それぞれの思惑
敵意こそ感じられなかったが、その目に不穏な気配が宿っているのを見逃すアルスではなかった。
爛々と、自らの知識欲だけのために輝いていますとでも言うような目が、アルス達五人を順々にギョロっとした眼鏡の奥に光る双眸で見据える。周りで何やらわいわい叫んでいる三姉妹は相変わらず騒々しかったが、ベルデロイの様子はどこか少し、違和感があった。
それもそのはずだ。彼は今、自ら生み出した新薬を誰かに投与したくて仕方がないのだから。
「こんなところで早速実験体と出会えるとはっ! 吾輩は素材に恵まれた類稀なる偉大な科学者に違いないでしょう!」
偉そうな一人称のくせに、口調はしっかり紳士なベルデロイが空に向けてケタケタ笑った。
その不気味なフランケンシュタインの挙動に、アイリが天敵に睨まれた小動物のように小さくなる。
「『鍵』持ってそうな人たちっ!」「特にあの黒い奴っ!」「特に向こうの変な格好の奴っ!」
「変な格好とは失礼な、これはれっきとした奇術師の正装なのですよ」
キンキン響く声とは対照的に、あくまでも穏やかな口調なロマヌエット。正直なところ、服装を変だと言われたことよりも四人の様子が明らかに先ほどとは異なることに力を入れているようだ。
今のベルデロイらに、こちらは『味方』として映っていないのだろう。かといって、話しかけてくる以上は雑多に溢れるどうでもいい『他人』でもない。少なくとも、自分たちにとって『敵』と定義するのに十分な雰囲気を醸し出しているのには違いない。何しろいつも以上に危うい眼つきをしている。
「さあ、助手の諸君っ! 彼らをひっ捕らえてくださいっ!」
「『鍵』ねっ!」「了解っ!」「がってんっ!」
ベルデロイが号令して、いつの間にか助手となっていたらしい三姉妹が突進してくる。手には魔法のチャクラムを持ち、明らかに『捕らえる』という命令以外の行動に踏み切ろうとしている。もたもたとしていたら、捕らえられる前に永遠の停止を強いられるだろう。
アルスとロマヌエットの二人は瞬時にそう思ったが、女性三人組はそうでもなかったらしい。
アカニャの攻撃をアルスが、アオノの攻撃をロマヌエットが抑えたが、残るミドリナの攻撃はターニャに突進していった。
「動け馬鹿っ!」
叱声を飛ばして襲ってきた敵の手を持ち、ミドリナの方へ投げ飛ばしたのはアルスだ。
アカニャは見事にぶん投げられ、ミドリナの側面に直撃した。勢いのまま、アカニャとミドリナが脇へと転がる。
「いったぁーいっ!」「何するのよぉ!」
などと言いつつ、狂ったように笑うのをやめない二人だった。それを無視して、アルスがターニャの前に立ち塞がる。ひそかにその後ろにアイリとリフが配置されるようにして。
「こいつらは今は敵だっ! 味方じゃないっ!」
怒鳴られたターニャは気まずそうな顔になって首を縦に振った。腰に帯びていた宝刀を抜く。
「リフもぼさっとするなよ! アイリは戦えないんだからな!」
「勿論さ!」
リフは早くもふっきれたらしく、その声には元気があった。ただ、彼女はまだ怪我が完治していないので敵を出来るだけ回さないように配慮しなければならない。
「助手頑張ってくださいねぇ!」
手を振って三姉妹を応援しているのは白衣のフランケンシュタインだ。その手にはなにやら怪しげな注射器が握られており、見る者の警戒心を一層募らせた。もともと胡散臭い男であるのに、そのうえ更におかしな薬品を手に持っているとなるとダウトである。
尻もちをついていたアカニャとミドリナが地を蹴った。
同時に、ロマヌエットのステッキと競り合っていたアオノが後方へ飛ぶ。その途中で、例のチャクラムを投げた。
激しい回転をしながら、それはロマヌエットに突っ込んでいく。
当然、無様に斬られてしまう男ではない。
「お花を咲かせてあげましょう」『ショウっ! ショウっ!』
ギャイン と火花が散ったその瞬間、青に発光していたチャクラムに真っ青な薔薇が咲き誇った。そのまま術者の元へ戻ろうとしていたが、よろよろとした軌道は目的地へとたどり着けず、アオノの脇をすり抜けていく。
「あーっ! アタシのチャクラムがっ!」
相手の虚につけ込むのが大好きな奇術師が、この隙を見逃すはずがない。
「ガラ空きですねぇ」『デッスネェっ! デッスネェっ!』
ロマヌエットのステッキがアオノの頭、に触れようとして、アオノが無理に避けたためにその腕に当たってしまった。
