第二の
凩谷灯サイドに飛びます。
時は少し遡り2時間ほど前......
「ん...くぅっ!ふぁ〜ぁあ...」
「んあ?ここは?」
見回すと暗闇が永遠に広がる世界。
その中に少年はポツンと1人眠っていた。
目覚めた少年は大きく伸びをしてゆっくりと立ち上がる。恐らく長く寝ていたので有ろう。体を動かす度に関節から音が鳴る。
起き上がるのも気怠いが、一度起きてしまえば眠さは感じ無かった。
真っ暗な世界と言っても、遥か遠くには僅かに、白い小さな光が見える。それは夜空に張り付く星の様で、まるで天球の中に放り出された気分だ。
『おはよう。灯、気分はどう?』
「ん?えっ?!」
突然、声が響く。見回しても声の主らしき影は無い。それどころか全方位から木霊する様に聞こえてくる為に、聞こえる方向すらも分からない。
狼狽える少年を尻目に再び声が聞こえてくる。
少年は、焦っても仕方ないと、大きく深呼吸して気持ちを静めて耳を傾けた。
『今、君は夢を見ている。未だこっちの世界に来てからの整理されるべき記憶が無い、真っ暗な世界だけどね』
聞こえてくる声は少年のような声だ。
「ゴメン...何が何やらさっぱり分かんないんだけど...」
『凩谷灯...誰の名前か分かる?』
「誰って...俺のことでしょ?」
何を言っているんだろ?凩谷灯は俺のことだろ。
あ...もしかすると明晰夢って奴?
『じゃあ、【こはく】はどう?』
「こは...ッ!...っ...ガッァ...!!」
こはく...その名前を聞いた途端に灯は頭を押さえてのたうち回る。
今までに感じたことの無い、激しく締め付けられる様な痛みに襲われた。
痛い!痛い痛い!
痛みを少しでも和らげようと、食い縛る歯の間から思わず声が漏れる。
思い出される遠い日々、しかしその記憶の中には必ず墨で塗り潰されたような見えない『誰か』が居て...
思い出そうとする度に頭が握り潰されそうな痛みに襲われる。思い出さない様に落ち着こうとしても、激しい痛みが否応にも『こはく』を意識させてしまう。
「......ッァガァ!イタイ!グアァァ...ァ...あれ?」
いきなりスッパリと痛みが治まる。未だふらつく足元で片膝を付いて大きく深呼吸を繰り返した。
『やっぱりダメなんだね...』
『ごめんね。今は魂だけだから、思っている事を僕の言葉で伝えられないから、君の言葉と語彙を使わせてもらうね?』
「は...はぁ...」
『君はこれから全く知らない場所で目が醒めると思う。多分そこは自分の力で戦わないと生きていけない世界なんだ』
「えっ?何の...?」
は?何のことを言ってるんだろう?
魂?戦い?日常とは遠くかけ離れた単語が次々と並べられて、灯は混乱する。
『意味が分からないのも分かるよ。でもこれは本当なんだ。【目が覚めたら青の青年を探し出せ】僕は君にそう伝えろとしか言われて無いから詳しくは分からないけど...』
「【青の青年】?何それ?ギャグ?」
『きっと一目見たら気付くはずだって...それ以上は僕も良く知らないんだ。でも大丈夫、君は僕が守るから。えぇっと...この世界は肉体も魂も等しく力を持つ、だったっけな?灯の魂を灯の肉体が護る、灯の肉体を僕の魂が守る。だから、君の事は絶対に僕が守るから...』
「お...おう...」
灯は軽く返したつもりだった。どうせ夢だと、きっと目覚めればいつも通りだろうと軽く流していた。しかし、この声は違う。夢や気の所為なんかでは言い表せない様な重さを感じた。
灯が黙って俯向く。少し長めの沈黙が訪れた。
「...分かったよ、あんたの言った事、信じてみる。だけど全部信じ切る自信は無いから...本当に次に起きた時見知らない場所に居たら...取り敢えず【青の青年】を探してみるよ」
『ありがとう...本当にありがとう...信じてくれて良かった。僕は魂だけだから君が寝ている時だけしかこうやって話し掛けられないし、何回も続けて出てくることも出来ないから...次会う時は多分、青の青年に出逢ってからかな』
「分かったよ。......ッフアァ〜ッ...眠た...」
