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REVENGER  作者: h.i
10/36

一人と一匹

場所は変わって、また別の話










午後7時半の電車....帰路を急ぐ人の群れが行き交い、座席に座るのも運次第。

ガタンと車両が大きく揺れ、それに驚いたかのように目を覚ましキョロキョロと辺りを見回し、窓の外を見る。

「ん?....あぁ、次の駅か....」

相乗りの座席に座り、少年は眠り込んでいた。

「腹減った...なぁ」

寝ぼけ眼を擦り、大きく伸びをした。その際、正面の席に相乗りしている中年の男性に足が当たってしまい、大きく開いた新聞の奥から不機嫌そうな目で見られる。

「すいません」


その時、車内にアナウンスが流れた。イヤホンを付けていた為、良くは聞き取れなかったがそれも毎日の事なので、なんと言っていたかは大体検討がつく。

やっと着いた...と、心底疲れた様な調子で呟いた。


電車が徐々に速度を緩め始めていく。窓からは幾度と無く見た景色。

胸ポケットから定期券入れを取り出した。

車両が停止してから、先頭車両の運転手側の入り口を目指した。

そこには4〜5人の列が出来ており、先頭から順に定期券を運転手に見せて電車を降りて行く。

「俺か...」

少年も運転手に定期券を見せて、運転手がうなづくのを確認してから駅に出た。

無人駅通り抜け、駐輪場から自転車を見つけ出す。

「え〜っと...」

いくら停めた場所を覚えていても、見つけ出すのは案外、苦労する。

「あ〜、これか」

自転車を見つけて、鍵を外した。自転車に跨り、帰路に着いた。少年の家は駅から自転車で約10分。それ程遠くはない道程を、早く帰りたい。と言う一心で急ぐ。

「あ〜、やっと一週間終わった〜」

少し安堵した顔で少年は呟いた。

最近は日が暮れるのも早くなり、気温も下がり、冬に近付きつつある。


その時、視界を何かが視界の隅を横切った。

「ん?」

急いで自転車を止め、視線を向けるが何もない。ただただ、冷たいアスファルトと縁石が有るだけ。

少年は空を見上げた。すると...

「あっ....」

空に小さく僅かに見える。遥か空の上からヒラヒラと舞い降りて来る白い結晶。あれは...

「雪かぁ〜」

あいつ喜ぶだろうな...



別に珍しい物でもなかった。

雪の多い地域に住んでいれば、嫌と言う程雪の相手をしなければならない。しかも幼い頃から雪を見ていれば、雨や晴れと同じ、良く有りがちな天気に思えて来る。

数日間も雪が続けば外に出るのにも一苦労だ。


正直なところ、少年は雪があまり好きでは無かった。

雪が降ると、友達の家などに遊びに行き辛くなる。

高校の初めてのこの冬、今となっては友人の家に行けない事を、それ程鬱には感じない。

しかし、幼い頃から抱いていた感情故に、雪の日にはあまり気乗りしないのも事実だった。


駅から出て数分、町の中央の通りをしばらく進んで行く。その通りの末端は三叉路になっており、そこを右手に曲がると、青がメインの大きな看板が見えた。


凩谷動物病院こたにどうぶつびょういん


少年はその駐車場に乗り入れた。

表から見ると白を基調に四角いシルエットの清潔感ある病院だ。動物病院の名の通り、入り口のガラス張りのドアからは動物の健康を促進する様なポスターが覗く。

少年はその病院の脇をすり抜け、病院の裏に隣接する日本伝統の瓦葺きのかなり立派な平屋の軒下に自転車を停めて降りた。


少年は通学鞄を無造作に肩に掛け、ガラガラと玄関の引き戸を開け放つ。

「ただいまー」

「あらー、お帰りなさい。あかりお風呂はいる?」

姿は見えないが、家の奥から女性の声が聞こえた。

少年、凩谷 灯の母親だ。

「飯ー」

そう返した時だった。


トテトテトテ....

何かが軽快に床を鳴らしながら近付いて来る。

その音の主は座敷から現れた。

キュゥー!

そこから現れたのは、綺麗なキツネ色の毛並みのキツネだった。

「こ〜は〜く〜!」

クゥー...

