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ラプラスの瞳  作者: 若槻 幸仁
プロローグ
2/78

遅れる理由

 そこで、少年は目を覚ました。

 いつもの夢だ。

 少年は、自分が知らない内に涙を流していたのに気付いた。


 涙を拭い、虚ろな眼を宙にさまよわせ、ぼんやりとした頭で、左右を見渡した。ベッドと、小さな机があるだけだ。それも、全時代的な、卓袱台のようなもの。

 物があまり置いていない簡素な部屋でアラームがけたたましく音を立てている。


 こんなにものが置かれていないのは、機能性を重視しているわけでも、生活に困って、家具を買い揃えていない訳でもなく。ただ、邪魔だったからだ。もちろん、金欠ではあるし、自分にとって邪魔なものを排斥するというのは、機能性を重視していると言い換える事も出来るだろうが、平井柄叉にとっては、邪魔だから置かないという認識しかない。


 少年、平井柄叉ひらいつかさは、眠たそうに伸びをすると、手を伸ばした。その瞬間、柄叉が起き上がった場所に、キーボードと、3Dの映像が展開された。映像の中心に、目覚まし時計のようなマークが表示され、『認証コードを発音してください』と表示される。その他には、いくつかのアプリを呼び出すマークが浮かび上がっており、これら全ては映像に触れることで、使用することが出来る。

 アプリの中には、勉強に使用するものや、娯楽に使用するものまで、多岐にわたってある。


「アラームを解除」


 少年は、めんどくさそうに言った。

 その瞬間、けたたましい音は消え、ディスプレイに新たな表示がなされた。

 キーボードを叩いた後、柄叉はキーボードから伸びる3D映像に触れた。『ニュース一覧表示』と、表示されたアプリだ。

 その瞬間、ディスプレイが更にi新たな表示を出す。


『今日の新着ニュースは十六件です』


 柄叉は、その表示の下にある、『閲覧』と言う欄を叩く。すると、ニュースの一覧が表示される。

 しばらく閲覧し、めぼしいものが無さそうだと判断すると、「ニュース表示解除」そう言うが早いか、ニュースの表示が消えた。

 そして、柄叉はキーボードを手に取ると、呟いた。


「携帯端末モードに移行」


 その瞬間、キーボードが折りたたまれ、手のひらサイズのコンパクトな黒い端末に変形した。

 艶やかなピアノブラックの外装、スイッチの類は一つも無い。3D映像を映し出す、目には見えないほど微細ないくつもの光源が配置されており、あたかも、一つのレンズのように見える。

 液晶の画面には、先ほど3D画面に表示されていたアプリの一覧が縮小されて映し出されていた。


 オールマイティ・エレクトリック・クライシス、通称、AEC(エック)携帯端末としての機能はもちろん、テレビとしての機能、ゲームとしての機能

、その他多岐に渡る機能が、この端末には備わっている。

 AECは、今やこの時代の必需品となっている。生活の必需品だ。

 そのAECを手に取り、柄叉は時間を見た。七時丁度だ。

 柄叉は伸びをすると朝食を取るために歩き出す。


 アパートの一軒家、狭いが彼には十分、部屋がトイレとバスルームを除いて一つしかないのを考えてもだ。

 したがって、台所は無い、そもそも彼には必要ないので、申し訳程度に小型の冷蔵庫があるだけだ。


 柄叉は、白い箱に手を伸ばすと、取っ手を掴み、開ける。そして中を覗き込んだ。中には携帯食とサプリメントが入っている。柄叉は、白いビンを取り出すと、ボトルを開け、六粒ほどを手にあけ、口に含む。そして、噛み砕いた。固い触感だけが柄叉の口から電気信号となって脳に到達する。


「まずいな」


 分かるわけもないのに、そんな事を言う。

 苦い表情をしながら、柄叉はもう一度伸びをすると、洗面所へ向かった。

 鏡を見た。

 のっぺりとした顔が見える。


 少なくとも、柄叉にとっては・・・・。


 黒髪、日本人特有の掘りの浅い顔。純潔の日本人である柄叉には当たり前だが、現代日本では、少し珍しい顔つきではある。しかし、柄叉には日本人離れした容姿の要素が一つだけある。


