共に立つ為に
白狼天狗の里 討伐隊詰所
「さて、本日より正式に入隊となった3人を紹介します」
広めの会議室に討伐隊全員が、長机へ向かって並んで座っている。その中央に座る犬走椛が会議を司会進行する。
それと向かい合って、灯達3人が立った。
「まずは凩谷灯ですね。少し前からこの里に訪れていたため、能力を知る者が殆どでしょう。人影の行動を鈍化、停止させることのできる氷の力、大いに役立つことでしょう」
「えぇっと〜、よろしくお願いしますね」
少し気恥ずかしそうに会釈する灯。その真正面に座って、ニヤニヤしながら眺めているのが隼也だ。
「次に参ります。祇田頼人。威力、速度、射程。どれを取っても強力無比な光の力を扱います。彼の光で、里へ迫る闇を祓ってくれる事を期待しています」
「よろしく頼む」
人前に立つことに慣れているのだろうか。淡々と挨拶を返す。
「最後に、高嶺奏。圧倒的な妖気を持ち、強力な術の数々を行使する事ができます。様々な局面で活躍してもらう場があるでしょう」
「よ、よろしくお願いします!」
緊張した面持ちで、勢い良く頭を下げる奏。
表情も動きも固い。もはや挙動不審の域だ。
「さて、軽く紹介も済んだところで、本題に入らせてもらう」
そう言って立ち上がったのは大狼樹だ。前に立つ3人を、隼也の後ろへ置かれた椅子へ座るように促してから、皆の前に立った。
「現在、隼也、凩谷灯、祇田頼人、高嶺奏の以上4名が、白狼天狗の戦力として加入した。そして、里長と討伐隊隊長の俺だけに知らされている事がある。それを皆へ伝えようと思う」
会議室全体がざわめいた。
それを片手で制して、大狼が続ける。
「いずれ、討伐隊の皆に告げるべき事でもあった。それ故に、聞いた事があるものもいるはずだ。ただ、これが正式な発表だと思ってくれ」
「隼也含め、新たに加入した4人。彼らはある契約の元で白狼天狗が受け入れたものだ」
「樹......ある契約って.....?」
静まり返る白狼天狗達を代表するように、灯が不安そうに聞き返す。
「4人へ戦闘のイロハを教え、強力な妖怪へと教導する。その代わりに、4人を白狼天狗の戦力として加える、と言うものだ。......何か聞きたいことは?」
「.....それならよ、なんで俺らだったんだよ」
竜胆が聞き返す。
「確かに、我々を凌駕する強力な妖怪は存在する。しかし、彼らは強力であるが故、価値観が違い過ぎる。何らかの気紛れで、未熟なうちに4人が殺されるような事があれば、都合が悪いのだろう。よって、人間に近しい価値観を持ち、組織的かつ誠実な種族である白狼天狗に白羽の矢が立った」
「あの用心深い里長が、よくこんな契約を受け入れたよな」
口を開いたのは、鎖剣使いの星良蓮だ。
「いや、里長はかなりの苦渋の決断をなされた。討伐隊が指導すると言うことは、白狼天狗の里の最高戦力の手の内を明かすと言うことだ。かなりの危険を孕んでいる。しかし、一昨年に起きた、謎の妖怪『リン』による白狼天狗の里の襲撃事件を受けて、背に腹はかえられぬと御決断をなされた。......他には?」
大狼が皆を見回す。誰も発言しようとする素振りはない。
すると、大狼が4人の方へと向き直った。
「我々と契約したある方は、早急に全員を揃えたがっている。......近い内に、いや、ともすれば今すぐにでも、高嶺奏や祇田頼人の元へ向かったように召喚されるかもしれない。何せ、こちらが聞いていた話では『5人』との事だったからな」
隼也たちに衝撃が走る。
まだ見ぬ、新たな仲間。しかし、それは同時に、ただ生れつき妖気と関わりがあったと言うだけの理由で、罪も無い人が命を落とす可能性があるということ。
喜ばしい事ではない。
「........本題に戻ろう。これから、新たに加わった3人に隼也を加えた4人には、戦力足り得るだけの技術を教えていく。とは言え、人影から里を防衛せねばならない故に、座学を行うだけの人員的余裕もない。お前たちにも防衛に加わってもらい、多くは実戦の中で学んでもらう。これは、お前たちの力を見込んだ上での方針だ。異存はないか?」
「「「「はい」」」」
4人は口を固く結び、頷いた。
「それでは、会議を終わろう。犬走と累以外の白狼は防衛に戻れ。4人は累に、これからの住処へと連れて行ってもらえ」
「承知」
大狼が凝り固まった体を解すように、大きく伸びをした。
「さぁ、各自さっさと散れ。のんびりしている暇は無い」
半ば追い出されるように、会議室から出される。
「鍵を取ってくる。外で待っておけ」
そう言って、累葵が廊下の奥へと姿を消した。その言葉に従って、4人は玄関前へ出る。
「5人目か.....。どんな奴が来るのか」
頼人が、物珍しそうに里を見渡しながら呟いた。
「どうだろうなぁ?強い奴ならこっちも助かるんだけどな」
ストレッチをしている隼也が素っ気なく答えると、灯が覗き込んできた。
「いや!強さなんかより、重要なことがあるじゃん!?」
「なんだよ、重要って?」
「男か、女の子かってことでしょ!」
「......別にいーだろ、そんなこと」
「隼也に奏ちゃんがいるから、そんなに余裕こけるんでしょ〜?」
「そ、そんな、灯くん、止めてって.....」
奏が恥ずかしがるような、なんとも言えない表情をしている。
灯は、3人を順に指差した。
「俺、俺、僕......。『私』がいない........。一大事じゃないか」
「一人称で判断してるのか」
頼人がやれやれと言いたげな表情で首を振る。
「隼也!」
「え?な、なんだよ」
ビシッ!と擬音が聞こえそうなほどに、隼也を氷の腕と合わせて指差した灯。これには隼也も怯む。
「スーパー戦隊シリーズ知ってるでしょ?」
「ん?あぁ、まぁな。男なら、誰しもが通る道だとは思うしな」
「赤、青、緑、黄、ピンクがいるとするじゃん?赤は熱血、青はクール、緑は優男。黄色とピンクは?」
「え〜、力持ちと紅一点?」
「ち!が!う!んだよぉ!カレーが燃料系パワータイプじゃなくって、黄色は元気な女性、ピンクは優しい女性の、男女比3:2が良いんだろ!」
「いや、お前の好みとか知らねーよ」
熱弁する灯と、それに捕まった隼也。
話題についていけない奏と、そもそも実物のテレビを見たことがない頼人は、完全に置いていかれている。
「悪いけど、俺はライダー派なんだよ」
「なっ?!なんだと.....?」
「なんか、二人の会話って漫才みたいだね」
「そうだな。事前にすり合わせているんじゃないのか?」
奏が二人を眺めながら微笑んだ。
「ともかく!最後の1人は女の子だ!......出来ればナイスバディのね!」
「奏、微笑んでる所に悪いが、遠回しに貶されてるぞ」
そう言って、頼人が苦笑いしながら、そっぽを向いた。奏の表情が一気に不機嫌に変わる。
「すまない、待たせたな。誰かが鍵を杜撰に置いたせいで、見つけるのに時間が掛かってしまった」
そうこうしていると、累葵が詰所から出てきた。
「どうした?何か言い争って。揉め事でもあったのか?」
「いいえ、葵さん。アレは無視して大丈夫です」
隼也と灯を気にかける葵を、奏が引き留める。拗ねているのが丸分かりだ。
「そうか。.....それでは、向かおうか」
累葵が先導し、4人はそれについて行く。里を横切って奥へと進む。山の斜面へ作られた階段を少し登ると、建物が姿を現した。
「この家には、一昨年の襲撃事件で亡くなった6人家族が住んでいた。丈夫な作りの良い家だが、住む者が居ない家というのはどうしても駄目になる。それでは、彼等も報われない。これまでは近所の者が当番制で清掃していたから、ある程度は綺麗だろうが、掃除はしてくれ」
白狼天狗の里の中では立派なほうだ。
奏は、和風の一戸建てが目新しく新鮮に感じるらしく、目を輝かせて眺めている。
「奏は洋風の御屋敷の御嬢様だったもんな」
「うん、和風の別荘は一回しか行ったことなかったから、楽しみだよ」
「別荘って......」
さらりと別荘と言う奏。彼女以外の3人は、別荘などとは縁がない世界だ。
奏の他にもう1人、新たな住居に心躍らせている者がいた。
「さっさと片付けてしまおう。今日は疲れた」
「あれ?頼人、結構ノリ気じゃん」
「こんな家、本の中でしか見たことなかったからな。早く見て回りたい」
累葵が玄関の鍵を開け、先に家へと上がる。4人もそれについて、入っていった。
「立派な家だな。今にも崩れそうな廃ビルとは大違いだ」
想像以上に小綺麗にしてある。しかし、1年以上も人が住んでいない家というのは、気温も空気も雰囲気も、不気味なほどに寒い。
主人のいない今、この家は死んでいるというのが正しいのかもしれない。
この家を使わせてもらう代わりに、家が再び命を吹き返す為の手伝いをしなければならない。
「ここが炊事場だ。分かってると思うが、裸足で降りるなよ?」
炊事場、所謂キッチンなのだが土間になっている。ガスコンロや電磁調理器など存在するはずもなく、竃が2つ並んでいる。
「誰か、竃を使ったことあるヤツいねーか?」
皆に聞いた隼也も含め、誰一人として手を挙げない。
「俺、お婆ちゃんの家で竃使ってるの見たことあるよ。竃だとご飯が美味しく炊けるんだってさ」
「ご飯、炊けるのか?」
「.....ぜーんぜん」
唯一の希望に思えた灯も、救世主とはなり得なかった。
「暫くは野生動物の狩りと魚釣りか。俺は大体の獲物は捌ける。5人目が竃とか言うヤツを使えることを祈るしかないな」
頼人が腰からナイフを取り出した。
「毎日バーベキューとか、夢の生活じゃん!.....でも、野菜も無いとキツいんじゃない?」
灯の懸念に、葵が答える。
「お前達は何だ?白狼天狗の討伐隊だろう。最前線で命を削る以上、報酬は多い。この里の中でしか使えない貨幣ではあるが、野菜を売ってもらうことも出来るはずだ」
「へぇー、給料かぁ。貰うの初めてだなぁ」
炊事場の隣の囲炉裏を囲める居間。
和室は障子を閉めれば、二部屋に区切れそうだ。
2人まで入れる大きさの檜の風呂などは、使わせて貰うのが申し訳なくなるほど。
終始、奏と頼人のテンションが高かった。
一通り見終わって再び玄関へ戻ってくると、外はすっかり暗くなっていた。
「人間の生活習慣の真似事か、夜間は人影の襲来が全くと言って良いほど無い。夜間は討伐隊からは各方角へ一人づつ、交代のために一人、計五人を警備へ配属している。お前達を除き、2名が非番となる。日中は警備に加わって貰うが、夜間は非番の者で座学を行う」
ザッ....ザッ.....と近付いてくる足音。
「おっす!」
その方を見ると、星良蓮が歩いてきていた。
「本日の非番は俺と星良蓮だ。それぞれ、教える事は異なるが、得意分野に準じた事を教える。質問疑問は遠慮するなよ」
「なるほどねぇ〜。学校の授業の1000倍楽しそうじゃん」
ご機嫌な表情の灯。その後頭部へ、歩み寄ってきた星良蓮が軽くチョップを当てた。
「おらおらー。早く準備しないと、体罰しちゃうぞー」
星良連に追い立てられて、居間へ集まる。
星良蓮と4人が囲炉裏を囲み、累葵はそれを見守るように、壁に寄りかかって座っている。
「肌寒いな。杠さん家ってこんなに寒かったっけ......。誰か囲炉裏に火つけてくれない?」
少し身震いする星良蓮に頼まれて、頼人が囲炉裏へ手を差し出した。
太陽光を虫眼鏡で集めるように、掌から出た光が囲炉裏の燃料へ収束する。
熱せられた炭が、やんわりと赤みを帯びた光を放ち始めると、星良蓮がよしよしと頷く。
「さて、授業を始める前に自己紹介でもしとかないとな。知ってる奴もいるだろうけど、一応な。俺は星良蓮。武器は鎖剣『宵蛍鎖』。討伐隊の中じゃ、二番目に若手だ。よろしくな」
自己紹介をしながら、自らの武器を召喚する星良蓮。
『宵蛍鎖』と称された、長い鎖の両端に剣が付いている武器。
剣は長さこそ無いものの分厚く幅広で重量があり、大きな返しや鋭い波型の刃を持つ。刀を『斬る』為の刃と形容するならば、こちらは一度食い込めば、喰らい付き離さず『引き裂く』為の刃。
その武器の異形さに、初めて見た奏と頼人の視線が釘付けになる。
「まぁ、こいつはまたの機会にだな。早速、授業を始めよう」
星良蓮は武器を仕舞い込んだ。
「お前達は『技』を持っているか?」
星良蓮の問いに、隼也が首を傾げる。
「技術って意味なら、あまり持ってないな」
「隼也、あんまり難しく考えるなよ。ここでいう『技』ってのは、必殺技程度に思ってくれれば良いんだよ」
「必殺技?!」
必殺技という単語に、敏感に食いついたのは灯だ。
「そう。妖気を込めて放つ特別な技には、名前をつけると良いんだ」
「いくつか利点を挙げるのが分かりやすいだろな。まず1つ目、技の精度が上がる。これが一番大きな利点だ。技に名前をつける事で、頭の中で、技を放つ『像』がハッキリ見える。外来語でいえば、『いめぇじ』が固まるって事だ」
「確かに、これはよく分かる。俺も銃を作るときは、絶対に名前を呟いている」
頼人が感心する。4人の中で最も戦い慣れている頼人も、銃の種類毎に名前を付けている。
「次に、仲間との意思疎通が容易になるって事だ。仲間内で技の呼称と内容を共有してれば、戦闘中であっても連携が容易に取れるだろ?放った大技が味方にあたるなんざ、目も当てられないかんな」
「なるほどね〜、合言葉みたいなものかぁ」
「そうだな。合言葉ってのは的確な表現だな」
「まぁ、細やかな事はまだいくつかあるけど、取り敢えず、この二点を押さえてもらえれば良いかな。さて!物は試しってことで、早速技名を考えろ!」
「よっしゃ!来たっ!」
誰よりも楽しそうなのは案の定、凩谷灯だ。
「アイス.....フリーズ....スノウ.....あ〜、迷うなぁ〜」
「『Sheen04-5B』だな」
頭を抱えて悩む灯の隣で、普段より一回り大きな対物ライフルを抱える頼人。
作り出したのは反動で銃口がブレる前に、装弾数5発をワントリガーで撃ち尽くす。以前にレイカへと有効打を与えた、5点バーストの対物ライフルだ。
「頼人君、それってどういう意味なの?」
すんなりと名前を決めてしまう頼人。それとは対照的に、名前と聞いても何も思いつかない奏が問いかける。
「『Sheen04』は対物ライフルの名前。この銃はそれの派生形で、一回引き金を引くと5発だけ連射されるんだが、これをバースト射撃という。名前の後ろに付いている『5B』は『5』点『B』urstから持ってきた」
「凄いね。僕、そんなこと思いつかないよ」
声のトーンを下げ、目を伏せる奏。生まれてこの方、妖気を扱えても、名前をつけるなど全く経験などなかった。
「難しく考えなくてもいい。パッと思いつくもので良いだろう」
「アームズ」
突然、部屋が冷え込む。
何事かと全員が振り向くと、氷の両腕を展開した灯が、申し訳無さそうにはにかんでいた。
「ごめんごめん。名前を呼びながら、出したくなっちゃった」
「あ、灯。取り敢えずしまえ」
頼人に諭されて、素直に氷の腕を消した灯。
頼人は冷静を装っているが、寒さにとても弱いらしく誰よりも鳥肌が立っている。
周囲を包んでいた冷気が一気に消失し、元の気温まで戻った。
「腕力が強いけど氷を扱う能力が低い右腕は『アームズ・アーム』。その逆で、腕力は無いけど氷を扱える左は『アームド・アーム』って名前にするよ」
「ほぅ〜、良い名前じゃないか」
「.......ただし、次からは紛らわしい名前ってのは、なるべく避けた方が良いかもな」
「あぁ〜そっか。間違えるかもしんないしねぇ」
灯が蓮の助言に相槌を打つ。
蓮の言う通り、アーム『ズ』とアーム『ド』の違いは普段の会話の中でなら、さしたる不都合は生じないだろうが、戦いの中での聞き間違いとなると話は変わってくるだろう。
真反対の性質を持つ腕である為、聞き間違えた仲間が『アームド・アーム』による殴打だと認識して立ち回ると、『アームド・アーム』の作り出した大氷塊へ巻き込まれてしまう危険性がある。
互いに会話をしながら技の名前を考えて、1時間程が経った頃に、星良蓮が「うっし!」と掛け声をあげながら、勢い良く立ち上がった。
「そろそろお開きにすっか!そんじゃ、明日、里外部の警戒中にその技を見せてもらうわ。奏は決めれてないみたいだけど.....まぁ、無くて困るもんでも無いし、急がなくても良いさ。いつか思いついた時で良いさね」
「すみません.....」
奏が申し訳なさそうに目を伏せる。その肩を、蓮が励ますように叩いた。
「焦ってもしょうがねぇさ。時間は幾らでもある。変に急ぐとロクなもんにならねぇかんな」
「それじゃ、お休み〜」
大欠伸をかましながら、星良蓮が土間の勝手口から出て行った。
弓の調整が丁度良いタイミングでひと段落ついたらしく、累葵も立ち上がって大きく伸びをした。
「それでは、俺も向こうに戻るとするか。それでは、夜間に何か異常が発生したら直ぐに知らせてくれ」
そう言い残して、累葵も勝手口から洞々たる夜闇へと溶け込んだ。
「さて、俺たちも寝よう」
隼也も欠伸をしながら、立ち上がる。
まだ、掃除もロクに出来ていないこの家。床が綺麗なのは今集まっている囲炉裏の周りだけ。
寝る場所に困っていると、灯が何処からか4人分の布団を見つけ出してきた。
5人分の布団が用意してあったらしい。
氷腕で抱えて来た布団を、囲炉裏の辺に沿って広げた。取り敢えず、このまま固まって寝ることになった。
「俺が見張りをやろう」
そう言って布団の上へ胡座をかいたのは頼人だ。その言葉に甘える形で、隼也たちは早々に布団へ潜り込む。
睡魔に負けそうになったら変わってくれ。小さな声で隼也へとそう言って、壁に寄りかかって座り込んだ頼人。
出会ったばかりではあるが、それなりの信用をしてもらえているらしい。
光の兵器群。勘違いか、考え過ぎか、他の皆とは異なる雰囲気を漂わせている。
「分かった。ツラくなったら、遠慮せずに起こせよ」
隼也の言葉に「あぁ」とだけ、短く答えた頼人は、照明代わりに淡く暖かい光を帯びた球をを、少し離れた場所へと放った。
寝るには心地良い明るさだ。
この素晴らしい環境に、3人は抗う暇も無く眠りへと落ちていった。
カチッ...
カチッ........
カチッ...........
妙に規則的に鳴り続き、反響し続ける。まるで石同士を打ち付けるかのような音。
周囲は薄暗く、手元しか見えない。暫くして周囲の暗さに順応し始めると、見覚えのない岩肌に囲まれている事に気がついた。
一体ここは何処か?
