恋する乙女と自己概念(及びに自己知覚)
――いい夢見させてもらったよ! あばよ
柳沢慎吾の名台詞。
主に、ねるとん紅鯨団で使用。
1.
その時、わたし、柏葉カナは、思わぬ事態に軽く混乱していた。目の前には、わたしが嫌いな同じ高校一年の男子生徒、斉藤恭介がいて、彼はわたしに恋の告白をしていた。と言っても、それは別にわたしの混乱の原因ではない。何しろ、そもそもその告白は、わたし達がそうなるように仕向けたものだったからだ。
……話せば少し長くなるのだけど。
わたしの混乱の原因は、そんな事にあるのではなく、その時何故かわたしがその告白に対し明らかに喜んでいたことにある。嫌いなはずの男子生徒からの恋の告白に、わたしは喜んでいたのだ。しかも、舞い上がるほどに。
あれ? 何で?
ドキドキと胸が高鳴っているのが分かる。
そもそもの発端は、一週間前、同じクラスの笹村喜美が、突然にこのような主張をし始めたことにある。
「あたし達のクラスの女子も負けていられないわ!」
何の事じゃい?
と、そこにいた女子生徒は全員、そう思ったに違いない。それは、「隣のクラスの女子生徒が、うちのクラスの男子から告白を受けたらしいわ」という話題からの流れで発せられた一言だった。時刻は放課後、皆で残って教室でくだらないお喋りをしていた時の事。
「何の話よ?」
と、女子生徒の一人がそう質問すると、笹村はこう答えた。
「これじゃ、まるでうちのクラスの女子がモテないみたいじゃない。負けてられないって話よ」
皆はその話をスルーしようとした。しかし、笹村はしつこく食い下がる。
「ええい、この非クラスメートどもめが。あなた達は悔しくないのか! このままじゃあたし達は非モテの称号を得るのよ」
それで、あまりにしつこいので、一人がこんな事を言ったのだった。
「悔しいも何も、何をどうすれば良いのかも分からないわよ。そもそも」
すると、笹村はこう応えた。
「簡単よ。一ヶ月以内に、より多く男子生徒からの告白を受けた方が勝ちになる。そういうルールよ」
はい?
と、その言葉を受けて、女子生徒全員はそんな顔になった。
「ちょっと待って。やけに話が具体的じゃない?」
と、そんな疑問の声が上がるのは当然の話で、
「どういう事なのか説明してもらおうじゃないの」
と、更に追及されるのも当然の話だった。
「仕方ないわね」と、それを受けると笹村は説明を始める……。「つまり…」と、説明を聞き終わって女子生徒の一人が言った。
「あんたは、その妙な勝負をやると、既に決めてきてしまった、と?」
そう。どんな会話の流れかは分からないが、笹村は隣のクラスの女子生徒に非モテだと馬鹿にされてカッとなり(笹村はうちのクラスの女子生徒全員が馬鹿にされたと言っていたけど、恐らく、馬鹿にされたのは彼女一人だ)、売り言葉に買い言葉でそんな話になってしまったらしい。
話を聞き終えると、一人がこんな疑問を言った。
「いや、でもさ。それって、勝負にならなくない? そもそも、告白なんて滅多にされないでしょうよ」
その疑問に対し「ふっ」と笹村は笑った。そしてこう続ける。
「甘い。甘栗のよーに甘い」
「甘栗、そんなに甘くないわよね?」
「茶々は入れない。甘栗にお茶は合うかもしれないけどね。滅多に告白されないのなら、されるよーに、促してやれば良いだけの話よ」
その笹村の怪しい提案に対し、皆は怪訝な表情を浮かべた。
「どゆこと?」
「こゆこと。
撒き餌を撒いておくのよ。特定の男子生徒にターゲットを絞ったら、女子生徒がその男子生徒を好きだって噂を流す。告白されれば、それを受けるだろうくらいな感じで。後は魚が釣り針を呑み込むのを待つだけ。入れ食い確定」
その笹村の説明に、こんな声が上がった。
「それって無視されたら、こっちがフラれたみたいじゃない?」
「そうなったら、内気な男子生徒だったって、自分を誤魔化しなさいな。精神衛生上、そっちの方がよろしい」
別のこんな指摘も上がる。
「いや、待ってよ。それって、男子生徒の心を弄んでいるようなものじゃない? 気分的に嫌なんだけど」
至極真っ当な、当たり前の指摘。それに笹村はこう返した。
「その昔、ある有名コメディアンはこう言った。
“いい夢見させてもらったよ。あばよ!”」
「なんで、そんな古いネタ、知っているのよ?」
「あなたも知ってるじゃない。とにかく、これはあたし達女子生徒から男子生徒への夢の贈り物なのよ。騙しているとか、そんな風に思っちゃ駄目!」
「“駄目”って… なんだかなー」
皆は口々に文句を言いつつも、それでもその笹村の提案を受け入れているように思えた。きっと、興味はあるのだ。そして、そのままの流れでターゲットの選定に話は移っていってしまったのだった。なんだかんだ言いながら、皆はそれなりに楽しそうにしていた。そして、
「柏葉のターゲットは、斉藤君ね」
と、その時にそんな声が上がったのだ。
へ?
と、わたしは思う。
「いやいやいや。どうして、そうなるのよ?」
わたしはその提案に当然、慌てた。
「いやね、あたしは以前から怪しいと思ってたのよ。確か、斉藤君って、柏葉と同じ中学でしょう? あ、小学校も同じだったのだっけ? きっと、彼はあなたの事を追ってこの高校に入ったのよ。あなたが好きだから。勝ち易きに勝つのが兵法の基本。柏葉のターゲットは斉藤君に決定」
なんて粗い推理。と、その時わたしは心の中でツッコミを入れた。
「違うわよ。そんなはずないじゃない」
わたしはそう反論した。何故かわたしはその可能性がゼロだと、そんな気がしていたのだ。
「どうして、そう言い切れるのよ?」
だけど、そう質問されるとそれがどうしてなのかが分からない。わたしは言葉に窮してしまう。それで、
「だってわたし、斉藤君の事を好きじゃないのよ? むしろ苦手なの! 完全に騙す事になるじゃない」
と、そう言う。それに笹村はこう返した。
「だから、騙すとかそういうのじゃないの。 これは女子生徒から、男子生徒への夢のプレゼントなのよ。分かる?
しんごちゃーん!」
「意味が分からないから!」
……結局、そのまま押し切られてしまって、わたしのターゲットは斉藤君に決まってしまったのだった。「なら、他の人を選べ」と言われて、誰も名前が出て来なかったからなのだけど。むしろ、嫌いな相手を騙してやる方が気分が楽なはず、とそう結論付けた気もする。
そして。
「あのさ、俺、柏葉と付き合ってみたいんだけど……」
と、ある日、斉藤恭介に校舎裏に呼び出されたわたしはそう告白を受けたのだった。わたしが彼を好きだという噂を流してから数日後のこと。その間、わたしはずっと緊張をしていた。彼を目の前にした時などは、緊張のあまり声が出なかったほどだ。別に相手がどうとかじゃなくて、誰でも普通はこんな事態になれば緊張をするものだと思うから、これは別に変な事じゃない。問題は、先にも書いた通り、告白を受けた時のわたしの気持ちにある。
――なんで喜んでいるんだ、わたし?
