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ラプラスの瞳  作者: 若槻 幸仁
プロローグ
4/78

無機質な少年


「何の話だったの?」


「くだらない話だ」

 柄叉はそう嘯いた。


「ふーん」


 直刃は、興味無さそうな素振りを見せながらも、心の中で歯噛みしていた。

 いつも、柄叉は自分の抱え込んでいるものを他人に見せない。何か、深刻な話をしていたのは一目瞭然なのに……。


(僕には、話してくれないんだね……)


 沈んだ表情を見せる直刃……。柄叉は、その顔色を見て、心配そうな顔をすると、


「大丈夫か? 直刃? 顔色悪いぞ、変なものでも食ったみたいだ」


「な、ちが、いや、ふ、ふん! そんなことは無いよ、別に、君に心配してもらわなくたって・・・・。別に・・・・」


 ほんのりと頬が赤くなる直刃・・・・。そっぽを向いて、ちらりと柄叉の顔を見る。

 不思議な雰囲気を醸す灰色の瞳、決して端整な顔立ちではないが人が良さそうで柔和な顔、直刃よりもいくらか高い背丈……。

 それを認識し、真剣な表情で、自分を心配してくれる柄叉の表情、直刃は、自分が何ともいえない感情に心を支配されているのに気付いた。

 しかし、そんな思いは柄叉にばれるわけには行かない。

 直刃は、すぐに俯いた。


「どうした? 本当に調子悪いのか?」


 もう一度、心配そうにする柄叉。

 それ以上はいたたまれなくなって、直刃は、すぐに目を逸らし、宙を見上げると、


「そ、そうだ! 今日の放課後、メモリーバンクに行ってみない? 久しぶりに、三十年前のチェスの名手、エレン=ワークスと柄叉が戦ってるとこを見たいな」


「ん、そうだな。俺も、一試合したいな」


「うん、うん! 行こう! 二人で!」


「いや、さやも誘おうぜ?」


「うん、そだね」


 何となく、直刃がテンションを落としたのに首を傾げつつも、柄叉は続ける。  


「みんなで行った方が楽しいからな」


「うん、そだね」


 直刃は肩を落としていた。


 放課後である。


「じゃあ、行こうぜ、二人とも」


 柄叉が直刃とさやに向けて言うのだった。

 二人が頷くと、柄叉は率先して歩き出した。その手にAECを持つのを忘れない。

 直刃とさやが小走りでその後に続き、教室をそそくさと後にする。

 

 メモリーバンクシステム、偉大な功績を残した人間や、財閥の金持ちなどを対象とし、その人格パターンを、ペーパーテストで調べ、更に脳をスキャニングし、その構造を、コンピューターに記録する。それによって、会話などの、日常的なコミュニケーションはもちろん、研究の助言などを受けることすら出来るシステムである。

 だが、あくまでコンピューターが脳のデータをスキャニングされた人間の思考パターンを基に受け答えをしているだけなので、向こうから何かをすることは無く、こちらが働きかけなければ、何も出来ないのだ。

 つまり、能動的な行動をすることは出来ないが、受動的な行動は出来るということだ。

 そのシステムは、メモリーバンクという施設で、使用することが出来る。

 だが、特殊なコードが無ければ、個人情報を扱うこのシステムを使用することは出来ず。ましてや、一般人である柄叉や直刃が世界的なチェスの名手と対局することは通常出来ないのである。

 しかし……、


「おお、柄叉ちゃんじゃない! 相変わらずいい男っぷりだねえ、二人も可愛い子連れちゃってえ」


「そんなじゃありませんよ、それに直刃は男です」


「あ、そっか! いっけね、忘れてた」


 気さくに話しかけてきたのは、日下部桐谷である。彼は、おどけ調子で大げさに驚いて見せた。冗談交じりのいつもの掛け合いだ。打てば響く、と言った感じの、恒例のやり取りなのだ。

 なのだが、何度来ても、可愛い子と言われて、顔を赤くするさや、直刃までもが顔を赤らめているのが謎である。

 それはさておき、メモリーバンクの職員である日下部桐谷が居れば、いわゆる顔パスが使えるのだ。

 桐谷は、柄叉よりいくらか背が高く、耳にピアスをつけた、茶髪の軽薄そうな顔の男だ。そんな容姿には、


「やっぱり、スーツ似合わないですね日下部さん」


 と、そんなふうな反応が帰ってくるわけであった。

 対して、桐谷は大げさに嘆くのだった。


「柄叉ちゃん、桐谷って、呼び捨てにしろって言ってるっしょ?」


 ただし、スーツが似合わないと言われたことではなく、柄叉が未だに自分を呼び捨てにしないことに対して……。この嘆きははっきり言って演技じみているが、不思議と鼻に付く感じはしない。

