『鍵』を巡って
ライデンワーツ最後尾の部隊、二万と少しの兵士を率いる分隊には四人ばかり、腕の立つ歩兵隊長がいた。
そのうちの一人、ウィレム・ダーテンバーグは自らの部隊約三千の兵を連れて、草原に現れる。
クルリとところどころ跳ねた金髪の下に、空ですら辟易する青を湛えた瞳。金ぴかの豪奢な防具をその身に鎧い、腰には二本の剣を帯びている。男前な顔つきは女性を熱狂させるには十分な程整っており、白馬にまたがって笑顔で街を歩けばスターと見間違えそうな男だった。
戦いの狼煙は上がったというのに、その爽やかな顔には微笑が張り付いている。
「我々の部隊は街に出入りする全ての存在を処理することだ、皆の者っ! 心してかかれっ!」
およそ、その爽やかな顔には似合わない叱声が飛んで、率いている三千の兵士たちを鼓舞する。ウィレム程凝ったデザインではないものの、黄金色に輝く鎧は同じの兵士たちが咆哮し、草原の地面を揺るがせた。
防衛本能から攻撃という行動に移るシャギーテイルですら、その咆哮には尻尾を巻いて逃げだす。
勝ち誇ったように笑む三千の兵士の後ろには、壮大ともとれる巨大な壁が立っている。つまり、ウィレムの部隊は『始まりの街』のすぐそばで待機しているということだ。
この部隊がそこにいる理由は先ほどウィレム本人が述べた通り、街に出入りしようとするあらゆる存在を処理、要は殺すことだ。そうすることで、『鍵』を探しに行こうとして街を出る者を排除したり、新たな敵となる来訪者をその場で始末できる。簡単に言えば、『鍵』を手に入れるために邪魔になるであろう敵を殲滅することが目的なのだ。
現に街を出ようと試みた者は例外なく三千の兵に妨害され、街を出ることが叶わないか、あるいは殺されてしまっている。
ウィレムの部隊は順調に機能していた。
この『世界』において、軍隊という単位で進入したのはライデンワーツだけ。数という点において右に出るものは皆無だ。
たしかに、『世界』に入ってくるのは大抵が結構な実力を兼ね備えた好奇心旺盛な連中だ。しかし、衆寡敵せずという言葉があるように、何者もライデンワーツの軍隊の前には無力だった。なにしろ数が言葉のまま、桁違いなのだ。黄金の兵士たちの海に呑まれて消えるのが関の山であろう。
街の入り口付近には人が溜まり始めていた。皆、『鍵』の存在を知っている連中だ。しかし、彼等が苦しそうな顔のまま為す術もなく止まっているのは、そこにいる誰もがライデンワーツの数の力を理解しているからだ。それほどまでに、数の力は強い。
『無敗』とまで称された伝説の将軍とて、幾万に上る兵士の波には抗えなかった。
金色に神々しく輝く体躯を見せつける彼らは、いまや一つの魔物ともいえる。
ライデンワーツ軍隊の最後尾と言えど、その姿はまさに壮観だった。
「ほう、学習能力の高い奴らだな。もうこちらに突進してくるアホがいなくなったぞ」
自分が一番かっこいいとか思っていそうなウィレムが、檻に入れられた猿を見て嘲笑うような表情になった。せっかくの貴族面が下品に歪む。
ウィレムはすでに、街の出入りを完全に抑え込んだと思っているのだ。それは三千という兵力あってこその圧力であり、そう思い込んでもおかしくはないのだが。
しかし。
ウィレムは知らなかった。
今いる大迷宮には、魔物ですら怯える猛者がいることを。
彼等は今、街から進み出し、草原の草を這いつくばらせる。
ウィレムの眉間に疑問という形のしわが寄った。
「さあ、いこうかミル」
「えぇ、いきましょうカイン」
二人の声が重なったと同時。
地面から槍状の岩が突き出し、黄金の鎧をいくつか貫いた。
† † † † † †
「ねぇ『鍵』手に入れにいこうよぉ!」
ツインテールをぶんぶん振り回して抗議するのはアカニャだ。甲高い声は耳元でなくとも鼓膜を突き破るというのに、今はいつもにも増して声が大きかった。アオノとミドリナの両人も同様に叫んで、先ほどから肩を揺らしてケタケタと笑う不気味なフランケンシュタインに抗議している。
