本戦前の出来ごと
なんでこういうことになるのよっ!
ターニャは走りながら、この理不尽な状況に憤っていた。
「キャハハ鬼ごっこみたーい!」
「捕まったら殺されるけどねー!」
「キャーキャーっ!」
「わー、楽しいー、ところでどうして私までが巻き込まれているんでしょうか?」
「知らないわよっ!」
すぐ隣を走るロマヌエットはあくまでも余裕の表情だったが、ターニャは事情が事情なのでそんな隙もなかった。ターニャの本名にはライデンワーツという、国名が刻まれている。今自分を追いかけまわしている兵どもは元、ターニャの父親の旗下にあったのだが、この『世界』に進入してから謀反を敢行したのだ。ターニャにとっては敵でしかない。
その証明とでも言うように、ターニャの左脇を走る口やかましい三姉妹を追いかけて来た時、自分と目があった瞬間に眼の色が変わった。冗談じみた空気が一変、張りつめて殺気が膨張したのだ。
ところでこの三姉妹はどうして追いかけられていたんだろう?
ターニャはそれが少し気にかかって左を覗いてみる。青髪の女の子が手に持つチャクラムにべっとりと血が付着しているので、それが原因なのだろうか。あるいは、私と同じようにライデンワーツの軍隊と因縁があるとか……。
些か深読みをしながら、後方から轟く咆哮の様な声にターニャが体を震わせる。
「姫様人気ですねぇ」『ヒメっ! ヒメっ!』
「その呼び方しないでってば!」
「えっ、あなた姫様なのぉっ!?」
「綺麗な服頂戴っ!」
「金頂戴っ!」
「私は今無一文なのっ!」
なんて緊張感のない会話だろう、と自分の暢気さに呆れながらさり気なく三姉妹とも打ち解けていることに気がついた。ロマヌエットのおかげだろうか。
そのロマヌエットを見てみると、前方に何かあるのか顔はいつものままに眼が細められていた。
ターニャも前方を見ると、そこには見覚えのある、というか先ほど見たばかりのものがあった。
スイエルとかいう、奇人の発明品……の残骸だ。
鉄板が山積みとなっており、街路を完全に遮断してしまっている。なんて傍迷惑なっ! と怒りを覚えたのも一瞬、途端にどうやって逃げようという不安に変質していった。
「邪魔ですねぇ、あちらの建物に逃げ込むというのはどうです?」
「そんなところに逃げ込んだらそれこそ逃げ道がなくなるじゃない!」
「八方塞がりってやつ!?」
「逃げ道なーいっ!」
「殺されるーっ!」
「だからといって、軍隊全部は入ってこれませんし、それならなんとか相手できるんじゃないですかね?」
「あ、それいいかもーっ!」
「アンタ天才っ!」
「考えることが一々画期的に爆発的ぃ!」
三姉妹がかしましく意味不明なことを叫ぶ中、ターニャは考える。
ロマヌエットと三姉妹は実に簡単に言ったが、現実的に考えて二万ちょっとの軍隊を少しずつでも相手するのは骨が折れるどころか、命の一つや二つは持って行かれそうなものである。兵たちだって、街に取り残された弱小軍隊であれ、鍛え上げられているのだ。
五対二万と少し。
明らかに、自分たちに敗北の色がこびり付いているのが見て取れた。
これでは勝利の女神も苦笑しか浮かべられないだろう。
「じゃあ突入っ!」
当然のことではあるが、ターニャが一人悶々としている間にも時間は進む。
ロマヌエットが最初に、建物へと駆けて行った。
「キャーっ!」
「閉鎖空間での戦闘っ!」
「ウキウキしちゃうっ!」
続くは、何が嬉しいのかむやみに笑い続ける三姉妹。
ターニャは決断を迫られる。
え、でも、だって、そっちは、逃げる場所が……。
普段は気丈なお姫様だが、この時ばかりはうろたえざるを得なかった。何せ、眼前には死の恐怖がちらついているのだ。復讐を果たすと誓った者にとって、それほど恐ろしいものはない。
「ターニャさん、早くしないと殺されますよぉ」
ロマヌエットは笑顔で手招きする。それはまるで、死神が手招きしているようでもある。そう、見えてしまうのだ。
しかしこんなところで止まっていては、それこそ死に急ぐこととなってしまう。
前方の鉄の山は越えられない。ここで早くに終わるくらいなら、ほんの少しの可能性にでも賭けてみた方が利口だろう。
ターニャの中で踏ん切りがついた。
「どうなっても知らないからっ!」
ターニャの駆け足は、その建物へ向かう。
その手に宝刀を構えながら、戦闘に備えて。
† † † † † †
なんでこうなるかなぁ。
建物に逃げ込んできた五人を眼で追いながら、アルスが溜息をついた。その後ろから迫るオマケとの戦闘は免れないようだ。アルスは背中から黒き剣を抜く。