記憶にない場所だ。肌にまとわりつく嫌な湿度と、肌寒さが気に入らない。
確かに記憶にはない.....が、知識として、全く知らないわけではない。
地面や天井、或いは壁に、乳白色の突起物が無数に存在する。見たところこれは鐘乳石のようだ。
恐らく此処は、鍾乳洞の中なのだろう。
探索などの装備もなく、着の身着のままで洞窟の中にいる。
しかし、それが不自然な事だとは全く感じなかった。
夢というものは総じてそういうもので、幾ら非日常的な事象が行われていようとも、それがさも当然のように行われていたならば、一切疑う事なく容認してしまう。
目覚めて、夢を見た事を思い出した者が、夢を思い出して辛うじて記憶に残った夢の断片を辿った時に、その異常性に気がつくものだ。
これが夢であると気がつき、尚且つ、目覚めた時に全てを覚えていたならば......或いは、隼也は死してなお戦いに巻き込まれたのか、その理由へと辿り着けたのかもしれない。
薄い水面を歩き、迷いなく進んで行く。
この方向が出口であるかは知らない。しかし、無意識のまま、惹きつけられるように向かわせるのだ。
目の前は沈むように暗く、体から常に零れだす妖気が、辛うじて手の届く範囲を淡く照らすのみである。
躓かないようにひたすらに足下を見ながら進んで行くと、急に水深が深まる場所へぶつかり、足を止めた。
正面へ目を向けるが、やはり闇。
しかし、その闇に魅入られたかのように、目が離せなかった。
その時、闇から応える声が響く。
重く、低く、意味を成さない唸りのような声。それは、言語というにはあまりにも粗暴で、乱雑だった。
しかし、何故か、その意味を自然に理解することができる。
平和。
平和だ。
まったく.....暇が過ぎて朽ちそうだ。いつまでここにいればいいんだ。
奪われた。別に消失した訳ではないはずだ。ならば、奪い返すしかあるまい。
奪われた。奪い返せ。意味は理解できても、それが何を指すのかは分からない。次第に唸り声は、苦痛を伴ったものへと変わった。
ぐぅ.........あぁ、痛い。
あのトカゲ風情が....
この怨み、いかにして晴らすか。
我と同じように胸へ槍を突き刺してやるのも、剣山にしてやるのも良い。
何れにせよ、それだけでは済まさない。木端微塵、塵芥も残しはしない。
それにあの友人気取りもだ。両腕を灰燼に帰してやる。
地鳴りのような唸り声の中に、確かな憤怒を感じる。この声の主が『トカゲ』と呼ぶ者へと向かった呪詛なのだろうが、それを聞く無関係の隼也さえも、畏縮せざるを得ない。
謎の声に気を取られる隼也。その前方の頭上から、馴染み深い明かりが照らしているに気がついた。
見上げると、そこに浮かぶのは2つの光。
隼也の纏う妖気と同様の、青い光だった。
光を呆然と見上げる隼也へ向け、再び声が響いた。
早く奪い返せ。奴がどのような様相へ転じているかは知らない。
しかし、一目見れば分かる。彼奴ほど凄惨な者はそういない。
そこまで聞き取った時点で、隼也の意識は穏やかに遠退き始めた。
「誰なんだよ.....そいつは......」
睡魔に押し潰されるように、次第に回らなくなる頭で、必死に言葉を引き出す。
......理の創造主.......
..........奴のあの頃の名は、『セナリオ』だ。
瞼が降りる。視界が閉じると同時に、意識は完全に途絶えた。
「ん.......ふぁ〜っ.....」
大欠伸を一つ吐き、隼也が身体を起こす。窓から細っそりと見える外はまだまだ暗く、注ぎ込む月明かりと、囲炉裏の残火が淡く照らしている。
「目、醒めたのか。ま、丁度いいタイミングだな。俺もそろそろ限界だったしな」
目をこすりながら、頼人が布団へと座り込んだ。立つ事で眠気を何とか誤魔化しながら見張っていたらしい。
「変われよ、頼人。俺は充分寝たから」
「ん、言葉に甘えるかな」
緊張の糸が切れたように、そそくさと布団に潜り込んだ頼人。それを見届けた隼也は、もう寝ることはないだろうと、自分の布団を片付けてから部屋全体が見渡せる位置まで移動した。
雑然と置かれていた木箱の埃を払い、そこへ腰掛ける。
外からは、虫の声が聞こえてくる。
コンコン......
突然現れた、壁越しに感じる妖気。
「こんな夜更けに申し訳ない。昼、高嶺奏を君の元まで送った者だ.....」
忘れるはずも無い。あの異様な能力の持ち主。
『運命の選択』.....名は、サイトだ。
隼也は静かな、しかし、威圧的な声で聞き返した。
「何の用だ。俺達に危害を加えるのが目的なのか」
隼也の問いに、サイトはすぐさま返した。
「いや、違う。僕は、貴方と話がしたい。その一点だけなんだ」
サイトの言葉を値踏みするように、黙り込む。
確かに、サイトの放つ妖気に敵意は感じられない。それに、サイトは奏をここまで送った。
もしも、危害を加えるのが目的であるならば、そのような事はやるだけ無駄のはず。
「分かった。その代わり、俺の見えるところまで出てこいよ」
見えないと言うリスクを避ける。皆に多少近付かせてでも、顔を付き合わせての話の方が、動向も把握できる分、安心できる。
「分かった」
サイトがそう言った直後、現れた時のように、完全に妖気が感じ取れなくなった。
数十秒ほどして、サイトが隼也も目の前へと姿を現した。
サイトの背後には、1人の女性が姿を隠すように、張り付いていた。
長い前髪が、語らずとも人見知りであることを伝える。
彼女からも妖気を感じる。サイトの仲間、妖怪の類だろう。
「申し訳ない。彼女は人見知りでね。なかなか、初対面では心を許してくれないんだ。別に悪気があるわけではないから、許してやって欲しい」
サイトの服の裾を掴み、腕と胴の合間から、こちらを覗き見ている。激しい人見知りながら、好奇心も隠せないのだろう。
そんな彼女へ、サイトは微笑みかけながら、安心させるように一度だけ撫でた。
「彼女は....ウェルサ。あまり前に出る性格では無いけれど、とても優しい女性だ」
隼也が覗き込んだ瞬間、ウェルサの姿と妖気が先程と同様に完全に消失した。
それを目の当たりにし、驚いた表情の隼也を見て、サイトが面白そうに微笑んだ。
「驚かせたかな。彼女に変わって謝るよ。彼女の能力は『世界の表裏の往来』するというものなんだ。まぁ、掻い摘んで話せば、今僕たちがいる世界と、鏡写しの無人の世界を好きに行き来できる力だ」
サイトの能力も大概だが、ウェルサの能力も途轍もない。
「あんたらは、マグナやミコトの仲間なのか?」
「......何故、そう思ったんだい?」
「2人と会った。マグナは敵として戦いもした。あんたらの纏ってる雰囲気が、他の妖怪とは明らかに異質に感じるんだ」
隼也の言葉を受け、サイトは格子戸から覗く月を見上げ、「そうだね.....」と呟いた。
「君の考えは正しいよ。だけど、正しさ以上に誤っている。君に聞きたいことがあったんだが、これで分かった。.....君はまだ戻ってきていないらしい」
サイトの表情へ僅かに寂しさらしきものが混じる。
「おい....どういうことなんだ。戻ってないって、なんなんだよ。変な夢を見たんだ。その夢の中で『セナリオから奪い返せ』って言い聞かされた。なぁ、サイト、あんたは何か知っているんじゃないのか?」
偶然目の前に転がり落ちた過去に関わる欠片。見えるか見えないか程の小さな光を放つそれを無くさないように、見失わないように、サイトというヒントへ縋り付く。
「あんたに聞いて、それで全て解決しようなんてそんな事は言わない。......ただ、俺は本当の事を、俺が何に巻き込まれてるかを知りたいだけなんだよ!」
しかし、サイトの表情は更に陰るばかりであった。
「謝る言葉もない.....セナリオ、彼の手に掛かっているのならば、恐らく、認識災害が設定されているはず。僕が全てを伝えても認識は不可能だろう」
サイトが少し口籠もった後に隼也の方へと向き直る。ゆっくりと口を開き、一つの単語を口にした。
「――――」
その瞬間、頭が働かなくなったような感覚に陥った。意識は明瞭に残っているが何も考えることができない。
サイトは確かに何か言った。しかし、それが全く理解できない。まるで笊に水を注ぐように、言葉が零れ落ちて行く。
頭が回らない。隼也の動きが完全に止まり、瞳は何もない宙を見つめている。
それを見たサイトは、「やっぱりか…」と残念そうに呟くと、隼也の肩に手を当てて妖気を送り込んだ。
数秒すると、隼也はなにごともなかったかのように意識を取り戻し、サイトへ詰め寄った。
「あんたに聞いて、それですべて解決しようなんてそんなことは言わない。ただ……」
「終わりだ、試みは失敗だったよ。隼也、君を助けることは出来ないらしい」
「何を言ってるんだ?!あんたはまだ何もしちゃいないじゃないか」
隼也の言葉を遮り、諦観を孕んだ溜息を漏らすサイト。しかし、サイトのその表情の意味するところが分からない隼也は更に噛みつこうとする。
しかし、それを遮って、サイトが言い返した。
「試したよ。僕は君の本来の名を口にした。しかしそれを聞いた君は放心状態に陥った。恐らく、セナリオの認識災害に抵触したんだろう。セナリオの組み込んだフェイルセーフが発動して君の思考が焼き切られた。僕の迂闊な行為で、君を植物状態してしまってはいけない。よって、僕が君について言及しなかた運命を選ばせてもらった」
サイトの言葉によって、有り得たかも知れない運命を知った隼也は、それ以上追及する事を止めて木箱へと腰を下ろした。
「ただ、何も収穫が無かったわけじゃない。セナリオは君と会う意思がある。セナリオは昔の名前なんだ。今の彼の名前は……すまない、また失敗だ、運命を切り替えた。……唯一のヒントは『セナリオ』。彼はこれを道標として君が辿り着くのを、心待ちにしているのだろう」
「あんたはセナリオが何処にいるか、知っているのか?」
「…勿論知っている。だからこそ、君には言えない。助力は不正とみなされるようだからね」
サイトは踵を返す。
「僕がこれだけは保証する。君ならばセナリオの元まで生きて辿り着く。……申し訳ない、あまり助けになれなかったかな。すまない、僕らはそろそろここを後にしなければならないみたいだ。下手に目を付けられるのも、こちらにとって困るから」
隼也が次の言葉をかけるよりも先にサイトの傍らにウェルサが現れ、彼もろとも姿を眩ませた。
一人残された隼也が格子戸から外を覗いた。月は一足先に眠りに就き、照らすもののない格子状の夜闇だけが見える。
その闇に、夢で見た何者かが潜んでいるのではないかなどと考えてしまう。
夢で語り掛けてくる隼也を導く女性的な声と、今見た不可解な唸り声。
共に自分と何の関連性があるのか、彼らの意図するところは何であるか、不明なことばかりか。
隼也はふぅ…と溜息を吐いた。
サイトが『セナリオ』について知っているのならば、その仲間、マグナなども知っているのではないだろうか。いつか完膚なきまでに叩き伏せられた借りを返すついでに、聞き出すことが増えた。
その為にも、強くなるための御膳立てがされた今の環境を利用しない手はない。
正直な感想を言えば、今のままではマグナとの力量差は絶望的なものだ。手も足も出ないどころではない。対等な戦いとしての立場にすら立てない。蟻一匹に死力を尽くす人間がいないのと同じだ。
「今は力を付けないとな」
あの鎧を貫き、命にまで剣を突き立てられる程度には。
隼也は妖剣を作り出す。以前に習った白狼天狗式の妖力鍛錬法、妖気で剣を作り出し続けるというものだ。最初は一振りずつ、慣れてきたら次第に本数を増やす。また、より細かい造形のものほど集中力を要する。
これを精魂尽き果てるまで続けるのだ。単純ながら非常に辛い。前に犬走椛に監督されて行ったときは死ぬ思いをした。
隼也は太陽が昇り皆が目を覚ますまでと自らに誓って、鍛錬を開始した。
「さぁ、目ぇ醒ませぇー!」
日が顔を覗かせる少し前、星空が白みだした頃にそんな威勢の良い声が聞こえた。鍛錬を初めて何時間経ったのか、疲労の色を隠しきれない隼也が勝手口の方を見遣ると、勢いよく上がりこんだ星良蓮が最初の声で目を醒ませなかった凩谷灯と高嶺奏の布団を引っ張り上げて床に転がしていた。
「気持ちよく寝たところで、警備の交代に行くぞ。交代は日が顔を覗かせた時だ。ちょっとでも遅れると昼飯を奢らされる罰があるから、チャキッと動いたほうがいいぞ~」
蓮は意地悪い笑みを浮かべて皆を急かす。隼也が手伝おうかと腰を上げた時、横から声を掛けられた。
「随分とお疲れの様子だな」
声の主は累葵だった。
「見張りをしていた間、ずっと剣を作っていたんだ」
「あぁ、椛の好きなアレか…」
隼也のしていた鍛錬を聞き、察した葵は苦笑いした。
「慣れないときついだろう?ふーむ、そうだな、今日は君達4人を2つに分けて、蓮とかおるで担当しようと考えてたんだが、隼也、君は午前はかおるの方へ行くといい。あいつは警備しながら授業をするつもりと言っていたはずだ。午前は息を整えて、午後から蓮の方で一暴れするといい」
「.....ありがとう。助かるよ」
急いで身支度をし、門の方へと向かうと、門前で仁王立ちするしている影が見えた。
「思ったより早かったな。おはよう。隼也、奏」
「おはよう。かおる」
「お、おはようございます!かおるさん」
「元気がいいな。まぁ、その元気は午後まで取っておくといい。蓮達が里周辺を駆け回っているうちは相当な事態でもない限り、俺達が動く必要はない。出来る限り体力を温存して、万が一に備えろ」
そう言って、かおるはどかっと胡座をかいた。
それに従うように、2人も石段へと腰掛ける。
「さてと、何から話そうか.....あぁ、そうだった。妖気の性質について話そうかと思っていたな」
かおるが周囲の地面を、何かを探すように見回す。目的の物が見つかったのか、身を乗り出してそれを拾うと話を再開した。
「まず、自身に向いた戦いを知る為にも、妖気の性質の種類を教える。妖気の種類は大きく分けて3種ある。一つは『外つ気』......続いて『内つ気』......最後に『怪態』.....。この3種だ。全ての妖気はこれに当てはまる」
「初めて聞いた......」
かおるは先程拾い上げたもので、がりがりと石畳を引っ掻いた。その軌跡に白線が引かれていく。手にしているものは白色の石だ。
かおるは人の形の絵を3つ描くと、話に戻った。
「まずは『外つ気』。これは周囲の妖気への影響力に優れた性質だ。自身に内包する妖気力は決して多いものではないが、周囲の妖気に対する高い影響力によって術を行使する。お前達4人の中では『凩谷灯』が該当する」
「灯くんが『外つ気』.....?」
「経験は無いか?あいつが氷腕を発動した折、周囲の空気が酷く冷えた事を」
かおるの問いかけに、隼也はハッとした。
以前の白狼天狗の里への人影の襲来の際、遅れて駆けつけた隼也は感じていた。
近づく事を躊躇うほどの里から放たれる冷気。里全域を覆う程の広範囲が霜が降り、肺が痛い程に空気が凍りついていた。確かにその時は灯が氷腕によって戦闘を行なっていた。
かおるは人の絵に矢印や丸を付け足して行く。
「その顔は経験したと言った風だな。.....この『外つ気』は、自身の持つ妖気を僅かに消費して、周囲に漂う妖気を指揮して術を行使する。従って自身の負担は非常に少なく、かつ大規模な術を行使することが出来る。また、幻術などの相手へ作用する術の適性も高い。しかし短所として、自身の内包する妖気量は決して多いものでは無い為、打たれ弱い面がある。本来なら一歩退いた位置が有効な距離ではあるが、見たところ、灯は少々事情が違うらしい」
「事情が違う?それってどういうことなんですか?」
首をかしげる奏。かおるはその質問を待っていましたとばかりに、一呼吸置いてから話し始めた。
「灯自身は完全に『外つ気』だ。灯の持ち得る妖気はお前達と比較すれば貧弱と言わざるを得ん。しかし、感じる気はそれのみに収まらず。一つ、灯は他人より多くを背負っているような気がする。あいつが過去に何があったかを知らない内は確証は無いがな」
何の事か分からない様子の奏。まるで頭上にクエスチョンマークが見えるようだ。そんな奏を気に留めずに、かおるは話を進める。
「閑話休題だ。次に『内つ気』。周囲の妖気に対する影響力は低いが、それを補って余りある量の妖気を内包する。白狼天狗という種は全てがこの性質だ」
「と言うことは、かおるも『内つ気』になるのか?」
隼也の質問にかおるは首を横に振った。
「俺は白狼天狗と鴉天狗の合いの子だ。鴉天狗は『外つ気』の妖怪。鴉の血をより濃く継ぐ俺は『外つ気』よりだ」
「『内つ気』は大量の妖気を保有する為、非常に打たれ強い。特に強烈な奴になれば、腕を切り落としても、数分で元に戻る奴も居るらしい。該当するのは.....祇田頼人とお前だな」
そう言って指されたのは奏だ。
「頼人は素は『内つ気』では無いかと思われる。ただし、素養があるのか素質があるのか.....『外つ気』も扱えるらしい。二つの性質を瞬時に切り替えるとは、器用な奴だよ」
「それに対し、不器用なのがお前だな。高嶺奏。聞いたところによると、白狼天狗が束になって掛かっても比肩するかどうか疑わしい程の、莫大な妖気量にモノを言わせて、大火力で葵を叩き潰そうとしたらしいじゃ無いか」
「う......それを言われると......」
気まずそうな表情の奏。それをよそにかおるに噛みついたのは隼也だ。
「ちょっと待ってくれよ。奏が戦っていた時に、感じた妖気は絶対に『内つ気』じゃ無いと思う」
「ほう?それはどう言った感覚だった?」
隼也はあの時の感覚をありのまま伝えた。
まるで奏を取り囲む周囲の妖気が、全て奏の味方をしていたような感覚。そして、その感覚に違わず、累葵の不可避の一射の軌道を変えたこと。それを聞いたかおるは少し考えた後、小さく頷いてから話し始めた。
「それは本当に空間に漂う妖気だったか?俺の見立てでは、それは戦闘状態によって励起された妖気が、高嶺奏と言う器に入り切らずに、溢れ出したものでは無いかと推測する。元あった妖気を押し退け、自らの妖気で周囲の空間ごと支配してしまう。少々信じ難い話ではあるが、有り得ない話でも無い。実際に強力な種族である『鬼』などは、そう言った者も少数存在する」
そう考えると、奏の潜在能力の高さに驚かざるを得ない。奏の戦闘を見ていた隼也達はある程度の距離を取っていたにも関わらず、奏から溢れた妖気に包まれていた。それ程に強大な妖気を秘めているのだろう。
「な、成る程.....」
奏が感心したように頷く。本当に分かっているのか少々疑わしいが、隼也はあまり触れずに話を進めた。
「それじゃあ、最後の『怪態』てのはなんなんだ?」
「『怪態』......特例であり、異質であり、希少である性質。前者2つに当てはまらぬ者が該当する性質だ。これには決まった形というものはなくてな。千差万別であり、相手取るには非常に厄介な奴等だ。薄々気がついているとは思うが、隼也、あんたがその『怪態』に当てはまる」
「え?しゅ、隼也が.....?」
「そうさ。自身の妖気を攻撃を通して相手に叩き込む。それだけならば『内つ気』でも出来るだろう。だが、それだけでは無い。送り込んだ妖気で相手の妖気を上塗りしていくという、異様な性質がある。他人の妖気と言う、完全に質の違う妖気に干渉し、変質させて行くんだ。まるで......末端からゆっくりと、体を火薬に置き変えられるみたいにな」
「す、凄い力だったんだね....隼也って」
「た、確かに、改めて言われると......エゲツない力だよな.....体が爆弾に変わってくって」
「『内つ気』を土台とした、『干渉した妖気を変質させる妖気』。己の妖気を変質させる者は数あれど、他の妖気にまで及ぶ者は殆どいない」
かおるが徐に立ち上がり、大鎌を構える。大きく横に振り被った姿勢で静止すると、周囲の妖気が寄り集まり大鎌を包み込んだ。
大鎌は晴天の三日月のような銀を湛えた。まるで獲物を睨みつける狼の瞳の様に、静粛かつ煌々と光を放つ。
「月喰・金式」
妖気が充実すると、かおるは左足を軸に大きく身体を捻り一回、二回転して大鎌を林の中へと投げつける。大鎌は木々を傷つけぬ様に上手くすり抜けてゆき姿を消した。
頭上を大鎌が掠め、肝を冷やした様子の2人を見て少し口角を上げたかおる。
「すまない。前衛の討ち漏らしを感じたんでな。恐らく、人影一体だけだが、用心に越した事はない。さて、どこまで話していたか....」
「隼也の妖気みたいな人は殆どいないって所まででしたよ....?」
奏の表情が固い。当然だろう。少しでも頭を上げていたら首が飛んでいたのかもしれないのだ。
「あぁ、そうだったな。隼也以前にも2人、『怪態』の妖と出会った事があってな。それで、お前が『怪態』の妖気を持つと直感的に理解したんだ」
「俺以前に、もう一人?」
かおるが袖の中に両腕を隠して、腕組みをする。先程、投擲した大鎌が意思を持つかのように持ち主の元へ戻り、石段側の地面へと勢い良く突き刺さった。
「あぁ、1人は先日に遭遇したサイトだ。そして、もう1人は.......あれは『リン』が里を襲来して、次の春先の頃だったか.......」
俺は里の襲撃以来、気が狂ったかのように、妹や天樹流棒術の門下生達と、日夜稽古を積み続けていた。
父は里や道場を守る為に戦い、二度と棒を扱えない程の傷を負った。母も幼い門下生達を避難させる為に自らの命を投げうった。
両親のお陰で門下生は一人も欠けず、道場も一部は火にやられたものの、殆どが無事だった。
それまで、里を主として守って来た最大戦力達が、まるで赤子の手を捻る様に敗北した。
俺達に遺されていたのは、道場と自らの身体と命だった。しかし、失ったものを鑑みれば、それだけで充分過ぎるほどだった。
志は自分自身で終わらせるもの。しかし、天樹流棒術の門下生には誰一人として、志を失する者などいなかった。
気高き白狼が負けるはず無し、次に姿を見せた時にこそ、その喉元を食い裂かんと、更に牙を研ぎ続ける者ばかりだった。
来る日も来る日も、睡眠と食事以外の全ての時を稽古に費やしていた。
その時、道場の中へ来訪者が有った。
古びて痛みこそ激しいが、仄暗い生地に金の刺繍の施された高貴さを感じる外套に姿を隠した、妖が一つ。
俺は身構えた。
何せ、里は厳戒態勢だ。蟻一匹入り込ませない程に厳重な監視網。野ウサギ一匹も通さない門を、誰が見知らぬ来訪者を通そうかというものだ。
その来訪者は俺の殺意など意に介さず、口を開いた。
「お初にお目にかかります。私の名は『ソワレ』。貴方の名は?」
俺は名を教える事を躊躇った。相手の名を使い、呪詛を掛けてくる妖も稀にいると聞く。名はその者を表す証明の一つである以上、教える事は不利に繋がるのでは無いかと危惧したからだ。
