流され女と真っ直ぐ男
暑い。それに体も頭も痛い。あ、そうだお酒飲んだからか。懐かしくて盛り上がってたからなあ。
あれ、でもあたし家に帰った記憶ないんだけど。
泰成と一緒に帰ることになって、それで、どうしたんだっけ?
「うう、いたた」
「あ、柏木。起きた?」
あれ。なんか男子の声がするよ? え、まさかと思うけど、あたし、泰成の部屋で寝てたの?
ゆっくり体を起こして目を開けると、お風呂上がりらしい泰成が、缶チューハイ片手に立っていた。
「って、服! 着なよ!」
ぎゃああ、なんでパンツ一枚なのよう。
慌てるあたしに苦笑して、泰成はこっちを向いて床に座った。
「柏木も人のこと言えないってわかってる? つか、寝ぼけてんの?」
「……は?」
「ほれ。とりあえず、着なよ」
ぽい、と投げられたのは見覚えのある布の塊。ってこれ、昨夜あたしが着てた服だよね? そういえば、妙に身軽って言うか、直にタオルケットにお腹とか触れてるような。……いや、ちょっと待って。うん、今現状を把握したよ。そして、思い出した。昨夜、いや、たぶん数時間前のことも。恥ずかしいやら情けないやらで、顔に熱が集まっていく。
「っにゃああああぁぁあ」
「なんだそれ」
奇声をあげて膝を抱えるようにベッド上でうずくまるあたしに、泰成は呆れたように呟いた。ああ、顔が見られません。無理無理無理。なんでこうなった。あたしのバカー!
「ご、ご、ごめ、ん、なさい」
「なんで謝ってんの? いいから、シャツくらい着ろって」
ふわ、と頭になにかが乗っかる感覚。たぶん、あたしが着ていたブラウスだ。
そして沈黙。
だって動けないもん。顔あげられないもん。あたしお酒でおかしかったし、一瞬とはいえ忘れてたし。でも、この感じだと、泰成はきっとちゃんと全部覚えてる。まあ、お酒強いって言ってたし、ふらふらするあたしを送っていくって言ってくれた位だもんね。ああ、悪いことしたなあ。それに、なんていうか、幻滅されてるんじゃないかな。六年ぶりに会ったのに、いきなりこれとか、最悪だよう。中学の時は真面目で通してたのに、いつの間にか軽い女になったな、とか思われてたらどうしよう。このこと、同級生とかにばれたら、あっという間に近所にも広がるよねえ。うわあ、もう、地元に帰ってこれないようう。あ、想像したらなんか涙出てきた。
「柏木」
名前を呼ばれて、膝の間から向こうが見えるように少しだけ顔を上げる。困ったような顔で笑う泰成と目があった。
「ちょっと、ちゃんと話したいからさ。一旦、服着てくんない?」
「う、はい……」
力なく返事をすると、泰成はぽふぽふとあたしの頭を撫でて、くるりと後ろを向いた。
「見ないから、早く着替えて」
「……ん」
観念してタオルケットをはぎ取ると、あたしは一瞬固まった。
いや、まあ裸なのは覚悟してました。だけど、これはちょっと予想外でした。今朝までなかった赤いアトが、胸や太ももの辺りにぽつぽつと。キスマーク、だよね、これ。
うう、もう完全にやっちゃってますよね。はあ、もうどうしよう。
ごそごそとできるだけ音をたてないように着替え、カーディガンを肩にかけて、姿勢を正してベッドのふちに腰かける。それにしても、下着がアレな感じで気持ち悪い。羞恥で死ねそうです。
「終わり、ました」
あたしがそう言うと、いつの間にかハーフパンツをはいていた泰成はあたしの隣に間をつめて座った。膝の上に置いた手をふいに捕まれて、びくりと震えてしまう。
「あの、泰成?」
「悪かった」
「え?」
「我慢できなくて、その、……抱いた」
「っ!」
思わず、ぎゅっと手を握りしめる。改めて言われると、恥ずかしさが増す。顔が、頬が熱い。涙が出そう、というよりもうこぼれているかもしれない。
「か、柏木?大丈夫か?」
「……っう、うん」
泰成は、さっきまで首にかけていたタオルで頬を拭ってくれた。顔をあげると、頬を赤くして困ったような表情の泰成と目があった。
「いや、だったか」
「は、はずかし、くて」
ふるふると頭を振ってそう言うと、あたしは頭を垂れた。ああ、消えたい。消えてなくなってしまいたい! だけど、全然嫌じゃなかった。抵抗した覚えもないし、それどころか、なんとも言えない安心感に全てを預けていた。
元カレと別れてから、確かに人恋しいとは思っていたけど、六年ぶりに会った同級生といきなりこんなことになるなんて、最低だ。なんてことだ。あたし、こんなにはしたない女だったのか。泰成に申し訳ない。でも、これで嫌われたり、距離置かれたりしたらへこむなあ。
「まあ、柏木があんなふうになるとは思わなかったけど」
「ぅやあああ! 言わないでええ!」
ごめんなさい、勘弁してください。勢いで抱かれたあたしが悪うございましたああ!
