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REVENGER  作者: h.i
34/36

次の世界へ

ーー場所は戻り、幻想郷内、白狼天狗の里--


事の発端は、僕が玄関先であるものを見つけた事でした。

その日は何時もよりも、早くに目覚めてしまいました。

格子戸から外を見ると、夜特有の深い深い紺色に、僅かに白がかかり始めたくらいの時間帯です。

これだけ早く起きても、何もすることもありません。僕はみんなを起こさないように、静かに布団を畳みました。

二度寝の誘惑に後ろ髪を引かれながらも、顔を洗う為、僕は井戸へ向かったのです。


その日は、夏だというのに少し肌寒さを感じました。その寒さは、玄関へ向かう程に強まるような気がします。

隙間風が吹き込んでいるのだろう。その時は、その程度としか思っていませんでした。

しかし、戸を開けた時、僕はその正体を目にしました。


「これ....なんだろう?」

玄関先に落ちていたのは、こぶし大の氷の塊でした。

それはただの氷ではなく、内に蛍のように強弱を繰り返す光が封じられています。手に取ろうと手を伸ばしましたが、ある程度、手を近付けたところで、あまりの冷たさに、つい手を引いてしましました。

僕は確信しました。

これは灯くんの氷に違いないと。

取り敢えず、触れる事はできないので、軒下に見つけたチリトリで掬い上げて、屋内へと持ち込みました。

暫くすると、氷の冷気に寝苦しさを感じた隼也が目を覚ましました。僕が囲炉裏の中の薪に火を灯すと、隼也の震えが収まってきます。

「ありがとう。奏」

「どういたしまして。おはよう、隼也」

「あぁ、おはよう」

褒めてもらえました。今日はなんだか上手くいきそうです。

「今日は変に冷えるな......」

「あ、そうだった!隼也、これ見て」

僕が覗き込んでいる氷を、隼也も覗き込みました。あぁ、顔が近いです。

「これって......灯のか?」

「うん、多分」

隼也が灯の布団の方へと向かいます。

隼也が確認すると、そこには灯の姿がありませんでした。布団に膨らみがあったので、気が付きませんでした。

「 灯がいない........。そもそも、灯の妖気も微かにしか感じられない。奏、どうにかして追えないか?」

「うん、やってみるよ」

背中の術式へ弱い妖気を流して、対応するものを探します。

時間にして10秒ほどでしょうか、最適なものが見つかりました。そこへ妖気を本格的に流して、発動します。

「あったよ。これできっと、灯くんを探せる」

術が発動すると、寝床から玄関へ向かってぼんやりと、空色の妖気の靄が浮かび上がります。

これは灯くんの妖気の痕跡。

足跡のように残されたそれを辿っていけば、灯くんの元へ辿り着けるという寸法です。

ただし、工作をされていなければ、ですが。

玄関を出ると、家の裏手へ回るように靄が続いています。

更に辿ると、それは塀や軒を足掛かりにして、屋根の上に登っています。

僕たちも屋根の上へ登ると、僕たちから見て奥側、玄関の真上のあたりの屋根に、靄の塊があります。

どうやら、ここへ暫く留まっていたのでしょう。

しかし、察知できるのは灯くん1人の妖気のみ。不審なのは、ここで灯くんの妖気が途切れているという一点だけです。

「攫われた?......いや、そんな無抵抗にやられる奴じゃないだろ」

隼也が考え込んでいると、足元から声が聞こえました。この声は、頼人くんです。


「夜明け前から、屋根の上で何をしているんだ。それに、なんだあの氷は。寒くて敵わない。あんなもの置いて、灯は何処に行った」

寒いのが苦手な頼人くんは、露骨に嫌そうな顔をしています。

まだ少し、頼人くんへの苦手意識は無くなっていません。側の隼也の裾を掴んで合図を送ると、分かってくれたのか、屋根から降りて頼人くんに説明してくれました。


説明が終わるのを見計らって、僕も2人の元へ降りました。すると、玄関の中から、身震いする程の冷気が流れ出してきました。

たぶん、建物の中に氷の冷気が溜まり込んでしまっているのでしょう。

これでは、頼人くんでなくても耐えられません。

「寒いっ!!あんなもの、撃ち砕いてやりたい」

頼人くんが、西部劇の中に出てくるような銃を作り出します。それを隼也がすぐに宥めました。

「ふん......!あんな忌々しい物を残して、本人は姿を眩ましたか。あの氷塊に苛立ちこそあるが......まぁ、手掛かりである事には変わりないな」

頼人くんが手に持った拳銃を、今度は巨大な銃に作り変えます。確か、何とかマテリアルライフルと言っていた記憶があります。

スコープ越しに、家の中の氷塊を観察しています。何がどうあれ、近付きたくないみたいです。

「俺の予想は、あれは灯のシグナルじゃないかと思う。あれの光が強まる周期を、6秒間で数えてみると........1、2、3、4、5、6、7、8。約8回程度だ。あれが、灯の心臓のテンポと同期しているなら、この回数は自然だと思う」

「成る程、灯の心臓の拍動ねぇ。そうなると、あれが光っている内は、灯はまだ生きているって事か」

頼人くんの見解はいつも冴えています。灯くんの鼓動とあの氷が一緒になんて、僕は思いつきもしませんでした。しかし、説得力があります。これが、経験の差と言うのでしょうか?

「取り敢えず、白狼天狗の人達に教えなきゃなだね」

「そうだな。.......俺は、絶対に氷を持たんぞ」

露骨に氷から顔を背けて、嫌そうな表情をする頼人くん。寒いのがどれだけ嫌なんでしょう。






「そうか。灯が......」

大狼樹さんに臨時のミーティングを開いてもらって、現時点で分かる事を報告します。

それを受けた樹さんは、腕組みをして難しい表情で考え込んでいます。

「この4人を受け入れる契約がある以上、何れこうなる事は予期していたものの、だ。突然に、それも痕跡を残さずに姿を消したとあっては、何の手立ても無しとは行くまい」


「隼也、頼人、奏。この3人に捜索を指示してはどうでしょう?」

悩む樹さんに意見を出したのは、犬走椛さんです。

「4人を総合的に判断してみると、隼也は完全に攻撃偏重。灯は攻守ともに厚いものの、戦闘以外に意識を割けていません。頼人は前者2人とは違い、攻守は勿論、偵察、強襲まで柔軟にこなしています。奏は直接の戦闘は不得手なものの、攻撃による援護、強化による支援、回復など、構成の穴を埋める術が豊富です」


「しかし、現状では偵察、索敵能力が一番の穴となっていると、私は思います」

「ほう?それは何を根拠に?」

椛さんの厳しい意見に、大狼さんが応えます。


「まず、祇田頼人の場合。経験や知識で粗方の居場所を察知し、その後に秀でた視覚で索敵を行ないます。しかし、視覚に頼るが故に相手が妖術によって隠伏している場合、対応が困難になります」

「次に、高嶺奏。術式による高出力の探知は、精度、反応速度共に最高基準ではありますが、いかんせん探知範囲が狭い。距離にして30m前後と言ったところでしょう」

「続いて、隼也。残念ながら、彼は4人の中で最低の索敵能力です。視覚、感応力共に秀でるものはない。視覚による探知範囲は、奏より広く、頼人より狭い。妖気による探知は、奏や頼人より広く、灯より狭い。既に会敵した状態での一騎討ちであれば無類の強さを誇るものの、奇襲には脆いでしょう。それは戦闘に於ける由々しき問題です」

「最後に凩谷灯。今は不在ですが、彼が最も索敵能力に秀でている。視覚、聴覚及び嗅覚も鋭敏。更に4人の内でも、飛び抜けた感応力の高さを誇る。殆どの場合で、相手より先にこちらが察知する事ができるでしょう。現時点では、本気で臨めば、妖怪の山の3割強を網羅する事が出来ました」