彼の告白に、わたしは取り敢えず無言のまま頷いた。少なくとも初めは、騙していることを隠す為に告白を受け入れるというのが、わたし達のルールだったからだ。彼はそれを受けると嬉しそうな表情を見せて「そうか……」と呟き、それから少し微笑むと、「じゃ、また後で」とそのまま走っていってしまった。向こうも照れているのがよく分かった。
そして、わたしには疑問だけが残ったのだった。
“なんで嫌いなはずの斉藤君から告白を受けて、わたしは喜んでいるんだ?”
少し考えるとわたしはこう結論付けた。
“そうか! 計画が上手くいって、それで喜んでいるんだわ!”
そこでツッコミが入った。わたしの心の中への直接のツッコミである。
『――そんな訳ないでしょう!』
もちろんそれは実際に聞こえた声ではない。わたし自身の中に響いたわたしの声だ。そして、わたしの空想の中には、わたしとそっくりな半透明の姿をした存在、自分マーク2がその時隣に浮かんでいた。やや怒った顔をしている。
『久しぶりね。変な時に現れないでよ』とわたしは彼女、自分マーク2に向けてそう言った。するとマーク2は、『今現れないでいつ現れるのか』と返してきた。
彼女は、子供の頃に“案外、自分自身というものを自分は分かっていないものだから、その為に、他人の視点から自分を見る努力をしなさい”という教師からの忠告を受けてわたし自身が作り上げた、もう一人の自分である。我ながら、素直で馬鹿みたいと思いもするけど。こんな感じで、自分自身の問題に行き当った時には、彼女はほぼ必ず現れる。
『どうしてよ?』
とわたしが訊くと、マーク2はこう答えてきた。
『そもそも、そんな類の喜びじゃなかったでしょうよ。それに、あなた、忘れてしまった訳じゃないのでしょう? 斉藤君は、あなたの初恋の相手じゃない』
わたしはそれに嫌々ながらこう返した。
『そりゃ、覚えてるわよ。でも、あれは小さな子供の頃の話よ』
小学生の頃、わたしはこの土地に転校してきた。転校した当初、わたしは上手く学校やここの土地柄に馴染めず、寂しい思いや不安を抱えていたのだ。そんな時、優しく接してくれたのが斉藤君だった。それでわたしは、彼の事が好きになってしまったのだ。
『その気持ちは一時だけで終わった。直ぐに話さなくなったし、それどころか、むしろ避けるようにすらなったのだから』
『そうね。あなたはここに慣れて、ようやく他の女の子達と仲良くなれてからは、女友達に合わせて男の子とは一緒にいなくなったものね。女の子の友達から、嫌われたくなかったのでしょう?』
子供の頃にはありがちだが、異性と距離を置く時期がある。ちょうど、あれはそんな時だったのだと思う。それで、斉藤君だけという訳じゃなく、男の子一般をわたし達は避けるようになったのだ。
『そうよ。あれからはもう彼とは何の接点もない。だから、もうわたしは斉藤君の事を好きでも何でもないの。そもそも、わたしは彼の事が苦手なくらいなのよ? 彼といると何か居心地が悪いのよね』
そのわたしの言葉を聞くと自分マーク2は大きなため息を漏らした。
『はぁ……』
『なによ?』とわたしはそれに返す。すると彼女はこう応えてきた。
『じゃ、あなた、思い出してみなさいよ。一体、いつ、あなたは斉藤君を嫌いになったのかしら?
他の女の子達に合わせて、喋らなくなった時期から? それとも、中学になって他のクラスになった時から?』
わたしはそう言われて彼を嫌いになった時期を思い出そうとしてみる。しかし、はっきりとその時期を思い出せない。
『思い出せないでしょう?』
そう追及されて、わたしはこう返した。
『そりゃ、確かに思い出せないけど、そういうのっていつの間にかに気持ちが冷めていくものだから……』
『じゃ、どうして、彼と会ってあんなに緊張していたのよ? 心臓バクバクだったじゃない』
そこまでを聞けば、流石にわたしも彼女が何を言いたいのか分かった。
『つまり、あなたは、今でもわたしが斉藤君を好きだとそう言いたいの? それで告白をされて喜んだって』
『そうよ。当たり前じゃない』
わたしはそれを聞いて笑った。
『そんなはずないじゃない。だとすれば、わたしは子供の頃、初恋をして以来、ずっと彼を密かに想い続けていたって事になる。友達に気を遣って一緒にいられなくなってからもずっと。なによ、それ? わたしは、どこの乙女キャラ?って感じよ。そーいうのは男の子の願望が生みだした幻想。現実にはそんな乙女キャラはいないの』
『けっこー、女の子もそういうキャラ好きみたいだけど』
『とにかく、わたしはもっと恋愛に関してはドライなのよ。男なんてアクセサリーの一種みたいなものだって思っているんだから』
そのわたしの言葉にマーク2はツッコミを入れた。
『あんたは、バブル時代のOLか!』
『なんで、そんな古い時代を知っているのよ?』
『そもそも、あなたは一度も男の子と付き合った事ないでしょうよ。なにが、男はアクセサリーよ』
そう言われて、わたしは何も返せなかった。マーク2は更に追及してくる。
『じゃ、訊くけど、どうしてあなたはここ最近、毎日、占いの恋愛運を気にしていたのよ? 良い結果が出るまで、ネット上の占いを探したり』
『そんなのただの習慣よ』
『気にしまくってたじゃない』
『うるさい!』
そこでマーク2は、またため息を漏らした。
『はぁ… あんたねぇ、本当に強情。素直に認めちゃいなさいよ。大好きな斉藤君から告白されて嬉しかったって。
ぶっちゃけ、あなた、彼から告白された時、目がハートだったわよ。もしも、尻尾があったらパタパタと振ってたわ』
『尻尾なんて振ってない!
違うって言ってるでしょう? だいたい、もし好きなら、どうして彼と一緒にいるとあんなに居心地が悪いのよ』
『それは、単に好きな相手と一緒にいて緊張していただけでしょう? その緊張をあなたが勘違いしていたのよ。わたしはこの人を嫌いだから、一緒にいたくないんだって』
わたしはそのマーク2の指摘に対して、『うるさーい!』と、叫んだ。もちろん、心の中でだけど。その主張に耳を塞ぎたかったのだ。
なによ。わたしはちっとも喜んでないわよ。何がずっと斉藤君を好きだったよ。そんなはずないじゃない!
