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世界紀行  作者: 蛍火
3/10

始まりの街にて


 朝が来る時には太陽が昇り、夜が訪れれば月が顔をさらす。

 天体という細かな点まで再現されたダンジョン、『世界』へ進入すると、まず初めには草原があって、それを抜けると次には街が現れる。

 その街は、途中の草原で力尽きたもの以外は確実に通り、かつ初めに訪れる街ゆえにこう呼ばれる。

『始まりの街』と。



 † † † † † †



 このダンジョンに入ってから二日目の朝を、アルスは固い木の板の上で迎えた。窓から差し込む陽光は、眠っている間ずっと閉ざしていた眼を容赦なく刺激し、しかめつらを強要する。アルスも眩い朝日には勝てないらしく、眼を細めて猫のように背を丸めていた。

 薄眼を開ければ、ベッドの方で寝ているのは水色の美少女。

 昨日、自分を尾行していて成り行きから共に旅することになった少女だ。名前はアイリというらしく、普段は青色のベレー帽を被り、純白のワンピースに身を包んでいる。

 寝顔を覗いてみると、これはまた無防備なものである。

 ふにふにと柔らかそうな頬、唇。そして呼吸に合わせて緩やかに上下する華奢な肩。あともう少しのラインでパンツ見えるんじゃないかと思うくらい、ワンピースの裾からはみだしたすらりと白い足。

 アルスにしてみれば、アイリのワンピースの裾は少し短すぎるんじゃないかと思うほどだった。無論、それでグッドだとかなんだとか言っているわけではあるが、それにしても短い。普段穿いているニーソックスは入浴の際に放って来たらしく、今は素足だ。だからなんだと言い聞かせるアルスであった。

 アホなこと考えてないで、顔でも洗ってくるか。

 ひとつ大きな欠伸をしてアルスは立ち上がり、勝手に寝泊まりしている宿の庭に備え付けられている井戸まで歩いて行った。そこまで行く途中、ふと視線に入ってきた鏡を見てみると寝癖が大変なことになっているのに気付く。

 そして、庭までやってきてもう一つ視線に入ってくるものがあった。

 人だ。しかも二人。

 片方は男、もう片方は女だった。

 男の方はやたらガタイのいい三十代くらいのおっさん。サングラスをしていて髭が濃く、彫が深い顔立ちだった。筋肉で盛り上がった肉体をスーツでパリッと収め、見方によっては本職の方々と間違えそうな姿をしている。

 対する女の方は、年はまだ十代半ばくらいに見える子供だった。麦わら帽子をかぶり、どこかの令嬢然とした雰囲気を漂わせているが、一際人目を引くのはその女の子が車椅子に座っているということと、その眼がずっと閉ざされたままであるということだった。クリーム色のワンピースがよく似合う綺麗で小柄な子であったが、とても十代とは思えないほど超然としており、アルスの眼にはただの子供という風に映らなかった。

 朝ということで、やや冷涼な風が吹くと少女の長い髪の毛がそれらに弄ばれる。麦わら帽子も飛びそうになっていたが、それは少女自身が押さえた。

「カイン、どなたですか?」

「知らない男だ、ミル」

 気配を消していたアルスの方に気づいたのは、カインと呼ばれた厳つい男の方ではなく、麦わら帽を被った眼を瞑る少女、ミルだった。眼でみたわけでもないのに感覚だけでアルスの存在を発見したのである。それだけで只者ではないということが証明された。

 アルスは警戒を露わにし、気配に殺気を紛れ込ませる。

「私はカイン以外の男性に興味はありません。行きましょう」

「俺もミル以外の女には興味がない。行こうか」

 しかし、車椅子に腰かける少女とそれを押す男の方はアルスのことなど気にもかけていないように平然と去っていった。

「私たちは愛の力で結ばれているのですね」

「あぁ、愛の力は無敵だ」

 最後の最後に世界の気温を三度くらい上昇させそうなことを言っていたが、アルスは無視した。

 というよりも、あの二人のことが気にかかったのだ。

 どう見ても、『普通』ではない。それは確かだった。

 特にあの盲目の少女の方。彼女は得体のしれない何かを隠し持っている。

 アルスはひそかに『世界』の住人に対して警戒心を抱きながら、井戸端まで寄る。

 水で顔を洗うと、今まで判然としなかった思考が冴えてきて、アルスの視界を明るくする。

 しばらく水に顔を浸したりなどしながら、アルスは洗顔を終えた。



「ど、どこ行ってたんですか!」

 アルスが自室(仮)に戻ると、眼に湿り気を帯びたアイリが駆け寄ってきた。シーツを抱えたまま走ってきたせいで、危うく転びそうになる。アイリはとにかく、見ているだけで危ういのだ。