灯が大欠伸をして目頭に涙を浮かべる。話していると急に強い睡魔に襲われた。瞼が加重されていきどんどん下がってきて、思わず地面に寝転んでしまう。
『じゃあ、おやすみ。多分1時間後に目を覚ますと思うよ。また会えるって信じてるね』
「...ん〜...」
眠気の魔力には逆らえず、虚ろな意識の中で生返事を返した。
瞼が完全に降り切ると、そこで灯の意識は途切れた。
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「...んっ...んんっ...んあ...?」
鼻の頭に何やら刺激を感じ、灯の意識を現実へと引き戻した。
身体中に暖かい感覚がある。よく知った、心地好い日差しだ。
未だぎこちない瞼を薄く開けると、そこに小さな瞳が見えた。
「...ふあぁ...ぁあ...どした?」
灯の問い掛けに、小さな生き物は首を傾げて、ピョンピョンと灯の足先に向かって跳ねていく。
「んん〜...ルリビタキのオスかな?あ、もしかしてお前が【青の青年】だったり?」
小鳥が胸の真ん中で止まり、まるで、何の事が分からないよ、と言った風に首を傾げた。
「ヘヘッ、まさかね〜。そもそも人じゃないし、それに...青じゃ無くて瑠璃だもんな」
返事をする様にピューッ、と一鳴きして灯の腹の辺りまで下って来た。
「ごめん、立つからちょっと退いて」
灯がそう言うと、小鳥は飛び立ち、灯の傍の木の梢に留まって灯を見詰める。
「ありがと。さてっ...と...」
灯が起き上がりながら周りを見渡した。
「夢が正夢になっちゃったけど...どうしようか...?」
起きた灯が居た所は森の中の少し開けた場所、近くに川のせせらぎが聞こえる広場。そこの中心辺りに有る巨大な岩の上だった。
所々苔生したそれは、かなり昔からそこにあったらしく、側面は僅かに風化が始まっている様だ。
空を見上げてみると青空半分雲半分と言った天気だった。
今のところ晴れ間が出ていたらしく、身体中が暖かい。
「...まぁ...悩んでもしょうがないかな。んっしょ...」
岩の上に立ち上がり、大きく伸びをした。背骨から音が鳴り、少し気怠さがやって来た。
「...ふぅ...さってと、まずは何しようかな?...あぁ、顔洗おうかな」
未だ目覚めたばかりで眠い...
取り敢えず顔でも洗えば眠気も飛ぶだろうと、音を頼りに川の方へと向かっていった。
「有った有った!」
そこには、大股で越えられる程度の小川が有った。
なるべく底の深い場所を探して、砂泥を巻き上げない様にと優しく手を近付けた。
「うわっ!冷てっ!!」
ビシィ!
「へっ?」
信じられない光景だった。気温をあまり寒いと感じなかったために、躊躇いなく手を伸ばした水の冷たさに驚いて反射で手を引いた瞬間、小川の水は流れているにも関わらず、一瞬にして手が触れた場所から真っ白に姿を変えた。
「何これ...?」
もう一度手を伸ばす。一度冷たさに驚いてどれ程のものかを知っている。次は躊躇わずには行かない。
恐る恐る触れた灯の指先へと、小川は予想外の感触を返した。
「か、固い...これって...氷?」
幼い頃、寒い日に水を張った容器を軒下に一晩置いておくと、次の日の朝には姿を全く変えている。そうして氷の出来上がり...良く作り過ぎては容器を汚して怒られていたのを思い出す。
容器一つ、水を並々と注げば、凍り付くのに一晩は掛かる。
その氷が一瞬の内に、それも川を丸ごとだ。
「な、何が起きたんだよ...?」
再び氷へと手を伸ばし今度はノックしてみる。
コッ...コッ...と固い音が響く。今度は手頃な石を手に取り、川から距離を置いて投げつけてみた。
しかし、その石も表面に傷を付けたに留まり、割れる様子もなく氷の上を滑っていった。恐らく表面だけでは無く芯まで凍り切っているらしい。
「これじゃ洗えない...よなぁ」
しょうがないか...と呟きながらゆっくりと立ち上がる。
ソッと足を乗せてみる。何も起こらない。
少し力を入れて踏んでみる。やはり割れる気配は一切しない。
「よし...」
思い切って余り衝撃を与えない様にゆっくりと氷の上に立った。
「よっしゃ!しっかし、随分と厚い氷だなぁ」
ツルッ...!
