合図
千という数は十一という数に対してはあまりに圧倒的なはずだった。しかし、この『始まりの街』に残っていた兵士たちはライデンワーツの兵隊の中でも底辺であるため、また、十一人があまりに強力でしかも戦場が屋上という数を活かせない不利な状況にあるためか、勝利の天秤は十一人の側に傾いた。
上空から見下ろしても点々と赤が見えそうな程に血はそこらじゅうに飛散し、死体など言うまでもなく山積みだった。死屍累々という表現がこれほど似合う風景もそうそうないだろう。
「いやぁみなさんお強いんですねぇ」
凄惨な屋上を背景に、奇術師が何事もなかったかのように言う。ターニャはその淡白さというか、無関心さに少なからず恐怖を覚えた。普通であるならば、死体に対して嫌悪感を覚えたり、追悼を捧げてもいいものであろうが、ロマヌエットはそうじゃない。
「アイリとかは戦ってないけどな」
「だ、だって、私っ!」
「あーあー、悪いわけじゃないから」
アルスは血が渇いた色なのか剣本来の色なのか見分けがつかないほど黒く染まった剣を背中の鞘に収めながら、戦闘に参加しなかったことに後ろめたさを感じているアイリを不器用に慰める。
アイリの方は俯いて、悲しそうな表情になってしまった。
「アルスさんの言うとおりだって。アタイだってロクに戦ってないんだから」
アイリの守護にあたり、光の剣をすり抜けてくる兵士たちを蹴りあげたり銃殺していたリフが言うが、全く説得力に欠ける内容だった。ますますアイリの肩が重くなる。
「大体、戦っていないのであればそこのお姫様もだしな」
とアルス。ギクリと会話を聞いていたその肩がはねる。
「ま、まあそうね」
「それは集中攻撃に遭うとまずいからじゃないんですか? きちんとした理由がありますし……」
「いいから気にすんなっ!」
「え、あ、はいっ!」
アルスが強引に締めたせいで、アイリは納得がいかないながらも同意してしまった。
端正な顔が上下にブンブンと振られる。
「楽しかったぁ!」「もっとやりたい!」「一万くらい!」
投げても装備者の元へ絶対返ってくる『必戻』の印が入った魔法のチャクラムを振り回しながら、三原色の姉妹が物騒なことを言う。どうやら勝利によって一層、気分が高揚しているようだ。
偶々隣にいたターニャは非常に迷惑そうにしているが、三姉妹がそんなことを気にするはずがない。
「今回の実験はなかなか有意義なものでしたっ!」
そのかしましい三人組に便乗でもするかのように、額だけフランケンシュタインらしく縫合したベルデロイが絶叫する。その顔は嬉々としており、余程いい成果が挙げられたのだと分かった。ただ、それには兵士の死が土台となっているのだから素直に喜べないところではある。不謹慎と言えば不謹慎な喜び方だ。
「怪我はないか、ミル」
「大丈夫ですよ、カインが守ってくれたから」
絶叫するベルデロイなどまるで眼中にないのは、光の剣を放って自らのテリトリーに何者も近付けなかった最強カップルだ。戦いのさなかでは「愛の力って素敵ね」「あぁ、無敵だからな」などと余裕の発言もしていた彼らは、今も今とていちゃいちゃしている。この二人はたとえ極圏だろうと愛の熱エネルギーでほっかほかなのだろうと予測された。
アルスは全員を見渡す。普通であれば、この屋上に転がっているはずなのは自分たち十一人なのだが、それがどうもおかしい。
十一人には怪我人さえ見受けられない。
勿論、それは敵の部隊が弱かったことと、数が揃わないうちに攻撃できたからこその功績なのだが、それでも彼らが常識外の実力者であるということは明らかだろう。アルスが味方意識を隅へ追いやって、再び警戒の色を眼に宿した。
そもそも、自分たちは巻き込まれただけであって、今回の戦闘には加わらなくてもよかったのだ。千人の兵士たちが一様にアルスたちをターニャの味方だと勘違いしたから、黒い牙を剝いたに過ぎない。
「アルスさん?」
アイリがアルスの顔を覗きこんだ。おそらく、アルスの急な表情の変化に戸惑ったのだろう。アイリの声には怯懦の色が滲んでいた。
その声に反応してか、ロマヌエットがアルスの視線を真っ向から受け止めた。
互いの間に火花でも散らすかのような、視線のぶつけ合いだ。
「このようなことで、仲間意識は芽生えませんかぁ?」
わざとらしいロマヌエットのセリフは、ここにいる全員に対して向けられたものだった。まるで、それが当然でしょう、と言っているかのように。
一旦弛緩した屋上の空気が、再び張りつめた。
ピアノ線をピンと張ったような空気のまま、カップルの片割れが口を開く。
「俺とミルは巻き込まれたに過ぎん。今回はお前たちの味方だと勘違いをされたから、仕方なく共闘してやったまでだ。味方意識など元よりない」
飾り気のないさっぱりした言葉。ターニャの顔が苦しそうに歪む。
「そういうことなので、私たちはこの場を早々に去りますわ。こんなところで油を売っている暇はありませんので」
ミルが口に手を当てて淑やかに笑うと、車椅子に力が籠った。カインの歩が進むと同時に、椅子の車輪が回って前進する。
「あ、あの待ってください!」
声を掛けたのはアイリだった。
物静かそうで、何をするにも自信がなさそうなアイリだが時々行動力がある。
「さっきの戦いで使っていたのって、あれは魔法ですよね。あのっ! 私見習い魔法師なんですっ! 私に魔法を教えてくださいませんか!」
持てる勇気をすべて振り絞って出した声だというのが、揺れる言葉の端々から伝わった。
カップルの動きが一時停止する。