「申し訳ない。信用無き者が名を尋ねるとは、少し無神経が過ぎました」
「かおる。天樹かおるだ」
自らの非礼に頭を下げる来訪者に、俺は悪意を感じられなかった。気付いた時には名を伝えていた。
「かおる殿.....ですね。此度は貴方方、白狼天狗の皆様へ御願い申し上げたく参ったのです」
「言ってみろ」
外見は外套に隠されて見えなかった。声質は少々低く、凛々しさ備えている女声だった。
「私はこの世界で斥候をする者です。先日のこの里での悲劇、私も存じ上げております。現在は大凡、戦力が不足していると言わざるを得ない状況にありましょう。.......貴方はもうご存知ですか?閉鎖的な白狼天狗が、苦肉の策として外部と取引を行った事を」
「取引だと?」
「外部から潜在能力の高い者を集め、白狼天狗へ預ける。白狼天狗はその者達を教導し、能力を引き出す。その代わり、その者達を白狼天狗の里防衛の為の戦力として数える。というものです。」
「何を言っている。それに、その話が真実であるならば、何故、部外者であるお前が知り得る」
「先程も申し上げた通りです。私はこの世界の斥候です。個体の妖怪ならいざ知らず、白狼天狗の様な群の妖怪の動向は、正確に把握しております」
来訪者は俺の方へ歩み寄った。俺は稽古用の棒を構えた。奴から一切の殺気は感じられなかった。だが、殺気など数ある内の一要素でしかない。殺気を発さないからと言って、次の瞬間も敵対していないとは限らない。
「私には感じるのです。同胞の血の目覚めを。今は雛ですが、末の子は最も大器を携えています。.......疑わしい事も、図々しい事も百も承知でございます。どうか、末の子を育て上げてください。あの子は過ぎた力を持ったばかりに幽閉されたまま。ただ、力の使い方を良く知らないだけなのです」
来訪者は深々と頭を下げた。
俺にはこの時、この話が何の事か、一切分からなかった。
一番の気がかりは、取引を持ち掛けた者の正体についてだった。現在も個人的に調査を進めてはいるが、一切の手掛かりは掴めていない。
来訪者が腕時計を確認した。
「少し時間を掛け過ぎてしまいました.....。これ以上は芳しくないですね。そろそろ、私は失礼致します」
「待て!まだ聞くこ.....と...........が.......」
背を向けて、立ち去ろうとする来訪者。
俺は咄嗟に肩へ手を伸ばした。......いや、伸ばそうとした、か。
身体が、ガタの来た絡繰の様に次第に動かなくなっていった。
金縛りというには異様な状況だった。踏み出していた足はまだ地には触れず、重心も不安定なままの姿勢で、身体が静止したからだ。
ここで俺は初めて気が付いた。身体の自由が奪われたのは俺だけじゃなかったんだ。
周りを見渡すと、他の門下生や親父は勿論のこと、窓から覗く楠の落ち葉や、蝶の羽さえも静止していた。
「申し訳ございません。手荒な真似をお許しください。しかし、私の跡を追われては少々困るのです。しかし.......今後、再び相見える事でしょう」
「その時は........敵として、ではない事を祈ります」
「その来訪者はそう言い残して去っていった。その妖気は名状し難いものだった。妖気でありながら、妖気とは思えない。それが俺の所感だ」
傍らの地面に深々と突き刺さった大鎌を引き抜き、折り畳んで背負いながら、かおるは深く溜息を吐いた。
「正直なところ.......俺にどうこう出来る妖気とは思えなかった。隼也は正に暴力的と言える妖力だ。暴力には我々は武力で応じる事が出来る。しかし、奴は土俵が違う。どう例えれば良いのか.......此方が腕力を競おうとするのに対して、奴は走力を示してくる、といった感じか」
何とも噛み合わない妖気であるということは、理解できた。しかし、かおるの語る『怪態』の話について、隼也は釈然としない様子であった。
「マグナ、ミコト、サイト、ウェルサ、レイカ.....そして、謎の来訪者。対峙してみて、或いは話を聞く限り、全てが白狼天狗達と比較して、異様としか言いようが無い能力を持つものばかりだな」
「あ!今、隼也ってば、『異様』と『言いよう』をかけたでしょ?」
「奏.....しーっ。俺には、奴らが『ただの仲間』であるだけとは思えない」
隼也の意見を聞いたかおるが難しい顔をした。
「十中八九、そうだろうな。件の来訪者の言葉が引っ掛かる。『同胞の血の目覚め』と言っていた以上、確実に奴らは、ただの仲間以上に深い縁があるはずだ。更に、だ。『同胞』と言うのは、お前の事だろう」
かおるが隼也を指差した。
「可能性としては、4人全てに当てはまるだろう。しかし、唯一の『怪態』であり、最初の一人目であるお前、隼也の可能性が最も濃厚。何か、心当たりなどは無いのか?」
心当たり、と問われて、隼也にはいくつかピンと来るものがあった。自分の『吹き飛ばす』と言う能力を示した声。最近見た、暗闇の中から話しかけてくる巨影の夢などがそうだった。
そもそも、こと戦いとなれば、不思議と動く道筋が見えてくる。それが、自分が生来持った才であるか、或いは、気付かぬうちにその『声』が導いているのか。
それらの思案を、かおるへ包み隠さず話すと、かおるは腕組みをして、首を捻った。
「『怪態』......。『来訪者』......。『同胞』......。『夢の中の何者か』......。俺は全てが通ずるのではなかろうかと思えてならない。妖怪同士などでは収まらない。もっと、何か大きな。.......そう、幾つもの輪廻を経ても続く様な因縁があるのでは無いか。そんな事を考えてしまう。お前から見れば、邪推なのかも知れないがな」
「いいや、邪推なんかじゃないさ。意見を聞けて良かったよ。かおる」
神妙な面持ちの二人の横で、不思議そうな表情の高嶺奏が首を傾げている。
「そう言えば、奏。もう、背中は大丈夫なのか?」
隼也が思い出したかのように、奏へと向きを変えた。
心配させるまいとしているのか、それとも本当に快復したのか、奏は元気さを前面に押し出すように、小さくガッツポーズをした。
「全然、大丈夫だよ!あの時は、全く加減せずに、一気に力を使っちゃったから、あんな事になっちゃったけど......。いい経験だったな。本当の戦いじゃないのに、自分の限界を知れたから。そんなに心配なら、見てみる?」
「ちょっ!奏、落ち着けって!」
そう言いながら、裾に手を掛けて脱ぎ出そうとした奏を、隼也は慌てて静止した。もし、白狼天狗の住人にこんな所を見られて、変な風評が立つのは、たまったものではない。
「背中に埋め込まれた術式に妖気を通して、術として行使する。竜胆からの伝聞だが、凄まじいもののようだな、高嶺奏」
「そ、そうなのかな?あんまり他を知らないから、なんとも言えないなぁ」
かおるが少し考え込んだ後、「あぁ、これも話しておくか」と頷いた。
「折角、高嶺奏の術式について触れたんだ。次は、妖術発動までの形式を大まかに教えよう」
「妖術発動までの形式?どう言う事だ?」
「一口に妖術と言っても、その種類や効果は千差万別だ。しかし、妖気を術として発動するまでに至る道順とは、案外少ないものだ」
「その道順とは3つ。一つは、自らの妖気を直接放つ『直接発動』。次に、その場で術式を組み上げ、それを介して術を放つ『術式発動』。最後に、なんらかの記憶媒体に予め記されている術式を通して、術を放つ『媒介発動』だ」
3つの方法のうち、最後の方法を聞いた奏が、何か感づいたようなハッとした表情になる。
それを見たかおるは頷いた。
「高嶺奏、気がついたようだな。お前の背の術式は、『媒介発動』に当てはまる。まぁ、体に直接というのは滅多に聞かない話だ。書物や札なんかに仕込んでおくのが、通例なのだが」
「俺はどうなるのさ」
隼也が自分を指差した。
「お前と凩谷灯は、確実に『直接発動』を主体にしているように見える。『直接発動の利点は、取り回しの良さだ。行程が単純かつ容易である為、咄嗟に発動することが出来る。ただし、複雑な効果を発揮させるには不向きだ」
「次に2番目だが、これは、隼也の妖気の武器や、祇田頼人の火器が当てはまるだろうな。頼人を例にあげるなら、まず様々な火器を最初に構築し、それを通して作り出した銃弾を撃ち出す。行程が一つ増える事で、『直接発動』より一拍子遅れることになるが、緻密な操作が可能になり、幾らか燃費も向上する。更に、その場で術式を組み上げる為『媒介発動』よりも柔軟な対応が可能だ」
ガササッ!と茂みが揺れ、勢いよく吹き飛ぶ人影と、それを追う頼人と思しき影が3人の前を横切った。頼人は通過する刹那、カシャッと何かを落としていった。
落し物を隼也が拾い上げると、おぉ、と驚きの声を漏らした。
「これは.....マガジン。弾倉だ」
光で構成された、まるでシトリンを削り出したような、美しい弾倉。そこへ隼也が軽く妖気を流す。手を触れている位置を梢として、樹形図の様な線が無数に浮かび上がり、マガジン下部へと妖気を集約させた。集められた妖気は1発の弾薬を形成する。
一連の光景を見た高嶺奏が目を輝かせていた。
「頼人君って、こんな物をあれだけのスピードで作ってたんだ」
奏の言葉に隼也も頷いた。
戦いの展開やテンポが、4人中で早い頼人。彼自身のスピードもさる事ながら、技の引き出しの多さがそれを確固たるものとしている。
技......光の火器の一つ一つに、このような複雑な術式が仕込まれているのだろう。それらを状況に合わせて、瞬時に判断し、即座に創り出す。
正直、どれだけ修練を積もうとも出来る気がしない。
「最後に『媒介発動』の話をしよう......これの利点は、予め術式を準備しておくが故に、強力かつ複雑な術の発動を即座に行える。しかし、術式の媒介に『通常の物質』を使用した場合、変質を起こす危険がある」
「変質?」
「そう、妖気による変質だ。妖気をあまり帯びていない生物や物質が、瞬間的に多量の妖気へと曝露した場合、或いは長期間に渡って一定以上の妖気へ曝露し続けた場合に、変質を起こす危険がある」
「起こすと、どうなるんだ?」
「例を挙げるなら......紙の場合、軽度であれば、強靭性や耐火性などの性質変化が起こる。ただ、これらはまだ可愛い方で、毒性を持ったり、妖怪化したりなど、変質はロクな事が起きない。従って、紙を媒介にする術式の最後には、紙を焼滅させる術式を記して、変質する前に処分するのが一般的だ。書物の形にして書き記す場合は、事前に変質させ耐久性を向上してから、術式を記する。ただし、こちらは非常に手間も労力もかかる方法だ。作ってる者が、相当な物好き扱いされる程度にはな。ただし、非常に長持ちする。紙の媒介が一回使い切りに対して、丁寧な作りの書物であれば、数代を継承しても劣化がこない」
「本とか紙とかが一般的なのは分かったけど.....僕みたいに身体に術式が書き込まれてる時は、どうなるの?」
「身体に術式を書き込む。普通ならば考えつかないような暴力的な方法だ。と、言うのも身体に書き込んだ場合、人間では先ず耐えきれない程に負荷がかかる。妖怪.....今の高嶺奏でも、苦悶する程の負荷だ。これは実際に体験したお前がよく分かっているだろう」
あの時のことを思い出したのだろう。高嶺奏は苦い顔をした。
「う、うん」
「ただし、身体に書き込まざるを得ない術式というものもある。生命や生体活動に関する術などに、そういった術式が多い。高出力を確保する為に妖気の源へ最も近い場所、つまり身体へと書き込むのだ」
「ということは、僕の背中の術式って、何か命に関わるようなものなのかな?」
「その術式全てではないだろうが、その可能性も高いだろうな」
そこまで言うと、かおるは体を揺らして反動をつけ、一気に立ち上がった。
「ま、あんまり考え過ぎるなよ。お前の力が追い付けば、自ずとわかることだろうよ」
「さてと、そろそろ交代の時間じゃないか?蓮が腹を立てる前に行った方がいい。あいつは人は待たせる癖に、待たされるのは嫌いだからな」
かおるに続き、2人も立ち上がる。
「あぁ、そうだな。ありがとう。かおる」
「ありがとうございました。かおるさん」
頭を下げる2人。
「礼などいらん。それよりも、早く灯と頼人を呼んできてくれ」
かおるへ手を振りながら別れた後、2人は蓮のところへ向かった。話を聞くと、既に灯たちには、かおるの元へ向かうように言った後だったようだ。
蓮は汗を手拭いで拭きながら、木陰へと腰を下ろした。
「いやぁー、ちょっと疲れちまったなぁ。ま!頼もしい新兵くん達が来てくれるってんで、安心だけどな!」
蓮が悪戯っぽく笑う。それを見た奏が首を傾げた。
「今はどなたが防衛をしているんですか?」
「今は、天樹兄妹の弟弟子達さ。実戦形式でね。あいつら、ほんっとに凄えよ。まだ育ち盛りのガキも多いってぇのにさ、戦闘能力だけで言えば、大の大人で組まれた防衛部隊より強え。まったくよぉ、天樹のオッさんがどんだけ凄かったか、計り知れねぇよなぁ」
「.......あの、天樹のオッさんって........もしかして?」
聞き辛い話題だと感じたのだろう。言うか、言うまいか迷い、口籠る奏。しかし、好奇心には全く歯が立たなかった。
「あぁ、知らねぇよな。名前は天樹槐。天樹流棒術の3代目で、俺たち討伐隊の先輩だ。武器は金属でできた六角棒だったよ」
「だった。って....?」
「その言葉の通りさ。先の里襲撃の際に、最前線で戦い、酷ぇ負傷を負っちまった。右足の膝下を失い、両肩の腱を断ち切られた。更にだ、その刀傷は異様に塞がり難かった。足も肩も血は止まっても、ずぅーっと瘡蓋のまんまだ。少しでも不用意に動かしゃあ、すぐに傷が開いちまう。今でこそ、身の回りのことは出来るまで回復したみてーだけど、ありゃあ、二度と武器は持てないだろうぜ」
蓮が何処からか、風呂敷包みを取り出した。それを解くと、中には木箱が入っている。
更に蓋を開けると、中にはギッシリとおにぎりが詰められていた。それを一つ掴み、頬張りながら、「お前らも食えよ」と、弁当箱を押し出す。
「何か.....刀が不思議な力を持っていたんでしょうか?」
奏の問いに、蓮が難しい顔で首を傾げた。
「その可能性が高いかもなぁ。武器ってぇのは、作った奴の想いが宿ったり、使っている奴の想いを帯びたり、切られた奴の怨嗟が纏わり付いたり......年季の入ったものになればなるほど、そーいった力も強くなってくもんだ。そして、そんな刀ってのは、俗に言う妖刀って奴になるんだよ。........或いは、あれは本当に刀だったのか、ってぇことも考え得るんじゃねーか?」
「本当に刀だったのか、だって?どう言う意味だよ、蓮」
「なぁーんて言えば良いかなぁ.....。言うなら、本当に鉄から鍛えて打ち出した、正真正銘の刀なのか。それとも、もっと強烈なモノを、ただ刀型に削り出したりしただけなのか、ってことさ」
「例えば.......そうだなぁ、『接触した対象に、くしゃみをさせる木』があるとするだろ?その木を削り出して木刀を作ったとするじゃん?それは『木刀』で有りながらも、材質の持つ『接触した対象にくしゃみをさせる』能力もあるはずだよな?それが奴の場合は『傷が塞がらない』性質か、それを副次的に引き起こすような性質の素材を使っていた。そうは考えられねぇか?」
隼也がおにぎりを手に取りながら、考え込む。
「でもさ、その『傷が塞がらない』ってのは、奴自身の能力かも知れないだろ?」
「まぁ、そーだな。刀の歴史の力か、材質の力か、それとも持ち主の力なのか。3つくらいか?考えられんのは」
蓮が5つ目のおにぎりに手を伸ばそうとした時、奏が「でも.....」と続けた。
「もしかすると、もう1人協力者がいたかも知れませんよね?」
おにぎりへ伸ばした手を止め、奏へと振り向いた蓮。
「里を襲った妖怪『リン』の能力は別にあって、更に刀も普通の物で.....。そのどちらか片方、或いは両方に、僕たちが知らない誰かが、『傷が塞がらない』という性質を付与したかも知れない。と言うのは、考え過ぎでしょうか?」
「あぁ、なるほどねぇ。白狼天狗は、殆ど妖術による強化なんてしねぇから、失念してた。確かに、それも大いにアリだと思うぜ」
「ただし、『リン』が現れた時、それ以外の侵入者の妖気は感じなかった。と、言うことはだ。予め、強化を受けてきたんだろうな。多分だけどよ、その『強化役』.....強ぇぞ。なんせ、姿も見えねぇ遥か遠距離、或いは世界を跨いだ向こう側の術式を維持してるってのは、凄まじい事だぜ。まぁ、あれだけの化けモンの仲間ってんなら、納得だけどな」
7つ目のおにぎりを平らげた蓮が、膝を叩きながら勢い良く立ち上がった。
「っしゃあ!腹も一杯になったし、俺らも働くか!」
隼也が1つ、奏は2つしか食べていない事は、全く視界に入っていないらしい。
「これから何を?」
「うーん、里周辺は20人がかりで警戒されてるし、俺らは少し遠出するかぁ」
「遠出?」
「そ、朝っぱらから、少し離れたとこに強めの気配を感じてたんだよな。全く動かねーから様子見してたんだけどさ。せっかくだし、偵察がてら行ってみて、人影ならちょちょいと叩きのめしてやろうぜ」
蓮がどこからか取り出した鎖剣『宵蛍鎖』を、手元でくるくると振り回しながら、歩き始める。2人もその後を追う。
道の途中、蓮が首のみ振り返りながら、思い出したかのように話し始めた。
「そー言えばよー。葵がお前の事、いろいろ行ってたぜ」
「俺のことを?葵が?」
隼也には何か言われるような、心当たりなどない。
「あいつは他人の技パクるのが上手いとか、なんとかって」
「なんだよそれ。人を泥棒みたいに」
隼也が肩を竦めた。
「いやいや、あいつなりの褒め言葉だって。ちょっとだけ不器用なトコがあるから、刺々しく聞こえるだけで」
「褒められてんのか、貶されてんのか」
他人の技をパクるのが上手い。なんとなく、その言葉に心当たりがないわけではなかった。
奏のいる世界に向かう以前。白狼天狗の里に襲撃があった時、メンバーの戦う姿を見て、すんなりとその武器を構築することが出来る事に気付いた。作り出した武器を、思いつくままに振り回してみれば、自分でも驚く程に上手くいく。
「まぁ〜、天才ってぇのは、モノマネ上手ってよく言うし?誇るべきだと思うよ?俺は」
「お、おう。そうだよな」
何処か釈然としない隼也。
「さーてと。そろそろ、目当ての奴だ。気合い入れろよ」
そんな隼也を置き去りにして、会敵の時は訪れた。
「あれは.....いつか里に出て来た奴だ」
苔生した大岩の陰から覗き込んだ3人。隼也はそこに居たモノに心当たりがあった。
以前、白狼天狗の里に直接、殴り込みに来た人影。魔獣型。
あの時のものとは、一回り以上大きい気がする。10メートル程度はあるだろう。
それに比例して、その頭部を雄々しく飾る双角も巨大だ。
「どうするよ?隼也。ここでケリをつけとくか、一旦戻って援軍を呼ぶか」
「援軍なんて選択肢、許してくれるのか?」
「わかってんだろ?ダメさ。ここでブチのめす。ただし、俺はやらねぇ。お前ら2人でどーにかしてこい」
蓮はそう言って、2人を突き飛ばした。
突然の出来事に対応できず、飛び出してしまった2人。魔獣はその物音を聞きつけ、ゆっくりと振り向いた。
低く、喉を鳴らしながら、身体をこちらへ向ける。その双眸は、2人を射抜くように見据えていた。
「しゅ、隼也?!これって、人影じゃないよね?」
「いや、一応......人影だな。たぶん」
「たぶんって!......こ、こっち向いたよ!」
隼也が妖剣を創り出し、身構えた。
抗戦の気配を察知した魔獣が、深く息を吸うと、耳を劈く程の咆哮を上げた。
空気を打ち震わす音圧に、周囲の草木が音を立て、鳥達が我先にと逃げ出す。
「奏!俺をサポートできるような術ってあるか?」
「一応あるよ!少し体力を余計に使うけど、一度に出せる妖気は上がるはず!」
「よし、それだ!俺に掛けてくれ」
「うん!」
奏が隼也の背を人差し指で数回なぞる。背中にその軌跡が浮かび上がると、隼也は体が軽くなったような感覚を覚えた。
「ありがとう。俺が前線に出る。奏はあの巨大な剣で仕留めてくれよ」
「わかったよ!」
2人へ向かって、悠々と歩み寄る魔獣。隼也がその角へ狙いを付けて飛びかかった。
魔獣は慌てることなく、悠然とそれを迎える。
ドッ!という、重たい音。隼也が咄嗟に体の横に構えた剣へ、魔獣の右腕が叩きつけられた。
「ぐぅ!」
受け止めたもののその重量差は凄まじく、斜め下の地面へと、敢え無く叩きつけられた。
「隼也っ!」
無謀にも自分へ挑み、吹き飛ばされた、自分より遥かに小さき者を一瞥した魔獣。
奏へと視線を戻すと、再び歩みを始めた。
いや、始めようとした。
砂煙の中から伸びる、2つの線。魔獣の両後ろ足に突き刺さり、強い力で引く鎖。
「待てって。ちょっとツラ貸せよ」
自分の詰めの甘さを実感する。魔獣が大きく向きを反転させ、砂煙を両腕で叩きつけた。
数百年という時を経た巨木の幹のような腕が地面を砕いた瞬間、両足を引く力を感じなくなる。それと同時に、爆発音と、それに続くこめかみへと強烈な打撃を受けた。
「よそ見してんじゃねぇよ!」
片足が浮き上がる程の強烈な一撃。しかし、この程度は問題ではなく、そのまま、地に着いた片足を軸に、横方向へと回転した。
巨木さながらの両腕よりも更に太い尾が、轟音を立てて振り回される。
しかし、次の瞬間、突然にバランスが崩れた。
「僕も忘れないでよね」
不安定な回転を止めた魔獣の目の前には、巨大な剣が地面へと突き立っていた。
それを見た魔獣が理解する。成る程、バランスが崩れたのは他でもない、コイツの所為だ。
尾の方を振り返ると、中間あたりから先が、スッパリと喪失している。半分に切り落とされた尾の分だけ、重心が狂ったのだ。
自らの回転力で、尾を切り落としてしまった。
魔獣は憤慨した。更に太い咆哮を上げた。怒りで全身の筋肉が隆起し、巨躯は更に一回り大きくなったように見える。
「そう、怒るなよ」
両腕に衝撃が加わり、少し体勢を崩しかける。見下ろすと、青い切り傷が一文字残されていた。
先程から周囲を鬱陶しく飛び回る小蝿の様に、下らない手出しを加えてくる敵。その傷を見て、すぐに悟った。しかし、肝心の本体の姿が見当たらない。
何かを察した魔獣が大きく後方へ飛び退いた。
それと同時に爆発音。一瞬前まで魔獣の頭部があった位置を、大鎌が真下から貫いていた。
「流石に黙って食らってはくれないよな」
隼也は空振りした大鎌の勢いを止めず、爆発で更に加速した。隼也自身さえも、武器に引かれて浮き上がる程の勢いと共に、掬い上げられた大鎌は主人の手元を離れた。
真っ直ぐ後方へ飛び退いていた魔獣は、それを避け切れるはずもない。必死に身を捩り、身体を逸らして避けようとするものの、自慢の角の片方へと突き刺さってしまった。
ズンッ!