それは建物の屋上にいた、とあるカップルも察しているようで、厳つい顔厳つい体のカインとか呼ばれていた男は自然体ながらも、構えをとっているようだった。一方、盲目の麦わら帽を被った少女は、背中まで流れる金髪から光の粒子を放っている。
この二人は強敵だな、と素直にアルスは思った。
この『世界』において、本来味方とは進入した際に一緒だった者だけだ。たとえ一時はパーティを組んだとしても、次に出会うときまで仲良し小好しできるわけではない。
それを理解しているアルスだからこそ、今回巻き込まれるであろう戦闘ではこの二人を特に注視することに決める。今後また遭遇した時に対処ができるようにするための処置だ。なぜかついてきた変な男はこの際、無視することにした。
「アルスさん、さっきの軍隊に追いかけられていた人たちは大丈夫でしょうか」
アイリは心配そうな声をあげてアルスを見上げた。リフの方も、助けに行こうかどうか迷っているような視線だ。なぜ俺に聞く、と突っぱねたかったが、そうもいかない。
「大丈夫だ。何か策があって逃げ込んできたんだろう。それに出来るだけ巻き込まれる戦闘の回数は少ない方がいいからな」
できるだけ安心させる口調を意識しながら、アイリとリフの両方に話しかける。
それを聞いた二人は、まだ心配そうに眉根を寄せていたが、それでも戦場に突っ込んでいこうという意思は削がれたようだった。特にリフの方はまだ全快ではないので、出て行っただけ足手まといになるだけだというのを自覚しているのだ。勿論、見習い魔法師であるアイリも同じだったが、彼女の場合は戦闘というものをあまり経験したことがないため、どういうものかを知らない。よって、自分がどれだけ非力かを悟っていないのだった。あるいは、草原にて、シャギーテイルをどうにか回避できたという自信がそうさせているのかもしれない。
アルスは落ち込んだように俯くアイリとリフを見ないようにして、再びスーツ姿のごつい男と陽光のような柔らかい粒子を零す少女の方を見やる。
少女の口が開いた。
「アルス? アルスと言えば、レイグラント帝国で有名な?」
「そのようだな。噂通り、黒い剣を構えている」
ミルという少女は眼を開けていないのにもかかわらず、しっかりとアルスの姿を捉えていた。盲目であるのだから、嗅覚、聴覚を駆使したり気配だけで悟ったりしているのだろう。大したものである。
カインの方は言うまでもなくアルスを見据えていた。サングラスの奥に潜む鋭い眼光に力が籠り、こちらと同様に警戒を露わにしているのが見て取れる。
さらに、今の今まで隅で屋上に生えた草に一人ぶつぶつと何やら呟いていた危ない人がこちらを振り向いた。興味津津といった風である。
どうやらこの三人は俺のことを知っているらしいな。
自分のいた帝国のことを思い出しながら、アルスの眼に鋭さが増した。
「『戦争の帝国』と忌み嫌われるレイグラントの有名人と、こんなところで会えるとはな」
「わぉ、これはミラクルっ! 吾輩は材料に恵まれた科学者ですねっ!」
「誰の話か知らんな。俺と同姓同名の有名人がいるのか? 迷惑なこった」
「カイン勝てますか?」
「どうだか」
ミルはアルスのことなどどうでもいいといったように、カインへ関心を向ける。ミルはカイン一筋、一途にカインのことしか思っていないのだ。他の男のことなど、挟まる余地もない。盲目気味なのは眼だけでなく、心の方もらしい。それでも良いのだが。
「私はカインが傷つくのは嫌なので、戦いは控えてくださいね」
「あぁ、お前から離れたりなどしない」
「えぇ、私とカインの領域に足を踏み入れる不運な輩は、私の力を以て葬りますわ」
さらりと恐ろしいことを口走りながら、ミルの顔はあくまでも穏やかだった。こういう会話があちらさんでは日常的らしい。
「へぇ、アルスさん有名人だったんだ?」
とリフ。もともと好奇心が旺盛なクチらしく、今もアルスに対して深い関心を抱いているようだ。アルスが微妙に表情に歪みを生じながら、苦笑だけ返す。
時に、アイリの方は今もイチャイチャと独特の会話を楽しんでいるカップル二人を眺めながら、うっとりとしたような視線だった。アイリの年齢は十六歳だ。こういうことに興味があっても何ら不思議なことではない。
「いいなぁ……」
アイリが独り言のように漏らす。
「何がだアホみたいな顔して」
そこにアルスの声が届いた。
「わぁ! び、びっくりさせないで下さいよっ!」
