのに、確かな寒さを感じるのは、それが妖気由来であるという事だろう。

社へ歩み寄ると、急に強い風が吹きつけた。

落ち葉が巻き上げられ、つむじ風に巻き込まれて舞い散る。

手で顔を覆い、次に手を退けた時。

景色が再び一変していた。


際限なく深く遠い闇。風も温度も感じないような無彩色の空間。

最近、よく夢に出てくる世界。

足元は薄く水が張られている。時折、ぴちゃんと、水滴が落ちる音が聞こえてくる。

ここは広大な洞窟のようだ。

「そろそろ、来るんだろ?」

正面の暗闇に浮かぶ2つの青い球。

そう、こいつは毎回馴れ馴れしく話しかけてくるのだ。


まだか。

「なにが」

ほんの一辺とはいえ、この力を振るっているのだ。何をグズグズしている。

「悪かったな。のろまで」

あの智慧者気取りを滅ぼすか、その体を寄越すか、どちらが良い?

「その智慧者気取りってのをぶっ飛ばす方がマシだな」

ならば、今すぐに此処から去れ。そろそろ我慢ならん。貴様が気をぬくようなら、直ぐにでも体を奪ってやるぞ。

「はいはい、言われなくても、だ」


目を覚ませば忘れている。

再び眠りに就いて、この夢を見ることでしか、『夢について忘れている事を忘れている』という事を思い出せない。

この偉そうに踏ん反り返っている奴の言う、智慧者気取りってのを探さなければならない事は、サイトに言われた通り重々承知している。

少しづつ視界が朧げになってきた。

目の覚める前兆。また忘れているのだろうが、それでいい。こんな夢、覚えている方がごめんだ。





「........此処はどこだ?」

暫くの間、無意識に立っていたらしい。気がつくと、草木の少ない岩場に立っていた。

高い山の岩肌なのだろう、崖下を見下ろすと雲海が広がっている。その光景に感心しながら、周囲を見回した。

今いる山だけではない。雲の海から頭を出す山はいくつも点在していた。

空を仰ぐと、雲ひとつない空色が広がっていた。

「高い山だけど、妖怪の山とは違うな」

じゃりっ......

「っ!!」

背後から聞こえた物音に、素早く振り返った。

背中へ作り出した妖剣へ手を掛け、物音の正体を睨め付けた。

そいつは殺意を包み隠そうとしない隼也を見て、狼狽える様子で両手を挙げた。

「待って待って待って、ストップ!ストップ!」

早口で静止を呼びかけながら、抵抗の意思がない事を必死にアピールしている。

「お前、誰だ?」

全体的に黒を基調として、金のアクセントが映える服装。腰まである金髪とグリーンの瞳をした女性だ。

「切っちゃう?切っちゃうの?そんなので切られちゃったら、私死んじゃうよ?ころっと死んじゃうって!」

大袈裟な動きでリアクションをする女性に、隼也がムッとした表情をした。

「頼人ほどじゃないけどさ、俺も面倒過ぎる奴は好きじゃないんだよな」

剣の柄に両手をかけ、いつでも振り下ろせるように体勢を整える。

「きゃーー!ディアちゃん、絶体絶命のピンチ!?」

ヒュッ!

ガチッ!!

「一刀両断っ!.......ふぅ、死ぬかと思ったよ」

振り下ろされた剣を、ふざけた様子で紙一重で躱し、これまたオーバーリアクションで安堵し汗を拭う。

「ちっ.....!」

振り下ろした剣を返し、水平に薙ぎ払う。それも挑発するようにジャンプで避けた。それからも隼也の攻撃を、からかうように悉く避け続ける。

「待ちなってキミ〜。無益な殺生は良くないよ?」

「殺生してお前が静かになれば、俺には益だな」

「しょうがないなぁ〜。........ならば、黙りましょう!」

女性が距離を取ったと同時に、隼也も追撃の手を止めた。


「お初にお目にかかります。私、ディアと申します。......ディアちゃんって呼んでね☆」

まるで演劇の幕引きの名乗りのように、深々と頭を下げる。余計な一言を付け足す辺り、真面目に自己紹介する気は無いらしい。

隼也とあまり変わらない身長の割に、似合わない高い声と子供っぽい言動。

「チャームポイントはこのお尻!......もう!見過ぎだよ〜。エッチィ〜!」

ボゴン!!


ブチッ!とでも音が聞こえてきそうなほどに、腹立たしい表情の隼也。

自らのチャームポイントだと宣いながら尻を見せつけ、漏れなく茶化すディアに、隼也は我慢ならず爆発を見舞った。

爆発に巻き込まれたディアが、咳をしながら煙から出てくる。

漫画のようなアフロの頭と煤まみれの顔をして、口からは黒い煙を吐いている。

ふざけているようだが、爆発をもろに受けてるにも関わらず、ダメージを受けた様子は一切ない。

「けほっ!けほっ!だから、死んじゃうって!まぁまぁ、落ち着いて落ち着いて」

目を離した僅かな隙に、爆発に巻き込まれたアフロやススは元通り。いつの間にか準備されていたガーデンテーブルに腰掛け、カップに注がれた飲み物の香りを楽しんでいた。

「う〜ん、良い香り☆!ハーブティー飲む?」

ガシャ!!

隼也がテーブルを蹴り上げる。ディアはテーブルと共に飛び上がった。妖剣を、地面へ残されたイスに引っ掛けて、宙に舞うディアへと投げ飛ばす。

投げつけられたイスを器用にキャッチしながら、落ちてきたハーブティーのポッドも受け止める。

テーブルが上下逆に、足を上に向けて落ちる。テーブルの足の上にイスの足一本が乗り、更にそのイスへディアが着席した。不安定を極めたイスへ平然と座って、ハーブティーを一気に飲み干している。

「カモミール入りのハーブティーが1番だね☆」

人を小馬鹿にしたような行動を繰り返してはいるが、今ので十分に能力の高さは分かった。もし、これ以上手を出して敵対するのも良くない。

ここは一つ、精神を鍛える修行として、ディアへの苛立ちを抑えることにした。

「お前は一体、なんなんだよ」

イスに座ったまま隼也を見下ろしながら、ディアはにんまりと笑った。

「悪〜い人に追われている、憐憫の念を禁じ得ない女の子だよ!だ、か、ら!」

一瞬、目を離した隙に隼也の背後に回り込んだディアが、隼也の肩に顎を乗せて玩具をねだる子供のように笑った。

「匿ってほしいな〜なんてね!てえーぃ☆!」

隼也の頰を指で突きながら、ふわりと飛び退く。青筋を立てながら、歯をくいしばる隼也。

「.......くっ!ぶっ飛ばしてぇ......」

ここまで神経を逆撫でしてくる奴も始めてだ。

これなら、犬走椛の鬼のような修練メニューの方が幾分マシに思える。



「あ〜ららぁ、もう見つかっちゃったか☆!」

ゴバァッ!!!

満面の笑みのディアが天を仰ぎながら、そう言った直後に、隼也達の眼前の岩盤が何者かの手によって粉砕された。

「似た者同士、寄り集まるか。悪魔が」

「その言い草は酷いなぁ。昔からの付き合いじゃん?もーちょいラフに呼んでよ、ディアちゃんってね☆」

上空から落ちてきたのは、ディアと似た妖気を帯びた妖怪だった。声を聞くに男性だろう。ディアとは対照的な、白を基調として鉄色の装飾が施された服装をしている。間深くフードを被っており確認し難いが、黒髪の短髪と光の加減によって色彩を変える虹色の瞳をしている。

砕かれた地面へ深々と突き立てられているのは、身幅の広い剣のようだ。

男が引き抜いた剣は、あまり目にしたことのない形状をしていた。

形容するならば、『十字架』と言うべきであろう。切っ先が一切無く、細長い長方形の刀身。剣から見て垂直に伸びる鍔と、両手で持つには短く、片手で扱うには少々長い柄。

刃は黒く、剣の横には白の十字架が大きく描かれていた。


「今日も今日とて、異端狩りですか〜?忙しいですねぇ!アッチに走ってコッチに走って、うさぎさんみたいに☆!」

攻撃を加えられたにも関わらず、ディアは態度を崩す様子はない。うさぎの耳を真似るように両手を頭に添えて、飛び跳ねていた。

「うんうん!勤勉な事はいい事だ!『魔女の首』狩り族ってとこかな?」

「相変わらず口数が減らないな」


男はディアの首を狙い、突きを放った。刺突とはいえ、あれだけの幅を持つ剣だ。突き刺さるどころか、首そのものが落ちるだろう。

突きを首を傾げて紙一重で躱したディアが、飽きもせずに男を捲し立てる。

「やだ.....いつもより積極的.....?!肉食系という奴かな?......え、私?私はパン派☆」

小馬鹿にするように早口で喋りながら、攻撃終わりの隙に、ディアは懐から出したフランスパンで思いっきり男の頭を叩いた。勢いで真っ二つに折れたフランスパンを眺めて、ディアが悲しそうな表情を浮かべる。


「ちっ......!」

突き出した剣を横に薙ぎ払った。首が飛ぶ寸前でディアは大きく反り返り、難を逃れる。

ディアの手元から離れた、真っ二つに折れたフランスパンは、テオの斬撃に巻き込まれて更に4等分にされた。切られたフランスパンを洋皿で、すかさずキャッチするディア。ぽんっ!と煙を出して、皿ごとフランスパンも消滅する。妖気で形作られたものだったようだ。


「抗うな。何も苦しめようとは思っていない。せめて、安らかに眠れ」

「自分で殺しておいて、安らかに眠れとか.....ねぇ?.....どう思う?キミ」

「え、俺?!さ、さぁ?」

ディアが唐突に話を振ってきた。まさか話題を振られるとは思っておらず、何も身構えてなかったため、ロクな答えは返せない。

ディアは隼也の首に手を回し、ヘッドロックのように頭を小脇に抱えた。

「ほら〜☆!この子も言ってるじゃんか〜!『チッ!全くよぉ!テオはひでぇ奴だぜぇ!転んで脛打って苦しめっ!』」

隼也を前に差し出して、出来の悪い腹話術のように、隼也がそう言ったかのように振る舞うディア。当然ながら当の本人は、そんな事は一言たりとも言っていない。

テオと呼ばれた男性は、2人を見下すように睨みつけている。顔を上げるに従って、フードに隠されていた顔が少し覗いた。中性的な容姿と、鼻から下を金属製のフェイスガードが覆っている。