魔獣が着地し、宙に浮いている隼也へ向けて、突進しようとした。しかし、その刹那。一瞬の勢いを溜める静止の瞬間。
なにかが尾を貫いた。
突進しようとする勢いを、地面へと縛り付けたそれへと振り向く。尾の残り半分を、再び巨大な剣が縫い付けていた。
バァン!バァン!
しかし、脅威は背後にのみではない。二度の爆発音に正面へ向き直す。
姿はない。しかし、代わりに線状に煙が残っている。その煙を辿って行く。
バァン!
真上から聞こえた爆発音。急いで見上げる。
「トロいんだよっ!」
槍を構え、垂直に突撃してくる隼也。魔獣は対応が間に合わない。
頭部の真横を通り過ぎていったと思った瞬間、槍の後端にある錘が一閃した。
ガツッ!!
頭とすれ違いざま、掬い上げるように振り抜かれた錘は、角へ突き刺さっていた大鎌の刃の根元を激しく打った。
真上からの衝撃に備え、構えていた魔獣を襲った真反対のベクトルの攻撃。武器同士が打ち合った際に起こされた爆発の衝撃も合わせて、魔獣は大きく後ろへよろめいた。
ズドッ!
ガラ空きになった胸部。そこへ容赦無く追撃が入る。正面から突き刺さり、背後へ切っ先が抜ける程に撃ち込まれた巨大な剣。
魔獣はここでやっと感づいた。この剣の正体は奥でコソコソとしている、もう片方が生み出したものだと。
しかし、気づくには遅すぎた。
「キーン......ペイル!」
右腕へ妖剣が突き立てられる。その妖剣は腕に飲み込まれ、無数の刃を成形した。
腕の内側から、食い破るように突き出した、薄い青の無数の刃。一本一本こそ弱い妖気だが、その数が多い。
右腕を埋め尽くすほどの刃が突き刺さった魔獣は、その腕に違和感を感じてしまっていた。
上手く動かない。普段より少々鈍いのだ。
「もうアウトだよ、それ」
カッ!
右腕が光を放つ。腕の芯から放たれているような、淡い光。それはすぐに強まって周囲を照らした。
しかし、それは魔獣の持つドス黒い妖気から成る物ではなく、足元の忌々しいチビの妖気と同様の青。
バァンッ!!
右半身へ強烈な衝撃が襲った。
身体が何故か、右前方へと倒れ込む。
煙が晴れると、理由が分かった。右腕が完全に消失している。あの爆発に巻き込まれて、吹き飛ばされたのか。
「これで、終わりだよっ!!」
奏の号令と共に、首を垂れた魔獣の首元へ、剣が振り下ろされた。
それまで強大な力で跋扈していた巨躯は、今や力無く臥せる。
力尽きた魔獣は体の末端から、ドロドロと溶け始めた。
「こ、怖かったよ.....」
「ナイスアシスト!奏」
「う、うん!」
隼也と奏がハイタッチを交わすと、傍観していた蓮も姿を現した。
「よーしよし!思った以上の連携だった!そんじゃ、さっさと里に戻るとしようぜ」
戦いの余韻に浸る2人を置いて、さっさと帰り始める蓮。2人はその後を急いで追った。
「あっ!星良さん!お疲れ様です!」
里の門まで戻った3人を迎えたのは、金属製の棒を携えた少年達だった。
「おう!どうだ?調子は」
「はい!お陰様で絶好調です!ただ.....」
少々、引っかかるところがある様子の少年。蓮はそれを見て眉を顰めた。
「どーしたんだよ?」
「それがですね、つい先程から、人影の出現がパッタリと止んでしまって。何か悪い兆候じゃないかと、心配していたのです」
一瞬、考えた蓮。しかし、すぐに何かを思いついたように手を叩いた。
「あぁ!俺たちが魔獣型を倒したからかもなぁ」
もしかすると、あの魔獣型は、この周囲一帯の人影の司令塔だったのだろう。
「魔獣型......ですか?」
首をかしげる少年。その頭を、蓮がわしゃわしゃと撫でた。
「その話は、今度暇な時にすっからな。....隼也、奏。俺はちょっくら詰所まで行ってくる。お前らは門の前で、人影を警戒しとけよー」
そう言い残した蓮は、物凄い勢いで走り去って行った。
「どうしたんだろう?星良さん」
結局その日は、人影の出現は一切なかった。本当に、あの魔獣型は、人影達を統率していたのだろう。
しかし、重要視されたのは、そんな事では無かった。
人影の学習能力についてだった。
この世界に来てから、頼人は数度しか人影に銃火器を使用していなかった。にも関わらず、それを精巧に模倣した人影の能力は、確たる脅威であると判断された。
火器と、その力を再現した人影との戦闘においては最もノウハウのある頼人。頼人が中心になり、討伐隊全体でブリーフィングが行われた。
極力、相手より先に発見する事。高高度の移動は避ける事。常に身の回りの遮蔽物を把握しておく事など、様々な対抗策が出された。
ブリーフィングが終了する頃には、夜はすっかり深まり、月が沈み始めていた。
4人は拠点に戻り、少し掃除をした後、すぐに布団を出して眠りに就いた。
たった1人を除いて。
「眠れないなぁ」
3人分の寝息の中。小さくそう呟いたのは、凩谷灯であった。
「こういう時は、空でも眺めて、気持ちを落ち着かせるのが一番だな」
他の皆を起こさないように、こっそりと抜け出した灯。拠点の外へ出ると、スルスルと器用に屋根へと登り、鬼瓦に背を預けて寛いだ。
「丁度、月が沈んでて良かった」
月も眠る夜。空には雲もなく、文字通り満天の星が浮かんでいた。
「本当に、不思議だよなぁ」
あんなにも小さな光なのに、一つ一つが太陽とは桁違いに巨大であり、気が遠くなるほどに彼方に浮かんでいる。
それぞれが余りにも強すぎる重力を持っていて......。太陽のように、いや、それ以上に多くの、逃げ出そうとする星を繋ぎ止めている。
灯は頼人の元いた世界の事を思い出す。
そこで戦った女性。レイカ。
頼人には申し訳ないが、正直なところ、レイカの力の正体を知った時、灯の胸は踊っていた。
普段の生活で実感出来るのは、地球の引力。知識として実感出来るのは、潮汐力と公転という、月と太陽の重力。
この世全てのものはことごとく重力を有し、この世の物全てのものへ、力を及ぼしている。
文面上では理解できても、実感なんて湧かなかった。自分がこの地球を引っ張っていると聞いても、冗談にしか聞こえないし、あの空に輝く星が地球へ引き寄せられていると聞いても、ピンと来ない。
ただ、彼女だけは違った。地球の重力と変わらない程の力を有していた。彼女が望めば、重力加速度9.80メートル毎秒毎秒に相当する正反対の力で、ありとあらゆるものは、重力と言う鎖から解放される。
いや、命綱から切り離される。と言う方が正しいのかも知れない。
昔から、星やそれに関する事が大好きで、そういった事を良く調べていた。それを踏まえて、レイカの力を冷静に考え直した時、恐ろしいシナリオを思い浮かんでしまった。
もしも、次に相対した時、命綱から切り離されているのは『自分なのか』、或いは『地球なのか』。
だからこそ、恐ろしい。
レイカがどこまでの力を持つかは分からない。
もしも、彼女は、今、灯が想像している程度の力を有し、更に彼女がそれに踏み切るような、メチャクチャな精神だとしたら。
引力と遠心力の両腕で、辛うじて絶妙なバランスを取っている弥次郎兵衛の、その片腕を切り落とすような真似を彼女が出来るとしたら。
「これじゃあ......眠れないはずだよな」
もし、明日が滅ぶとしたら、貴方は何をしますか?........と言う有り触れた質問がある。
愛する人と過ごす......。いつも通りの1日を過ごす.......。決心がつかずに今まで出来なかった事を、思い切ってやる.......。人それぞれの答えが有るだろう。しかし、その問いそのものが、ここまで恐ろしく感じたのは、初めての経験だった。
「はぁ.......」
思わず、吐くつもりも無かった溜息が溢れ出した。
磁力。生命。運命。様々な力を持つ敵が味方かも分からないような奴ばかり。その者達はみな、人を遥かに凌駕した能力を振るうのだろう。しかし、最も危険で有ると心が告げるのは、レイカだった。
これは予想でしかないけれども、レイカが訪れた時、他に2人も彼女の仲間がいたのは、援護などではなく万が一に備えてだったのかも知れない。
「これは、みんなに言うべきなのかな」
何気なく、空に向かって問いかけてみる。もし今、あの星空から答えが降ってきたなら、どれ程、楽になるだろうか。
みんなに伝えて、この恐怖を伝播させる事は極限までしたくはない。
「って言っても......降ってなんかこないよなぁ」
いつ見上げても、星空は綺麗だ。
どれだけ不安だろうと、それを忘れさせてくれる。昔からそうだったし、これからもそうなのだろう。
夏の夜に輝く大三角形と、その中央のあの大きな........
「え?中央?」
見慣れないモノに思わず、飛び上がるように立った。
ただの錯覚かと両目を擦ってみるものの、以前変わらずに、むしろ光量を増して迫っているような......
「ら、頼人?悪戯は良いって......」
周囲を見渡すが、頼人の姿も妖気も感じない。
そもそも、あの光からも妖気は全く感じない。
あれは一体なんなんだ?
灯が戦慄しているうちにも、光はどんどん接近速度を増していく。最初は他の一等星と変わらない大きさだったものが、既にピンポン球程までに膨れ上がっている。
呆気にとられて動けないでいた灯の目の前に、それは降臨した。
「はじめまして」
「う、宇宙人っ?!」
光の膜の中から、現れたのは幼気な少女だった。あまり身長が高くない灯でも、少し見下ろすほどの背丈。
「あ、あの......言葉分かりますか?」
目線を合わせて、恐る恐る灯が尋ねる。もしも、機嫌を損ねて世界滅亡など、笑えたものじゃない。
宇宙人は小さく溜息を吐いて、再び口を開いた。
「はじめまして」
「あ.....は、はじめまして......」
「これで十分ですか?私はこの言語に精通しているつもりですが」
「は、はは.......よ、よく学習なさってるようで」
少し不機嫌そうな表情を見せる宇宙人。灯は精一杯の気遣いで、持ち上げようとする。錯乱しているのだろう。
「宇宙人という先入観といい......私の姿に対する無警戒さといい......隙だらけですね」
カッ......!
少女型宇宙人は突然、激しい光を放った。思わず、顔を逸らし目を塞ぐ灯。ほんの一瞬の光の後、目が慣れた灯が振り返ると驚くべき者がそこにいた。
「え、えぇーーーっ、むぐ.........っ!!?」
「しっ、静かに」
思わず、驚きの声を上げた灯の口を塞いだのは、先程の少女と思われる女性だった。
服装の意匠は変わらないが、そのサイズと纏う者が目を疑うほどに変わっていた。
面影こそあるものの、先程の少女とは思えない程に成長を遂げた女性だった。
塞がれた口の事も忘れて、今起きた事を尋ねようとする。モゴモゴと唸る灯に、女性は静かに告げた。
「私は忍んで、ここにいるのです。あまり目立たないで」
灯が首を縦に振ると、女性はその手を離した。
「いっ、今のは!?」
「しぃー.....」
女性が人差し指を立てて静止するのを見て、灯がはやる気持ちを抑えて、ボリュームを落とした。
「い、今のは何ですか....?」
「素の姿に戻っただけ。これが私本来の姿」
「何で少女に?」
「君みたいに、あの姿だと警戒しない人がいるからよ」
「うっ.....」
確かに、そう言われると何とも言えない。完全に警戒することを忘れていたし、やられてもおかしくない位置に突っ立っていた。
「.....要件はそこではないわ。貴方、名前は?」
「こ、凩谷灯と言います......」
「灯くんね?単刀直入に言うわ。私はマグナと同じ妖怪よ」
その言葉に、身を乗り出してしまった。
「マグナのっ?!」
「しっ....!」
思わず上がるボリュームに、女性は強目に制止をする。
「ご、ごめん.....」
「私の名は『ソワレ』。確かに、マグナと同類とは言ったけど、貴方達の敵ではないわ」
「敵じゃない?」
「そう。それでも、白狼天狗に見つかると厄介だから、こうして白狼天狗の目の届かないのを見計らって現れたの」
「何の理由があって....?」
「貴方達4人を助ける為よ。詳しい話は皆が揃っているタイミングになるけど、これだけは分かっていて欲しい。私は貴方達4人の味方であると」
「俺たち4人の?それって......」
聞き返そうとする灯を、ソワレが直ぐに止めた。
「不味い.....。灯くんの声を聞きつけたのね」
「もう、行くの?」
「えぇ。だけど、必ず再び現れる。その時にゆっくり話しましょう。......それと、この事は貴方達4人のみの秘密にしておいて。白狼天狗達には絶対に言わないでね」
「わ、わかった......」
そう言い残すと、ソワレが軒先から飛び出した。両足が宙に浮いた瞬間、元から何も無かったかのように、一切の痕跡を残さないまま姿を消していた。
「何があった!!」
木の扉を激しく開ける音と、吠え立てるような声が聞こえた。この声は双羽竜胆だろう。
「灯はどこにっ!?」
「ごめん!ここ、ここだよ!」
すぐに屋根から飛び降りて、皆の元まで駆け寄った。大丈夫かと、心配する竜胆。
声の理由を説明した。
屋根の上で星を眺めてたら、いつの間にかうたた寝をしていた事、そしてそのまま転がり落ちそうになって驚いた事を。
それを聞いた竜胆に、そんなところで寝るからだと、拳骨をくらい、その場は穏便に収まった。
触って分かる程のタンコブと引き換えに、大きな鍵を手にしたと言う確信が灯にはあった。
自分たちの味方。その言葉の意味するところは分からない。しかし、灯は少し前に聞いた言葉を思い出していた。
5人目の仲間。
彼女が、ソワレがその5人目だとしたら?
本当に彼女は自分たちの味方なのか?どちらを欺いていると言うのだ?
「灯.....どうした?何かあったのか?妙に黙り込んで」
肩に手をかけてきたのは隼也だ。灯はゆっくりと頷く。
「実は.........