それからそう思う。
だけど、そう思い込もうとしても、それでもわたしはやっぱり喜んでいた。授業を受けている最中も、帰宅途中も、ずっと。
喜んでなんか…
喜んでなんか…
そしてその日、もし明日、斉藤君に会ったらどうしよう? と不安なんだか期待なんだかよく分からない気持ちを抱いたまま、わたしはベッドに寝に就いたのだった。
次の日の朝、登校途中、歩いていく先にわたしは斉藤君の姿を見つけた。少しの緊張感を覚える。どうしよう?挨拶くらいした方がいいかな?と、少し迷ってからちょっと速歩きで近づく。でも、気にし過ぎのように思えて、途中で歩を緩めた。ところが、そのタイミングで彼の方がわたしに気が付いてしまったのだった。こちらを振り返ると、こう言う。
「おはよう、柏葉」
わたしも「おはよう」と返す。緊張して声が上手く出ない。
「放課後、一緒に帰らない? 用事があるなら別にいいけど」
そう言われて、わたしは戸惑いながらも頷いた。顔に熱を感じた。彼はそれを受けると少し笑って、「からかわれると嫌だから、僕は先に行くよ。それじゃ、また後で」と言うと、駆けてそのまま行ってしまった。わたしはまた頬が熱くなるのを感じた。そしてその瞬間に、頭の中に声が響く。
『パタパタパタ』
という謎の擬音。
『何よ、それ?』とわたしはその間の抜けた擬音を発している主に向けて言う。その声の主はまだ姿を見せていなかった。こう返してくる。
『もちろん、あなたが尻尾を振っている音に決まっているじゃない。
彼の姿を見つけて、嬉しそうに駆け寄り、近づいたら照れて足を止める。そして、彼に見つかると、はにかみつつも嬉しそうにして頬を朱色に染めながら、彼の誘いに黙って頷く…… 尻尾を振りながら』
『尻尾なんて生えてない!』
『もちろん、あなたの心の中の尻尾よ』
わたしはその声に顔をしかめた。もちろん、その声の主は自分マーク2だった。見ると彼女は空中にいた。わたしの頭上から話しかけている。
『お見事よねー
もし仮に、乙女行動グランプリがあったなら、100点を叩き出しそうな行動だったわ!』
わたしは歩きながらそれに応える。
『あなた、しつこいのよ。だから、わたしは乙女なんかじゃないって言ってるでしょう? あなたの勘違いよ』
その返しに、マーク2はまたため息を漏らした。
『あなたねぇ……。まだ、自分のピンチに気付いていないの?』
そう言われて、わたしは『なによ?』とそう返す。ピンチ?
『あなたは今、斉藤君を騙して付き合っている事になっているのよ? この訳の分からない勝負が終わったら、それはどうなるの? と言うか、そもそももしこの事を彼が知ったら彼はどう思うかしら?』
わたしはそれを聞いて、ビクッと震えた。そして、自分でも顔が青くなっているだろう事が分かるくらいに、血の気が引く。血が頭から落ちるサーッという擬音が聞こえそう。マーク2は更に言った。
『まぁ、普通に考えれば、激烈に嫌われた上でフラれるわね、こりゃ』
『べ、別にそれならそれで…』
と苦し紛れにわたしは返す。すると、マーク2はこう言った。
『“自分でも顔が青くなっているだろう事が分かるくらいに”なんて、地の文で書いておいて、言う台詞じゃないでしょう、それは』
流石、自分自身。地の文もお見通し。わたしはこう続ける。
『その昔、ある有名コメディアンはこう言った。
“いい夢見させてもらったよ。あばよ!”』
『“あばよ”じゃ駄目でしょう? 例え、嫌われなくたって、別れるのだから。てか、絶対に嫌われるって』
『だから、別にそれならそれで…』と、わたしは強がりを言った。斉藤君を好きと認めたわけじゃないが、それでも嫌われるのは嫌だったのだけど。
『あんたねぇ…』と、呆れながら自分マーク2はそう言う。だけど、それから軽くため息を漏らすとフッと消えてしまった。わたしは少し不安になった。
一時限目の休み時間。一緒に帰る為の、待ち合わせ場所と時間とが彼から携帯メールで送られてきた。弁当を食べながら、わたしは少し赤くなった。そして声が。
『斉藤君と別れるのが平気ってなら、それにお断りの返信してみなさいよ』
もちろん、自分マーク2だ。
『皆との約束で、告白は受けるってしちゃってるから駄目よ』
わたしがそう返すと、マーク2はこう言った。意地悪な感じに。
『なにも別れろ、とは言ってないでしょう? 一緒に帰るのを断れって言ってるのよ。本当に嫌いだったら、無理して一緒に帰ることないじゃない。どうせ、ばれたら別れる事になるんだしさ』
わたしはそれに何も返せない。マーク2は更にわたしを責める。
『ほれ、どうした、どうした。気にしてないのなら、断りなさいな。フラれても良いんでしょう?』
『うー』
わたしは何も返せない。その時、不意に話しかけられた。隣の席の女子生徒だ。
「柏葉、どうしたの? 泣きそうな、顔してるわよ?」
反射的にわたしはこう言った。
「助けて~ わたしがわたしをいじめるー」
「……あんた、自分で何言ってるのか分かってるの?」
2.
「――で、なんだって?」
と、その話を聞き終えた時、女性スクール・カウンセラーの塚原先生は思わず、そんな声を上げてしまっていた。目の前には、柏葉カナの姿がある。
「ですから、何とか斉藤君との仲を現状維持したままやり過ごす方法がないか知りたいんです」
塚原先生はそれを聞いて困った。完全にカウンセリングの範疇を超えた相談内容だったからだ。その日の昼休み、塚原先生の元にやって来た柏葉カナは、「カウンセリングって絶対に相談事の秘密は守るのですよね?」と、念押しすると、それから女子生徒達のちょっと性質の悪いイタズラと、彼女の恋の悩みを打ち明けたのだった。
「先生、ちゃんと聞いていたんですか? わたしは、真剣なんですよ」
そう柏葉から言われ、塚原先生は頭を抱えながらそれに答えた。
「わたしとしては、その“自分マーク2”とやらの方が気になるのだが、まぁ、話は分かったよ。
つまり、悪ふざけで付き合い始めてしまったその斉藤とかいう男子生徒が、お前は本当は好きだった、と。それで、もし悪ふざけがばれたらどうしよう?と不安に思っているって感じか? で、これからも付き合ったままでいたいから何とかしてくれ、とそういう話だろう?」
それを聞くと柏葉は、「先生。話、ちゃんと聞いていたんですか?」と再びそう言った。それからこう続ける。
「現状維持です。まだ、好きと認めた訳じゃありません! その点に関しては保留です」
それを聞いて、塚原先生は“こいつ、面倒臭いな”とそう思う。“色々な意味で、面倒臭いな”と。それで、少し考えるとこう言った。
「悪いが、柏葉。完全に、カウンセリングの範疇外だ。相談の内容が。ただ、さっき、他の人に話さないと念を押されておいてナンなんだが、他の連中に相談するんなら、何とかならない事もないかもしれない。一応、そいつらは、秘密なら守るはずだ。
どうだ? 相談してみるか?」
それを聞くと、柏葉カナは不思議そうな顔を見せた。そして、その顔のままこくりと黙って頷いたのだった。
「――なんで、こんな話を僕に振るんですか?」
と、話を聞き終わって村上アキは塚原先生に向けてそう言った。一通りを説明し終えた柏葉カナは、既にカウンセリング・ルームから姿を消している。
