点綴
壁に囲まれた『始まりの街』の外へ出ようとするには、『鍵』と呼ばれる特殊な道具が必要だった。鍵を持っていない者は必然、行く手を阻む巨大な門を通過することができない。
今もまた、『鍵』のことを知らない三人組が門の下に集まって騒いでいた。
「だぁかぁらぁ! 扉を破壊するのが一番効率いいんだってっ!」
と、三人組の中で赤い髪をした女の子が叫ぶように言う。
「さっきから言ってるけどどうやって壊すのよっ。それよりも地下深くまで穴を掘って抜けた方が断然いいじゃない!」
反論したのは青い髪の女の子だった。同様に、金切り声のように喧しい。
「そんな時間のかかることしてたら『宝具』とられるじゃないの! それより壁を越えた方が早いんだってばっ!」
さらに意見を述べたのは緑色の髪をした女の子。そろそろ傍迷惑な声の大きさだ。
三人は三つ子の姉妹で、他の人たちと同様に『世界』に『宝具』を求めてやってきたのである。三人の相違点と言えば数えるほどしかなく、赤い髪のアカニャはツインテール、青い髪のアオノは左サイドポニー、緑の髪のミドリナは右サイドポニーと、若干の髪型の違いか色の違いしかなかった。着ている服もただ色違いなだけで、色さえなければ全員同じように見えるほどだった。
三人の身長は低く、見た目だけで判断するのなら十代前半に見える。実はこう見えて実年齢は十八なのだから驚いてしまう。
「壁なんて越えられないでしょ! ジャンプでもするってのっ!?」
「破壊的な方法よりは現実的でしょうが!」
「やっぱりここは地面堀り掘り計画でしょう!」
「時間かかるって言ってるじゃない!」
「破壊的な方法よりは現実的でしょうが!」
「また言われたっ!」
「それだけ無茶なのよ地面掘るのと同じくらいにね!」
「壁を超えるだなんてのも非現実的だけどね!」
「それを言ったら全員の意見がそうなるじゃない!」
「じゃあ新しいの考えなさいよ!」
「そもそもこの扉ってどうやったら開くのよ!」
「あの鍵穴が見えないのっ!? まあアタシも今見つけたんだけどね!」
「鍵!? 鍵なのね!? じゃあここで所持者を襲えばいいんじゃない!」
「グッドなアイデアだけど時間かかるかもしれないでしょ!」
「じゃあ自分たちで探せってこと!?」
「そうなるわね!」
声だけを聞いていると、途中で誰が誰だがわけが分からなくなってしまう。全員一様に同じ声で叫ぶため、全く聞き分けられないのだ。
やたらと高音な金切り声は、扉の前に集まっていたどこかの国の軍隊然とした兵士たちの表情をどんどん曇らせていく。聴覚に働きかける毒のように甲高く、かつ耳障りな声の持ち主たちだった。耳を劈く彼女らの絶叫に似た会話は、兵士たちをどんどん疲弊させていく。
そんな兵士たちの様子を危惧してか、部隊の隊長がその三人に進み出た。
「おい、そこの三人組! うるさいぞ静かにしろっ!」
「鍵はどこにあるのよ!」
「そんなのも分からないの!? 道行く人を脅せばすぐ吐くでしょう!」
「キャハハじゃあ早く捕まえましょうよ!」
部隊長が怒鳴ってもその声はすぐに三人組のかしましい声に呑まれてしまった。しかも会話の内容がひどく生々しい。部隊長が一歩、後ずさる。
言うまでもないことであろうが、扉の前に整列しているのはライデンワーツの分隊だ。本隊は早々に『鍵』を取得し、先へ進んでしまった。
扉を通過できるのは、一つの『鍵』で一つのパーティだけと決まっている。パーティは扉の前で結成できるのだが、結成のためには一人ずつ扉に認証してもらわなければならないので、手間取るという理由から全十万から成る裏切り者のみで編成された軍隊は五万の本隊と、二つに分割した五万の分隊とに分かれたのだ。
今、扉の向こうへ渡ったのは本隊ともう片方の分隊。残ったこの部隊だけが、いまだ街に取り残されているのだった。
「ねぇねぇおっさん! あの扉を開ける鍵の在り処教えてっ!」
「言わないと鼻の穴に爆竹詰め込むよっ!」
「言わないと髪の毛の代わりに画鋲を沢山埋め込むよっ!」
二万五千の分隊の端、千人単位で一個の部隊を編成しているのだが、そこの部隊長は三人組のあながち嘘とも思えない脅迫に恐怖を覚える。ただ、本人は髪の毛があまりない方なので画鋲の方は苦しみが少なくて助かると安堵していた。そういう問題ではない。
「ほら早くぅ!」
