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最速の女王  作者: YASSI
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世界の涯での日常

 鏡を見ながら自分でバッサリ切ったエレーナの髪を、ナターシャがきれいに整えてくれた。

 体操選手にとっては、髪や化粧などのメイクアップも大切な表現だ。専門のメイク係がつくこともあるが、基本自分でも出来る。エレーナもスベトラーナもある程度出来たが、ナターシャの腕前はその容姿同様、完璧だった。


 孤独になったと思い込んでいたエレーナに、ナターシャもスベトラーナも家族だと言ってくれた。二人だけではない。ここにいる候補生みんなが家族同然だとエレーナに宣言した。勝手な都合でここに連れて来られ、自分たちの存在を示すにはこの道で頂点をめざすしかないのは全員同じだ。理不尽な運命を押しつけられたエレーナの気持ちは誰もが共有出来た。オートバイレースという未知の世界に不安も拭えなかったが、みんなといる時間に温かさを感じるようになっていった。


 ここでの生活は、早朝に叩き起こされ、全員でのランニングと軍隊式格闘術の型を模した体操から一日が始まる。まるで軍隊のようであったが、ここは軍事施設であり、事実彼女たちの身分は軍に属している。正真正銘の軍人だった。

 朝食のあと、オフロードバイクによる基本バイク操作のトレーニングをたっぷりし、着替えてコースに出ての本格的なレーシング走行に入る。夜には基礎体力トレーニングと理論やレースに関する座学などを学んだ。日の長い夏場には、10時間以上コースを走る事もあった。逆にコースが雪に覆われる冬場には、オフロードバイクで雪上を走った。結構楽しかった。

 自らの意思でレーシングライダーをめざす男でも音をあげるようなハードなスケジュールを、小柄な少女たちは難なくこなしていった。彼女たちは普通の女の子ではない。スポーツエリートとして、幼い頃から練習漬けの日々を送ってきている。一旦、腹を括れば積極的にトレーニングに挑むようになっていた。


 エレーナもバイクの扱いに慣れると、この不安定な乗り物が気にいった。体操のようにどうしても審査員の主観の混じる採点競技より、並んで誰が速いかをはっきりさせる競争スタイルも、エレーナの性格には合っていた。走り続けていないと、自力で立っている事すら出来ないこの乗り物を、自分と重ね合わせ愛おしく思うようにすらなっていた。


 監督であるアレクセイは、冷徹な態度を崩さなかったが、どんな時もチームの競技力向上を最優先する姿勢は、ある意味これまでの指導者より信用出来た。


 世界の涯での苛酷な日々も、いつしか少女たちにとってはあたり前の日常になっていた。



「わんぱくな男の子みたいなエレーナも可愛いかったけど、ちょっとヤバいくらいカッコイイんですけど」

 ナターシャにビシッとヘアメイクを極めてもらい、初めてみんなのいる食堂に姿を現した時のエレーナに対する少女たちの反応だ。これまでもチームメイトたちを惹き付けてきたエレーナの力強い魅力が、ショートヘアになったことでその男気?を更にアップさせていた。同世代の異性と接触する機会のほとんどない状況にいる少女たちにとっては、成績トップにいるエレーナは、目標とする存在としてだけでなく、憧れの対象にもなっていた。

 しかし、彼女たちがどんなに憧れの思いを抱いても、エレーナにその気持ちを伝えることは出来ない。エレーナが近寄り難いオーラを放っているからではない。むしろ彼女は以前より打ち解けて話しやすくなっていたが、エレーナの傍には、いつもナターシャとスベトラーナがいたからだ。


 ナターシャはまだいい。エレーナとスベトラーナだけでなく、候補生全員の姉のように誰にでもやさしく接してくれていた。難関はスベトラーナだった。エレーナが益々凛々しくなったことで、他の少女たちがエレーナに近づこうとすると強く警戒するようになっていたのだ。エレーナと話しをする時には、必ず傍で聞き耳を立てている。要件以外の会話をしようとすれば、『用が済んだらさっさと失せなさい』とばかりに睨み付けてくる。告白などしようものなら、噛み殺されそうだ。

 思えば体操時代からずっと同室だったし、いつも一緒にいることが多かった。だからといって、二人があやしい関係かと言うと、強い友情で結ばれてはいたが、エレーナの側はまったくそんな素振りもない。どうやらスベトラーナの一方的な片思いのようだった。