「ぁ...」
摩擦の少ない氷面に立った灯の両足を氷が掬った。
思いっ切り後ろへとひっくり返る。咄嗟に両手を後ろに付いて、衝撃を抑えた。
軽く肘を打った様だ。ジンジンと熱を持った様な痛みがある。
肘を摩りながら、倒れたまま何気無く頭の方向を見上げた。
「な、何?あれ...?」
灯の視線の先...灯の足元数m程前に、まるで石油の様な、妙に黒光りする水溜りが有った。
寝転がった体勢から手を使わずに両足を着いて、一気に起き上がる。
「気色悪っ...」
そう言いながら水溜りの中へと小石を拾って投げ込んで見る。
ヌチャッ...と粘着質な嫌悪感を抱く音と共に、小石は水溜りに張り付く様に止まった。
「何あれ...汚ったね...」
露骨に避ける様に回り込み、岩の元へと戻ろうとした。
その時...
ポトッ...
「ん?」
聞こえてきたのは小さな何かが、草むらに落ちた音だった。
「何だ...ろ...?..........ッ?!」
振り返ると、そこには水溜りは無く、その代わりの様に全身墨染めの様な、黒い『人影』が居た。
足元には黒い液体が付着した小石。先程投げ付けた物だろう。
「ヒ、ヒィ...」
まるで人間を簡略化した様な真っ黒の人影。誰も頼れる者の居ない森の中で、唐突に相対したのも灯の恐怖を煽った一因ではあるが、一番恐怖に感じたのは、この人影の事を何も知らない、と言う未知の恐怖だったのだろう。
刺激しない様にゆっくりと後退りする。幸いな事に、どちらが前か分からないが、人影はこちらに気が付いていないのか、棒立ちのまま動こうとしない。
1歩2歩と離れていき、最初の位置から3m程退がった時だった。
コツッ...
「ぁ...?」
また1歩下がろうと足を下げた先には、草むらの中に隠れる様にして、石が飛び出ていたらしい。
灯はバランスを崩して、草むらへと倒れ込んだ。
「うぐっ!」
尻もちと両手を着いて倒れ込み声が漏れる。恐らく倒れ込んだ先にも石が飛び出ていたのだろう、腰に鈍い痛みと痺れる様な感覚に襲われる。
突然の出来事に混乱した灯はとにかく逃げようと急いで下がろうとした際に大きな葉擦れの音が鳴ってしまった。
「...ぁ...っ...!」
目が合った。全身が黒塗りで何処に目があるかは良く分からないが、まるで蛙が蛇に睨まれた様に体が硬直した。
人影がゆっくりと踏み出した。
まるで勝利を確信したかの様な余裕の歩み。
灯は余りの出来事に口が開きっ放しになり、酸欠の金魚の様にパクパクと口を動かしている。
無意識に逃げようとしているのか、両足は地面を蹴ろうとしているが、それも虚しく地表を削るだけで僅かに灯の体を後ろに押すだけ。
その様なゆっくりとした逃走では逃げられるはずも無く、ゆっくりと歩く人影にさえも距離を縮められる一方。
5m程空いていた距離は、今はもう3m程まで迫っていた。
トスッ...