「そんな事が起きてたのか。しかし、妖気すら一切放たずに、ふっと姿を消した、か。と、なると恐ろしく妖気の扱いが上手いかも知れない」
灯から事の顛末を聞いた頼人は、少し考えてからそう言った。
この世全てのものは、妖気を宿している。
その多少は様々なれど、人間ですらも例外ではない。
基本的に生物の持つ妖気は、極微量なものだ。
そして、ほぼ全ての生物は、その極微量の妖気を操作する術の一つだけを知っている。
気配を消す。
その一点のみ。
生まれながらにして、脳にインプットされている能力。体から滲み出す妖気は、気配という形で感じられる。
その妖気を零さないように、慎重に丁寧に封じ込める。これこそが、気配を消すという事である。
年月を経る程に、その身に蓄えた妖気の総量は増えてゆくもので、大人と子供などでは1.5倍ほどの差がある。
一緒に隠れんぼなどをすると、実感し易いだろう。
子供というのは、隠れるのが非常に上手い。
体格差というのもあるが、それでも、予想だにしないところで気配を消している。
大人は子供より大きな気配を、これまでの経験や知識で補う。
大人子供の差は極々少なく、感じられるかどうかの差だが、妖怪と人とでは次元が変わる。
妖怪が近づくと、人は不快感や名状しがたい不安感などを覚え始め、その場を離れようとする。
それも当然の事。このレベルの妖気に長時間晒された場合、中毒症状も起こしかねないからだ。体が無意識のうちに理解し、警鐘を鳴らしているのだ。
更に力の強い妖怪ほど溢れる妖気も増加し、圧倒的な重圧として、巨大質量など実感を伴い始める。
その実感の原理や理由も存在するが、今は記すべきではないだろう。
閑話休題、先程のソワレは空から降りてきてから、姿を消す瞬間まで、一切の妖気が感じられなかった。
灯は、ソワレの登場と変身のインパクトに気を取られて、その時は気がつかなかった。
しかし、後からソワレの妖気を思い出そうとしても全く分からなかった。
人が他人の顔を初めて見た瞬間に、何かしらの第一印象を抱くように、妖気にも個性があり、それは非常に分かりやすく、印象に残らないはずがないのだ。
そこで、光として空から降って来る途中に、妖気を感じなかったことを思い出し、こう結論付けた。
ソワレは妖気を一切纏っていなかった。
それは何故か。
そう考えた時に、頼人の予想が浮かぶのだ。
つまり、妖気を封じ込めるのが極限まで上手ければ、妖気を一切発さずに行動することも可能であると言うことだ。
しかし、頼人の見解に意を唱える者もいる。隼也だ。
「磁力、魂、挙げ句の果てには運命の選択とか言う、訳の分からない奴らがゴロゴロいるんだ。単純に妖気の扱いが上手いだけじゃない気がする。去り際は突然、姿を消したと言ってたよな?......明らかに妖気を使っているはずが、それでも感じられていない。そこが引っかかるんだ」
「それなら......なんだと言うんだ?ソワレの力は」
隼也が3人の方を見据えた。その顔を見た奏が、思い出したかのようにハッとした表情を浮かべる。
「かおるさんの話だ!」
奏の言葉に隼也が頷く。
「その通り。俺たちは午前中、灯と頼人が戦っている最中に、かおるから少し前に起こった出来事について話を聞いた。そこに現れた妖怪も『ソワレ』。同じ名前だ。そいつは何をしたのか、周囲の動きを全て止めたらしい」
「周囲の動きを全て止めただと?となると、考えられるのは......3つ程度か」
周囲の動きを全て止めた、と言う言葉に反応した頼人。
「白狼天狗たちの動きを操った。または、空間内の全ての物を固定した。.....或いは、全てが止まっていた」
灯が眉を顰める。
「良く超能力系バトル漫画とかであるよね.....。他人を自由に操れるとか」
「その類だよな。そんな奴が本当に仲間になってくれるって言うんなら、心強いけどな」
隼也の懸念はもっともだった。
ソワレ自身がマグナ達との関連性を明言した以上、信用するリスクが露呈した。
彼女の言葉の真偽に関わらず、この博打を打つのは重荷すぎる。もし仮に、彼女がこちらの仲間だったとしても、彼女の無意識の内でこちらの情報が流出しないとも限らない。
「彼女が俺たちに信用に足る何かを示してくれればいい」
停滞した場を切り崩したのは、頼人のその一言だった。
「俺は前の世界で、何人もの信用ならない者達を仲間にして来た。信用し難い奴を仲間に入れる前は、必ず信用し得る程の何かを示して貰っていた。ただ、バカの付くほど正直そうな奴は、そこまで厳重にしなくてもいい事も良く知っている。灯、お前みたいにな」
「う、うぅん.....。何にも言い返せない.....」
意地悪そうに笑う頼人。それに対して、灯は何とも言えない表情で俯いた。
「信用し得る何かって......何があるんだよ」
「ふっ.....簡単な事だろ?」
頼人は、隼也の問いを鼻で笑った。
「コレ、だよ」
頼人が手刀で、自分の首を軽く叩く。
それを見た奏が、驚きの表情を露わにした。
「こ、殺させるの?!」
驚く奏を、頼人はきょとんとした表情で見返した。まるで、奏が何を驚いているのか、分からないと言った様子だ。
「当然だろう?こちらの仲間になると言うのなら、あちらの敵であると言う証明がいる。それとも、何か他に良い案でも?」
「そ、それは......分からない.......」
語尾に連れて声に力が無くなって行く奏。
生まれてから、正反対の育ち方をして来た2人だ。恵まれた環境で育った奏と、荒涼とした世界で生き延びた頼人。育ちが違えば、考えも常識も互いに通用しない。
「ま、まぁ!その事は次に会った時に考えようよ!ね?」
気まずい雰囲気を何とかしようと、灯が声を上げる。
「そうだよな。次がいつか分からないのに、うじうじ考えてても仕方ないだろ」
隼也もそれに乗る。2人の姿を見て、頼人達もそうだなと頷いた。
「あまり夜更かしするのは良くない。さっさと寝て、明日に備えよう。特に灯、お前だ」
「ご、ごめんって」
頼人に追い立てられるかのように、布団に潜り込んだ灯。その後を追うように3人もそれぞれの布団で眠りに就いた。
「流石に.....疑わざるを得ないわよね」
拠点の屋根の上。一瞬だけノイズが入ったかのように空間がぶれ、予兆もなく少女が姿を現した。
灯と話をした少女。ソワレだ。
瓦に腰掛けながら空を見上げた。
「まぁ、時間をかけるしかないわよね。.......あなたは絶対に自由にしてみせる。2度も幽閉されるのは酷だから」
少し空が白みだす頃まで屋根の上で休むと、徐に立ち上がりながら、東の空を睨んだ。
「本当に.....何度でも現れるのね。彼等も心配だけれど、こちらもどうにかしなければ駄目ね」
再び、少女の姿にノイズが走る。いつのまにかその手には剣が握られていた。
右手には、少女の身の丈ほどはある長剣が。対する左手には、幅広で重厚感のある、長剣の半分程度の長さの剣が握られている。
「私の干渉は最小限にしなければ。皮肉かしらね、彼等の踏台としては最適と言うのも」
大きく深く息を吸い込んで、細く長く時間をかけて吐き出す。
「私はここにいる」
ソワレはそう呟くと、完全に姿を消してしまった。その事に気が付く者は誰一人として存在せず、ただひっそりと世界から消失する。
ソワレが姿を消してから半時間程度が過ぎた頃、再び拠点に白狼天狗達が訪れた。
4人は叩き起こされると、すぐに身仕度を済ませて、それぞれの修練場所に向かう。
今日は、隼也と灯が共に行動を取る事になった。必然的に、残った奏と頼人が行動する事になる。
しかし、奏は頼人に対して、どう接すれば良いのか分からずにいた。
「今日はどうしたの?奏ちゃん」
今日、門前で2人に戦闘の知識を教授するのは、天樹あやめだ。あやめは少し様子のおかしい奏に気がつき、声を掛けた。
「あ!い、いえ.....大丈夫です。心配には及びません.....」
唐突に話しかけられて、焦ったように取り繕う奏。しかし、声には覇気がなく、末尾も聞き取り辛い。
「何か悩みがあるんでしょ?」
優しげな表情で覗き込んでくるあやめに、少し戸惑う。しかし、少し間を置いてから奏が口を開いた。
「実は.....そうなんです。.....僕たちも、これから敵と戦わないといけない時が来ますよね?最後には、その敵を.....その、殺さなければいけない時もありますよね?」
「そうね。必ず、その決断は下さなければいけない時もあるでしょうね」
「その時が来たら僕は、出来るのかなって......。その、想像がつかなくて。自分が誰かを殺すところが.....。でも、考えようとすると、とても怖いんです」
そこまで言った奏を、あやめは優しく抱き寄せた。
「不安でしょうね。でも、安心していいの。皆、それが怖いのよ。私だって怖い。自分たちと同じように、笑ったり泣いたり怒ったりする誰かの命を、敵とはいえ唐突に終わらせてしまうのは」
「確かに自分が臆病な所為で、仲間に危険が及ぶって事もある。それでもね、その怖さは、克服してはいけない怖さよ。その怖さがあるから、貴女には仲間がいる。仲間を大切に思えるから、その怖さがあるの」
まるで在りし日の母のように、優しく包み込み話しかけるあやめ。
今は亡き母を重ねたのだろう。奏は黙ったまま、顔を埋めて静かに聞いている。
「精神論ばっかりじゃ、答えにならないよね。.......どれ程血塗れになったとしても、生死だけが勝敗じゃないのよ?」
「そうなんですか?」
「そうよ。例えば.....将棋って知っている?」
「はい」
「将棋って勝敗を決めるのは、王手と参りましたの一言でしょう?王将を取れば勝利であるにも関わらず、王は殺される事はない。それは、王将を詰ませる事で降参させるから。実際の戦いでも、それは同じことよ。相手の狙いを達成不能にしてしまう。或いは戦闘を継続不能にする。.....命を取らずとも、勝敗とは有りとあらゆる形で存在するの」
「僕は、どうすれば良いんですか?」
「貴女の背の術式を見たとき、背中一面の術式を見て、私は目を疑ったの。なんて精巧なものなんだってね。一見は一つの術式なのに、読み取る範囲、向き、形、位置......それらを少し変えるだけで、いくつもの術式が見えたの。その中に、封印を施す術式がいくつも目に付いた」
「封印?」
「そう。相手の動きを制限したり、相手そのものを封じてしまう術よ。貴女はそれを使うと良いんじゃない?そうすれば、命を奪わずとも無力化する事ができる」
「僕にそんな力が......」
「その方面には素人の私だから、殆ど分からなかったけれど、その術式を背負う貴女自身なら、もっと見つけられるんじゃない?」
「ありがとうございます。あやめさん。少し、楽になりました」
顔を上げた奏。目元が少し腫れている。
あやめが濡れた胸元を撫でて微笑むと、奏は恥ずかしそうな顔をする。
少し離れた場所で、遠距離の人影を狙撃していた頼人が2人の元へ戻ってきた。
「話は終わったか?」
「ええ、奏ちゃんもこの通り元気よ」
頼人から、サッと顔を隠す奏。それを気にする様子もなく、頼人はあやめに告げた。
「今日の人影は、どうにも不審だ」
「不審って、どういう事?」
頼人の言葉を聞いたあやめの表情が、真剣なものに変わる。頼人は冷静に続ける。
「武装も模倣せず、ただ遠くで腕を振り回している。近付こうとする様子もない」
「それが、どうかしたの?」
「目の当たりにした攻撃を学習する人影。あの無意味な動作は、ただの学習ミスでは無いらしい」
「どういうこと?」
「あの動きは.....灯だ。機敏さなどの再現度も高い。.......あまり遠くないかも知れない。俺たちが完全に模倣されるのも」
「成る程......予想以上ね。見取り八段かしら」
「あぁ、あまり悠長に構えてもいられないだろうな」
頼人が再び麓へ向けて、対物ライフルを構えた。
「今は動きだけだが、能力までも再現され始めたのなら、圧倒的に不利だ」
ガァン......ッ!........ガァン......ガァン............
体を打ち震わす程の轟音がこだまする。
遥か遠方の人影が、気づく間も無く弾け飛んだ。
「そろそろ交代の時間じゃないか?奏」
「あ、うん。そうだね」
昼から交代し、戦闘訓練を行う手筈だった頼人達。しかし、今日も人影の侵攻がパタリと止まった。それもそのはず、隼也と灯が正午前に出会った、ある人影を倒したからだった。
昨日の魔獣型とは違い、人間サイズの人影。
その右手には、見覚えのある剣が生えていた。
その剣は隼也の妖剣。色こそ違えど、デザインからサイズから、何から何まで同じものだった。
しかし、所詮は人影。そう思い挑んだ2人は思わぬ苦戦を強いられた。力、機敏さ、耐久性など、それまでの人影とは一線を画していたのだ。
まるで隼也そのものを模倣し始めているかのような人影に、隼也達は戸惑いを隠せなかった。
案の定、夜には作戦会議が行われる事となった。
極力、自分の能力を使わない事。そして単一の技で倒す事が通達された。
前者は、能力の模倣を懸念しての命令ではあるが、現状でより効果が実感できたのは、後者の対策だった。
数日も経つと、人影の攻撃はワンパターンになり始め、白狼天狗の討伐隊以外の、防衛隊でも簡単に対処ができるようになった。
そうして、1ヶ月程度が立った日の夜.......。
「また、眠れないなぁ」
布団からムクリと起き上がったのは、凩谷灯だ。
一つ伸びをしてから、音を立てないように拠点を抜け出して、屋根の上へ登っていった。
ソワレと出会ったあの日以来、偶にこうやって空を眺めながら待ってみる。
あれから一度も現れていないが、再び出会える気がして、何度も訪れてしまう。
「ソワレさん。いないんですかぁ〜?」
何の気なく空へ、呼びかけて見る。
「気付くとは、成長しているわね。灯」
「うぉっ!?マジか!」
目の前の空間にノイズが走り、少女の姿のソワレが姿を現した。
「ホントに、どんなトリックなんですか?それ」
「ふふっ、自分で解き明かして見なさいな」
能力について尋ねても、さらりと躱されてしまった。
「それはともかく.....」
ソワレは真剣な目つきで灯を見つめた。
「今回は、少し事情が変わってしまったから、ここに来たの」
その声色に何かを感じた灯も、真剣な表情に変わる。
「事情って....なんですか?」
「妖気性生命体って、知っているかしら?」
妖気性生命体。聞き慣れない言葉に首を傾げた。
「えっと....なんですか?それ」
「あぁ、貴方達は『人影』って呼んでたわね。......その人影についてよ」
灯は不信感を抱いた表情を浮かべた。
「人影?最近あいつらは弱くなっているはず。何が問題なんですか?」
「灯くん。それは視野狭窄よ。人影はここにしか存在しないなんて、そんはなずはないでしょう?」
「 ど、どういう事なんですか.....?」
「彼らは繋がっている。数多の個体の様に振舞いながらも、全ては共通意思によって動いている」
「共通意思って.....あいつらに何か目的でもあるんですか?」
少しの沈黙。
「.......さぁ?」
「は?」
「知らないわよ。そんなの」
「はぁ......?」
ぽかんとした表情の灯。ソワレは肩をすくめる。
「それを調べて行くのも、今後の課題よ」
「灯くん」
「はい?」
「皆と一旦別れて、私と行動するつもりはないかしら?」
「え?それは....」
灯の脳裏には、頼人の顔が過っていた。
信用できるという根拠を示して貰わなければならない。今の時点で、ソワレに対する信頼は一切ない。それが灯の口を噤ませた。
「そうよね。出会って程ない他人から、一緒に来ないかって言われても、不審でならないでしょう」
ソワレもそれも当然だと頷く。
「これから私がいう言葉は、全く嘘偽りのない真実よ。.......私は、貴方がダメならば、奏さんに声をかけるつもりだった。だけれど、一番に貴方に声をかけたのには理由がある。その理由とは......貴方が、最も人影と似通った性質を備えているからよ」
「俺が....人影と.....?」
その言葉を聞いて、背筋が凍りついた。あの人影と似通っていると。その言葉の真意は分からないにしろ、灯にとって耳を疑う言葉であったことは想像に難くはない。
「勘違いしてはいけないのは、これは貴方の素晴らしい才能の話をしているということよ。貴方は、他の3人とは比べ物にならない程の、それこそ数倍もの妖気に対する『感応力』を持っている」
聞き慣れない言葉に、困惑の色を浮かべる灯。
「感応力とは......言葉の通り、他の妖気に対し、鋭敏に感知し応じることの出来る能力のことよ。ここ一月程、私は貴方達の戦い振りを見ていた。そこで貴方のその才能に気がついたわ。貴方は人影を主に3通りの方法で倒していた。一つは氷の左腕による冷気、次に氷の右腕による機械的な破壊。そして、最後に、両腕を融合させた氷の片腕による破壊。この中で、私が注目したのは3つ目。左腕の冷気と、右腕の力を融合させた片腕は、腕の形に留まらず、まるで、そう....獣の顎門のように人影を噛み砕いていた」
灯が生唾を飲み込む。
確かに、多用こそしなかったものの、魔獣型のような強敵相手に、その技を使用していた。
『凍えたツァンナ』
そう名付けた技だった。
冷気と力を兼ね備えた大顎は、たとえ、魔獣型のような巨大な相手であっても、一撃で致命傷となり得るダメージを与えることが出来た。傷の深さは勿論の事だが、その冷気は喰い裂いた箇所から氷漬けにし、動く事さえも許さない。
今の灯にとって、一番の大技といっても差し支えのないものだ。
「貴方は、その腕が備わってから無数の人影を倒してきたはず。そして、人影の返り血を、その腕は啜り続けていた。そして、充分に力を蓄えた腕は、その顎を再現するに至った。最初は、腕しか使えなかったのではなくて?」
灯は、心臓が締め付けられるような感覚を覚える。ソワレの推測は完全に当たっていた。
図星だったからこそ、返す言葉が見つからない。
「当たりのようね。人影を倒して、新たな力を発現したその腕。それは、他でもない貴方の力あってこそなのよ。その腕は『鉢植えの芽』でしかない。その芽に、水を汲み、与えたのは他でもない貴方の力よ」
「俺の、才能.....」
「そう。その異様な感応力は、見ず知らずの妖怪相手に、言葉にできない親近感を覚えさせる程のもの。これから先、更に多くの妖を、その腕で喰らう事になるでしょう。その度に貴方は、その妖気に感応し自らの物にしていくはず。つまり、貴方には大きな伸び代がある。今は、他の3人に対し、劣等感などを感じているかも知れない。しかし、それは一時のまやかし。貴方は格段に強くなる」
「俺が......?」
ソワレを信用できない。その為に着いて行くことが憚られる。そう思っていた灯の意思。
それは、ソワレの言った、他の3人に対する劣等感という言葉に、大きく揺るがされた。
隼也と頼人は言わずもがな、格が違った。今勝負すれば、手も足も出ないだろう。
奏にも、目の当たりにしただけで恐怖を抱く程の妖気量と、背に描かれた無数の術式がある。
劣等感を感じざるを得なかった。皆を見上げているような気がしてならなかった。
ただ、隣に並んで共に笑って居たかっただけなのに。
「私の言葉は、信用するには足りないかも知れない。貴方が望むなら、私を、今ここで喰い殺すと良い。或いは、私の力の一端を貴方は手に入れることができ、私は私の言葉を証明できる。それに、貴方のことは、私の意思を引き継ぐ者が迎えにくる」
ソワレは両腕を広げ、無抵抗のまま、灯の方へ一歩踏み出した。
「俺が強くなれば、皆とずっと一緒に居られるかな?」
「それは私にも分からない。唯一つ言えることは、貴方は皆を守る強さを手に入れる事ができる。それだけよ」
ソワレの力強い言葉に、灯は頷いていた。
「分かった。着いて行くよ。少しの間の別れかも知れないけど、それでも俺は、皆の背中を守れる力が欲しい」
信用できるという保証もない。騙されないという確証も無い。しかし、この一か八か、分の悪い賭けでもやってみたい。そう思える程に、魅力的なリターン。
「分かった。それなら、直ぐにでも向かいましょう」
「ちょっとだけ、待って」
灯がソワレを制止した。左手で氷の結晶を作り出すと、拠点の玄関の方向へ。皆がすぐに見つけられるであろう場所へと放り投げた。
「いいよ。行こう」
「そうね」
ソワレがそう言うなり、ほんの一瞬の微弱な妖気の波動を感じた。
辺りを見渡すが、あまり変化は感じられない。
「まだ理解できないかしら?」
「うん。何が起きてんの....?」
「時を止めたの。私達の出す音以外の音が聞こえないでしょう?」
「ほ、ホントだ.....」
言われてみると、良く分かった。確かにお互いの声や衣擦れや足音など、2人が起こした音は、普段通りに聞こえてくる。
しかし、それ以外の音、風や蹴られた小石が転がる音などは、無声映画のように何も聞こえない。
しかし、そのような変化は些末な事である。何よりも驚くべき事は、ソワレにあった。
先程まで、一切感じられなかった妖気が嘘であったかのように、今は絶大な力を感じさせる。
圧倒的な存在感。一度目の当たりにすれば、目を反らせないほどに。
「私は、貴方達が良く知る時間にはいない。私の時間の中でしか、本来の私は知り得ないの」
ソワレが左手を前へ差し出すと、その手の内に剣が現れた。
まるで芸術品のように美しい。金属光沢を放つ表面。シンプルな黒一色の材質に見えるが、その造りは非常に繊細。まるで超大作の切り紙のようだ。
逆手に持たれたその幅広の剣を、大きく引き、裏拳のように躊躇なく前方の空間へと叩き付けた。
ビシィッ!!