 スベトラーナ自身、どうしてそんな行動をとるのか自分でも戸惑った。誤解され易い性格のエレーナが他のチームメイトたちと打ち解けたのは歓迎すべきことだ。自分たちがこの世界で夢を叶えるには、チームで協力しなくてはならない事は理解している。なのにエレーナがほかのコと仲良くしているとイラついてしまう。ナターシャとですらエレーナと二人きりにしたくない。


 スベトラーナの苛立ちが、嫉妬心から沸き起こっているということは誰もが知っていたから、彼女をハブろうとかいう流れにはならなかった。当のエレーナがまったく気づいている様子はないのが可笑しくて、結構愉しんでいた。ナターシャも微笑ましく思い、少しいたずらしてみたくなった。


「もしも宿舎が変わって、二人部屋になったらエレーナは誰と一緒の部屋がいい?」

 エレーナとスベトラーナを前に、ナターシャは意地悪な質問をしてみた。

「私はずっと三人一緒がいい」

 エレーナが予想通りの返答をする。スベトラーナは少し残念そうな表情を浮かべた。

「それじゃダメよ。例えば遠征先で二人部屋しかなかったらどうする?」

「別に二人部屋でも三人で泊まればいいと思う。私は構わないけどナターシャさんは狭いのは嫌なんですか?」

「嫌とかじゃなくて、ホテルとかは二人部屋に三人で泊まってはいけないところもあるのよ」

 エレーナは少しさみしそうな表情をした。

「……だったら別に誰とでもいい。割り当てられた部屋で寝るだけだから」

「ちょっとエレーナ、誰とでもいいってなに?私たちずっと一緒に助けあうって約束したじゃない!」

 エレーナとしては、二人に気を使ったつもりだったが、エレーナにぞっこんのスベトラーナは思わず口を挟んでいた。

「あっ、そうか、じゃあスベタと一緒でいいや。ナターシャさんごめんなさい」

「じゃあ、ってなに?私と一緒でいいや、ってどういう意味?なんでナターシャさんに謝るの?」

 スベトラーナは身を乗り出してエレーナに詰め寄った。

「スベトラーナは本当にエレーナが好きなんですね」

「べ、別にエレーナが好きってわけじゃないですから。ナターシャさんも知っての通り、エレーナは運動神経は抜群ですけど、人としての生活能力ゼロですから。部屋でも下着とかも脱ぎっ放しで私が片付けないと散らかし放題でしょ?他の人にそんな迷惑かけられないから仕方なく私が面倒みてあげるのよ」

「そこまで言わなくてもいいだろ?私だって自分の下着ぐらい片付けられる」

 エレーナが少しムッとして反論した。エレーナの機嫌を損ねたことを、スベトラーナはとっさに後悔したが、今さら後には退けない。

「出来てないから言っているのよ!ナターシャさんにまで迷惑かけられないから、いつも私が片付けているのも知らないの!」

 力業でエレーナを封じようとした。逆ギレではない。正当な怒りであったが、なぜか申し訳ない気持ちになる。それなのにエレーナはあっさり自分の非を認めて謝ってきた。

「悪かったよ、いつも面倒かけてゴメンね。本当にスベタには感謝してます。私はスベタがいないとダメな女です。これからも一緒にいてください」

 冗談めかして言ったのだが、スベトラーナは耳の辺りから湯気が吹き出しそうなくらい顔を真っ赤になっていた。

「ば、ば、ばか!それくらい自分で出来るようになりなさいよ。私だって他のコとのんびり部屋で過ごしたいんだから」

「これからは、誰と一緒になっても迷惑かけないように努力します」

「………。」(死んじゃえ、ばか!)

 スベトラーナはぷいと横を向いて口を訊いてくれなくなった。エレーナには、謝ったのにどうしてますます怒ったのか解らず困惑する。

「エレーナはもう少し人の気持ちを考えて話しをした方がいいわね。それと脱ぎっ放しの散らかし放題はやっぱり駄目よ」

「はい、すいません」

(これでも気を使ったのになぁ)

 尊敬するナターシャに言われれば反論も口にできないエレーナだった。確かに他人の下着を片付けさせられるスベトラーナには申し訳ないと思った。ナターシャは反省するエレーナをニコニコして眺めていたが、スベトラーナは顔を真っ赤にしたまま、ちらりと一瞥してまた横を向いてしまった。


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