 灰色の瞳・・・・。


 通常、灰色の瞳は、ロシア、フィンランド系の人間が有する特徴だ。

 しかし、純潔の日本人であるはずの柄叉に、その特徴がある。

 それを認識して、柄叉つかさは人の良さそうな顔を歪めた。

 そんな中、AECが電子音を鳴らす。

 柄叉はゆっくりとAECを取り出すと、二、三度操作し、3D画面を開いた。

 画面が映し出されると、そこには、見知った顔が映っていた。

 クラスメイトの雨切直刃あまきりすぐはだった。

 ぱっちりとした目に、少し長い睫、色素が薄いさらさらとした髪、楚々と

して、可愛らしい小柄な少女にしか見えない、少年。

 しかし、どことなく勝気そうで、そこを見ると、やはり男の子なのだと思う。


『柄叉、準備できた? そろそろ、君の部屋に行こうと思うんだけど。さやも一緒だよ。って、まだ着替えてないの!?』


「ああ、悪い、すぐ着替えるから、部屋の前で待っててくれ」


『オーケー、じゃあ、今日こそは、間に合うようにしてね?』


「善処するさ」


 善処は、善処であって、絶対ではないのが味噌である。そんな優柔不断さは、日本人ならではと言えるだろうか?


 柄叉は制服に着替えるべく、ベランダへ向かった。


 ベランダには日光が差し込んで、いい具合に制服が乾いていた。と、言っても水洗いしたわけではない。洗浄スプレーを撒いて、一晩置いたのだ。


 このスプレーの普及によって、日常の洗濯はほとんど行われなくなったが、酷すぎる染みや、皺は消せないので、クリーニング業社は細々とやっていっている。


 まあ、それはさておきだ。


 柄叉は兼光学園の制服を取り上げ、よれよれのTシャツとハーフパンツを脱ぎ、スプレーを取り出し、噴射すると、ベランダに干していた制服に着替え、ドアへと少し億劫そうに向かった。


 部屋の外へと出ると、案の定、クラスメイトの雨切直刃と十束さやが待っているわけで、直刃すぐはが「やあ」とこちらに声を掛けてくる。


「よう、おはよう、さや、直刃」


 簡単なあいさつを終え、柄叉は二人の下へと小走りで駆けた。


 そんな中、少女の方が釘をさすように、しかし、表情は柔らかく温和に言う。


柄叉つかさくん、今日は間に合うようにしてくださいね?」


 少女は、首を僅かに傾げ、口元を緩めていた。


「それは、さっき直刃すぐはに言われたよ」


 柄叉は、辟易したようにそれに反応すると、「はあ」とため息を付く。

 少女は、それを見てクスクスと笑った。

 十束さや、現代では珍しく、眼鏡を掛けた少女で、真面目そうな顔、しゃんと伸びた背筋が特徴的だ。 

 他人行儀に敬語を使う少女なのだが、不思議と親しみの持てる、心にすっと入ってくる口調で喋る。

 二人とも制服を着ており、更に、腕にAECを装着している。そこから、3Dディスプレイが伸びて、顔の側面に表示されていた。二人とも、そのディスプレイに触れて、何か操作をしている。どうやら、画面を閉じようとしているらしい。案の定、画面がオフになり、3D画面が消失した。

 そして、二人は柄叉にまくし立てるように言うのだ。


「とにかく、早めに行きましょう! どうせ時間が足りなくなるに決まってますから!」


「そうだね、行こう行こう。柄叉、早く行こう!」


 いつものパターンである。

 時刻は七時五分、電車通学とはいえ、時間は十分にある。だが、三人には、というか柄叉には、毎回遅れる理由がある。

 以下がこれである。


「大丈夫ですか? おばあさん」


 柄叉は、白髪の老人に声を掛けていた。老人は、どうやら足を挫いたらしい。

 柄叉つかさがいるのは、普通の道路である。

 そこら中に樹木が植えられ、その傍らで、高層ビルが軒を連ねている。

 こんな光景が見られるようになったのは、五十年も前らしい。

 この樹木は、ものすごいスピードで光合成を行う、遺伝子操作された樹木であり、地球温暖化が落ち着いた昨今では、縮小されつつあるが、こういった樹が植えられた植物園はそこら中にある。