無論、カインが止まれば必然的にミルの方も停止するのだが、この二人の場合は息をピタリと合わせて同時に止まっているかのように自然だ。もともと一つの生命体であったかのようにその意思は疎通されており、以心伝心を体現しているようでもある。
見えていないはずなのに、ミルの首がゆっくりとアイリの方を向いた。
「先ほどのは確かに魔法です」
悪意を感じさせない微笑みで、唇がうごめく。
「しかし、あなたに教える気はありません。これは、私とカインの愛の力ですから」
さらりと言ってからミルが少し微笑む。アイリがまだ何かを言おうと口元をぴくぴくと動かせたが、言うことが思いつかなかったのか、無言となった。
「ただ、いいことだけ教えて差し上げましょう。何も教えてあげないのではかわいそうですし」
目は閉じたまま、しかし、あくまでも穏やかに少女は語る。
「この『世界』はダンジョンです。塔や洞窟と同じように一階、二階と階層があるんですが、ここではその次の層へ行くために『鍵』というものが必要になってくるんです。この屋上から見える、あの大きな扉はそれで開くんですよ」
ミルが言い終わってから、アイリは暫し呆然とした。
勿論、それを知らなかったリフやターニャなどもびっくりしていたが、既知だったアルスとロマヌエットは別の理由で驚いていた。というよりも、首をかしげていた。
なぜわざわざそれを教える必要があるんだ? という疑問だ。放っておけば、ここにいる何人かはこの街で脱落させられるかもしれないのに。それなのに、このミルという少女は敢えて情報を嘘に包まずに吐きだした。それが、非常に怪しい。
「私がこの情報を提供したのは、こんなところで終わっていく未来の魔法師の姿に深い悲しみを覚えたからですよ」
二人の疑問を見透かしたように、少女はやんわり言った。
本当のところがどうなのかわからなかったが、あながち嘘というわけでもなさそうだ。
アルスはそう判断し、疑問を払拭する。
「それでは、ごきげんよう」
「二度と会わないことを祈っておけ」
そして、カップルは今度こそ屋上を去って行った。
かしましい三人組でさえ大人しくするような空気が少しばかり和らいだ。
続いて出て行ったのは、興奮気味に鼻息を荒くするベルデロイだ。彼はどうもこの『世界』のお宝には興味などないようで、先ほどの『鍵』の話にも眼の色ひとつ変えなかった。ベルデロイにとってダンジョン攻略など関係がないことであり、研究こそがすべてらしい。
白衣の姿が一つ、消えた。
取り残されたのは黒い剣士、見習い魔法師、女海賊、奇術師、姫君、うるさい三人組だけとなった。
「私たちっ!」「あの人にっ!」「興味あるかもぉ!」
どこに魅力を感じたのかは永遠の謎だろうが、とにかく三人組が一気に騒がしくなって、今しがた去って行った白衣の姿を追いかけた。戦闘にてベルデロイが注射器を振り回していた時、三人組の目が煌々と輝いていたからそういう分野に興味があるのかもしれない。
十一人が一気に減少し、残る人数が五人。
何も話題がないためか、屋上には沈黙が落ちた。
ミルが言った通り、この屋上からは巨大な門が見える。錆びた青色をした扉には、金色のぐにゃぐにゃしたよくわからない装飾が施してあり、年季が入っているようにも見えるが、豪奢な作りであることに相違なかった。
高いだけが取り柄ですと言わんばかりの壁に埋め込まれるようにして取り付けられており、破壊することなど叶いそうもないような扉だ。正直に『鍵』を使った方がまだ早いと思わせるだけの威厳に満ち溢れている。
「なあアルスさん」
アルスが扉の方に意識を飛ばしていると、隣の方から声がかかった。リフだ。
「うん?」
「アタイさ、考えたんだけど、この二人と一緒になって『鍵』とやらを手に入れるってのはどう?」
「おぉ、それはいい案ですねぇ!」
リフの提案に、ロマヌエットが白々しく賛同してきた。こいつ、初めからこれを狙ってたなとアルスは心の中で舌打ちしたが、先の戦闘で見る限り、無下に否定できない意見でもある。
「わ、わたしも賛成です。数は多い方が有利でしょうし……」
例のカップルに魔法訓練の拒否をされてから落ち込み気味だったアイリは、今も少ししぼんでいる。語尾がよわよわしい調子になっていた。
「姫様は?」
アルスが問う。ターニャは少し不本意そうな顔になったが、今まで一度も開かなかった口を開いた。
「できれば同行、したいですね」
控えめにターニャが言った。申し訳なさそうな顔で言うので、何か悪いことでもしたのかと勘ぐってしまう。
「ふむ」
アルスは頷いて、思考にふけった。
今ロマヌエットとターニャを迎え入れるということは、確かに心強くもある。しかし同時にライデンワーツから狙われる可能性が飛躍的に高まるのも事実だ。勿論手を出した以上は自分たちもただでは済まないが。
しかし、五人パーティになったとして問題となってくるのは食事だ。
見たところ、十分な食料を持っているのはアルスとロマヌエットの二名くらい。女性三人はパン一切れですら所持していなさそうだった。これでは食料の尽きが目に見えて早くなる。
戦闘での安全性に票を入れるか、食糧などといった生活面の保険をとるかで天秤は傾くわけであるが、今のところ五人中四人が賛成してしまっている。
多数決ならば、アルスに決定権はない。
「わかったよ、じゃあせめてこの『始まりの街』の中じゃ仲良くやろう」
アルスが言ったのと同時だった。
それが鳴り響いたのは。
ドドォッ!
すさまじい雷鳴。大地を砕くような轟音が響いて、心臓を強く打つ。
戦争の合図。
争奪戦の、始まりだ。