「そんなに、恥ずかしいか?」
「だ、だって、お酒の、勢い……とか、女として、どうなの」
「先に仕掛けたのは、俺なんだけど」
「……そう、だっけ?」
そういえば、ここに来てすぐの記憶がぼんやりしてるな。なんか、いきなりキスされて、ベッドに乗っけられたあたりくらいからしか、記憶がない。
「え、と?」
「柏木が、男と別れた話して、変な人にしか好かれない、って」
「……あたし、そんなこと言った?」
「言ってた。まあ、飲み屋でも言ってたけど」
飲み屋で言ってた記憶もない。しかし、あたし愚痴ってたんだね。本当にすみませんでした。
「俺とかはどうよ、って言ったら、優しくていい人じゃん、そういう人はみんなかわいい彼女がいるんだよって」
「……言ったかも」
幼小中と一緒だったけど、そこまで仲がよかったわけでもないあたしを、家まで送ってくれて、しかも、あまりにふらつくあたしを自分ちにあげて休ませてくれるなんて、超いい人じゃん、ホントに彼女いないの?、未来の彼女さん羨ましいわー、とか言ったわ。
「俺、柏木が好きなんだけど」
「……は、なっなに、言って」
「羨ましいなら柏木が彼女になればって、俺、言ったじゃん」
えええ、言われてな……、いや、あれ、言われた、かな? よく聞こえなくて、聞き返そうと思ったらキスされて……、あとはもう、ああ、思い出すのが恥ずかしいです。
「あの、あれって……」
「思い出した?」
「ん、でも、あの、本気?」
「うん」
真剣な顔でそう言われて、あたしは思わず黙ってしまう。泰成のことは、嫌いじゃない。むしろ好きな方だ。人としてもだし、正直言うと見た目もかなり好みの方だ。ちょっと厳めしい方向でほどほどに整った顔も、高すぎず低すぎない身長も、武道をしていたせいで適度に厚みのある体も、あたしの理想にかなり近いのだ。今回すっかり流されてしまったのは、そのせいも否定できない。
だけど、そういう意味で好きかなんて、まだよくわからない。それにあたしは今、不本意ながら結構面倒な状況にあるのだ。主に、異性関係の方で。
「あの、気持ちは、すごく、嬉しいんだけど、その」
「あんなことしたし、俺のこと嫌い?」
「ちっ、ち、違いま、す」
ぶるぶると頭を振って答える。だって、悪いのはあたしなのだ。よりを戻そうとしつこい元カレと、半ばストーカー的な行動を取るくせに、絶対に告白はしてこない先輩をうまくあしらうことができず、二人があたしのそばにこないように友人たちにフォローしてもらっている。今回の帰省が無期限なのも、そのせいなのだ。
すると、あたしの右手を捕む手に力が込められた。
「なんか問題があんの?」
「えっと、そのぅ」
こんな状況でなければ、喜んでよろしくお願いしていたと思うんだけど、今ここで泰成と付き合うことにしたら、図らずも利用するような形になってしまうわけで。そして、下手をしたら迷惑をかけることになる可能性もあるわけで。それは嫌なんだよなあ。
「遠距離になんのがイヤ?」
「えっ? あ、そか遠距離、なんだ」
言われて初めて気づいた。あたしの通う大学は隣県にある。夏休みが終わるまでには戻らなきゃいけない。でも泰成は地元で仕事があるから、地元を出られない。車で三時間はかかる距離があるんだから、そうしょっちゅうは会えないのだ。
「それか、例の元カレと先輩のこと気にしてる?」
「えっ?!」
なんで知ってるの、と慌てて泰成の方を見たら、呆れた顔で見返された。
「それも飲み屋で言ってたぞ」
「うっそ」
「嘘じゃねえよ」
おおお、まさかそこまでしゃべってしまっていたとは……。よっぽどストレス溜め込んでたんだな、あたし。はあ、とため息をついて頭を抱えると、またぽふぽふと頭を撫でられた。
「そいつらから逃げるにもちょうどいいし、俺にしない?」
「なっ、そんな! 利用する、みたいなのは……」
なんでもない風にいう泰成に驚いて、がばりと顔をあげると、意外にもちょっと悪そうな顔で笑っていた。それがなぜか妙にかっこよく見えて、胸がどくんと鳴った。
「すればいいじゃん? 俺は、堂々と柏木と付き合えるし、お前は面倒なストーカーどもを突っぱねられる。どっちもいいことだろ」
「えっ、ええぇ」
「それともなに、そのストーカーのどっちかと付き合う予定だった?」
「やめてよ、冗談でも嫌だよ!」
想像もしないうちから背筋がぞぞぞっ、といって、あたしは速攻で否定した。すると、捕まれていた右手をふいに引っ張られた。勢い余ってよろりと倒れそうになると、そのまま抱き締められる。