「綿貫部長に相談してくださいよ」
その村上の訴えに対して、塚原先生はこう返した。
「いや、今回の件をあいつに頼むと、なんか目的を忘れそうだろう? “男子生徒を翻弄するなんて、そんな面白そうな事を何も代償を払わずやろうなだなんて、許せない! わたしが何をやるにも代償が必要だって事を思い知らせてやる” とか言って、事を大きくするに決まっているんだ、きっと。だから、あいつには隠したまま、解決をよろしく」
この学校には、メディア・ミックス部という変わった部活動がある。この村上アキは文芸部と兼務でそこに所属していた。部活と部活を連携させるというのが、そのメディア・ミックス部の主な活動内容。だが、その裏では、様々な仕掛けで生徒達の問題を解決したり混乱させたりする、そんな怪しい活動もやっているのだった。顧問はこの塚原先生で部長を務めるのは、綿貫朱音という二年の女生徒。その解決する問題は、この塚原先生が受けた相談事であるケースもままある。と言っても、塚原先生が自分から、この部を頼るのは珍しいのだが。
「まぁ、言いそうですけどね。そして、実行もしそうです。その変なイタズラをやった女子生徒達をも巻き込んで、反省を促すような計画を立てそうですよ。一応、柏葉さんの問題も解決するでしょうが、ついでになるでしょうね。
てか、先生は良いのですか? カウンセラーとして、そんなイタズラを見過ごしちゃって」
「いや、後でそれとなく注意するよ。柏葉には一応、もう注意したしな」
「なんか、物凄く効果なさそうですね」
そう返してから、村上はため息を「はぁ」と漏らした。
「どうした? 村上」
そのため息を見て、塚原先生はそう尋ねる。
「いえ、もし部長にこの件がばれたらと思うと、憂鬱で。しかも、僕が隠していると知られたら……」
「なんだ? また、プロレス技でもかけられるってのか? 素直に喜んでおけ、健康な男子として」
「いえ、最近は打撃系ばかりでしてね。あんまり嬉しくないのですよ。てか、痛い」
それを聞くと、塚原先生は楽しそうな声を上げた。
「あははは。そりゃ、むしろ進歩しているぞ。ようやくあいつも、そういうのが恥ずかしくなってきたか。良かったな、村上」
「ちっとも、良くありませんよ」
そう返した後で、仕切り直すように村上はこう続けた。
「先生、今回のケースは何なのでしょうね? あの、彼女、柏葉カナは」
その質問を受けると塚原先生はこう答えた。
「うん? ああ、多分あれは、自己知覚が失敗しているのだろうな。名付けるのなら、逆吊り橋効果ってところか……」
「自己知覚? 吊り橋効果ってあれですよね? 吊り橋を渡っている時の緊張を、恋愛感情の緊張と勘違いして、恋に落ちるってやつ」
「まぁ、そうだな。今回は、その逆のケースなんだろうよ。恋の緊張によって生じたストレスを、不快の緊張から生じたストレスと勘違いしていた。ま、本人の自分に対する意識、つまり自己概念のズレが、その原因だとは思うがな」
そこまでの塚原先生の説明を聞くと、村上はこう尋ねた。
「自己知覚に、自己概念… なんですか? それって?」
「自己知覚は、吊り橋効果が生じる原因となるものだよ。簡単に言えば、自分が自分自身を観察しているって話だ。自分は緊張している。だから、恋をしている。そんな思考過程の事だ。自分を客体として観察しているんだな。自己概念の方は、自己イメージみたいなもんだよ。自分を乙女だと思っているとか、逆に違うと思っているとか。もちろん、この自己概念と実際の自分が異なっているケースもある。
そして、それが問題の原因になるケースもあるんだよ。自分の行動や感情の動きを、自己概念に当て嵌めて解釈する。その自己概念を護るために、場合によっては、恋愛感情に気付かなかったりする訳だ。自分は恋愛に関してはドライだから、こんな乙女みたいな反応をする訳がない。だからこれは、恋愛感情じゃないんだ、とか思い込んでしまったり」
村上はそれに頷く。
「なるほど。それは、実例があって分かり易いですねぇ。あの、カウンセリング的には、むしろ問題なのはそっちなんじゃないですか? 彼女の自己知覚と自己概念の問題を解決してやる」
「そうかもしれんが、やる気が起きん。恋する乙女じゃなぁ… なんか、こっちまで恥ずかしくなってくる」
「いや、仕事ですよね?」
「誤魔化せる範囲の内容だしなぁ。それに、放り出してはいないぞ? ちゃんと、お前に振っているじゃないか」
「いや、生徒に丸投げしないで、ちゃんと自分で問題を解決しましょうよ」
その村上アキのツッコミは無視して、塚原先生はこう言った。
「とにかく、プライバシーの問題があるから、極力、あまり人に知られないように行動してくれ。ま、無理だったら、諦めてくれても構わないから。
頼んだぞ」
その塚原先生の言葉に、呆れながら村上はこう言った。
「本当に投げやりですね…」
放課後。村上アキの教室。
「しかし、お前も真面目だな。そんな話、やっぱり無理でしたで、終わらせても良かったじゃないか」
と、そう言ったのは、村上の友人の三城俊という男生徒だった。彼は女生徒が多いというただそれだけの理由から、文芸部と書道部に所属している自称フェミニストで、メディア・ミックス部にも所属している。
「いや、くだらなく思えるけど、本人は真剣に悩んでいるみたいだしさ。それに、やっぱり、女子生徒達の妙な悪ふざけは止めさせなくちゃ駄目だろう。部長じゃないけどさ。迷惑だし」
村上は三城に今回の件を相談したのだ。恋愛絡みなら、この男が俄然やる気を出すのがその理由だった。三城は村上の言葉を聞くと、「はっ」と笑った。
「アキよ。大体の女の子の罪は許されるべきものなんだぞ?」
と、そしてそう言う。村上はこう応えた。
「お前の偏った感性で、物事を判断するな。ターゲットにされた男子生徒にとっちゃえらい迷惑だろうが」
が、三城は自信を崩さない。
「アキよ。お前は何も分かっていない。教えてやろう。その昔、ある有名コメディアンはこう言った。
“いい夢見させてもらったよ。あばよ!”
つまり、これは女の子達から野郎共への夢の贈り物なんだよ! それのどこに罪があるというのか?」
「だから、お前の偏った感性で物事を判断するなって。てか、何でそんな古いネタを知っているんだよ?」
「お前だって知っているじゃないか。まぁ、お前はいいよな。部長って相手がいるから。プロレス技でもかけられてろ」
「いや、それが最近は、打撃系ばっかりでさ。痛いだけなんだよ」
「良いじゃないか。打撃系でも。女の子からの技ならさ」
「お前の特殊な感性に話を合わせるつもりは僕にはない。で、だ。問題は作戦をどうするか?ってところなんだよ。取り敢えず、僕は女子生徒達のイタズラを止めたい」
そう村上が言うと、三城は顔をしかめた。
「だから、オレは女の子達の夢の贈り物については、とやかく言うつもりはないと、そう主張しただろうが」
それを聞くと、村上は少し呆れながらもこう応えた。
「安心しろ。きっと、俊が喜ぶ解決手段だからさ。いやぁ、お前みたいな、特殊な感性の奴がいて本当に良かった」
3.