「顔洗って来たんだよ」

 アルスが何気なく答えると、アイリの口からはあからさまなまでの安堵の息が漏れ出た。

「よかったです、私、見捨てられたのかと不安になっていました」

 照れくさそうに頬を染めながら言うのだから、さしものアルスと言えど気恥かしさを覚えずにはいられない。今こうしてもじもじしているのが豚の顔をペースト状にして、素人が人間の形を取ろうとした結果失敗したような稀代のアレならばこんなトキメキっみたいな瞬間はあり得なかっただろうが、相手は如何様な美女でも複雑な表情にさせるほど見眼麗しい美少女である。表情の変化一つ一つがそれぞれ宝石のようなのだ。

「見捨てるわけないだろう、昨日約束したんだから」

 アルスがそれとなく言うと、アイリの顔に光が灯ったように明るくなった。

「うれしいです!」

 う、うおぉ、そんな勢い込んで言われても……、とたじろいだアルスだったが、悪い気はしない。

 誰かに喜ばれて嬉しくない者は基本いないからだ。

 特に相手が美少女となると、喜ばれるだけでこちらが幸せになるような錯覚さえ味わう。

「とにかく、お前も顔を洗ってこい」

 部屋に備え付けられていた椅子に腰かけながらそう促す。

 しかし、数秒経っても返事が一向に返ってこなかった。さすがに怪しく思い、アイリの方を見やる。

 アイリの眼には、期待と懇願が入り混じっていた。

 察しのいいアルスは、ははぁん? と事情を推測する。

「もしかしてとは思うが、付いてきてほしいとか言うんじゃないだろうな」

「そのもしかしてです……」

 予想通りだった。



 † † † † † †



「アタイも鈍ったもんだねぇ……」

 そう言って、女は傷だらけの体を見下ろした。

 先ほど喧嘩をした名残はまだジクジクと全身に広がろうとしているかのように痛み、刃物で削がれた二の腕からはまだ生々しい血と、それからピンク色の肉が傷口から覗いていた。はっきり言って、かなり痛々しい姿である。

 女性にしてとある海賊団の船長を務めていたこの人物は、昔から好奇心が旺盛だった。『世界』という最高級の謎の話を聞いた時も熟考などせず、団員の連中とともに中へやってきたのだ。

 その結果が、この怪我に繋がった。

 船長、リフ。それがこの女性の名前である。ポニーテイルが特徴的な紅い髪の毛を持つ、健康そうに焼けた肌が小麦色に輝く自称『海の女』。タンクトップを巻き上げてヘソを出し、下はダメージジーンズで決めるというワイルドな格好だ。

 そんな彼女が今日、痛々しい傷を無数に負っているのは団員の連中が関連している。

 ダンジョンへ何の警戒もなく入ってきたリフ達海賊団は、その日のうちに数名の犠牲者を出した。あのシャギーテイルにやられたのだ。また、一日で街へたどり着ける者は極めて稀で、リフ達が街へ辿り着くのにはなんと一ヶ月も掛かったのである。

 そして、辿り着いたときにようやく団員の不満が爆発した。それがリフへの暴力、また追放へとつながったのだ。

 散々罵られ、攻撃されたリフは満身創痍で街へ吐き出されたというわけである。

「あぁ畜生、あいつら手加減ってのを知らないんだから」

 よろよろと左右の安定しない歩き方で、事情を知らない人間が見たら酔い潰れたねーちゃんがふらふら歩いているという認識だっただろう。それほどまでに、今のリフの足取りは危うかった。