そんな灯に更に追い討ちを掛ける様な状況になった。
背中に冷たい感覚。今度は肘が何か硬いものに触れた。
灯は嫌な予感を感じながら、横目で背後を見遣る。
「ぅっ...そだろ...」
そこには灯が目覚めた大岩が有った。恐らくこの岩の元に戻ろうとしていたからだろう。望まぬ形で岩の元まで戻ってしまった。
今の状況に焦り判断力の鈍った灯が気づいた頃には人影との距離は2mを切っていた。
「いっ、嫌だ...嫌だ...」
危機に立たされ、退路を断たれた哀れな少年。
余りの恐怖にまともに判断が出来なくなっていた。
「く、来るな...来るな来るな来るなぁ!!」
左手で顔を覆い、目を逸らそうと両目を固くつぶり、もう片方を蜘蛛の巣を散らす様にブンブンと闇雲に振り回す。
その行動に狙いも反撃の意思も何も無く、唯々目の前に迫る恐怖に混乱し、打つ手の無い灯の無意識のうちの行動だった。
バキッ!
グシャ!ザシュ!
......ドサッ........
人影は...
来ない。来なかった。
長い沈黙の後に灯が不思議に思い、ゆっくりと目を開ける。
するとそこには...
引き千切れ、へし曲がり、打ち砕かれ、無惨としか言いようの無い人影だった物が散らばっていた
そして、振り回した右手と必死に顔を覆った左手、灯の両手には人影や謎の夢などとは一線を画する光景があった。
「ぇ?...え...?」
灯の両手を覆う様に有ったのは、例えるならば獣人の腕と言った様な、大きな腕だった。
また敵の仕業かと思い、腕を引き寄せてしまう。しかし、その腕は灯の腕に連動する様に全く同じ動き、速さで追従した。
その腕は半透明で、余程低温なのか絶えず白い靄が出ている。頬を少し当てて見ると、冷たい感覚の中に僅かな湿り気を感じた。
「これって...氷...?」
構造は人のそれとあまり変わりは無いが、指先だけはまるで獣の様に鋭く大振りな爪が備わっている。
見てみると氷の腕は、右腕は肩の手前まで、左腕は肘より少し後までが有った。
筋骨隆々の右腕に対して、刺々しく、まるで悪魔の様な左腕
「これって...」
灯はある事を思い出した。
『...君の事は絶対に僕が守るから...』
もしかして...
「...なぁ...」
灯が座り込んだままで空を仰ぎながら呼び掛ける。
..........
「...だよなぁ...」
まぁ、青の青年って奴を見つければ、また会えるかな。
氷を纏った左腕を見詰める。
拳を握り締めると、灯自身の腕と共に氷同士の軋む音を立てながら、もう一つの腕も拳を握り締めた。
「...ありがと」
ガサッ!
「ん?!」
背後から気配を感じる。小休止を挟んで緊張の取れた灯はパニックにならずに後ろを振り返った。
「またお前かよ...って、多いな!」
灯から6m程離れた場所には人影の集団が出来ている。
もう既に冷静さを取り戻し、真正面に敵を見据える事が出来る。
灯は口角が上げ冷たい腕を突き出し、サムダウンをした。
「来いよ!まとめて相手してやる!」
相手の力量は分からない、この腕で何処まで出来るかも分かりはしない。だが、今は不安より大きな自信と共に、この力を信じられる!
姿は見えなくとも、確かに一緒にいてくれる、誰よりも頼り甲斐のある者がいる。それだけで灯の不安を除くのには充分だった。
灯の挑発の声に気が付いたのか人影のうち手前にいた4体がのろのろと歩いてくる。
それに対して灯も余裕の表情で大股に歩く。
お互いの距離は縮まって行き、灯は人影の目の前まで来ると止まった。攻撃の機と見たのか人影は手を大きく上げ、灯へと振り下ろす!
ガシッ!
「遅い遅い!」
緩慢な動きで振り下ろされた腕を灯の左手が掴んだ。
掴み取られた腕が凍り付き動かなくなる。
「えい!」
掴んだ腕を思い切り引き寄せると、人影はバランスを崩して灯の方へとよろけて来る。
そこをすかさず右手の拳で大振りに打ち抜いた。
「あれっ?」
気の所為だろうか?今、一瞬だけど、殴り付けた時に氷の腕がより遠くまで殴り抜いた様な気が...