その時、わたし、柏葉カナは、緊張しながら帰宅途中の道を歩いていた。隣にいるのは、わたしが嫌いなはずの男子生徒、斉藤恭介。わたしは彼と付き合っている事になっている。嫌いな相手と歩いているはずなのに、わたしはそんなに嫌な気分ではなかった。と言うよりも、わたしはむしろ喜んでいたかもしれない。
彼と付き合う事になって、とにかくこれが初めての恋人らしい行動。一緒に帰ると約束してから、話題はどうしよう?と実際に会う前から悩んでいたのだけど、その心配はまったくいらなかった。彼の方から、色々と話題を振ってくれたからだ。と言うよりも、大体は彼ばかりが話していた。わたしは、相槌を打つ方が多い。これではまるで、わたしが無口な女の子みたいだ。
「中学生の頃、何があったのか、お互いによく分かってないしさ。ほら、別のクラスになっちゃったし」
と斉藤君は言った。それで、話題のほとんどは中学時代のものだった。わたし達の小学校時代の友達とか知り合いが、何をやったとか何処の高校に行ったとか、そんな話。
わたしはどちらかといえば、緊張して言葉少なになっていたのだけど、彼はそんな事はないようだった。だけど、喋り続ける彼を見続ける内に、なんとなく察した。彼もやっぱり緊張をしている。その緊張の所為で、こんなにお喋りになっているんだ。きっと、無言の“間”が怖いのだと思う。それが、なんとなく分かった。わたしも怖いもの。無言の間。それでいつもわたしは、リラックスできない相手と話す時は、お喋りになるか無言になるかの両極端なんだ。
そう思うと、少しだけ気楽になった。それと同時に、なんだか斉藤君が近くになったような気がして嬉しかった。自然と、微笑んでしまう。もしかしたら、わたしは斉藤君が嫌いではないのかもしれない。
その時、斉藤君がこう言った。
「あのさ。どうして柏葉は、うちの高校を選んだの?」
わたしは、「え?」と、そう返す。どうしてそんな質問をするのかが分からなかったから、戸惑ってしまったんだ。するとまるで言い訳をするように斉藤君はこう言った。
「いや、ほら、他の連中とかって、色々な理由で色々な所に進んだ訳じゃん? 僕の場合は、成績もちょうどくらいだったし、通うのも楽だったからだけど。公立で、金もかからないし。
柏葉は、どうして……、なのか…、と思ってさ」
わたしはそう尋ねられて困った。実はどうしてこの高校を選んだのか、ほとんど覚えてはいないのだ。
あれ… どうしてだっけ?
そんなに深い理由がないのは確かだと思う。だからこそ、忘れてしまったのだろうし。
「特に、深い理由はないと思う。ただ、なんとなく」
それで、そう答えた。すると斉藤君は、「そう。そっか、そっか」とよく分からない反応をした。誤魔化すように少し笑っている。
その反応を、わたしは不思議に思った。
それから二日ほどは何の問題もなく経過した。精々、自分マーク2が出て来て、『まだ、彼を好きと認めない気か、往生際が悪い』とか、そんな事を言ってきたくらい。スクール・カウンセラーの塚原先生に今のわたしの抱えている“斉藤君”問題を相談し、それをそのままメディア・ミックス部に持ち込んでから、何の音沙汰もないし変化もない。
ただ、わたしにはあまり不満はなかった。なんだか順調に時間は流れているような気がする。斉藤君とも徐々に自然に話せるようになってきているし。このまま変な勝負も妙なイタズラも自然消滅して、斉藤君との関係が残るようなそんな理想的な筋書きすらも、わたしは思い描き始めていたのだ。
が、メディア・ミックス部に相談してから三日目に、異変は起こってしまったのだった。
「今のところ、うちのクラスで、告白を受けたのは三人。で、相手のクラスも三人。初めの一人を加えれば、四人。
……だったのだけど、ここにきて事件が起こったわ」
そう発表したのは、笹村喜美だった。放課後に、わたし達は彼女に教室に集められていた。……斉藤君からの「一緒に帰ろう」という誘いを断って出席していたわたしの胸中は複雑だった。正直、もう勝負なんてどうでも良かったからだ。と言うか、初めから勝負なんてどうもで良かったのだけど。だからこんな会議みたいなのには、出席したくなかった。別に斉藤君と一緒に帰りたかったという訳でもないのだけど。その点だけは強調しておく。いや、マジで。
笹村は更に言った。
「みんな、よく聞いて。両クラス、連続告白事件が勃発してしまったのよ!」
なんじゃそりゃ?と、まぁ、そこにいた女子生徒のほとんどはそう思ったと思う。
「犯人の名前は“三城俊”。自称フェミニストの変な奴よ!
なんと、彼があたし達のクラスと勝負相手のクラスの女子生徒達相手に、告白をしまくっているのよ。今日で、合計、十人を超えてしまったわ!
野郎! いったい、何股かける気だ~!」
そう笹村が言い終えると、女子生徒達は顔を見合わせた。
「何それ?」
笹村は答える。
「言葉通りの意味よ。これはテロよ。これでは厳正な勝負にならないわ!」
初めから、こんな勝負に厳正も何もあったもんじゃない。と、多分、女子生徒達はそう思っていたに違いない。
「なんか笹村、妙に感情的じゃない?」と、それから女子生徒の一人が言った。それに別の女子生徒が答える。
「笹村も告白を受けたのよ。三城君から。で、喜んでいたのだけど真相を知って、今度は“女の敵~”って怒っているって訳。あたしは自業自得だと思うけど。こっちはもっと酷い事をしている訳だし。
“いい夢見させてもらったよ”ってな感じで、男の子の方から女の子へは、夢のプレゼントは成立しないのかしらね?」
なるほど、とそれを聞いてわたしは思う。そして“こっちはもっと酷い事をしている訳だし”という発言に、少し胸が痛んだ。わたしも斉藤君に対して、その酷い事をしているからだ。
“いい夢見させてもらったよ”なんて、やっぱり普通はないわよね。と、それからそう思う。
『当然でしょう』
声が聞こえた。自分マーク2だ。わたしは何も返さなかった。マーク2がもっとわたしを責めてくるかとも思ったけど、それ以上は何も言わない。それが却って堪えた。
「しかし、分からないのは三城君よね。一体、何が目的なのかしら?」
と、それから女子生徒の一人が言った。別の女子生徒がこう返す。
「彼もなんか分からない人だから、何とも言えないけど、順当に考えるのなら、抗議行動ってところじゃない?」
「抗議行動?」
「こんなイタズラをやっているあたし達に対して、やめろってアピールしているんじゃないか?ってこと」
それを聞くと、女子生徒達のほとんどは、「うーん」と唸った。
「やっぱり悪いわよね……」
「やめようか? こんな事」
そしてそんな感じで、この勝負はやめる流れに向かったのだった。その様子に笹村は慌てる。
「ちょっと、ちょっと。なんで、そんな事になってるのよ?」
それに対し、女子生徒の一人が言う。
「あんたも、三城君に弄ばれて分かったでしょう? けっこー傷つくって。こんな馬鹿な勝負は終わりよ。そもそも、このまま三城君が女子生徒達に告白し続けたら、勝負にならないしさ」
それで笹村は黙る。「んー」なんて、言っている。わたしはそれを聞いて、少し困っていた。この場合、わたしと斉藤君はどうなっちゃうのだろう? やっぱり、謝った上で別れるとか、そんな事になる、の、かな……。ところが、そんな風に思っているタイミングでこんな声が聞こえたのだった。
「で、さ。実際に今、付き合っている男の子達はどうするの? まさか、これで別れるなんて訳じゃないでしょう?」
そう言ったのは三倉さんという女子生徒だった。彼女は、確か前回はここにいなかったはずだ。演劇部で、そっちに行っていたはずだから。いつの間に参加したのだろう?