椛さんの話を聞いて、1週間前の椛さんのレクリエーションを思い出しました。

それはいたって簡単なもので、隠れている白狼天狗3人を出来る限り素早く見つけ出せ、と言うものです。

成る程、その時に僕達が使っていた捜索法を考察していたようです。

その時は、正直意味があるか疑わしかったですけど、実際に行ってみて所感を述べてもらうと、確かに、得意項目や苦手箇所が浮き彫りになります。


椛さんの話を聞き、大狼さんが頷きました。

「よし、凩谷灯不在の今、3人に灯の捜索を命じる。それぞれ、椛の話を聞いただろう。自らに必要なものを考えて、それを会得しながら凩谷灯を探せ」

「「「はい!」」」



とは言ったものの、何処から手をつければいいのか、一切見当がつきません。

取り敢えず僕達は、里の入口である関所の前で案を出し合います。

「まー、丸投げされちまったわけだけどさ。これからどうするかな」

「まずは集落周辺から、捜索していくしかないな」

「で、でも、何すれば良いの?」


当然、ろくな案も出ずに行き詰まった僕達の元へ、助け舟が来てくれたのです。

「困っているようですね」

声の方を振り向くと、3人に捜索をさせる提案を出した、犬走椛さんが立っていました。

しょうがないなぁ、と言いたげな笑顔で3人へ歩み寄ります。

「元々、私が提案しましたので、支援や相談は努めて協力しますよ」


話を聞くと、犬走椛さんは非常に目が良いらしく、本気を出せば千里先さえも見通すらしいです。

そこまで遠見が出来ても、ここではオーバースペック。なので普段は、山の周囲が見渡せる程度に抑えて、更に余剰の妖気を近距離での透視に向けていると言っていました。

その超がつく視力を活かして、白狼天狗討伐隊では、偵察任務を主に遂行しています。


「灯さんが姿を消してから大凡、半日ですか......。昨晩は空路には私の監視がありましたから、恐らく陸路での移動。幻想郷内であれば、まだ近場でしょう。とは言え、そもそもこの幻想郷に居ない可能性の方が高いですね。そうなれば、追う事は非常に難しくなります」

「その程度の事、大狼も分かっていたんだろう?」

椛さんの話を聞き、頼人くんの目が鋭くなりました。

「えぇ、そのはずです。なので、今回は皆さんの探知能力の強化を主観に据えつつ、ついでに灯さんも見つかれば御の字、と行ったところでしょう」

「それじゃあ、灯くんはどうなるの?」

僕は心配で声を上げずにはいられませんでした。前のめりになる僕の肩を、背後から隼也が引き留めます。

「奏、落ち着けよ。今のとこ、世界の外まで追えるヤツなんていないんだから。灯はそんなヤワなヤツじゃないって、もーちょい信じてやれよ」

「う、うん.......。そうだよね」

隼也の言葉も良く分かります。

しかし、仲間が居なくなったとなれば、心配で堪らないのです。

僕は妖怪の残酷さを知っています。元々、人間として育った僕達とは、本質的に違う。

価値観、思考形態、精神構造、そして生死観。

何もかもが違う。

人が道を歩く時、足元に蟻がいるのではないかと注意を払う事は無いでしょう。

妖怪にとっての人とは、その程度かも知れないのですから。

母が妖怪である以上、人と近しい者も居ると理解はしています。しかし、それが全てではない。

もし、灯くんを連れ去った妖怪が、悪心に衝き動かされる存在だったら?

その可能性だって、あり得るはずです。

それでも、心配するのと焦るのは別ですね。

確かに僕も、世界を跨ぐような術は知りません。

もしかすると、この背に既に刻まれているのかも知れません。しかし、そんな大掛かりな術である以上、試しに発動してみるというのもリスクが大き過ぎます。

今できる事は、来たる時の為に背の術式たちを熟知し、巧く使い熟せるようになる事ですね。


「ここで悩んでいても仕方がないな。行動に移すべきだ。3人で3に方向に分かれて捜索しよう。指令は灯の捜索だが、俺達自身の能力の強化も課題だ。なるべく、探知範囲や精度を求めながら探索しなければならないな」

「そうですね。こればかりは回数をこなすしかないです。常に限界で探知を行なっていれば、自然に底が上がってきますので、全力で頑張って下さいね」

椛さんが、そう言って僕達を笑顔で送り出しました。


椛さんの言葉に従って、全力で探知範囲を広げます。

範囲は約50m。頼人くんと比べれば格段に狭いですが、僕には更に性能を強化する術式をもっています。

残像消去プラス高精度、更に空間中の妖気濃度まで観測可能です。

普通、妖怪を探知すると、妖怪の発する妖気がまるで霧の塊の様に、ぼやぁと見えます。

それは壁越しであろうとも変わりません。


探知が高精度であれは、妖気のぼんやり具合が弱くなっていきます。つまり、より鮮明にその動きが見えるのです。

例えるなら写真の解像度を上げるような感覚です。

更に残像消去。

探知している妖怪が動いた時、その軌道上にも同様の妖気が残されていくのです。

長時間露光で撮影された星、というのが分かり易いでしょうか。

正確な現在位置だけを知りたいときには、当然そんなものが存在すれば邪魔で仕方ありません。

人影のように動きが鈍い相手なら問題ありません。対して、戦闘中など激しく動き回る時には、残像が残り過ぎて、妖気探知が一切利かないというのも珍しくないのです。

それをシャットアウトする為の術式さえも存在しました。

用意周到です。僕の心配性は母上譲りなのでしょう。


「ふぅ..........」

探索を始めてから、1時間くらいでしょうか。

想像以上の疲労感を感じながら、僕は木々の間に覗く空を見上げながら、深呼吸をしました。

木々の合間を駆け抜けて冷やされた心地良い風と、頭上から降る木漏れ日が、経験した事ないほどの居心地の良さを与えてくれます。

以前は勉強で忙しかった為、こうやって山に来るなんて、少しも考えたことがありませんでした。

しかし、いざ経験してみると、これは.......。

病み付きになりそうですね。

これだけ心地良いなら、案外、その辺で灯くんも昼寝しているかも知れません。

少しの間、物思いに耽って気分転換をしてから、再び気持ちを入れ直して探知範囲を限界まで広げます。

「隼也。上手くいってるのかなぁ」





「せいっ!!」

ザシュッ!

鬱蒼と茂る森の中に、青の光が尾をたなびかせる。威勢の良い声と、何かを切りつけるような音が、木々に吸い込まれて行く。

「おわりだっ!」

バゴンッ!!

全身に青い切創が刻まれた人影が、隼也の一声で膨張し爆散した。

平時も戦闘時であっても、全力で探知を行い続ける。それでも、30m先までしか見えてこない。

想像以上に集中力を削られる。精神的な疲労が、これまでの鍛錬の比ではない。

これだけ全力を尽くしても30mだと思うと、灯がどれだけ凄まじい感覚を持っていたか、驚くばかりだった。

しかし、一つ分かったこともある。

隼也の視界には、遠く遠くに小さい青い靄が写っている。それは明確な人の形をしており、キョロキョロと、何かを探すように見回している。

青い靄の正体は高嶺奏。

以前、奏へ渡した青い細身の剣を、彼女は未だに肌身離さずに持っていた。奏は妖気で形作られた剣を失くさないように、普段は体内で保管している。

そう、隼也の妖気を僅かでも有する者はどれだけ離れようとも、隼也の目からは逃れられないというわけだ。

変質させられたか、託されたか。何にせよ、隼也の妖気を手段問わず保有する者を、その妖気が失せるまで捕捉する。

探知能力が軒並み低いと思っていた隼也に備わった、特殊な探知能力のようだ。

「これも、怪態の妖気のせいなんだろなあ」

自分が持つという異質な妖気。

この妖気しか知らない故に、これがそこまで大層なものだとは思わない。しかし、妖怪として遥かに先輩である白狼天狗たちが言うのだから、そうなのだろう。


「まぁ、すぐ近くにいれば、どっちみちバレバレなんだけどな」

妖気を棒状に束ね上げる。2m程まで伸びた棒は、両端に刃と錘を兼ね備える天樹あやめの槍を形作った。

「両儀刃【落陽】ってな。もう少し隠れる努力ってのをした方がいいと思う......ぜっ!!」

振り向きながら、逆手に持った槍を全力で振り抜く。爆発の威力も載せた槍は、手元からレーザー光のように放たれ、ただひたすら真っ直ぐに低木の茂みを穿った。

ザグッ!という、何かに突き刺さるような音の後に、ドゴン!と硬いもの同士を叩きつけたような鈍い音が響く。


茂みを抜けて音の方へ向かうと、木の幹に槍で磷付けられた見慣れない人影がいた。

全身を毛皮で覆われており、頭部からは獣のような耳、頭部や脚部など人間とは一線を画す骨格。まるで狼や犬などの獣と人を無理矢理混ぜ合わせたかのような人影だ。

その人影は槍を必死に抜こうともがいているが、幹に深々と刺さった穂先は動きそうにもない。


「なぁ?狼男さんよ」

妖剣を手に取り、人影の前を彷徨く隼也。

痛みという概念のない人影は、貫かれたまま手足を振り回して、何とか一撃を加えようと躍起になっている。

ドカッ!

