捕獲者と餌
モータースポーツ参戦計画の二輪監督に任命された時、アレクセイはまずオートバイレースについて徹底的に調べた。ロードレースだけでなく、モトクロスやトライアル、ダートトラックに至るまであらゆる資料を取り寄せ、下手な解説者など足許に及ばないほどの知識を身につけた。
当初、アレクセイの考えではオートバイのロードレースの勝敗を決定づけるのは、マシンやタイヤなどのハードウェアが七割、乗り手の技術と作戦が三割でだと捉えていた。その分析はほぼ的を得ていたが、やり方次第でその割合を五分五分にまで出来ると踏んでいた。
残念ながら自国の工業技術は西側に比べ大きく遅れている。モーターサイクルなど完全に時代遅れの物しか作っていない。
いくら日本などの二輪メーカーが積極的に参戦していない最小排気量クラスであっても、簡単に追いつけると考える程楽天主義者ではなかった。
自分たちにはモーターサイクルロードレースに関して、何のノウハウもない。
自身も自転車選手として勝負の世界で生きてきたアレクセイには、まともな方法で勝負にならないのはわかっている。
同じ事をやっても絶対に勝てない。向こうには積み上げた経験がある。それゆえにそのレーススタイルが当たり前だと疑っていない。奴らのスタイルにつき合う事はない。自分たち独自の戦い方で奴らの牙城を突き崩してやろう。
先ず、殆ど全てのモータースポーツに共通するセオリーである軽量化に注目した。マシンの軽量化には、いつの時代も最先端の技術が注ぎ込まれている。後追いで上回るのは困難だ。ならば乗り手を軽くすればいい。マシンを1キログラム軽くするより、1キログラム軽いライダーを乗せる方が簡単だ。5キログラム軽いライダーなら、エネルギーの絶対量が小さい80ccクラスならそれだけで多少の性能差など覆せるだろう。
彼はライダー候補の基準を体重43キロ以下とした。この時点で東側でも盛んに行われていたモータースポーツであるアイスレースやスピードウェイ(楕円のオーバルコースで行われるダートレース)のライダーたちは除外された。これらのレースのライダーは激しいぶつかり合いを繰り広げるゴツい猛者たちばかりだ。猛者でなくとも体重43キロ以下の男性と言うと一般的な成人で捜すのは難しい。スポーツ選手となると皆無と言っていい。ボクシングやレスリングなどの体重別クラス分けのある競技にも、それほど軽いクラスはない。
だが女子なら大勢いる。モータースポーツに男女分けはない。体操、新体操、フィギュアスケート、陸上の長距離、バレエ……。小柄な選手がトップレベルで活躍している分野は沢山ある。どれもソビエトが世界をリードする分野だ。秀れた才能は豊富にいた。それ以外からもアルペンスキーやリュージュ等のスピード種目からも、身体能力は高くても体が小さい為に強化選手から洩れた者をピックアップしていった。
彼女たちにはレースはおろかオートバイに乗った経験すらなかったが、アレクセイにとって大した問題ではなかった。十代後半からレースを始めて、世界チャンピオンになった者など幾らでもいる。必要なのは運動センスとメンタルの強さだ。
アレクセイの分析では、GPのトップライダーでも彼女たちほどの身体能力を持つ者は多くない。いや、運動センスに関しては、全クラスのトップライダーたちをも軽く凌駕しているだろう。ソ連のスポーツ選手育成機関での熾烈な競争で鍛えられた彼女たちの精神力も、チャラチャラしたGPのスター選手などとは本質からして違う。
ここまで、チームはアレクセイの想定を超えるほど順調に仕上がっていた。今や彼の育てた雛たちは、獲物を狙う猛禽のように鋭くコースを攻めている。経験の差などもはや問題にならない。単純に走行距離だけなら、GPを走っているライダーが、レースを含めて一年間でサーキット走行する距離を数週間でこなすペースで走り込んできた。実戦は練習とは違うのは充分理解している。
それに対してもアレクセイは、レース経験の差を打ち消すべき、これまでのレース常識をぶち壊す秘策を用意していた。
自分の作り上げたチームが、既に世界GPのレベルにまで達しているとは思っていたが、確信が欲しかった。資料を集め、何度かGPの視察もしていたが、実際に同じコースを走って比べてみなければわからない。かと言って、戦闘部隊ではないと言ってもソ連の軍に所属する者たちが、団体で西側に入国するのは窮めて面倒な手続きが必要だった。GPへの出場が認められた後ならともかく、現時点で入国を認める西側の国はまずないだろう。ライダーとメカニックを合わせて20人以上、それにマシンと工具にパーツの山。これだけの一団が入国しようとして疑われない方がおかしい。一旦、軍籍を外す事も考えたが、下手な小細工は却って疑いを招き兼ねない。今後、本格的にGP参戦を目的とするなら、不必要なトラブルは避けたかった。
こちらが行けないのなら、向こうから来てもらえばいい。外国人を秘密の軍需施設に入れるのは異例ではあるが、まったくない訳ではない。技術顧問というかたちであれば、許可されるだろう。国の威信を賭けたプロジェクトである。