街の外れに位置する廃れた施設。元は医療業務などに使われていたかのような、設備の整った施設だった。そこに、ベルデロイと例の三姉妹がいる。
幸いとでも言うべきか周辺に人がいないおかげで迷惑をかけることもなかったが、むしろ四人のうち一人はいずれ発狂するんじゃないかというくらいの声量で話している。いや、すでに発狂してはいるのだが、ベルデロイによれば『天才の所業はいつでも凡人に理解されないものなのだよチミィ』とのことなので、発狂しているという表現は間違っているらしい。どうでもいいことでもある。
ところで今四人はその病院のような施設で何をしているかというと、三姉妹の方は『鍵』を手に入れるために先ほどからベルデロイに抗議しているのだが、肝心の本人はケタケタと不気味に笑いながら試験管やフラスコを器用に持ち、激しく揺さぶっているところだった。
お楽しみなのは良いのだが、傍から見れば恐怖すら感じられる。
「ねえねえっ! 『鍵』欲しいぃっ!」
「ベルちゃん次のエリア進みたいでしょうっ!」
「ほら早くしないとアタシたち先に行っちゃうぞーっ!」
「ウハハハハやはりこの薬品には神経に効く毒素が含有されていますねぇ!」
全く話を聞かないベルデロイ。『ベルちゃん』と渾名されているのにも無視である。
「『鍵』ぃ!」「がぁっ!」「ほしーーーーーーーーーーーっ!」
「な、なんということだっ! 吾輩の自作キメラですら三分で葬るほどの強力な毒素を含んでいたらしいっ! 人間など一分持つかどうか……!」
「人のっ」「話をっ」「聞けぇっ!」
本人たちが言えないことではあるが、そう言う気持ちは大いにわかるところだ。ベルデロイはただいま新薬に心を奪われてしまっているようで、自分の声以外が届いていないようである。
「あ、じゃあさっ!」
そこでミドリナが何かを思いついた。
わざわざ行儀よく挙手して、発言権を獲得しようとする。
「はいミドリナぁ!」「ミドリドリぃ!」
「その薬品を街の外で暴れてるやつらに試すってのはどうっ!?」
「いいかもぉっ! ついでに新しい研究材料調達っ!」
「新薬投与の実験体確保にもなるよっ!」
「そぉれはいい案ですねぇ!」
ベルデロイの首は唐突に三姉妹の方を向いた。
まるで人形の様な動きだ。
「では早速行きましょうかっ!」
「やったねさすがベルちゃん!」
「さあいざ『鍵』と研究材料の元へ!」
「実験体確保のためぇ!」
家屋の一つや二つは音だけで破壊できるんじゃないかというくらい攻撃的な声量で騒ぎ続ける四人は建物から飛び出し、草原へと通じる街の入り口に向かって走り出した。
奇声を上げながら、周りに奇異の目で見られて。
三姉妹はすでに助手のポジションを確保し、ベルデロイは本人のわが道を突き進んでいる。
「ウハハハ「キャハハハ「キャハハハ「キャハハハっ!!」
かしましい声は、四つに増えていた。
† † † † † †
雷鳴が轟いても最初は何かわからなかったが、直に聞こえてきたわぁわぁいう声のおかげで起こっていることの大体が理解できた。
『鍵』の争奪戦が始まったのだ。
アルスはそう思い至り、足が自然に街の入り口へ向かう。ロマヌエットもそれに黙って付いてきたあたり、彼の方も今起こっていることの次第が把握できているのだろう。
残念ながら、ターニャ、アイリ、リフの女性三人衆は何が何だかわかっていないらしく、時折質問を挟みながらやや小走りでついてきた。特にアイリなどは背も低く、大股で歩いてもアルスの普通の歩幅に届くかどうかくらいだったので余計に走らされる羽目になった。
「な、何が起こっているんですか?」
「多分『鍵』の争奪戦だな、今ごちゃごちゃやってるのはライデンワーツの連中だろう」