振り向きながら勢い良くフルスイング、剣の腹で槍の末端を更に打ち込んだ。

槍が木を貫通し、後方の地面へ深々と突き刺さる。胸に巨大な風穴が空きかねない程の攻撃を受けた人影は、支えを失って地面へと崩れ落ちた。

今ので20%といったところか。今回の人影は少々しぶといらしい。

実際に破壊が起きる攻撃ならば、人影は今の一撃で再起不能となっていたかもしれない。しかし、隼也の妖気の性質上、それはあり得なかった。

一呼吸開けてから勢い良く跳び起きる人影。

まだまだ、やる気十分といった様子だ。


「来いよ、狼男さん。返り討ちにしてやるからよ」

人狼型が飛び掛かりながら、隼也の喉元を狙って爪を伸ばす。

予想以上のスピード。しかし、対処不能ではない。

スウェーでそれを避けながら、両手足へ爪付きの甲を創り出す。後方へ傾いた重心に逆らわずに、人狼型の腹部を蹴り上げて後方へ送る。

先程とは位置が入れ替わった2人は、再び睨み合った。


「そっちがスピードで来るなら、俺も乗ってやるさ」

腰を落とし、両手の爪を地面へ食い込ませる。丁度、陸上競技のクラウチングスタートのような姿勢だ。

人狼型はあいも変わらず、真正面からスピード任せに突っ込んでくる。

それを見た隼也がニヤリと笑った。

「そう来るだろうと思った.....ぜっ!!!」

全力で地面を踏み付ける。両手足の4点で爆発が起き、隼也の体へと、文字通り爆発的な推進力を与えた。

両者の正反対方向の加速。互いの差し出した凄まじい相対速度を、一身に受けたのは人狼型だ。回避という概念の薄い人影には、対応しきれなかった。

両手を突き出して飛び掛かってくる人狼型。その身体の下をすり抜けるように潜り込んだ隼也が、すれ違いざまにその鼻先へと拳を叩き込んだ。

お互いの勢いが人狼型の頭部へ収束する。

殴り抜いた隼也は直後に止まり、殴り抜かれた人狼型は後方へ一回転して地面へ落ちる。

再び立ち上がった人狼型の頭部は、酷く崩れている。

狼のように突き出た鼻と口が跡形もなくひしゃげ、首は後方を見上げたまま戻らない。

これまでの人影なら、そのままダメージで消滅してしまうであろう被害。それにもかかわらず、人狼型は何事も無かったかのように立ち上がって、再び戦闘状態に入った。

肉薄した両者。先程とは打って変わって、今度はインファイトへと移った。人狼型の放つ両手足の爪は異様に大きい。下手をすれば、腕など簡単に持っていかれるだろう。

しかし、そこには技術や思考が伴っていない。

技術こそ白狼天狗と比較すれば、素人同然の隼也ではあるが、状況を分析し、どう動けば良いか判断することはできる。

確かに、鋭く素早い攻撃の数々ではあるが、それは全て単発ばかり。二撃、三撃先を考えたものではない。従って、人狼型の攻撃は何処かチグハグで見切るのも容易い。

その程度では、隼也にその爪が届くはずも無く、次第に人狼型の全身に青い切創が刻まれてゆくこととなった。

目の前の攻撃対象ばかりに気を取られ、自身の状況など蚊帳の外にあった人狼型が突然に飛び退いた。やっと自分の状態に気がついたのだろう。

「80%くらいか。インファイトからのラッシュが効いたみたいだな」

手甲鉤を妖気へ分解して、それを元に新たに武器を構築する。

「まぁまぁ、そんなに逃げなくても良いじゃんかって!」

人狼型の右脚が、隼也側にぐんっ!と引き寄せられる。何事かと見下ろすと、右脚首に鎖が巻き付けられていた。

鎖を外そうと足を振り回すものの、先端についた凶悪な形状をした剣が、鎖へ噛み込んで中々外れない。

隼也が鎖を手繰り寄せる。しかし、人狼型も地面から引き剥がされないように、全力で踏ん張った。

隼也が爆発を用いずに、両者の膂力のみを比較すれば、双方ともに五分五分といったところだろう。

バァン!

爆発音。ワイルドカードを使わない手などないのだ。隼也の手元で起こされた爆発は、左手に持っていた鎖の後端の剣を打ち出した。

ズドッ!と鈍い音を立てながら、剣は人狼型の肩部へと突き刺さった。鎖剣は隼也が扱う武器としては、切ることに主眼を置いた物が多い中で、唯一の叩き斬る事に注力された珍しい武器だ。

刃渡りは他と比べれば短いが、とにかく幅が広く、更には突き刺さった相手を逃さない返しが施されている。

剣を錘として、妖怪の膂力及び能力の爆発力で振り回された鎖剣は、遠心力によって凄まじい威力を発揮する。

人狼型の足に巻き付いていた鎖を解き、手元まで引き戻すと、頭上で勢いを付けるように回し始めた。

人狼型の肩に突き刺さった剣の返しは、どうしても抜けない。或いは、攻撃までの数瞬間で隼也の元へ飛び込むという発想が出て来ていれば、一矢報いることが出来たのかもしれない。

人狼型の瞬発力であれば、それも可能であっただろう。

しかし、それができない。

攻撃に於ける障害を排除→攻撃実行としか学んでいなかった人影には、障害を残したまま攻撃に転ずる、という発想そのものが存在しなかった。

本能に従い、剣を引き抜く為、後ろへ下がろうとし続ける。

その首を、刃が無慈悲に薙いだ。


人狼の動きが止まる。

上半身が、切り口で起きた妖気変質の余波で真っ青に染まる。

青は静かに染み入るように、元のどこまででも落ちて行きそうな黒へと戻ってゆく。

「終わりさ。お前はよ」

鎖剣を消して、背を向ける隼也。拘束が解かれ、今こそと飛び掛かる人狼型。しかし、その爪が隼也に届く事はない。

バァンッ!!

全ての妖気を青く塗り潰された人狼型は、跡形も残さず消失した。

煙と炎へ姿を変えた人狼型は、風に攫われてフワフワと散ってゆく。

それを見送り、再び周囲へと監視網を張り直した。

「ちょっとタフになってんな。前より」





パァン............

..........パァン.........

遠方から破裂音が響いてくる。

大凡の見当はついている。祇田頼人の銃か、或いは隼也の爆発。

前者は有り得ない。確実に後者だろう。

何故ならば、今まさに対物ライフル『Sheen04』を肩に担いで、森の中を捜索している者こそが、祇田頼人本人であるからだ。

「派手に立ち回っているらしい」

これだけ爆発音が繰り返されるという事は、屈強なタイプの人影なのだろう。恐らく魔獣型辺りか。

音の響いてくる方角の空を見上げると、濛々と立ち昇る、青味がかった黒煙が覗いていた。


鬱蒼と茂った森はあまり好きじゃ無い。

以前から、廃墟の市街で戦ってきた事も一因なのだろう。しかし、こうやって見上げても、空があまり見えないのは気に入らない。

視界が通らない分、敵も発見し難い。

何よりも、光が届かない。

頼人。Light. 光と銃器。

自分の親を俺は知らない。しかし、俺が光として生きてゆく事を知っていて、そう名付けたのだろう。


木々が空を遮る薄暗い森では、何がいるか分からない。光であるはずなのに、いくら照らしても先が照らし出されないのだ。

人と比べて、寂しがりなのだろう。

1人は好きじゃない。だからこそ、あの頃も人を集め、今も寄り集まっている。

先が見えない程に暗かろうとも、1人では無いと確かめられていられるなら、心細くなどなりはしない。


「ビビりと言えば、そうなんだろう」

手の内へ作り出した円柱型の兵器を、前方の巨大な木の影へと投げ込む。

カランカランと音を立てて1秒後。

幹の向こうで、甲高い破裂音と激しい閃光が撒き散らされた。

間髪入れずに、大型の二丁拳銃『Light&Bright』をホルスターから抜きながら突撃した。

フラッシュバンを投げ込んだ方向の裏から回り込むと、2体の人影が顔を抑えながら、平衡感覚を失ったかのようによろめいている。

一方は、身の丈近くある剣を携えている。もう一方は何も持たず、妖気をユラユラと放っている。

一目で理解した。

これらは、隼也と灯を模倣した人影だと。


隼也型の人影の顎先を打ち上げる。

視覚を失っている以上、防御も回避もしようがなく、まともに打撃を受けた人影は後方へ後退った。

「『チェンジ.......』」

両腕の銃の妖気が僅かに変化する。

以前は、射程と威力の比率を切り替えて扱っていた。しかし、最近は妖怪としての体にも馴染み始め、更に先の展開が可能となっていた。

射程レンジ威力パワー

そして、連射速度レート

その三要素の比率を切り替えて、プリセットとして数十種類に分けている。

今構えたのは、その内で最高の殺傷能力を持つプリセット。

「『ディレイ・ゼロオーバー』」

レンジとレートの2つを完全に犠牲にする。実用不可どころでは無い。銃とさえ呼べないほどに性能を切り詰める。

1分に一度、銃口から顔を覗かせる程度の射程の弾丸が撃ち出される。

射程数センチのその弾丸にこそ、現時点で頼人が使用可能な技の内、2番目の破壊力を秘めるのだ。

カチャッ.......

