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紅一点ほど華やかさはなし

 男子ばかりが活動する部活動で、たった一人の女子が部活に励む――まるで青春を謳歌し、時には恋愛にも発展する物語のように聞こえるかもしれない。それが周りの男の子(イケメン)に言い寄られ、いわゆる逆ハーレムとなっていたなら、乙女ゲームやライトノベルのようだと思うだろう。

 ただしこういうのは、架空の世界ならの話だ。実際に直面すると、物語ほど華々しくもなければ、綺麗な物でもない。……こんな風に言うのは、私がたった一人の女子部員であったことがあるからである。



 私は高校生の時、ソフトテニス部に所属していた。その現役の一時期、正確には高校二年生のとき、私は唯一の女子部員であった。その頃は物語のように華々しい出来事はなく、むしろ苦難が多かったように思う。

 知らない人のために一応説明すると、ソフトテニスとは軟式テニス、または単に軟式とも呼ぶことがある。多くの人が思い浮かべる、黄色いボールを激しく打ち合うテニスは硬式テニスとも呼ばれ、似ている部分も多いが違う部分も多い別のスポーツである。

 そもそも軟式と言うくらいだから、使用するのはゴムボールで、握って形が変わるくらい柔らかいボールを使う。ボールが違うから(見た目はわかりづらいが)使うラケットも違う。またボールの打ち方や、ルールも微妙に違っている。ここでは詳しく述べないが、ともかく違うと言うことだけ覚えて置いて欲しい。


 一般入試を受け、市外の公立高校に通うことになった私は、入学したばかりは特に部活を決めていなかった。といっても、候補はあった。中学からやっていたソフトテニスを続けるか、親が大学の頃やっていたから興味のある演劇部に挑戦してみるか、あるいはSSH(スーパーサイエンスハイスクール)に指定されていた高校だったため数学部・物理部・科学部・生物部・地学部の理科系部活に入ってみようか。当時すでに小説を書いていたが公開はしておらず、文芸部は候補になかったように思う。

 そんな風に迷っていたから、勧誘に心揺さぶられていた。「見学だけでもいいから」と言われると、何となく見に行きたくなってしまったりするのだ。

 もちろん、ソフトテニス部からも勧誘を受けた。どういう経緯なのかは知らないが、中学の時にテニス部であった経験者のリストを先輩らは持っており、それを元にかなりピンポイントで勧誘してきた記憶がある。必然的に個人攻撃となり、先輩方に「見学だけでいいからおいでよ」と言われてしまうと断りづらかった。

 もともと候補にあったので、私は見学に行った。高校のテニスコートは5面だった。通っていた高校は「敷地の半分が林」「森の中に高校がある」と揶揄されることもあり、その例に漏れずテニスコートも木々の中にあった。まるで森の一部を切り開いてコートを作ったのではないか、とも思える。

 そんなテニスコートにたどり着いて、私はまず困惑した。木々の多さに、ではない。コートは確かにそこしかないのに、練習していたのは硬式ばかりだったのだ。確かに先輩はソフトテニス部があると言っていたはずだ。なのにどういうことだろうか、と。

 仕方がないので、硬式部員と思しき人に声をかけた。もちろんその人は勧誘してきたし、私がテニス経験者だと知るとさらに強く言ってきたが、私は軟式テニスのことをその人に聞いてみた。すると、奥のコートで練習していると教えてくれた。コートは5面あるが、教室に一番近い方から順に1コート、2コートと言うように名前が付けられており、一番奥、つまり5コートで練習しているのだ、と。

 とりあえず奥まで行ってみると、果たして軟式の人達がいた。勧誘をした先輩もいて、とりあえず安心した覚えがある。それだけ奥まった場所で練習していたのだ。ほとんど硬式に追いやられていると言ってもいい。それでもきちんと部活が存在していた。


 中学からの愛着があったからなのか、結局私はソフトテニス部に入部することにした。その高校の部活登録は部活ごとに指定された場所に行って、人数的にOKとなれば登録用紙を提出して登録完了、という制度を取っていた。兼部する場合は両方に用紙を提出する、という感じだったように思う。

 私はソフトテニス部に指定された教室に行った。そこにはすでに何人かの先輩方がいた。男子も女子も、どちらも同じ部屋に集まっていた。やがて先輩方や、同学年の男子達も部屋に入ってきた。けれど同学年の女子だけは、一向に入ってくる気配がなかった。いや、結論から言ってしまえば、私以外の1年女子はいなかったのだ。