アカニャが部隊長の脛を蹴りだす。見かねた一人の兵士がそれを止めようと近付いた瞬間、青い閃光がその兵士の顔を横から二等分にした。顔の筋肉や脳が露わになり、口元がなおもぱくぱくと魚みたいに動いていたがやがてその場にどしゃっと倒れた。顔の上半分はワンテンポ遅れて地に落ち、脳の半分や薄茶色っぽいドロドロした液体をまき散らした。その断面はあまり見たいものではなかったが、見れば綺麗に切断されており、皮膚がささくれだったり頭蓋骨にヒビが入ったりということすらなかった。
部隊長を含め、兵士に戦慄が走る。
「早く言ってくれないと、みんなこうするよぉ!」
アオノの手に握られた刃となった鉄輪、チャクラムが青白く発光する。
† † † † † †
今まで車椅子を押していた手から力が抜かれ、だんだんと減速していく。盲目で眼をずっと閉じたままのミルは屋上に出て来て、その頬を風に撫ぜられていた。風は涼しく、気持ちがいい。それに加えて背後にカインが立ってくれているのだから、今のミルは充足感に包まれて幸せだった。
あぁ、愛の力は素晴らしいものですね……。
一人、恍惚に浸りながらふふふっと微笑む。それがカインに聞こえたのか、カインの声がした。
「どうかしたか?」
「いえ、今の私は幸せだなぁっと」
「そりゃそうだろう、俺が付いているんだから」
「その通りですね」
クスクスと笑みながら、実に幸せそうだ。
「そろそろ『鍵』の争奪戦が始まるころでしたよね? こんなところで幸せにしていてよいのでしょうか?」
「あぁ、もうすぐ戦闘になるから、今だけの平和を噛みしめているんだ」
セリフの割には、カインの表情には穏やかな笑みが浮かべられている。ミルの方も大して心配していないといった風であり、二人揃って和やかな雰囲気を作り出していた。
「今回、『鍵』はいくつくらいでしょう?」
「俺とミルが来たときに始まっていた争奪戦では、確か五つという情報だったな」
時折忘れてしまうことであるのだが、今人々がひしめいているこの空間はダンジョンである。いくらか特殊な点があるといっても、基本的にはほかのダンジョンと同じなのだ。故に、自然と人が攻略できるようになっている。
ある特定のエリアにおいて鍵がいくつか発生するのは、『世界』というダンジョンを攻略できるように仕組まれたことなのだ。
街やダンジョンが組み込まれたこの大迷宮は人工のものだろうと、多くの者が暗黙のうちに理解していることである。次へ進むために何かが仕組まれているとは、誰しもが分かっていることだった。
ミルとカインが初めてこの街に足を踏み入れた時、すでに争奪戦が始まっているという噂が広がっていた。それで二人は『鍵』についての事情を少しばかり掴んでいるのだ。前回は着いて間もなく、しかもすでに敗者が帰ってきていたころだったので奪う気力もなく、争奪戦に参加しなかったのだ。
だが、今回は違う。
「あぁ、ライデンワーツの最後の分隊も整列しているようですね。戦いが本格化しそうです」
「そうみたいだな。聞いた話によると、『鍵』を所持しているのは大型のモンスターとのことだ。ミル、気をつけるんだぞ」
「カインと一緒でないと私は死にませんよ」
「そうだったな、俺もだ」
カインの仏頂面はどこへ行ってしまったのか、今の彼の表情はサングラスをしていながらも穏やかなものだった。後ろへ流した黒い髪の毛が、風で更に追いやられる。
二人のカップルは屋上にて、その時を待つ。
† † † † † †
アイリはリフの手当てをした後、彼女の突然の行動に驚愕した。
両手を地に着けて、頭を深々と下げる。いわゆる土下座という行為だ。
「あ、頭をあげてくださいリフさん! 私はそんな恩を着せるとかの目的ではないのですから!」
「このご恩一生忘れませんっ! アタイはアイリさんに付いていくと決心いたしました! どうぞよろしくお願いしまっすっ!」
強引にもリフがそんなことを言う。本来プライドが高いはずの海賊がこんなことをするのは、アイリの優しさに本当に胸を打たれたからだ。リフは伊達や酔狂でこのようなことはしない。
リフの態度に、初めに反応したのはアルスだった。
「あのな、アイリを世話してるのは俺だ。それにまた金魚のフンみたいに付属物が付いてこられたら俺が困る」
「そんなこと言わないでそこをなんとかぁっ!」