ドッ......!

隼也型の胸部へ右手の銃を突き付ける。

一分の隙間もない。銃口と標的が完全に接した状態で引き金を引いた。

その瞬間、辺りが閃光に包まれる。

先程のフラッシュバンに勝るとも劣らない光と、火炎放射器のような熱を放つ。

マズルフラッシュの範疇には確実に収まらないであろう爆炎。右腕全体を駆け抜ける痺れと、足元から伸びる二筋の抉れた地面。

威力の程は言うに及ばずだ。


ファーストコンタクトで確実に片方を潰すつもりだった。隼也型と凩谷灯型では、前者が打たれ弱い。その隼也型を全力の一撃を持って、撃ち抜いた。

「グッドエフェクト。クリーンキルだ」

そこに隼也型の姿は既に無く、周囲の木々に、墨汁が飛散した様な染みが無数に残るのみ。

視覚を奪われた隙に、片割れが消された凩谷灯型。しかし、人影に動揺はない。

腕を振りかぶると、頼人へ殴りかかった。


「遅い。当てるつもりはあ.........っ!?」

人間相当の動きでは、妖怪である頼人を捉えることは容易ではない。隠す気の無い予備動作の後に放たれた拳を、後方へ飛び退いて容易に躱す。

躱したまでは良かった。確実に避け切った。凩谷灯型の右腕は空を切って、その勢いに引かれてよろよろと前のめりになる人影。

しかし、忘れてはならなかった。

この人影は『凩谷灯』型なのだ。

言葉を切って、咄嗟に両手で防御の姿勢をとった。

体の正面から、強烈な衝撃が打ち抜いた。

完全に地から離れていた頼人を、軽く吹き飛ばす。両腕が威力に軋み、ガードした上でなお貫いてきた痛みに、苦悶の表情が浮かぶ。

吹き飛ばされた勢いを、木の幹へと垂直に着地して殺す。

不愉快な事に一杯食わされた形となったものの、互いの距離は開けた。

改めて全体像を眺めると、頼人の表情は更に不機嫌なものに変わった。

「あいつ......能力は極力セーブしろと言われてたのを忘れたのか?」

人影の右頭上には、巨人の様な黒い腕が浮かんでいる。先に倒した隼也型の妖気が、再び形を成したのだろう。

灯は人影を倒す際に使用するのは、氷の右腕による打撃のみと決めていた。

しかし、今の人影を見ると一切そう言った遠慮が見られない。

浮かぶ黒腕は、灯の技の1つ。左右の融合腕だ。

それは既に腕から姿を変え、大顎を模した捕食種の腕へと変形している。

『凍えたツァンナ』

本来備わっているはずの凍結能力こそ無いが、人1人程度、容易に一呑みに出来そうな顎門と、そこに連なる鋭利な牙に食い裂かれれば、命が無いのは明白だろう。

「盗まれたか、灯。あの馬鹿野朗が」


人影が右腕を出鱈目に振り回した。

周囲を取り囲む木々が次々に食い破られ、地面は抉り取られて行く。

不規則で予測困難な攻撃。

それを悉くするりと躱す頼人の青い瞳に浮かぶ金の模様は、二丁拳銃の黄金の十字から、菱形へと変わっていた。

その頼人の瞳を介した世界は、非常に緩やかに流れていた。

高速戦闘用の動体視力に特化した瞳。

人影の攻撃がどの軌道で向かってくるのかが分かれば、後は最善最小の動作で躱せば良いのみだ。

「『チェンジ.....』」

徐々に距離を詰めながら、銃へ込める妖気を切り替える。

「『ダブル・ガンラッシュ』」

ダダダダンッ!

およそセミオート式の銃とは思えない速度で銃声が木霊する。体の正面に輝く4つの弾痕を受けた人影が、攻撃に押し込まれて後退った。

射程20cm、高威力、そして2点バースト。一丁につき2連射限定で最高の連射速度の連撃。

威力こそ『ディレイ・ゼロオーバー』には及ばないが、それを補って余りある時間対火力を誇る。

両手合わせて4発を撃ち切るまで、マックスの連射速度を誇り、撃ち切った後は数秒のクールダウンが発生する。

常時、連射速度を上げるのではなく、バースト射撃と言う制約を設けることにより、威力の低下を極力抑えたプリセットだ。


人影が怯んだ僅かな隙。

しかし、それだけで十分。

攻撃の手が止まった1秒に満たないその時間は、頼人にとっては長過ぎる時間となった。

ここで仕留める。二丁拳銃へ全力の妖気を込め、設定を切り替えた。

「チェンジ.......」

両腕を引いて重心を下げる。反動を極限まで受け止める姿勢も出来ている。

いつでもいける。後は放つのみ。

「『ディレイ・ゼロオーバー!』」

両手の銃で人影の腹と眉間を殴りつけた。インパクトの瞬間、引かれたトリガーと同時に銃弾が撃ち出される。

人影と頼人の2人を覆い隠すほどのマズルフラッシュが吹き出し、反動で頼人さえも後方へ吹き飛ばされた。

これだけの反動を受ける一撃をもろに食らった人影は、ひとたまりも無いだろうと思っていた。

しかし、胸から上と右半分の腹部を失った人影は、それだけの損害を受けながらもまだ立っている。

身動きの1つもできず、機能停止まで秒読みといった様子だろうが、それでも即死する事なく生き長らえている。

その事実が衝撃的だった。

隼也型と灯型の耐久力の違い。それは、そっくりそのまま本人達にも当てはまる。

その時点で頼人は、何故、灯が融合腕まで模倣されたのかを考えた。

最初はいくつか予想の候補があった。


戦っている内に調子に乗って、融合腕を使った。

姿を消してから、人影側に加担して技を学ばせた。


これらの予想は、凩谷灯型の最期を見届けると共に瓦解した。

残るは1つの予想のみ。


灯が融合腕を常用せざるを得ない程に、既に人影は学び、力を増していた。


考え得る限り最悪のパターンだ。

いっそ清々しく、灯がこちらを裏切って人影に加担していた方がマシだと思える。

そうならば灯を処理して終わりだからだ。


しかし、頼人の懸念通り、人影がこちらの想像を超えているとするなら話は違う。

人影がこちらの後を追う形である限り、優位に立ち回れるはずだった。

しかし、人影に先を越されていたら?

こちらが感付かぬ内に、人影が力をつけ先行していたとすれば、こちらが後を追うしか無くなる。

こちらの最高の技で人影を倒そうとも、それはすぐに記憶されてしまい、模倣の対象となる。

人影に追い越されると言うことは、永久に敵わなくなるということを意味するのだ。

「俺たちは楽観視し過ぎていた、とでもいうのか」

急がなければならない。

遥か後方にいた筈の闇は、予想を遥かに凌ぐ速度で迫っているようだ。迫る闇を振り切る程に、こちらも成長していかなければならない。


少しの焦燥感を胸に秘める頼人。

今は少しでも時が惜しいと、妖気の探知を再開した。

今の実力で妖気の探知が可能な範囲は20m強。

この入り組んだ森の中での戦闘時や、動きの鈍い人影相手ならば十分だろう。しかし、問題なのは、環境に如何に関わらず全力を尽くしてこの範囲である事。

妖怪の、それもこれから戦わなければならないであろうレイカやリンといった強力な者達を相手取って、この距離で咄嗟に反応出来るかと言われれば、それは流石に不可能だ。

早急に身につけなければならない。

更に次のレベルの探知能力を。

或いは、新たな瞳を。



その後も、延々と捜索は続けられた。

1日が経ち、2日が経ち.......