人影は一撃の元に粉砕され溶け出した。
飛び散った黒い返り血の様な物が灯に触れる直前で結晶化し音を立てて落ちる。
後続の人影は一体目に続く様に次々と殺到する。
「へっ、おっせぇ〜なぁ〜」
人影の振りかぶった手をサイドステップで横に回り込んで躱し、直ぐさま真下から掬い上げる様に掴み掛かった。
「やっぱり!」
振り上げた腕...しかしその瞬間、氷の腕は灯の腕と同じ動きをしているものの、軌道は灯の腕より僅かに離れ人影を的確に掴み上げた。
もしかして、さっき殴った時も...
「まぁ、いつか分かるっしょ」
「ふん!」
驚きだ。灯よりも少々大柄なこの人影達だが、氷の腕で掴み上げてみると、恐ろしく軽い。腹部を鷲掴みにしたまま真上に持ち上げ、全力で地面に向かって叩き付ける。
背中から激しく叩き付けられた人影は衝撃に耐えきる事が出来ず、真っ黒な大輪の花が咲いた。
分かってきたぞ。
殴りかかった時、掴み上げた時、叩き付けた時、氷の腕は灯の元から離れていた。
多分、俺が攻撃すると思えば、その瞬間だけより強く、より広く、より早く展開するんだろう。
少しつづどうやるか分かってきた。
「こんなのはどうだ!」
少し離れた場所にいる人影に向かい素早く手を伸ばした。距離にして4m程、もしかすると届くかも知れない。
スカッ
「あっ」
しかし氷の腕は1m程進んだかと思うと霧散した。
「んだよ、ちくしょ〜」
人影に向かって大きくステップして懐に入り込む。
左手で首元を鷲掴みにした。
「まぁいいや、近付いたからってどうって事ないしな」
右手で、体を捻りも加えて大きく振り被り、連続で何度も殴りつけた。やがて力が抜けた様にだらりと手足を垂らし、首も座っていない人形の様な状態になる。
その人影を遠くにいた人影達に向けて、全力で投げ付け将棋倒しにした。
力が抜け、だらりとした人間という物は思っている以上に重たく、人影にしてもそれが当てはまるらしい。
元が非力な人影達、彼らにとって力無き仲間は重たく、二人掛かりでも押し退けて立てない。
必死に手足をばたつかせて抜け出ようとする人影の顔に影が落とされる。
「全力で〜」
人影の頭上に立つ灯が両腕に氷の腕を展開して、足を開いて右手を大きく振り上げた。
灯の腕と氷の腕とが分離し、灯の傍に浮かび上がる。
左腕を覆う冷気がみるみるうちに弱まり、それに反比例する様に右腕に膨大な冷気が集結して、氷の腕を覆い、より荒々しい、まるで鬣が逆立つ様な姿に変える。
やがて氷の左腕が無くなる頃には氷の腕は一回り、二回り程巨大になり、濛々と溢れ降りていく白い冷気はその量を増しに増す。
「お〜もいっきりッ!」
ズドン!
人影へと向かって鉛直に右腕を振り下ろした。
ビシィッ!
灯を中心に巨大な氷柱が無数に突き出す!
地面は凍りつき、まるで一帯が一つの大きな花の彫刻の様に見事に凍てついた。
灯の目の前の地面が砕けており、その中心に肘近くまで埋れた氷の腕がある。
地面に突き付けられた拳を上げると、砕けた地面を捲り返しながら氷の腕が地面から引き抜かれる。
「おぉ...!こんな事も!」
そもそも、ここら一帯の地面は、川も流れているからか柔らかい土であり、砕ける様な材質では無いのだが、それが氷の腕の冷気で一瞬で凍り付いてそのまま衝撃で崩れたらしい。
砕けた破片を見てみると、まるでドライアイスの様に、冷気が流れ出ている。
しかし、凄まじいのは、凍結そして破壊を一瞬で行った灯の氷の腕だろう。
氷の両腕を想起してみると、融合していた氷の両腕は、再び分離し、それぞれの腕の元に姿を現した。
「な〜るほどね、そういう事か」
氷の左腕を掲げ、人差し指で宙に一文字を描く。
そこに冷気が残り、それを掴み取ると、一本の氷柱となって左腕に握られた。
「左はこうやるのか」
氷柱を左手でペン回しの様に扱い、ピンと弾き上げた。
氷柱がクルクルと宙を舞い螺旋を描く。
それを右腕が受け止めた。
「右はこうか!」
左足を大きく前へと踏み込み、体重を右腕へと預ける。
思い切り右腕を振りかぶって、全力で振り抜いた。
手首の返しと共に灯の手元から放たれ、伸びる白銀の直線。
ズドン!