コハクと呼ばれたキツネは灯の足元に擦り寄り、体を擦り付ける。

「来たかー」

そう言いながらコハクを胸の前まで抱き上げた。

コハクは不思議そうに目を丸くして灯を見つめる。

灯がコハクに頬擦りをした。コハクは気持ち良さそうに目を細める。

「ほい」

毛並みを十分堪能した灯は床にコハクを降ろしてやる。すると、コハクがピンと耳を立ててリビングの方を見詰めた。

耳を澄ませるとカラカラと軽快な音が聞こえて来る。

「コハクー!おいでー!」

母がコハクを呼んだ。今は丁度、コハクのディナータイムだ。コハクはその声を、待ってました!と言わんばかりに小走りでリビングまで走って行く。


コハクは足を怪我している。今はもう治ってはいるが後遺症の所為で走り方がヒョコヒョコとおぼつかない。今、リビングに走って行った時もそうだ。


初めてコハクと会ったのは10年前、その時にはある程度大きくなっていた。現在、恐らく13〜4才。基本的に10年程度の寿命の狐にしては、かなり長寿な方だ。

おまけに老衰で大人しくなるかと思いきや、年を重ねる毎に活発的になって行く。

一度触れたが、コハクは足を怪我していた。

凩谷家は祖父、そして父と獣医を営んでいる。3代目は灯の兄が引き継ぐことになるだろう。


コハクが初めてこの場所に来たのは10年前の夏の終わり間際だった。灯の住む地域では狐はあまり見かけない。

それ故か、近所のおじさんが怪我を負ったコハクをここまで連れてきた。

その時は既に虫の息で、左足と腰辺りに怪我を負っており、助かるかどうかも怪しい状態だった。

この重傷ではここから動かすのは返って負担が掛かり危ないと判断した灯の父親は、自分の動物病院で数週間に渡って母親と交代で昼夜通して看病し続けた。


当のコハクは動物用のケージではなく早拵えのダンボールと毛布のベッドに寝かせられていた。

しかし、コハクは何時も悲しい様な鳴き声を上げながら、前足で動かない後ろ足を引き摺ってベッドの隅に身を寄せているだけだった。


それを見ていた灯の母親は安楽死を提案した。

助かるかもしれない。しかし、仮に助かったとしても負った傷が深過ぎた、二度と下半身は動かないだろう。

それでも助かる可能性を自分の手でゼロにはしたくない。だが、もし自分の助けたいと言う身勝手でコハクが今さえも死よりも苦しい思いを抱えてたら?

その様な数々の思いが渦巻いていた。

獣医として助けたい自分、無数の動物たちの苦しむ姿を見てきた者。その2つの意見の食い違いに悩んだ。


人間の身勝手な考え方かも知れない。しかし無駄に苦しむより楽にしてやった方が...

そんな自問自答を延々と繰り返し続けていた。



悩み続け、息を抜こうと台所の換気扇の下でタバコを吸っていたその時だった。


「名前はコハクにする!」

まだ5歳だった灯の元気な声が聞こえた。それに続く母親の声。

「良い名前ね。よし!次からはコハクちゃんって呼ぼうかなー!」

「うん!」


「あ...あぁ....」

泣いていた。

自分でも全く気付かない内に。

同時に自分の事を情けなく感じた。喉から空気が抜ける様な声が無意識に出ていく。


そうか...こんなにも...こんなにも恵まれた命を...断とうとしていたのか...


意思は固まった。今までの生涯で最も強く硬く。

「絶対に生きてもらう、何が何でも」



その頃からだっただろうか?

皆が、コハクと名前を呼び始めた頃。


「お父さん!コハクが...コハクが立った!」

異変は3日目からだった。恐らく二度と歩けまいと思っていたコハクが自力で立ち上がったのだ。

心に一筋の希望が差した。

そこからは早かった。

瞬く間にコハクの容体は改善していった。

コハクが立ち上がった一月後には、比較的後遺症の軽い右足で左足を庇いながらも走り回れる様にまでなった。

この異例の回復によって各所からコハクを引き取りたいとの声が上がった。

答えは当然NO.だ。コハクは既に凩谷家の一員だ。

どんな対価を支払われようとも代替出来るものではない。

そもそも建前が何で有ろうと何をされるか分かった物じゃない。


ある日、もう安全だと判断してコハクを初めて家に連れ込んだ日。

コハクはまるで当然の事の様に、灯の元に走っていき、膝の上で丸まった。

ほんの数回しか顔を合わせていない灯にだ。


コハクには分かったのだろうか?自分の名付けの親の事が。恐らく一番コハクを心配していたのは灯だったのかも知れない。

灯がコハクと暮らすと言い出さなかったならコハクはあのまま....