「一人で勝手にびっくりしといてよく言うな」
アイリが驚きから仰け反ると、それを倒そうとしているかのようにアルスの拳が額を小突いた。
それはちっとも痛くなくて、優しさすら感じ取れる。
今のアイリが少しおかしいのかもしれないが、そう感じた。
その時だ。
屋上に駆けあがってくる無数の音が聞こえたのは。
† † † † † †
なんでこういうことになるんでしょう。
微笑を湛えたままの奇術師が屋上への扉を開けてみると、そこにはすでに先客が何名かいた。一人、二人……、五人。いや、なんか隅で変なことをしているおかしいのがいるから六人。
とにかく、自分たちを露骨に警戒している六人がいた。
「おやぁ! 先ほど吾輩に話しかけられたあまり、羞恥と緊張で逃げ出してしまったファン一号とその付き物じゃないですかぁ!」
「誰が付き物よっ!」
「では二号ですか?」
「どっちも違うってば!」
さっきからツッコミしかしていないような気がするお姫様と、ベルデロイとかいうフランケンシュタインの中でも特別奇怪な奴がショートコントを始めた所為で少し場の空気が和らいだ。とはいっても、ターニャの隣にいる三人組がケラケラ笑ったり、向こう側にいる水色の美少女と赤色の美女の顔が安心で綻んだくらいだ。残念ながら、黒い影の様な青年とその向こうにいるスーツ姿のごつい男と車椅子に座る麦わら帽の少女、それからロマヌエットに表情の変化はない。
はて? あの青年、どこかで見た気が……。
ロマヌエットは多少引っかかるものがあったが、今はそれどころではない。後ろから軍隊がやってきているのだ。
「私ロマヌエットというものですが、今ちょこっと事情があって追われておりまして、助けてくださいませんかぁ?」
「軍隊を相手にか? 御免蒙る、と言いたいが、ここは退路もない。一時お互いに手を結ぼうじゃないか。そこのバカップルもだ」
「バカップルではない。愛という絆で結ばれた永遠の二人だ」
「長いしくどい!」
言っている間に、ロマヌエットが扉から遠ざかる。三姉妹とターニャもそれに続いた。
そして、今しがた閉じたばかりの扉は開かれる。
戦闘の合図だった。
† † † † † †
なんでこうなるんですかぁ……。
争いを嫌うアイリは落ち込み気味にそう思った。
最前衛にはロマヌエットと名乗った変な格好の奇術師然とした男とアルスが立ち、その後ろには綺麗な金髪をセミロングに纏めた美少女、さっきから何やら騒いでいる三姉妹、対照的にずっと落ちついているカップル。さらにその後ろにはアイリと、それを守るようにリフ、それから頭をブンブンと振り回しだした変な人がいた。
見てみると十一人という数は案外多いもので、間隔を空けているとはいえ屋上の三分の一は占拠していた。
「お前、ライデンワーツの姫様じゃねぇのか? その金髪と碧の瞳は」
アルスが気づいたように金髪の女性を見た。
その女性が少し、俯く。
「ええ、私はターニャ・チャルネ・ライデンワーツ。あちらの姫です。が、このダンジョンに進入してから反旗を翻されたせいで、私は……」
「ほぉ! ファン二号は姫だったのか! ではこのベルデロイ本人が解体して王族の遺伝子を調べ上げてやろ―――」
「黙れ奇人。俺はアルスだ」
「よろしくお願いします」
ターニャが安心したように笑んだ。
その時、アイリがどう思ったか自己紹介を始める。
「私はアイリです!」「なんで俺に言う、知ってるから」
「好かれてますねぇアルス君。私はロマヌエットと言うんですよぉ、ちなみにこの子は」『パロっ! パロっ!』「っていうんですよぉ」
「お前の名前はさっき聞いたっつの、鸚鵡は主人同様黙れ」
「私たちはねっ!」「三姉妹でっ!」「右から順にっ!」「アカニャ!」「アオノ!」「ミドリナ!」
「お前らはうるさい!」
「自己紹介した方がいいんでしょうか、カイン」「俺が紹介しておくよ、ミル」
「もうその時点で紹介済んでるじゃねぇか」
「アルスさんっ! アタイはリフと―――」
「アイリと同じことすんなっ!」
なんとアイリの自己紹介を機に、全員の名前が明らかになった。どうやらアイリには場を和ませる力でもあるようだ。アルスが密かに評価する。
敵として現れた、大量の兵士たちを前に。
「大体何人くらいだ?」
アルスが隣の奇術師に問いかける。
「分隊として残っていたのは二万ちょいでしたが、おそらくその全部ではないでしょう。もう殆ど用なしとなった姫様を全体で追いかけるのは愚の骨頂ですから」
ロマヌエットは容赦のない言葉だったが、事実その通りだった。