これまでマシン開発のアドバイスと実戦テストに協力してもらっていた西ドイツのGPチームを招くように手配した。
初めての狩りには、手頃な餌だ。
クラウスとフランツのミッターマイヤー兄弟は、シーズン開幕1ヶ月前にナイマン氏から連絡を受けて、ポーランドに向かった。その頃には彼らのマシンのほとんどは、ポーランドで造られていたが、その地を訪れるのは初めてだった。共同で開発したニューマシンが完成したので、テストして欲しいとの依頼だった。不具合があれば、その場で改修出来る。向こう側の技術者とは何度か合っていたし、開幕まで時間がない時期だったので、余り深く考えなかった。上手くすれば、開幕戦を新しいマシンで迎えられる。
西ドイツから直接ポーランドに向かう便がなかったので、オーストリアから陸路チェコスロバキアに入り、そこから彼らの手配した航空機でポーランドに飛ぶ手筈になっていた。オーストリアからの手続きは、すべてナイマン氏に任せていた。
チェコに入国するとナイマン氏の代理の男に案内されて、空港に連れていかれた。そこで彼らが乗せられたのは、大型トラックがまるごと二台は積め込めそうな巨大な輸送機だった。
機体は巨大でも、人が乗るスペースは狭く簡易な椅子しかない。窓も塞がれており、外の様子はまったくわからない。さすがに不安になってきて、代理人に本当に安全なのかと問い詰めた。それに対して彼はあっさりと真実を語り始めた。
「私たちの工場は、実はソビエト領内にあります。場所は教えられませんが、これから其処へ同行願います。目的はお願いした通り、新しいマシンのテストと実はもう一つ、私たちが育成しているライダーの指導をして頂きたい」
兄のクラウスは然程驚かなかった。自分たちがとんでもない事に関わってしまっている事は推察していた。自由主義の安全を脅かす軍事的な活動でないだけマシだった。問題は無事に帰れるかだ。
「ご安心下さい。あなた方にはこれからも協力して貰いたい。私たちには実戦でのデータがまだまだ必要なので」
クラウスの不安を予測して用意していたような口振りで代理人は語った。
「それに指導していただくライダーたちは、全員若い女性です。きっと素晴らしい思い出になるでしょう」
そう言われても、これまでの経緯を振り返れば簡単に信じられない。クラウスは弟の耳許に顔を寄せ小声で呟いた。
「どうする?フランツ、このまま故郷に帰れなくなるかも知れないぞ」
しかしフランツの方は、能天気に代理人を気にする事なく大声で答えた。
「いいんじゃねえのかぁ。ウォッカでも飲みながら若いネエちゃんたちに囲まれてしばらく過ごすのも悪くないぜ」
「馬鹿!真面目に考えろ。俺たちは奴らの秘密を知ってしまったんだぞ」
フランツのふざけた態度に、クラウスも声を荒げた。
「秘密ったって、ソ連でレース用バイクを作って、若い女の子に乗らせようとしてるだけだろ?アメリカに核ミサイル撃ち込むとか、フィンランドに侵攻するとかならともかく、そんなにビビる事ないって。第一、この状況で今さらどうしようもないだろ?ジェームス・ボンドじぁあるまいし」
確かにフランツの言う通りだった。もはや引き返せない所にいる。もしかしたら、弟は自分より冷静に状況を理解しているのかも知れない。
「たぶんボリジョイサーカスやバレエ団みたいなもんさ。経済的に困窮している国としては、外貨稼ぎの足しにしたいんだろ。確かに可愛くてそれなりに走れれば、結構稼げるかも知れないぜ」
モータースポーツ界でも、女性の進出が盛んになってきていた。二輪のGPにも女性ライダーは登場してはいたが、実力容姿共にパッとせず、少し話題になっただけで忘れ去られた。それでも一時的には大口のスポンサーもついて、テレビCMなどにも出ていた。スポンサー捜しに苦労していた一部のライダーは僻みと皮肉をこめて、「二階級特進」と呼んでいた。
当時のGPは500を頂点として、250、125、80の4つのクラスがあった(+サイドカー)。当然、500が一番人気もあり、スポンサー料も高額だったが、経費も桁違いに掛かる。排気量が小さくなるほど、経費も少なくて済むが、スポンサー収入も少なくなる。それは仕方ない。しかし、女と言うだけで、二つ上のクラスのスポンサー収入を得ているとまで噂されていた。つまり125にエントリーする女性ライダーは、500クラスの同じ程度のランキングライダーと同額のスポンサー料を得ているという意味である。勿論、単なる皮肉で、GPライダーとして情けない妬みではあるが、女性ライダーが実力以上に注目されていたのは事実だった。「あれで美女だったら、ホンダワークスをチームごと買い取って、一台には彼女を乗せるのに」とつい口に出してバッシングされた大富豪もいた。
フランツの推察は、それほど的外れとも言えなかったが、彼が真面目に考えていたとは言えない。
「バイクだけでなく、男の乗り方も指導してやろう」
クラウスは、バカな弟の呟きを耳にして、絶望的な気分になった。