あまりのスピード故に、ほぼ同時に起きた様に見えた。
一瞬の内に、人影の大部分が大穴となって消し飛び、貫かれて残された身体が氷柱の勢いに引き寄せられ吹き飛び、更に奥にいた人影を、威力が減衰したとは言えど、貫いて軌道上の木の幹に磔にした。
「腕力の右腕に、能力の左腕か...」
灯が口角を上げて、左手を握り締める。
氷の左腕はより一層鋭利な様相になり、冷気を放出する。
「技名...とか、どうしよっかな?」
折角、得た力なんだ。カッコ良い名前を付けたくなるのが男心ってもんだ。
腕組みをして考え込む。
「う〜ん...」
右手に関しては...テキトーに殴ったりするだけだろうしなぁ。
じゃあ...左手か?だけど、どんな技を出来るかな...
「おっと!」
いつの間にか背後に迫っていた人影の攻撃を体を反らして躱し、そのままバク転で距離を離した。
「さって!どうしようか?」
想像力をフルに使って、より格好良い技を考える。
再び、敵を目の前に考え込んでしまう。どうも、考え事をしていると、周りが見えなくなるのは悪い癖らしい。
「よっしゃ!決めた!」
灯の前、先程殴り掛かって来た人影と、少し離れた所にもう1体。
その2体の内、灯から見て奥に居る方の人影をロックオンした。
左手に力を込めて、冷気を集結させる。
地を蹴り出して、前傾姿勢で足を踏み出した。
一歩踏み出すごとに標的との距離は見る見る内に縮まる。
「退け!邪魔だぁ!」
手前にいた人影を左手で強引に押し除ける。
突き飛ばされた人影は一瞬で冷気に当てられ、剽軽な格好で氷の彫像となる。
「てーいっ!」
左手で地面を抉りながら人影へと迫る。
他の個体よりも僅かに賢いのか、走り迫る灯を迎撃する様にタイミングを見計らって腕を振り下ろす。
しかし、それも所詮、人影の低い知能から比べればの話。
大振りの拳は見事に空振りした。
空振りした反動で重心を崩し、倒れこむ様な姿勢になった人影が見たものは、自分の股下をスライディングで滑り抜ける敵の姿と、滑った跡に残る凍り付いた地面だった。
ブンッ!
突然、足元の感覚が無くなり、片足首を強烈な力で掴まれる。
上下の感覚が無くなり、景色が目紛しく流れる。
逆さの木々の梢、少し雲が出てきた空、山の縁、再び木々。
そして最後に目に入ったのは....
まるで剣山の様な、荒々しく残酷に、されど美しく作り上げられた、無数の氷柱達だった。
ザシュ...!
「ふぅ〜っ...」
こんなところかな?