建物に入ってきた兵士の数は確かに多いが、千人いるかどうかくらいのものである。
おそらく、姫一人を殺すのに万もいらないという考えであろう。
直に、それが甚だしい勘違いだということを思い知ることになるが。
ぞろぞろと扉が兵士を吐きだす。向こうはどうやら、数がそろって態勢を整えるのを待っているようだ。部隊長と思しき者が先頭に立っている。
先手を打ったのは十一人の即席連合軍(軍と言うのも拙いが)だった。
赤い髪をツインテールに纏めたアカニャが、赤色に淡く発光するチャクラムを投げつけたのだ。それに追従するようにして、アオノとミドリナのチャクラムも飛んで行った。
密集していたせいでうまく逃げ場の作れない兵士たちが、斬り落とすなどの行動に移れるはずもなく、次々に斬られて血を噴いていた。散々斬りつけてきたチャクラムが、今度は意思でも持っているかのように戻ってくる。
どうやら魔法をそのまま埋め込まれたアイテム、即ち魔法具らしい。三人の武器が淡く発光しているのが、その証明となっていた。
向こうは数名が斬られたことで、騒然となっている。
そもそも、魔法が珍しい世界で育ったのだから、魔法具に出会うことすら稀だったのだ。
ちなみに、アイリのように魔法を習う者など絶滅危惧種扱いで、向こうの世界にはそういう魔道書などといったものがないため見習いはひどく苦労することになる。
「キャハハハハっ!」「よわっちぃー!」「ザッコザッコーっ!」『ザコっ! ザコっ!』
聴覚に働きかける毒を吐きながら、三人姉妹に混ざってパロまでが騒ぎ出した。もちろん周りにいた他の八人(ロマヌエット含む)にとっては迷惑なことこの上ない。
その毒霧を切り裂くようにして、今度はすさまじい音が鳴り響いた。
何事かとアルスが振り返ると、そこには装飾の施された銃を構えたリフがいた。銃口からは煙が立ち、あちらの兵士の一人が地に伏したことから発砲したのだと理解する。
それを機に、部隊長の指示で兵士がこちらになだれ込んできた。どうやら距離をとっていると不利になると悟ったらしい。あちらには弓兵がいないのだ。
それを好機と不運な兵士に一瞬で間合いを詰めたのはロマヌエットである。まるで『最初からそこにいたのに誰も気づかないんですからぁ』とでも言うように、その姿は一瞬でその場に登場した。
黒いステッキを振り回して、兵士の頭をコツコツと叩いていく。すると叩かれた兵士の頭部から赤い花が咲き誇った。何も比喩表現ではなく、本当に赤い薔薇が咲いたのだ。やがてその花弁が散り、地面に落ちると同時に液状化する。それが血だと気づくのに、兵士たちは近付くまでわからなかった。兜の隙間を縫って咲き誇る邪悪な赤は、見るものに恐怖ばかりを与えた。
その奇怪な奇術に眉をひそめながら、アルスの黒剣が兵士の胴を薙ぐ。紙切れでも裂くようにいとも簡単に分裂し、兵士たちは一瞬で絶命していった。しかもアルスの移動するスピードが速すぎて、誰もその剣を認知できないのだ。
その剣先の行方を眼で追おうとてんやわんやしている内に、一人の兵士がアイリへと近付いていた。
しかし、その兵士も間抜けだった。
アイリの横にはリフが構えているのだが、それ以前に例のカップルがいたのだ。
兵士の足がまた一歩近付いた時、兵士の頭上から剣の雨が降り注いだ。
光の剣とも形容できるそれは、幻想的。魔法そのものだった。
悲鳴や怒号が様々に飛び交っていたが、その中に十一人の声はない。
また、別の方で悲鳴が上がった。
そこでは、なにやらしきりに頭を抱えてうずくまる兵士が何人かいた。
「どうですかぁ! 吾輩の開発した薬はぁ!」
かわいそうなことに、彼らはどうやら実験体にされたらしい。次々と特大級の注射を振り回すフランケンシュタイン、ベルデロイの狂気の餌食になっている。顔が醜く変形したり、中には眼球の隙間から体液をドロドロ流し続けて悶える者もいた。
アイリとリフ、それからターニャは後方にいた。
アイリは戦えないため、リフはその防御、ターニャは狙われていて、戦場に出れば真っ先に集中攻撃される的になるからという配慮だ。
一時戦場と化した屋上では、三原色におぼろげな光を放つチャクラムが飛び交い、赤い薔薇が咲き誇り、黒い剣が薙がれ、光の剣が突き刺さり、おかしな薬でやられた人間の体液やら肉片やらが飛び散り、時々宝刀が振られる音や銃撃が響いていた。
千人程いたであろう兵士たちは、その十一人の圧倒的な力を前になす術もなく死んでいく。
千という数は、あっという間に消化された。