「悪魔が。共にこの手で葬ってやる」

「......俺も、かよっ?!」

出来れば、ディアの仲間とは思って欲しくなかった。そんな隼也の願いも届かず、攻撃対象にされてしまったようだ。


ディアが隼也を解放すると同時に、テオが飛び掛かってきた。完全に後手に回らざるを得なかった隼也は妖剣を創り出して、テオの攻撃を受け止めた。

重たい。

右手一本で振っているとは思えない程の衝撃。頭上から真っ直ぐに振り下ろされた剣を受け止める為に、隼也は両手で支えなければならなかった。

マズい。そう思ったのもつかの間。

がら空きの胴体を、戦い慣れているらしきテオは見逃すはずもなかった。

鳩尾に膝蹴りが刺さる。

激痛に思わず身をたわませた。前屈みになった隼也の横へ回り込み、首を目掛けて迷いなく斬り下ろした。

「チッチッチ。堪え性が無いなぁ、テオくん。そんなんじゃ、ご自慢の断頭剣が泣くよぉ?」

刃が隼也の首へ触れる直前、ディアがテオの断頭剣を白刃取りで止めていた。

「いつまで、その余裕が続くかな。君が仮面を着けないからといって、手心を加えるとは思わない事だ」

「そうだね〜。このままじゃ私達、仲良く首を並べられちゃうねぇ」

テオは空いている左手で、ディアへ掌底を打ち込んだ。何の防御もなく、満面の笑みを浮かべたまま掌底を受けたディアは、後方へ吹き飛び、大岩へ叩きつけられた。

岩が崩れるほどの衝撃。砂煙が舞い、ディアの安否は分からない。

ディアの飛んで行った方を一瞥した後、テオが再び隼也へと向き合う。剣を構えるテオに応じるように、隼也が妖剣を構える。

その時、砂煙の中からディアが起き上がった。

「ぴーんぽーんぱーんぽーん☆!テオ様に大変、残念なお知らせがございまーっす。私、少々、ブチ切れてしまいましたっ!」


砂煙が風に攫われるに連れ、その姿がはっきりと現れた。

テオが着けていたフェイスガードとは対照的に、ディアは鼻から上を覆うマスクを身につけていた。黒と金の金属で構成されたマスクは、非常にきめ細かく華麗な装飾が施されている。

マスクの奥から、双眸が射貫かんばかりに睨め付けていた。

「我等が主に剣を向ける。その無礼、万死を持ってしても雪ぎ切れるものではないと知れ」

それまでの悪戯好きの子供のような軽々しい言動がまるで嘘だったかのように、威圧感のある淡々とした口調へと変わっていた。

ドッ!ドゴッ!

突然、相対していたテオが後方へ吹き飛ばされた。呆気にとられる隼也の目の前には、足を振り抜いたディアの姿があった。

「我等が主よ、お待ちしておりました。今こそ、その威光を持って我等が仇敵、主に仇を成す異端を滅殺する時です」

跪き、傅いて隼也へ語りかけるディア。

その言葉の意味する所が一切分からない隼也は、豹変したディアに面食らうのみである。


「やはりか、ディア。君の最近の相貌の変化、仮面を身に着けることを忌避し始めたのは、この為か」

「はて、何のことでしょうねぇ?私はただ、必要性が感じられなかったから、被らなかっただけ。貴方が弱くなったんじゃないですかぁ?」

「......まぁ良い。何であろうと、処すのみだ。全人類の為に」


テオが隼也へ斬りかかる。

すぐさま妖剣を創り出して、それに応じる。

スピードであれば隼也が優っているようだが、パワーはテオが数段上のようだ。テオが一撃を繰り出す間に、隼也は一、二撃ほど斬りつける。

テオの技量も高く、一撃の重さを活かすように、隼也が防御せざるを得ないタイミングを的確に攻めてくる。

その強烈な斬撃を防御するとなると、隼也の力では中々耐え切れるものではなく、容易に弾き飛ばされてしまう。その隙にテオは追撃の準備を整えるのだ。

最初はテオの攻撃の間を縫って、攻撃を当てていた隼也だったが、戦闘の流れをテオが掌握し始めてからは、攻撃の手が止まってしまった。

明確に押されている隼也を、ディアは助けるでもなく何か呟きながら眺めていた。

防戦一方となり、その防御さえも間に合わなくなり始めている。

ここで勿体ぶっても仕方がない。

そう考えた隼也は、妖剣へ送る妖気を増やした。消耗は倍近くに跳ね上がるが、これならば押し負け続けるという事も無いはず。

バァンッ!!

剣が噴き上げる爆炎は、持主の身体を強引に動かし限度を超えた動きを与える。

死に体。完全に攻撃も防御も不可能であり、斬られるのを待つばかりの一瞬間。その瞬間を断つように振り下ろされた断頭剣を、隼也の妖剣が迎え撃つように叩きつけた。

互いに大きく弾かれる。多大な隙を晒したものの、隼也が打ち負けなかったのはこれが初めてだ。

「爆発。今はそういった形で、力を行使しているか。まだ、権能を形而下でしか発現し得ないのだろう?」

「何言ってんのか、サッパリだ」

スピードではこちらの有利、パワーも負けない。後は押し込むだけだ。

「くらえっ!!」

幾重もの爆発と、その勢いが生み出す変則的な斬撃。テオと隼也の立場は逆転し、テオは防御一辺倒となっている。しかし、そんな危機的状況にあっても、テオは顔色一つも変えずに淡々と語りかけた。

「君は目覚めるべきではなかった。君は、人類の背後に、暗影を落としかねない存在となる。確かに、君は善でも悪でもない。しかし、中立でもない。君の前では全てが等しく無。全ての埒外に位置するからこそ、闇の柱たり得る」

テオが何を話しているのか、隼也には何も理解できなかった。しかし、ニュアンスとして隼也自身の存在を否定するものであることは、薄々感づいてもいた。

「光の対は闇であるという解釈と、虚無であるという解釈。私は虚無を否定はしない。しかし、虚無を許容する事も許されないのだ。ここで阻止させてもらう!!」

ギィンッ!

テオが切り返した。爆発の勢いに任せて振り抜かれた剣を凌いで、隼也へ向かって十字を切った。

すると、隼也の額から胸へかけてと、右肩から左肩に渡るように、大きく光の十字が浮かび上がった。

「全人類の祈りと願い、善性を君へ刻もう。世界の救済の為、再び眠りに就くがいい」

次の瞬間、十字架が浮かび上がった箇所が酷く熱を持ち始めた。次第に、溶鉄を注ぎ込まれたかのような高熱へ変わって行く。あまりの熱が、最早、熱さと感じないほどの激痛へと変化していく。

「うぁ......ぁ......」

隼也の口からは、声にならない声が零れだす。既に絶叫は、痛みを誤魔化す為の手段としては力不足であった。

ただの痛覚としては片付けられない、異様な程の痛み。精神の許容量を超える苦痛は心を奪い、その空いた間隙に諦観を詰め込む。

俯せに倒れ呻き声をあげる隼也の体から、白い炎が起こった。

熱を発さず、延焼もしない純白の火。それが隼也の全身を包み込むと、より一層、苦悶の声が強くなる。

火の手が増し、声も止んで動かなくなった隼也へテオが歩み寄る。頭上へ高々と弾頭剣を掲げながら、狙いをつけるように隼也を見下ろした。

「彼の方の庇護を受ける私達に、邪悪が敵うはずもない。正義の名の下に、今終わらせよう」


隼也の首元へ、断頭剣が振り下ろされる。

刃が肌へ触れるか否かという瞬間だった。


「あぁ、我等が主よ。今こそ、お目覚めの時。正義を謳う愚者と巨悪と蔑まれた賢者を、その御力をもって終焉へ誘い給へ」


ギシ......ギシ......

金属同士が擦り合わされるような音。

振り下ろされた断頭剣は紙一重で届かず、その動きを止めていた。

テオの額を汗が伝う。その眼に映っていたのは、隼也の背から突き出した無数の刃に、とどめを阻止された断頭剣。そして、その断頭剣で首落とすはずだった男から溢れ出す、どす黒い妖気だ。


現状に戦慄するテオへ、隼也を挟んで向かい合って立ったディア。その表情は嬉々としたものだった。

「主は目覚めた。これでキミも私も、役目を終えるだろう。望んだ明日が来るんだ。喜ぶがいいさ」

テオが断頭剣を手放す。妖気で形作られていたそれは、宙に溶け出すように音も無く消えた。

「ディア。それは諦念であって救済とは言えない」

「テオ。キミがそう考えるなら、私は違う。これは救済であって、諦念とは言わない」


向き合う2人の間で、隼也が寝返りをうった。それを見下ろすテオと、膝をつき首を垂れたディア。

徐に身体を起こして、瞼を開けた。

「おはよう。2人とも」

静かにそう語りかけた隼也。その声色は、心做しか普段より少し冷淡だった。

「ご機嫌麗しゅうございます」

「目覚めたか。悪魔が」

それぞれ、正反対の歓迎の言葉を隼也へ返す。


「変わらず、元気そうで何よりだ」

そう言って隼也が立ち上がった。

外見は隼也のままだ。

しかし、その身に宿す妖気は黒く変色していた。いや、青が極限まで深まり、至った黒というのが正しいのだろう。

身体の中で最も妖気の影響を受けやすいと言われる瞳は、本来の黒に近いブラウン系統から、青藍の光を湛えたものへと変わっていた。瞳孔も、まるで爬虫類のような縦長に変化している。

肩を回したり、手を眺めたりして調子を確かめながら、隼也だった者が不敵に笑う。

「この身体の持ち主のガキが死んでから、悠々と乗っ取ってやろうと思ってたんだがなぁ。こんなカスに殺されかけやがってなぁ。死ぬまで待つのも吝かじゃ無かったが、その前に首を狩られかねないからな。ガキを押し退けて、出て来てやったぜ」

「心よりお待ちしておりました。我等が主、我等が神よ」

隼也だった者へ、ディアが顔を上げずに語りかける。それを見下し、一瞥しながら、舌打ちを一つ。

「ちっ.....!半数近くが悪魔主義サタニズムのてめぇらから神扱いされても、ちっとも嬉しくねーんだよ」

ザシュッ!!