 思えばこのときから、私の運命は決まっていたも同然だったのかもしれない。けれど当時の私は、いくらか場違いなのではないかという不安を抱きつつも、同学年がいないのはちょっと残念だな、くらいにしか思っていなかった。


 入部したとき、女子部員は2つ上の三年生が3人、1つ上の二年生が3人、そして異粘性が私1人と、合計7人だった。ちなみに男子の方は、三年生はよく覚えていないが二年生が8人、一年生が5人と、そこそこ人数がいた。

 ソフトテニスは例外もあるが公式試合では二人一組で行うことがほとんどであり、個人戦と言ってもペアの2人が必要である。団体戦の場合は3ペア、すなわち6人が1チームである。

 だから女子の先輩方だけでも6人そろっていたため、ぱっと見それで十分にも見えた。けれど実は三年生の一人が足を悪くして試合に出られないという状況だったため、三年生最後の大会に一年生ながら私も出場するということになってしまった。

 経験者とはいえ半年ほどのブランクがあり、その大会では満足に動けなかったように思う。だから大した戦力でもなくて、先輩には迷惑をかけた。


 そんなこんなで2つ上の代が引退し、1つ上の二年生が台頭する季節になった。私は感覚を取り戻しつつ新しい練習法やトレーニング、技などを覚えるために練習した。練習は大抵、男女混合だったが、女子だけで固まっていることも多かった。

 1年女子一人で、女子だけを見ても先輩の方が多く、教えてもらう機会としては多かった。ただ先輩によって教え方が違うし、時には先輩同士がどう教えるかで言い合いになることもよくあった。どちらの言い分が正しいのかなんてわからなかった私は、先輩が言い合いを始めてしまうと落ち着くまでおろおろするしかなかった。これも当時の受難の一つだったと思う。

 さらに、3人の先輩のうち1人が、ソフトテニス部を辞めてしまった。私合わせて女子3人で部活をしていた記憶が強いから、たぶん5月や6月のことだったんじゃないかと思う。少なくとも夏休みの合宿の前だったことは確かである。

 もともと団体戦に出るのもオープン参加という形でぎりぎりの人数だったが、3人になると団体戦どころか個人戦も迷うものだ。先輩二人がそのまま出場することもあるが、私と先輩の一方が組んで出場することもあった。私はめちゃくちゃ上手いプレーヤーという訳でもなかったから、出場させて貰う時は申し訳なさがあった覚えがある。

 もちろん悪いことばかりではない。同級生がいなかったから必然的に先輩が話し相手となり、かなり親密な関係となっていた。特に二年生の時に文理選択や科目選択があったから、そういう話もできたのが得だったと思う。先輩後輩という微妙な隔たりはあったが、冗談を言えるくらいには信頼感があった。


 さて季節がめぐって学年が上がった頃。私は男子や先輩と共に部活勧誘をしていた。廊下にポスターを貼ったり、朝の登校を待ち構えてビラを配ったり、昼に一年生の教室に突撃し、特に経験者の人に声をかけたりした。

 少しは手応えを感じ、誰か来るだろうと期待して臨んだ部活登録の日。男子の新入部員は10人ほど来た。しかし女子の方は、誰も来なかった。私はショックでしばらくその事実が受け止められなかった。

 しかし事実は事実。人数が増えないまま、教える相手もいないまま、私はまた練習に励むことになった。そして大会を終え、1つ上の三年生は引退し、二年生が台頭する季節となる。一年生が入らなかったが故に、私は唯一の女子部員となってしまった。

 私が通っていた高校は進学校だったから、受験生である三年生は早めに部活を引退する。他の高校が7月の大会まで三年生が台頭するのに対し、私の高校はそれより一つ前の大きな大会が三年生の最後の大会となる。それが春、つまり4月末頃なので、次の年に新入生が入るまでの1年弱もの間、女子は私一人だった。


 その期間が、部活生活の中で一番受難の時期だったと改めて思う。

 練習そのものはもともと男子と合同だったから、ボールの打ち合いも一応は問題なかった。けれど大会は男女別だ。前述の通りソフトテニスは個人戦でも二人必要で、一人では出場出来ない。だから出場しようと思ったら、別の高校のフリーの人にペアを組んでもらうことになる。時にはある高校のチームに入れてもらって団体戦に出たり、社会人も参加可能な大会なら高校のOGにペアを組んでもらうこともあった。

 人数的に余裕のある高校があれば、運営に頼むなどして組ませてもらえるから、それ自体は簡単だ。けれど、そうして組んでもらえる相手は、当然ながらその高校の主力メンバーではない。時には一年生であったりもする。もちろん主力でないからと言って必ず負けてしまうと言う訳ではないし、私自身の実力不足による敗北だって当然ある。フォローが上手かったら、そこそこいい試合になるのかもしれない。