きっとコハクには分かっていたのだろう。


その日以来、コハクは灯に付きっ切りだった。散歩も、テレビを見る時も、宿題をする時も、寝床に行く時も。

灯の言う事なら、まるで言葉を解しているかの様に聞いたし、どんなに忙しい時もコハクが甘えるなら灯は相手をしてやっていた。

その様にして、お互いにとって大きな存在になっていったのだろう。




灯が食卓についた。

もう皆は食べてしまったのだろう、既に、灯一人分の食事が有るだけで他は片付けられている。

「いただきます」

灯が合掌した時に膝の上にコハクが乗ってきた。コハクはテーブルの上を覗き見る様にして物色している。

「さっき食べたばっかりだろ〜?」

そう言いつつもコハクには甘い灯はサラダに入っているハムを一切れ差し出した。

すると、待っていました!と言わんばかりにハムを平らげてしまった。

クゥー

「駄目、もう無理っぽい」

人の食べ物は味が濃い。余り与えてはいけないと、父親からは口酸っぱく言われている。甘やかしたくも有るが、それで体調を崩したりでもしたら元も子もない。

甘えるコハクを膝から降ろし、灯は食事を始めた。

コハクは余程寂しいのか、その間、灯を母親の足元をウロウロと歩き回りながら体を擦り付けて家事の妨害をしている。


「ごちそうさま〜」

満腹になり合掌をする。最近は食事が余り入らなくなってきた。どちらかと言えば、余り食べずとも平気になったと言う方が正しいか?余りよろしく無い事だとは思うが食べ切れ無い物はしょうがない。



食後に少しの間、椅子に座ったまま和んでいると。

うつ伏せでウトウトと微睡んでいたコハクが唐突に顔を上げ、宙の匂いを嗅ぎ始めた。

「どうした〜?美味しい物でも見つけた?」

コハクは勢い良く立ち上がると辺りをキョロキョロと見回す。

「そんなに欲しいの?」灯は笑い混じりで冗談をコハクに掛けるが、当のコハクはそれを全く意に介さず、執拗に辺りを見回している。


その時...




ガンガン!



玄関から扉を打つ音がした。

「はーい!」

お母さんの声だ。手が空いていたらしい、きっと玄関に向かっているんだろう。


ヴゥー...

唸る様な声が聞こえた。

灯は驚き、足元を見た。すると全身の毛並みを逆立たせ、姿勢を低くしたコハクがいた。

心成しか目付きも荒々しい気がする。


普通じゃない!

コハクがこの様な態度を取ることなんて、今まで一度も無かった。





いや?有った。

あの時は...家にノラ猫が入り混んで来た時だ。


確か、小学五年生の時だったっけ?

妙に人間慣れしたノラに俺が引っ掻かれて怪我した時だったよな...


あの後野良をコハクが半殺しにしてしまって...


あの時と同じ...?嫌な気分だ...もしかしたら?




「お母さーん!」


......返事は無い.......


お父さんはまだ帰って来て無いはず。

嫌な予感に駆られながら玄関先を覗き見た...




「.......ッ...?!」




そこには誰の姿も無い。

依然唸り続けるコハク。予想外の光景に冷や汗がいつの間にか頬を伝っていた。


灯は大きく首を振った。

玄関を閉めなくては。

そう思い、どこか気怠い体に力を込めて立ち上がろうとした時。

フゥヴー!

コハクがズボンの裾に噛みつきグイグイと引っ張った。引っ張られる方向を見ると灯の部屋のドアが有った。

「は...?」

灯は戸惑った。コハクは何を自分にやらせたいのか?この尋常ではないコハクの気迫に灯は押されていた。

そうしている間にもコハクは裾を引っ張り続け、食い込む牙の所為で裾はボロボロになっている。


「コハク....分かった」


初めてこの家に来た時も、自分達の期待に応えて、どうにかこの世に戻って来てくれたんだ。

コハクの必死の願いには応えよう。


灯の部屋の方へ歩き出した。コハクは牙を離し一目散にドアの前まで走って行った。

灯も無意識のうちに駆け足になっていた。本来なら駆け足する程でもない距離だったが、どこか不安で、早く何処かに逃げ込みたい気持ちがあったのかもしれない。



バタン!