目の前の空間が、まるで鑿で叩き付けたガラスのようにヒビが広がる。そして、剣を引き抜くと同時に、その破片が全て飛び散った。
「こ、これは......」
灯の口から、意図せず驚きの言葉が零れだす。
目の前にポッカリと空いた空間は、名状しがたい闇が広がっている。例えようとも言葉が見つからない。いや、認識が出来ていない。
「ここは、世界と世界の隙間。今から、ここを移動する。何もかもが存在しない『無』の中をね。目指すのは、『基底世界』。......貴方の故郷よ」
「い、いや.....ここ、入れんの?」
「ええ。但し、ここから基底世界までは.....そうね、時間が存在すると仮定して、1ヶ月程度かかる。その間、貴方は強く『自分は存在している』と言う事を信じていなければならない。その硬い意思が綻べば、無に還ることになる」
「うわ......すっげー後悔してきた」
「そうでしょうね。ただ、私から一つ提言があるの」
「提言?」
「貴方はこれから、この中に踏み入る。決心に10秒、踏み出すのに2秒。その後の1ヶ月間を、私の能力で圧縮する。1ヶ月が1秒になり、計13秒で対岸へ辿り着く」
「そんな事が出来るのか!」
「ええ。貴方は無に立ち入る1秒間、全力で自分の存在を信じれば良い。一番、確実性の高い方法よ」
「是非それでお願いします」
「分かったわ。......時間」
ソワレが灯へと手を向けた。
「.......圧縮。さぁ、行きましょう」
身体をソワレの妖気が通り抜けたのが、はっきりとわかった。
ソワレが無へと足を踏み出す。灯もその後を少し躊躇った後、勇気を出して踏み出そうとした。
「270万倍弱の苦痛に1秒間耐え切ることね」
「え?今なんて?」
ソワレが今、何か不穏な事を言った気がした。
しかし、時既に遅し。踏み出した足は止まらない。
一歩、踏み入った瞬間、心が削られる。
いや、削られるどころではない。早すぎて、消し飛ばされているように錯覚する程だ。
過去最長の1秒間。延々とソワレの背を追うビジョンが、一瞬の内にドッと流れ込んでくる。
削ぎ落とされた精神が自重に耐えきれず、折れてしまう寸前、1秒が経過していた。
「あら、失神したのね。まぁ、初回は仕方ないでしょう。良く耐えたと褒めるべきね」
整備された公園のような場所に、倒れた灯と、それを見下ろすソワレは現れていた。
2人の周りには、写真のように停止した幾らかの人と、風に巻き上げられた枯葉。
「少し、休みましょうか。別段、急がなければならない用件でも無い」
そういうと、死んだように眠る灯の側へ、ソワレも腰を下ろした。
ソワレがこめかみを指で押さえて、瞳を瞑る。
「あー、グラファ?聞こえているかしら?基底世界に到着したわ。ただ、灯くんのが疲弊しているから、少し休息をとることにするわね。貴方なら、私達の位置も分かるでしょう?すぐに向かって頂戴。時間を加速して待ってるから」
瞳を閉じたまま、此処にはいない誰かへと語りかけたソワレ。
瞳を開くと、静止していた世界が、非常にゆっくりと動き始めた。
「う〜ん......頭が痛い」
重い偏頭痛に苛まれ、覚醒させられた灯。
ふらつく体を起こすと、そこは薄暗い空間だった。
とても見覚えがある。最近は不思議な体験の連続だったからか、既視感かも知れない。
そんな事を考えていると、目の前にフワフワと浮かぶ光がある事に気がついた。
何だろうか?この光が、とても懐かしい気がする。しかし、何だったかは思い出せない。
自分にとって大切な何かだとは、理解できるのに、肝要な部分はさっぱりだ。
ただの光かと思っていたそれは、よく見つめてみると、ある形をしていた。
獣の両腕。
肩まである右腕と、前腕のみの左腕。
そして、口。
半開きの顎からは、鋭い牙が覗いている。
これは何だったっけ?
いや、この子は誰だっけか?
幾ら必死に記憶を遡っても、これと合致するものは、皆目見当が付かない。
頭を捻る灯へ向けて、何処からか声が響く。
「あの頃は影が2つ。今は1つ。僕はもう隣に居たいなんて、贅沢は言わない。それでも、君の役に立てるなら、何だってするよ」
「君は、誰だっけ....?」
「影を失った.....君の親友さ」
「うう.....何なんだよ......。さっぱりだ.....」
「いつか、もし、影を取り戻せたなら、もう一度、君に会いたいな」
「何が言いたいんだよ......」
「過ぎた願いだよなぁ」
「何か、言ってくれよ.....」
「君に会って、話がしたいというのもね.....」
光がふわふわと宙に散り、灯の体へと引き寄せられる。
それらは、肩に舞い降りた雪の結晶のように、すぅ.....と、灯へ溶け込んで行った。
その瞬間、何処かへ引き寄せられるような感覚を覚え、そのまま、再び意識が途切れていた。
ツンツン........
頰に、弱く刺すような違和感を感じる。
ツンツン.......
手で払い除けても、それは巧妙に躱してちょっかいをかけてくる。
「うぅ〜.....ん」
不快感に身を捩る。しかし、それは頰について来て、違和感を与えようと狙っているようだ。
カリッ.....!
「痛っ!」
いきなり襲いかかって来た、引っ掻かれるような痛みに、思わず飛び起きた灯。
「グッドモーニング。凩谷灯くん」
「うぉ....っ!?」
真横から聞こえた声に振り向くと、灯は驚いて後ろへ転げた。
目の前にあったのは見知らぬ男の顔。その男の手には、やたら豪華な作りの万年筆が握られていた。
「いやぁ〜、そんなに脅かすつもりは無かったんだけどなぁ」
長身で細身の男が、尻餅をついた灯を、屈んで覗き込んでいる。
未だにヒリヒリとした感覚が残る、万年筆で引っ掻かれたらしい頰を撫でる。
良かった。血は出てないらしい。
「はじめまして、凩谷灯くん。僕は『グラファ』。ソワレの伴侶です」
そう笑顔で言うグラファの後頭部を、ソワレが足蹴にしていた。
「適当な事を言うな、馬鹿者。灯くん、申し訳ないわね。こいつはこういう奴だから、あまり真面目に相手しない方がいいわ」
グラファは足蹴にされたまま、溜息を1つ吐いた。
「僕だってねぇ、君に少し不服なんだよ?ソワレ。時間を止めたまま、メッセージを送ってこないで欲しいと、何度言えば、了承してくれるんだい?」
「貴方がソルと親友になるくらいかしらね」
「あぁ.....永久に訪れないらしい」
ソワレが足を退けると、グラファが立ち上がる。
「さてと、凩谷灯くん。そろそろ立てるかい?」
「え、あっ、はい」
灯も埃を払い落として、ゆっくりと立ち上がった。
「君は世界の構造について、知っているかな?」
灯は首を傾げた。世界の構造?誰かに習った訳でも無いし、教えてくれる者がいるはずも無く。そんなもの、知る由も無い。
「ごめんなさい.....何のことか」
「まぁ、知らないってのは、僕も把握しているよ。君が変な見栄を張らないか、試してみただけさ。......あんまり無駄な事をしてると、ソワレから何をされるか分かったものじゃ無いし....直ぐに本題に入ろうか」
横目でソワレをみると、いつの間にか、右手にも長剣を取り出している。
グラファは、その手に持っていた万年筆を使い、目の前の空間で図を描くように動かした。
すると、空中に万年筆の軌跡が浮かび上がる。
Uの字の中央に縦線を1つ書き足したような、縦線1本が途中で3つ又に分かれたような図が描かれる。最も近いのは、Ψの形だろう。
「これが現在の世界の略図だ」
「略図......。これが?」
「そう、その通り。まず、今現在、僕たちがいるのはここだ」
グラファは最も長い中央の線を指した。すると、線の末端に『基底世界』という単語が浮かび上がる。
「『基底世界』とは、人間や妖怪が普遍的に存在し、お互いに認知している世界となる。人は妖怪を怖がるし、妖怪はその恐れを糧に生きている。正に二者が共生している世界だ。因みに、標準的なエネルギーは電気だね」
「ここって.....俺の故郷って言ってたよね?」
灯がソワレの方を振り返ると、彼女は頷いていた。
「ええ、そうよ」
「ちょっと待って?俺、ここで妖怪とか何にも見たことないんだけど.......」
それを聞いたグラファが、フフッ、と笑いを漏らした。
「それはそうだろうね、凩谷灯くん。以前の君に、妖怪など見えなかっただろう。でも、心霊現象だとか、座敷童だとか、話を聞かなかったかな?」
それを聞いた灯がハッとした表情で手を叩いた。
「なるほど!あれって妖怪の仕業だったんだ!」
「そうとも。今の君が、テレビで心霊現象の番組なんかを見てみれば、5割程度は犯人が分かるはずだ」
「あー、残りの5割って.....」
正直なところ、半分は本物の怪奇現象だった事の方が驚きだ。
「そういえば.....ここ以外の、2つの世界って何何ですか?」
灯が宙に浮く図を指差しながら、グラファの方へ振り向いた。
「それは、また今度の話にするとしよう。ほら、見てみるといい。これだけ、一箇所に莫大な妖気が集中しているからね、光へと走る羽虫たちのように、お客さんが来たみたいだ」
グラファは、どこかはぐらかす様に話を切り上げた。指差す先を見ると、地面で原油の様に黒い水溜りが、ボコボコと泡立っているのが見えた。
「また人影が....」
灯が氷腕を構えた。
「やはりか。初期の頃よりも、形成時の出力が増している。これは少々、強力な個体になるぞ!凩谷灯くん」
気がつくと、公園にいた人々は姿を消していた。これなら心置きなく戦う事ができるはず。
「強すぎる幻想というのはね、現実と変わらないんだよ。凩谷灯くん。行き過ぎた幻想は、現実を創り変え始める。写真の上に、色鮮やかな顔料で空想を描く様にね」
左腕を指鉄砲の形にして、人影の出現すると思われる方へと向けた。姿を現した瞬間、撃ち抜いてやる。
差し向けられた人差し指と中指の爪が、鋭利に形を変えている。
「4人の中で、最も強い幻想を持っていたのは君だ。その氷の腕は、最早、幻想ではないんだよ。人の目にも映る程にね」
ズズ......ッ!
ドドシュッ!!
「来たっ!!」
水溜りの中から、立ち上がる様に姿を現した何かへ向けて、氷爪が撃ち込まれた。
1m程もある氷柱が突き立った何かは、立ち上がることもままならず、後ろへと倒れ込んだ。
丁度、緩やかな傾斜のせいで、その身体は見えない。しかし、妖気の気配が消えてはいない。と言うことは、まだ倒せていないということだ。
ビッ!!
突然の風切り音。咄嗟に身を屈めた灯の頭上を、冷気を放つ物が猛スピードで通り過ぎた。
ズドッ、と言う鈍い音が背後から聞こえる。
恐らく、投げ返されたと思われる氷柱が、地面へ垂直に突き立っている。その氷柱の直ぐ前にはソワレの姿。時を操って、軌道を変えたらしい。
「まだまだ、元気のようね」
「手伝ってはくれない?」
「厳しかったら言いなさい。頑張れるように応援してあげます」
「最高だね」
灯が右腕で地面を掴み、引き寄せるように勢いをつけて駆け出す。
左腕では、氷を盾のように展開する。
右腕で地面を押しつけて、大きく飛び上がった。眼下には、それまで隠れていた人影の姿がある。
「結構、ワイルド系じゃん。そのセンスは分かり合えないけど」
筋骨隆々とした体躯。大まかなシルエットこそ、人間に似通ってはいるものの、所々、明らかに違う筋骨格をしているのが分かる。
まるで、おとぎ話や映画に出てくるような『人狼』のようだ。
良く見てみると尻尾も備わっており、毛並みも再現されているらしい。
頭上から氷爪を立て続けに撃ち下ろす。
人狼型はそれを素早い動きで避けながら、灯の着地点へと陣取った。
「おらっ!」
落下速度を合わせた右腕の拳が、容易く地面を砕く。しかし、その一撃も見越していたかのように、人狼型は回避していた。
「ファー付け過ぎじゃない?俺が良い感じに毟ってやるよ」
地面を叩きつけ、一直線に氷柱を突き出す。
それを横っ跳びに躱した人狼型は、一気に灯へと詰め寄った。
勢いを付けた右。灯の横腹へ突き刺さると思われた拳は、ゴンッ、と響くような音と共に硬いものに阻まれた。
「危ないなぁ?!そんなことしたら怪我するじゃん!君の手が」
氷の盾を殴りつけた人狼型の右拳へ、無数の氷柱が突き刺さっている。
飛び退いた灯の左氷腕は、盾とは思えない程の氷柱が立っている。これでは、攻撃した方が痛い目を見るのも当然だろう。
しかし、人狼型も、能力は高くとも人影の一種らしい。痛みを感じる様子もなく、氷柱で打ち付けられたままの拳で、更に飛び掛かって来た。
灯が地面を押して、再び飛び上がる。人狼型も、それを追って飛びついた。
振り抜かれた爪が、灯の服の裾を僅かに切り裂く。灯は少しムッとした表情を浮かべた。
「トリミングしてやるから、動くんじゃねーよっと!」
灯の足下を起点に、塔のように氷塊が生み出された。それに押し上げられる形で、更に加速する灯。
人狼型には手掛かりが少な過ぎる為、その塔を追って登る事が出来ないようだ。勢いを失い、地面へと着地する。
灯は高所で、両腕を融合させる。更に大きく、冷たく、禍々しくなった右腕。その爪の形状を、巨大な刃のように作り変えた。
「冷淡なるアンギア」
人狼型へと向けて灯が滑り降りる。
灯の通り過ぎた後には、氷の道が残されていく。速度を増しながら、落下に近い角度で滑降する。
人狼型は重心を落として、回避の体勢を作る。瞬きもしないうちに、灯が眼前まで迫った。ギリギリまで引きつける。直前であればあるほど、追撃が来ない。
まさに紙一重。爪が腹部を掠めた。
避けた。そう確信した瞬間。足首を地面からガッチリと掴まれたように、動きが止まった。
地面から突き出した氷柱が、踏み切り足を巻き込んで固まっている。
宙に固定された人狼型の眼前に、通り過ぎたはずの灯が、再び姿を現した。
人狼型の横に残された、息を呑むほどに美しい氷のループ。
灯に両腕の融合を許した段階で、人狼型の詰みが決まっていたのだ。
ザンッ!!
身体を異物が通り抜けて行く。
4つの刃に切り落とされた身体は凍りつき、冷気と白霧を纏った氷像へと変わっていた。
人狼型の氷像が地面へ散らばると同時に、それまで灯が生み出していた氷の道が粉砕する。
細かな氷の結晶が光を乱反射し、この世の物とは思えないような眺めを生み出す。まるで戦いの場とは思えない結末の中、灯は地へと滑り降りた。
「ちょっとだけ、やり過ぎちゃったな」
氷腕を収めると、周囲を取り巻いていた冷気は、夢だったかのように綺麗さっぱり消えてしまった。
灯の目の前には、随分と荒らされた広場が広がっていた。
灯が少し落とした肩を、いつのまにか背後から現れたソワレが叩いた。
「流石と言わざるを得ないわね。正直なところ、ここまでの能力があるとは想像していなかった」
ソワレは懐から、何かを取り出すと、戦闘で壊された箇所を四角で囲むように、4点、地面に突き刺した。
灯が、それをしゃがんで良く見てみると、おぉ....と、感嘆の声を零した。
ソワレの持つ剣と同じように、繊細な細工が施されている。しかし、剣とは言えない程に細い。針と言った方が近いだろう。
耳を澄ませてみると、規則正しく、チッ......チッ......チッ......と、鳴っているのが聞こえる。
「灯くん。それから離れなさい」
「は、はい!」
ソワレの忠告に従い、すぐに針から離れた灯。それを見届けたソワレは、針に囲われた四角形へと掌を向けた。
「時間.........遡行」
そう唱えた瞬間、飛び散っていた土や捲れた芝生が、逆再生のように、見る見るうちに元の位置へ戻って行く。10秒もかからないうちに、元通りの綺麗な広場へと戻っていた。
「す、すっげ.....」
「ふぅ.....時を巻き戻すのは、少し消耗するので、極力避けてくださいね?」
額に滲んでいた汗を拭きながら、ソワレが深呼吸をして息を整えた。
「はい....」
とは、言われても、実際に戦闘が始まってしまった時、自分には、それを気にする余裕などあるのだろうか?
灯は申し訳なさと同時に、不安も感じる。
「さてと.....そろそろ、行こうか。あまり足を止めていても、妖気性生命体が寄り付くだけだろう」
芝生に座っていたグラファが、立ち上がって、服のゴミを払い落とした。
「そうですね。拠点まで行けば、奴らの襲撃もないでしょう」
ソワレとグラファが歩き出す。それを急いで灯が追いかける。
「今から、拠点へ向かいます。灯くん、貴方は私達について行くと、強く誓って下さい」
「え?は、はい」
ソワレがそう言うのなら、何かしら意味があるんだろう。
「分かりました!俺は必ず2人について行きます!」
「よろしい。時間・跳躍」
「うおっ!?」
ソワレが術を宣言した直後、気づくと周囲の景色がガラリと変わっていた。
暖色系の間接照明に照らされた、薄暗いバー。
突然現れたかのように思われた3人を、マスターは何事も無かったかのように迎える。
グラファがカウンターに座り、いつもの、と注文すると、マスターはすぐにカクテルを作り始めた。
「えっと....?俺、未成年って事でいいんですよね?」
「構わないわ。マスター以外の人間には見えてないから、お咎めも無しよ」
今は、灯よりも背も低く、幼い見た目のソワレに聞く。まるで似ていない兄妹のような組み合わせは、側から見れば、場にそぐわない光景だろう。
「マスター以外に見えていないって.....どう言う事なんですか?」
「えぇ、基本的に妖怪は人間の目には見えないものなの。霊感が強かったり、家系に妖怪が混じっていたりしない限りはね。マスターも、元は見えない人間だったのよ」
「えぇ。ですが先日、グラファ様に、この視界を与えてもらったのです」
グラファの前にグラスを置きながら、マスターがそう話す。
「割り込んでしまい、申し訳ございません」
「いいえ、いいの。バーのマスターと宣教師は話好きばかりでしょう?」
「はははっ!いやはや、その通りです。ソワレ様」
グラファがカクテルを少し含み、飲み込んでから口を開いた。
「凩谷灯くん。そう言えば、君には、僕の力を教えていなかったね」
そう言うと、懐から本と、万年筆を取り出し、カウンターの上に置いた。
その本は、片手で使える程度大きさであり、革張りの表紙には題名が無かった。しかし、壮大ながらも穏やかな妖気を纏っていることから、妖に関する物品である事は容易に分かる。万年筆も同様に、荘厳な妖気を帯びていた。
「この本の名は『プラグマ』。この万年筆が『アナセィ』。僕はこの本を、この万年筆を用いて、改訂や追記することが出来る」
「はぁ....」
どう言う意味だろうか?