「くっ.......申し訳ございません」

跪くディアの横を歩いて通り過ぎながら、すれ違いざまに妖剣で足を貫いていた。

普段、隼也が使っている妖剣と同様の形状ではあるが、その色は青ではなく底の見えない黒となっていた。

性質は変わらないようで、派手に貫かれた足からの出血は一切無いが、足と剣の接触面では妖気の侵食と変質が起きている。しかし、その速度は青の妖気の比ではなく、数秒で片足全てへ黒い妖気が纏わり付いた。

人影程度では無い。人影とは比べるのも烏滸がましくなる程の、多大な妖気を持つディアであってもだ。

「ま、別に良いんだけど。それよりさ、見てるだけで息苦しいから、そんなに堅苦しくすんなよ。ディアちゃん」

すれ違った後に隼也が手を広げると、独りでに剣が抜けて、広げた掌へ飛び戻って納まった。

「.......畏まりました」

ディアがゆっくりと立ち上がる。しかし、妖剣に侵食された足が上手く動かないらしく、非常に拙い足取りだ。

「ん?何だ?あれは」

隼也が山の麓を見下ろす。その視界には、自らの妖気と思しき青の光点が一つ見えていた。

「ガキの忘れもんか?」

右の掌を広げると、点はチカチカと光を放ちながら動き始めた。数秒後、勢い良く飛来した剣が、先程の妖剣と同じように掌へ納まった。

「なんだよ?このヒョロい剣。こんなもん使えるか、爪楊枝にもならねーよ」

青の妖気で形作られた細身の妖剣。

隼也が奏へ預けた妖剣に間違いはない。隼也だった者は、その剣へ悪態を吐くと放り捨ててしまった。


傍若無人に振る舞う隼也だった者を睨め付けながら、テオがフードを脱いだ。それを眺めながら、隼也だった者はニタニタと笑っている。

「おやおや、愚かな王子様が、重たい腰を上げるみたいだ」

「黙れ、ウルティム。人の世の為に、命に代えても君を終わらせる」

「へぇ.......。名を知ってんだな。てっきり、あいつに首っ丈で、周りが見えてないかと思ってたぜ」

隼也だった者、『ウルティム』がわざとらしく、とぼけた表情で肩を竦めた。

テオの右手に妖気が集まり、剣が形作られる。収束した妖気は純度を増して、本物の金属で作り上げられたと見紛うばかりの断頭剣へ姿を変えた。

ウルティムはそれを眺めながら、おぉ.....と声を漏らした。

「妖気の具現化。俺の剣の更に先の段階っやつねぇ。そこまで行けば、刀匠が本物の金属で打ち上げた剣と、殆ど変わらないだろうなぁ。ま、使い手がバカなら、鈍同然だろうけどな」


テオが険しい表情で剣を構えた。突き刺すような殺気を受けながらも、余裕のある態度を変えないウルティム。

「行くぞ、ウルティム」

「あぁ、良いぜ?遊び殺してやるよ」

2人の間で火蓋が切り落とされる。その瞬間に、ディアが間に割り込んだ。

ウルティムが露骨に不愉快そうな表情を浮かべる。

「なんだぁ?ディア。どけよ。テメェから消すぞ」

ウルティムの恐ろしい眼光を背に受けながらも、ディアは振り向かずに答えた。

「我等が主よ。貴方様を楽しませる者はこれから訪れましょう。それまで、余興を私めが行います」

「........この俺に、その言葉を信じろと?」

「はい。その通りでございますとも」

「........ふん。今回はお前の顔を立ててやるか。その代わり、みっともねぇ余興を見せた瞬間、ブチ殺すぞ」

「有り難きお言葉です。........それじゃ!テオくぅん?始めよっかぁ!」






「隼也。何があったんだろう......?」

不安を滲ませながら、低空飛行で、先へ先へと飛んで行く奏。

奏の体から、独りでに隼也の剣が突き出し、山の方へ飛んで行ったのが、つい10分程前の話。南東へ移動を続け、山岳地帯の入り口へ差し掛かった辺りでの出来事だった。

この一件で、この世界に隼也も飛ばされていることは、ほぼ確定したと言っても過言ではない。頼人にとっては喜ばしい情報だったのだが、高嶺奏の動揺の仕方が尋常ではなかった。

話を聞けば、まだ人間だった頃に、隼也から緊急時の最後の切り札として渡されていたものだったらしく、彼女にとって、重要なものだったというのは言うまでもないだろう。

高嶺奏が普段意識しているかは分からないが、あの妖剣は彼女の精神的支柱となっていたのだろう。だからこそ、突如、柱を失った心は酷く揺れた。

誰よりも先行し、飛び去った妖剣の軌跡に残された、妖気の残像を辿る奏。側から見ても、心の安定を欠いているのは明白だ。

独り善がりに突き進むなど、普段の臆病で、常に仲間の一歩後ろを歩いていた彼女の行動とは、とても思えない。

そんな奏を見兼ねたのだろう。リツが静かな口調で奏を呼び止めた。

「奏君。ちょっとだけ待ってくれるかい?」

しかし、当人は言葉が聞こえていないらしく、一心不乱に進み続けている。

「仕方ないなぁ。少し手荒だけど、許しておくれよ?『Return to 0』」


困り顔のリツが術を唱えると、奏の動きが突然止まった。驚いた表情で振り返った奏を、一足先に地面へ降り立っていたリツが手招いた。

リツの元へ向かうのを一瞬だけ躊躇う奏。しかし、頼人もその横へ降り立つのを見て、覚悟を決めた。

「どうしたのですか?早く隼也のところへ行かないと......」

「奏君。君の今の精神状態を鑑みるに、隼也君の元へ向かうことはオススメしないよ」

急いている奏の言葉を断ち切り、きっぱりとそう言い切ったリツ。奏はその言葉に反論しようとしたものの、リツの真剣な表情を見て口を噤んだ。

「今の君の心は、あからさまに揺れている。妖気というのは、肉体より精神により深く関わるんだよ。その心の在りようでは、実力の半分も出せないだろうね」

「そんな.....!」

「不機嫌な人が1人いると、全体の雰囲気が悪くなるだろう?あれも精神に共鳴し易いという性質を持つ、妖気の仕業さ。 隼也君の剣を失った君からは、僕の目から見ても自信を感じられない。妖気は、僕より遥かに心に鋭敏だから、きっと君の味方はしてくれないだろうね」


リツの言葉が的を射ていると、嫌でも分かってしまう。奏には反論の言葉も浮かばなかった。

2人から見えないようにして、拳を握り締める。

隼也たちの為にも、お母様の期待に応える為にも、強くならなきゃと思い続けていた。だからこそ、白狼天狗達の厳しい鍛錬にも耐えていたし、自らの背に描かれた術式の探求も怠らなかった。

それが、こんなにも脆いものだった。突きつけられた事実と、不甲斐なさが悔しかった。


自身に足りなかったものは、妖気の大きさでも、術式の精度でも無い。

心の強さだった。

それが分かった。いや、分かっていたのに目を背けていた。そのシワ寄せが今となって、やって来ただけだ。

そう思えば思うほどに、心は静かに沈んで行き、悪循環へと陥ってゆく。


「奏君。君にこれを貸そう」

リツが差し出したのは、古めかしい本だった。黒い革張りの表紙と、見たこともないような文字が白のインクで書き込まれている。恐らく、本のタイトルなのだろう。

少しずっしりと重みを感じるその本からは、仄かに妖気を感じられる。

「それは、お母様の持っていた本さ。隼也の剣というワイルドカードを失った君に、それを暫く貸してあげる。.......代わりと言ってはなんだけどね」

「あ、ありがとう!お兄様!」

奏の表情が一変した。幼い頃の遠い思い出ではあるが、大好きだった母親の形見というのは、精神的支柱としては十二分だろう。

顔が綻ぶ奏を眺めながら、笑顔で頷くリツ。

「さて、少し時間を取ってしまったようだね。ここからは、ゆっくりと急ごう。『オーバークロック』」

リツが術を唱えると、3人の体を囲むように妖気が生み出された。それが収束して、体へと吸収されると、何とも言えない不思議な感覚を覚えた。

「これは?何の術なの?」

全身を包む違和感に戸惑いながら問い質す奏に、リツは得意げな顔で答えた。

「これは『オーバークロック』という術だ。僕の妖気を送り込んで、君達の行動速度を底上げしているのさ。試しに地面を蹴ってみるといい」

リツの言葉に従って地面を蹴ってみた。すると、爪先で巻き上げられた砂利と砂埃は、恐ろしくゆったりとした速度で動き始めた。

「今、僕達は高速化した状態にある。だから、相対的に周囲の時間が遅く感じるんだ。それこそが、君達が抱いている違和感だと思うよ」


リツの術を体感して、釈然としない表情を浮かべていた頼人。その理由を何となく察したリツが、頼人へ笑いかけた。

「頼人君。君、もしかして、僕が『オーバークロック』で、リンをサポートしてたとでも思っているのかい?」

リツの言葉は完全に図星だった。一度だけ目の当たりにした異様な技を、リツの『オーバークロック』は想起させる。

以前、リンと出会った時に奴が見せた技、人影を文字通り一瞬で細切れにした斬撃。それを支えていたリンの超高速行動と、リツの『オーバークロック』。無関係な筈がない。

「当然だろう。リンの見せた攻撃と、お前の術。類似点が多すぎる」

「バレちゃうか〜。確かに関係はあるさ。けれど、君達が望むような関係性じゃないと思うけどね」

「関係性など、どうでもいい。早く真相を言え」

「せっかちだなぁ。まぁ、端的に言えば、リンのオリジナルを、僕なりに再現したものが『オーバークロック』なんだよね。本物.......つまり、リンの使う技は更に高性能さ。付け焼き刃の僕じゃ、足元にも及ばないよ。......さ、そんなことより、先を急ごう!これ、あんまり長時間は維持できないからね」


リツは話題をはぐらかすように、2人の背中を押して歩かせる。これ以降、どれだけ問い詰めても追求からひらひらと身を躱すリツに、頼人が折れてしまった。

『オーバークロック』の効果時間中に出来る限り進んでおきたい。そう考えていると、いつの間にか速足となっている。

『オーバークロック』の効果には頼人も感心していた。術を発動してから数十分後には、発動地点が遙か眼下、雲海の僅かな隙間から覗いていた。短い所要時間とは裏腹に、これ程の険しい道のりを踏破していた事に驚きを隠せない。先程は麓にいた筈が、あれよあれよという間に、森林限界が近づいている。

宙に浮いたまま、殆ど停止しているように見える枯葉。蝶のようにひらひらと羽ばたくハチドリ。普段では見ることのできないような、摩訶不思議な世界が広がっていた。


「『オーバークロック』は、ここで終わりにしよう」

低木が疎らに見える斜面で、リツは術を解除した。その瞬間、今までの無風が嘘のように風が吹き荒んだ。

お互いの声さえも若干聞き取り難い程の風音の中で、リツが2人へ耳打ちした。

「この先に、君達が探している人がいる筈だよ。だから、バレないように妖気の使用は控えて欲しい」

「な、なんでですか?!隼也なら、別にばれても......」

今にも飛び出しそうな勢いの奏を、リツは強く制止した。

「君は感じないのかい?この禍々しい妖気たちを。........覚悟しておいた方がいい。死者も出かねない事をね」

「まさか.......敵がいるの?」

焦った様子の奏の問いに、顔を伏せて左右に首を振る。

「それは僕にも分からない。今、僕はみんなに内緒で行動しているからね。この世界に今、誰がいるのかも、知らされていないのさ」


ズズン........!!!

