最凶カップル
太陽光を黄金に照りかえす一団がある。言うまでもないことではあるが、『世界』において唯一巨大な組織として君臨しているライデンワーツの軍隊だ。
街の出入り口で起こっている惨状も知らずに、彼等は雷が落ちたらしき場所にやってきていた。周りの草が焦げて地に這いつくばり、直撃したと思われる場所に至っては黒く染まった大地の素肌がのぞけていた。今はそこから黒煙が立ち上がっている。
「注意しろ、この辺りにモンスターがいるぞ」
僅かな緊張に体を強張らせながら部下にそう言ったのは、部隊長の中でも剣術に秀でたアレン・コールドウェルだ。両目はライデンワーツ貴族の証である碧色を湛え、格好いいというよりは美しいに分類できる顔立ち。後ろで束ねた金髪は、美女ですら唸らせる程綺麗なものだった。腰に帯びた白銀のレイピアが、彼のさらっとした容姿を更に際立たせている。ウィレムとは別の爽やかを持つ美少年だった。
他のウィレムとの相違点を探すとするのなら、傲慢でないことや少々臆病であること、さらに部下からの信頼の厚さなどであるが、剣術においても申し分ない彼が軍隊の最後尾に残された理由は、その思想にあった。
(ターニャ姫、無事に逃げきれていればいいが……)
彼は裏切り者ばかりで構成されたライデンワーツ軍の中で唯一、ターニャの味方だったのだ。実を言うと、王や姫君など王族が急襲されたのにも関わらず、ターニャが逃げ切れたのにはアレンの活躍が大いに関わっていた。
ターニャ自身それには気づいていないが、アレンが誰にも気づかれないように配慮して行ったことなのでそれについての文句はない。代わりに、ターニャが無事に逃げのびれたかどうかだけが、アレンの気がかりだった。元来の臆病な性格の所為で、今回の計画に口を挿むこともできずに王を見殺しにしてしまったアレンは、ターニャを逃がす算段をしていたのを誰にも気づかれなかった。しかしそれでも平原エリアに残されたのは、ターニャの無事を確認するためだ。
謀反の中心となった上将軍などから次のエリアへ進む権利を貰ってはいたが、それを丁重に断り、姫君の生死を確認するためだけに彼はここに留まっていた。
ちなみに、ターニャは例の三姉妹のせいでライデンワーツの兵隊たちに追いかけられているが、アレンがそれを知らないのはターニャがすでに王族としてではなく、何の変哲もない女として見られているからである。どういうことかと言うと、見かければ殺害するが、別に取り立ててどうこう言う必要もない、ということである。
そういうこともあり、アレンは音沙汰ない姫の動向に溜息を隠せなかった。
「たっ、隊長っ! あちらの方にっ!」
大きく息をついたその時だった。
部隊の端から切羽詰まったような兵士の声が全体に響き渡る。
どうやら、お出ましらしい。
「態勢を整えろっ! 所詮モンスターは一体、こちらは五千だっ! うろたえるんじゃないっ!」
その美しい顔立ちからは予想も出来ないほど大きな叱声が飛んだ。
兵は取り乱した心を落ち着かせ、命令通りに態勢を整える。
グオォォォォ!