 もう夜も明けて朝日が昇りだしているというのに、リフはまだ昨日の夜から始まった喧嘩の空気が冷めやらないように体中が熱を帯びていた。傷のせいもある。

 アタイって、船長の資格なかったのかねぇ。

 あまりに自分の姿が居た堪れないので、リフは自虐的に笑う。本人はきちんと船長としての責務を果たしてきたつもりなのだが、所詮『つもり』。もしかすると、団員にはその熱意が伝わっていなかったのかもしれない。人から完全に信頼されるというのは、非常に難しいことなのだ。

 これからどうするかも分からないまま、リフの足取りは重たい。

 ふと顔をあげると、そこには宿の様な建物があった。

 あぁ、ちょっとここで休憩していこう。

 リフはそう思って、俄然進む気力が湧いてくるのが感じられる。

 正面口から入って、建物の玄関へ進む。

 するとそこで、視線を感じた。

 今までの経験から、この視線が敵意をもったものだということを即座に悟る。

 腰に装着していた短剣を眼にもとまらぬ速さで取り出し、視線を投げかけてくる者の首元へ……。

 と、思ったのだが、現実と予想は全く異なるものだった。なにせリフは満身創痍のよれよれ。素早い行動など出来るはずがない。案の定、やっとこさできた行動といえば短剣を抜くくらいのものだった。しかも持つ手は痛みで痺れ、プルプルと小刻みに震えている。

「……なんだ、大したこともなさそうな奴だったな」

 精悍な顔つきの青年が動じる様子もなく、敵意をむき出しにしてしまった自分を見据える。隣には驚いた様子でやたら可愛らしい顔つきの少女がおり、どう見ても自分の置かれている状況は不利以外の何物でもなかった。

「おいその小物を仕舞え、したら命は助けてやる」

「アルスさん言い方に気をつけてくださいよ! あの、私たちに敵意はありませんから、どうかその短剣を収めてください。あなたの治療をします」

 あれ? 敵意ないの? と一瞬毒気を抜かれたリフであったが、そんなうまい話はないと思い返し、再び二人を睨む。

「しつこい、アイリが優しく言っている内に大人しくしないと俺が斬るぞ」

「アルスさんっ! 本当に、私たちに危害を加えるつもりなんてありませんから。怖いことを言うアルスさんだって本当は心やさしいお方なんです」

 必死に訴えかけてくる少女は、隣に控える男まで庇護している。

 あぁ、この子も一生懸命なんだな。

 リフは自分が学んだように、人に信頼されることは難しいということを今一度思い返した。

 もしも、もしももう一度だけチャンスがあるとしたら、今度は信頼してもらえるかな……。

 目の前がうるんで、二人の姿が極端に見えにくくなる。

 リフの手から、短剣が滑り落ちた。



 † † † † † †



「ところでどうして私についてくるんですか? ライデンワーツの姫君」

『ヒメギミーっ、ヒメギミーっ』

「その言い方しないで」

「どうしてです?」

「私の名前はターニャ。ライデンワーツは関係ない」

『ナイっ、ナイっ』

「姫君なのにですか」

「なんだっていいじゃないっ!」

 ロマヌエットとの埒が明かない会話をしながら街を彷徨うこと数時間。ターニャはそろそろ真剣にこの男の元から姿を消そうかと考え始めていた。パロとかいう鸚鵡の復唱もターニャの機嫌を大いに損ねる原因の一つとなっている。しかしそれでもロマヌエットの元を去らないのは、まだライデンワーツとの関係を詳しく聞いていないからだ。裏切り者への復讐を果たすためには、如何なる小さな情報でも仕入れておかなければならない。

 ターニャは口が軽そうで、しかしその実、どんな宝箱よりも堅固なロマヌエットの性格を早くに見抜いていた。しかしそれが却って、まだ先は長いと気持ちを落ち込ませる要因になっている。

 こんなことでへこたれてちゃいけないんだけど。

 自らを鼓舞しなければギブアップしてしまいそうだったが、元来ターニャは我慢強い性格だ。この程度のことでは負けない。

「ねぇお願いだからライデンワーツのこと教えてよ」

「アムルザルド大陸北方に位置する大きさとしては中くらいの国で気候は寒冷、また鉄鋼や銀といった鉱物がよく採れることで有名。さらに「誰が国の説明を頼んだのよ!」『ノヨっ、ノヨっ』