重たく響く低音と、ビリビリと震える大気が3人を打ちつけた。出どころは、正に今から向かおうとしている場所だ。空を見上げると、濛々と黒煙も立ち昇っていた。

戦闘が起きている。それも大規模な。

順当に考えれば戦っているのは、隼也と敵.....マグナの一味の誰かなのだろう。

しかし、奏の中に嫌な予感が鎌首をもたげていた。突然、隼也の元へ飛んで行った妖剣。普段なら、そのような事は有り得ないはず。

それが起こったという事は、向こうでは普段では考えられないような、異常事態が起きている可能性だってあるのだ。

「無事でいてね。隼也」

この先で起きている現実。それを知るのは恐ろしくもあるが、ここで止まるわけにもいかない。奏は意を決して、先陣を切って進んで行く。


進むに連れて、感じる妖気が鮮明に、かつ重厚になって行く。気配を殺すためにも、こちらから妖気の探知する術は使えない。しかし、術を介さずとも、異様な妖気は肌で感じられた。

ドス黒い、しかし、何処か寂しいような感じもする妖気。

これまでに感じ取ったことのないものだ。

新手の敵がいる事は確か。

どれ程の強さを持つのだろう。しかし、空間に伝わる妖気から、生半可な実力ではない事はありありとわかる。

距離は更に縮まってゆく。戦いによって発生した衝撃音の中に混じって、僅かに人の声のようなものが聞こえ始めて来た。

まだ何を言っているのかは分からないが、確かに聞こえる。2人分の声が聞こえる。まるで会話をしているようだ。


妖気を抑制し、岩の影を伝って移動して、更なる接近を試みる。話し声を、小さくだが聞き取れる距離まで近づいた。



「全く、キミは変わってないなぁ!責務を忘れて.....ズレた理想ばかりを謳って......随分と暇人みたいだね!」

「人の世からズレた君に、そう言われるとは心外だな」

「いつまで、生者の味方でいるつもりなのかなぁ〜?私なら、素直にくたばった奴らと中道を闊歩する事をお勧めするよ☆」

「断る。死と生は同様に貴く在るべきだ。......死を蔑ろにし、生に固執した君には分からない話だろうがな」

「へぇ?私に分からない話をわざわざ懇切丁寧に聞かせてくれるなんて、随分と慈悲深うございますね!まぁ、生を軽視して、死に囚われた君から、聞くような話なんてないけどね☆」




バレないように声のする方を覗き込んでみる。

そこでは激しい戦闘が行われていた。

一方は、フードのついた白いマントを棚引かせながら、大柄な剣を振るう者。

もう一方は、黒のライダースーツのような服装をした、徒手空拳で立ち回る者。

互いに互いの攻撃を紙一重で避け、防ぎ、捌きながら激しく衝突している。それも、会話をしながら。

競り合っている2人を見たリツは、非常に苦い表情を浮かべていた。

「あぁ、よりによってこの2人なんて......面倒な事になるぞぅ」

「どういう事だ?」

浮かない様子のリツに頼人が問いかける。リツは頭を抱えて、トーンの下がった声で答えた。

「彼等は『人を司る者達』なんだ。人を含め、人の関わる全ての事象の象徴。生と死、善と悪、そういった対立する事柄の代表者さ」

「それの何が厄介なんだ」

「何がって......そりゃあもう........


リツがそこまで言いかけた時だった。3人が身を隠す岩のすぐ近くへ、何かが突っ込んできた。吹き飛ばされて地面を滑って行く。勢いは岩へぶつかった所で止まった。そう、3人が丸見えの位置で。

「危なぁ〜い!ディアちゃん、死んじゃうかと思ったぁ〜。素手相手に全力で剣を使うとか、正気の沙汰じゃないねぇ。......あれっ☆?!」

砂煙の中から軽口が聞こえてくる。煙越しに見えるシルエットが、こちらを興味深そうに眺めているのが分かった。

「や、やぁ、ディアさん。お元気そうで」

「その声は、リっちゃんでしょっ!!いやぁ〜、こぉんな辺鄙な所で会うなんて、全く奇遇ですなぁ☆!......一体、何の用でしょうね」

心底楽しそうな笑顔を浮かべてはいるが、目が笑っていない。ディアに話しかけられているリツは平然を装っているが、額に冷汗が伝っている。

「いやいや、本当に偶然としか言いようがないんだよ。雄大で幽玄な自然の中で散歩を満喫していたら、偶然にも迷子の人達を見つけちゃってね。ほら、僕って結構お節介だから、放って置けなくてさ!3人で観光をしてた所だよ」

「........ふぅ〜ん。.......観光なら仕方ないねっ☆!それじゃ、私は正義の味方をボッコボコにするのに忙しいから、また後でね〜!」

リツの言い訳を聞いたディアは、納得した様子で、再びテオとの戦いへ戻った。


ディアに見つかった拍子に、他に立っていた2人にも発見されるのは必然であった。

断頭剣とマント、口元を覆い隠すフェイスガードと白銀の王冠を被っている男性が『テオ』。

一際大きな岩の上で胡座をかいて、テオとディアとの戦いを見下ろしているのは、他でもない隼也だ。

リツは隠密行動を諦めて、激しくぶつかり合うディアとテオが良く見える場所へ、堂々と陣取った。頼人達も、その後に着いていく。

「『Return to 0』......。君達2人の声をゼロにさせてもらったよ。奏君、今すぐにでも隼也君に声を掛けたいだろうけど、少し我慢してもらえたら嬉しいな」

見てみると、2人の首には、淡く術式の首輪が嵌められいた。何故?と問いかけるような表情で振り向こうとした奏。しかし、リツは戦いを眺めたまま、静かに話を続けた。

「戦いを眺めていてくれないかな?僕らが話している事は出来れば悟られたくは無いからね。さて、隼也君についてなんだけれど.......もう、薄々は感付いているんじゃないかい?」

リツの言葉に、胸が締め付けられるような感覚を覚えた奏。

その言葉の通りだった。

普段とは雰囲気が違う。まるで別人のようだった。

隼也が意図的にそうしているのか、自分の心が乱れている為に術式が誤作動しているからなのかは分からないが、隼也から感じる妖気が同一人物のものとは思えなかった。

べっとりとへばりつくような、それでいて、見ているだけで、自らの色を黒く上塗られていくような感覚。

そんなはずはない。あの人に限ってそんなことは有り得ないと思っていても、身体は明晰に伝えていた。

肌を刺すような感覚。無音の重圧。

隼也の背後には、果てしなく広がる黒が見えるような気がしていた。

「見ての通り、彼は君達の知る彼では無いらしい。彼が本性を現したのか、或いは彼の中に居た何者かなのか。僕は彼を良く知らないから、なんとも言えないけどね」


「そんな訳がないよ!」

考えるより先に、そう叫んでいた。叫んでいたはずだった。術式の所為で声一つ立てずに口を動かすに終わった。

隼也の本性?そんな訳がない。少なくとも、僕は知っている。夢に出てきた怪物を。

あいつが隼也を操っていに違いないんだ。

あの隼也と同じ目をした大きな化け物が!

.......何故、隼也と同じ瞳を?


「ぐぁぁっ!!」

3人の近くの岩に、テオが勢い良く叩き付けられた。剣を支えに再び立ち上がろうとするが、深刻なダメージがそれを許さない。

うつ伏せに倒れるテオ。その手に握られた剣を、ディアが踏み付けて見下ろした。

「ハァ......ハァ.......どうしたのかなぁ.....?今日は、随分と、打たれ弱いねぇ」

双方共に、満身創痍と言った様子だ。仮面は半分が割れ、痣や擦過傷だらけで肩で息をしている。優位に立っているはずのディアも、足元は覚束ない。

「ぐっ、ガハッ.......!あぁ.......ギャラリーが悪かったみたいだ........。私の味方は殆ど居ないらしい」

「はははっ!なーにそれ☆?まるでヒーローショーのピンチみたいな言い訳だなぁ。正義の味方のボクちゃんは、よいこのみんなのおうえんがないとちからがでませーん!てね!」

ディアが周りを見渡す。3人が目に入ると、怪しくニタリと笑った。

「ま〜、確かにその通りかも知れないけどさぁ」

ディアはテオの剣から足を退けて、隼也の元へ歩み寄る。

「我等が主よ。余興の披露はこれにて終幕で御座います。お待たせして申し訳御座いませんでした。さぁ!御身の......?!」

「あぁ、分かってるっての。てめーに言われなくてもな。ま、ガキに扱き使われるよりつまらねぇ舞踏会も、客寄せにはピッタリだったて訳だ」

ディアとすれ違いざまに、隼也が肩に手を置いた。隼也と目の合ったディアは、蛇に睨まれる蛙のように凍りつく。

隼也はテオの枕元まで歩み寄ると、しゃがみ込んだ。

「おい、いつまで寝てんだ。邪魔くせーんだよ。さっさと退け」

身動きの取れないテオの襟首を掴み上げると、ディアの方へと軽々と放り投げた。

不意にテオを投げ渡されたディアは反応が遅れ、テオを抱えたまま尻餅をついた。

「さて、カス共も捌けたし、本題だな」

隼也が3人の元へと歩み寄る。

姿形はどう見てもいつもと変わりない。しかし、良く見れば見る程、別人であるということに確証が持てた。仕草、表情、動作、発言。どれもが、それを裏付けてゆく。


「おい、何だてめーは」

「初めまして、『ウルティム』。僕はリツ。ディアの友人です」

「へぇ.....本当か、ディア」

「はい、その青年の言う通りで御座います」

視線をディアから3人へ戻すと、リツから順に眺めて行く。

「リツ、高嶺奏、祇田頼人、ねぇ。そーいや、一つ、腑に落ちねー事があったのを思い出したぜ」

隼也、いや、ウルティムが頼人をまじまじと見回す。

「お前、何者だ?」

しかし、リツによって声を封じられている頼人が、その問いに答えられるはずもなく、ただ無反応で貫くしかなかった。

「ま、良いや。殺せば万事オーケーだな。俺の予想通りなら消すつもりだし、予想が外れてもカスが一つ消えただけ。なーんにも悪いことはねぇ」

ウルティムが突き挙げた右手に妖剣が生成される。いつもの鮮やかな青とはかけ離れた、人影よりも深い黒の妖剣が。

下手に動くのは下策だ。頼人はそう判断した。

ウルティムからは、大凡、殺気と取れるようなものは一切感じられない。これは試されているのか、そうとも取れる。

腰元のガンホルダーへ、リボルバーを作り出した。全ての技の中で、最速のもの。

それを万が一の為に作り出す。

隼也の、或いはそれと同質の剣だ。実際に傷を負うわけではない。一歩出遅れる形になるとはいえ、それと同じだけの噛み跡を残せば良い。

「やたらと肝が座ってんな。まぁ、取り敢えず死んでみろよ」


ガチィ!バァン!