 だから一番問題となるのは、ペアが“その日初めて話す相手”だということだった。私は喋り上手じゃないからなかなか会話も弾まないし、事務的な内容でも伝え切れていないこともあった。その上、ペアを組んでくれる人の癖や得手・不得手もその大会当日の事前練習や試合中に把握しなければならない。その上で作戦を構築し、相手に伝える必要がある。

 ただ練習環境、特に試合構築の教わり方が違う可能性もあるから、短い会話で作戦を伝えきれるとは限らない。しかもそのペアの人が作戦に関して無頓着だと、さっさと会話を切り上げられることもあった。

 こういった要因が私自身の実力不足に重なり、私はなかなか苦しい思いをしていた。


 練習自体は行えると言ったが、女子がたった一人男子の中に混じるのは、易しいことではなかった。

 男子の方が体力も力もある。だから球速が速い上に、女子だったら追いつけなかったであろうボールも拾ってしまう。速いボールに慣れるという意味では良かったのかもしれないが、やはり練習中はつらく感じることも多かった。

 男子のペースに合わせてしまうと、バテるなんてレベルじゃなく疲れた。例えばボレー(ネット際で直接コートに返す打ち方)練習をした後、男子は皆平気そうなのに私はかなり息が上がっていた、なんてことはしょっちゅうだった。また、体力作りのトレーニングも、男子に合わせてしまうと喘息が若干出てしまうくらいハードな物になってしまう。

 女子の先輩がいたときは、その女子の先輩のペースに合わせてしまえば良く、楽だった。だが女子が一人しかいない状態で“女子のペース”なんて作り出そうものなら、かなり目立つ上に邪魔になる。だから私は、肺が破けるんじゃないかという苦痛と闘いながら、それでも必死に男子について行った。

 おかげで、三年生の体力テストは部活引退後に行われたにも関わらず、特に持久走のタイムが二年生よりも良くなっていた。また後述するが、最後の大会で大暴れしてもほとんど疲れなかったくらいには、持久力がついていたのだった。


 といっても、男子と部活したおかげで楽しかったこともある。

 一度だけ、男子の練習試合に混ぜてもらったことがあった。女子は一人だったから、かえって混ぜやすかったのかもしれない。もちろん相手は全員男子だ。両方合わせても私は紅一点だった。

 最初、私はなめられていた。はっきり言っていた訳ではないが、「一人女子だから適当にやれば勝てるだろう」というような雰囲気があったのだ。一般的な女子は男子に敵うことは稀だから、取るに足らない相手と思われても仕方がない。

 けれど、当時の私はすでに男子に混じって適応しつつあった。しかもその日は調子が良かったらしく、3勝2敗という好成績を出したのである。もちろんペアが男子だったというのもあるが、それを加味しても好成績であったのは間違いない。

 試合が進むにつれて相手が「こいつただ者じゃない」「本気でやらないとやべえ」みたいな雰囲気に変わっていったのを、今でもよく覚えている。なめられることはわかっていたから、それを見返し実際何回か勝てて非常に興奮した。今でもそうだが、実力が上のはずの相手に危機感を覚えさせるという感覚は、ぞくぞくと喜びに打ち震えるものなのだ。


 冒頭でも述べたが、私は紅一点だったが、そこに恋愛要素は何一つなかった。「部活の仲間」という認識はあったが、男子の周りの誰に対しても恋愛感情は抱かなかった。別の言い方をすると、“男子”だとは思っていたが、“異性”という意識はなかったのだ。

 一方で男子からも、私はいわゆる女子扱いをされなかったように思う。試合練習でハンデとしてポイントをもらうことはあったが、それだけだったと言ってもいい。多少は遠慮していた部分もあっただろうが、こと練習や試合に関して言えば、他の男子とほとんど同じ扱いだった気がする。1つ上が引退した直後はまだ遠慮がちだったから、たぶん慣れでそうなったのだろう。

 おまけに私は男子に媚びない性格だった。そもそも可愛がってもらおうと思っていなかった。むしろ対等になれるならそれがいいと考えており、上記にあるような苦労も表だって弱音を吐かなかった。だから、余計に女子扱いされなくなったのだろう。


 傍から見ると、私は「強い人」に見えるかもしれない。実際、引退した先輩が部活に顔を出したとき、「女子一人なのに続けてて強いね」というようなことを言われたことがある。けれど、私自身は素直に肯定していいのかと、疑問に思っている。