現れたのは、棍棒を手に持つ、巨大な豚の戦士だった。
† † † † † †
今の状態で草原に出ようとすれば、戦闘に不慣れなアイリや怪我の完治していないリフは無事では済まない、ということでアルス達は一旦、街に戻っていた。
今は五人が大きな扉の前にいる。
それはロマヌエットの発案であり、扉の前にいれば『鍵』を持った誰かが来るかもしれないから、という理由があった。
先ほどの惨状で取り乱した心情を一時、落ちつかせる目的もごくわずかに含まれている。
「これで分かったか、この『世界』にやってきているのは例外なく、ああいう連中だ」
「そのようですねぇ、誰とも仲良くやっていけるだなんて考えは捨てた方がいいですよぉ」
『ロマヌエット、信頼できる』
「パロはいい子ですねぇ」
くぷくぷと不気味な笑い方をしながら、ロマヌエットがパロの顎を撫ぜる。鸚鵡は満足そうに上を向き、されるがままだ。
「私は、殺し合いなんてしたくないです……」
あの光景を見てから、一向に話すのを拒否していたアイリがようやく口を開いた。少しずつでも、落ち着いてきているらしい。その声は虫の羽音かと思うほどにか細かったが、アルス達の耳にはきちんと届いた。
「お前とあいつらは違う。全員がその考えだったらそもそも、願いをかなえる必要すらない世界になっていたさ。平和とか腐るほど手に入れられそうだしな」
破壊欲も殺人欲も生まれない世界、永遠に平和で退屈しない世界。世界中の誰もがアイリのような心の持ち主で、容姿で、五体満足であれば、そもそも願いを叶える『宝具』が眠るこのダンジョンですら存在しなかっただろう。
アルスの言葉にはリフが頷いた。
「アタイもそう思う」
ターニャも、納得したように首を縦に振っていた。彼女の場合は、ショックよりも疲弊の方が強いらしい。人が死んでいく様は、想像以上に神経を削られるのだ。彼女自身、屋上での戦いで初めて人を斬っているのだから疲労はピークに達しているだろう。
渇いた血や泥などで汚れた、もともとは高級な深紅のローブはもうボロボロで、ターニャの疲弊と相俟って憔悴の二文字を体現していた。しかしそれでも、頷く力は弱々しくない。
アイリの口が再び固く結ばれる。
よっぽど人が争うのを嫌うらしい。
「まあアイリさんのような方がいてもいいんですけどねぇ」『ネェっ! ネェっ!』
ロマヌエットの笑い方は言葉の真面目さをことごとく打ち消していた。彼に真摯な態度を望もうとも無駄なようだ。いつだって奇術師は、道化を演じる。
アルスは目を伏せて、できるだけアイリを直視しないようにした。
ターニャは座り込み、宝刀を抱きかかえるようにしてうずくまる。
リフは治りきっていない自分の傷を見て、仲間だった連中の顔を思い出している。
ロマヌエットはおどけた態度で張りつめた空気と戦い。
アイリはまた泣きそうになるのを必死に堪えていた。
全員、『世界』に進入して疲れきっているのだ。
初めの平原エリアですらこの状況。アルスは早くもこのダンジョンの攻略の難しさを悟っていた。広大さと深さではどんな大迷宮も及ばないのだから、このエリアは序盤も序盤。言ってしまえば、プロローグのようなものだろう。それを考えると、より疲れが重くのしかかってきた。
「アレェ!? さっきの人たちだぁっ!」
「ワォッ! これって運命っ!?」
「何色の糸で結ばれてんだろねっ!」
「吾輩のファンどもではないかっ!」
加えて、面倒臭い四人組が現れたのだから、アルスの口から溜息が洩れたのも納得がいく。
† † † † † †
カインとミルの眼の前に現れたのは、巨大な角を生やした牛頭の怪物だった。鋭い牙が覗く口元からは青色の炎がちらつき、二足歩行で立ちあがったそれの手には巨大なバトルアックスが握られている。絶えず興奮したように鼻を鳴らしており、ギョロっとした目が節操無く彷徨っていた。
「カイン」「わかってるよミル」
二人の会話が途切れたと同時に、あの黄金の鎧どもを貫いた岩の槍が地面から突き出した。しかし今回はその大きさが違う。兵たちを葬った槍がかわいらしく見えるほど、それは大きかった。