2つの音が同時に聞こえた。

ウルティムと頼人の間には、ボロボロのテオが立っていた。ウルティムの剣を、頼人に触れる寸前で受け止めていた。両者の間に立ち塞がるように立ったテオの鳩尾を、ウルティムを撃ち抜くはずだった光の弾丸が貫いていた。

「なんだ、カス。動けんのかよ」

「我等の光よ。......お逃げください」

「邪魔すんじゃねーよ!!」

ウルティムが、左手に作り出した剣をテオの腹へ突き刺し、そして、その剣の柄頭を蹴りつける。蹴りの衝撃を受け止め切れず、剣が突き刺さったまま吹き飛ぶテオ。


「もう、避けられないらしいね」

リツが2人に施した『Return to 0』を解除する。

「隼也っ!!なんで!」

奏が堰を切ったように声を上げた。

それを受けたウルティムは振り向かずに答える。

「隼也?そんな奴はいねーよ。まぁ、他人の身体を勝手に使ってたクソガキには、御退場願ったけどな」

「隼也をっ......」

「あぁー?なんつってんだ?聞こえねーよ」

「隼也を返してっ!!」

「だーかーらー、知るかっての。盗人猛々しいかと思えば、その取り巻きも太々しいなぁ!」

「隼也をっ!!返せ!!」

普段の奏ではあり得ない強い語気。その表情は怒りに満ちたものだった。

強い憤怒の感情に励起された妖気は、奏の背の術式を通り、宙に浮く巨大な剣へ変換出力される。

以前に発動した時は、重力に従って落下しただけだった剣が、今はウルティムへと切っ先を向けている。

「へー、ナヨナヨした見た目の割に、やるみてーだな」

ウルティムを取り囲む、10mは下らない無数の剣が、次々と射出された。

ガン、ガン、ガン!!

突っ込んでくる剣を、ウルティムは黒の妖剣で斬りつけて行く。斬りつけられた奏の剣は刃傷から黒く侵食される。暫くして全体が黒く染まると、糸が切れたかのように動きを止めて地面へ落ちる。

ウルティムの抵抗を見た奏は、降り注ぐ剣の密度を増した。

妖気製であり、テオの断頭剣のように妖気の具現化も成し遂げていない奏の剣は、剣同士が重なり合うことも可能である。

10mもある剣である以上、剣同士が干渉するならば、同時に仕向けられるのは2〜3本が限度であったかもしれない。

しかし、互いに干渉せず、重なり合う事が可能であるならば、同時に仕向けられる数はそれこそ無限となる。

物量に次第に押され始めるウルティム。襲い掛かってくる剣の内、いくつかは反撃を諦めて回避し始めている。

しかし、ウルティムの回避という選択は悪手だったのだろう。ファーストコンタクトで破壊されなかった剣は、更に巧みな動きを見せ始めた。

剣に予め入力されていた軌道は、『対象への落下』。それは背中の術式の段階で刻まれているものである為、変更は不可能だ。しかし、『対象への落下』を完遂した後は、動作の指示が空白になる。

奏の意思のまま、自由自在という事だ。

生き残った剣による追撃に、ウルティムが舌打ちをする。未だ、無数に降り注ぐ剣から逃れなければならないのに、重ねて新たに指令を受けた剣達が薙ぎ払い、突き穿つように、その巨大さを感じさせずに動いている。


「ウゼェんだよっ!!!」

ウルティムが吼える。

号令待ちの剣と、その場にいたウルティムを除く5名を黒の圧が撃ち抜いた。

衝撃としては、大したことの無いのもだった。精々、不意に身体を押された程度のもの。妖怪の身にしては、蚊の刺した程にも及ばないものだった。

しかし、それは破壊の波だ。

宙に浮いた剣が全て自由落下し始め、各所で起こる小爆発によって崩壊してゆく。

テオとディアは、ディアの展開した障壁により、黒い妖気を幾ばくか軽減した。

リツが咄嗟に展開した五重の結界により、リツとその隣に居た頼人は打ち付けた妖気の影響を受けずに済んだ。

しかし、憤怒と憎悪に突き動かされ、前に出ていた高嶺奏は、衝撃を諸に受けてしまった。


「う、うあぁぁぁぁぁーーーっ!!!」

絶叫。

五感全てが送り出したはずの信号を搔き消し、ただただ筆舌に尽くしがたい激痛のみが脳へと伝達してゆく。

妖気変質の妖気を、何の防護策もなく一身に受けた奏の背では、本来ならば起こり得ない事態が発生した。

妖気の逆流。奏の保有している妖気の内の49%、優に5割弱が一瞬にして変質し、背中の術式へ雪崩れ込んだ。

先の剣召喚に使用した妖気は全体の7%。

この段階で奏の背には鈍痛が走っていた。しかし、激情がその痛みを掻き消していた状態だった。

そこへ50%近い妖気が流入すれば、どうなるか?

解は単純だった。決壊。

奏自身へのダメージのフィードバックが起こり、更にその被害の回復で妖気の4割が消耗させられた。

残る妖気は1割を大きく切っていた。

妖怪が妖気を大きく損耗すれば何が起こるか?ゼロになれば当然、消滅。

生命活動を妖気で再現できるギリギリのライン、レッドゾーンへ突入すれば、妖怪の身体は必要最低限の機能以外をシャットダウンしてしまう。

奏の身体に残された妖気は4%。

彼女にとってのレッドゾーンに突入していた。


ドサッ.......

奏が膝から崩れ落ちた。心臓も停止し、息も止まっている。飽くまで、『人の様に振舞っている』だけの妖怪にとって、拍動も呼吸も、必ずしも必要なものではない。しかし、多くの人間の抱く、生物は呼吸と循環を行なっている、という先入観がそれをさせている。

最早、痕跡器官と変わりのない、虚飾の行為である。

奏の身体は虚飾を全て断ち、意識も五感も断ち、ただの人形の様に身を投げ出していた。空間中に漂う妖気を取込んで、欠乏した妖気を補填する事のみに注力する為に。


「雑魚が、首突っ込んでんじゃねーよ」

ウルティムが奏へ歩み寄り、剣を振り上げる。

しかし、奏を挟んだ真正面へリツが相対した。

「彼女はもう、動けない。人形を壊すより、人間を殺す方が楽しいんじゃないかい?」

奏を幾重もの結界が覆い隠した。結界を透過して、本がリツの手元へと浮かび上がる。

「テメェが次の生贄にでもなるってのか?」

「まさか!僕なんて、吹けば飛ぶような矮小な存在さ。僕よりも適任がいる」

リツが横に逸れると、その奥にはしゃがみ込んだ頼人がいた。

「ファイア」


ガガガガガァン!!

ウルティムへ、5点バーストの対物ライフルが撃ち込まれた。正確に全弾が胸部を貫き、衝撃でウルティムを後方へ吹き飛ばす。

対物ライフルを投げ捨てると、腰のガンホルダーから大型拳銃『Light』を抜き放ち、左手に持った手榴弾をストレートに投げつけた。

地面を滑るウルティムの元へ、投擲された手榴弾が到達すると同時に、『Light』でそれを撃ち抜く。

激しい閃光と熱量。

頼人の扱う爆発物は隼也のそれと違って、爆発の衝撃や圧力より、光や熱、音よるダメージが主となる。その手榴弾が無防備に吹き飛ばされている最中に、更に胸元で炸裂する。最大限の効果を発揮するのは明白だ。

閃光により、目が眩むことのない頼人以外の全員が視覚を失っている間に、更なる追撃をかける。

「チェンジ、プリセット。トリプル・ゼロオーバー」

ダダダダダダンッ!

一丁につき3発、両手で6発のバースト射撃が、ゼロ距離で叩き込まれる。全ての攻撃がウルティムの胸部、中央の一点へ集中されている。


「流石だね、頼人くん!僕の支援も永久にとは行かないから、早急に勝負をつけておくれよ!」

リツの支援を受けた頼人。

その姿は普段とは少々違うものだった。

青い瞳に浮かぶ金の紋様は、円とドットサイト。

『Light&Bright』の為の瞳であり、左右それぞれの視界は、普段の視界に加えて銃口ともリンクしている。つまり、この状態では、左右の瞳の視界2つに加え、『Light&Bright』の銃口を加えた、4つの視界を認識している。

しかし、ここまでは普段通り。

頼人の右目には、光で成形されたモノクルの様なものが装着されていた。そのモノクルに浮かぶのは『偏差射撃』の紋様。

頼人の視界には、ロックしたターゲットであるウルティムが現在移動している速度と方向に即した、偏差射撃のガイド線がリアルタイムで映し出されている。

更に両肩から腰にかけて、二列にレール状のものが装着されている。

それは、光で成形された『ブースター』。

レールから噴出する光が頼人の機動を補助し、今まで以上のスピードを与える。


「があぁぁっ!!」

体表で爆発を起こして、吹き飛ばされる慣性を強引に打ち消したウルティムが、剣を持っていない左手で掴みかかろうと頼人へと襲い掛かる。

しかし、頼人は冷静に体を捻ってウルティムの手を躱し、捻った勢いでカウンターを胸部へと更に撃ち込んだ。

「遅いな。光を手で捉えようなど、愚かしいとは思わないか?」

ウルティムを撃った直後に、頼人は既に『Bright-Maker』を構えていた。

リツの支援によって機動力、攻撃力、行動精度、視覚......ありとあらゆる能力が向上している頼人だが、その中でも大幅に伸びのある能力があった。

それは、武器の生成速度。

普段の頼人ならば、一つの武器を生成するのに数秒を要する。数ある火器の中でも、比較的小サイズかつ生成し慣れている『Light&Bright』ならば、一丁につき2〜3秒。二丁を同時進行で生成して4秒程度かかる。

更にサイズが大きく大威力である、無反動砲『Bright-Maker』は6〜7秒はかかる。

頼人に対して、隼也の武器生成は非常に短時間で完了する。妖剣ならば1秒に満たず、最も時間のかかる鎖剣でも、2秒もあれば十分に完成する。

別段、隼也が生成速度に長けていると言うわけではない。この生成時間の差は、創り出す物の複雑さにある。

剣や弓、鎌、槍などのシンプルな構造の隼也とは違い、頼人の火器は緻密で細やかなパーツから構成されている。

頼人の火器の規格に合えば、妖気製ではない実弾さえも、問題なく使用できる程に精巧に作られているのだ。

そうなれば、生成に時間を要するのも必然と言える。しかし、頼人はその限りではなかった。

『オーバークロック』による加速でもない。ただ単純に頼人の武器の生成速度が大幅に減少している。瞬きする程度の一瞬で『Bright-Maker』を完成させるほどに。

予め打ち合わせていた訳でも無い。しかし、確信していた。リツの支援を受けた今、それが可能であると、頼人は直感的に理解していた。


ドゴオォォォ......ンッ!