「えぇ? こういうことではないんですかぁ?」

「説明される以前から知ってること話されても困るから」

「ではライデンワーツに伝わるおとぎ話を……」

「『極光の姫君』の話でしょっ! 誰でも知ってることじゃないっ!」

 ターニャがキンキンと甲高い声を上げながらロマヌエットを批難する。当の本人はそんなターニャの反応を見て何が楽しいのか、肩をゆすって笑っている。

 ちなみに今話に出てきたおとぎ話は、『魔王』がいたころの時代の話を基に創られている。ライデンワーツではメジャーなおとぎ話の一つなのだ。

「ですがライデンワーツという国を説明する上では必要なことだと思いますけどねぇ」

「そういう解説はいらないの、私が欲しい情報は父を殺した奴らの情報。あなたは少なからず掴んでいることがあるんでしょう? それを教えてほしいの」

「パロ」『無理っ、無理っ』「どうですか? 徹夜で練習したんですよっ」

 眼を輝かせて言うな腹立たしいっ! と顔面を一発殴りたい衝動に駆られて腕がプルプル微振動を開始したが、なんとかそれは抑えた。

 こうやって拒むということは何かをつかんでいる証拠。ターニャはそれを逃さなかった。

 更に追求しようと奇術師の肩をつかもうとした瞬間、その手は突然現れた変なものの所為で硬直した。ロマヌエットは……、全然変わっていない。


 現れたのは、鋼の肉体を持つゴーレムのようなものだった。



 † † † † † †



 ボサボサのウェーブが利いた白髪をブンブン揺らしながら、ひょろ長い男が奇声を上げる。

 ウオオオとも、フォオオともつかない独特の絶叫だったが、とにかく危なそうな人種であるのには間違いなかった。やたら大きい丸メガネの向こう側には鋭い双眸が光っており、奇声が気にならないロマヌエットのような人種はそこに着眼する。

 脳をシェイクするが如く頭を振り続ける白衣の男は、有体に言うところのロボットというものに乗っていた。ただし操縦ではなく、その肩に。

「完、っ成っ! 吾輩の強く剛健な下僕第十二号『スイエル』!」

 スイエルなるそれは、猛牛のような角を生やし、眼が点のように小さい巨体だった。頭部には彼の名前と思しき『ベルデロイ』という文字が書かれている。全身が鋼鉄で作られており、容易に破壊されることはなさそうだ。

 しかし、そう思ったのも一瞬だった。

「お、ぅ!?」

 ガラガラと、城が大地震によって瓦解するような激しい音。続いて金属と金属が擦れ合う鋭い音が街中に響き渡り、はっきり言うと近所迷惑極まりなかった。周りに散らかった鉄の山も片付けるのを投げ出してしまいたくなるほどで、最早層を成している。

 ところで、崩れたスイエルに乗っていたあの男は大丈夫だろうか。

 呆けたように見ていたターニャは我に返ると、ようやくそれだけ考えることができた。

 しかし、心配は無用であったのだと理解する。せざるを得なかった。

「いやぁ、失敗でしたね」

 ケロッと、まるで何事もなかったかのように瓦礫の下からベルデロイがはい出してきたのである。

 不死身なのだろうか。

「へぇ、こんなところでこんな人物に出会えるとは」

 ロマヌエットが笑みを深くして狂的なその人物を見据える。

「フランケンシュタインと呼ばれる種族ですよぉ、鋼鉄の下敷きになっても死なないのは種族特有の異常な生命力のおかげでしょう」

「おやおやおや! 君は吾輩の正体に気付いたのかね! いやいやいや! その慧眼に吾輩自ら礼讃しようではないかっ! ここにあるスイエルの死骸を持って行きたまえ!」

「ですってターニャさん」

「いりませんよっ!」

 全速力でターニャは逃げた。後ろからロマヌエットの気配と、それからおかしい科学者の気配がしたが無視した。

 なんとか振り切った時、ロマヌエットが息切れもせずに平然と後ろに立っていたのが少し残念だった。




 † † † † † †



『始まりの街』某所。

 そこではライデンワーツの兵が整然と並んでいた。

 といっても、『本隊』が街の外へ出て先へ進んでしまったがために、残っているのはわずかな兵力の『分隊』だ。

 街にはどんどん人が集い、やがて扉を開こうとする。

 大迷宮、『世界』に備え付けられたゲームは、少しずつ、着実に進んでいた。

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