「ふえっ」
「じゃあ、いいじゃん。俺と付き合えば、全部丸く収まるだろ?」
っち、近い近い近い! 顔も近いし、しかもあなた半裸なんですけど! うえええん、これ、どうしたらいいの。恥ずかしいのに、あったかくて安心するよう。
「芽衣子」
「っ!」
間近でいきなり名前呼ばないで! そんな顔であたしを見ないで! かあっとなって顔と体が熱い。背中にまわる腕と触れている肩が、さっきのあれやこれやを思い出させて、胸がぎゅうってして苦しい。なのに、この人なら全部任せちゃっても大丈夫、って妙な安心感があるのはなぜ。なんだか落ち着くって思っちゃってるのは、どうして。
「俺のこと、嫌いじゃないんだろ?」
「でも、その、迷惑かけるかも、だし」
「へーき」
「それに、その、あたし、泰成のこと、好きなのかなあ……?」
泰成が不意をつかれたような顔になったのを見て、しまったと思った。自分の気持ちを相手に聞いてどうするよ! やっちまった!と思って目を泳がせると、泰成がふっと吹き出した。
「ここで俺がそうだ、っつったらどうすんの?」
「う、うーん……」
全くだ。そう言われて、じゃあ、付き合ってもいいかな、なんてなるわけないじゃん。
「お前、勉強は得意だけど、こういうのはまるでダメだよな」
「うう」
勉強だって得意じゃないけど、なんて場違いすぎて言えなかった。でも、こういう駆け引きみたいなものよりも、わかりやすいとは思う。だって、頑張ったらそれだけ結果は出るし、答えもはっきりわかる。
でも、好きとか嫌いとか、恋愛に関しては、自分の気持ちがわかっていない時点で、既に不合格っていうか、迷宮入り決定っていうか、どうしようもないのだ。
「お前は、絶対俺を好きになると思うけど」
「なに、その自信」
「だって、俺に触られるの、嫌じゃないだろ?」
「……うん」
そうなのだ。いやに自信満々に言うのが悔しいけど、こんな風に抱き締められているのも、頭を撫でられるのも、不思議と嫌悪感はない。苦手な人や嫌いな人、あまり親しくない人相手だと、とっさに振り払ったり固まってしまうくらいスキンシップは苦手なのに、泰成は全然平気だ。六年のブランクがあるとはいえ、幼稚園からの顔見知りだからかとも思ったけど、当時はスキンシップをとるような親しさはなかったし、そもそもあたしは男子が苦手なのだ。それなのに、一緒にいることにも、体に触られることにもまるで抵抗感がない。うまく言えないけど、波長が合うって、こういうことなのかもしれない。
「あ、のね」
「うん?」
こんな風に、言いかけて黙ってしまうあたしにも、急かさず待っていてくれる所も安心する。そういえば、帰省前にメールや電話のやり取りをしていた時からそうだった。おかしいことはおかしいって言ってくれるけど、でも基本はあたしの話をゆっくり聞いてくれた。泰成の話も聞いてたときも、わからないことを質問すると、ちゃんと答えてくれた。それが嬉しくて、何度も夜中までメールをやり取りした。
「泰成といると、安心する、気がする」
「うん。それで?」
「えっ? えっと、あと、嬉しい。あたしの話を聞いてくれるし、泰成も色々話してくれるから」
「それはよかった」
「それで、その……」
だから付き合って、と言いかけて、でもやっぱりこんなのってどうなの? と思ってしまう。付き合う云々の前に、やらかしてしまったから、だから気持ちが引っ張られているだけなんじゃないの? とか思ってしまうのだ。
「くくっ」
「た、泰成?」
「いや、流されやすいのに変なとこ強情だなあと思って」
悪い、と言いながら肩を震わす。割と密着ぎみだから震動が伝わって、よけいいたたまれない。
「うう」
「もう観念したら?」
「でも……」
「芽衣子?」
「うひゃっ?!」
耳元、耳元はやめて! そしてふいに名前を呼ばないで。なにこれ、なんでこんなに心臓がばくばくいうかな! 死んじゃう、こんなの血圧上がって死んじゃうよ。なんだかくらくらしてきた。
「はは、すげードキドキしてる」
「い、言わない、で」
「こんなになってるのに、認められない?」
「ふえっ」
いきなりがばりと体を離されて、自分が完全に泰成に体を預けていたのに気づいた。触れていた熱が消えていってしまうのが寂しい。もっと、触れていてほしいのに。もっと、触れていたいのに。
「っ!」
無意識に考えていたことを再認識して、があっと体温が上がった。嘘でしょ、そんなこと思うなんて。それってもう、あたし、泰成を好きってことなんじゃないの?