 柄叉は、桐谷の声を無視して、いつもの調子で尋ねる。


「日下部さん、エレン=ワークスのデータって引き出せますか?」


 エレン=ワークス、チェスの世界大会で、六年連続、タイトルを守りぬいたプロプレイヤーだ。


「モチのロンよ、柄叉ちゃん、あと、俺のことは桐谷ってよんでちょ」


「ありがとうございます。日下部さん、いつもの所ですか?」


「うん、いやあ、エレンも悔しがってたよ? 次は勝つんだって。あと、俺のことは(以下略)」


 そんなこんなで、柄叉と直刃、さやは、一室に通された。

 何故か、日下部も中に入って、居座る気満々といった感じで、パイプ椅子を三つ用意した。

 直刃とさやと自分の分である。柄叉の分は、テーブルに一つある。ここは、テーブルが真ん中に置かれ、黄色のライトが薄く室内を照らしている。床も、壁も全て黒塗りで、床には、一点だけ、3D投影機が設置されている。四十近い光源の、微妙な色の使い分けで、あたかも、そこに人が居るように、または、広告があるように見せる。


『やあ、久しぶりだね、柄叉くん』


 よく通る、壮年の男性の声が聞こえた。

 その瞬間、いつの間にかスーツを着た老紳士がそこに立っていた。


「どうも、エレンさん、一試合、お願いできますか?」


『願っても無いね、さあ、やろう』


 コクリと頷いた老紳士は、不敵に笑う。

 試合が始まる。

 いつの間にか、テーブルの上に、3Dのチェス盤が現れていた。

 柄叉が白、エレンが黒、二人はしばらく駒を動かしあった。

 その間に、桐谷は、直刃とさやの隣に来る。

 少し真面目な表情になった桐谷は、やぶからぼうに切り出した。


「柄叉ちゃん、相変わらずだねえ」


「どういうことですか?」


 さやがおずおずと聞いてくる。


「色んな意味でさ。詳しく言うと、三つくらいだけど。まず一つ目の相変わらずが何かと言うと、第一次演算領域ってのを保有しているんだっけ? 詳しいことは俺には分からんけどもさ、完璧に、エレン=ワークスが次にどう出るかを読んでる。柄叉ちゃんは、ラプラスシステムを使わずに、未来予知が出来る希少な人間だってのは聞いてるけどさ、それは、エレンも同じで、どっちも予知能力者なんだよね。それなのに、まがりなりにも世界を取ったエレン=ワークスの手を全て読みきって、優位に立っちゃってる。すごいよねえ、本当にすごい、相変わらずだよ、柄叉ちゃんは」


 そして、言葉を一旦切ると、「それに」と呟き、少し遠い目をした。


「ああしてる時が一番幸せそうだ。なのに、わざわざ才能を無駄にして、自分に合わない道を行こうとする……。相変わらずだ。全然変わってない。才能の無い俺からすると、本当に、妬ましいくらいだよ」


 言葉の割には、桐谷は不思議と棘を感じさせない、憐憫と哀愁が混じった表情で、遠い昔を夢見、郷愁に浸る故人のように、柄叉を見ていた。


「それに・・・・、」


 最後の「相変わらず」、それを食い入るように、直刃とさやは聞いていた。


 話し終えた頃には、勝敗は決していた。


『また、私の負けか、本当に素晴らしいプレイヤーがいたものだ』


「大げさですよ、まぐれです」


『日本人の謙虚さは、外国人から見ると、嫌味にも映るものだ。堂々と誇るべきだよ、君の力をね』

 エレンは、貫禄を感じさせる声で言った。

 柄叉は軽く笑いながら、会釈をして、


「肝に銘じます」


 対してエレンは満足そうに言う。


『よろしい、また来てくれたまえ』


 エレンは手を振ると、突如として消えた。


「エレン=ワークス、七度目の敗退か・・・・。さすがだね、柄叉ちゃん」


「ありがとうございます。日下部さん、じゃあ、俺は帰ります」


「あり? もう帰っちゃうの?」


「ええ」と答える柄叉に、桐谷は本当に残念そうな顔を見せた。

 だが、突然何かを思い出したように手をポンと打ち、


「朝霞が柄叉ちゃんに会いたいって言ってたんだけども、俺の家に寄ってかない?」


「すいません、今日は少し・・・・」


 申し訳無さそうに言う柄叉、対する桐谷は、「そりゃ残念」などと言いながら、柄叉の肩に手を置いた。


「まあ、また来なよ」


 そう言って、ひらひらと手を振り、ドアを開けると、三人に外に出るよう促した。

 柄叉はすぐに外に出た。


「柄叉くん、もういいんですか?」


 そんな背中を追いかけ、さやが聞く。


「ああ、ちょっと用事があってさ、二人とも悪いな。俺、直ぐ行かないと……」


「柄叉くん……」


 さやが、控えめな口調で、その名を呼ぶ。

「何?」と、柄叉は首を傾げた。


「何でもないです……」


 急に声をしぼませるさやに、柄叉は軽く笑って言う。


「おかしな奴だね、君も」


柄叉つかさ程じゃないにせよ・・・・、ね?」


 しかし、直刃すぐはにすぐさま切り返された。


「やられちゃったね、柄叉ちゃん」


 笑いがその場を支配する。

 しかし、一人を除いて、全員の胸中は穏やかではなかった。

 誰の為に、とは言うべくもない。一人だけ、心の底から笑っている人物、誰にでも優しく、しかし、実は誰にでも冷たい、無機質な少年の為に……。


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