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私が生まれて

 おそらく大半の人は、自分が健やかに過ごせている事実に、何の疑いも持たないであろう。健康に生きていることは当然であり、病気というのは非日常の出来事だと思っているかもしれない。

 けれど私は、自分が普通に健康に過ごせていることが、不思議なことのように思えるときがある。二十歳を迎えた私ではあるが、時の流れと共に、よくもここまで生き延びたものだと思ってしまうのだ。


 私は二十年前の今日、病院で帝王切開で生まれてきた。なんでも、羊膜に穴が開いたらしく、赤ん坊が浸かっている羊水がどんどん減ってこのままお腹の中にいるのは危険な状態にあったのだという。そのために予定日より一ヶ月ほど早く生まれることとなった。出生時の体重は普通の赤ちゃんの半分ほどで、いわゆる未熟児だった。当時のことが話題に上るたび、祖母に「骨と皮しかなかった」と今でも言われる。そこに誇張や思い出補正がかかっていることを加味しても、やはり危うい見た目だったのだろう。

 私は長女で、かつ両親にとって最初の子供だったから、子育て初挑戦の両親はいろいろ気苦労があったと思う。ついでに未熟児だから、どう扱っていいものか悩んだかもしれない。母乳をあまり飲まず、よく口から出していたらしい。粉ミルクも与えられただろうが、果たしてちゃんと飲んでいたのかどうか。そんな調子でよく死なずに大きくなったのだと、疑問を覚えずにはいられない。

 また、親には「未熟児は失明しやすいから心配した」とよく言われた。小さい頃はただ漠然と目が悪くなくてよかったと思っていたが、高校生くらいにそれが「未熟児網膜症」という疾患なのだと理解した。確か高校の生物で、高濃度の酸素が原因らしい、という話題が出たのだ。昔は適正な酸素管理ができず(わからず)、酷い場合失明することもあるのだと言っていた。今、あるいは少なくとも私が生まれた頃には、必要な処置が執られていたのだろう。だから私は、幸いにも目は正常に育つことができた。


 いつからきちんと育ち始めたのかは定かではない。ただ写真を見る限り、少なくとも立てるようになる頃までには、むちむちとした子供らしい体型になっていたようだ。古いビデオなんかを見ると、幼い私はバカみたいにはしゃいでいるのが多い。カメラを向けられているのもあってか、跳ね回るなど大騒ぎしているのだ。つまりそれ以降は、私はごく普通に生育できるようになっていたのだろう。

 “ごく普通に”とは言ったが、読者にとっての“普通”とは、もしかしたら少し違うかもしれない。体が弱くて休みがち、ということではなくとも、特に小学生までは体が強い方だとは言えなかった。私は喘息持ちで、発作が酷くなると学校を休んだ。今も喘息が出ることはあるが、昔の方が頻度が高かったように思う。

 両親とも若干アトピーっぽいらしいせいか、私は顕著にアトピー性皮膚炎がある。ついでにダニなどのハウスダストや猫に対するアレルギーもあり、ちょっと埃っぽいところにいると鼻や目がぐじぐじとかゆくなってしまう。喘息もアトピーも花粉症以外のアレルギーも妹二人にはなく、どうやら私だけがアレルギー体質を引き継いでしまったようである。これで食物アレルギーがないというのが、一つの救いだろうか。

 だから私は妹二人より病院に行った回数が多いはずだ。喘息が出れば吸入してもらい薬を出され、アトピーが酷いときは皮膚科で薬をもらい、アレルギーが酷くなったときは薬を買い求める。そんな感じで病院に行くと、小さい頃はよく市民病院の購買でジュースを買ってもらった。それ自体はなんてことのない、ヨーグルト風味の缶ジュースなのだが、ポケモンのメダルがおまけとして付いていた。当時からポケモンが好きだった私はそのメダルを集めていた。何が付いているのかは開けてからのお楽しみだった気がする。一応、レアとして金色のメダルもあったようだが、私は一度もそれを見たことがない。それでも押し入れにじゃらじゃらと二十枚くらいは集めてあった。一度に二つ買ってもらうことはないだろうから、あの枚数以上に病院に行っていたことになる。

 話は逸れるが、私が体調を崩すときは、ほぼ必ず天気が悪かった。親に「下手な天気予報より当たる」なんて揶揄されたくらいである。おそらく低気圧や気温の変化が体調に影響を与えるのだろう。詳しいことは私にもわからない。


 未熟児だったからか、それとも単に生まれた時期が遅かったからか、私は背の順で並ぶと前の方だった。組み立て体操でも、六年生の時も上の方の役になるくらい、小さかったりした。それでもその辺りで成長のピークを迎え、今では約155㎝と、大きいとは言わないまでも平均的な身長になった。痩せすぎということもなく、普通に体重もある。中学の時に運動部に入ったからか、体もそこそこ丈夫になった。

 それでも、どこかで一歩間違えていたら死んでいたかもしれない。なのにこうして生きていることが、不思議に思えるのだ。

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