「ギッっ!?」
その声を上げたのはアオノ。悲鳴の先には腕に咲いた巨大な薔薇があった。屋上にて、兵を葬っていったあの恐怖の薔薇だ。今はその色が青い。
「助手その2、こちらへ来なさい!」
「はーいっ!」
ベルデロイがそれを見てこちらへ駆けだしながら、白衣のポケットからなにやら薬品を取り出した。
ロマヌエットがそれを食い止めようと、青い背中を追う。
「アオノの仇ぃっ!」「死ねぇっ!」
しかしながら、目的との間に赤と緑が挟まった。ロマヌエットはそれに足止めを食らう。
「なぁにしてるんですかぁアルスさん」
「いきなりそっちに飛んで行ったんだっつの!」
言って、アルスはすさまじいスピードでミドリナとの距離を詰めて、その横腹を蹴り飛ばす。小さい体のミドリナがその衝撃に耐えられるはずもなく、アカニャを巻き込んで再び二人で飛んで行った。
しかし今度の二人は無駄口を一切叩かず、機械のように淡々とした動きでもう一度突っ込んできた。
その姿に、先ほどまでの明るいイメージは見受けられない。
「さぁ! 治りましたね!」
その声とともに、今度はアオノがターニャ達のほうへ突っ込んでいた。あちらのほうが楽に殺せると思っての行動らしい。その手は驚いたことに、もとからの美しい白い肌を保っていた。
「チッ」
舌打ちして、忙しくもアルスがそこへ走る。傍から見れば、その移動はほんとうに刹那だった。
黒い剣で容赦なく、アオノの体を貫かんと突く。
しかしアオノはそれを最初から予期していたように急停止し、それを寸でのところでかわした。そしてチャクラムを振り、アルスの顔を二分にしようと迫る。
アルスはそれを危機一髪でかわし、もう一度剣を振りかぶることでアオノを後退させた。
「おいおいこいつら完全にガキの動きじゃないぞ!」
「そのようですねぇ、あ、また来ましたよ」
さっと隣に現れたロマヌエットの目が、前の三人組を捉える。
一進一退の攻防は続いていた。
† † † † † †
ズズゥン、という重々しい音とともに、豚の怪物はその場に倒れ伏した。
五千中、二千という損害を出しながらもアレンの軍隊は見事怪物を打ち倒したのだ。いまだ美しい陣形の崩れていない隊列から、ワァッと声が上がる。
「よし、早く『鍵』を回収して他の部隊と合流するぞ!」
怪物の体が、朽ちるように崩れていった。その中から青々とした海の色を湛えた『鍵』が出現する。
兵の一人がそれを手にし、アレンに渡した。
「速やかに移動っ!」
アレンの声が契機となり、部隊が進みだす。
兵たちの足取りは、少しだけ軽いようだった。
近づいてくる、不穏な足音にも気付かずに。
一方、こちらはライデンワーツ最後尾部隊の中ではトップの規模を誇る、一万の軍隊を引き連れた部隊。隊長たるボルックス・フォードは、街の入り口前に広がる惨状に唖然とした。悠々と髭を撫ぜていたその手が止まり、驚愕を表に出す。
「なんだこれは……」
いまだ戦争は続いていたが、その中にライデンワーツの兵隊と思われる者はそのほとんどが地に伏しており、その死屍累々たる様には思わず目を覆いたくなるものがあった。
まるでゴミのように散在している生々しい死体は、踏みつぶされたものや武器が刺さったままのものも多くあり、本物の戦争がこの場で繰り広げられたのかと錯覚してしまう。
フォードは戦争での実戦経験も持ち合わせている老齢の騎士であるが、こんな惨状を見たのは初めてだった。ライデンワーツの兵を指揮する者が相当な腕だったということもあり、ここまで壊滅状態の自軍を見たことがなかったのだ。
「部隊を二分にして挟撃するっ! 分かれろぉッ!」
フォードの怒声。一万の兵隊はきびきびと動き、その号令に合わせた。
「味方を保護しろっ、いいなっ! それ囲めぇ!」
一万の軍隊は、何百という冒険家たちの殺し合いの中に割って入り、草原の惨劇を終幕させた。
ちなみに言っておくと、フォードは今しがた味方を保護するようにと言ったが、それは『味方ならば助けなければならない』という道徳的な考えではなく、『どうしてこうなったのか』という情報を引き出したいと考えたからだ。裏切り者の団体では味方意識は薄れ、いつか自分も……という不安がぬぐいきれないでいる。
実際、今回の『鍵』争奪戦では軍内部から脱落者が出る予定だ。
(ワシも、殺されてしまうのではないか……?)