射出された『Bright-Maker』の弾頭がウルティムへ接触する。その瞬間、『輝きの創造者』の名に恥じぬ閃光と熱線が2人を包んだ。

直撃だ。相当のダメージを与えたはず、しかし、ウルティムの妖気の気配は未だ健在。

光の奥で僅かに揺らいだ妖気を感じ、咄嗟に創り出した『Light&Bright』で、飛んできた何かを払い除けた。

弾き落とされた何かは、地面に深々と突き刺さる。ドス黒い妖剣だ。ウルティムは吹き飛びながらも、これを投げつけて来ていた。

続けて、両手の銃に違和感を感じる。それを確認した頼人は焦った様子で、銃を遠くへ投げ捨てた。

その直後、銃は黒い粒子状へ変質して崩壊してしまった。払い除けた際に接触した僅かな一瞬。それだけでも、銃2丁程なら充分という訳らしい。





「マズイね。非常にマズい。ウルティムの妖気が、『黒に限りなく近い青』から完全な『黒』へ変わってしまったようだね。.......頼人くん、重ねて言うけれども、僕の『ネクスト』は長くは維持できないよ。君ほどの人物を、強制的に次のレベルへ押し上げ続けるのは、骨が折れるからね」

「分かっている」

声をかけたリツに頼人は冷静に答える。

圧倒的な相手と対峙しても揺らがぬ自信を持ち、冷静に勝ち筋を見極める頼人。そんな頼人を頼もしく感じ微笑みながらも、リツには一つ懸念があった。それは、ウルティムの妖気に当てられた『Light&Bright』の見せた変質。妖気を爆発とは違い、まるで朽ちるように崩れ落ちていた。

「成る程ね。マグナさんに話は聞いてたけれど..........」

青の妖気の引き起こす爆発による『破壊』とは違う。黒の妖気が起こしたのは、言うならば『崩壊』とも言うべきだろう。

「これは、想像してた以上に恐ろしいねぇ」

ウルティム延いては隼也の起こす『爆発』の戦闘スタイルについては、実際に戦った者達から収集した情報を元に、能力によって可能な事などは大凡把握していた。

しかし、今目の前で繰り広げられる戦いの何と特異なことか。

「『終わり』に形を与えれば、恐らくああなるだろう、ねぇ......。マグナさん、確かに、あれはダメですね」


「ガアァアッ!!」

光の中から、耳を劈く咆哮が響き渡る。一呼吸遅れて、ウルティムを中心とした球状にに黒い衝撃波が広がった。

『Bright-Maker』の爆発の余波で光り輝いていた空間そのものさえも墨染にし打ち消した。

妖気の総量に長けた高嶺奏を、一撃で戦闘不能まで追い込んだ技だ。強化状態であるとはいえ、頼人でさえも喰らえば勝負が決まるだろう。

頼人がバク宙で飛び退く。天と地が入れ替わり、頭上を仰ぎ見ると雄大な大地が広がっている。衝撃波が追ってくる方向へ背を向けた瞬間を見計らって、ブースターから最大出力で光を噴射した。

衝撃波が広がる以上の初速で加速する頼人。衝撃波は、飛び退いた頼人へ追い付くことはなく、あと僅かの距離で、空気中の励起されていない妖気に中和されて掻き消えて行く。


「今ならやれるか......」

頼人が身体の正面で合わせた両手を、一気に広げた。その手の軌道には光のアーチが生み出される。か細いアーチは変形し、頼人の身長より巨大な縦長の長方体となった。

「妖気と精神への負担が大きく、ボツになっていた技だ」

ウルティムへと向かう長方体の表面が、ハッチが開くようにバラバラと解放される。解放された長方体の面には、規則正しく並んだ無数の穴が開いていた。

「展開.....『Assault-Lights』!タイプ、マイクロ......」


「ファイアッ!!」


『Assault-Lights』と称された、扇状に展開する長方体。それに空いた穴一つ一つから、頼人の号令と共に無数のミサイルが放たれた。

ウルティムが回避の為、空中へと飛び出す。それを見た頼人はニヤリと笑った。

「ま、精々、逃げ惑えよ。俺はゆっくり的当てでも楽しんでるからな。『Sheen04-5B』」

対物ライフルを作り出し、銃架を岩の上へ配置すると、ミサイルを回避するウルティムを狙い始めた。



「チッ!面倒クセェなぁ!」

ウルティムが、迫り来るミサイルを妖剣で切り落とす。しかし、キリがない圧倒的物量。

ミサイルは発射直後、バラバラに分解し、中から拳大程の無数の超小型ミサイルが飛び出してくる。この小さなミサイルが曲者だった。

旋回半径こそ狭くないが巡航速度が高い。一度避けたミサイル群が時間差で、後を追うミサイル群と挟撃のように襲い掛かってくる。

しかも、ミサイル一つ一つが超小型の為、破壊するにしても非常に手間がかかる。

破壊の咆哮を上げるにしても、発動前、妖気を集約させる為に足を止める必要がある。

時間にして数秒ほどだが、それだけ時間があれば、宙を舞っている全てのミサイルが降り注ぐには十分だろう。

爆発の効果が薄いウルティムであっても、ミサイルの発破で放たれる光と熱は、ダメージとなる。


「少し、戻ってやるか」

妖剣がドロリと融解し、ウルティムの両手足へと纏わりつく。高濃度の妖気はウルティムの四肢を、まるで架空の怪物のような鋭利な爪を備える、厳しい外見へと変容させた。

迫り来るマイクロミサイル群を、ギリギリまで避けようとしないウルティム。

バァンッ!!

先頭のミサイルが触れる直前、ウルティムの両の足裏から爆炎が噴射された。

隼也の扱える、全方位へ衝撃が及ぶ爆発とは違い、指向性を与えられた爆発だ。

ウルティムは連続して爆発を起こし、垂直に移動する。ミサイルもウルティムを追って、垂直に立ち昇って行く。


「ミサイルを纏めたか」

そう言うと、頼人は目を細めた。

ウルティムは只々、マイクロミサイル群に翻弄されていたわけではなかった。

ミサイルを2次元的に回避し続けていたのは、タイミングを見計らっていたから。

全てのミサイルがウルティムと同じ高さにあり、尚且つ、全てウルティムへと向かって移動するタイミング。

そのタイミングで直上へ移動すれば、まるでテーブルクロスを摘んで引き上げるように、四方八方散り散りになっていたミサイル群が、全てウルティムの後方へと集束する。

そうなれば、ミサイル群を攻略したも同然。

自身の軌道上へ妖剣を配置し、後を追ってきたミサイル群が妖剣へ近づいた瞬間に起爆する。一網打尽である。


そこにはウルティムの推測があった。

頼人は現在、4つの視界を繰っているだろうと。

両目、携えた大柄の銃のスコープ、右目のモノクル。この4箇所の妖気の濃度が異様に高い。

この4箇所に共通するのは、『視覚に関するもの』であると言うことから、4つの視界というのは容易に推測できた。

しかし、同様に、この無数のマイクロミサイル群に視覚を与えられないかと言われれば、そういう訳でもない。

しかし、現実的な話ではない事は確かだ。

それだけの並行処理、幾ら人外であっても困難だろう。

であれば何故、現にマイクロミサイルはウルティムを狙い、頼人自身は普段通り行動できるか。

単純明快だ。

ミサイル群の動きは予め設定されている。

目標が消えるか、命中するまで、自らの全スペックをかけて追尾するのだろう。

最短距離で。

それならば、こう言った事も可能な訳だ。


ビュンビュン......バアァン!

ウルティムが両手に作り出した妖剣を、後方へ放り投げた。すると、ミサイル群は2つに割れ、それぞれの妖剣へと殺到した。

光と熱が放たれ、視界が真っ白に染まる。

視界は効かないが、追ってくる妖気は感じない。全てのミサイルを落としたようだ。

「はっ、チャチい花火だったな......ッ!?」


ガガガガガァン!!!

ウルティムが妖気を感じる間も、防御する間も無く、高弾速の5発の光がウルティムの胸を貫いた。

動きを止めた訳でもない。不規則に動き続けていた。速度も一切落としていない。爆発によって常に最高の初速で移動していたはず。

それをこうも容易く捉えるとは思っていなかった。


「クソがっ!悔しいが、その精度は認めるぜ。ただ、少しばかり、威力が足りないみてーだなぁ?」

ウルティムが妖剣を作り出し、絶え間なく投げつけた。

頼人は飛び退いてそれを躱しながら、『Assault-Lights』を再展開しようとする。しかし、飛来する妖剣と、地面に突き刺さった妖剣の引き起こす大爆発がその隙を与えない。

それでも、『Sheen04-5B』を腰だめで撃ち、なんとか隙を見出そうとしていた。

「もー少し威力があれば、ブチ抜けてたかも知れねーけどよ?自動防衛で威力を半減させられるようじゃ、この命には届かねーぜ」


『Sheen04-5B』は5点バーストという特性上、ワントリガー1発の『Sheen04』より、威力は減衰する。その威力は、1発辺り0.6倍程度。単純計算で合計3倍のダメージを与えられるが、それは弾頭が通用すればの話。