 女子一人で苦労した点は挙げたが、私に無理して耐えていたという感覚はなかった。部活をやめたいと思ったこともなかったし、実際にやめなかった。純粋にテニスが好きで、上手くできると楽しいという情熱で続けていた部分もある。けれど私がテニスを続けていた一番の理由は、それが部活だからだった。つまり平日だから通学・通勤するのと同じように、その日部活があるから部活に行くのだという感覚。言い方は悪いが、惰性で部活に赴いていたと言えば伝わるだろうか。

 部活動というのは日々繰り返される日常の一つとして私の中に組み込まれており、それが当然だと思っていたからやめようなどとは微塵も思わなかったのだ。もしもどこかで一度サボって、サボるという感覚に慣れていたら、こうも持続しなかったかもしれない。さらに元々の生真面目さがサボるということを忘れさせ、持続に一役買っていたのだろう。

 だから努力などとは呼べず、自慢出来るほどのことでもないと私は思っている。果たしてこれを読んだ人がどう思うのかはわからないが。



 そうして再び季節はめぐり、私はとうとう最後の大会を控えた三年生になった。今年こそは、という思いで男子に混じって勧誘に励んだ。先生方も勧誘に協力してくださった。そして、私の苦労が報われるときが来た。

 6人の一年生が、ソフトテニス部に来てくれたのである。いや、この言い方は語弊があるか。正確に言うと、先生が私が最後の大会を終えるまででいいからという条件で、5人の一年生を集めてくれたのだ。そのうちの3人は後で硬式に正式に入部したが、なんと2人の経験者と1人の初心者がそのまま入部してくれることになったのだ。たった3人とは言っても、入部してくれたということが私は何よりも嬉しかった。

 またそのおかげで、私は団体戦に出場出来ることになった。「せめて個人戦だけでも」という状況が長く続いたがために、同じ高校のメンバーだけで団体戦に出られるというのは、まさに夢のようだとも思ったものである。そうして、私と新入生達は大会に向けて調整することになった。

 けれど、大会当日、一人が体調不良で出場出来なくなってしまった。もともとぎりぎりの人数だったために補欠は立てられず、団体戦はオープン参加という扱いになってしまった。人数が足りないため、例え予選リーグで勝ったとしても決勝に上がることができなくなってしまったのだ。

 もっとも、受験を終えたばかりの一年生を集めたメンバーだから、本気で磨き続けた三年生のチームに勝つのはそもそも難しい話だった。また、勝敗の概念がなくなった段階で、私はもう吹っ切れていた。勝てないのなら、せめて思いっきり試合をしよう。そういう楽な気持ちで試合に臨むことができた。大きなかけ声を出し、ペアがミスをしたら励まし、点を取ったら勢いよくハイタッチ。ひょっとしたら後輩にドン引きされていたかもしれないくらいのハイテンションで、私は試合をした。

 案の定、チームは惨敗だった。けれど、私は悔しいとは思わなかった。後悔もしなかった。最後の大会で団体戦に出られて、なおかつ思う存分試合ができた。それだけで十分だった。

 オープン参加だから、足りない分一人が余計に出場しなければならなかった。最初の相手だけは一年生の一人が2回出たが、あとの二試合は両方とも私が2回試合に出た。元々私は前衛(主にネット付近でプレーする選手)だが、その大会では後衛(主に後ろでプレーする選手)にもなり、コートの端から端まで走ることもあった。前衛でも積極的に動いた。そんな状態で合計5試合に出たことになったのだが、私はそこまで疲れていなかったように思う。男子とのトレーニングの成果が現れていたのだろう。


 団体戦の一週間後には個人戦があったが、そこでもペアのはずの一年生が休んでしまい、やむを得ず私は棄権した。締まらない終わり方だったが、そこで私は部活を引退した。






~後日談~


 それから私は受験生となり、勉強の末に大学に現役合格した。そして夏休み、OB戦に参加した私は、新たなソフトテニス部の状況を知ることになる。

 着々と部員が増えていたのだ。特に二回目に行ったとき、そのときの一・二年生(つまり私の3~4つ下の学年)の女子部員が合わせて12人ほどになっていた。余裕で団体戦メンバーが組める人数である。お互いに教え合える機会も増え、圧倒的に私よりも恵まれた状況だった。

 だからといって、私はひがんだりしなかった。女子のソフトテニス部がきちんと存続し繁栄していることが、素直に嬉しかった。個人戦にも出られない不幸に遭うのは、私だけでいい。私が最後であるべきだ。それに部員が増えてくれたおかげで、私がかろうじて繋いだ皮一枚のようで、なんだか誇れることに思えるではないか。

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