満足げに腕組みをする灯の前には、灯の身長よりも高い、天を貫く様に伸びる氷柱と、その氷柱に突き刺さり、それを支えに宙に浮く、力無い人影。
「思ったより簡単じゃん」
人影を掴んで振り回す右腕こそ、灯の意思でしか動かないが、冷気は灯が「こうしたい」と考えればその通りに作用する。
現に先程の技、灯が人影を掴み上げ、叩き付ける瞬間に地面から氷柱が現れて人影を串刺しにする。
灯はそうしたいと思い、その通りに動いただけ。地面から突き出た氷柱は、灯は望んだだけであり、灯自身が冷気をどうこうしたと言う意識は無かった。
「お前がラスト?」
最後の人影へと相対する。
30秒程の睨み合いが続いた後、遂に痺れを切らして動いたのは灯の方だった。
左腕を全力で地面に突き刺す。
その地点から人影に向かって地面が白く凍り付く。
ワンテンポ置いてから灯が左腕を抜くと、同時に氷柱が波の様に灯の下から人影へ向かって突き出して行く。
「う〜むむ...よし!決めた!」
やがて氷柱は加速し速度と範囲を増しながら人影の足元へと到達し、そのまま貫き、押し上げた。全身に突き刺さる氷柱へ自重によって更に深く刺さり、初めはもがいていた人影もやがて動かなくなった。
「白い波って事で『ホワイトサーフ』に決定!」
悠々と満足げに立ち並ぶ氷柱に近付いて、左腕で手前に有る氷柱の一本を軽くノックした。
コンコン...と透き通った音が響く。
その直後、氷全体が真っ白に変わった。よく見てみると細かい大量のヒビが走っている。
「まぁ、名前も暫定だけどね」
氷柱に右腕の人差し指で軽く押すと、騒々しい音を立てて、人影ごと木っ端微塵になり、その破片も白色の揺らぎになって消え失せた。
人影は居なくなり、静けさが戻って来た森の広場。
「あぁ、君はさっきの」
佇む灯の左肩に、何処か目の届かないところに隠れていたと思われる、灯の出会った森の住人第一号のルリビタキがパタパタと舞い戻ってきて留まった。
灯が一歩踏み出す。
ルリビタキは逃げる様子も無いどころか、全く動じない。
「根性あるなぁ、怖くない?」
人差し指を喉元に差し出す。不思議そうに指を見詰めるも、やはり逃げようとはしない。
思い切って喉元を優しく撫でてみる。驚く事に恐れるどころか、大人しく撫でられる。
「まぁ、良いや。乗ってるなら乗ってるで」
灯が歩き出す。ルリビタキは、ゆさゆさと揺られながら首の後ろを周り、反対側の肩に移った。
灯は少し俯いてルリビタキの移動を助けながら一直線に、先程、突き飛ばして氷像に変えた人影へと向かい、目の前で止まると顎に手を添えて、覗き込んだり回り込んだりと、舐め回す様に見詰めた。
思い返してみると、この人影達の事を良く考えもせずに叩きのめしていた。
もしかすると、自分の身に何か有ったのを匿い、保護してくれていたのかも知れない...
そう考えると、自分が目を覚ましたところも、御丁寧な事に丁度良い大きさの岩の上だった...
「ヤベェ」
残念なことに恩を仇で返す様な趣味は無い。
もしも、この考えが本当なら最悪の事態だ...
「スイマセーン...大丈夫ですか〜?」
「..........」
凍り付いた人影を左手で小突きながら話しかけるも、当然、返事はない。
「だよな〜...はぁ...」
嫌な予感しかしない。どうしよ...
思わず溜息が漏れ出て来る。何気なく左腕で凍り付いた人影の肩を組んだ。
シュゥ...ゥウ...
「んあ?!何だ?!」
突然視界が強い光に照らされた事に驚いて氷像から飛び退いた。
しかし、最初に原因かと疑った氷像は全く変わった様子も無く、未だに光を感じる。
もしかして!と思い、氷の左腕を見てみると、前腕の部分が白く、強く光っている。
「眩しッ!」
驚いて左腕を直視してしまい、余りの光量に目を覆って顔を背ける。
咄嗟に庇った目は、光から背けても暫く突き刺す様な痛みが続き、視界には残像がしつこく残る。
「何だよ!?」
僅かに目を開けて横目で左腕を覗く。
やがて光に目が慣れて来ると驚く様な光景が起こっていた。
人影の封じられた氷像から黒い靄が溶け出し、それは左腕に纏わりついて染み込み、取り込まれている。
その光景を見て20秒程経った頃に光が急速に弱まって行き、やがて、何時もの左腕の様に冷気を深々と放ち始める。
「何だったんだろ?」
左腕を表裏と捻りながら見詰めるも、やはり、何時もの刺々しく、透き通って冷気を放っている左腕だ。
「......ま、いっか。」
灯が左手を振り下ろすと、左腕もそれに追従して振り下ろされて、真っ白な冷気となって掻き消えた。
そして、最初に目覚めた岩に腰掛ける。
早く二人を会わせたい...