かわりに数は一つだが。
グオォォォォッ
牛頭の怪物、ミノタウロスは一つ咆哮し、それをバトルアックスで打ち砕く。石つぶてが飛散し、危うくカップルに命中するかと思われたが、そのときすでに二人の姿はミノタウロスから離れていた。そのミルとカインの周りには、不可侵領域でも創り出しているかのように淡く発光する魔法陣が描かれている。
ミノタウロスはそれにまた興奮し、角を突き出して突進してきた。
「カイン詠唱を」「”出でよ真鍮の雄牛、断末魔の絶叫をその馥郁たる芳香の煙に乗せて”」
魔法というものは、そのすべてに詠唱するための文句が用意されている。魔法の熟達者になるとそれは省略されることもしばしばあるが、基本的に発動の際は詠まれるものだ。それは単純に威力や効果を高めるためであったり、術者本人の集中力を高めるためであったりと効果は様々だ。
その詠唱が、カインの口によって紡がれた。
すると、突進してきたミノタウロスをくすんだ金色のドロドロしたものが取り囲むかのように覆っていった。それはすぐに固化し、どんどん一つの形をとっていく。
雄牛だ。
「あら、趣味がいいですわね、『ファラリスの雄牛』なんて」
「ミルと音楽がききたくなってな」
二人の笑みはあくまでも平常通り。
これから起こることに毛ほどの感慨も抱いていないようだ。
真鍮製の雄牛がやがて、完全なものとなった。
その中には、あのミノタウロスが取り込まれている。
おそらく暴れ回ろうとがむしゃらに動き回っているのだろう、雄牛から様々な音が奏でられる。
雄牛はどうやら管楽器の様な作りになっているらしく、猛るミノタウロスが中で咆哮を上げるとすさまじい音が大地を揺るがせた。
どうやら、カインの言うところの『音楽』とはそういうことらしい。
そして、その声はヒートアップする。
カインの右手が持ち上がり、パチンと指が弾いた。
すると、雄牛を象った真鍮の像の真下で灼熱の炎がのたうった。ちょうど雄牛の腹部に当たるところだ。
ブオォォォォッ!!
真鍮製の管楽器が、今までで最も激しい咆哮を上げた。肌で体感できるほどの音が振動として伝わり、『ファラリスの雄牛』の内部で起こっている拷問のような様を訴えてくる。ビリビリする振動が痛いほどだ。
炎が苦しんでいるかのように雄牛の腹を舐めまわし、中のミノタウロスが苦悶の叫び声を上げる。聞いていると頭がおかしくなりそうな大音響だったが、それを『音楽』として楽しんでいるミルとカインにはどうとでもないことのようだ。どちらもいつもと同じ表情、特にミルの方は微笑のままだった。
「ヒートアップさせよう」
カインがもう一度、指をパチンと鳴らす。
すると炎の勢いが一段と強くなり、ミノタウロスの叫びが絶叫に変わった。その絶叫は複雑な作りによって、それこそ猛る雄牛のような音に変調されていく。
雄牛の下で焚かれる猛火が、ミノタウロスの苦しみを表現しているかのようにうねり、熱を真鍮に伝えていく。やがて真鍮はくすんだ金色から黄金へと変わっていき、どれほど熱が伝わったかを全面に出していた。
業火によって、雄牛が金色に仕立て上げられる。
ミノタウロスの断末魔はやがてしぼんでいき、やがて音がしなくなった。
「これで終わったな」
「みたいですね」
事の次第を存分に眺めていた残酷な二名は、やはりいつもと変わらぬ調子で立ち去ろうとした。
「あ、『鍵』を忘れていました」
「そうだったな」
途中でミルが思いだし、カインの手によって引き返す。
そしてカインらが近付くと、黄金に輝いた雄牛は頭部からばっくりと中身をさらけ出した。
「なんだか臭いが最悪ですね」
「だが見た目は綺麗だぞ」
肉が焦げたにおいと共に姿を現したのは美しい宝石のように光を反射した、真鍮に焦げ付いたミノタウロスの骨だった。
その焦げの中に一つ、紺碧に輝く物体があった。
カインの手がそれを掴む。
「『鍵』は手に入れたな」
「えぇ、帰りましょう」
そうして、二人の姿は再び街に戻っていった。