「それは個人の自由で良いのじゃない?」
と、その彼女の疑問に対して、そんな声が上がる。三倉さんはそれにこう返す。
「ま、噂を流すだけって言っても、自分の嫌いなタイプの男の子をターゲットにするはずないし、そんなところが妥当よね。本当は別れたくないって子ばかりじゃないの? まだ付き合い始めたばかりだし。無理矢理に噂を流されたってのなら別だけどね」
それを聞いて、別の女子生徒が言った。
「そう言えば、柏葉は、ほぼ無理矢理だったわよね? 斉藤君の噂を流されたのって。本当は付き合いたくなかったのでしょう? もう勝負もなしになっちゃったし、あたしが一緒に断ってあげようか? 事情もちゃんと説明してあげるわよ」
わたしはそれを聞いて慌てた。
「え? いいよ、別に。自分で言うから」
そして反射的に、そう応えていた。
『いいよ、別に。自分で言うから』
声がした。わたしの口調を真似した、少しからかうような、そんな声。自分の口真似を自分自身にされるのは、変な気分だ。もちろん、声の主は自分マーク2。解散になった後の帰り道。やっぱり、彼女は現れた。
『なんて言うつもり~?』
そして、意地悪な口調でわたしにそう言ってきた。
『まだ、言わないわよ。タイミングを見て、おいおい』
わたしがそう返すと、『なるほど。で、ずるずると何も言わないで、そのままなかった事になるのを狙っているんだ。相変わらず、消極的よね……』なんて、言ってくる。
『うるさいわね。様子見したいだけよ』
『それって、つまりは、“わたしは状況に流されます”宣言よね? そーいうのって、あなたの悪い癖だと思うわよ? だから、こんな感じで、本当は好きな男の子を嫌いだとか言うような破目になるのじゃない』
『だから、好きと認めた訳じゃないって』
『OH、NO! まだ、そんな事を…』
その後で彼女は軽くため息を漏らすとこう続けた。
『あのね。そんな悠長な事を言っていて良い訳? 三城君が女子生徒達のイタズラを知って、あんな行動に出たってのなら、他の男子生徒だって知っているって事よ? 今回の女子生徒達のこのイタズラを』
わたしはそのマーク2の言葉に、ピクッと固まった。
『つまり、斉藤君の耳にだって届いている可能性はあるって話。さて、どうする? 早めに謝って、告白返しでもしておいた方が良いのじゃない? “あれはイタズラの為のウソじゃなくて、本当にあなたを好きなの”って。
今なら、まだ間に合うわよー』
『うるさいなっ!』
わたしは苦悩しつつも、そのマーク2の言葉にそう返していた。彼女は、そんなわたしに呆れているようだった。
4.
「男子生徒を翻弄するなんて、そんな面白そうな事を何も代償を払わずやろうなだなんて、許せない! わたしが何をやるにも代償が必要だって事を思い知らせてやる」
と、メディア・ミックス部の部室で、綿貫朱音は叫んでいた。村上アキは、こう言ってそれを宥める。
「いや、だから、ちゃんとそれは止めさせましたから。三城を使って」
綿貫はそれにこう返す。
「ぬるい。ぬるいのよ!」
そして、村上の頭にアイアンクローをかけた。
「アキ! なにが、打撃系だ! ちゃんと密着する技じゃないか!」
と、それを見て、抗議をするようにそう叫んだのは三城だった。
「この状態が羨ましいのか、俊は?! お前の特殊な感性は、一般からほど遠いということをどうか分かってくれ、頼むから」と、綿貫からのアイアンクローを受けながら、村上は三城にツッコミを入れる。
「とにかく、部長。今回の女子生徒達からの夢のプレゼントは、何の問題もないですよ。何しろ、野郎共は、夢をプレゼントしてもらえたし、お蔭でオレは、色々な女の子に告白しまくれましたし、誰も損していません。むしろ、大喜びです」
村上のツッコミをスルーすると、三城は綿貫に対してそう言った。綿貫はそれに返す。相変わらず、アイアンクローをかけたままで。
「いや、あんたは、色々な女の子に告白したいといつも思っている訳?」
「もちろん。オレの女の子への愛は無限大ですよ」
「恐ろしい奴ね、あんた。近づきたくないわ」
結局、綿貫に今回の件はばれてしまったのだった。経緯としては、噂好きで校内の噂話を網羅する女生徒、小牧なみだが一年女子生徒達の男子生徒達へのイタズラ噂話をキャッチし、それに三城のアクションが加わる事によって、メディア・ミックス部の関与が疑われると、そのままそれが綿貫の耳にまで届いてしまった、というものである。そうなれば、綿貫は当然、村上を追及する。村上アキが、綿貫の追及をかわしきれるはずもなく、脆くも陥落。その後、綿貫の大騒ぎが始まったのだった。
「ま、確かに、女子生徒達にそんなに罪はないと思いますよ。何しろ、告白されるように仕向けられた男子生徒達は、ほとんどそのまま女子生徒達と付き合い続けるみたいですから。好みじゃない男子生徒をターゲットにするはずもないから、当たり前って言っちゃえば、当たり前の展開ですけどね。
嘘から出た真、とも少し違いますが、嘘のつもりの真って感じですか」
その後で、村上がそう言う。それに、綿貫はこう応えた。
「それはそれでムカつくわよね?」
言いながら、綿貫はアイアンクローを強くする。村上はこう返した。
「イテテ……。痛いです、部長」
(本当は大して痛くなかったのだけど)
「ってか、部長はどうなっても、文句を言いそうな気がしますがー」
綿貫は軽くため息を漏らす。それからようやくアイアンクローを解いた。腕が疲れたのだ。
「でも、それって、三城に告白させまくった上で、その状況を利用して、演劇部の三倉に頼んで女子生徒達を誘導したんでしょう? 放っていたら、不幸な結末になっていた可能性もあるのじゃない?」
綿貫のその口調が真面目だったので、村上も真面目にそれに返す。
「そうかもしれませんけど、三城の告白ラッシュを抗議行動と受け取って、それなりに反省もしたみたいですし、女子生徒達。
今回は別に制裁的なものは必要ないと思います」
そう言った村上は、少しだけ困ったようなヘタレスマイルを浮かべていた。その表情に綿貫は「ふっ」と笑う。なんだか少し嬉しそうに。“こいつも、お人好しだなー”とか、そんな事を思いつつ。
「たださ、あんたのやり方には穴があるわよ」
それから、綿貫はそう言った。
「穴?」
と、村上が疑問の声を上げると、「そう。穴」と、綿貫はそう返す。
「三城の所為で、今回のこの件は、噂として学校中に広まっている。すると、当然、その“斉藤君”とやらにも噂は伝わるでしょう? ばれるのじゃない? 実はイタズラだったって事が」
「そうかもしれませんが、女子生徒達のイタズラがばれても、他のカップルは大きな問題は起こっていないみたいですし、柏葉さんとその斉藤君のペアも問題ないのじゃありませんか?」
「元から付き合う気満々の女子共と、自己概念が失敗していて、自分に恋愛感情があることすら否定している、その柏葉って女の子を一緒にするのは甘いわ。甘栗のよーに。
噂を聞けば、きっと、その斉藤君って男の子は、自分が本当に好かれているのか自信がなくなる。相手からの積極的なアプローチがないからね。そして、その反応を受け取った柏葉って女の子は動揺する。すると、二人は自然、ギクシャクした関係になる。そんな流れが予想できるわ」
その綿貫の説明を聞いて三城が言う。
「他人の恋愛だと、読みが鋭いですね、部長」
その言葉を受けるなり、「レッグ・ラリアート!」と叫んで、綿貫は三城を蹴った。もっとも、その蹴りは喉にまでは届かず、彼の腕に当たったが。
「とにかく、この作戦はまだツメが甘いわ。こーいうのを何とかするには攻めの姿勢よ! 行動開始!
アフターケアも忘れずに!が、モットーのメディア・ミックス部です!」
それを聞くと村上は言う。
「そんなモットー、初めて聞きましたが。どうでも良いですが、俊は喜んでますからね、部長から蹴りを入れられて」
三城は、その村上の言葉通り、喜んでいた。綿貫から蹴りを入れられて。
5.