急いで施錠し、扉を背で塞いだ。

コハクはと言うと、部屋の中で彷徨きながらソワソワと落ち着きの無い様子だ。

灯は大きく溜息を吐く。


どうしたんだ?何時もらしく無い...

普段のコハクなら今頃、俺の風呂上がりをバスマットの上で丸くなって待っているはずだ。

それが今は、今までに見た事も無い様な、厳しく猛々しい表情だ。

しかし、その表情が少し頼もしくもある。


「コハク...おいで...」

なんだか疲れた...今日の所は、もう寝てしまおうか?


そんな事を考えながらコハクを撫でようと手を伸ばした....



コトン....


キャン!キャン!


「うぉっ...!」

コハクが一直線に灯を睨み付ける。

鋭い。研ぎ澄ましたカミソリの刃の様な眼光。

警戒や威嚇など、そんな生易しい物は感じられ無い。初めて自分に向けられたと思う。何と形容すれば良いのか?


殺意か...


そう気付いた瞬間、恐ろしくなった。

あのコハクが?


思わず後ずさる、入り口の勉強机に手を突いてしまった。

カタ...


「ん?」

これは?

灯の左手に半分ほどの覆われている物がある。

万年筆だ。


さっきの音も?

一気に心が軽くなる。


そう考えれば全て繋がるじゃないか!

万年筆がいきなり倒れる、それに驚いたコハクが吠えた。

きっとそうだ。


コハクの方に向き直って、なるべく笑顔で話し掛けた。


「なんだよ、コハク〜。怖がりだ....


......ゥ...ァ....!?」

冷たい物が灯の胸を通り抜けた...

悲しい冷たさ。

無意識に胸に手を当てて、蹲っていた。

傷も無い。痛みも無い。

だか痛い...心が...


爪先から頭まで悲しみまで満たされる。今までに感じた事の無い程に大きな悲しみ。

いや?これ以上をこれから先も感じる事は有るのだろうか?


蹲ったまま、ゆっくりと背後を見た。


「....え....?」

何も無い。


本当に何も無かった。


勉強机も

本棚も

ドアも


ただただ、白い壁紙があるだけ。


ワン!ワン!

コハクの吠え声が聞こえる...だか、それを見る余裕が無い。

目の前の光景に釘付けになり、何も考えられ無い。


これはなんなんだ?

何が起きたん.....


「こんばんは」


ッ!...


誰...?

振り向きたく無い...

しかし、体は自分の物では無く、誰かに動かされているかの様にゆっくりとだか、着実に振り向く....


「....ァ....え...?」




そこには灯のベッドに腰掛けてこちらを見詰める女性の姿が有った。


「........ゥ.....!?」

声が出無い。

幾ら声を出そうとしても空気が漏れる様な掠れた呻き声しか出無い。

そんな灯を他所に女性が話し掛けてきた。


「そんなに怖がらなくても良いのよ?」

話し掛けてくる女性、艶やかな金の髪に黒のスーツを着込んだ端整な顔立ちの女性。


女性は動けずに座り込んだ灯の顎に手を添えて、灯の目線を自分に向かせた。

「猫目に、160前半の身長、そしてキツネの家族....貴方で間違い無さそうね」


女性が灯の両肩に手を掛けた。

体が固まる。動け無い。ずっと気が付かなかったが手が震えていた。

怖い。


女性が灯に顔を寄せる。灯には僅かに体を反らせる程度にしか、抵抗が出来ない。

女性は灯の耳元に口を寄せて囁いた。


「可哀想に...人には成り切れず、人を超える事も無かったのね」

女性がまじまじと灯の瞳を見詰める。

今考えている事だけじゃなく、自分の過去も未来も、何もかも見透かされているかの様にな魔力を放つ女性の瞳。

どこかただ見詰めているだけで意識を奪われて行くような....



ガァッ!


静寂をコハクが破った。

その声で灯は自我を取り戻す。

いつの間にか瞼を閉じかけていた様だ。コハクがいなければどうなっていたのか....