ペンで本へ書き込めるのは、当然だろう。
「まぁ、これだけでは分からないだろう。実例を挙げよう。マスター、水をグラスに半分ほど貰えないだろうか?」
グラファが右手で本を持ち上げ、開いた。こっそりと覗き込んでみるが、ただの白紙のページのようだ。
「どうぞ」
グラファの前にグラスが置かれる。
「今から、この水を選択する。......本来なら口に出さずともいいが、今回は説明だからね」
グラファがそう宣言すると、白紙だったページへ、両面にびっしりと文字らしきものが浮かび上がった。別に文字に詳しいわけではないが、灯の記憶にある中では、該当する文字が見つからない。
「今、『プラグマ』に浮かび上がっているのは、この少量の水の情報と定義さ。ここで、『アナセィ』の登場だ。このページの一文.....『重力の影響を受ける』と言う箇所を、『アナセィ』で改訂する」
グラファがページの一部へ、万年筆を近づける。既に文字が書いてある箇所へ、その上から被せるように文字を書き込んだ。
しかし、元あった文字は幻のように消え、新しく書き直された文字が連なっている。その際、少々ずれた文字間隔は、気付かないうちに修正されていた。
グラファが、パタンと本を閉じた。
「これで編集確定だよ。重力の影響を受け『る』の箇所を、重力の影響を受け『ない』、と改訂した。つまり、グラスの水は、ありとあらゆるの重力の影響を受けなくなる」
グラスを持ち上げ、逆さにする。
水はグラスの中で球体に纏まり、落ちてこない。ゆっくりとグラスの方を引き抜いた。
昔見た、宇宙飛行士のメッセージビデオにあったワンシーンのように、水は概ね球形に纏まりながらも、触れると容易く形を変える。
「宇宙空間へ持っていった訳ではないから、これから先、僕が再改訂しない限り、この水は重力の影響を受けることはない」
カウンターへ置かれた空のグラスの中へ、水を指で誘導する。そして、再びグラファが本を書き換えた瞬間、重力を思い出したかのように、水は落下した。
「これが僕の第一の能力『改訂』。......次を見せよう」
開いたままのページに、サッと何かを書き込んだ。
グラスにも水にも、外観の変化は全くない。不思議に思った灯は、グラスを手にとって持ち上げた。
「ん?どこが変わったんだろ.....熱っ!」
灯が咄嗟に手を引く。カウンターに落ちたグラスは倒れ、水が溢れた。
しかし、広がった水からは湯気がもくもくと立ち昇り、手を近づけると熱気も感じられる。
「はははっ!すまない。先に言っておくべきだったね」
ソワレがグラスの時間を、灯が持ち上げる直前まで巻き戻した。
グラスの中の水は、グツグツと煮立っている。
「今、僕はこのグラスの情報と定義へ、『追記』したんだ。『注がれた物質が水であるならば、沸騰させる』と追記したから、追記の通り、この水は沸騰した」
グラファが、開かれたページを指で撫でた。すると、沸騰が次第に緩やかになり、やがて気泡は治った。
「追記した文を消した。これで元通りだ。ふぅ.......改訂よりも、追記の方が消耗が激しいんだよね」
「凄い能力だね.......まるで、神様みたいだ」
灯は感心した。まだ、グラファの能力について、深い所まで理解できているとは言い難いものの、どれだけ万能な能力であるかは、想像に難くない。
「当然といえばその通りだけど、この能力は発動にはいくつか条件がある。条件を満たさない場合でも、保有する妖気が一定量以下の物質や生物は、自由に改変できる。しかし、ある一定のラインを超えてくると、自由にとはいかないんだよ。物ならば妖気を多分に消費するし、生物ならば抵抗される」
「ただし、1つでも条件を満たせば僕の自由だけどね」
本をポンッと閉じたグラファが妖しい笑みを浮かべた。
「その条件って....?」
灯が恐る恐る聞く。
グラファが敵に回らないとも限らない。少なくとも、今のところ、掴み所がないとしか言いようが無い印象だ。
条件を知ることができたなら、隼也たちと対策も取れるはずだ。
「1つ目は、僕に対して、強烈な印象ないし感情を抱いていること。恐怖や恨み、好感なんかでもいい。とにかく、僕への強い感情が必要だ」
「2つ目、僕と縁が深いこと。ソワレはこれが当てはまる。この条件に抵触する人物は殆ど居ないから、君達が対象となり得るのは1つ目のみだね」
少しの間の静寂の後、灯が口を開いた。
「その2つが条件?」
「そう、その2つは僕の能力の条件だ」
「わかった。ありがとう」
強い感情。
今はまだ、どこが裏の見えない人物だなと言う印象はあるが、強い印象や感情などはない。
1つ不安があるとすれば、グラファが無条件に能力を行使できる『妖気量が一定以下』というのが、どのレベルなのかが分からないということか。
「そろそろ行きましょうか。灯くん」
ソワレが飲み物を飲み干して、立ち上がった。
「どこにですか?」
高めの椅子から飛び降りたソワレ。少し見下ろす灯は、首を傾げた。
「人影の元凶の確認よ。推測の域は出ないけども、最有力候補の一つね。尋ねてみて、正直に答えてくれれば、御の字かしらね」
「人影の元凶ね.....」
正直なところ、嫌な予感しかしない。
どんな凶悪なやつが出てくるのか、不安になる。
「僕はここで待つことにするよ。戦闘は得意じゃないからね」
グラファが背を向けたまま、グラスを傾けた。
ソワレが少し不機嫌そうな顔をする。
「マスター、そこの酔狂人に請求しておいて下さい」
「畏まりました。行ってらっしゃいませ、ソワレ様。無事をお祈りしています」
辛辣なソワレに苦笑を零しながらも、マスターは慣れた様子で送り出してくれた。
ドアから外に出ると、雨音が聞こえてきた。
狭い階段を登り、地上へ出ると、強めの雨が降っていた。
しばらく降り続いていたのだろう。排水溝からは、水が勢いよく流れる音が聞こえる。
ソワレが屋根の下から出て行った。
灯の、濡れるんじゃないだろうかという心配は全くの杞憂で、ソワレを中心としてドーム状に、薄い膜のように雨が停止している。
「行くわよ。早くここに入りなさい。灯くん」
手招きするソワレに従って、すぐ後ろへ続く。
ドームの中から見ると、幻想的な光景だ。
頭上すれすれの位置で突然、ガラスにでも当たったかのように、雨がピタリと止まってしまう。2人が通り過ぎた後で、時が止まり、溜まってしまった雨が一気に降り注ぐ。
運悪くそこに居合わせてしまった通行人が、ズボンの裾を激しく濡らしてしまい、慌てふためいている。
それも当然のはず、雨が空中で止まっているとも思わなければ、灯たちの姿も見えないのだから。
なんとも言えない罪悪感を感じながらも、灯はソワレに置いていかれないように、必死に後を追い続ける。
「どこに向かってるんです?」
ソワレを背後から覗き込みながら、灯が聞いた。
「この周辺で最も、妖気の揺らぎが強い場所へ。この揺らぎは、私や貴方、グラファの起こしたものではない以上、第三者が起こしたもののはず。人影の元凶か、人影そのものか、この世界の妖怪か」
「そっか、この世界にも妖怪はいるんだっけ」
灯自身、自分が妖怪と分類される存在であると実感がわかない。そもそも、これまでみた白狼天狗などの妖怪たちは、狼耳と尻尾が生えただけの人間と言っても、差し支えないレベルで人間と近しい姿をしていた。
最初に出会った時は、内心、コスプレの集団じゃないかと疑った程度には。
心霊特番の、あの胡散臭いVTRの半分ほども妖怪の仕業と言うのも、冗談にしか聞こえないだろう。
しかし、自分を守ってくれる氷の腕や、知り合ったみんなの力を見ると、信じざるを得ないのだろうと思う。
「そういえば、灯くん。貴方は、その力を手に入れた経緯は知っているかしら?」
「氷の腕のことですか?」
「えぇ。恐らく、貴方の妖気への感応力を利用して、誰かが与えた力ではないかと私は思うの」
「それは.....」
ソワレの言葉に、少し胸が締め付けられる気持ちだった。この力が、誰のものだったのか。
生前の記憶は一切欠けていない。いや、欠けていないと思っているのに、それだけは分からない。
「言いにくいことなら、別に無理はしなくていいのよ。ただ、その根幹が知れれば、今後の成長の方針が、少しは見えてくるかと思っただけよ」
「ごめんなさい......」
「いいえ、気にしないで」
申し訳なさげに謝った直後、何かを感じた灯が路地裏へ視線を移した。
「ん?何か....」
「どうしたの?灯くん」
ソワレは気づいていないらしいが、灯には分かった。路地裏、かなり奥の方だろう。
かなり微弱な妖気を感じる。人影のものと近い雰囲気だ。しかし、人影たちの帯びた混ぜ物のような、汚濁した妖気では無いような気がする。もっと、こう.....純粋な妖気だ。
「いや、この奥から、何か妖気を感じるんですけど....」
「?....私には感知できないわ。でも、感応力に優れる灯くんなら、格段に鋭敏に妖気を察知できるはず。貴方へ着いて行きましょう」
ソワレへ頷き返してから、灯が路地裏へと進んだ。
狭い。人1人が通るので精一杯だ。
室外機などの引っ掛かりに身体をぶつけながらも、奥へ奥へと進むにつれて、次第に妖気ははっきりとしたものに変わってきた。
ここまでくれば、ソワレもはっきりと感知できている。
かなりの距離を進むと、やがて、建物が開けている場所が近づいてくる。迷うことなく足を進める灯の肩を、ソワレが引き留めた。
「これから邂逅する者は、私と同じ種族よ。生半可な覚悟じゃ歯も立たないでしょうし、覚悟があっても、貴方に十中八九勝機はない。それだけは理解しておいて」
「分かりました。俺は前に出るなってことですね?」
灯の答えに頷くソワレ。
2人は狭苦しい壁から抜け出した。
「ここは.....?」
ぱぁっと一気に開けた視界。そこには、大都会のど真ん中であるとは思えないような、黄金色の枯草の草原があった。
四角の草原の中央に誰かが立っている。
その誰かは灯たちに気が付いたらしく、ゆっくりと振り返った。
「やぁやぁやぁ、ソワレさんじゃないっすか。お久しぶりですね!そう、前世ぶり!」
中性的な風貌の誰かは、大袈裟な身振りでソワレへ話しかけた。
中性的な風貌とはいえ、メンズのシルバーのアクセサリーなどを、ジャラジャラと身に着けているところを見ると、男性なのかも知れない。
「えぇ、そうね」
「今日はどうしたんすか?また、俺を殺しにでも来たとか?いやぁ、タイマン張っても俺じゃあんたに勝てないんだから、2対1とかオーバーキルっしょ」
ヘラヘラとしながら、ソワレへ歩み寄る。
ソワレは黙ったまま、双剣を召喚した。
「そーいえば、随分、縮んだんすね。良いんじゃ無いっすか?普段より可愛さ倍増とおもいますよ」
「ネロ。今回はあなたと戦うつもりはないの」
戦うつもりはない。その言葉を聞いたネロが目を細めた。
「へぇ.....それなら、何の用っすかねぇ」
「あなた、妖気性生命体に関与しているでしょう」
ドッ!!!
ソワレがそう言った瞬間、ソワレの背後の地面から、無数の黒い針が突き出してきた。それは背面から胸部を貫かんとして迫る。
「時間・停滞」
勢い良く迫り来る黒針は、ソワレの一声と共に次第に速度が落ち、やがて停止した。
悠々とソワレがその場から移動すると、黒針は全て消え去る。
恐らく、ネロからの攻撃だ。ネロな表情を伺うと、覆い隠そうともせずに怒りを剥き出しにしている。
「おい、テメェ.....。それ以上逆鱗に触れんなら、殺すぞ」
ネロの目の色が変わっている。こちらに向けられた殺気では無いとはいえ、鳥肌が止まらない。
根拠はないが、こいつはハッタリなどではなく、やると言ったら本当にやってしまう。そんな気迫がある。
「気に障ったなら、申し訳ない。ただ、妖気性生命体を構成する妖気が、あまりにもあなたのものと似ていたから」
「ぶっ殺す.....」
ソワレの姿へ一瞬ノイズが走り、成長後の姿へ戻った。長剣をネロへ突きつけるように構え、短剣を逆手に持ち、両腕を交差させるようにして構える。
「ふんっ!」
ネロが地面を踏みつけると、ソワレの両足を無数の腕が掴んだ。その腕は、ソワレの影の中から飛び出している。
まるで人影のような質感を持つ腕。
灯はソワレの言っていたことを、今やっと理解した。
ネロが前のめりに倒れ込む。
地面へ触れる瞬間、地面へ落とされたネロ自身の影の中へ、吸い込まれた。
ガッ!
「なっ!!?」
両足首を強く握られた感覚。しかし、足元を見下ろす間も無く、身体が振り回されてビルの外壁へ投げ飛ばされた。
いつの間にか、灯の立っていたはずの場所にはネロが立ったいる。
そう、ソワレの背後に。
「死ねっ!!!」
両足を拘束されているソワレへ、容赦無くネロが蹴りを放った。
「次元・低下」
カチッ......
ガッ!
ソワレがネロの蹴り足を掴み、軸足を払った。
ネロはそれに逆らわず、掴まれた蹴り足を軸に、ソワレのこめかみへ向けて踵蹴りを放つ。
顔を逸らし紙一重で蹴りを避け、懐から取り出した針を投げ付ける。
ネロは体の回転を生かして器用に躱すと、そのまま落ちて、影へ再び潜行した。
ソワレは、いつの間にか投げ上げられていた短剣をキャッチし、長剣を背へ担ぐ。
灯は今起こっていることに、ついて行けていない。気付けばソワレが拘束から抜け出し、短剣を投げ上げて片手を空けていた。
時間を操るとは分かっていても、何が起きたか分からない。
ガンッ!
ソワレの背後の影から飛び出したネロが、背中へ向けて膝蹴りを放った。
ネロの行動を先読みしたように、背に担いだ長剣で膝を受け止め、振り返りざまに長剣で水平に薙ぎ払った。
速い。
隼也の持つ妖剣とあまり変わらないサイズの剣。それを片手で扱っているにも関わらず、隼也の全力。つまり、両手持ちかつ爆発による加速を使った時のような速度で一閃した。
ズゥゥゥ.......ゥゥン.......
更に胸に響くような低音。
剣の軌道上に、三日月型に妖気の残光が生み出された。それは歩くよりも遅い速度で空を切る。
いつまでも消えない斬撃は、気の遠くなるほどの緩やかさとは思えない程の、鋭利な切れ味を持っており、少し背の高い草が綺麗に斬り落とされている。
その斬撃を受けたネロが、胴体を境に両断された。
ソワレが双剣を納める。
地面へ落ちたネロの体が影へ沈む。
そして直ぐに、ビルの影から何事もなかったかのように、無傷で現れた。
「てめぇ!手加減してんじゃねぇよっ!!!」
ネロが怒号を上げる。しかし、ソワレは既に納めた剣は抜かず、姿さえも幼いものへ変えた。
「今、俺を殺せただろうが!てめぇに情けをかけられる覚えはねぇよ!」
「もう充分。あなたの妖気は、妖気性生命体のものとは違うと分かった」
「自分勝手に引くのかよ!」
噛み付こうとするネロ。しかし、ソワレの反応は素っ気ないものだ。
「チッ......クソが。興醒めしちまった!」
ネロは足元の小石をソワレ目掛けて蹴り飛ばして、背を向ける。
小石は宙で停止し、ソワレも背を向けた。
ズズズ.......ッ
背を向けあった両者の間、地面から黒い妖気が盛り上がり始めた。
「人影だ!」
そう叫んだ灯へネロが振り向き、ニヤリと笑った。
「そこのお前、けっこーエグいネーミングしてんな。ま、あながち間違いじゃないけどさ」
ソワレとネロが極短時間とは言え戦ったのだ。
妖気に誘われる人影が寄り付くには、充分だった。
ブクブクと膨れ上がる妖気は、2mを越す人型を形成して行く。
それは、まるで竜を模したかのような威圧感のある鎧で身を固めた、大男の姿へ変わった。
それを見て、ネロが噴き出した。
「ぶっ!くくくっ......あいつパクられてやんの」
ソワレが灯の元へ歩み寄ってゆく。
「後は任せたわ」
「え?俺ですか?」
「ええ、私は武器を納めてしまったから」
「は、はぁ」
そう言われてしまっては仕方がない。
その場で何度か軽くジャンプして体を慣らしてから、一気に人影へ向けて駆け出した。
人影はネロの方を向いている。
走った勢いに任せて力強く踏み切り、腰部へ後ろ回し蹴りを叩き込んだ。
ドッ......
「あれ?」
渾身の一撃が入った。入ったはずと思ったのに、人影は微動だにせず、ゆっくりとこちらを振り返る。
「ごめんって」
ドガァッ!!
両氷腕で頭上でクロスを作る。そこへ人影の右腕が振り下ろされた。
強烈な力で叩き潰される。思わず膝をついてしまい、地面に亀裂が走るほどの威力。ここまで力が強かった人影はいなかっただろう。魔獣型でさえ、これ程の威力は中々出せなかった。
ビシィッ!!
「はぁっ?!」
嫌な音が響く。何か、ガラスのような硬質なものに、亀裂が走ったような音だ。
人影の追い討ちは続く。
重心が落ちた灯の側頭部を目掛けて、回し蹴りを放っていた。
一呼吸遅れて、受けに回った灯。回避はもはや間に合わない。受け止める他なかった。
人影の脚と氷腕がぶつかった瞬間、バギィ!!と、先程よりも大きな音を立てた。
両腕から力が抜けて行く。
いや、どちらかといえば、漏れ出して行くと言う方が正しいかもしれない。
全体に亀裂が走り、激しく損壊した両氷腕。その亀裂から青白い靄のようなものが立ち昇っている。
妖気が漏れ出している。漏れる妖気の勢いはすぐに弱まり、やがて氷腕の操作が利かなくなり、地面へとゴトッと落ちてしまった。
壊れてしまった。
あれだけ頑強だった筈の氷腕が、たかだか2発の打撃で、使い物にならなくなる程のダメージを.....。
氷腕と灯の腕のリンクは切れ、灯がいくら腕を動かそうとも、地に落ちた氷の彫像はピクリともしない。
余りの出来事に、敵前にも関わらず動きを止め茫然とする灯へ、人影が右手を振り上げた。
バスッ!!
唐突に聞こえた音と共に、ぐらりと人影が体勢を崩す。右膝を折り、膝をついた。
灯が背後を振り返ると、ソワレが小石を放り上げては受け止めて、遊んでいるのが見えた。
ネロの蹴り飛ばしていた小石の停止を解除。頑健な人影の膝にダメージを与えられる速度になるまで、小石のみ時を加速して撃ち抜いたのだろう。
「サンキュ!」
その隙に距離を取り、再び戦闘体勢を作る。氷腕が砕かれた事など、これまで一度も無かった。再び呼び出せるか不安は拭えないが、祈りながら両腕へ力を込める。
「アームズ!」
ぽう.....
灯の両腕が氷に覆われた。形は氷腕と同じものの、そのサイズは灯の腕と変わらない。
「あれ?ちっちゃ」
今まで4人の中で、最も力任せの、よく言えばワイルドな戦い方をしてきた灯。
別に巨大な氷腕であっても、今のサイズでも身軽さには全く影響はない。それでも、大きな腕があったら、力まかせに振り回して戦いたくなってしまう。
まぁ、ここで一つ、気分を変えて戦うのも悪くはないだろう。
「そんじゃ、ちょこまかと行きますかね!」
立ち上がろうとする人影へと、助走をつけてドロップキックを見舞わせる。両足へ纏わせた氷が砕け散るが、人影は何処吹く風で立ち上がる。
「やっぱ蹴りじゃ無理か〜。なら、こいつでどうだっ!」
飛び込みながら、右腕を振りかぶる。
人影はすぐに防御の構えに入った。攻撃する予定だった軌道を、人影の左手が遮る。しかし、それも構わずに、ガードの上から全力で殴りつけた。
ガキィン!
硬いもの同士がぶつかる音と共に、人影のガードが大きく弾かれた。仰け反る人影へ、今度は左腕でボディーブローを放つ。
完全に体勢が死んでいる人影の横腹へ、左腕が打ち込まれた。
打撃箇所を中心に、人影の体の一部が凍りつく。
ボッ....!
