能力
何だろう?
辺りを見回すが何もないただ暗いだけの世界
「ここは?」
必死に過去の出来事を思いだそうとする。
「嘘だろ?」
無駄だった。記憶の全てがインクで塗り潰した様に、黒く抜け落ちている。
…起きたようね…
突然の声に緊張が走る。何も分からない恐怖に身体中の筋肉が硬直した。唐突に聞こえた声は心に響いた。遠くで聞こえる様で、鮮明に聞こえる様な不思議な声だった。
本能からか何時何処から攻撃を受けても良いように、逃走出来るよう腰を据えた。
また、あの声が聞こえる。
…貴方は生きる?…生きたい?…
…『あれ』は貴方の未来…新しい自分…
『あれ』
今立っている場所の遥か遠く遠く、青とも、赤とも何とも言えないような眩い光が有った。
彼処まで行かなくては…
そう思わせる安ぎ、頼れる様な、どこかで自身が求めている光だった。
…進むのね…振り返らないで…進む事を止めることは未来を諦める事に等しい…止まった時は未来を放棄した時…即ち『死』…
ふらふらと光に集まる昆虫の様に光を目指し無意識のうち歩みを進めていた。『何も分からない恐怖』に対し、肉体は意思を裏切り足を前に差し出してした。だが、それでいい気がした。
…貴方は諦めないのね?…
どこか気だるい、だがそれを押し殺してでも体が走った、なのに近付けない。あの光にどんなに進んでもどんなに進んでも、遠くにある。自分が進めば進んだだけ後ろへ、自分が下がれば下がる程近づいてくる様だった。
どれ位走っただろうか?10分?20分?いや、そんなものじゃない。もっと長い間走り続けた。だがやがて体力は尽き、少しづつだが足が重くなり走れなくなる。
それでも諦めずにただひたすらに前へ前へと足を踏み出す。
もう諦めようか?そんな考えがチラリとよぎり、足を完全に止めた。その時
パアアァァァァア…
いきなり視界に色が流れ込んだ。
広大な草原にいつの間にかポツンと佇んでいた。
「え?これは?」
興味本意に周囲を見回してみる、何もない。本当に草原のみが無限に広がっているようだった。暖かい日差しが身体を照らしている、風が楽しそうに頬を撫でて走って行く。微かだが土の香りも漂って来るようだ。
…ここは貴方の記憶の中ね、私もこの光景が何かは分からない…気を付けなさい…貴方の恐怖は未知と言う恐怖に向かおうとする貴方を引き留めようと掛かってくる…退けてみなさい…
「は?何を言って、?」
突然、後ろからカサカサと何かが動く音が聞こえた。
「え…?」
奇妙だった。のっぺりとした人型を墨か何かで抽象的に描いた様なモノが拙く歩く様にゆっくりと近づいてくる。漆黒と言うのが相応しいか?しかし、光の当たっている所は白く光を反射している。まるで光を全く受け付けず拒み退けている様だった
「どうやって?」
わからなかった。目の前の影を退ける術が。
…今…貴方に出来る事で良いの…
『誰か』が話し掛けてくる間にも、ヒタ…ヒタ…と、歩み寄って来ている…
「出来る事って?」
隼也は少し考えていた。自分にそんなことができるのか?出来るとしても何をどうすれば?手当たり次第出来ることを試してみるか?
「これで良いのか、な?」
自身の拳を見つめる。あまり荒々しいことは避けたいんだけど。
ヨタヨタと眼前まで迫った『影』が大きく左手を挙げた次の瞬間!
ドッ…
『影』の胸部と思われる場所を隼也の拳が貫くように撃ち抜いていた。
腕に確かな手応えが感じられる。
人でも殴ったかのような重量感と共に相手が吹き飛んでいく感覚を感じた。
…確実に仕留めなさい…
止めを!無意識にそれが当然であるかの様に思った。
隼也は『影』 へ向かい走って行った。
確実に仕留めるために!