気付けば凩谷灯失踪から、1週間を数えようとしている。それでも、本人どころか痕跡すらも発見出来ていない。

もう既にこの世界には居ないという説が濃厚になる。そんな中、凩谷灯が健在しているという証明は、皮肉な事に、日々攻撃パターンを増して行く人影が伝えるのだ。

既に、3人が見たこともないような氷腕のバリエーションも見せ始めている。

爪が異様に巨大化し鋭い刃の様に発達した腕。異様な破壊力を見せる腕。

地面から、氷柱を模した真っ黒な妖気の柱を噴出させる腕。

確認されただけでも3種は増えている。

人影の模倣には幾らかのタイムラグがある為、恐らく凩谷灯は更にその先を歩いている筈。

この事実が示すのは、何処かにいる灯は囚われているわけではないという事。彼は彼なりに道を見出して歩いているか。或いは、敵として力を蓄えているのか。



転機が訪れたのは、凩谷灯の捜索が開始されてから2週間ほど経過した頃だった。

頼人はいつも通り、妖怪の山の麓付近を探索していた。

近くにあった岩を支えに、対物ライフル『Sheen04』を構えてスコープを覗き込む。

二重同心円と十字を浮かべた右目が、スコープのレンズとリンクして同じ景色を映し出す。

十字の中心、やや下気味に標的を捉える。


二重同心円のみを浮かべた左目は、遥か遠方に佇んでいる、別の3体のターゲットの位置を確認していた。

観測手スポッターは要らない。

俺には既に2つの瞳がある。

ガンッ!

ガンッ!

ガンッ!

ボルトアクション方式の狙撃銃を、流れるように連射する。威力に耐え切れず弾け飛んだ人影を、左目で視認した。

「視界が通るなら直ぐに見つけられるんだが....」

そう呟く頼人。妖気による探知範囲強化の鍛錬を始めてから、徐々にではあるがその効果が出てきている。初期は20m強だった範囲が、今は30m少々まで広がっている。

他2人の伸び幅の大きさに少し羨望を抱きつつも、成果を焦るのは無駄な事だと割り切り、マイペースに、しかし、着実に能力を鍛えていった。


普段通り探知能力の鍛錬をしながら、人影を発見し次第倒す。

しかし、この日はいつもとは違っていた。

ジリジリと突き刺さるような日差し、執拗に纏わり付くような熱気。夏真っ盛りの季節。

その筈だった。いや、現に先程まで確かに、茹だるような暑さにうんざりしていたはず。

しかし、急に辺りの空気が冷んやりとしている。

近くに川があるわけでもない。木々の隙間から覗く空は、依然変わりなく快晴である。

この現象には心当たりがある。

凩谷灯が氷の腕『アームズ』を使用した際、周囲の空気が冷却される。

それと良く似ていた。


どこか期待を抱きつつも、今の不自然な状況に警戒心を持つ頼人。いつでも抜き放てるよう、両手の指先が二丁拳銃のグリップに触れている。

音を殺しながら、ゆっくりと進んで行く。

集中力を高めながら警戒して歩んでいた。僅かな異変を感じ取れるように、すぐさま銃を抜き放ち、臨戦態勢を作れるように。

しかし、張り詰めた頼人の意識をすり抜けて、変化は起こった。

次の瞬間、それに気付いた頼人が唖然としていた。

「い、いつの間に........?」

視界の隅にチラついたのは、深い森に似つかわしくない鮮やかな赤。自分の立っている場所の両脇に、明らかに人工物と思われる柱が立っていた。柱を辿って頭上を見上げると、そこには朱色で塗りあげられた梁が見えた。

「見落としか?......いや、有り得ない。確実に存在しなかった」

これだけの存在感だ。少々離れていてもすぐに見つかるだろう。足下に目をやると、枯葉と土の地面が、苔生した石畳に変わっていることにも気付いた。

「化かされている。確実に」

視界から外れた場所から、次々と光景が変わっていく。見ている間は元々の森のままだが、一度視線を外してから、戻すと砂利の敷き詰められた広場へと変わっている。

ゆっくりと数歩前に出て、朱色の構造物を改めて見上げた。

以前、書物で見たことがある。

それは『鳥居』と言う名前の構造物。

ある国の宗教に関する構造物で、ここを境として神域を示すものだと。

石畳の奥を見遣ると、そこには古ぼけた社が立っていた。

手摺などが所々朽ちて崩れているが、全体的な形は保っているようだ。

それを見た途端、そこへ向かわなければならないと、心が告げるような気がした。

そこに何があるかは知らない。何を意味するのかも分からない。ただこの社の前へ立たなければいけないという、使命感のようなものに背を押されていた。

別段、その使命に不信感を感じることもなく、当然のように歩を進めていた。

社の前へ立つ。

普段なら、このような根拠も確証もない行動を、安直にはしないはず。そのような事が頭を過ぎった気がしたが、どうでもいい事に感じられて、そのまま霞のように消えていった。

社の前に立ち、見上げる。

今いる場所を中心に、木々が円を描くように取り囲んでいる。

そこから覗く空は、吸い込まれそうなほど青く.....


少しづつ、思考が停止してゆく。

まるで眠りに就くように、次第に意識が流れ落ちてゆく。

とても心地良く。途切れる瞬間など気がつくはずもなく...........










目を開ける。

酷い揺れと、くぐもった轟音が聞こえる。

「起きたね」

そんな声が聞こえてきた。大切なものに優しく語りかけるような、そんな声色。

首が上手く動かない。それでもなんとか、僅かに首を向けて、足りない分は視線で補う。

こちらを覗き込むように誰かが見詰めている。

「大丈夫。大丈夫よ。安心してね」

そう言って、誰かに柔らかく抱きしめられる。

不規則な揺れとともに移り変わる景色。

移動しているのだろうか。

暫くすると、移動が止まる。少し間を開けて、別の声が聞こえた。

「そこに.......いるのか......?」

次はとても弱々しい声。少し離れたところから聞こえる。

「いるよ、目の前に。ライトも一緒」

「そうか........」

視界の横から、黒い物が這い込んでくる。

とても大きな、手のようだ。

体全体が簡単に収まりそうなほどの大きな手。

巨人のような手が頰に優しく触れた。

不自然に冷たく硬い手。

「もう.......目も見えないか。耳も........遠く、なり始めている」

「そんな.......」

「ライトを.......彼に.....託すんだ........。その傷では、お前も.......長くはないだろう.......」

「えへへっ......バレてるか」

「彼なら........お前の最期から、逃れる事が出来る........はずだ。彼は、じきにここへ......到着する.....。その時に、託してくれ........」

「うん......そうだね。分かったよ.....」


頰へポツポツと、水滴が落ちて来る。

「ゴメンね......ライト。お母さんを、許してね......」

涙交じりの声。

「ライトに.......これ、を.......」

「うん.......。私のも........」

2つ。何かが差し出された。応えるように手を伸ばそうとするが、上手く動いてくれない。

「お父さんも、お母さんも.......、ずっと見守ってるからね......」

誰かが、差し出した2つの物を頼人の胸元へ収める。

2人へ声をかけようと躍起になるものの、声らしい声は全く出る事なく、ただ意味もない音が口から出ること漏れるのみ。


そこまで来て、再び意識が揺らぎ始めた。

静かな水面に映った風景へ石を投げ込むように、景色がうねり歪んで混ざり合い、元からそうであったかのように静かに途切れていった。





「.........。はっ?!」

気がつくと、見知らぬ土地に立っていた。

頰を伝う違和感。拭うと裾が僅かに濡れている。

夢を見た気がするが、断片的にしか思い出せない。しかし、酷く懐かしいような気がする夢だったことは、はっきりと覚えている。

踝程度の高さの牧草のような植生に覆われている、切り立った崖の上のようだ。

先程の鬱蒼とした森とは一変し、遥か遠くまで見通しの効く開けた土地だ。

崖を見下ろすと、目眩がするほどに遠くにある地面が見えた。

眼下には森が広がっており、更に奥には、巨大なアーチ状の巨岩が幾つか聳えていた。

現実離れした世界。

まるで御伽噺の挿絵のような幻想的な光景。


「うーん........」

背後から、聞き慣れた呻き声が聞こえて来た。

声の方へ向かうと、辺りより小高い草むらに寝転がる高嶺奏の姿があった。

頼人は溜息を1つ吐くと、手に持っていた銃で、奏の頰を軽くグリグリと捏ねる。

しかし、4人の中で最も寝起きの悪い高嶺奏は、その程度では微動だにしない。

口元の違和感に、むにゃむにゃといいながら寝返りをうつ。そっぽを向いてしまった奏に、頼人は困った表情を隠し切れない。

「さて、どうするか」

普段ならば、隼也がどんな方法を使っているのか、不思議なことに奏を一瞬で起こしている。

とはいえ、ここに放置したままにするのもよろしくない。

能力をフル稼働して爆音を鳴らせば起きるかもしれないが........