『Sheen04』の0.8倍以上の威力がなければ通用しないターゲットである場合、その効果は大きく削がれる。

ウルティムの言う『自動防衛』とは、弾丸が体に触れた瞬間にそのベクトルを打ち消す、或いは逸らす方向へ、爆発を起こす事である。

それは本人が戦闘中に、妖気を励起している間は無意識に発動し続けている。


「それなら、オリジナルだ」

『Sheen04-5B』が、『Sheen04』へと変形する。しかし、わざわざダメージを負ってやる程、ウルティムも優しくはない。

妖剣を目の前へ放り上げ、その柄頭を別の妖剣で叩きつけた。打たれた妖剣は『Sheen04』を、勢い良く貫いた。貫かれた箇所から、妖気の変質が急速に拡大する。

頼人自身へ変質が達する前にすぐに手を離すと、『Light & Bright』を作り出して、距離を一気に詰めた。

「チェンジ、プリセット。......リコシェ・ハイノッカー」

防御の為であっても、妖剣へ直接触れることは極力避けるべきだ。そう判断した頼人が選んだプリセットは、『リコシェ・ハイノッカー』だ。

リコシェは言葉通り、跳弾を意味する。

発射後、硬質な物へ命中した際に一度だけ、頼人が定めた標的へと跳弾する。

ハイノッカーは高い衝撃力を帯びる。

ゼロオーバー系統の高威力のプリセットは、衝撃力もあるが、それ以上に、妖気を帯びた対象に対しての殺傷力が高い。謂わば、『対妖怪』と言える。

対して、ハイノッカー系統は物理的な威力に重きを置いている。ゼロオーバー系統とは比にならない程の制動力を持ち、謂わば『対物』と称すべき性能を持つ。その代わりに、妖怪に対する破壊力は低い。


跳弾という性質と高衝撃力を実現する為に犠牲にしたのは射程。

射程30cm。しかし、インファイトを挑むには十分過ぎる射程。

衝撃力の高い弾丸で、妖剣へ触れずに弾く。妖剣へ命中した弾丸は跳弾し、ウルティムへ命中する。これだけでは一切決定打は生まれない。

しかし、跳弾の衝撃力でウルティムが怯むなり、気が散るなりすれば、ゼロオーバー系統で深手を与える機会が見出せるだろう。


「ハッ!離れれば妖剣が飛んでくると見て、詰めてきたか。けどなぁ、ここは俺の距離だぜ?」

間合いに入ってきた頼人へ、ウルティムが剣戟を見舞う。妖剣を加速させる爆発により、変則的かつ異様に初速が速い斬撃は予測が難しい。

隼也の見せた、爆発によって加速された斬撃とは格が違う。未熟さ故か、剣に振らされているような印象を受ける隼也のものと比べて、ウルティムはまるで手足のように、剣を操っている。更に、指向性を持つ爆炎は、隼也以上に剣を加速している。

しかし、それでもついて行けるのは、右目のモノクルへ浮かぶ、超動体視力の紋様のお陰だろう。

ガン!ガン!ガンガン!

紙一重で斬撃を避け、妖剣を撃ち払う。

妖剣が掠める度に、肌にチリチリと焼くような違和感を覚える。攻撃に当たらずとも、空間を伝わって侵食が進んでいるのだろう。早い所、隙を作らなければならない。

ガガン!

撃ち返した妖剣の根元を、更に追い撃った。

妖剣は手元を離れ、大きく弧を描いて地面へ突き刺さる。

鋭い爪で引き裂かんと伸ばされた異形の手を、すれ違うように躱しながら、こう唱える。

「チェンジ、プリセット。ラストワン・ゼロオーバー!!」

威力を増す為に.....

射程も犠牲にした。

連射速度も犠牲にした。

後は何が捨てられる?

簡単だった。

『装填数』だ。

すり抜けざまに銃口を叩きつけた。狙いはあいも変わらず、胸部の中央。

突き出された右手は『Light』の引き金を引いた。閃光が周囲一帯を白く染め上げた。無色、ただ純白の中、吹き飛ばされるウルティムを、それを更に超える速度で回り込んだ頼人は突き上げた左手と『Bright』を、真下へ突き下ろした。

地面へ叩きつけられ、更なるゼロ距離射撃が襲った。

装填数1発。自動拳銃ではまずあり得ないこの条件。役目を終えた二丁は、力尽きたかのようにボロボロと崩れ落ちた。

地面へ大の字で仰向けになったウルティムの妖気は、大幅に弱くなっている。

後一押し。頼人はウルティムを踏み付けて、『Sheen04』を向けた。


「終わりだ、ウルティム。眠ってもらう」

「イッテェなぁ....。まぁ、しょーがねーか。このクソガキの限界が、まだクソだった所為だ。何百年も待ったんだ、数年延びても変わんねーか.......。ま、一思いにやってくれや」

「ふん、言われずとも.......


ドッ......!


「.......っ?!こいつ......」

「ぎゃはははっ!なーに、油断してんだよ、バカカスがよ!」

頼人の腹部から、黒の妖剣が突き出ている。

渾身の攻撃に、自分の視界が狭くなっていたのか。失念していた......弾き飛ばした妖剣のことを。吹き飛ばしたウルティムに先回りしたこの位置が、ウルティムと妖剣に挟まれる位置だということを。

ウルティムは諦めたフリをして、妖剣を手元へと引き寄せた。当然、妖剣は手元へ至る道中に、期せずして立ち塞がっていた頼人を貫いたのだ。


ダァン!!

ガチィ!


「ペッ!そんなフラフラの奴がぶっ放した鉄砲が当たるかよ」

頭を狙って撃ち出された弾丸を、ウルティムは歯で噛んで止めた。ひしゃげた弾丸を吐き捨て、ニヤリと笑う。

「ま、限界ってのは嘘じゃねーよ。クソガキがそろそろ起きちまいそうだからなぁ。今回はこれくらいにしといてやるかな!この身体の使い勝手も案外悪くなかったしなぁ」


「くっ.......」

頼人が膝をついた。

背後から腹部へ、根元まで突き刺さった妖剣を両手で掴み、苦悶の表情を浮かべながら力を込める。

ズ.....ズズ.......

脂汗が吹き出す。

妖気の侵食が広がり過ぎる前に、これを取り除かなければならない。根元まで完全に突き刺さった妖剣を強引にずらして、横腹を切り裂くように妖剣を抜いた。

実際に切れることのない、ウルティムの妖剣だからこそできる芸当であるが、痛みは本物だ。

脂汗が玉のように吹き出す。

その様子を仰向けのまま眺めるウルティムは楽しそうにニヤついていた。

「流石にあの女よりも、抵抗力は高いな。それでも、一撃で3割持っていかれるってのは、ちょーっと力不足だったな。次までに、俺に擦り傷くらいは付けれるように、鍛えとけよ?」


そう言い残すと、ウルティムは眠るように瞳を閉じた。異形の姿へ変容していた四肢は、黒の妖気が霧散すると共に元通りとなり、光の弾丸を受け続けた黒い胸殻が、ボロリと亀裂に沿ってヒビ割れた。

リツは隼也の状態を確認しながら、胸殻の破片を手で払い除けた。

「あれだけやって、傷一つも.....とはね」

頼人の度重なる銃撃を受け、ヒビが入っていたのは胸殻だけだったらしく、隼也本体には一切のダメージは見られない。隼也へダメージを残さなかったと考えれば幸とも言えるが、頼人の渾身が殆ど通じていなかったとも言える。


「それよりも、頼人くんか........」

リツが頼人へと歩み寄る。あまり容体はよろしくないようだ。すぐに妖剣を抜いたのは良い判断だったが、いかんせん妖剣が強力過ぎた。

腹部が黒く変質している。これを治癒するとなると、相当な労力がかかるだろう。

「2人の浄化、私が引き受けましょう」

ウルティムの妖気を祓おうとし始めていたリツの肩を引いたのは、満身創痍のテオだった。

「リツ、君が彼らを浄化するには、変質した妖気を取り除くしか方法がない。私なら、変質した妖気を元に戻せます。回復も段違いに早いでしょう」

「そうか。貴方がそう言ってくれるなら心強いよ」

「いいえ、これは当然のことです」

「ハハッ!全く....その通りだろうね。それよりも、それは何のつもりかな?ディアさん」

テオが治療に取り掛かり、隼也から誰もが目を離した時だった。リツが振り向かずに咎めると、隼也を抱えたディアは舌を出して申し訳なさそうに笑った。

「ごめーんね☆?彼はキミたちに渡すわけにはいかないんだ〜」

「そうかい。まぁ、そうだろうね。互いの立場を知る君達なら、そうすると思っていたよ」

「わっはは!やっぱ、キミにはバレてる?そんじゃ、諦めて攫わせてちょーだいね?」

「僕は止めないさ。止められもしないからね。ただ、何処へ連れて行くのかを教えてほしいな」

「そんなことを教えるなんて、フツーは有り得ないよね〜☆?」

「でも、君は教えくれるんだろう?」

リツの問いに、ディアは間を開けてニンマリと笑った。

「........冴えてるねぇ〜。そんじゃ『天の審議室』に集合って事で☆!」

「あぁ、ありがとう。後から向かうよ」

ディアは背に生み出された大鴉の翼で、山頂へと向かって姿を消した。


「行ってしまったか」

ディアの行く先を見つめながら、テオがポツリと呟いた。その隣に立ったリツは、テオの言葉に意外そうな表情を浮かべた。

「貴方のことだから、ウルティムを連れ去ったディアを、恨めしく思っているかと思っていたよ」

テオが険しい表情でディアを見送るだろうと思っていた。しかし、実際のところは実に落ち着いた表情をしていた。あれだけ、ディアに対し敵意を抱いていた様子のテオが、そのような表情をするとは意外だった。

「私は.......ディアを怨めしく思っている訳では無い。ただ、相容れないんだ。互いの存在が、対立する事を強要する。彼女は私への敵意を抑える事が出来るが、私は不可能だ。顔を合わせれば、私は剣を抜かざるを得ない」

「そうか。確かに君達なら、そう言う事なんだろう。まるで水と油だよ」


「一体、お前達2人はどう言う事なんだ」

浄化が粗方終わった頼人がテオへと向き直った。頼人と目が合ったテオが頭を下げる。

「それは、僕が説明しようか。テオさん、貴方は奏君の浄化を頼みたいです」

「そうか」

リツが奏へ施した結界を解き、テオを促す。説明を申し出たリツは、頼人の対面へ妖気の椅子を作り、腰を下ろした。


「彼らは元を辿れば、1つの存在なんだ」

「1つの存在?あれだけ正反対みたいな奴らがか」

「あぁ、そうさ。.......『人類』。彼らは『人類』として生まれた」

リツの不可解な説明に、頼人が首を傾げる。

「『人類』......つまり、ホモ・サピエンス・サピエンスだ。比較的、身体能力には乏しかったものの、類稀なる想像力で支配種へ上り詰めた生物。テオとディアは、その想像力の末に生まれた......いや、生まれてしまった存在なんだよ」





少し回りくどいかも知れないけど、昔の話をしよう。

かつて、地上には数種の類人猿が存在した。有名どころでは『ネアンデルタール』なんかだろうね。人類の直接の祖先と言われる『ホモ・サピエンス・イダルトゥ』と比較すると、気性や身体能力など多くの能力が優っていた。

しかし、現在ではより強靭な筈の『ネアンデルタール』の血族は存在しない。

それは何故か?