「芽衣子」
体を離されたまま、なんとなく泰成を見ていたら、名前を呼ばれる。目があって、自分がぼうっと見ていたのに初めて気がついた。
「『はい』か『いいえ』でいいから、答えて」
ああ、真剣な顔してる。かっこいいな。ぼんやり泰成の顔を眺めながら、こくん、と頷く。
「俺のこと、好き?」
「う、ん」
どういう種類の好きかは置いておいても、泰成のことは好きだ。
今のあたしの肯定にふっと緩む表情も、優しくあたしの頬を撫でるその手も。
泰成と付き合う人はきっと幸せだと思った。でも、そこに自分を当てはめていなかったのは、なんとなく、あたしじゃ釣り合わないような気がしていたから。だって、あたしはずるい。自分でいうのもなんだけど、八方美人で結構その場のノリや勢いに流されやすくて、よく面倒を抱え込む。しかも、それを自分一人で解決できずに、周りに助けてもらうことも多いのだ。絶対、泰成にもそのうち面倒をかける。それが申し訳ないのもあるけど、なによりそれを理由に幻滅されたり、嫌われたくないのだ。それくらいには、泰成のことが好きなのだ。
「じゃあ、俺と付き合って」
さらりと言う泰成に、うん、と頷きそうになって踏みとどまった。頷きたいけど、でもまだ怖い。
「けど、迷惑かけるかもしれないしっ」
「大丈夫だって言ってんじゃん」
「わかんないよ。それにそれで、嫌われたら、やだもんっ」
「はあ?」
その瞬間、目の前の泰成の顔がなんともいない感じに歪んだ。
「アホか。んなこと心配すんな」
「だってぇ……」
「心配はそれだけか? なら、観念しろって」
「うぐぐ」
呆れた顔をする泰成を睨んでみるけど、怯む様子はなく、それどころか真っ直ぐにこっちを見ている。自分だってあたしのこと言えないくらい頑固じゃない。泰成のことを思って遠慮してるのに、どうしてわかってくれないのよ。
「もう、知らない!」
「芽衣子?」
「どうなっても知らない、後悔しても知らないから……っ?!」
素直にうんと言えないなんて、かわいくないって自覚はあるけど、でもホントにそれでいいのかもわからない。そんなに言うなら、もう、勝手にすればいい! あたしはちゃんと忠告したもん、後は好きにすればいい! と思ってそう言ったら、いきなりぐるんと視界が回転した。
ちょっと待って、なんであたし押し倒されてるの? 真上にある泰成の顔は影になっているけど、それでも頬が赤くてなんだか目もキラキラしてる。
「それは、俺と付き合ってもいいってことだよな?」
「うん。でも、……きゃっ?」
うん、と言った瞬間、半ばのし掛かるようにして抱き締められた。なんだか照れくさくて、顔が熱い。肩口に息がかかってくすぐったい。でも、やっぱり泰成に触れていると安心するのも事実のようだ。
「よかった」
「あの、……泰成?」
「うん?」
「ホントにいいの? あたしで大丈夫なんだよね?」
「さっきから言ってるだろ」
泰成がふっと笑うのがわかる。これで、本当にいいのかどうかわからない。でも、ここまで言ってくれる泰成を信じたいとも思う。これで泰成との繋がりをなくしたくない。打算的な答えかもしれないけど、いつまでもうじうじ言っているわけにもいかないし、これがいまのあたしの精一杯だ。
「じゃあ、これから、よろしくお願いします」
「こっちこそ」
勇気を振り絞って言ったあたしに、泰成はちょっと笑ってこっちを向くと、返事をくれた。それが嬉しくて笑ったら、軽くキスを落とされた。それだけでふわりと胸が温かくなる。なんだか泣きそうで、でも、笑いそうになるほど、幸せ。
そう思ったら、あたしは初めて自分から泰成に抱きついていた。