人影が灯を蹴り上げる。地面を抉りながらの一撃は、その威力を簡単に窺い知れる。
灯は身を捩り、ギリギリで躱しながら跳び上がって、人影の胸部を蹴りつけた。
人影を踏切板のように使って飛び退きながら、オマケとばかりに左腕の氷の爪を5発全て撃ち込んだ。
その内3発が命中し、着弾地点の狭い範囲が白く冷たく変わった。
サイズが小さい為か、効力も威力も大分落ちているらしい。普段なら大砲のような爪を撃てるはずが、今は本当に爪と同サイズのものだ。
「周りを気にしなくっても良いぶん、戦いやすいけど.....。技によっては威力は落ちるよなぁ」
人影が、灯を目掛けて地面を踏み切った。右肩を突き出すような姿勢は、全力でタックルをしますと言っているようなものだ。
横へ回避しようと、重心を落とした灯が目を見張った。
想像以上に速い。回避が間に合うかも分からない程の加速。
回避を失敗してノーガードで食らうか避け切るかと言う二択と、ガードして貫かれるか守り切るかの二択。一瞬に求められる判断、灯は安全を最優先に後者を選んだ。
直ぐに回避から防御に切り替える。落とした重心はそのままに、氷の両腕を融合して、右腕を盾へと変形させた。
ガンッ!!
ズドンッ!!!
「がはっ.....!」
一瞬、何が起きたか分からなかった。
咄嗟に取った防御姿勢。一瞬の衝撃と、空になった肺。体が背後から掴まれて動けない。予想以上のダメージに体が震える。
腕を振り払うと、パラパラという音と共に自由になった。
荒く浅い呼吸を繰り返しながら、現状を把握しようとする。
正面に見えるのは、人影。そして、両端にソワレとネロが立って、こちらを見ている。
横目で体を掴む正体を確認する。
体の真横には、コンクリートのようなものが見える。
なるほど。コンクリートの壁に半分めり込んでいるらしい。
改めて考え直すと、とんでもない状況だ。それほどの威力でコンクリートへ叩きつけられても、こんな事を悠長に考えられる程の被害で済んでいる。妖怪としての自分の頑強さには日々驚かされる。
両手で壁を押して、埋もれた体を強引に押し出す。体を引き抜き、地面に着地する頃には、人影がこちらへ向かって、ずんずんと詰め寄ってきていた。
「ほんっとに......自分で選んだ道とはいえ、シビれるねぇ」
融合された氷腕を正面に構える。
「豪然たるブラキア」
右腕を覆う氷腕が一回りサイズを増し、更に屈強な見た目となる。
『豪然たるブラキア』とは、灯の持つ技の中で最もシンプルな性能の技だ。
その効果は、氷腕の腕力の強化。普段は冷気を生み出している左氷腕の妖気リソースを、右氷腕の腕力へ回す。
融合腕だからこそできる荒技であるが、その効力は凄まじい。
融合腕の冷気と腕力の両立という特性を捨て、腕力に全てを注ぎ込んだ一撃は、隼也たち4人の中でみても、最高の威力を誇るものとなる。
「くらえよ」
体をたわめて、右腕を引く。
周囲を漂っていた冷気が完全に失せて、氷腕が輝きを増した。
横目で、人影が攻撃レンジへ入るタイミングを伺う。
間違いなく最強の一撃。しかし、全ての技で最悪の射程距離。
ゴッ......!!!
優勢だった事に気を抜いた人影が、不用意に間合いを詰めた。詰めてしまった。人影の腹へ目掛けて、打ち上げるようにアッパーカットが放たれる。
射程距離30cm強。極至近距離へ打ち込まれた拳が人影を見事に打ち抜いた。氷腕が触れた途端、鈍い音と共に人影の体が浮き上がる。灯の真下の地面が砕ける。
打撃箇所を中心に、人影の体に亀裂が走り始めていた。
打ち上がった人影と共に、打撃の勢いで浮き上がる灯。人影より高く飛び上がった灯が、再び右腕を引く。1度目より更に増した妖気を込めて、遅れて打ち上がってくる人影を殴り下ろした。
猛烈な勢いで地面へ叩きつけられた人影の全身へ亀裂が走り、更に深くなる。
人影を叩きつけた反動で更に高く浮き上がった灯は、融合腕の性質を反転させた。
「終熄へのフィアト」
あまりの冷気のために、冷気の影響を受けないはずの灯でさえ、左半身が凍りつき始めている。
左腕へと移した融合腕が放つ冷気によって、灯を中心として強風が吹き荒び、周囲の空気中の水分が固まり、キラキラと結晶が舞う。
「0k.....!!」
融合腕を振り上げ、氷の足場を蹴りつけて急降下する。地面へ近づくほどに、灯に近い地面へと真っ白に霜が降りてゆく。
融合腕が人影を地面へ叩きつけると同時に、巨大な氷塊が突き出した。人影は見上げる程に巨大な氷の中で、氷漬けになり囚われた。
囚われた人影を眺め回す灯は、氷をノックしながら首を捻った。
「芸術って言えばなんとかなりそうかな。.......いや、やっぱねーわ」
左腕を握り締める。
バシャァァァアンッ.......!と激しい音と共に、氷塊が勢いよく粉砕した。全身に亀裂を受け、氷に閉ざされていた人影も、当然のように氷と共に粉々にされた。
「ギャハハハハハハハ!!負けてやんのー!」
人影の敗北見ながら、ネロが腹を抱えながら心底楽しそうに笑っている。
「ひひっ....ふーっ.....ふーっ.....まぁ、氷の少年!この調子で、いつか本物もボッコボコにしてくれよな」
いつの間にか、影を介して背後に回っていたネロが、肩を叩きながらそう言った。
本物。
その言葉が灯の中で引っかかった。
まるで鎧を纏ったかのような姿。非常に大柄の体躯。人影の学習能力と、隼也の語った『マグナ』という妖怪の事。
ネロが言っていた『パクられてやんの』という言葉も、更に思い返せば、ソワレがネロに言った『私と同じ種族』という言葉もあった。
きっと、このネロという妖怪もマグナの仲間のはず。
更に、このマグナを模倣した人影。
マグナは、まだまだ知能の低い人影であっても、これだけの戦闘能力を発揮できる程の能力を持つのだろう。
おまけに、今、実体験できたのはシンプルな打撃のみ。磁力と聞いているマグナ固有の能力などは、一切分からない。
能力抜きの模造品であっても、これだけの強さを感じられるのだ。
本人となれば、どれほどなのだろうか。
氷腕越しとはいえ、打撃を受けた腕が痺れている。
「おい!ソワレ!てめぇ、今日の事は絶対忘れないからな。次に顔見せた時は、ブチのめす!」
「えぇ、どうぞ」
口汚く捨て台詞を吐いて、ネロがビルの影に溶け込んで姿を消した。
ネロが消えるのを見送ると、ソワレは灯へ歩み寄って顔を覗いた。
「薄々、気がついたでしょうけど........。今の人影は『マグナ』のものよ」
「やっぱり、そうなんですね」
マグナをよく知っているであろうソワレがそういうならば、そうなのだろう。
そんなソワレへ、灯には聞かずにはいられない事があった。
「本物って、これと比べてどれくらい強いんですか?」
その問いを聞いたソワレは、驚いた様子で目を見開き、その後、口元を隠してクスクスと笑い始めた。
「ふふふっ.....!面白いことを聞くのね。灯くん」
「面白い?何処がですか?」
予想外の反応に、少しムッとした様子で灯が返した。
「いいえ、悪気はないの。ただ、無邪気な疑問だと思っただけよ。.......えぇ、そうねぇ。それなら、マグナの力の内訳を教えてあげましょうか」
「内訳?」
「そう。彼自身は非常に脆弱な存在よ。拳銃を用意して、胸へ発砲したとしましょう。灯くん、貴方なら死なないはずよ。その程度なら致命傷になる事はないでしょうし、妖気があれば即座に傷は塞がるはず。それなら、マグナはというと........即死するでしょうね。潤沢に妖気があっても、治癒も間に合わずに死ぬでしょう。そう、まるで人間と同程度の脆さね」
「そ、そんな」
ソワレの話に目を見開いた。自分が銃で撃たれても平気だという事もだが、何よりマグナがそれほどか弱い存在だったという事に驚きが隠せない。
しかし、ソワレとは言えども、その話は信じ難い。
あのマグナには、隼也でさえ手も足も出ず一方的に敗北し、自分は偽物にさえも手酷くやられたのだ。
「信じられないでしょうね。でも、真実なのよ。私はよく知っている。彼が最も弱かった頃を。彼の強さを支えるのは、一重に、磁力という彼の力よ。彼が何故、鎧を纏っているか分かるかしら?」
「え?身を守るためじゃ......」
「普通ならばそうでしょう。しかし、彼にとってはそうではない。外骨格として、防護の役割よりも、筋力の増強......つまり、パワードスーツのような役割の方が大きい。貴方が今戦ったのは、鎧を介して磁力で筋力を強化した状態のマグナ。実物は更に、技能、知識、そして圧倒的なまでの磁力を備えるわ。それこそ、地形を容易く変えるくらいにはね」
「まじか.......」
「内訳の話だったわね。.....彼自身はほぼゼロに等しいほどに弱い。しかし、絶大な能力は、そのゼロを塵芥のように搔き消す。私の知る中でも、間違いなく最強格よ」
話を聞いただけでも、敵う気がしない。
それでも、ここでくよくよしててもしょうがない。マグナは俺たち4人にとって、100パーセント避けて通れない壁なのだろう。それなら、その壁をぶっ壊せるだけの力を付けていくしかない。
スウゥ.....
氷漬けになっていた人影の破片から、黒い妖気が立ち上り始めた。いつもなら霧散するはずの妖気は、弱い風に煽られる煙ように、灯の元へ向かってくる。時間をかけて、氷から溶け出した妖気が灯の体へと取り込まれていった。
「今のって....」
「えぇ、貴方の感応力が、人影の妖気を吸い寄せたのでしょう」
成る程、心做しか体が軽い。戦闘でおったダメージも完全には消えていないものの、驚くほど楽になっていた。
それに加えて、普段とは違う違和感を感じていた。
氷腕を作り出してみる。先の戦いで砕かれたはずの腕は、いつの間にか修復されていた。
しかし、これだけではない。
違和感の原因はこれではないはずだ。気分の悪いものではないけれど、何かしこりが取れない。そんな感覚。
しかし、行動するには全く問題はないだろうし、何か別のことをし始めれば、すぐに忘れるだろう。
「さて、灯くん。そろそろ私達も、ここを離れましょうか。崩壊に巻き込まれる前に」
「え?崩壊?」
突拍子もない言葉。崩壊とは何を指すのか、灯が周りを見渡すと、それは嫌という程明瞭に理解できた。
空間にヒビが入り始めている。
四方を囲むビルが、万力のようにこの空き地を押し潰そうと、遅くとも確かに迫っている。
「これは?」
「ネロが、この周囲の空間を広げていたようね。元は通路とも呼べないような細いビルの合間に、あの子が無理に空間を確保した。主が去った後は、支えを失って元に戻るというわけよ」
「そ、それよりさ.......早く逃げた方が良くない?!」
「そうね。それじゃ、お先に」
ソワレがノイズを残して姿を消した。
「あー!!置いてきぼりかよ!俺も連れてってよっ!」
灯も左氷腕を飛ばしてビルの屋上の縁を掴み、体を引き上げて、一気に空き地から抜け出した。
屋上から押し潰される空き地を見下ろしていると、背後へソワレが姿を現した。
「このビル、動いているはずなのに全く揺れないんですね」
「えぇ、歪められた世界が、在るべき形へ戻って行く。誰にも覚られないまま、無かったものは無かったものへ。.....あの空き地は虚構の空間だった。当然の現実に塗り潰されるだけのね」
「虚構、ねぇ」
ソワレの言葉を繰り返した。
「ふぅ.......雨は嫌なものだね」
傘を差しながら、雑踏の中を進む。
無数の人々たちはただひたすら無口に。
妖気性生命体と何が変わると言うのだろうか。
「彼がいれば、この雨をどうにかしてくれるだろうか」
傘の縁から、遠くの空を見上げる。どんよりとした鉛色が延々と垂れ込めている。
暫く、雨は止みそうにない。
「いや、おそらく、僕のお願いは聞いてはくれないだろうね」
前へ差し出した右手を引いた。
「止そう。彼に怒られるかも知れない」
この雨を止めることは容易いだろう。
しかし、かつての友人の信条を無為にすることも憚られる。この雨さえも、どうしようもないものとして、楽しむ他ない。
そう思い直し、足を止めた。
降り続く雨のせいだろうか。
キラキラと、光を乱反射して煌めいている。
「はぁ.....」
.......今日の天気は不機嫌らしい。
一瞬の早業。
傘を手放し、その手に喚び出した本を書き換えていた。
頭上で雨が止まる。
剣の雨が。
「どういうつもりだろうか?咎められるような心当たりはないはずだけどね」
振り返らないままで、傘も差さずに背後に立つ者へ問いかける。
「教えてもらえないだろうか?シオくん?」
「お断りさせて頂きます。貴方へかける言葉は持ち合わせておりませんので」
背後の少女が、冷ややかに答えた。
振り向こうとすると、背中にチクリと尖った感触を確かめた。
「動かない方が身の為ですよ、グラファさん。私は貴方に聞きたいことがあるだけです」
振り返ることを諦め、そのまま正面を向き直す。
「なるほど、何かな?その、聞きたいこと......というのは。博識なグラファさんが答えてあげよう」
背中へ突きつけられた刃に加え、首へも2振りの剣が突きつけられた。
「一つ目、ネロさんが不機嫌そのもので帰ってきました。貴方が茶化したのではないですか?」
「さぁね?ネロくんとはここ暫くの間、会ってないからね。さっぱり、見当も付かないね」
「そうですか。まぁ、これはどうでもいい質問でしたし、そういう事にしておきます。次に.......」
シオの声のトーンが変わった。
あぁ、そういうことか。
グラファは、シオが聞きたがっているであろうことに察しがついた。
確かに、その事についてなら、彼女がここまで躍起になるのも理解できる。
しかし、以前までは、ここまで積極的に活動する人物では無いと記憶している。
「貴方が、マグナ様へ行なった改変を、全て教えてもらいます」
「随分とアクティブになったね。マグナから何か御言葉を頂いたのかな?」
「.......次はありません。素直に従ってください」
首元へ突きつけられた剣が薄皮を切った。はぐらかそうとしても、彼女の執念は、それを許すつもりはないらしい。
「あぁ、すまないね。それじゃあ、教える前に、君に伝えなければいけない事がある。それ込みで、マグナの話をするのが条件だ」
首の剣が僅かに離れる。
「いいでしょう。早速、始めてください」
思わず、笑みが溢れそうになるのを、グッと堪えた。
聞いた話では、シオの剣は、彼女の視覚へリンクさせることも可能。もし、不穏な素振りでも感付かれれば、この首が飛んでしまうかも知れない。
「まずは、僕の能力についてだ。マグナやエレンとは親しかったから、キミも聞いたことはあるかも知れないね。『事象や概念に対する、改訂、追記及び.....削除』。先程、キミが頭上から降らせた剣を止めたのも、キミの剣の概念に『空間に固定される』と、追記したからだよ」
シオは黙って聞いている。相変わらず剣に込められた緊張は解けないが、随分と殺気が収まってきた。
「発動する為には、4つある条件の内の1つを満たす事だ。その条件とは......『僕の妖気に対する耐性が無い事』。『2つ前の僕の姿を知っている事』。『僕に対して強い印象や感情を抱いている事』。そして........」
「『僕の能力を知る事』だよ」
「くっ....!!?」
シオの表情に困惑の色が現れる。
それもそのはずだ。突然、全身の自由が利かなくなるのだから。
本へ更に書き込む。
首元の剣が、糸が切れたかのように地面へ落ちる。
脅威は全て終わった。
悠々と背後を振り返ると、こちらを睨みつけるシオがいる。
「ふむ。前世の前世、僕らの始まりの姿の時には、キミとは会っていなかったね。しかし、エレンがよく話してくれていたよ。とても美しい姿をしていて、結晶を操るんだとね」
また、グラファが本へ書き込む。
シオの手がゆっくりと動き、構えられていた結晶槍をグラファの方へと差し出した。
その表情には、恨めしさが滲んでいる。
「確かに、エレンがそういうのも頷けるよ。美しい容姿に、形容するのも烏滸がましくなる程の結晶武器。少し幼さは抜け切っていないが、それは仕方がない。僕やマグナと違って、後に生まれただろうからね」
再び、本へ書き込む。
すると、シオの険しい表情が安らかなものに変わった。
「美人は顔を顰めるものではないよ。笑顔が一番だ」
「貴方がマグナ様の御友人?私には、信じられません」
作られた笑みを浮かべながら、シオが精一杯の呪詛を吐く。
「そう思われたのなら、すまないね。本来、僕は争いは好みじゃ無い。キミが仕掛けてきたから、仕返しに悪戯をしたくなっただけなんだ」
シオへ表情の自由を返した。
先程よりも大人しく、こちらを睨みつけている。
「さて、閑話休題といこうか。約束だからね、マグナへ行った改変を教えよう。.......改変したのは『劣等感』。........彼に劣等感という概念を与えたんだ。劣等感は驕りという枷を解き、力への標となる。好転すれば、だけどね。それを知ったマグナは、驕りも誇りも捨て去って、ただ愚直に力を求めたよ。遥か高みにある、気高き誇りのみを目指してね。結果として、彼は頂点に立った。目を疑ったよ。あれだけ矮小な存在が、ここまで上り詰めるとは予測していなかったからね」
話を進める内に、シオは睨む事を忘れて聞き入っていた。
「僕が彼に施したのは、たった一つの改変だけだ。それを標として、後は彼自身が自分を変革したんだ」
「良い機会だ。キミに耳寄りな情報を教えよう。.........以前、マグナの概念を閲覧した時のことだ。僕の書き込んだ『劣等感』の更に下に、覚えのない一文が新たに記されていたんだよ」
「それは......?」
「『代償として顔を失う。王と盟友、そして並び立つ者のみが、この顔を知り得る』。.......僕は困惑した。概念を読む限り、本当に顔を失っているわけではないはず。顔を失うとはどういう事か、思い返してみれば直ぐに答えはあった。劣等感を知って暫く、力を付けた彼は全身を鋼鉄の鎧で覆った。貧相としか言いようの無かった彼を身体を、厳しい鋼鉄が覆い隠した。シオくん、キミはマグナの鎧の姿しか知らないだろう。そう、貧相な姿は既に消え去り、最強に相応しい烈烈たる鉄身の姿こそが、彼の『顔』となった」
シオが何かを解したのか、ハッとした表情を浮かべた。
「確かに、マグナ様は何があっても、絶対にヘルムだけは、外す事はありませんでした」
「自分自身の概念をも捻じ曲げ、元来の姿を失うという、世界から消滅するリスクさえも許容し、代償として自分を呪った。そうまでして、彼が望んでいたのは、頂から見晴らしたかっただけらしい」
「そんな.....」
「シオくん。キミの目には、マグナは気高く映るだろう。絶対的な力と、屈強な精神を持ち合わせた彼は、キミには遥か彼方の存在に思えるだろう。それでも、頂に立つ彼とその軌跡を、少し後ろから認めてあげるだけで、彼は救われるだろう」
シオが不思議そうな顔をしている。
あのマグナしか知らないのであれば、それも仕方のない事。
本のページをひと撫でし、パタンと閉じると、シオの体の拘束が解かれた。
「それじゃあ、僕は散歩に戻るよ。キミも早く帰るといい。ネロが癇癪を起こしているんだろう?」
傘を拾い上げ、差し直した。
体を濡らす雨の沸点を下げて蒸発させると、そのまま歩き去って行く。
背後に立ち尽くすシオの妖気は、追ってくる様子もなく、ただ去り行くグラファを見送っている。
「全く、ソワレは......ネロに何をしたのか」
身に覚えのない事に濡れ衣を着せられ、巻き込まれた事に少し不機嫌になる。
しかし、これも普段の行いの所為かと、苦笑した。
いつのまにか、雨脚は緩やかになり、遠くに晴れ間も見え始めていた。雲間から注ぎ込む光の柱が、幻想的な雰囲気を醸し出す。
昔から、自然の織り成す無性に美しい光景が好きだ。
こんな時はいつも、本へとこう書き込む。
『僕はこの景色を忘れない』