理由は単純さ。

『神』を見る事が出来なかった。

そんなファンタジックな理由か?って思うだろう?

案外、そうなのさ。

『ネアンデルタール』は強かった。神に祈らずとも獲物は手に入るし、精神的支柱などに頼らずとも自らの足で地に立てる。

『ホモ・サピエンス・イダルトゥ』は弱かった。

獲物が運良く、思い通りに動いてくれなければ手に入らない。より強靭な類人猿の恐怖もある。

その劣悪な環境は、次第にこう考える事を教えた。

『都合良く獲物が現れますように』

『凶悪な敵に出くわしませんように』

単純な願いだろうけれど、生存し繁栄して行く為に、ほぼ全ての『ホモ・サピエンス・イダルトゥ』達は、似通った認識を抱いていただろうね。

そして、他より少しだけ賢い者達が気付き始める。

『凶悪な敵に出くわした時に生き残るには、群れれば良い』

『数の力で、獲物を狙ったように誘導すれば良い』


この考えに同調しない理由などなかっただろう。

次第に、群は数を増やした。数を増やすということは、知識の蓄積も速くなるということ。

獲物の生活圏。摂食可能な植物。新たな狩猟方法や、敵の行動範囲なんかも。

ある程度の衝突こそあれど、群は他の群と合流し、更に巨大になっただろう。

更に生活の効率は向上していった。


その割を食ったのが、『ネアンデルタール』を筆頭とした、優位に立っていた類人猿だ。

巨大な群の影響で、獲物の数は減少した。

襲って奪おうにも、多勢に無勢では歯が立たない。

こちらも群となり対抗すれば道は開けたのかも知れないが、それまで家族単位で生きてきた者達が、それ程の団結力など持ち合わせるはずもなかった。

飢えに倒れ、滅びるまでは時間は然程かからなかっただろう。


すまないね、熱く語り過ぎた。

話を一旦戻そうか。

『神』を見る事ができた。

それはどういうことか?

例えばだ。

よく目立つ形をした、大きな枯木があったとしよう。その近辺で偶然にも3回連続、大物が仕留められたとする。

そうなれば、こう考えたくならないかい?

『この枯木には、なにかがあるぞ!』ってね。


その程度の些細なきっかけでも良い。

関心は興味に、興味は共通認識に、共通認識は崇拝へと姿を変えた。

特徴的な地形。荘厳な自然現象。頻繁に狩猟した動物。

それらはいつしか、『ホモ・サピエンス』の想像力に召し上げられ、共通の高次存在....『神』となっていた。

群としての情報集積能力は、偶然だったのかもしれない幸運を蓄積し、それを自分達より高位の存在による力だと認識し始めた。

たった数人の認識が、記憶の遺伝子として、類似した経験をした者やその経験にあやかりたい者に伝播する。

伝播する過程で、より伝達性に優れた姿へと認識は形を変えてゆく。

抽象的だった存在に、偶像という形が与えられた時、晴れて『神』の誕生さ。


ここまで『神』の誕生秘話を簡単に説明したけれど、ここからが本題だから、これまでは忘れても良い。

世界には、無数の宗教があるのは知っているだろう?

それを篩にかけて、目の大きいものを選り分けると、世界ごとに平均して4〜5種ほどになるかな?

それぞれの宗教の、信仰対象を比較して眺めてみると、ある傾向が見つかるんだ。

まず、

宗教Aの『主神a』

宗教Bの『唯一神b』

が、存在するとしようか。

宗教である以上、自らの行動を戒め、堕落を忌避するのは当然だ。

そして、厳格な生涯の到達点にある、褒賞のような理想郷に座するのは、それぞれの宗教が掲げた神というケースが多い。

或いは、理想郷含め、現世や全生命の創造主としての役割も持っていたりする。


それとは対極に、堕落の先に大口を開けて待ち構える幻惑の徒として、対立する宗教の掲げた神の名が連なっている事が、往往にしてあるんだ。

所謂、『悪魔』として伝承される、それらの存在。それは、対立した宗教だけではなく、篩の目を通り抜けた小規模な宗教の神の場合もある。


宗教Aの悪魔である『b』を崇めている宗教Bは、宗教Aを信仰する者達にとっては、異端の者であるとしか言いようが無い。

その逆もまた然りだろうね。

宗教Aを全人口の60%が、信仰しているとしよう。宗教Bは30%、小規模な宗教に10%を振り分けようか。

そして、ある日に全人類へ、アンケートを実施する。


『正しい神はどれですか?』

1.主神a

2.唯一神b

3.その他


まぁ、わざわざ集計しなくても、答えは分かりきってるだろうけどね。

6:3:1

案の定、主神aの圧勝だ。


この大いなる主神aの敬虔な信者と、それぞれ纏まることのない、その他の神の信者。


テオとディアは、『ここから』生まれた。


頼人君が、鬱陶しいと言いたげな表情になってきたし、痛い目に遭わされる前にまず結論を出そうかな。


2人は『多』と『少』を司る存在なんだよ。

そこで、奏君の浄化をしてくれているテオさんが『多』を。隼也君をついさっき誘拐した、ディアさんが『少』を司る。


全人類の精神を平均化し、その構成を見た時に、一般的に善と呼ばれる部分と、悪と呼ばれる部分では、どちらが大きいかは分かるかい?


.......正解!

実に希望的観測だが、御名答だよ!頼人君。

善の方が遥かに大きい。

それもそのはず、元来、群れで生きるように進化してきた人間は、仲間と協調する力を必要としてきた。

悪意の無い人間と善意のない人間では、前者が多いのはその名残さ。

従ってテオは、より『多』である善性や正義を担い、ディアは残された『少』の悪性や邪悪を担う。


ここで言う正義とは、多数派である先程の宗教Aの語るものになる。

対する邪悪とは、少数派のその他に位置する宗教の謳うものだ。

中間に位置する宗教Bは、場合によって左右するが、殆どの場合は多数派と見なされる。


ここからは少し厄介な説明に入るけれど、大丈夫かい?


2人が多と少に分かれていると説明したけれど、それで善悪切り分けるのは早計なんだ。

例えば、善悪備えた平凡な人間と、悪意のかけらも感じさせない、自己犠牲を厭わぬ聖人君子では、どちらが多数派か?

そう問われた時、前者が多、後者が少となるだろうね。

人間は菱形に分けることが出来る。

左右に善悪を示し、上下幅が人数を示す菱形。

善の頂点に位置する、永世に名を刻む聖人や英雄。悪の頂点に名を刻む、悪魔と称されるほどの悪人。

両者ともに少に位置する存在であり、ディアの司る存在であるのは分かるね?


すると、2人の司るはずの善悪が揺らぐのも分かるだろう。

精神を介して見れば善だったテオも、人間を通してみればどっちつかず。

精神越しでは悪だったディアも、善と悪、双方の到達点にいる。


まぁ、あまり深く考え過ぎてもね、ってやつさ。人の世において、善悪など往往にして移ろいやすいものだからね。

より多く、より少ないものの味方なんだ、程度に思っていた方が、こんがらがらなくて良いよ。


さて、一旦、善悪から離れよう。次は簡単な質問だよ。

生者と死者、どちらが多いでしょう?


........もう少し詳しく教えろ?

ははっ!君ならそう言うと思っていたよ。すぐに教えるから、そうカリカリしないで銃を収めてくれないかい?

今この瞬間に生きている人間と、今この瞬間までに死んでいた人間。どちらが多いか?ってことだよ。


ま、即答だろうね。

当然、死者の方が格段に多い。

今日、生存している人間の背後には、それこそ文明はおろか、言葉すらも存在しなかった時代からの血統が、脈々と受け継がれているからね。

となれば、テオは死者を司り、ディアは生者を司る存在であることは必然。

この違いは、2人の考えの違いにも、ありありと反映されているよ。

生と死を等価と考え、命を奪う事に何の躊躇いもないテオ。

生こそ至高であり、死とは忌避すべきと考えるディア。

もしも、2人と争いになった時、これを覚えておけば少しの助けになるだろう。

対立したのがディアならば、説得の余地はあると言うことさ。

だけれど、テオなら交渉の余地はない。戦いは十中八九避けられない。

.......これ、テオさんには言わないでね?


ここからは、君達が関わってくる話だ。しっかりと聞くんだよ?


頼人君、君は『光』の妖怪だ。

そして、多くの人間は光に縋ろうとする。


走光性だとか、そういった話ではなくてね。

光量子としての光も縋る対象ではあるが、それとは別に比喩的な意味も持ち合わせる。

希望や道導と言った、所謂、『照らす者』としての光さ。

先の見えぬ運命を切り開く閃光、報われぬ大禍の中の一縷の光明、高位へと導く大いなる者の威光。

希望や未来、神威、神聖を須らく人は『光』と形容する。

何故か?

断言できる。

人は『光の子』だからさ。


光を信奉する人々の象徴であるテオにとっても、光が形を成したとも言える頼人君へ、傅くのは当然の事であるのも分かるね?


ならば、ディアは誰を信仰するか、と言うことも知りたいだろう。

とは言っても、ディアの行動を見ていれば、聞くまでもないことだったかな。


ウルティム。

彼の力である『何か』を、ディアは信仰している。

その『何か』を教えろだって?


う〜ん......そうしたいのは山々なんだけどね。

訳あって教えることができないんだよ。ただ、言い訳を許してもらえるなら、これは隼也君の為に教えられない。と、言っておこう。

君達の手で、彼を壊したくはないだろうからね。

隼也君自身で真相へ辿り着くのを、見守るしかないよ。





「リツ、奏の浄化が終わった。無事ではあるが、暫くは目を覚まさないだろう」

ひと段落したといった様子で、深呼吸をする。

テオの力で、奏の容体はかなり改善していた。変質を受けて、殆ど感じられなくなっていた妖気は、全体の半分ほど回復していた。残りの半分は、攻撃やダメージの回復に消費された分だろう。


「さて、奏君の復活を待つべきか否か。どうだろうねぇ」

「俺は今すぐにでも、出発するべきだと思う。気を失っていた隼也の様子が気になる」

少し気が急いているのだろう。頼人はいつでも戦闘できるよう、数種の銃器を作り出して、各所に装着したホルスターなどへ収めていた。

「テオさん、貴方の意見は?」

「私は頼人様の思うままに」

「うん、それじゃあ、出発しようか。頼人君たち2人は主戦力だから、奏君は僕が背負っていこう」

リツが奏へ指先を差し向けると、奏の身体がふわりと浮き上がって、リツの背へと負ぶさった。

「では、テオさん。『天の審議室』まで、案内して頂きたい」

「了解した」



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