「アルスさん……」
腕組をして部屋の壁に寄り掛かるアルスは、アイリの困惑した視線を見ないようにしながら考える。
まず、このダンジョンにおいてパーティを組むのは確かに利益にもなるが、ずっとの付き合いとなると話は別だ。進行を共にするということはお互いを信頼しなければならないし、食事などといった問題も浮上してくる。
パーティを組むのは、一時だけの方が利口と言えるわけである。
「アルスさんお願いですっ! この通りっ! 狩りでも荷物持ちでもなんでもするからっ!」
あれ、これと似たようなセリフを前にも利いたぞ。とデジャヴのような現象を味わいながら、アルスの唸る声が低くなる。
そして、思いついたようにハッと顔をあげた。
「そうだ、お前は狩りとか採集で食糧を調達する係にして、アイリはそれを調理する係にしよう。当然、俺はその護衛だ」
今のセリフからアルスの狙いが分かっただろうか。
つまり、アルスが言うところにはこういう意味がある。
俺の食料は放っておくといずれ尽きるから、今まだそれらがあるうちに役割を分担しておいた方が後が楽になる。幸い、二人は俺の養えるところにも限度があるとは疑っていないからこれを機にそれを利用してしまおう。今ここで係を割り当てておけば、食糧が尽きた時にもこのままでいれる可能性が高くなって食事には困らないだろうし、自分には都合がいい役目を与えておくことですごく楽になる。
という内容だ。
当然と言うべきか、アイリとリフはアルスの下心にも気付かずに大喜び。
その様子に少しだけ罪悪感を覚えるのであった。
その時、街の広場の方だろうか。
ガラガラと何かが崩れるようなうるさい音がこだました。
† † † † † †
走っているときには主に後ろに注意を払っていたせいでまるで気がつかなかった。
ターニャは見覚えのある鎧の軍団を前に、体を硬直させる。
黄金色を輝かせる豪奢な鎧を纏う軍団は、見間違えようもない、ライデンワーツの兵隊だった。今はやたら大きい青く錆びた扉の前で整列しており、幸いと言うべきか自分の方には気づいていないようだった。反射的に身を隠してしまう。
「あぁ、あなたは追われているんでしたねぇ」
まるで他人事のように鼻歌交じりにロマヌエットが言う。今のターニャには、ロマヌエットの様な余裕が腹立たしく感じられた。
ざっと見渡しても、何人整列しているのか数えることもできない。
「大体二万ちょっとくらいでしょうかねぇ、ターニャさん、最初のころはどれくらいの兵数だったのですか?」
驚いたことに、ロマヌエットが正確とまではいかなくとも、近い数字を当てた。
ターニャは底の知れない奇術師に不気味さを覚えながらも、ダンジョン進入前日あたりに聞かされていたその数字を思い出す。
「確か、ライデンワーツ国の防御にも人を当てていたから、全軍四十万のうちから三十万だけ連れて来たって聞いたけど」
「ほう、反逆者の数は大体半分くらいでしょうか?」
「ううん、大体三分の一くらいに見えた」
「ではおよそ十万の軍団から、本隊と分隊に分けたのですね」
ロマヌエットの冷静な分析。ターニャは自分の昂る感情を諭されているような心持ちになった。
「しかも、精鋭だけで組んだであろう本隊がいない上、他の分隊の姿も見られないということは兵力的に一番低レベルなんでしょう」
勝機を見出したとばかりに、ロマヌエットの微笑が深くなる。パロも今は大人しくしていたが、小声で『ザコっ、ザコっ』と繰り返していた。
ターニャは少しだけ怯えていた自分を励まされているような気分になって、ロマヌエットに対する見方が少しだけ変わる。この奇術師はこういうことになると、なんて頼もしいんだろう。ターニャの強張っていた表情に軟らかさが取り戻され、笑みさえ灯る。
その時、ターニャは隠れていたせいで気づかなかったのだが、ロマヌエットの眼にこちらへ走ってくる三人組の姿が捉えられた。
「あ、ちょうどいいやぁ! そこの人ぉ、たーすーけーてーっ!」
† † † † † †
スイエルの後片付けもしないまま、肩を揺らして笑う怪しい男、ベルデロイがぶつぶつと呪文のように何かを唱えている。