 人工物とは言え、自然を感じたいと言う人間の欲求がそんな縮図を生み出しているのだろう。

 それはさておきだ。

 柄叉は、辺りを見渡したあと、老人のほうに向き直った。

 放置するなど言語道断だ。


「よし、じゃあ、病院まで送ってくるから、二人とも先に行っててよ」

「駄目だよ、柄叉、また遅刻しちゃうじゃないか」 

「そうですよ、柄叉くん、駄目です」


 二人は、首を振り、柄叉を諌めたが、


「じゃあ、おばあさんをこのままにしておけっていうのかよ?」

「それは、そうだけど(ですけど)・・・・」


 二人は、口ごもる。


「とにかく、二人が遅刻してしまうのは忍びない。俺が行くよ」


 対して柄叉は有無を言わさない。

 そんな訳で、救急車を呼ぶのも少し大げさだろうと思ったので、老人をおぶると、、柄叉は歩き出す。


「葉桜先生には、遅れるって言っといてくれ」

「……、病院は近いし、付いていくよ」


 直刃は、しばし沈黙し、ため息をついた後、やれやれといった調子で、嘆息した。

 さやも、仕方が無い、というようにため息をついた。

 そんな訳で、老人を病院に送ると、柄叉と二人は、再び学校への道を行く。

 だが、


「大丈夫ですか? その自転車のチェーン、外れてるの、直しましょうか?」


「ありがとうございます。困ってたんですよ」


 他所の学校の生徒と思われる少女の自転車を直し・・・・。

「あ、その自動車のAI、ウィルスに感染してるみたいですよ? 動きが重いのはそのせいです。ちょっと、見せてください」

「ありがとうな、お兄ちゃん、困ってたんだよ」

 配送業の、暑苦しいおじさんの自動車を直し。


「飼い犬逃げちゃったんですか? 一緒に捜しますよ」


「ありがとう、助かります」


 主婦の連れていた犬を捕まえるため駆けずり回り、三人は結局、電車に乗り遅れた。

 そういうわけで全力疾走である。


「柄叉くんは非常識です! 意味不明です! お人好し過ぎます! 自分の

こともちゃんと出来てないのに他人のことを気にして! ちょっとは自分の身を省みてください!」


「そうだよ! いっつも、いっつも! また葉桜先生に怒られるよ!」


「いや、だから先に行っていいって言っただろ」


 二人が文句を言うが、柄叉は悪びれない。

 というか、なんだかんだで柄叉を待つ彼らも十分お人好しなのには、二人とも気付かない。


「それにさ・・・・、ほっとけないんだよね。あのおばあさんは、もしかしたら、誰にも助けてもらえなくて、本当に困って困って、でも、何も出来なくて、悔しくて、悲しかったかもしれないし。あの女の子は、もしかしたら、今日遅刻したら、単位を落として、留年してたかもしれない。あのおじさんも今日の仕事が出来なかったら、家族を養えなかったか,も。あの女の人も、あの犬が交通事故に遭いでもしたらさ、きっとすごく悲しかったと思うんだよね・・・・」


 そこで、言葉を切り、柄叉は走りながら、宙を見上げ、更に続ける。


「本当に助けて欲しいときに誰も助けてくれないのって、本当に辛いんだ。だから、俺は、目に見える範囲くらいは、そういう人を助けたい」


「「……、」」


 二人は、押し黙った。

 押し黙ったまま、走り続けた。

 そうだ、柄叉はそういう人間なのだ。

 二人とも、そんな柄叉に助けられたのだから。

 三人は、ただ走った。

 二人は、少し後悔した。

 二人に柄叉に文句を言えるような資格など無いのだから・・・・。

 三人は、ただ走った。

 一人は、何かを忘れようとしながら、二人は、何かを思い出しながら。

 三人は、ただ走った……。


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