横目で見下ろした先には、さぞ心地好さそうに眠る奏の顔がある。

「それは、少し酷か」

近くの草むらへ腰を下ろし、ゆっくりと待つ事にした。







最近、よく似たような夢を見るのです。

そこは深い深い暗闇の中。

自分の手さえも見えない程に暗い所に、僕は立っています。

動く気が起きないのか、動くことができないのかは分かりませんが、僕はその闇の中の一点にジッと立っているのです。

暫くすると、呻き声のような音が聞こえる事に気がつきます。

それはとても重く強く深く恐ろしく、しかし、どこか辛そうな呻き声。

呻き声が聞こえた後、体を見下ろすと右手に剣を持っています。

隼也が僕にくれた、細身の青い剣を。毎回、気がつくと剣を手に持っています。

その剣を見詰めてから、まるでそうする事を義務付けられているかのように、暗闇に閉ざされた空を見上げます。

するとそこには、剣と同じ青い光を放つ巨大な瞳が1対、こちらを見下ろしているのです。

続けて、身体中に共鳴し胸の奥を叩くような、低い唸り声が聞こえて来ます。確認をした訳ではないですが、瞳の主の声かと思われます。

まるで私に語りかけているようなのですが、意味は一切通じません。

1分間程度でしょうか。一頻り僕に話しかけた後、瞳の主は静かに闇へ溶け込んでいくのです。


ここで毎回、夢から覚めます。

この夢しか見ないと言うわけではないのですが、似通った内容を繰り返し見る上、妙に詳細に覚えているというのが、えも言われぬ違和感を与えます。

いつしか、眼が覚めると夢について考え直すのが習慣になっていました。

隼也の剣。

隼也の妖気と同じ色の大きな瞳。

無関係なはずがありません。記憶が残っていないと言う隼也の、前世にあたる過去には何があったのか。気になりはするものの、僕なんかが関わらない方が良いのではないか、とも思うのです。

そうこう考え事をしていると、僕の顔に影が落とされている事に気がつきました。

影を辿った先には、寝転がったままの僕の隣に、誰かが背を向けて座っています。

あの銀色の髪、誰かはすぐに分かりました。

「頼人....くん?」

躊躇いながら声をかけます。

まだ頼人君との間には、少し壁を感じます。

僕が一方的に距離を感じているだけなのかもしれませんが、比較的話し掛け易い隼也や灯君とは違い、頼人君は話掛け辛い雰囲気があります。

現実的でハッキリとした性格や、時折見える厳しい物言いが、人付き合いに慣れてない僕には怖く感じるのでしょう。

「やっと起きたか。......周りを見てみろ。驚くぞ」

その言葉の意味に首を傾げながらも、言葉に従って、気だるい体を起こして辺りを見回しました。


「わぁ...........」

言葉が見つかりません。

いいえ、形容する事さえも烏滸がましい程の絶景。

白狼天狗さん達の里も綺麗でしたし、あの山もとても幻想的な場所でしたが、この場所は一線を画します。

この世の物とは思えない、僕には一生かかっても手の届かない程の絶景。

それが、今まさに、目の前に、全方位に広がっているのです。

感動に浮き足立つ僕の隣に、頼人君も並びました。

「景色も凄いが、先に確認しなければいけない事がある」

「確認?」

「そうだ。隼也の居場所だ」

「あ、そっか」

僕たち2人がこうやって、揃って飛ばされていたと言うことは、隼也もここに来ていると考えるのが自然なのでしょう。

隼也の探知能力があまり優れているわけでは無い事を思い出すと、こちらから能動的に......

「ちょ、ちょっと待って。僕、これ持ってたんだった」

いや、忘れていた。隼也の探知能力のもう一つの力。

背中の術式の一部として保管していた青い剣を、手元へと喚び出します。

その剣を見ると頼人君の表情が変わりました。

「そうか、あいつは自分の妖気を持っている奴なら、何処からでも見つけられるんだったな。........しかし、何故、お前がその剣を......?」

「えへへ....秘密」

頼人君には初めて見せるものなので、驚くのも無理はないですね。しかし、合流の問題はこれで殆ど心配はいらないでしょう。

なんせ、同じ世界にいるなら、隼也は僕を地球の反対側からでも見つけちゃえるんだから。

思わず、笑みが溢れます。隣で苦い表情を浮かべる頼人君にも、全く気が付かない程に。

「お前.......ひどい顔してるぞ」


そんな折でした。

僕が警戒を緩めていた時に、空から何かが降ってきました。

べちゃ!と、湿ったような気持ちの悪い音を立てて、それは僕たちの目の前に落ちました。

突然の出来事に、僕は呆気にとられます。それに対して、頼人君は慣れたように、素早く銃を構えていました。

下草の中からのそのそと起き上がったのは、一体の人影のようです。

しかし、その姿は今まで見たことの無いようなものです。

「新しい.......人影......」


僕も背中の術式発動の準備をして、頼人君の合図を待ちます。

しかし、人影が完全に立ち上がり、今にも動き出そうとしているにも関わらず、頼人君は一切反応しません。

「頼人くん?どうしたの?!」

横目でチラッとその表情を伺うと、驚きと疑念が入り混じった横顔が見えました。

「何故........あんたが......」

人影がゆらりと、一歩踏み出します。

ヴゥン......!!

違和感を覚える音と共に、人影の姿が消えました。人影の今までにない動きに僕がたじろいだ直後、真横からドゴッ!という、鈍い音が聞こえました。

音の方を振り向くと、我が目を疑うような光景が飛び込んで来ました。

先程消えたと思った人影が、何かを蹴り飛ばしたように足を振り抜いていて、頼人君がその一撃で吹き飛ばされながら、崖下へ落ちて行く光景。

まずいと感じた僕は、咄嗟に防御の体勢へ入ります。背中へ妖気を通し、僕を中心として立方体に展開する防御結界を作りだしました。

あまり強力な攻撃には耐え切れませんが、肉弾戦でそうそう破られるような強度ではありません。

頼人君を蹴り飛ばした足を戻し、ゆっくりと僕の方を振り向く人影。隼也や灯君を模した人影のように、ハッキリとしたシルエットを持つ人影が、こちらへゆっくりと歩み寄ってきた。


取り敢えず障壁を作ったは良いものの、この人影の攻撃力を僕は全く知らない。

もしも、結界を容易く貫き、僕まで届く程の威力を持つとすれば、僕は何の抵抗も出来ない。

今、作れる結界でこれ以上のものは、まだ背中から見つけ出してないから。

ヴゥン........!

また!

音を残して人影の姿が消える。

頼人君が反応できなかった攻撃だ!来る!


「え........?」

ガッ!

一瞬の目を疑う光景。

衝撃と、喉元を強烈に締め付けられて、焼けつくように痛い気管。

「ぐ.....うぅ........」

人影が姿を消し、その直後には視界の大部分が黒で遮られていた。

何のことはない。

人影は結界の内側へ、『ワープ』してきたんだ。

そう結論づけた時には既に遅かったのです。

強い力で締め上げられる。足が地面から離れ、徐々に意識が朦朧としてきました。


「『Bright-Maker』」

遠くにそんな声が聞こえた直後、喉の拘束が剥がれた。突風とキーンとなり続く耳鳴りの最中、酸欠で霞んだ視界の奥に、筒のような物を担いだ誰かが見えます。

「全く、結界なんか張りやがって。お陰で壁に撃ち込むしかなかった」

次第に戻って来た視界に映るのは、砂煙から歩み出てくる頼人の姿でした。

「けほっ......けほっ.....ら、頼人くん!」

「HEAT弾頭の味はどうだ?頰が溶け落ちそうだろう?.......ナイスアシストだ、奏」


ガッ!!

無反動砲の着弾の衝撃で吹き飛ばされた人影。

次の瞬間には頼人の目の前にワープし、膝蹴りを放っていました。

向かってくる膝を左足で踏み付けて制止する頼人君は、まるで今の状況を楽しんでいるようでした。

「よーく分かってる。お前の攻め口はな。その膝蹴りには何度も辛酸を舐めさせられたさ」

人影はすぐに膝蹴りから切り替えて、後ろ回し蹴りを放ちます。

頼人君は右手に大柄なナイフを創り出すと、逆手で蹴りへ真正面から叩きつけました。

お互いに反動を受けて、距離が離れます。

頼人君は痛そうに右手を手を振っていますが、更に見た目が痛々しいのは人影の方でしょう。


後ろ回し蹴りに使った左足には、踵から爪先まで一直線にナイフが貫通しています。見るだけでこちらの足も痛み出しそうで、見ていられません。

「お前が蹴ってくる度に、こうすれば完封なんじゃないかって思ってたんだか.......。効果は絶大らしいな」

頼人君が腰を落として、右手を太もも辺りまで下げます。

「お前のワープと俺の早撃ち。どちらが早いか勝負しようぜ。ロウ」

ヴゥン!!