「うーむ、動力には吾輩の魔力と『金剛牛』の心臓を導入し、筋肉として極太ワイヤーを使用したり神経の代わりに導線を使ったりしたのに……、いや、もしかすると皮膚の部分が重たすぎたのですか? しかし初めのうちはきちんと機能していたし、それでも崩れたということは……、崩れた? つまりそれは体を支える軸に問題があったから? あぁ、つまりきちんとバランスが取れていなかったということですかね? 四本脚にすることでバランスをとりやすくしたつもりですが、吾輩の過信だったということですね。鉄鋼をやたらつけたせいで重量が許容範囲外にまで跳ね上がり、結果崩壊を招いた、といったとことでしょうか。では次からはやたら重くせず、かつ強靭にしなければいけないのですね。な・る・ほ・ど!」
何やら一人で納得したらしく、ベルデロイの怪しげな笑みは凄絶を極めていた。
吸血鬼、狼男と並んで、無尽蔵に近い生命力の高さを誇り、危険視されるマッドサイエンティスト。かつ人造人間のフランケンシュタインは、正確には『フランケンシュタインの怪物』と呼ばれる種族であるが、固有名詞を持たない怪物であるがゆえに、そう呼ばれることが少ない。代わりに定着してしまったのは、略称としての『フランケンシュタイン』だった。
そんなフランケンシュタインであるベルデロイはしかし、伝承どおりの醜さをもっているわけではなかった。それは、科学以外にも魔法という力が存在するこの世界においてのみあり得ることなのだろう。額に継接ぎがあるだけで、あとは怪物の姿をしておらず、人間そのものだった。
だからであろう、普通に話しかけられたのは。
「あの、ここで何かあったんですか?」
「馬鹿! 迂闊に人に近付いて行くなっ!」
ベルデロイが振りかえると、そこには解剖して遺伝子を研究したくなるほど愛らしく、小柄な少女が立っていた。水色の瞳がベルデロイを射抜く。
「あ、おいちょっと待てお前解体されたいのかっ!」
その少女は後ろの影のような男に首根っこを掴まれ、猫のように体を縮こまらせながら後退。どうやら少女を引き戻した青年は自分の正体に気づいたらしい。
その眼に警戒の色が宿る。
「お前フランケンシュタインだな。まあそんなのはどうだっていいが、こいつに手を出すと承知しないからな」
「安心したまえ。吾輩はそのあどけない童女を解剖することしか頭にない」
「それが駄目だっつってんだよ」
本人としては冗談のつもりで言ったのだが、どうやら青年を余計に警戒させることとなってしまったらしい。青年の言葉には力が籠っていた。青年の隣にいた赤色の髪の毛をポニーテイルに結った女性も警戒を露わにした眼をこちらに向けている。
「冗談ですよ、で、何ですか? 吾輩に何用?」
「ん? あぁ、さっきすごい音がしたから興味本位で見に来ただけだ」
「ほほぅ、つまり君たちはこのスイエルの死骸を持ち帰りたいというのだな! そういうことならば仕方がないですねっ、さあ、どうぞどうぞ!」
「スイエル? その後ろの鉄塊か? いるか、そんなガラクタ」
都合よくスイエルの死体を持ち帰ってほしかったのだが、なかなかどうして上手くいかないものだ。
ベルデロイが新たにスイエルお持ち帰り作戦を練っていると、やや近い距離から鬨の声が聞こえた。青年たちの方も気づいたのか、それに振り向く。赤い髪の女と水色の少女は興味本位で振り向いたようだったが、黒い青年はあからさまに表情が険しくなった。
ベルデロイには興味がなかったために特に動じることもなかったが、青年の事情は違うようだ。
「アイリっ! リフっ! ここから出来るだけ離れるぞっ!」
「え、どうしてですか?」「アタイこれでも一応怪我人なんですけど」
「なんだっていいから早くしろっ!」
両脇に控える二人に青年が怒鳴る。それで二人とも疑問を後回しにして、しゃんと背筋を張った。
「あの建物の屋上だ! 急げ!」
青年が一つの低層ビルを指差す。
なんとなく、ベルデロイもそれに付いていくことにした。
† † † † † †
草原では、二匹の魔物が誕生していた。
それぞれ体内には例の『鍵』を宿しており、扉を開けて次へ向かうための重要な役を担う。
街ではその始まりに気づかず、各々の事情に基づいて追いかけまわしたり、追いかけまわされたりしていた。
ただ青一色が支配していた草原の上空にはぞろぞろと厚い雲が集いだし、『合図』を放つための準備を開始する。ゲーム開始の予兆だ。
雲が集い、雷光が閃いた瞬間。
それは、『世界』で起こる『戦争』を意味する。