帰り道。斉藤君との待ち合わせ場所に向かう。彼は先に来ていたのだけど、様子が少しだけおかしかった。なんだか怒っているようなのだ。いつもは比較的柔らかい表情を浮かべているのに、その日はムスッとしていた。
どうしたの… かな?
わたしはその表情に不安を感じた。だけど、言葉には出さない。言葉に出さなければ、有耶無耶になって流れてくれるかも、とそんな期待を抱いていたからかもしれない。
わたしを見ると、彼は無言のまま歩き始めた。いつもの優しい感じがしない。わたしの不安は加速した。彼の後を追う。無言の背中が怒りを表現しているように思えた。
まずい…… わたし達のイタズラを知っちゃったのかな?
そう思う。
そのうちに、斉藤君は口を開いた。重々しい感じで。首だけをこちらに向けた。
「あの話さ… 本当?」
あの話。まず、間違いなく、わたし達、女子生徒が今回やった、イタズラの事だろう。わたしは何も言わないで、ゆっくりと頷いた。
「そうか」
と、彼はそう返した。それから前を向くとこう続けた。わたしにその表情を見せずに。まるで隠すように。
「柏葉がこの学校を選んだ事を知ってさ、僕は嬉しかったんだ。また、同じ高校に通えるって思って。同じクラスにはなれなかったけど」
わたしはそれに何も返せなかった。
「柏葉が、僕を好きだって噂を聞いた時、もしかしたら、それが柏葉がうちの学校を選んだ理由だったのかもって少し思って、はしゃいだんだぜ、僕」
そこまでを言うと、斉藤君は後ろを振り返った。
「やっぱり、ショックだったよ。これじゃ、僕、馬鹿みたいじゃないか」
そして、そう言うとそのまま駆けて行ってしまったのだった。わたしはその場に呆然と立ち尽くした。
え?
『終わったわねー』
しばらくした後で、そんな声が聞こえた。その声が聞こえるまで、わたしは自失となっていて、どれくらいの時間、そこに立っていたのかよく覚えていない。ほんの数秒かもしれないし、数十分かもしれない。声は続けた。
『激烈に嫌われた上に、フラれちゃったわねー。やっぱり。
“いい夢見させてもらったよ。あばよ”とでも、言っておく?』
自分マーク2は、その時、わたしの肩辺りのところをフワフワと漂っていた。マーク2は更に続けた。
『でも、言い訳くらいさせてくれても良かったのにね?
“あなたに告白させようと思って、噂を流したのは事実だけど、あなたを好きなのは本当です”くらい言わせて欲しかったわー』
わたしはようやく歩き始めると、それに返した。
『少し黙って』
マーク2は首を振る。
『あんたね。わたしだって、一応、あなた自身なのよ? フラれてショックを受けているのは同じ。少しくらい喋らせてよ』
『別に彼を好きって訳じゃないし』
そのわたしの言葉に、マーク2は大きくため息を漏らした。
『まだ、そんな事を言っているの? 呆れた。ま、今のは防衛本能かもしれないけど。精神衛生上、よろしくないものね。好きだったって思うとさ。
でも、彼の言葉を覚えている? 今の高校をあなたが選んだ理由。あれ、本当にズバリだったじゃない』
わたしはそれに反応をした。
『何の話?』
すると、いよいよ呆れたといった感じでマーク2はこう言った。
『あらら…… こっちは本当に忘れていたんだ。
なら、思い出させてあげる。ほら、中学三年の夏の頃、どこの高校に進もうかとあなたは悩んでいたじゃない? で、その時に偶然、斉藤君が何処に行くのか知ったのよ…』
そう言われてわたしは思い出した。あれは確か、昼休み、別のクラスに遊びに行っていた時の事だ。斉藤君の姿を見つけたわたしは、彼の事が気になって、友人達そっちのけで彼にばかり意識を集中をしていたように思う。目は友人達に向けていたけど、耳は直ぐ傍にいる斉藤君と他の男の子達の会話をキャッチしていたんだ。
その会話は、進路に関するものだった。そして斉藤君は、その会話の中でこの学校を選ぶとそう言っていたのだった。それで、わたしはその学校名を胸に刻み込んだ。ただ別に、その時に、その高校に通おうと思った訳ではない。けど、そのうちに、進路を何処にするかという話になって、わたしは今の学校名を自然に上げていた……
『あれ?』
それを思い出すなり、わたしは泣いていた。マーク2は容赦なく言う。
『ようやく、思い出した? 彼があなたを追ってこの学校に入ったって話を、あなたが違うと思ったのはだからよ。だって、逆にあなたが彼を追ったのだもの。
つまり、小学校の頃に、優しくしてもらって好きになって以来、ずっと想い続けていた斉藤君と、やっと付き合えたのよ、あなたは。意地を張らずに、素直になっておけば、こんな事になっていなかったかもしれないのに…』
『だって…』と、それにわたしはそう返した。
だって…
『周囲に流されて、それで斉藤君と一緒にいられなくなっただけなのに、“恋愛にはドライ”なんて、訳の分からない言い訳を自分にしちゃって、そう思い込んだ。消極的で流され易いだけなのにね。本当のあなたは間違いなく乙女よ』
だって…
わたしは思った。
“……こんな事になるなんて、思わなかったんだもの”
『だって……』
『だって… じゃないわよ。今更、言い訳したって何にもならないわよ』
マーク2の言葉はきつかった。きっと彼女は怒っているんだ。わたしの所為で、斉藤君にフラれたようなものだから。
『あれだけ激烈にフラれたのに、まだ未練があるの? あるわよね。だって、あなた自身であるわたしに未練があるんだもの。
だったら、残された選択肢は一つでしょう? 玉砕覚悟で告白返し。これしかない!』
そう言われても、わたしは何も返さなかった。
『まさか、この期に及んで、まだ状況に流されようっていうの? いい加減にしなさいよ。それが、今回の失敗の原因なのに』
その追及を受けて、やっとわたしは彼女に返した。『やるわよ』と。こう続ける。
『もう失うものは何もないもの。駄目で元々』
そのわたしの言葉を受けると、自分マーク2はこう言った。
『オーケー』
ちょっと、嬉しそうに。
次の日、校内に妙な噂が流れていた。こんな。
「よりを戻したい相手の机の裏に、自分の名前をピンクで紙に書いて貼っておくと、もう一度付き合えるんだって」
つまりは、おまじないの類だ。“よりを戻したい相手”、“もう一度付き合える”。わたしはそれらの言葉に思いっきり反応した。今のわたしの状況に、ピッタリ一致したからだ。いくら何でもタイミングが良すぎると少し変に思いもしたけど、逆に運命的に感じもした。
『やるの?』
そう訊いてきたのは、自分マーク2だった。わたしはこう返す。
『斉藤君に告白する前に、これくらいしたって良いでしょう? 駄目で元々。やっておいて損はないんだし』
『いや、別に止めないけど。しかし、あんたってこーいうのが好きよね。本当に、乙女なんだから』
『うるさいな』
放課後になっても、斉藤君からは何の連絡もなかった。「一緒に帰ろう」と、付き合い始めてから毎日誘いがあったのに。ま、そりゃそうか、とわたしは思い、そしてそのまま彼の教室へと向かった。マーク2が言う。
『一応、言っておくけど、猶予は今日一日だけだからね。このおまじないをやったら、明日は玉砕するんだから』
わたしはこう返す。
『分かってるわよ。てか、玉砕って決めつけないでよ』
最後の一人が彼の教室から出るのを確認すると、わたしは中に入った。斉藤君の机の場所は知っている。どうしてか。
『“どうしてか”じゃないでしょう?』
地の文に対して、マーク2からツッコミが入ったけど、気にしない。わたしは自分の名前をピンクで書いた紙にセロハンテープをつけると、それを彼の机の裏に貼ろうとした。しかし、その時に声がかかったのだった。
「何やってるんだ? 柏葉」
わたしはその声にビクッと震えた。聞き間違えようがない。斉藤君の声だ。わたしは自分の名前を書いた紙を、後ろ手にして隠しながら、慌ててこう言った。
「別に。ただ、ちょっと、斉藤君がどうしているかな?って思って。ほら、今日は何の連絡もなかったし……」
きっと、顔は真っ赤になっていたと思う。
「ふーん」
と、彼は言う。それからこう続けた。
「後ろ、何を隠したの?」
わたしは慌ててこう言った。
「何も隠してないわよ」
「本当に?」
「本当に」
そのやり取りの後で、少しの間ができた。そして、その間の後で、
「クッ…」
と、彼は声を発したのだ。
ク?