そう考えると、それ以上に恐ろしいことがないかのように思えて仕方がなかった。フォードは欲望に素直な男であるがために、自分の存在が消失する『死』を極端に恐れる傾向にあるのだ。
それはともかくとして、フォードは次の指示を出そうと全軍を見渡した。
そのための号令を掛けようと息を吸い込んだ瞬間、それは急に現れた。
「ギャァっ!」
一人の兵が悲鳴を上げて、死体となった。
「これはこれは、ライデンワーツの軍隊ですか? カイン」
「面倒な相手にぶつかったものだな、ミル」
わが道を行くカップル登場。
麦わら帽を被った、白銀の長髪をたなびかせる少女の手には、例の『鍵』らしきものが握られていた。
† † † † † †
「ご苦労だったな、アレン・コールドウェル」
「うん? どうかされましたか、ロウル・セルヴィンス殿」
丁寧な性格のためか、アレンの言葉は一つ一つが高貴に思えた。まるでそれが癪に障ったかのように、ロウルの醜い顔がさらに歪む。
今回、争奪戦では思想に問題のある者を始末するようにという指示があった。
ロウル、フォード、ウィレムの三隊長はそれを受け、対象、即ちアレンを始末する算段をしていたのだ。ウィレムが街の入り口で構えていたのは対冒険家用だけでなく、アレンの部隊に対する策の一つでもあった。味方意識の薄い仲間内で、フォードが軍の壊滅状態を見てうろたえたのはその作戦が失敗したのかもしれないという不安が原因だ。もしくは、失敗するかもしれないという焦燥感なのかもしれないが、それはどうでもいいことだ。
とにかく、今はアレンの命が危険だった。
それは、自身も悟ったことらしい。
(姫を逃がす時の手筈は万全だったはずだが……)
「ゾルディック様が見抜かれた。お前の部隊が姫を逃がし、しかも今回の件においては自らこのエリアに残ることを望んだらしいな。お前は思想的に問題あり、よってここで土に還ってもらおう」
アレンの心の内を察したように、ロウルが言葉を紡いだ。
話を聞いて、アレンの背筋に冷たいものが走る。
あのゾルディック様が……?
アレンの中でその姿が組み上がる。
戦慄は背中を虫のように這い上がってきた。
すでにばれていた。万全に組んだはずの計画が。
後ろに残った三千の兵は皆、自分の協力者だ。勿論、怪物によってほうむられた二千人も例外ではない。だから後ろを心配する必要はないのだが。
しかし、前方にいるのは残る兵を全て率いたロウルの軍隊だ。どうあっても勝てる数ではない。
逃げるにしても、上手くいくかどうか……。
アレンは考えようとした。
しかし、それはロウルの号令によって妨害される。
「全軍、あちらの軍隊に突撃ぃ!」
† † † † † †
『鍵』はかのカップルと、アレンの部隊が持っている。
アルスたちは欲望の魔物のようなベルデロイたちと戦い、ライデンワーツの軍隊は裏切り者の候補を始末するために動く。
『世界』でも有数の、大きな戦いが始まった。