また姿を消した!

瞬きをするような一瞬の後、再び姿を現したのは頼人君の頭上でした。

瞬いたのは強烈な光。遅れて、バンッ!!と発砲音が鳴り響きます。空を仰ぐように体を逸らせた頼人君は、既に銃を撃ち終えていました。

大腿部を撃ち抜かれた人影は、横に大きく逸れて着地します。

ドシャッ!

左足と両手で。

撃ち抜かれた右足は、弾痕を境に千切れ落ちていました。

西部劇に出るような銃を、くるくると指で回しながら人影へ歩み寄って行く頼人君。

「所詮、贋作だな」

銃を軽く振ると、中間から半分に折れて、5つの薬莢がバラバラと飛び出します。

その内の1つをキャッチし、再び弾倉へと込め直しました。

銃を再び元に戻し、弾倉を勢い良く回します。どの位置に弾が込められているか、分からなくなりました。

「お前、好きだったよな?ロシアンルーレット。よく晩飯の準備を賭けて勝負したよな。あの時は空砲だったが、今は本物だぜ?」

頼人君は手に持った銃を、自らのこめかみへ突き付けました。

「俺の先行だ。文句無いよな」

そして、迷いなく引き金を引きます。

ガチ!っと音を立て、撃鉄が打ち付けられました。ハズレだったようです。

「それじゃ、お前の番だ」

ワープで飛び掛かる人影からスルリと身を躱し、すり抜けざまに後頭部へ銃口を押し当てて引き金を引きました。

またハズレ。

カチンと音を立てて撃鉄が落ちます。

「まだか。次は俺の手番か」

そう言うと、頼人君は銃を人影へと投げ渡しました。人影はそれをキャッチすると、銃口を頼人君の方へ向けます。


ガチ!ガチ!

ルール違反。

2発分、頼人君を目掛けて引かれたトリガーは、金属音だけを鳴らして終わりました。

「あーあー、順番が狂ってしまった。しょうがないから、最後はお前の番だ」

銃弾が発射されないことに困惑するような素振りの人影の、銃を持つ手を蹴り上げて、頼人君が銃を奪い返します。

「出直せ」

バンッ!!!

最後のワントリガーが引かれました。

人影の上半身を爆ぜ、周囲の草木を黒く染め上げます。


「今思うと、交互にやってたら俺の負けだったな」

馴れた手つきで排英し弾を込め直すと、そのまま懐へ仕舞いました。

「ロシアンルーレットって、自分で撃つんじゃないの?」

僕がそう尋ねると、頼人君は顔を背けました。

「まぁ.......、そうだな」


何はともあれ、一先ず脅威は去ったのでしょう。頼人君が一度だけ放った『Bright-Maker』の多大な妖気に、更なる人影が引き寄せられるかとも心配しました。

しかし、新たな妖気の反応もない為、新手はまだ現れないはずです。

それよりも僕は、頼人君に聞かずにはいられない事がありました。

戦闘の最中に頼人君の口にした言葉、その中に出てきた人の名前のようなものについてです。

「頼人くん......。ロウ、ってどう言う意味だったの?」

僕の問いに対して、頼人君は懐かしむように少し間を置いてから話し始めました。


「あぁ、ロウって奴はな.......








「そうなんだ........。頼人くんにとって、大切な人だったんだね」

ロウという男性について、詳しく聞かせてもらうことが出来ました。彼について語っている間の頼人君の表情は少し柔らかく、普段の無愛想気味な印象とは、また違った一面が覗いていました。

また、話を聞いて、僕の結界を傷1つ付けずにすり抜けてきたのかも判明しました。

空間転移、やはりワープをする能力の持ち主だったようです。それならば、結界を張ろうとも効かないのは納得でしょう。

「あいつの人影が現れた、と言うことは......」

「ロウさんは生きている。と言うことだよね?」

「あぁ」

平然を装ってはいますが、口元が緩むのを隠しきれていません。頼人君のこんなに嬉しそうな表情を見るのは、初めてです。

それ程に今回の一件は、頼人君にとって吉報だったと言うことでしょう。

しかし、喜びも束の間、すぐに浮かない表情へと変わってしまいました。

「ロウの安否が判明したのは結構なことだが、それよりもだ。人影があれだけ完成度を高く能力を模倣した、と言うのは些か芳しくないな」


言われてみれば、確かにその通りです。

灯君の能力を模倣していたのは、僕も実際に見たことはあります。灯君の姿をした人影の右腕の動きに合わせて、宙に浮かんだ別の妖気の腕が猛威を振るう。

しかしそれは、人か腕かという見た目の差異はあっても、2体の人影が1体のように振舞っているだけでした。

今回は違っています。

空間転移と言う、明らかに異質な能力を人影は覚え始めています。

それが学習の賜物なのか、或いは元から空間転移が可能であったかは分かりませんが、恐らく前者でしょう。

なにか嫌な予感がします。

既に僕たちが気付かない所では、人影たちは恐ろしいほどに膨れ上がっているような気がしてなりません。


「今は人影なんかに気を取られていても、仕方がないだろう。先ずは、俺たちは何を成す為にこの世界へ送り込まれたのか、それを知らなければな」

「そうだね。隼也や灯君が僕たちを迎えに来た時みたいに、何かしなきゃいけないことがあるってことだよね」

しかし、心当たりなどは何処にもありません。

隼也が言うには、元の世界から連れ出される直前に、誰かがするべき事を語りかけてきたと言っていました。しかし、僕はそんな啓示は受けていません。頼人君にも、それは無かったとのことで、今のところ一切の手掛かりがない状況です。

「奏、探索を頼めるか?」

「うん、分かった。やってみるね」

「精度は最低限で構わない。全力で範囲を広げてくれ。妖気の反応が1番大きい方角へ向かおう」

探索の術式へ妖気を注ぎ込みます。

頼人君の指示通り、精度を代償に範囲を全力で広げていきます。広大な範囲に対応し、妖気は視界に薄っすらと霧がかかるように、目に映ります。

その状態で周囲を見渡すと、南の方角が最も霧が濃い。即ち、ただよう妖気が多いようです。

「こっち....かな?反応が1番強い」

「そうか。それなら、南へ向かうとしよう」

僕が指を指す方角を見て、頼人君が頷きます。

「うん。そうだね」

そう言うと、頼人君は何の躊躇いも無く、目眩がする程の高い崖から飛び降りてしまいました。

「わ、わ.....!本当に?.......し、しょうがないか」

意を決して僕もその後を追いかけます。


「やっぱり、高くなーーーい?!」




南へ向かい始めて、2時間弱が経った。

奏曰く、妖気が濃い地点へとだいぶ近付いてきたと言う。これほど近付けば、妖気を察知する感覚が比較的秀でていない頼人でも、視認することが出来る。

斜め前上空に霧雲の様な妖気を感じる。

妖気の量だけで言えば、別段強くはない。しかし、その質には特筆すべきものがある。

どう言えばいいのか。

妖気の従順さと言うのが、分かり易いだろうか。

妖気そのものに、質の良し悪しはそもそも存在はしない。全てが均一の質を持っている。

しかし、妖気を扱う者、謂わば指揮者へどれ程の信頼を置き付き従うかは、それこそ大きな違いが出る。

長年苦楽を共にした吹奏楽団とその指揮者。

寄せ集めのメンバーと無名の指揮者。

個々人のスキルが全くの同等であろうとも、その演奏がどちらが素晴らしいものか、語らずとも明白だろう。

より妖気が従順な方が、同じだけの消耗でより大きな効果が現れる。

眼前の霧雲の様な妖気へ目を戻す。

その大元を辿って行くと、正面の木々に遮られている場所から立ち昇っているのが分かる。

地面から立ち登り、主人からあれほど離れた場所にあろうとも離散しないのは、統制を取った訳でも無く、ただ妖気の意思が主人から離れない為だからだろう。

妖気の扱いには幾らかの心得がある頼人。それでも、あれだけの領域は遥かに遠い。

あれ程に妖気に愛された者を見るのは、そうあることでは無い。

直線距離にして10m前後。

この背の高いシダ植物の森を抜ければ、そこに妖気の主人がいる。相手の力量は十分。ならば、こちらの接近には既に気付いているだろう。

こちらを待っていると言うことは、問答無用でこちらの命を狙うつもりでは無い可能性が高い。しかし、向こうからアクションを起こさないからといって、避けて通るのも好ましくない。待ち構えると言うならば、こちらも堂々と相対するのみだ。