わたしが不思議に思った瞬間だった。
「クックックッ… アハハ、アッハッハー!」
彼が大笑いをし始めたのだ。わたしはキョトンとしてしまう。
なによ、なによ、なんなのよ?
「本当に、柏葉って乙女だよな? 相変わらずにさ。占いとか、おまじないとか大好きなんだ」
わたしはそれを聞いて、顔から火が出るのじゃないかと思うくらいに、恥ずかしくなった。
『バレの、バレバレー』
自分マーク2がそう言う。その後で、斉藤君はこう続けた。
「とにかくさ、柏葉の気持ちはこれで分かったよ。でも、まさか、本当に来るとはなー。面白かった」
わたしはその彼の言葉に混乱した。だけど、ニコニコと笑う彼の表情を見つめる内に安心し、徐々にこれがどういう事態なのか、把握し始めた。
「まさか、わたしを嵌めたの!?」
そう分かった瞬間に、わたしは叫んでいた。
「まぁね。昨日、怒った振りをするの大変だったんだぜ。表情を見られると、直ぐにバレちゃいそうだったから、先に歩いて顔を隠したりさ」
「酷い! わたしがどんな思いをしたか分かっているの?」
「それは、お互い様だろう? 言っておくけど、僕がショックを受けたのは本当だからな」
わたしはそれを聞いて黙る。
『斉藤君の方が、一枚上手だったわねー』
と、自分マーク2がそこでそう言った。
『まさか、あんたも共犯じゃないでしょうね?』
と、わたしが問うと、マーク2はこう返す。
『いや無理でしょう、それは。物理的に。わたしはあなたの中の内的な存在なんだからさ』
その後で斉藤君が、口を開いた。
「本当は初めから、大体は分かってたよ。柏葉の事だから、周りの女友達に流されて、いつの間にかそんな訳の分からない事をやる破目になったんだろうなって。
昔っから、お前はそうだもんな。女友達に気を遣って、僕と話さなくなったりさ…」
わたしはその言葉に落ち込んだ。気付いたから。あ、そうか。わたしはあの時も、彼の事を傷つけていたんだ……
「……あの時の方が、今よりもショックだったな。嫌われちゃったのかと思ったから。まだ子供で、そういうの、よく分からなかったし。
でも、その後も、柏葉は僕の事を気にしているみたいだったし、僕と同じ高校に進んだ。それに僕が何かを期待したのは分かるだろう? そして、そんな状態の僕に、柏葉が僕を好きだって噂が流れてきた。その時は、まさか、イタズラだとは思わなかったけどさ」
そこまでを彼が喋ったところで、わたしはようやくこう謝った。
「ごめんなさい…」
彼はそれを聞いて少し笑った。
「別にいいよ。柏葉が、そんな酷い嘘をつける奴じゃないってのは、分かっていたから。本当だったんだろう? その、僕を、柏葉がさ…」
そして、それからそう続けたところで、言葉を止める。彼がわたしをじっと見つめたのが分かった。わたしはそれにドキリとした。声が上手く出そうにもなかった。そのタイミングで、自分マーク2が言った。
『まさか、この状況で逃げるつもりじゃないでしょうね?』
わたしは返す。
『逃げないわよ』
認めるわよ。仕方ないから。わたしは恋する乙女だって。そしてそれから、わたしは現実の、空気を震わす声を出した。
「あのね… 本当は、わたしが、この高校を選んだのは…」
6.
「やっぱり、むかつくエンディングよねー なんだか」
と、綿貫が言った。メディア・ミックス部の部室である。それに村上はこう返す。多少、困った顔つきで。
「でも、こちらの狙い通りに、事が運んで良かったじゃないですか。ハッピー・エンディングですし」
「いや、相手の男が、大体の事情を察してたってのが、もう、本当に嫌な感じな訳よ。なにこの、激甘な展開。激甘でぷよぷよをやってもつまらないのよ?」
「また、古いネタを……」
そう。メディア・ミックス部が、斉藤恭介に働きかけて、この件を仕掛けたのだ。柏葉カナを騙してみないか?と。もちろん、復縁おまじないの噂を流したのは、メディア・ミックス部である。主に、メンバーの一人、小牧なみだがやったのだが。その小牧なみだが言った。
「綿貫は邪悪ねー。素直に春を愛でなさいな。後輩が幸せになったんだから。あれから、その二人はいい感じなんでしょう?」
「あんたは老婆か?」
「心に余裕があると言って。あんたと違って、人間ができてるの」
「そんな事を言ってたら、プロレス技をかけるわよ?」
「どうぞー。村上君にかけてあげて。きっと喜ぶから」
そう小牧に言われて、綿貫は黙る。その彼女の様子をしみじみ眺めながら、小牧は言った。
「しかし、あんたもあれよね。もうちょっと素直になったら、ハッピー・エンディングが訪れるのじゃない? ほら、ちょうど今回の恋する乙女さんみたいにさ」
それに綿貫は、「わたしは、自己概念に失敗なんてしていないわよ」と、そう返した。小牧はそれに「ほー」と返す。村上は、その会話を聞いていない振りをしていた。
「そう言えば、三城はどんな感じだった? 今回の結末」
少しの間の後で、綿貫はそう村上に尋ねた。
「ああ、あいつは男の方を無茶苦茶、羨ましがってましたね。ただ、女の子が幸せになって良かったとも言っていましたが」
「あいつも変な奴よねー」
「ははは。あいつは、フェミニストってよりは、女の子至上主義って感じですから。いや、あそこまでいくと、性質かな?
まぁ、あいつに関しちゃ、自己概念の修正は必要ありませんよ。絶対」
それを聞くと、小牧は少し嬉しそうにこう言った。二人を茶化すように。
「まるで、ここにいる誰かさんには、自己概念の修正が必要だって言っているみたいねー。ね、綿貫?」
「うるさいわね! あんたは! どこが人間ができてるのよ?」
「悔しかったら、村上君にプロレス技の一つでもかけてみなさいな! 身体を密着させるタイプなやつ」
「意味が分からない!」
「分かってるくせに~」
……メディア・ミックス部に春が訪れるのは、まだ、もうちょっと、先の話になりそうだった。