『影』に攻撃する事には、あまり抵抗を感じなかった。
人で言う所の首を無造作に鷲掴みにし自身の目線の高さまで持ち上げた。
「ふ、ん!」
そのままの高度で隼也の右拳が一閃。『影』のこめかみ辺りを綺麗に打ち抜いていた。
「っ…倒した…か?」
右腕を大振りのモーションで振りきり『影』を遠くへ吹き飛ばした。
すると…
キィーン………
吹き飛ばされ頭部が大きく欠けた影が突如、前兆もなく溶け始めていた。するとそこに、謎の金属同士が擦れるような音を断続的に鳴らし続ける、光る欠片が残っていた。
その欠片は鏡のように何かを映している、だが映るものは周囲の風景ではなかった。
何か、何処か、そして何時かの風景がどんどん流れる様に変わっている。
スゥ…
その欠片を屈み込み、人差し指と親指でつまみ上げて、左の手のひらに乗せた。
不思議だな。どこか見ていると何か懐かしい感じがする。
隼也それをとても大切そうに握り締めた瞬間…
「名前は『隼也』にしよう!」
「お父さん!歩いたわ!」
「ハハハッ!遊園地に行くのは初めてだろ?」
…………………………………………………
無数の数え切れない光景が流れ込んできた。
懐かしい様な、暖かい感覚が広がった。体の芯から暖かさが広がる様な感覚を覚えた。
…記憶の欠片…ほんの僅かな欠片…
『誰か』が言うには記憶の欠片と言うものらしい。不思議な体験だった。言葉に表すのは難しい、なんと言うかとても嬉しい感覚だった。再び昔の事を思い出そう
「今のは…俺の記憶…?」
…そう言う事よ…全て取り戻せば貴方が此処へ来てしまった理由も全て思い出せる…
記憶の欠片がゆっくり時間を掛けて氷が溶けていくように手のひらに吸い込まれていった
その瞬間
『向かって来るなら…吹き飛ばせばいい』
「え?」
突然、文字が見えた。
実際に目に見えたのかどうかは、分からない。
しかし、確かに見えた。
瞼の裏に焼き付き、全く色褪せることなく残っている。
だけど、一番の謎は、
『吹き飛ばす』?何の事だ?何かが吹き飛ぶのか?
…どうしたの?…恐怖はまだまだ沢山残って居るのよ?…
謎の声には見えていないようだった。自分のみに見えたのか?
しかし、何時までも考えてはいられない。後々落ち着いてから考えようと頭を振った。
すると、いつの間に沸いて出てきたのか無数の影が目の前に佇んでいた。
しかし次は違った。無数の影の内、中央の影が先程までのヤツラとは違った。
女性の姿で今までの影よりも少し大きい160cm程、そして明確に人の形をとっている。まるで人間の影が動き出したかの様に…そして他の影は光の反射している部分だけは僅かに白く見えていたのに…
こいつはこの世界、この場所から綺麗に切り取られたかのように全く光を反射せず光を蝕んでいる様だった。もしも触れれば引き摺り込まれ何処まででも落ちていきそうな程の漆黒、暗黒。
見ているだけでも寒気がし、吐き気を催しそうな不気味さが有った。
隼也は駆けて行った。
先手を盗られる前に出鼻を挫いてやろうと、そうして少しでも優位に立ってやろうと。
1体目の影…
擦れ違う刹那、今までのスピードを利用し、つまづく様に体重移動をしながら一直線に影の横腹を大きく切り裂いた。
鷲掴みする様な形の大きく振り抜いた右手からは、少し残った影の欠片が溶け出して滴り落ちる。
2体目の影…
1体目を倒し、振り抜いた右手の勢いで踏み込んだ足を中心に回転し、裏拳が影の左肩に深刻なダメージを与えた。影が、衝撃に耐えきることが出来ず、大きくきりもみ回転しながら吹き飛ぶ。それを追うように俊也が走る。徐々に吹き飛ぶ影との距離が縮まり、ついに右手が影の足を捉えた。足を鷲掴みにして影の下に滑り潜んで勢いを殺し、その慣性で地面へ大きく叩き付けた。そして反動で再び浮いた影を...
