邂逅編03
炎のような紅瞳を真正面から受け止めるにはそれなりの勇気を必要とした。
身体の震えを悟られぬよう、必死の虚勢で言い返す。
「……自分の身ひとつ守れないなら、最初から危険を回避すれば良いだけだ。……違うか?」
強い口調で言い放つ。
自分にはそれが出来る。決して外法にまみえる事は無いと。
自負ではなく、あくまでも明確な事実としてそう告げる。
アズはふん、と不満げに鼻を鳴らして、鋭い紅瞳を細めた。
「ああ、風の《順風耳》と《千里眼》はお前の得意技だったっけな。なるほど確かに、こそこそと辺りを伺うには便利な能力だ」
こと探査捜索という分野に於いて、風の有鱗の右に出る者は無い。
ミリィの鱗位は単鱗。能力的に見れば下位の有鱗であるが、彼のたった一枚の鱗は純粋な白色に彩られていた。
それはフローレスと呼称される最上の純度。
特定分野に於いて突出した能力を発揮するフローレスにあって、ミリィは探査能力に秀でた風鱗だった。
ミリィの得意とする法術はふたつ。《順風耳》と《千里眼》。
《順風耳》は聴覚を、《千里眼》は視覚を、それぞれ広域に渡って展開する法術である。
その知覚範囲には個人差があるが、ミリィであれば最大半径5キロ。
その空間全ての事象を認識し得るミリィにとって、危険を回避する事などたやすい事だ。
だが風が探査に優れるように、火は九鱗中で最強の攻撃能力を誇る属性であり、その紅い鱗の保有者は炎さながらの猛々しい性質を持つ者が多い。
戦う前から尻尾を巻いて逃げる、そうした行為に激しい憤りを示すアズの目に、ミリィは唾棄すべき臆病者としか映っていないのだろう。
――ああ、本当に。
気に食わないなら放っておいてくれれば良いのに。
そんな願いも空しく、聞こえてくるのは床面を打つ靴音。
近づいてきた、人の形をした影がミリィの反面を覆った。
縮まったアズとの距離が息苦しい。
「俺はてっきり、お前が『怖いよ怖いよー』ってガタガタ震えてるんじゃないかと思ってたぜ?…………泣いて頼むんなら、一緒に行ってやっても良いと考えてたんだが」
冗談にしては笑えない。
そう思っているのに、表情に浮かぶのは何故だか笑顔だった。
――きっと、とてもみにくい顔で笑っている。
「……余計なお世話だ」
ミリィはそう短く言い捨てると、アズに背を向け足早に歩き出す。
これ以上、彼と対峙していたくなかった。
一秒でも早くここから去りたかった。
自室に帰るにはむしろ遠回りになる、曲がる必要の無い角を曲がったのは、背に突き刺さるアズの紅い瞳から逃れたかったから。
身体を直角に回転させ、回廊から分かれた細い通路に進む。
回廊を照らす陽光もここまでは届かない。薄い影の中でほぅと一息つくミリィの耳に、鋭い舌打ちの音が飛び込んできた。
反射的に耳を塞ぐ。目を閉じる。それでもミリィには《視え》た。
一人回廊に残ったアズがちっと舌を打ち、苛立たしげに柱を蹴り飛ばす、その様を。
《順風耳》や《千里眼》といった法術を発動させている訳では無い。
ただ数十歩程度の近距離であれば、たとえ視覚の外にある事でも、ミリィにはそれが分かるのだ。実際に目にするのと同じように。
――知りたくもない事まで。
だからミリィは嫌いだった。
服の布地越し、脇腹にそっと手を遣る。
其処には、只人にはありえないモノ、神の力のひとしずくが宿っている。
九頭竜の恩寵とされる、けれどミリィにとっては重い枷でしかない、白い白い鱗が。