「あと少しで抜き出す事が出来たのに...コハク...だったかしら?賢い子ね...


コハクが女性の喉元に飛び掛った。


...貴方なら自分、一匹で逃げ出す事も出来たでしょうに...一人生きるより、共に死を征く方を選ぶのかしら?」


コハクの牙が女性の喉に迫る。


ガァヴ!


当たらなかった。

女性は全く動いて無いにも関わらず、擦りすらもしなかった。

まるで女性はこの世の者では無いかの様にすり抜けて、コハクの牙は空を食い千切った。


「そこまでして、彼を助けようとする必要は有ったのかしらね...」


コハクが地に落ちた。

着地するでも無く、受け身を取るでも無く...ただ力無く、勢いのままに地に落ちた。

落ちたコハクは床を滑り、壁にぶつかった所で勢いが止まった。

その瞳には光は無い様に見える。


「....コハク.....?」

灯が呼び掛ける。

ただつまづいただけだ。きっとすぐにでも立ち上がって、じゃれついて来てくれるはずさ...


しかし、コハクは動かない。




スゥ...


コハクの体から水蒸気の様に水色の淡い光が立ち昇る。


あれは...?


動かない体を無理矢理に引き摺って灯がコハクの元へと近寄った。


コハクの体を撫でる。

暖かい...。灯の心を締め付ける不安が一つ消えた。

「良かった...生きてる...」


「私には分からない...」

女性がコハクと灯の横にしゃがみ込んで話し掛けてきた。

「何故、この子は貴方の為に命を投げたのか...何時も一緒にいたから?死ぬ事も厭わない程に大切にしていたの?」


その声は灯には届かない。

ただ、機械の様に動かないコハクの体を撫で続ける。

その瞳は何処か虚ろで光が見えない。


「そう...音が聞こえない程に傷付いたの?貴方にとってコハクはそれ程に大きな存在だったのね...」


「コハク...コハク...起きて...」

灯は消え入る様な声で、何かに取り憑かれた様にコハクの名を呼び続けた。

コハクが反応を見せれば、彼にとってどれ程幸せな事なのだろうか?

しかし、それもただの願いに終わった。


コハクの体から立ち昇っていたシアンの光は少しづつ細くなって行き、やがて途絶え様とした時、一際大きな光がコハクの体から抜け出た。

その光は唖然としている灯の頬を掠める様に消えていった。


「あぁ...」

死んだんだ....


そう感じた瞬間、灯の体から力が抜けた。

金縛りに有った様に体が動かない。

心臓が動く度に胸になんとも言えない倦怠感と嘔吐感が満ちる。


コハクの体に、一つ...二つ...と滴が落ちる。

もう...何も考えられない。

今はただ、無力感に押し潰されて座り込んでいるだけ。


「ねぇ?灯?」

女性が優しい声で問いかける。


「...............」

灯は全く動かずに、涙を垂れ流すだけ。反応と呼べる反応は見せない。


「そこまで辛いのなら...大丈夫でしょう?」


「もう、苦しまなくても良いでしょう?」


女性は灯の腰から...背...首...後頭部とゆっくり、確かに撫で上げた。


「コ...ハク....」

灯が空気が漏れ出す様な声で呟いた。もう過ぎ去った親友の名を呼ぶ。


女性の指先が後頭部から離れ、灯の頭を撫でた。

途端にフワリとした感覚に包まれ、目の前が暗くなる。貧血の様な感覚、しかし悪くない...辛さも、気持ち悪さも無い。


暖かいな.....

急に瞼が重たくなった。


眠い...

もう寝てしまおうか....?


殆ど無くなりかけている意識の中で必死の抵抗を続ける。だか、抵抗も虚しく、瞼は重りでも吊り下げているかの様にどんどん下がってくる。


やがて一つの線になる。










決して広くは無い洋室

動かない少年と狐の前で女性は立っていた。

「貴方はきっと...成長しても、妖怪として目覚めはしなかったのに......コハク...主人を想い、主人と生を共にしたいと思い続けたが為に...主人を私に選ばせてしまった...」


女性は踵を返す。

「忠誠...と言うのかしら?私には良く分からないわ」


女性が飛び上がる。

「次、生まれ変われるなら...お互い狐が良いかしら?」


その言葉を残すと、女性は黒い煙の様に宙に消えた。

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