「ウラァ!」
ほんの僅か、一呼吸の間だった。
たった一呼吸で…自身にも信じる事の出来ないスピードで…両の拳が何度も影を襲った。
影は全身に衝撃を受け力無く上空へ打ち上げられた。
「吹っ飛べ!」
右手が追い討ちをする様に上から落ちて来る、もう既に見る影も無いような影を遠くまで吹き飛ばした。
隼也が自分の両手をまじまじと見つめて、何を思ったかニヤリと笑った。
何となく分かる、どう体を動かせば次へ繋がるか、どれくらい自分が動けるか、どうすれば奴等を倒せるか。
何かが俺を勝利へ誘導してくれているような…
一切、足を止めることなく影の群れの中を駆け抜けた。すれちがう度に影が宙に投げ出され、吹き飛ばされ、切り裂かれ…
影を踏みつけ、次の影を襲う足掛かりに…影自体を振り回し他も巻き込み薙ぎ倒し…気付けば残るは1体のみになっていた。
そして、最後の標的をまるでウサギを狙う虎の様に冷たい、残酷で無慈悲で残忍な黒の瞳が捉えた。
最後の影…
最も人型に近い影、まるで周りを取り巻く影がやられているのを高みの見物の様に眺めていた。
自身の中で何かが、大切な何かが僅かだが戻ってきたような感触があった。
「クッ…」
見ているとただ、一つの感情が沸いてくる。理由は全く分からない。いや、元々理由すらハッキリとは無いのかも知れない。自分の性とも本能とも言えるような程の意識。
憎悪
憎悪は姿を変え敵意に。敵意さえ姿を変え殺意に…
今、彼の心は「殺す」と言う一つの単語によって塗りつぶされていた。
何が彼を動かしていたのだろうか?
無意識に体が動いた。隼也のいる場所から影の目の前まで黒い残像が延びる。
まるで、自分は事をそばから見ているような…第三者、傍観者のように全く関係のない所から自身を見ているような感覚を覚えた。
一瞬だった…
ほんの一瞬の出来事…
一瞬で俊也は20m離れていた『影』の喉元を掴んでいた。
ミシミシと音が聞こえそうな程に『影』の頸部は物凄い力で押さえつけられ変形していた。『影』は苦しそうに足掻く。
そして徐々に徐々に、『影』が持ち上げられて行ったそして掴んでいた手が目の前に来た瞬間!
フッ…
ドゴオォォォーーーーーーッン!
爆発音が響いた。
突然視界が一瞬の閃光に包まれ、その直後、青色の爆炎が膨張し自分を包んだ。
何処から…
何処から出たんだ?
俊也の掌から。
俺自身の手を中心に破壊が起きた…。
影は?
吹き飛んでいた。もう既に粉微塵すら残ってはいなかった。
…これは…あの女が何時もより要心に要心を重ねて消そうとしていたのも無理は無いわね…
スゥ…
倒した影と同じ様に周囲の景色が溶けて流れた。再び周囲の光景が漆黒の空間に変わる。
一体…何だったんだ?!
何故自分が影を掴んだ時に爆発が起きたんだ?
それも、よく知る炎のような赤や黄色じゃあない。黒い爆煙に、深い青の炎…
そして、俺、こんなに運動神経良かったっけ?
良く思い出せないけどこんなに良かったはずは無いだろ
あっと言う間に距離を詰めれたし、蹴り一つであんなに人みたいなのが吹っ飛ぶなんて有り得る訳がない。必死に何回も殴ったけど…自分で言うのもなんだが速すぎる。
当然の様に体が動いて当然の様にあの影達を倒してしまった。何だったんだろう?
…大丈夫、今の爆発は貴方の力…貴方に必要な力でしょう…
「力?何なんだ?何の話なんだ?」
必死に俊也は謎の声に問いかけた。
…私たちは能力と呼んでいるわ…能力とはその本人の運命であり、必要な力…能力は十人十色、同じ能力は二つと存在しない…能力とは本人が命の危機に瀕した時、何かを取り戻した時、何かを強く求めた時、そして強く求めた何かを得たとき等、本人の未来を大きく関わる出来事が起きた時に発現或いは進化するの…その本人が何時か必ず必要とする力…
「能力、俺の?」
…原則自己申告だけど、身を守るに力だけでなく形や名も必要よ…
…名を付けてあげましょうか?…
じゃあ…
『吹き飛ばす程度の能力』
ズアアアァァァァーーーーー…
また、景色が流れて行った。
再び光が姿を表す、今度は近い…少し歩けば届きそうな程に…
「あの光に…」
隼也が駆け出す。ただ一心不乱に光の元に行くために。しかし、やはり近づけない。幾ら走っでも距離が縮まる事はない。長い間走った、だが隼也は諦めない。
今度こそ!
その時!何か隼也と光を隔てていた壁の様な物が取り払われた。目の前には光が。
触れた。両手で水を掬い上げる様に下から優しく。
途端全身を多幸感が、希望が、光が、暖かみが包んだ様だった。
…いらっしゃい、ここからは貴方の自由…未来を掴んだのは貴方だったわね…
ようこそ…
…私の世界へ…
和室、座布団に腰を下ろしている女性。
「3年ねぇ、234人目にして初めての成功かしら?二人目ももうじきかしら」
静かに女性が妖しく微笑んだ。