「ですねぇ、私もそう思いますよ」『ヨヨヨっ! ヨヨヨっ!』
「じゃあアタイらもそれに参加するんですか?」
「馬鹿だな、それじゃあ奴らに後れをとるだけだ」
「アルスさんの言うとおり、今騒々しいこの音は街の入り口の方から聞こえるから、多分分隊を更に小分けにして街の出入り口を抑えているんだと思います」
「じゃ、じゃあ私たちはどうすればいいのでしょう!」
「街の出入り口は一つしかないのですから、強行突破以外にあるんですかぁ?」
「下手に消耗するよりマシな計画を立てろ」
「あ、アタイそういう頭使うこと苦手で……」
「誰かが戦っている間にすり抜けるとかどうでしょうっ!」
「難しいと思うわ。分隊には二万と少しの兵力があったんだから、その中から数千の兵を割いても影響はないはず。何千という数は鼠が何匹出てこようと、とり囲むのには事欠かない数字よ」
「そうだな、アイリの策は使えそうにない」
「全体に目くらましでも喰らわせてやればどうでしょうぅ?」
「どうやって?」
「リフさんを囮に」
「嫌ですよっ!」
「そうですひどいですよロマヌエットさんっ!」
「ではターニャさんはどうですか? お姫様は兵士の目につきますよぉ」
「だが危険が伴い過ぎるな。却下」
「最終的に残る手段は一つじゃないですか」
「わぁお姫様強行突破だなんて勇敢ですねぇ」『ネェっ! ネェっ!』
「仕方ないな、じゃあ部隊の一部を切り崩すだけはやろう」
「わ、わかりますたっ!」
「噛んでる噛んでるアイリさん」
「お前は戦えないんだから下がってろよ」
「は、はいぃ~……」
ということで、五人の案は部隊の一部を切り崩してから草原に逃げるという手段に落ちついた。
原始的でしかも短絡的ではあるが、もしも自分たちが先陣を切れば少数ながらもいるライバルたちがそれに続くだろう。たとえ数千といえど、腕に自信のある冒険家が集うこの『世界』で即席連合軍が結成されればひとたまりもないはずだ。アルスは先ほどの戦いでそれを学んでいる。
しかも、隣を必死に走るアイリは人と人を結ぶ、というか即席で手を結ばせる点においてはいくらかの才能がある。場の空気を和らげられるというのは、貴重な力だ。少しばかりでも警戒心を散らすことができる。
それから自分のすぐ後ろ。おかしな格好の奇術師の実力は侮りがたいものがある。敵であれば気を引き締めるところではあるが、味方であれば心強いことこの上ない。赤い薔薇の不可思議な力は、人に恐怖を抱かせ、使い方によっては退却させることも不可能ではないだろう。
ターニャの剣技も並の兵士如きでは話にならない、リフの銃は遠距離攻撃用に使えるし、いざというときは近接戦闘だってできる。アイリの防護を任せられるということだ。
アルスは全員の状態と、先ほどの戦闘のデータを考慮しながら街の入り口へ向かう。
加え、自分たちが先陣を切ればあのフランケンシュタインたちはともかくとして、カップルは確実に登場する。もしかするとすでにもう戦いを開始しているかもしれない。
先ほどのメンバーが半分以上集結すれば、切り崩すくらいのことは余裕だろう。
アルスの顔には笑顔が滲んでいた。
激戦地区に足を踏み入れることに些かの躊躇もなく、傍らに余裕さえ控えさせて。
アルスの手は、背の黒剣にかけられた。
† † † † † †
なんだあいつらはっ―――!
ウィレムの額には、嫌にじっとりとした粘着質な汗が浮かんでいた。
今、目で見ている光景が信じられないのだ。
「カイン、どうですか?」
「あぁ、どんどん道が開いていくよミル」
車椅子に座って、麦わら帽子を被った少女と、執事の様な佇まいだが厳つい体つきのサングラスをした男。その二人が、三千という大勢を相手に平然と歩いている。不用意に近付いた兵士は風の刃にでも切り裂かれたように、鮮血を噴きながらどたどたと倒れていった。草原の草が血を吸い上げる。
―――魔法? 魔法なのかっ!?