両手に拳銃を携え、一息に茂みを突破する。


「うん?誰だい?」

頼人の立てた音に目を丸くして振り向いたのは、どこか見覚えのある男だった。

「君は......ちょっとまってくれないかな?すぐに思い出すから」

暫く考え込んだ後、手を叩いて頼人を指差した。

「そうだ!君はこの世界の!えぇ...っと、確か、頼人君か!」

「お前は、リツとか言っていたな」

レイカに殺される以前、レイカやリンの仲間として現れた男だ。敵か味方か、ハッキリしない掴み所のない人物だった事を覚えている。

「リツ?!」

頼人とリツの会話を耳にして、奏が勢い良く飛び出した。頼人が手を掴み引き留めようとするも、間に合わずに奏はリツヘと駆け寄った。

「本当なの.....?」

「ん?」

今にも泣き出しそうな表情の奏。対するリツは、何のことやら理解が及ばないと言った風に首を傾げていた。

「お、お兄様......なの?」

「え?僕が?」

感動のあまりか、涙を流し始めた奏。

しかし、その感動の矛先にあるリツの反応は、妙に薄いものであった。

「えぇと.....き、君?感動の再会と言った雰囲気が流れている中で、非常に申し訳ないとは思うんだけど......生憎、僕は君のことを.....

「良かったっ!!」

「うぐっ!」

リツの言葉は彼女の耳には届いていない。タックルを見舞うかと言わんばかりの勢いで、がっちりと抱きついていた。

身長差もあってか、奏の肩がリツの鳩尾へ鋭く刺さる。リツは呻き声を零しながらも、苦悶の表情を押し殺した。

「良かった.......本当に......」


抱き着かれたままのリツヘ、頼人は厳しい視線を送る。

「おい、お前。奏の言う事は本当なのか」

「.........本当なのかも知れないし、違うのかも知れない。僕には分からない」

リツの返答に頼人は銃を向けた。それを横目で見た奏が、射線を塞ぐように位置を変える。

「やめて!頼人くんっ!この人は本当にっ!」

「俺が聞きたいのは、そういう事じゃない。確かに、外見はお前の兄貴なのかも知れない。今、肝要なのは、その外見に注がれている中身の話だ」

奏は必死にリツを庇おうとする。しかし、体格差もあり隠しきれるものではない。

頼人相手に妖術を使うという手段が思い浮かばないというのは、彼女の甘さもあるのだろう。

リツは、頼人の問いに僅かに暗い表情を浮かべる。

「頼人君。君のいう事はあまりにも正しい。だから、僕も包み隠さずに全てを話そう」


「彼女の言う通り、僕の体は高嶺家の長子として生を受けた『高嶺律』の物だ。幼い頃、僕達は事故に遭い、僕は即死だったと聞いているよ。母親であり、高名な妖怪でもあった『高嶺舞』は、最後の力で僕を蘇らせようとした。しかし、原型を留めないほどに僕の損傷は著しく、不可能だったらしい。『高嶺奏』、君は何とか事故の瞬間は生き延びたものの、重体で助かりはしないはずだった。母親は君だけでもと、自らの命を代償に君の命を繋ぎ止めた」


「本当に最近の話だよ。僕は目を覚ましたのは。あの時から数年が経っていると聞いているよ。この体も当時のままでは無く、成長後の姿なんだろうね。ただ、生前の記憶らしい記憶は、全くと言っていい程残ってはいなかった。死から蘇生まで、期間が空きすぎたんだと聞かされている」

リツの言葉を静かに聞いていた頼人が、話の切れ目に口を開いた。

「先程から、度々、口にしている『聞いた』という言葉。一体、誰からの伝聞だ?」

「あぁ.....『マグナ』という人からさ」

その言葉に、頼人と奏が思わず反応した。それを見たリツは驚いたような表情を見せた。

「なんだ、君たち。マグナさんの事、知っているのかい?」

頼人が奏を押し退けて、リツの眉間へと銃を突きつけた。奏はそれを引き留めようとするも、頼人の凄味に気圧されて立ち止まってしまう。

「今、お前が黒だという事が明白になった。話はここで終わりだ。奏には悪いが、ここで消えてもらう」

鬼気迫る頼人の顔に、リツは申し訳なさそうに振る舞う。

「マグナさんやその他の皆、そして僕が、君達に強いた犠牲については、言い逃れをするつもりはないよ。覆ることの無い真実だ。ただ、1つだけ伝えさせてもらいたいんだ。『僕達は敵じゃない』」

「その言葉を信じろと?」

「そんな厚顔無恥なことは言わないさ。ただ、いずれ君たちも、決めなければならなくなる。自分は何を目指し、誰を友とし、誰を滅ぼすか。その時により良い選択ができるように願って言っただけだよ」

リツの言葉へ冷ややかな目を向ける頼人。眉間へ突き付けた銃へ、奏の手が添えられた。

弱々しく、しかし、銃口を逸らすように恐る恐る加えられる力。

奏を見ると、まるで怯えるような表情で震えていた。

敵かもしれない。しかし、高嶺奏にとっては、確かに『家族』なのだ。

「これから、戦争が起こる。君達は、本来ならば関わりは無いはずなのに、無関係ではいられないだろう。既に歯車として、組み込まれようとしている。ただそこでは、僕には何の価値も持たない。誰とも分からないような男が、彼女の兄の姿でこんな事を言うなんて言語道断だろうけど、敢えて言わせてもらうよ」


「僕は、これから起こる事柄にとって、限りなくどうでも良い存在だと。有っても無くても、総体には影響を及ぼし得ない存在だと。......だからこそ、出来ることがあると。運命に組み込まれてないからこそ、なし得ることもあると。ならば、僕にできることをやろうと決めた」


「それでも、僕の存在1つで運命が左右することなどあり得ない。だから、ここで終わるのも一向に構わない。僕が成す事は誰かが肩代わりするだろうからね。だが、君達は必ず生き延びなければならない。無関係だったはずの君達は、一度関わってしまったが為に、『主要な機関』へと位置付けられた。それでも、『主要な機関』であって、総体ではない。従って、君達の誰かが欠けないとも言い切れない。だからこそ、慎重に行動して欲しい」

「話は終わりか?」

「まぁね。君達へ伝えたい事は伝えたよ。どうか、ご無事でね」

「ふん......言われなくとも」

バンッ!バンッ!バンッ!バンッ!

慈悲なく鳴る4度の響音。奏は力なく、両手で顔を覆ってへたり込んだ。顔こそ見えないが、啜り泣く声が聞こえる。

「話が長過ぎだ。野次馬が集まってきただろうが」

バンッバンッバンッバンッ!!

何度も何度も続く発砲音。その度に、ビシャ!っという水っぽい音が聞こえてくる。

「ふぅ、死んだかと思ったよ。ただ、出来れば耳元で撃たないで欲しかったかな」

「注文の多い奴だ。黙る気がないなら、耳元へ撃ち込むぞ」

「はは、それはご勘弁願いたいねぇ」

モグラ叩きのように地面から現れる人影を、次々と撃ち抜く。奏はその光景を呆気にとられながら眺めていた。

30体程倒した頃だろうか。出現の勢いは収まり、人影を生み出していた黒い水溜りのような妖気は、力を失い霧散していった。

「奏.....」

「な、なに?」

「こいつは今から『捕虜』だ。十二分に働いてもらう。捕虜の管理はお前がするんだ」

頼人の言葉に奏の表情は明るくなり、リツは苦笑いを浮かべた。

「うん!ありがとう!頼人」

「ははは、働いてもらうといっても、力仕事も戦闘も全く不向きなんだけどなぁ。ただ、サポートだけなら、高質なものを約束しよう」


そこからは目的地が明確になった。

リツと遭遇した地点から南東へ進むと、険しい山岳地帯が広がっているという。

リツが言うには、そこにこれから起こるであろう戦争の真相、或いはそこへ近付く手掛かりが有ると言うのだ。

半信半疑ながらも、行く宛が有るわけでもない頼人達はそこへ向かう事にした。いずれは知らなければならない事であれば、早期から把握しておくに越した事はない。

3人はそこを目指して、歩みを進める。




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