ウィレムは生まれて初めて見る、タネも仕掛けもない術に見入りながら、同時に恐怖すら感じていた。当然、自分が一介の兵士と同じように殺される様を想像したのだ。
あの見えない刃で。
「ふ、不用意に近付くなっ! 弓兵隊っ! 撃てぇぇ!」
焦ったウィレムは叫ぶように命令を下した。端正な顔立ちが、今は恐怖一色に塗りたくられている。
弓兵は言われるがままに弓を構え、矢を放った。
弓兵は三千のうち、五百程度の数であったが、降ってくる矢は雨とも形容できるほど多く、普通なら受けきれない量である。
草原を歩いているだけなら仲のいい兄妹かカップルに見える二人だが、残念ながら彼等は『普通』とはかけ離れている。カインのサングラスの奥に潜む双眸が細められ、ミルの微笑が濃く刻まれた。
途端。
屋上でも使用された、かの光の剣が無数に現れた。
「な、なんだ―――っ!?」
ウィレムがかすれた声で言ったのも一瞬。光の剣が矢に向かって、正確に突進していった。
バババババババッ!!
矢の雨一つ一つが光の剣に破砕され、形を失っていく。光の剣は矢を破壊してなお、宙に浮いていた。
やがて、放たれた矢全てが処理されたのか、音が止んで光の剣だけが舞台に残っていた。このとき、弓兵隊の幾人かはひたと嫌な予感を覚えたことだろう。
しかし、後悔先に立たず。今更矢を放ったことを悔やんだとしても、遅かった。
光の剣が無情にも、戦意を喪失した弓兵隊へ向かって飛んだのだ。
兵隊たちに為す術などあるはずもなく、光の剣に串刺しにされたり喉元を貫かれたりなどと、惨状が一瞬にして出来上がってしまった。
しかしカップル二人の表情に変化は見受けられない。少女は目を瞑っているからか、男は少女しか見えていないからか。とにかく、双方とも盲目なのに間違いない。
光の剣が全て兵に突き刺さり終え、しばらく唖然としていたウィレムだが、ここにきてようやく敗北を悟ったらしい。
「うわああああああああっ! ゆ、許してくれぇっ! い、いぃぃいの、命だけはぁ!」
情けない声を必死にあげながら、馬から降り、跪いて両手を地につけた。
部隊長の中でも腕が立つと有名だったウィレムだが、こんな魔法をバンバン使用する人間相手に勝てると思うほど愚ではない。
愚では、なかったのだが。
ザクッ という、生々しい音がした。
そしてすぐに、草原に一つの首が落ちた。
情けない顔をしたまま息絶えた男の顔がそこにはあり、それを見た部隊の残兵は取り乱す。
統率を失った軍隊ほど脆いものはない。頭がなければ、目も見えないし何も聞こえない、匂いすら感じない。それと同じだ。今はただただ、なだれ込んできた争奪戦参加者の手によって嬲り殺されている。烏合の衆も同然の扱いだった。
† † † † † †
アルス、ロマヌエット、アイリ、ターニャ、リフの五人が到着したとき、戦場には兵だけでなく、『鍵』を狙う似たり寄ったりの連中の間でも殺し合いが始まっていた。
中には息絶えて地面に転がり、その動かぬ顔面を誰とも知れぬ奴らに踏み台にされるような輩もおり、まさに戦争の生々しさを一部分だけ切り取ったかのようだ。
ここにいれば危ない。早々に去ろう。
アルスはこんな状況でも冷静にそう判断し、視線でロマヌエットと確認をとる。
奇術師もそれに賛同したらしく、小さく顎を引いた。笑みは崩れていない。
アイリの方は目の前に広がる惨状を見ようともせず、両手で顔を覆って泣いていた。心やさしい少女にこの光景は、つらすぎたのだろうか。
ターニャも目には絶望を色濃く湛え、今にも崩れてしまいそうだ。
女性陣の中で唯一、不快そうな顔をしつつも平静なリフが横の二人をつついて、正気を取り戻させる。とにかく、この場からはやく離れるのが大事だった。
―――この惨状、あのカップルがやったのか?
アルスの中で、それだけが疑問に残った。